Dr.喜作のブログ

2014年7月 の記事一覧

  • 7月19日 本日から夏休みだそうです

    私は病院を開業してから 十日以上仕事をしなかったのは 心臓病を患って三週間ほど入院した時だけです。本当は主治医の先生は一月以上の入院を見込んでおられたのだそうですが 私が早く退院させろとあまりにごねるので三週間で退院させてもらえたのだそうです。奥様が主治医の先生から 「こんな患者は初めてです」と何度も言われたそうです。

    昨年の十二月に顎の骨の手術で 一週間病院を閉めたのがそれに次ぐ長期休暇です。一週間の真ん中にに手術というメインイベントがありましたが はっきり言ってかなり退屈な一週間でした。枚方市民病院に若いチャーミングな看護士さんが少なかったのも退屈した理由の一つかもしれません。早く病院に戻りたくてウズウズしていました。別に自分の事を仕事の虫だとは思いませんが やはりやりたくて始めた仕事だけに あまり長くは離れていたくないのかもしれません。

    それから毎年二月と秋ごろに月曜日から金曜日までつごう四日間病院をお休みして 研修という名目ですが実は遊びの旅行に出かけています。行先は沖縄や石垣島などの南の島か もっぱらディズニーランドに出かけています。ディズニーランドというのは実は奥様がすごく気に入っておられて 私は奥様と出かけるまでディズニーランドには行ったことがありませんでした。

    所詮は遊園地の大規模なもの位に見くびっていたからです。所が 初めて行ってディズニーランドを体験してからは 私自身がかなりディズニーランドにはまってしまい せっせと通うようになってしまいました。ホテルも最初はオフィシャルホテルを順番に巡っていましたが ホテルオークラが気に入ってしまい今では常宿になっています。

    水曜日以外のお休みはそれ位で 年末年始もゴールデンウィークもお盆も全く休まずに仕事をしています。どっち道その時期に休みを取って何処かに出かけても 普段よりもずっと混み合っているし 料金設定は高くなっているし サービスの質も低下しているに決まっています。皆さんが遊んでいる時期にしっかりと仕事をして たんまり稼いでおいて 時期外れのすいているころを狙って遊びに行く方が絶対に得だと思うからです。

    その意味で毎年二月に確定申告の事務仕事がすべて片付いたころを見計らって 一番寒いし 一番人が少なかろうと思って ディズニーランドに出かけていますが そんな時期でも ディズニーランドは相当に混み合っています。私はすいている時期にしか行ったことがないので 本当に混み合っている時のディズニーランドを知らないだけなのかもしれませんが せめて二月にはもう少しすいていてほしいと思います。

    さて子供たちは今頃夏休みが永遠に続くように錯覚して 天国にいるような気分かもしれませんが 長い休みにも必ず終りの日が来るのです。以前は二学期の始業式は9月1日と決まっていましたが 今は少し時期が早まっているようです。その日が来た時の子供たちのがっかりした顔を見ると 夏休みの全然ない私はちょっとだけスッとします。

    本日からいきなり三連休ですので お出かけになる方が多いみたいでホテルも満員で有難いことですが 毎年この時期には水の事故の悲しいニュースが必ず報じられます。今年はそのようなニュースが流れないことを心よりお祈りいたします。

  • 7月18日  本日は光化学スモッグの日だそうです

    1970年 私が中学一年生の時ですが 本日東京で初めて光化学スモッグが発生したのだそうです。高校で体育の時間にグラウンドでの授業中 生徒が目の痛みや頭痛を訴えて数十人が病院へ運ばれたのだそうです。最初は耳馴れない言葉でしたが それ以来ちょくちょく光化学スモッグの注意報が発令されて 放課後のクラブ活動などでグラウンドの使用が禁止されました。

    当時私はバレーボール部に所属していました。本来バレーボールの練習は体育館でやりたいのですが その頃私の通う中学校ではバトミントン部が凄く強くて 近畿大会の常連でした。その為に体育館は半分以上がバトミントン部が独占していました。残りの時間をバスケット部や卓球部などいくつもの運動部で取り合っていましたので 体育館で練習できるのは一月にほんの数回でした。

    ですから グラウンドが使用禁止になると 練習が休みになってくれるとうれしいのですが 校舎内の老化を使ってボールを使わない練習が待っていました。腕立て伏せやバレー部ですから指立て伏せ、今ではひざを痛めるとして禁止されているうさぎ跳びなどが延々と続きました。グラウンドが使えたら土の上とはいえコート上でボールを使っての練習、サーブやレシーブ、アタックの練習をするのは それなりにしんどいけれど楽しい練習でした。

    雨の日にグラウンドが使えなくて 体力強化のための校舎の廊下で練習はある程度覚悟していましたが 天気が良い日に急に光化学スモッグの予報が出てグラウンドが使えなくなっての 体力強化練習は 非常に辛かったです。そういう意味で 光化学スモッグの直接の被害を受けたことはありませんが 光化学スモッグそのものが凄く嫌いでした。

    光化学スモッグの正体は大気中に排泄された窒素酸化物や 炭化水素が 光化学反応を起こして 光化学オキシダントという有害物質になるために 白いもやがかかったような状況になって 屋外での人間の活動を妨げる状態をいうのだそうです。当時はかなりその警報だか注意報だかが発令されて 私たちは迷惑を被りましたが いつの頃からかさっぱりその警報だか注意報だかも発令されなくなり 光化学スモッグという言葉さえ全然耳にしなくなりました。若い方にとっては 光化学スモッグなどという言葉は既に死語になっているのかもしれません。

