Dr.喜作のブログ

2013年6月 の記事一覧

  • 6月19日 父の日の贈り物を買いに行きました。

     私の父は86歳で もう6年前にお袋さんが亡くなってから、すこぶる元気に交野市の実家で一人暮らしをしています。お袋さんは若い頃からリュウマチを患ってきて晩年は寝たきりになり 親父さんが献身的に面倒を見てきたので、ひとりになって寂しくはあるのでしょうが 介護から解放されて、まだ体が五体満足に動くので のんびりとひとり暮らしを満喫しています。サラリーマンを勤め上げたので、ビックリする位の額の年金を受け取っていて毎月旅行にでも出かけないと金がたまる一方だそうです。私なんか、自営業だから国民年金だけだし、大学を二つも出たので人より回り道した分、年金の受取額はほんのスズメの涙なので羨ましい限りです。
     所で私はすごく太っているのでビールなんか底なしにのむようなイメージがあるかもしれませんが、実はお酒がすごく苦手です。ビールにしても、ウイスキーにしても。日本酒や焼酎にしても、殆ど美味しく感じません。甘いものもそんなに好きじゃないけれど、頑張ればぜんざいでも、甘いケーキでも食べられるので根本的に甘党なのでしょう。
     親父の現在の趣味は油絵でせっせと描いては、展示会などにさかんに出品していますが、一番の楽しみは酒を嗜むことだと思います。ですから、お中元やお歳暮、誕生日のプレゼント、父の日の贈り物も ほとんどがお酒です。本日は父の日から三日遅れですが、休診日なので昼前から実家に出かけて、親父さんと近所の酒のディスカウントショップへ買い物に出かけました。
     酒の味の全く分からない私には、ビールと発泡酒、第3のビールの違いも曖昧です。価格に大分差がありますが、やはり価格相応にビールが一番おいしいとのことなのでラガービールと一番搾りをえらびました。せっかくだから、プレミアムやヱビスなどの更に少し価格の高いビールはどうかと勧めてみましたが、価格差ほど味の違いが判らんということなので止めときました。
     妹からウイスキーの4リットル入りの大瓶をもらったということなので、バランスを考えて焼酎を選ぶことにしました。銘柄は覚えていないけれど、一升が2000円弱で6本入りを箱がいしました。大体予算として2万円を予定していましたので、ほぼ予定通りでおさまりました。
     親父さんの年齢を考えるといつ何が起こってもふしぎではないけれど、好きなお酒が毎日美味しく飲めるうちはまだそれほど心配しなくてもよいのかな、と少し安心しながら病院へ戻りました。
     子供のころ、朝食に父や母が 時々納豆を食べていました。以前は関西人は納豆が苦手な方が多かったみたいですが、現在はどうなっているのでしょう。うちは両親ともに九州人なので 凄く美味しそうに納豆を食べていました、納豆は糸を引くし薬味を入れてかき混ぜた姿はとても美味しそうには見えませんでした。でも両親が美味しそうに食べるのを見て何度も自分のご飯にかけてチャレンジしてみました。まずは口に入れると独特の苦みを感じて、どろどろの食感も決して心地よくありません。何度もチャレンジしましたが小学生のころには納豆の美味しさが理解できませんでした。所が、中学生になったころから少しずつ美味しく感じるようになり、高校生のころには大好物になっていました 。私がビールを初めて口にした子供のころ、こんな苦いだけの液体を大人はさもおいしそうに飲むのが全く理解できませんでした。でも私が大人になるころには納豆と同じようにその美味しさを理解できるだろうと思っていました。しかし、50を過ぎても理解できていません。私は間違いなく一生お酒の美味しさを知らずに過ごすことでしょう。実は私は煙草も一回も吸ったことがありません。今になって煙草の味なんて覚えたいとは思いませんが、大部分の人間がとてもハッピーになれるお酒の楽しみを知らないまま一生を終えることには、ちょっぴり、いやかなり残念な気持ちです。

