Dr.喜作のブログ

2014年2月 の記事一覧

  • 2月5日 確定申告の準備が出来ました

    一月から頑張ってきた確定申告の準備がコンピューターへのデーターの入力を完了したのでほぼ終了しました。以前に書きましたように会計ソフトが今年から新しいものに変わり ソフト購入の為 作業が進められない日々も数日ありましたが 本日で一応全てのデーターの入力が終わり決算の準備が整いました。今年から始めるので初期データーの入力などで 決算の完了まで もう少し時間はかかりそうですが 私のできる仕事即ち馬鹿でもチョンでもできる簡単な基礎データーの入力作業は終わりました。初めてのソフトなので もう少しデーターの入力に 戸惑いてこずるかとも思っていましたが さすがに奥様が厳選してくれたソフトだけに殆どこれまで使ってきたソフトと違和感なく入力を終えることが出来ました。

    パソコンの会計ソフトを使っていなかった頃は 売上帳や金銭出納帳、銀行勘定帳、仕入帳等全て実際の帳簿に手書きで記入して電卓でそのページごとに計算して合計金額等をを記帳して それらを組み合わせて決算をしていきました。所が 会計ソフトを使うようになってからは 振替伝票に必要事項を全て記入してから パソコンにそのデーターを入力すれば自然と決算が出来ていて入力ミスさえなければ 計算間違いも絶対にありませんから非常に楽ちんです。また早い時期に計算ミスなどがある場合も実際の帳簿ならいちいち計算しなおして 書き直さなければならなかったけれど コンピューターへの入力の場合数値を訂正すれば それだけですみますから 帳簿が汚れることもありません。

    昨年までなら前年の期末の数字が自動的にその年の期首の数字になるので 手間いらずだったのに 今回は初めて使うソフトだから当然ですがいちいち項目ごとに期首の数値を入力しなければならないので 今年だけ多少面倒ですが来年以降はまた楽になります。そのあたりのややこしい入力は私では無理なので 奥様に頼り切ってしまいます。何しろ初めてのソフトですから マニュアルを読んだりヘルプを呼び出したりして 多少は戸惑いながらも 奥様は着々とゴールに向かっています。

    私たちの仕事は日々売り上げが上がりますが 実際にどれだけ儲かっているのか儲かっていないのかは日々の活動では見当がつきません。この決算書を作ることによって昨年一年の仕事ぶりがやっとわかるわけです。一年間頑張ったのか頑張らなかったのか その数値で判断できます。勿論儲かっているほうが嬉しいですが まあ奥様と二人で楽しく過ごせていて 将来への貯蓄が少しでも増えていてくれれば 万々歳だと思ってのんびりやっているので去年もそんなに儲かっていないのでしょう。 昨年末に入院して手術して 一週間も病院をお休みして なんてことがあったから 健康で無事に仕事が出来ていれば十分有難いことだと思います。

    取り敢えずは約一月にわたる 普段はしないデスクワークを頑張りましたので 自分へのご褒美として 17日から四泊の旅行に出かけます。一時は沖縄や石垣島など暖かい所へ出かけた事もありましたが 今年もディズニーランドに行くことになりました。16日の晩、病院を閉めて食事をして 入浴を済ませてから オンボロ往診車で出かけます。もう慣れてしまったので 東京までの往復の長距離ドライブも楽しくなってきました。今年は正月からかなり仕事を頑張りましたから 久しぶりにのんびりして来ようと思います。今夜はホッとしたのでぐっすり眠れそうです。お休みなさい。

  • 2月4日 昨夜の夢に浅倉みなみちゃんが登場しました

     浅倉みなみちゃんは 明石家さんまのラブメイトテンでも一位を取ったことがあるくらい有名なキャラクターだから説明の必要もないと思いますが 念の為に簡単に紹介しておくと あだち充先生の「タッチ」という漫画の登場人物です。中学から高校時代を描かれているので勿論みなみちゃんは高校生のままの年恰好で出て来てくれました。