    一時期 公害についてはかなり厳しい規制が徹底されましたから 日本では存在しなくなったのかもしれません。中国の空がどんよりしているのは 案外光化学スモッグに似た現象が起こっているのかもしれません。中国人なんて自分さえよければいいのだから 排気ガスなどの規制を強めても 全く効果がなくて 大気がひどい状態になっているのだろうと思います。中国人が中国で問題を起こして被害を受けるのはむしろ微笑ましい光景ですが とのとばっちりで日本が被害を受けるのは 本当に迷惑な話です。世界の鼻つまみ国は一日でも早く衰退する日を待ち望みます。

  • 7月17日  本日は女優大竹しのぶさんのお誕生日です

    大竹さんは私と同じ1957年(昭和32年)生まれなので 当たり前ですが同い年です。明石家さんまさんと 男女七人のドラマで共演したのがきっかけに結婚されましたが 事情があって離婚されました。娘のIMALUさんはタレントとして多方面で活躍しておられます。美人ではないけれど 結構頑張っているように思いますが ご両親の七光りが強すぎるので あまり評価されていないみたいで 逆に可愛そうな気もします。

    大竹しのぶさんは私が高校生の頃にかなり好きな女優さんでした。アイドルでは浅田美代子さんでしたが 女優では大竹さんと原田美枝子三が大好きでした。ちなみに原田さんも私と同い年です。大竹さんは若い頃からテレビドラマなどにチラホラ出演されていましたが あまり印象に残っていません。所が 五木寛之さんの小説「青春の門」を映画化された時に小説を先に読んでいて 主人公伊吹信介の幼馴染牧織江という女の子が非常に好きになっていて大竹しのぶさんが演じました。大竹さんは私の牧織江のイメージにかなり近かったので 牧織江が大好きだから大竹しのぶさんも大好きになったのか 大竹しのぶさんが好きだから牧織江が余計に好きになったのかはよく分かりませんが とにかくその映画を見てから、大竹さんを女優として大好きになりました。

    「青春の門」は五木さんのライフワークと言われていて 第一部である「筑豊編」を読んだのが中学生の頃であり 同年代の主人公に大いに共感しました。その後「自立編」「放浪編」「堕落編」あたりまでは単行本化されたら文庫本ですが 直ぐに必ず購入して繰り返し読んでいました。ところが その次の「望郷編」が単行本化されるのに結構時間がかかったみたいでその辺りから読むペースがだいぶ遅くなってしまいました。結局その次の「再起編」までは何とか読みましたが「挑戦編」と「風雲篇」は全然読んでいません。調べたところなんと最後の「風雲篇」は単行本化されていないのだそうです。

    そもそもこの小説は週刊現代に 連載されていたのだそうですが述べ数十年にわたって書かれた小説の最後の編を単行本化されずにおいておくなどという事が許されてもよいのでしょうか。「挑戦編」まできっちりと呼んでおられる方にしてみれば 話の結末が読めないのでは 納得がいかないと思います。

    同様に話の結末が読めなくて納得がいかない小説と言えば 栗本薫の「グインサーが」があります。栗本さんの知名度がどの程度なのかよく知りませんが この大河小説を読み始めたのは岐阜大学に通い始めた 一年生の夏休みでした。殆ど同時に全然接点のない三人の人から勧められたので 読み始めました。当時で多分30巻ぐらいが書店に並んでいたころだと思います。栗本さんの当初の予定では全100巻ぐらいで完結するはずだったそうです。所が最初の5巻ぐらいで ほぼ登場人物や時代背景 世界観などの全ての導入部分が描かれるはずだったのに そこまで描くのに20巻ぐらいまでかかってしまったので 完結するまでにどれくらいかかるのか 書いている栗本さん本人ですら見当がつかない 位にスケールの大きなストーリーでした。

    一巻のページ数はそれほど大したことがなかったので 夏休みだったこともあり ほぼ一日一巻のペースで読み進めました。約一か月間で出版されている最後の巻まで読んでしまいました。それぐらいにめちゃくちゃに面白い小説でした。私はそれまでミステリー系統の小説はあまり読んだことがなかったために 尚更新鮮で楽しかったのかもしれません。最後の巻まで読んでしまうと過ぎの感がいつごろ出るのか楽しみでしょうがありませんでした。

    この小説の不思議な所は 待ちに待った最新巻を手にすると 直ぐに一ページ目柄読むことはありません。必ず最後の後書きから読み始めます。後書きには 栗本さんの近況報告が書いてあります。どの場面の表現に苦心したとか どこそこに旅行に出かけてどんなものを食べたとか 家族がこんなことをしたとか栗本さんの身の回りの事がいろいろと書いてありますから、ファンにすればまずあとがきを楽しんでから本編の小説を読んだものでした。

    大体年に三巻から四巻のペースで本が出ますので熱心なファンはかなりじりじりと待ちわびていた事と思います。栗本さんは「グイン」だけではなくて「魔界水滸伝」「伊集院大介」「トワイライトサーが」等のシリーズを同時進行で執筆していましたから 作家としては凄く筆の早いタイプだったのだろうと思いますが 小説の進行としては 待ちわびているファンにとってはかなりゆっくりだったと思います。何しろ作家としての活動だけではなくて 中島梓という名前でテレビタレントとしても ミュージシャンとしても活躍されていましたから あまりの多芸多才ぶりには ファンも呆れるしかありませんでした。

    正直な所 私は70巻ぐらいまでは新巻が出るたびに飛びついて買ってよだれを流しながら読むぐらいのファンでしたが さすがに待ちくたびれてきて またされるのに飽きてしまい 興味が薄れてしまいました。あまりに長い小説で 登場人物もすごく多いので かなり前の巻での前振りを忘れてしまっていて ストーリーのつながりが分からなくなって 仕方なくかなり前の部分から読み直さなければならなくなったことが度々あったからです。