  • 6月18日 携帯電話について思うこと

     私が今使っている携帯電話は いわゆるお年寄り向け携帯で電話の受信と発信にしか使えません。メールもパソコンではしますが、電話ではするつもりがないので契約していません。私の利用目的が、外出する時の転送電話を受ける受話器としてしか期待していないのでその機能で十分だからです。
     昨日、外出しているときに二件転送された電話を受けて話したら充電が切れてしまいました。私は外出しないときはずっと充電器に携帯を戻していますから、充電切れなど初めての経験でした。病院に戻ってすぐに充電しようと思って、充電器に携帯をセットしましたが、全然充電してくれません。
     この電話を使い始めてもう3年近くたちますから バッテリーがダメになったのか、うっかりして充電器を床に落っことすことがちょくちょくあるので充電器自体に不具合があるのかだと思いました。
     そこで病院の近所のAUショップを探して、AU長尾店が近かったので 出かけました。12時に病院を閉めて すぐに向かったのでショップについたのが12時15分位でした。昼休みになったばかりで間が悪かったのか、店員さんがすべて接客されていました。手の空いている店員さんがいないのだから、待たされるのは仕方がないと思って、興味はないけれど、スマフォの新製品とかを眺めて時間をつぶしました。20分位したら、やっと一人のお客が用が済んだみたいで帰りました。こちらはやっと応対してくれると思い手の空いた店員に近づきました。所が、その店員は私と目があったにもかかわらず、無視して店の奥に引っ込みました。勿論奥で何か用を足しに行ったのだと思いますが、 少なくとも私が店に来てからかなり待たされているのには気づいているはずですから、「お待たせしてすいません。」の一言と会釈ぐらいあってもいいのじゃないかとおもい すごく腹が立ちました。それで店を出てショップではなくて平和堂の携帯電話コーナーに向かいました。
     平和堂で店員さんと話していましたが、私は不愉快なのでAU以外の会社に変更しようと思っていました。ところが、こちらのトラブルの状況から判断して、ここでは故障の原因が確認できないけれどAUショップに行っていただければ、原因が判明して、ポイントも貯まっているので実質無料で修理できる可能性が高いことを教えてくれました。そこで近所のAUショップの一覧表をもらい 行き易さから松井山手店に向かうことにしました。今度は待たされないように 予め電話して予約を取ってから伺いました。店について名前を告げると、かなりきれいなお姉さんがすぐに相手をしてくれて テキパキと仕事をしてくれました。トラブルの原因は充電器の接触が悪くなっていることであるとす ぐに判明しました。バッテリー自体には何の問題もないのだそうです。結局、充電器のを取り寄せてもらうのに2週間ぐらいかかるそうなので届いたら連絡をもらい受け取ることになりました。費用はほんの500円程度で勿論ポイントから支払いました。
     適切なアドバイスをしてくれた平和堂の店員さんと、テキパキと仕事をこなしてくれた AUショップ松井山手店のきれいなお姉さんにすごく感謝です。普通だと気に入ったお姉さんの名前を聞くか名札を見て確認しますが、残念ながらかなりきれいなお姉さんだったので聞けませんでした。胸に名札がついていたけれど名札を見ようとすると美事な胸のふくらみをがんみしているようで恥ずかしくてできませんでした。充電器を取りに行く時が楽しみです。