     みなみちゃんは可愛くって、スタイルが良くって 賢くって、やさしくって本当に何でも出来る理想的な女の子です。ちらっと聞いた情報によると41歳になったみなみちゃんを描いた漫画が始まったそうです。女子高生はさすがにきついけれど41歳なら十分恋愛の対象になるので どれくらいチャーミングになったみなみちゃんとして描いてあるのか非常に楽しみです。みなみちゃんだから絶対にがっかりするようなおばちゃんとしては描かれていないことに確信があります。

     私はタッチを全巻揃えて持っています。以前は時々思い出したら読み返していましたが さすがにここ十年ぐらいは読み返していませんでした。カラオケでほんの時たま タッチの主題歌を歌う事はありましたが 漫画をしまってある部屋にさえもう何年も入っていないような気がします。昨夜の夢に登場してくれた理由はさっぱり分かりませんが 初恋の人に会えたような嬉しさに満ちた夢でした。

     私はタッチを読み返すと必ず泣いてしまう場面があります。タッチを全編読んだことがある方なら恐らく共感していただけると思いますが、須見工との練習試合の時 ベンチでたっちゃんがみなみに「甲子園に連れて行って」と言われて 新田を三振に取る場面です。私はこれまでに相当数の漫画を読みアニメを見てきましたが この場面に勝る名場面は存在しないと思います。

     この場面の感動に肉薄するとしたら ルパン三世の「カリオストロの城」で ルパンがクラリスにマジックを見せるシーンかなと思います。ちなみに私のアニメで好きな女の子ランキングのベストスリーは みなみちゃんとクラリスと超時空要塞マクロスの早瀬未沙です。リンミンメイちゃんも可愛いけれど 恋愛に不器用な早瀬さんの方が魅力を感じます。早瀬さんのレコードを買っておまけについていたポスターが 私の部屋の一番よく見える場所(リトルナウシカのポスターのすぐ隣)に長い事貼ってありました。

     あんまり漫画やアニメについて書いてオタクみたいに思われるのも嫌だから 今夜はこの辺で終わりにします。おやすみなさい。

  • 2月3日 本日は節分だそうです

     あまり暦について今日が無いので 殆ど知らないのですが 明日が立春 つまり明日から春を迎える前日で 要するに冬の最後の日であり邪気が集まりやすいので 豆まきをして邪気を払い福を呼び込む習慣があるのだそうです。子供の頃から 豆まきの習慣は我が家でも行われていました。私が小さな子供の頃には 父親がおにのお面をかぶって帰宅してくるので その鬼に向かって豆をまきました。まああとの掃除が大変なのと 床の上に転がった豆はあまり食べたくないので 割と簡単に終了していたように思います。 

     最近では恵方巻きにかぶりつく習慣もかなり浸透してきたようですが 私としては殆ど馴染みがない習慣なので 自分でやってみたことは一度もありません。私の身の回りの方たちでどれくらいの方が実践されているのでしょう。これもどうせバレンタインデーのチョコレートと同様に 恐らくは御酢若しくはお寿司若しくは海苔あたりの業界が己の商売繁盛を目論んで 広めた習慣だと思います。調べてみると大阪の商家ではかなり昔からある習慣なのだそうですが 大阪以外の関西 例えば京都や神戸ではどの程度浸透していて 認知されているのか興味があります。

     大阪と京都はすぐ隣ですが 大阪人と京都人は喋る言葉や生活習慣が驚くほど異なります。私は立命館大学に通っていたころに 初めて京都人と接触しました。女の子の話す京都弁は あまりに魅力的で 京都弁を喋るというだけで好きになってしまいそうでした。まあ京女との恋愛はかなり厄介なものなのだそうで 全く成就しませんでした。勿論私が女性にモテないだけだと思いますが。

     白みその甘いお雑煮も初めて食べた時には驚きましたが 甘党の私は凄く美味しく感じました。タヌキうどんにも驚きました。そもそも大阪にはタヌキうどんなるものは存在しません。甘辛く炊いたオアゲさんののったうどんをきつねうどんというのに対して 同様のオアゲさんののったそばをたぬきそばというのです。京都のタヌキうどんとはあんかけうどんの事で おつゆがあんかけになっているので ある程度時間が経っても冷めにくく食べるときにその熱さに驚くところから 化かされるみたいでタヌキうどんというのだそうです。