    申し訳ありませんが 私にはグインサーガのスケールを受け止めるだけの器の大きさがなかったのだと思います。まことに残念な事ですが栗本薫先生は2009年にすい臓がんで永眠されました。結局グインサーガとしては160巻ぐらいまで発行されていたのだそうです。ストーリーの結末は栗本さんの頭の中では 書き始めた時から出来上がっていたのだそうですが 誰にも語られることなく 栗本さんが棺桶に持って行かれたのだと思います。最終巻までワクワクしながら読まれていた 本当の栗本ファンにしてみれば 泣くに泣けない結末だったと思います。

    今後これほどスケールの大きな小説を書かれる作家があらわれうるのかどうかわかりませんが 私も自分の年齢を考慮したら これから完結するまでに数十年もかかるような 超大作はうっかり読みはじめない方が賢明だと思っております。最後になりましたが 栗本薫大先生のご冥福を 心よりお祈りいたしまして 終わりにします。

     

  • 7月16日 本日は駅弁の日だそうです

    1885年の本日 東北本線の宇都宮駅で 初めて駅弁が発売されたのだそうです。お握り二つに沢庵 というごくシンプルなものだったそうです。そんな弁当なら わざわざ買わなくても 自分で簡単に用意できそうな内容です。その後駅弁 駅で販売していて電車内で食べるお弁当は広まっていったそうですが 内容は似たり寄ったりで あまり人気がありませんでした。当然の事かもしれません。

    私が駅弁と言われて 先ず思い出すのは「峠の釜めし」です。群馬県のJR横川駅で55年ぐらい前から ほとんど同じ内容で販売されています。今では結構出店が出来ていますしドライブの途中でも購入できるみたいです。益子焼のかまに入った炊き込みご飯に具材が盛ってあり かまの保温性によりお客さんが食べるときに 暖かいまま食べられたのが 人気の秘密だったそうです。私は関西の人間なので 関東地方を旅行したことがなくて 実際の駅で販売している釜飯を食べたことがありません。デパートが時々行う各地の駅弁大会みたいな催しごとの時に購入して食べてみただけです。もちろんあたたかくはありませんでしたが それなりに美味しかったと思います。

    次に駅弁で思い出すのは「鱒寿司」です。塩野義に勤めていた時に 一年間富山で勤務したために かなり身近な駅弁でした。富山市内ではスーパーなどにも普段から売っていたように思います。たまに酸っぱいものが食べたくなった時などに買って帰って晩ご飯にしたこともありました。富山の人にとっては 大阪人のお好み焼きとまではいかなくても 結構身近な存在だと思います。押し寿司なので見た目はコンパクトですが 結構お腹に貯まりますから 丸い寿司一枚で十分に晩御飯になりました。

    最近は旅行する時も殆どが車になってしまったので 鉄道を利用することが激減してしまいました。従って 駅弁を利用することも殆ど無くて デパートやスーパーの駅弁大会の時に買って帰って自宅で食べることばかりです。でも駅弁はやはり ちゃんと列車に乗って車窓からの流れる景色を見ながら食べなければ 本当の美味しさは味わえないように思います。

    私も60近い年齢になりましたから そろそろ関東や東北地方にも出かけて 今まで接したことのない土地柄や人情に触れるのんびりとした旅行を楽しみたくなってきました。新幹線とかではなくて ゆっくりとしたのんびりとした列車に乗って その土地の名物の入った駅弁を味わうのも なかなかの贅沢だと思います。私も奥様も九州出身で 西日本はある程度行ったことのあるところが多いのですが 東日本は殆ど馴染みがありません。恥ずかしながらこの歳になって未だ海外旅行にすら出かけた事がありません。勿論外国の土地でも出かけてみたいところは少なからずありますが 狭い日本ですら行ったことのない県が半数ぐらいもあることは情けない事だと思いますので 今後 取り敢えず国内旅行を充実させようと思っています。東日本なら遠方なので 列車での移動になると思いますから その度に各地の駅弁をしっかりと楽しみたいと思います。

  • 7月15日  本日はファミコンの日だそうです

    1983年の本日 任天堂がファミリーコンピューターを発売したので 「ファミコンの日」になったのだそうです。私は コンピューターなどの機械類が生理的に苦手で 玩具であるファミコンも苦手なイメージがあり 殆ど興味がありませんでした。所が 囲碁のゲームソフトが結構面白いという評判を耳にして やってみたいと思いました。丁度その頃囲碁の相手をしてくれる相手が全然いなかったからです。

    近所の時々利用するレンタルビデオ屋さんで 中古のスーパーファミコンが 予想外に安い価格で販売していましたので つい買ってしまいました。それからツタヤなどを回って囲碁のゲームソフトを買って楽しみました。予想以上にゲーム機が強くて というよりも私の囲碁の実力が低すぎたのだと思いますが なかなか勝てなくて悔しい思いをしていました。しかし、対戦を重ねるとゲーム機の癖というか打ち方の特徴が分かってきて 徐々にゲーム機に勝てるようになってきました。私の実力が多少向上したのかもしれませんが、だんだんと勝率が上がり いつの間にかゲーム機に置き石を置かせても勝てるようになってしまいました。

    例えゲーム機相手であっても 負けるよりも勝てる方が楽しいはずですが 自分よりも弱い相手と打っていても 自分の実力が向上しませんから 徐々に興味が薄れてきました。そんな時にふと目がとまったのが 三国志でした。シュミレーションゲームの類ですが 以前に信長の野望という ごく簡単なコンピューターゲームにハマった事があったので やってみようと思いました。