  • 6月17日 野良猫を保護しました

     昨日の昼間に電話があり、自分の会社の前で野良猫が行き倒れになっているので診てあげてほしいとのご要望でした。とりあえず応急処置のできる準備と、場合によっては入院させるために病院へ連れ帰るかごを用意して出かけました。
     その場に駆けつけてみると、かなり高齢そうな猫がボロボロになって焼けるように熱くなっているアスファルトの上で横たわっていました。電話を頂いた方とお話をすると この猫はときどき見かけるのでこのあたりにねぐらを持つ野良猫ではないか、ということでした。すでに瀕死の状態だったので ある程度回復の期待できる治療をするには病院へ連れて帰り少なくとも2,3日は入院が必要だろうと、説明しました。電話された方は勿論、飼い主さんではなくて、ただ自分の会社の駐車場で、野垂れ死にされたら、縁起が悪い、という理由で連絡をされたわけです。当院では 野良猫の場合、不妊手術や今回のように治療するケースでは 本来無料でお受けしたいのですが、野良猫の場合扱いづらいケースも多
    いのと治療の実費が結構かかる場合が多いので、半分は病院が負担しますから半分は保護された方に負担していただいています。3日間治療すると、一日一万円見当かかるので3日間で3万円の半額1万5千円位かかると説明しました。
     さすがに会社の社長さんみたいで 気前よく見ず知らずの猫のためにお支払いくださいました。太っ腹です。早速猫を持参したかごへおいこみ 病院へ戻りました。
     診察室で診察を始めました。体温が42度を超えていたので 熱中症が疑われ とりあえず身体を冷やしました。顔を正面から見ると非対称で左半分が不自然でいびつに変形していました。左目は陥没しており あごの骨も現在は固まっていますが、骨折していた過去が容易に観察されます。まともに開いている右目も白内障で全く視力はなさそうですから、かなりの高齢猫と推察されます。恐らく両目の視力を失っていたようです。 保護された場所が車通りの激しい道のすぐわきですから たぶん交通事故にあって顔の左半分を強打してかなりの年月が経過しているようです。
     口の中の歯肉炎もひどく 強い腐敗臭が漂っていました。野良猫なので血液検査はしませんでしたが、猫エイズの感染の可能性がかなり高いと思われました。
     加えて目やにやくしゃみ、ずるずるの鼻水、という典型的な猫風邪の症状もひどい状態でした。とても、食事のできる状態ではないので、背中に抗生剤や風邪薬を加えた点滴を入れて、まず栄養分と水分をたっぷりと補給しました。かなり抵抗されましたがなんとかバスタオルにくるんで抑え込みました。多分人に触れられるのが初めてなのでしょう。相当に怖かったのだと思います。けれど抵抗はしたものの噛みつこうとする仕草は全然見られず、本来はおとなしい猫ちゃんなんだろうと思いました。しばらくすると無駄な抵抗であると理解してくれて、じっとしてくれました。点滴が終わり、顔が目やに、涎、傷口の瘡蓋だらけだったので、きれいに消毒液で拭いてあげました。目やにがなくなり陥没していた
    眼も微かに開いて眼球の存在か確認できました。口の周りの涎を取り除いたので 腐敗臭がかなり弱まりました。あごの傷跡の瘡蓋を取り除き抗生剤の軟膏を塗布してあげました。眼にはたっぷりと目薬を差してあげました。
     それでも鼻水がずるずるだったので、吸入処置を施しました。鼻の粘膜の炎症を改善するようなお薬や抗生剤を霧状にして狭い締め切ったかごに流し込みなかにいる猫が呼吸をすることで自然にお薬を吸入して呼吸を楽にする治療です。
    全ての治療が終わるころには猫ちゃんがだいぶ私に慣れてくれたようで、頭を撫でさせてくれるようになりました。あとは冷房の効いた部屋でゆっくりと休ませました。                      今朝になって様子を見ると 昨日は伸びて寝っころがった状態でしたが、普通に伏せの態勢になっていました。まだ少し鼻づまりや目やにはあるもののすごく楽そうにスースー呼吸をしていました。 
     エイズや風邪という伝染病を抱えた子なので、ほかの入院している子の面倒を見て最後に治療しました。顔の状態は昨日とは別猫のようにきれいになっていました。勿論まだ目やにや鼻水は少し残っていますが、昨日に比べて目もぱっちりと開き、呼吸もずいぶん楽そうでした。体温は38.5度と平熱に戻っていました。とりあえず、また皮下点滴を入れて栄養分や水分を十分に補給しました。勿論風邪の諸症状を改善する薬や抗生剤も入っています。
     続いてまた、顔をきれいにお掃除しました、目やにや涎を拭き取り瘡蓋も取り除きました。また目薬をたっぷりと差して 傷口に抗生剤の軟膏をしっかりと塗り込みました。猫ちゃんがだいぶ私に慣れてくれたので 全ての処置が昨日よりもずっとスムーズにいきました。続けて吸入治療もまた実施しました。
     昨日よりもかなり状態が改善したので、ひょっとして食欲も戻っているのではないかと期待して、食べやすくて栄養価の高い缶詰に鰹節をたっぷりと掛けて目の前においてみました。残念ながら、昨日瀕死の状態だった子なので食欲が戻るまでには元気になっていなかったようで、興味も示してくれませんでした。
     当院としても 猫ちゃんと赤の他人様からそこそこの料金を頂いて お預かりしてしまった以上は食欲が戻り、ある程度 元気になっていくめどが立つまでは面倒を見させていただくつもりです。焦っても仕方がないので、明日には食欲が戻ることを期待したいと思います。