     衣笠丼もそうです。要はオアゲさんの卵とじの丼で大阪ではきつね丼といいます。京都のお店できつね丼を注文しても 大阪の呼び方を知らないはずはないのに 京都人は衣笠丼という呼び名に誇りを持っていらっしゃるからかもしれませんが 分からないふりをされてしまいます。これだからプライドの高い京都人と付き合うのは難しいのかもしれません。

     それから「おばんざい」というと京都の家庭料理の代名詞のようになっているように思うのですが おばんざいという言い方をするのは京都以外の人なのだそうです。昔から京都にお住まいの方たちは 自分たちの家庭料理を決しておばんざいとは呼ばないのだそうです。京都には長いこと日本の中心地であったという歴史がありますから それなりに自信と誇りを持っておられるのは分からないでもありませんが 正直付き合うのはかなり面倒に思うのは私だけでしょうか?

     神戸は距離的にも遠いので 六甲山には何度か登りましたが 神戸の街をうろついたことは一度しかありません。確か神戸文化ホールに合唱団の演奏会を聴きに行っただけです。緞帳の開き方が普通の劇場みたいに上下するのではなくて 左右にカーテンが開くように動いたのでさすがは神戸だ。緞帳の開き方までお洒落にできていると強く印象に残りました。

     奥様が神戸のハーブ園に行ってみたいと仰っていたので いずれお連れするときが私の人生二度目の神戸訪問になると思います。ただ何にしろ神戸は遠いので なかなかその機会は来ないのかもしれません。でも、以前にたまたま知り合った神戸出身の女性が話していた神戸弁とは言わないのかもしれませんが 神戸独特の喋り方も 京都弁とはまた違った魅力があるので 頑張って訪問してみようと思っています。

     節分の話から 見当はずれの方向に展開していますので 今日はこと辺りで終わりにします。お休みなさい。

  • 2月2日 札幌で冬季オリンピックが始まった日だそうです

     当時私は中学二年生で ニキビが花盛りの坊主狩りの中学生でした。実質初めて経験する自国開催のオリンピックに 一人で盛り上がって毎日テレの放送に釘付けになっていました。東京オリンピックの時は幼稚園に通っていたので 当然かもしれませんが殆ど覚えていません。

     勿論日本人が活躍する場面は少なかったのですが ボブスレーやリュージュなど初めて見る競技のカッコよさに憧れを感じました。アイスホッケーもそれほど真剣に見たことが無かったのですが 世界レベルのスピードと激しいぶつかり合いには 非常に感動して 優勝の決まる試合では熱狂していました。

     ジャンプの70メートル級(現在のノーマルヒル)で金、銀、銅のメダルを日本が独占した時の中継は勿論生放送でみて全国民とともに熱狂しました。ただ数日後の90メートル級ジャンプ(現在のラージヒル)では 全く活躍できずに終わり 期待が大きかっただけに相当にがっかりしました。 その後の冬季五輪でもジャンプ陣はあまり活躍できずに終わり やはり飛びなれたジャンプ台で飛べる地の利が大きいのかもしれないと思いました。長野五輪ではやはり地の利を生かして団体戦で見事に金メダルを獲得してくれました。もうすぐ始まるソチ五輪でもジャンプ陣はあまり期待されてはいませんが その分気楽に参加して 思わぬ活躍をしてほしいと思っています。

     冬季五輪で日本で人気のある種目は昔も今もフィギアスケートだと思いますが、 札幌五輪では ジャネットリンというアメリカの女の子が凄く人気者になりました。その後カルピスなどのCMにまで登場したほどです。私は天邪鬼なのかもしれませんが 一番人気のものには飛びつかない性格なので リンちゃんが銅メダルを獲得したけれど  銀メダルを獲得したカナダのカレンマグヌッセンという選手の方が顔立ちもスタイルもお肌も綺麗だと思いました。リンちゃんのほっぺたのそばかすはひどすぎると思います。

     カレンマグヌッセンは私の歴代の女性スポーツ選手美人ランキングで ソ連のナタリヤクチンスカヤという体操選手に次いで二位に入ります。ちなみに三位はソチ五輪にも出場される上村愛子さんです。クチンスカヤの場合はメキシコオリンピックで 直前にソ連がとった軍事行動の為にライバルであるチェコのチャフラフスカに同情が集まり、クチンスカヤに対して会場内で露骨にブーイングが起こったことに反発して余計に好きになったのかもしれません。