    三国志は小説を何度も読んでいましたし、漫画も途中までは何度も繰り返し読んでいました。あまりに長すぎて 巻数が多すぎるので 最後まで通して読んだことはありませんでしたが その大まかなストーリーは熟知しているつもりでした。ファミコンゲームの三国志は かなり人気があるみたいで バージョンがすでに四か五まで出ていましたが 初めてチャレンジするので 勿論最初のバージョンのものをチョイスしました。

    私は 主人公の劉備よりも 曹操の方がすきだったので何時も曹操としてゲームに参加しました。三国志の主要人物が 各国の国主として登場しています。国主としてはまず国土の開発をして国を富ませたり 人材を発掘して 国力を充実させます。ある程度国力に余裕ができたら 隣国に軍隊を送り戦争をしかけ 戦争に勝てばその国を支配できます。徐々に勢力を広げていき中国全土を支配出来たら ゲーム終了です。

    この類の本格的なゲームをするのは初めてでしたから 最初はなかなか上手くいきませんでした。なかなか国力が充実しないし 人材も集まらないうちに他国から戦争を仕掛けられて敗れてあっさりゲーム終了になったりして悔しい思いをしました。しかしこのゲームも繰り返しやっているうちに 調略で隣国の武将を寝返らせたり 戦争を仕掛けるタイミングも勝ちやすい季節があることなどが分かってくると 徐々に短期間で全国支配が出来るようになってきました。レベルを上げても勝てるようになり、すごく面白味を感じました。

    そこでバージョン2を購入してチャレンジしてみました。ゲームの目的や進め方は 最初のバージョンと同じですが 城の周りにいくつか種類のある砦を作ったり 使用する武器にしても種類が増えて かなり複雑になっていました。実際にやってみると複雑すぎて一つの城を攻略するのにも周囲の砦を全て潰さなければならず 実際の戦い方も手続きが複雑になり武器の種類が増えた分 シンプルな戦いにはならず やたらと時間と手間がかかって正直言ってめんどくさすぎて 楽しくありません。

    バージョンをあげた以上は何らかの変化と難しさが向上する必要があるのかもしれませんが 少なくとも私には只めんどくさくなっただけで 全然面白味が増したようには感じられませんでした。結局はバージョン2はほんの少しだけやってみて止めてしまいました。

    次に見つけたソフトがボードゲームの定番モノポリーでした。モノポリーは家族で実際のゲームを楽しんでいましたので ファミコンの登場人物との勝負はかなり楽しめました。最初に登場するキャラクターは それほど強くありませんが勝ち進んでいくとどんどん強くて個性的なキャラクターが登場してきて 交渉が上手であり 家を建てるタイミングも絶妙になってきて かなり本気になることが出来て楽しめました。モノポリー以外にもおまけのゲームが幾つか付随していて それも結構面白くてかなり楽しめました。

    以上 囲碁と三国志、モノポリーのソフトは凄くハマって 楽しめましたが それ以外のソフトは いくつか購入してみましたが あまり好みに合わず いつしかファミコンゲーム自体と 徐々に遠ざかった生活になり いつの間にか箱にしまって押し入れに入れっぱなしになってしまいました。今更持ち出しても 現在のテレビでは接続もできないでしょうし使えないと思います。

    勿論ゲーム機自体はどんどん進化して 現在の環境にマッチして 更に面白味も増しているのでしょうが わざわざ購入してまでチャレンジする勇気は現在の所ありません。病院の診察時間の暇な時に パソコンの無料ゲームで遊ぶくらいのものです。約30年前に発売されたファミコンには そこそこお世話になったわけですし 現在の数多あるゲーム機の源だと思いますから これを機会に一度調べてみて私のように機械音痴であり 飽きっぽい性格の人間にも楽しめそうなソフトがあれば チャレンジしてみようかと思っています。

  • 7月14日 プロ野球も前半が終わろうとしています

    例年なら このブログでも結構頻繁に プロ野球ネタを書いていました。昨年までは高木守道監督の無能さを散々こき下ろしたりしていました。監督が谷繁に替わり落合さんがマネージャーとしてドラゴンズに戻っていただけましたから 今年から明るい気持ちで ドラゴンズを応援できると信じていましたが 結果は残念ながら私の期待通りには展開しませんでした。

    そもそも開幕試合の先発ピッチャーからして納得がいきません。なんで川上やねん。大体自分の事だけを考えて チームの事情など顧みないで 勝手にメジャーリーグに挑戦して 全く鳴かず飛ばずで日本に戻ってきた時に 何でドラゴンズに迎え入れたのか さっぱり理解できません。大リーグに挑戦するのは 選手として可能性を試してみたい気持ちも理解できないわけではありませんが 夢破れておめおめと日本のプロ野球に復帰を望むのなら もっと謙虚な態度で臨むべきだと思います。

    もともとドラゴンズに在籍していたころの川上の偉そうな態度からして気に入りませんでした。基本的には地方球場では絶対に登板しないし、自分の都合でローテーションをスライドするし 試合中の新球の要求がやたらと多いので 試合時間がかかるし 待たされている野手のリズムが狂うし 疲労は余分に貯まるし 全く自分本位の投球でした。まあそれを黙認する球団にも問題はあったのかもしれませんが とにかく川上が登板する試合はダラダラと時間がかかり きびきびとしたテンポの良さが全く感じられませんでした。プロ野球は 所詮見世物なのですから 試合運びにテンポの良いスムーズさが必要だと思います。