  • 6月16日 スーパーの駐車場で思ったこと

    別にスーパーに限ったことではないけれど 駐車場には隣接する民家などへの配慮のため 前向き駐車を促す看板が多く見かけられます。私はそのような場合必ず前向き駐車します。
     以前に大型犬を往診車に積み込むために 病院の入り口に往診車を後ろ向きで停めたことがありました。車を所定の位置に移動してすぐにエンジンを切りましたが結構病院内に排気ガスが流入してその匂いに不愉快な思いをしました。その経験をしてから 前向き駐車の呼び掛けには必ず従うようになりました。
     所が、今日停めたスーパーの駐車場では前向き駐車を促す看板が何か所もあったにも拘らず 90%以上が後ろ向きに駐車していました。指示通りに前向きに駐車しない理由は 出るときに前向きなので発進しやすい、という自己中な理由だと思います。大体、運転のへたくそな中年以上の女性なんか何度も何度も切り返えした挙句に、不細工な斜め駐車をしていたりする傾向があるように思います。自分の運転に自信がないので 出るときに簡単なように後ろ向き駐車をするのだと思います。だけど 運転に自信がないのなら、何も狭い駐車スペースに入れるときに不安な後ろ向き運転をするよりも まだ安心な前向き運転で停めて、出るときは後ろ向き運転だけれど広いスペースに移動するほうが  理論的にはよっぽど簡単なのではないでしょうか?
     昔の日本人はこんなに自己中ではなくて 決められたルールはなるべく守ろうともっと努力していたと思います。こんなに自分さえよければ隣接する民家の方の迷惑などどうでもいい、というような自己中な考え方が蔓延していてとても残念に思います。
     それから、もっと気になるのが買い物にスーパーへ来た時に後ろ向き駐車をして、運転してきた男性が買い物に付き合わず、車の中で待っているケースです。音楽を聴いているのかナビゲーションでテレビでも見ているのか 雑誌でも読んでいるのか知りませんが、ほとんどエンジンをかけっぱなしです。隣接するお宅への被害だけではなくて二酸化炭素の排出など地球規模で人類全体に迷惑をかけていることになぜ気づかないのでしょう?馬鹿野郎と大声で怒鳴りつけてやりたくなりますが、私ごときが怒鳴りつけても不愉快な雰囲気になるだけで何の解決にもつながらないと思うので 辛抱しています。
     震災の瓦礫の受け入れ問題でもそうですが、わが枚方市も受け入れ困難、と発表されているだけで、すごく残念です。恐らく市民に受け入れの是非を問う機会はあったのでしょうが、断固拒否の姿勢の団体が大騒ぎしたのだろうと思います。市としても受け入れに積極的な人たちが大部分を占めるのならともかく 受け入れ拒否の人たちが過敏に反応したので、わざわざ波風を立てる必要もなかろうということで 受け入れ困難の姿勢に傾いたのだと思います。
     受け入れを要請している地域は宮城県や岩手県で 放射性物質による汚染が最も懸念される福島県のものは含まれていません。勿論、がれきを処理すればダイオキシンなどの有毒物質が多少ははっせいするかもしれません。けれどそれは自分たちの地域で生まれたがれきを処理するときにも大なり小なり発生しているのです。どうして、何の罪もないのに 生活を崩壊させられて困っておられる地域の方の少しでもお役にたてることがあれば 進んで受け入れる方向に一票を投じる人が殆どいないのでしょうか。
     偉そうなことを書いていますが私自身が何か積極的な態度を取ったのかと問われれば首を横に振ることしかできない腰抜け野郎であることは自覚しているつもりです。同じ日本人同士 自己中をやめて 積極的に助けあう方向に進んでいけたらよいのになと、思います。
     震災の瓦礫の受け入れについては、まだまだ書きたいことが一杯ありますので日を改めて 取り上げてみたいと思います。