     もうすぐ始まるソチ五輪についての予備知識が殆ど無いので どの種目がメダル有望なのか全然分かりませんが 少し前にも書きましたように 勝手に期待して勝手に盛り上がっておいて 期待外れに終わると せっかく応援したのに活躍しなかった と選手を攻めるのだけはやめてほしいです。せっかくオリンピックという夢の舞台に立つのだから 少しでものびのびと悔いの残らないように頑張れる為に 同じ日本人として 節度と良識のある応援をしましょう。

      

     

     

  • 2月1日 沢村投手の誕生日だそうです

     プロ野球の沢村賞で有名な沢村投手の事です。今でも語り草になっていて 沢村投手を伝説化する投球が1934年の11月20日 静岡県草薙球場での全日本選抜とメジャーリーグ選抜の試合です。この試合で沢村投手は先発完投して ルーゲーリックの本塁打による一失点にメジャーリーグ選抜打線を抑え込んだのです。(試合結果は0対1の惜敗)この年の全日本選抜の対メジャーリーグ選抜の成績は0勝16敗で他の15試合は大差のボロ負けでした。当時の日米野球の実力の差は歴然としていました。

     その状況での沢村投手の快投は確かに特筆すべきかもしれませんが この対抗戦で他に四試合投げてその全てで沢村投手は滅多打ちにあっています。当時の草薙という地方球場の事ですから マウンドや球場の構造などグラウンドコンディションが 何かしら沢村の快投に味方したのかもしれません。 現在のプロ野球でも年間二、三勝しかできない程度のピッチャーが たまたまベストコンディションで 相手チーム打線が手も足も出ないような快投を見せることが 極ごくたまにあります。沢村投手の草薙球場での快投も たまたまその様な幸運に恵まれたのかもしれないと私は思ってしまいます。

     その根拠はプロ野球選手となってからの成績です。通算五年間で63勝22敗防御率1.74はそこそこ立派な成績です。度重なる兵役に駆り出されて肝心の右肩を故障したり、負傷したりして野球選手として万全の状態ではなかったのは事実でしょう。但し相手チームはプロ野球の創成期ですから一応プロ野球チームと名称はついていますがアマチュアに毛の生えた程度の寄せ集め軍団です。

     沢村投手の投球の鮮明な映像が残っていないので 現在のプロ野球の投手と客観的に比較することはできませんが 少なくともプロ野球選手としての成績だけを見れば 勿論素晴らしい成績だとは思いますが 伝説的に語られているほどの投手であるのかどうかは疑問だと思います。只、27歳という若さで戦死されたので ジェームスディーンのように余計に伝説化されやすかったのかもしれませんが 戦死された時には沢村投手はプロ野球選手を引退していました。現在の感覚なら27歳といえばプロ野球選手として脂の乗り切った全盛期かもしれませんがすでに現役選手ではありませんでした。正確に表現すると巨人を解雇されていたのです。

     沢村投手は京都商業を中退して全日本選抜に加わりました。本来なら京都窯業を卒業すれば慶応大学に推薦入学が決まっていたのに 巨人の正力ナンチャラという嘘つき男が 「一生巨人でめんどうをみるから」と言って強引に中退させて巨人に引っ張り込んだのです。従って沢村の学歴は中学中退となり頻繁に兵役を課されたのです。もしも、慶応大学で理系の学部にでも進学していれば 兵役は免除されて 軍隊で肩を故障したり 負傷したりして選手寿命を縮めることもなく 勿論戦死することもなかったのかもしれません。「一生巨人で面倒をみる」という巨人の大嘘を信じたために何度も兵役に駆り出され それがもとで故障や負傷を抱えて 実力が低下したら 直ぐに解雇されて 失意のうちに戦死されたのです。

     全く巨人の自分たちさえ得すればそれでいいという体質は 昔も今も全然変わっていなかったという事だと思います。本日はそんな巨人という卑劣な球団によって 野球選手としての寿命も 人間としての寿命も縮められた とっても不幸な沢村投手のお誕生日というお話でした。