    はっきり言って メジャーに挑戦して 失敗して日本へ舞い戻った選手で 以前に日本にいた頃ほど活躍した選手は誰もいないと思います。そんな川上をわざわざ手をあげて迎え入れたのは 無能な高木だから仕方がないにしても そんなほとんど期待のできない、本当だったら昨秋解雇しているはずの選手を 栄えある開幕投手に起用するなんて 谷繁の監督としての資質を疑います。開幕投手というのは その一年投手陣の柱として期待する投手を持ってくるべきだと思います。昨年ただ一人二ケタ勝利を挙げた 大野こそ開幕投手にふさわしいと思います。

    本人もそこそこその気になっていたのに 蓋をあげたらロートル川上だったでは 大野の精神的なダメージは相当に大きかったと思います。その後の今シーズンの大野の低迷は開幕試合に起因していると思います。エースとしての活躍を期待するのなら 多少調子を落としても 絶対にローテーションの軸から外さなければ おのずとエースとしての自覚が芽生え エースらしい投手に育ってくれるはずです。

    同様に期待はずれなのが 平田外野手の起用法です。開幕前はドラゴンズとしては久々に日本人で長期的に四番を任せられそうなバッターと思われた平田でしたが さすがに四番のプレッシャーからか スタートはあまりよくありませんでした。しかし四番を任せるつもりならば 多少調子が出なくても 使い続けるべきだと思います。所が谷繁は調子が出なければ直ぐに四番から外してしまいました。下位バッターとして起用したら 下位バッターにふさわしいバッターになってしまいます。巨人の坂本や日ハムの中田、広島の堂林等 監督が どんなに調子が悪かろうと 三振を続けようと エラーを続けようと 一年間使い続けたから ようやく一人前の看板選手に成長したのだと思います。

    調子の出ない若手を使い続けるのは 周囲との摩擦も生じるでしょうが 辛抱強く使い続けることで 本人も結果を残そうと必死に頑張るでしょうし その頑張りが一年続けば 必ず大きな成長に結びつくと思います。大野にしても平田にしても 残念ながらスタートに躓いてしまいましたが 辛抱強く使い続けることで 今年は結果が出なくても きっと近い将来に大きな成長を見せてくれる事と思います。その様な起用法が出来ない 谷繁には本当にがっかりしました。

    だけどそれ以上にがっかりしたのが キャッチャーの起用法です。ドラゴンズには現在チーム力が落ち込んでいて 足りないものばかりの状況ですが 一番の急務は キャッチャーの育成だと思います。谷繁は監督一年目なのですから 監督業に専念すべきだと思います。キャッチャーとして見込みのある選手を二人か三人ぐらいで競わせて 二三年後には一人前になってくれる選手を育てなければ いつまでたっても優勝を争えるチームになりえないのは明白なのに 自分の記録に色気を出して 中途半端に選手として出場しようとするから 監督業がおろそかになっているのだと思います。

    谷繁も監督を引き受けたのだったら 先ずは監督としてチームをどのようにして強くしていくのか だけを考えて全力を尽くすべきだと思います。落合さんもマネージャーとしてドラゴンズに戻ってきたのなら もう少しそのあたりについて活躍してほしいと思います。

    結局は勝率五割のラインで行ったり来たりなのは 戦力的に見て まあしょうがないと思います。ドラゴンズファンも今年の戦力で 優勝を争うのが難しい事はよく分かっているはずですから せめて二三年先に大いに期待のできるチーム作りをしていって欲しいと思います。

    こんな面白味も楽しみもない戦いを続けるドラゴンズでは 今年もナゴヤドームへ応援に出かけようとは思いません。少しでも早く応援のし甲斐のあるドラゴンズに生まれ変わってほしいと思います。

  • 7月13日 今年はセミがあまり鳴いていません

    インターネットをチェックすると この時期になってセミがあまり鳴いていない現象に気付いておられる方は少なくないみたいですが、少し例年と違う事が起きると なんでもかんでも原発事故による放射能のせいにする馬鹿な輩が多くいるのには 驚きます。私が子供の頃と比べても ほんの数十年でセミの鳴く時期や一日のうちでの時間帯 活動しているセミの種類がかなり異なります。地球が温暖化していることに起因するものかもしれませんが 記録されている気温を比較すると 驚いてしまいます。ここ十年の夏を振り返っても 猛暑が続いているような印象ですが 過ごしやすかった夏もありました。ただ猛暑の夏は印象に残りやすく 割と涼しくて過ごしやすかった夏の事は簡単に忘れてしまうのが人間です。台風にしても 被害の多かった年の事はいつまでも覚えていますが 被害を受けなかった年の事は覚えていなくても仕方がありません。

    今年セミが鳴きはじめる時期が遅れていることは 間違いのない事実ですが 例年と異なる現象の原因を きちんと分析してみないで 原発事故のせいにするのは 浅はかすぎます。今年の関西地方は 空梅雨気味で 季節外れで大型の台風が来襲したときだけ集中して雨が降りました。セミは六年間も土の中で暮らしていて 地上に出ればほんのわずかの期間しか生きられません。ほんの短い間に 子孫を残すために精いっぱい活動するのです。地上に出て羽化する時期は 慎重に選択するのが当然であり その為にセミが鳴きはじめる時期が遅れ気味なだけだと思います。

    何でもかんでも原発事故による放射能のせいにするのは 頭が悪すぎるので もう少しよく考えてから 意見を発表されることをおすすめします。最近似たような頭の悪すぎる現象を見つけてがっかりしています。「集団的自衛権」について かなり強引に閣議決定がなされたからでしょうが 自衛隊から隊員募集の郵便物が届いただけで 「赤紙(召集令状)」が届いた 等と大騒ぎをする馬鹿が結構いることには驚きました。集団的自衛権について閣議決定されただけで 今後日本が積極的に戦争に参加するかのような 大袈裟な解釈をしてしまい 近いうちに日本にも徴兵制度が復活するかのようなデマが まことしやかに流されている事には 本当にびっくりします。