  • 6月15日 手術での危機一髪

    今日は、生後7か月のすごく若くて元気な柴犬の避妊の手術の予約が入っていました。ここ最近、麻酔をかけた動物がどれも高齢者で、病気持ちで麻酔がまともにかけられるか かなり心配な子たちばかりでした。幸いなことに、どの子も無事に手術なり処置なりが 上手くできてほっとしていました。勿論、そのような動物を預かる場合は事前に慎重に肝機能や腎機能を検査をして、いざという時の十分な準備をして 更に飼い主さんにある程度の危険性の告知をしてから、麻酔をかけます。
     ところが本日の患者は若くて 当たり前ですがすごく元気だったので 事前にそのような検査は一切していませんでした。正直なところ、緊急事態になることを全く想定していませんでした。
     まず診察室で導入麻酔薬を静脈注射しました。ほんの数秒で意識がなくなり 患者を手術室に運び マスクを当ててガス麻酔を吸わせながら 血管留置針を挿入して、テープで固定しました。そんな作業をしている間に麻酔が安定してきたので、次に開口機を使って気管チューブを挿入しました。完全に脱力状態になって呼吸も安定していたので、四肢をひもで手術台に括って患者の体を固定しました。
     この後、腹部の毛をバリカンで刈って、手術する部分を清潔な状態に処置します。
    いつもこの段階からは看護婦士さんに任せて 私は帽子をかぶりマスクをして手を洗い、手術着を着て 手術用の手袋をはめます。
     手袋をはめようとしていると看護士さんが緊急事態であることを知らせました。突然それまで安定していた呼吸が止まり、胸の触診から心臓の停止の可能性を示唆していました。私はあわてて聴診器で心音を確認しましたところ、確かに心停止していました。四肢を括っていたひもをほどいて心臓を圧迫しながらマッサージをしました。約30秒で心臓が動きだして、呼吸を再開してくれました。しかし、すぐに呼吸が再び停止したので呼吸促進剤を血管留置針から投与して、やっとしっかりした呼吸を再開してくれました。
     とりあえず、心停止の原因が予測できないので 本日の手術実施を半ば諦めて、とりあえず 留置針から採血して血液検査と失禁した時に採取した尿の検査をしました。尿には何の異常も見られませんでしたが、血液検査の結果、肝機能の数値が全て正常値の10倍前後でした。
     この肝機能の異常が、先天的なものなのか、一時的なものなのかと 本日の心停止との関わりについて 現在の段階では判断しかねると思いましたので 手術を完全に断念して、飼い主さんに電話をして、経過と検査の結果を口頭で簡単に説明して、手術を見送り、ひとまずは肝臓の治療をして、肝機能が正常に戻れば、再び手術を試みる、ということでご了解を頂きました。
     私たち獣医師は治療や処置のために種々の薬を用います。麻酔をかける処置も麻酔薬を投与することです。大部分の薬が 肝臓で代謝、分解されて、腎臓から尿とともに排泄されます。従って、手術で麻酔をかける場合には命に関わることが多いので 腎機能と肝機能のチェックの必要性を再認識しました。
     去勢や避妊の手術は基本的に健康体に実施するわけで 年間100件ぐらいは行いますから、手技としては慣れた作業の繰り返しで さほど緊張を伴うわけではありませんし、割と短時間で高額の料金を頂けるので、病院としては有難いことなのですが、常に死と隣り合わせな危険な作業であることを 今日改めて思い知らされたきがします。
     若くて健康な患者でも 予期せぬ異常を抱えている可能性があり 何時どのような状況になるか分からないことを今日の患者さんが教えてくれたので、今後の手術に臨むときの気持ちを引き締める良い切っ掛けにさせて頂こうと思いました。 

  • 6月14日 コンピューターソフトについて

     パソコンという言葉が使われるようになったのは何時ごろからでしょうか?少なくとも私が一つ目の大学を卒業して働いている頃には影も形もありませんでした。ところが二つ目の大学を卒業する時に、私たちの学年から卒論をワープロで作成することが義務付けられました。確か平成3年頃です。この頃から、新しい物好きな人のうちにはそろそろパソコンが登場していたのかもしれません。
     当時はワープロ専用の機械があって同じ研究室の学生でその機械で作成していた人もいました。私は貧乏学生でしたから、そのような高価な装置を所有しているわけもなく 研究室のパソコンとプリンターを借りて卒論を作成しました。当時も現在もパソコン等の機械類には全く興味もなければ 当然それについての知識もなかったので 教授に「そのパソコンはNECの98だよ。使いやすくて処理スピードもすごく速いだろ」などと恩着せがましく言われても全然ピンときていませんでした。まあ、かなり大量の文章をワープロで打ちこんだので 必然的にブラインドタッチが身についたのはありがたい副産物でした。当時使っていたワープロソフトが現在も存在するのかどうかも知りませんが一太郎のバージョン3でした。必要に迫られてそのソフトの使いこなし方もそれなりには身についていたように思います。
     卒業してしばらくはワープロと縁のない生活をしていましたが、ある時ふとワープロを使う仕事に出くわしました。その時の一太郎のバージョンは確か7だったと思います。一応バージョン3は使いこなせていたつもりだったのでバージョン7でも同様に扱えると思ったのですが、甘かった。バージョンが進みソフト自体の容量もすごくでかくなっていましたが、情けないけれど殆ど取り扱えませんでした。現在のパソコンに入っているワープロソフトは一般的にワードだと思います。私はそのバージョンの数さえ知りませんが、簡単な文章の作成ぐらいしかできません。その膨大な能力のほんの一部分しか利用できていないのだと思います。
     普通の電化製品だと時代が進むと製品も当然進化しますが 進化によりどちらかといえば扱いが簡単便利になっていると思います。コンピューターソフトもそれ自体をずっと使い続けていて、バージョンが一つ進むたびにその変化を理解しながら勉強していけば恐らくバージョンアップするたびにどんどん使い勝手がよくなっていくのかもしれませんが、もともと機械の扱いが苦手であり当然嫌いな人間には そこまでとことん機械と向き合うことなど全く無理な話です。
     実は、今回病院のホームページをリニューアルして、スマフォにも対応した形に進化させようとしたときも、同様のことを感じました。以前のホームページはホームページビルダーバージョン10で作成していました。といっても機械音痴の私が何をしたわけでもなくて、私の奥さんが 非常に頭の回転が速くて理解力も記憶力も私を数段上回るぐらいに優秀な頭脳をされていますので、一人で頑張って作成していただきました。
     今回はコンピューターがウィンドウズ7なので ホームページビルダーバージョン17というソフトを使いこなさなければならない時代になっていました。私は当然バージョン17が賢い奥様にひれ伏して使いこなされると信じて疑わなかったのですが、約一月悪戦苦闘をされた結果、奥様のほうが白旗を上げられました。それで仕方なく、ホームページ作成業者の方のお世話になることになりました。うちの優秀な奥様が悪戦苦闘しても使いこなせないような複雑怪奇なソフトを上手に利用しておられる方がもしいらっしゃるのなら、本当にその方を尊敬いたします。
     これからもパソコンは仕事だけではなくて、生活を快適にするためにどんどん利用する機会が増えると思います。そのソフトが私のような機械音痴な人間にもなんとか扱えるような 人にやさしいソフトに進化していってくれることを 真剣に期待しております。

     

  • 6月13日 紫陽花を見て思うこと

    今日初めて 紫陽花が咲いていることに気づきました。勿論 車で通る道端にも咲いていたのでしょうが 、今日までほとんど気が付きませんでした。今日見たときも何か違和感があり紫陽花の花だと気づくのに少し時間がかかってしまいました。違和感の原因はかんかん照りの中で紫陽花を見たからだと思います。紫陽花を見るのは、やっぱり雨降る中 傘をさしながら、場合によっては蝸牛と一緒に見たほうが風情があって 心に染み入ります。
     今年は空梅雨なのでしょうか?せっかく雨をもたらしてくれそうだった台風は日本に近づく前に弱まってしまったみたいだし、ちょっと心配です。とは言っても、農作物の心配をするほど心は広くないし、ダム湖の貯水率がそれほどニュースにもなっていないので、給水制限にでもならない限りは 自分に実害が及ばないので 気にもかけないでしょう。
     昔 子供のころに給水制限を経験した時に ポリタンクなんて洒落たもののない時代ですから 家にある一番大きな鍋や薬缶を持って給水車の前で行列を作ったのを微かに覚えています。
     所で、「紫陽花」という言葉と久しぶり出会ったとき 漢字でどのように書くのかすぐには思い当たりませんでした。そんな時、昔ならすぐに辞書を引いたのに 今はワードプロセッサー機能のおかげで ひらがなで入力するだけで 変換ボタンを押せば簡単に漢字が表記されます。便利な世の中になって有難いことだと素直に喜べばいいのに、何故か人間がズボラになっていくようで素直に喜べません。
     洗濯機でもそうです。全自動タイプができたときには 有難いものができたと喜びましたが 洗濯乾燥機ができたときには 思わず首をひねりました。洗濯物はやはり屋外で太陽の光を浴びながら乾かしたほうが気持ちよく下着が着れるのではないかと思ってしまうからです。布団乾燥機にしてもそうです。布団がさらっと、からっと乾くのはいいけれど やはりお日様に直接当てて 太陽の匂いのたっぷりと染み込んだ布団で寝たほうが気持ちがよいと思います。
     あんまりこんなことを書いていると またガンコ爺が昔気質で愚痴をこぼしていると、ますます嫌われそうなので 今日はこの辺でやめておきます。最後まで読んでいただいている方が何人にらっしゃるのか分かりませんが、お付き合い願えて本当にありがとうございました。