    自衛隊というのは 客観的に見て それなりに厳しい隊務が待っていますが 寝る場所と三食保障されたうえで 結構な報酬が頂ける 就職口としては 先ず潰れることのない安定した働き口の一つなのです。もうかなり以前から 中学卒業を控えた生徒に 就職先としての自衛隊を紹介する郵便物は毎年毎年郵送されていたのです。たまたま集団的自衛権が閣議決定された時期と重なったために誤解を受けたのかもしれません。自衛隊を紹介する郵便物は今年から始まったものではないのだけれど 今年卒業を控えた中三生にとっては 初めて受け取ったので勘違いしたのはしょうがない事かもしれませんが 現実をもう少し的確に受け止める能力はその年齢になれば身に着けておくべきだと思います。

    世界で一番強大な軍事力を有する国は 間違いなくアメリカ合衆国だとおもいますが アメリカには徴兵制度はありません。現在のアメリカの兵隊さんは殆ど全て自発的に兵隊さんになることを望んで兵隊さんになった人たちなのです。隣国の韓国や北朝鮮がたまたま徴兵制度を採用しているので 軍隊を有する国の多くが 徴兵制度を採用しているように勘違いされているのかもしれませんが 日本に徴兵制度が復活する可能性は 限りなくゼロに近いと思います。

    万が一にも日本に徴兵制度が復活したとしても 韓国よりももっとゆるいものになるのは間違いありません。人生のほんの数年を自衛隊という名称がその時点で残っているのかどうかも不明ですが ほんの短い期間で戦闘機や戦車を操縦できるわけはありませんし 現在のハイテク兵器を扱えるようになるわけもありません。つまり実際にほんの数年自衛隊に招集されたとしても ほんの初歩的な軍事行動にしか参加できるわけがないのです。ましてや現在の若者に第二次世界大戦中の様な お国に対する忠誠心の欠片も期待できませんから やる気のない若者をかき集めても とても戦力として期待はできないはずです。

    現実に全ての国が有しているはずの個別的自衛権ですら 日本は行使していません。日本の領土と主張する土地を もう長い事韓国人の汚らしい足で踏みにじられ続けているし、日本の領海であるはずの海を中国の船に自由に航行され続けているのです。もっと根本的な個別的自衛権ですら 発動していない日本で 集団的自衛権について閣議決定されたからと言って 現実には何にも起こるはずがないと思うのですが如何でしょう?

  • 7月12日 困った問い合わせの電話がありました

    昨夜の十二時ごろに 小鳥を保護したので どう対処すればよいのか教えてほしいと電話がかかってきました。緊急で診察を希望するのかと思ったが どうやら連れてくる気はないらしいのです。現在の状況を細かく説明するから どう扱えばよいのかアドバイスだけしてくれ という要望でした。鳥の種類を尋ねましたが分らないらしいし、外傷がるのかどうか質問しても 暴れて嫌がるのでわからないのだそうです。これではアドバイスの仕様がないので その旨を伝えると「このやぶ医者が」と言われて 電話を切られました。

    どうせそんな非常識な人間ですから まともに保護した鳥の面倒をみてあげられるとは思いませんが 寝ようとしていた時に非常に不愉快な思いをしました。私たちも慈善事業をしているわけではないですから 動物に関して いつでも無料で相談に乗る義務はないと思います。

    以前にも自分の家の近所の野良猫が怪我をしているみたいなので どのように治療してあげればよいのかと 相談に来られた方がいました。その猫の連れてこれるのかと尋ねたが 餌をやる時だけは近づいてくるが触ろうとすると逃げるので 連れてくるのは無理だという事でした。触れもしないのではとても治療は無理でしょうというと 携帯電話に撮った写真を見せて この写真で診断して薬を出してくれと仰います。おそらくお腹に傷口があるみたいなのですが 背中しか映っていません。これではどのような怪我をしていてどのような具合なのか判断がつかないので そのように言うと別の角度からの写真を見せられました。同様にさっぱり傷口が映っていません。食欲や元気があるのか体調を尋ねても 自分が飼っているわけではないのでわからない、ということです。触れなくても餌を与えているのであれば 抗生剤や消炎剤の差しさわりのない薬を内服薬として与えてもらうために処方すればよかったのかもしれませんが あまりに分らないの一点張りだったのでそんなにわからない事ばかりではうかつに薬も出せません とお返事したところ 「このやぶ医者が死ね」と捨て台詞を残して帰って行かれました。

    もう少し上手に立ち回って 無難な薬だけを出しておけば こんな嫌な思いをせずに わずかでも売り上げが上がったのかもしれませんが もしそれでその猫に何かあった場合には全てうちの病院の責任にされるかもしれないので やっぱり何もしない方が賢明だったのかもしれません。

    野生の鳥を保護したり 野良猫の心配をしたりしている人たちは それだけでいいことをしてあげているのだという意識があるのかもしれませんが こちらは冷静に客観的に判断してしまうので どうしてもクールに対応してしまいそのような人たちの反感を買ってしまうのかもしれません。

    ただ私たちもボランティアで動物病院をやっているわけではないので そのあたりをもう少しご理解いただいて 相談して頂きたく思います。

     

  • 7月11日 手術で悲しい事故がありました

    数日前に始めて来院された猫ちゃんでした。胸から膿が出ている、ということで来院されました。傷口から黴菌が入って膿が溜まっているのかと思いましたが 違いました。乳腺にそこそこ大きな腫瘍ができていて 腫瘍自体が成熟してしまっていて排膿が始まった段階でした。