  • 6月12日 橋本市長の発言について思うこと その2

    沖縄にいるアメリカ兵に対して、性風俗産業の活用を進めた件について考えてみます。一般的には、性風俗産業そのものに対して強い嫌悪感をお持ちの方が 特に女性には多いのかもしれません。しかし、男性の場合99.9%が中学生や高校生のころには部屋にエロ本を隠し持ち マスタベーションにふけったことがあるはずだし、程度に差こそあれ性風俗産業のお世話にもなっていると思います。
     女性に全くもてなかった私が性犯罪に走らずに済んだのは 性風俗産業のおかげかもしれませんから 世間にいくつもある必要悪のひとつといえるのではないでしょうか?この世の中きれい事ばかりでは成り立たないと思います。
     勿論、その場で働く女性が胸を張って「そのような職業についています」とは申告しにくいだろうし、大なり小なりその恩恵を被った男性陣も大っぴらに 「お世話になり、ありがとうございました」 とお礼を言いにくいのは事実でしょう。
     そのように、ちょっと大っぴらには語りにくい性風俗産業の活用を 公のそれもテレビカメラに映っている場で推奨されても アメリカ側の方たちが対応に困ってしまって、結果的には反発を招いたのは致し方のない結末かもしれません。
     昨日も書いたように 何時戦場に駆り出されるかわからない兵隊さんたちの性欲のはけ口はどうしても必要だと思いますし、沖縄で10代の女の子のアメリカ兵による性犯罪の被害はあとを絶ちません。
     橋本市長にしたら 兵隊さんたちの暴発しかねない危ない性欲は 性風俗産業で働く女性で発散してもらって、一般の沖縄の女性の被害をなくしたくて 発言しただけだと思います。
     だけれども、性風俗の推奨をするのは、例えば話し合いが終わって、打ち上げの席で酒でも酌み交わしながら、若いおねーちゃんたちをはべらかせた場で すべきであったのではないかと思います。デリケートな内容の話なのだから、話を持ちかける雰囲気とタイミングをもう少し考慮して、相手が納得して受け入れ易い状況を作ってから行動に移るべきだったのではないかと思います。昨日は橋本市長をりっパな政治家と表現しましたが、この件に関しては残念ながら政治力がたりなかったのではないかと思ってしまいます。
     いずれにしても、昨日の「従軍慰安婦」についての発言も「性風俗産業の推奨」も表面的な内容にとらわれないでいただきたいと思います。繰り返しますが橋本さんの主張は 何も「従軍慰安婦」の存在を否定しているわけでも、そのシステムによってつらい思いを沢山された女性への配慮を放棄すべきだと言っているのではなくて、そのようなシステムがあたかも旧日本軍にしか存在しなかったような事実認識を改めましょう、と提案しているわけだし、「性風俗の推奨」にしても、あくまで沖縄の女の子を守るためにはきれいごとばかり言っていても根本的な解決にはつながらないから 即効性のありそうな具体案を提示したに過ぎない、ということを日本人なら理解してあげて頂きたい、という ことです。