    ここまで来ると手術で除去するか 死ぬまで続く排膿とお付き合いするかしかありません。年齢は十四歳とかなり高齢です。これまでほとんど病気やケガとは無縁で 飼い始めて 初めて動物病院に連れてこられたのだそうです。聴診器を当てた所心音はすごくきれいで若々しく力強いものでした。

    年齢相応にくたびれた心音だったら 排膿を続ける腫瘍と上手に付き合う方法を説明するところですが 心臓の状態がすごくよかったので 血液検査をして肝機能、腎機能のチェックを勧めました。了解されたのですぐに採血して検査してみました。予想通りに肝機能、腎機能ともにほぼ正常値であり 手術するのに不安はかなり小さくなりました。

    正直なところ十四歳という年齢はかなりの高齢であり 積極的に腫瘍を摘出する手術をお勧めは出来ませんが 肉体的にはすこぶる健康であり心臓、肝臓、腎臓という主要臓器が若々しいので手術に耐えられる可能性がかなり高いことを説明しました。手術さえ無事終われば 十日後に抜糸をすれば ダラダラとエンドレスで続く排膿に悩まされることはなくなります。

    勿論若い年齢の猫に比べて手術によるリスクが高いことは否定できませんが 今後の事を考えると手術を選択する道も十分にあると思います と説明しました。この猫は家族には非常になついているが 家の外には絶対に出ないし お客さんが家に来たら隠れてしまって帰るまで姿を見せないぐらいに怖がりな性格あることを心配されていました。

    どちらにしても飼い主さんが決定されることなので 三人の飼い主さんが相談されて方針を決定されることを待ちました。結局は手術をすることを選択されました。私としても90パーセント以上の確率で手術が成功すると思っていましたから 手術の日程を決めてその日は一旦お帰りいただきました。

    予約された日に朝一番で 絶飲食のじょうたいでつれてこられたので 手術の承諾書を頂いてお預かりしました。お昼に病院を閉めてすぐに手術を始めました。導入麻酔の筋肉注射をして 意識が無くなったところで気管チューブを挿入しました。仰向けに四肢を紐で固定して術野の毛を刈り消毒をしました。手を洗い滅菌した手袋をはめて手術を始めました。術野を細かく観察したところ当初予想していたよりも腫瘍の広がりが大きいので その分大きく切開して除去して縫合するので 当初予定していたよりも時間がかかりそうに思いました。高齢であることや諸々の条件を総合的に考えて やはり手術をすることを決意しました。

    腫瘍の手術は数日前に書きましたようにどうしても出血が多くなるので 気の重い手術ですが やると決意した以上は 出来るだけスムーズに終了させることだけを考えて 大胆にけれど丁寧に手術をすすめました。当初予想したよりも出血も少ないし 麻酔状態も安定していましたから 予想したよりも短時間で手術を終えることができました。

    麻酔を切りあとは無事に覚醒してくれれば手術は成功です。普通は手術の後30分も過ぎれば麻酔から覚めて起き上がり歩き回るようになります。所がこの猫はいくら待っても麻酔状態から覚醒してくれません。声をかけたり体をゆすったりしても ほとんど意識を取り戻しません。

    非常に怖がりな性格の猫と聞いていましたので 私たち知らない人間が声をかけても 余計に意識の扉を固く閉ざしているのかもしれません。そこで飼い主さんの自宅に電話をかけて事情を説明して病院に来てもらうことを考えました。所が何度電話をかけても全く連絡が取れません。電話の指示通りにファックスに事情を書いて送ってみましたがやはり何の反応もありませんでした。

    夜中になると呼吸が停止しかけて 人工呼吸をして辛うじて呼吸を呼び覚ますような事態になってしまい 再び飼い主さん宅に電話を掛けましたが 連絡が取れません。朝方になって非常に衰弱してしまい早朝にも何度か電話を掛けましたが やはり連絡が取れません。朝の七時過ぎに何度目かの電話をしたところやっと連絡が付きました。事情をうかがうと 普段から携帯電話しか使用していないので 家の電話が鳴ってもほとんど無視しているのだそうです。あまりしつこくなるのでやっと受話器をとってくれたのだそうです。

    事情を話してすぐに来院してもらいましたが 残念ながら間に合いませんでした。電話がつながった直後に呼吸が停止して 頑張って呼吸を呼び戻そうとしましたが 戻ってくれませんでした。

    麻酔から覚めてくれなかった原因は残念ながら麻酔がこの猫にはうまく適合しなかったのだと思います。手術は極まれにこのような不幸な結果を招くことがあります。もともと高齢であり 手術をすることがいいのか悪いのか非常に微妙なケースではあったと思います。

    私としてもこの猫がなまじっか元気であったために 今後が結構長いことを期待してしまい どちらかというと手術のメリットを強調してしまったのかもしれないと反省しました。ただ手術をせずに今後数年ダラダラと排膿する状態に対処していかなければならない猫ちゃん本人と飼い主さんの負担を考えると手術をお勧めしたことが決して間違いではなかったと思いたいです。但し今回のように飼い主さんと肝心な時に連絡が取れないカルテの作り方は考え直すべきだと思いました。

    手術はいつでも死と隣り合わせの 非常に危険な状態での作業ですから 今後もより慎重に取り組み 今回のような残念な結果がなくなるように努力していきたいと考えます。

  • 7月9日 旅行二日目です

    私は血圧が高めなので 朝早くに目覚めます。明るくなった外を見ましたが一面霧に覆われていて 昨日見えていた近所の建物ですら全く見えなくなっていました。ウグイスの「ホーホケキョ」とか 種類は分りませんが結構な数の小鳥たちのさえずりで気持ちの良い朝を迎えられました。