  • 6月11日  橋本市長の発言について思うこと

     私は不勉強なので 歴史的な真実について殆ど知識がありませんし 客観的な判断ができるとは 到底思いませんので あくまで私が個人的に感じることを述べさせて頂きます。
     まず、「従軍慰安婦」についでですがその呼び方自体が適切なのかどうか疑問です。日本でこの問題を語るときには 当然 この呼び方をされます。少し前までのアメリカでもこの呼び方が受け入れられていたようですが、韓国の積極的なロビィ活動により いつの間にか「性奴隷」という言葉のほうが浸透してしまったようです。私が問題視したいのはそんな呼び方などはどうでもよくて、少なくともアメリカの言葉にも従軍慰安婦を意味する言葉が存在したことです。橋本さんが言いたかったことは戦争中の特殊な状況下で兵士の性欲のはけ口にされた女性の存在を否定することではなくて、日本にだけそのような制度が存在していたかのような事実認識を改めるべきではないのか、ということだと思います。
    少なくとも英語には「従軍慰安婦」を意味する言葉が存在したわけだから そのような組織がアメリカにも存在したのではないのか、ということです。
     唐突ですが、私の知人(女性)から聞いた話をはさみます。その女性のご主人は小さな商社を営んでおられて、東南アジアが主な商売相手だったそうです。どこの国かは知りませんが、ご主人が出張で出かけているときにクーデターが起こり、隣の事務所で死人が出るほど 危険な状態から 運よく無傷で日本に戻られたそうです。当然ご主人は死を覚悟された時もあったのだと思います。家に帰り着いたとき
    出迎えに出られた奥さんの体を玄関で激しく求められたそうです。勿論、普段はそんなことをされるご主人ではありません。
     何が言いたいのかというと、人間は命のやりとりをするような場面に遭遇すると、生き残りたい、もしくは己の種を後世に残したいという、という欲望が強まるのは当然のことかもしれない、ということです。
     戦場で命のやりとりをしている兵士の方の 性欲がすごく高まるのはごく当たり前のことかもしれません。勿論私にはそのような経験は皆無なので あくまで想像で自分の主観を述べているだけです。戦時下では 占領軍の兵士が 占領された地域の女性で強引に性欲を満たすことは 古今東西ごくありふれた事実だと思います。終戦直後 日本の女性も占領軍の被害にあった方の数は相当数に上ると思います。一般の女性を守るために 国が占領軍の性欲を処理するための組織を作らざるを得なかったことは 悲しい現実として受け止めるべきだと思います。
     話のポイントがぼやけてしまいましたが、戦っている兵士の皆さんの性欲を処理する組織が どこの軍隊でも必要であったのではないでしょうか、ということです。日本人は被虐的な民族で、主張するべきことをせずに ひたすら耐えることを尊ぶ風潮が強すぎます。例えば教科書問題でも 中国や韓国の教科書に客観性のかける表現がいくらでもあるかもしれないのに 日本の教科書の「侵略」を「進出」と変えただけで散々叩かれて「あんたらの教科書には客観性を欠く表現が一つも存在しないのか?」と全く反発しないのだから もっと主張すべきところでははっきりと自分たちの主張をすべきだと思います。
     「従軍慰安婦」のような組織は 決して誇れるような事実ではないので どこの国でも見ないふりをして通り過ぎたがるのは当然ですが、決して日本軍にだけ存在していたわけではないと思います。
    橋本市長は 皆が避けて通りたがる事実と真摯に向かい合ったうえで 誤解を受けるのを覚悟で発言されたのだと思いますから、敢えて言わせていただくなら、立派な信頼できる政治家だと思います。

  • 6月10日  頭髪について思うこと

    私は今年の誕生日を迎えたので56歳になりました。四捨五入すれば、60歳でほんとうの爺の仲間入りした気分です。頭髪の変化も年齢とともに着実に進行して、若いころはボリュームがありすぎて鬱陶しい位あったのが、年々ボリュームダウンしてしまい、現在ではかろうじて地肌が見えにくいくらいだと思います。白髪の割合も驚くほど増えて、今では白髪のほうが黒髪より多そうです。

    私の父親は現在86歳ですが お袋さんに先立たれてからも元気に一人で暮らしています。勿論殆どが白髪であり、頭皮もよく見えています。私が子供のころからオールバックで額がM字型でしたから、結構若いころから額の後退がすすみ、波平さんのようになるだろうと予想していました。ところが、意外にも頑張って踏み止まっていて 年齢の割には立派に髪が残っているほうだと思います。

    実は私も 頭髪の減少に対する恐怖心は少なからずあるようで、時々朝起きるとズル剥けになっている場面を 何度も夢でみて冷や汗をかきました。ある程度の年齢になると 男性共通の心配ごとなのかもしれませんが、私はどうせ禿げるなら額が後退して徐々に禿げが進行するのを確認できる禿げ方を望みます。そのほうが禿げることに覚悟が少しずつできると思うのです。私の最も望まない禿げ方は、つむじのほうからひそかに進行するてっぺん禿げです。時々嫁さんから つむじが大きく成長していることを指摘されて ドッキリします。だから合わせ鏡で頭頂部の毛髪の薄くなり具合を確認すべきだとは思うのですが、なかなか恐ろしくて実行できません。他人が知っていることを自分だけが知らずにいる
    ような滑稽な生き方はしたくありませんけれど。

    体毛もだいぶ薄くなってきました。若い頃にはふくらはぎから太ももにかけて黒いタイツを履いているぐらいに毛深くて恥ずかしかったのですが、現在ではすねからふくらはぎにかけては脱毛したようにツルツルです。腕に生えている毛のボリュームもなくなり白髪がほんの少しですが混じっています。
    人間年をとればとるほど時の過ぎるのが早く感じますが40歳を過ぎてからの10数年は本当に一瞬で過ぎ去ったように感じます。そして、肉体的な衰えの進行にも驚ろくばかりです。もう私の人生のカウントダウンもかなり進んでいるようなので、死を迎えるときに なるべく残っている悔いの数が少なくなりますように、一生懸命に生きていこうと思います。