    ホテルの屋上にある展望台に上がってみましたが 殆ど神戸の街並みも大坂方面も見渡せません。逆に近所の山々が雲海に浮かんでいて かなり幻想的な眺めでした。これはこれで 普段なら絶対にお目にかかれない景色なのでそれなりには楽しめました。

    朝ごはんの時間が来たので レストランに降りて行きました。朝食も 昨夜の食事に劣らず 大変美味しくいただけました。久しぶりにゆっくりとした気分での朝食は 気持ちにまでゆとりを与えてくれます。

    二日目の予定は天気が悪くないことを想定していましたので 近所のオルゴール館や 六甲山牧場でのんびりするつもりでした。所がこれだけ霧が深い状況では せっかく牧場などに出かけてもとても楽しめそうにありません。そこでホテルにある雑誌などで これからどのように過ごそうかと奥様と相談しましたが 六甲山が雲に覆われていても 神戸の街はそこそこの天気が期待できそうなので さっさと山から下りて神戸で異人館を散歩したり中華街でお昼ご飯を食べてから帰ろうということになりました。

    そこでさっさと六甲山を下り神戸市内に降りていきました。普通は初めての道を車で移動する場合 多少なりとも道に迷わないかと不安になるのかもしれませんが 奥様は歩くナビゲーターと言われるぐらいに全国津々浦々の道に通じておられますし ちらっと地図を見れば すぐにその場所までの道を理解して記憶されてしまいますから 車で移動するときに不安に思うことは全くありません。

    逆に私はひどい方向音痴だし 何度同じ道を通ってもなかなかきちんと覚えられません。ですから旅行に出かけた時には 完全に奥様の指示に従うしかありません。まあ奥様の指示に私が従うのは普段病院にいるときも似たような状況です。たまに 自分の意見を口にしても殆ど全てが的外れで 怒られるだけなので さすがに私も無口になってしまいます。とにかく一生奥さまの言うことを聞いていくしか 私の人生は仕方がなさそうです。

    それにしても今回の旅行は 悉く天気にたたられてしまいました。異人館の辺りに近づくと 神戸市内は晴れるはずの天気予報が しっかりと雨が降っています。台風の影響で結構風も吹いていますので のんびりと見物するのも大変そうです。しょうがないので中華街に向かいました。

    異人館を離れて中華街のある南京町に向かって走り出しました。神戸の中華街は横浜ほど規模は大きくないけれど それなりに異国情緒が味わえそうで楽しみにしていました。国道二号線を西に向かって 中華街若しくは南京町という看板に注意しながら走りましたが そのような案内は一切ありませんでした。

    JRの三宮駅まで来てしまって 中華街を通り過ぎたことに奥様が気づかれたので 通りがかった交番で奥様が道を尋ねました。すると中華街若しくは南京町を知らせる標識や看板は一切出ていないのだそうです。それなりに有名な観光スポットだと思うのですが どうして案内する看板が全然ないのか不思議です。さすがに奥様でも 全く初めての道で案内の看板が出ていなくては通り過ぎても仕方がないでしょう。教えてもらった道順で何とか中華街にたどり着きました。

    横浜の中華街よりもかなり規模は小さいけれども その分道に迷わなくても済みそうです。各お店の呼び込みがかなり熱心で そのうちの一件に入ってみました。店内の雰囲気は 日本の食堂と殆ど変りありません。料理の味も正直言ってあまり美味しいとは思いませんでした。こちらが勝手に期待してハードルを上げていたせいかもしれませんが これなら近所の王将で食べた方が食べなれているからかもしれませんが美味しいように思いました。

    中華街については殆ど下調べができていなかったので たまたま入った店が外れだったのかもしれませんが 中華街自体がわざわざもう一度出かけていきたくなるほどの魅力はかんじませんでした。旅行に出かけるときにはある程度下調べをしてから出かける方ですが 今回は時期外れの台風に影響されてしまって 想定外の行動をとったからかもしれませんが なんとなく尻すぼみに終わってしまったような感じです。

    でもホテルの料理は期待以上においしかったし、雲に覆われてしまってみたい景色は見えませんでしたが 逆に雲海に浮かぶ山々などの普段は見られないはずの幻想的な景色をたっぷりと見ることができましたから 台風が近づく中 それほどひどい目にも合わずに無事に帰ってこられただけで良しとした方が賢明なのかもしれません。

    まあ、今回の旅行は奥様の有馬温泉に行ってみたいというリクエストにお応えするのと 来年父親の米寿のお祝いを有馬温泉でするための下見も兼ねていましたから 有馬温泉に車で出かける下見としては十分だったと思います。それにしても枚方から有馬温泉までがそれほど飛ばさなくても一時間で到着できるのにはビックリでした。

    往診車が新しくなったのも影響していたのかもしれませんが 燃費も良くて山道もそれほどストレスを感じずに走れました。六甲山が有馬温泉から意外と近かったことを確認できたのは 今回の旅行の一つの収穫だったのかもしれません。六甲山が冬の間は閉ざされてしまうかもしれませんので そのあたりをもう一度詳しく調べてみようと思いました。

    気が付けば 旅行中に殆ど写真も撮らず お土産も全く買いませんでした。そのあたりはいつもの旅行と似たり寄ったりでしたが、とりあえずは無事に戻ってこれたし 預かっていた動物たちも体調を崩さずにいてくれたみたいだったので 本当にいい旅行だったと思います。