Dr.喜作のブログ

2014年9月 の記事一覧

  • 9月20日 乃木坂46の新曲「何度目の青空か?」について思う事

    乃木坂にとって記念すべき十枚目のシングルで 学業の為の休業から復帰した 生田絵梨花が満を持して 初センターを務めますので 尚更注目されていると思います。もともと、エリカ様は秋元さんの一番のお気に入りなのだそうです。AKBで言えば 前田敦子の様なお気に入りなのだそうです。ですから、前田のように本来ならずっとセンターを務めていても不思議ではなかったと思います。

    所が 秋元さんが乃木坂では自分の好みを封印して 敢えてこれまでセンターに選ばなかったのだそうです。これまでの所、五枚目まで生駒、六枚目から白石、堀、西野と順繰りに回して ついに本命エリカ様の登場ですから これから当分センターはエリカ様が務めるのかもしれません。しかし、現在高校三年生であり かなりの進学校に通っているとのうわさがあり、学業の為の休業が 来春の大学受験まで続くのだとばかり思っていましたが ほんの数か月の中途半端な休業で芸能活動に復帰しましたから 今後受験が近づいてきたらまた休業する可能性は否定できないと思いますので、これからの見通しが殆ど立ちません。

    もともとエリカ様の人気は AKBよりもよっぽど粒ぞろいの乃木坂でも常にトップクラスです。今年三年目を迎えた「16人のプリンシパル」で一年目 エリカ様は9公演のうち6公演でセンターを務めました。このプリンシパル公演の一年目の形式は 前半部分がオーディション形式になっています。前半が終わったところで 劇場にいるファンが投票して後半のミュージカルへの出演者を決めるのです。即ち9公演のうち6回は エリカ様が投票で一位に選ばれたのです。ちなみに残りの三公演のうち二回は私の一押しカズミンが、あとの一回は乃木坂のメンバー誰もが認める一番の美少女マイヤンが主役を務めました。

    ちなみに 「16人のプリンシパル」はその形式を少しずつ変化していますので 詳しい事は分かりませんが 今年は各役柄に本人が入札して 役柄ごとに投票する形式に変化したのだそうです。一年目の形式だと投票が終わって順位が確定しなければ 自分がどの役を演じるのか決まらない形だったので 演じる側の負担が大きすぎたのだと思います。今年の形式でもエリカ様は主要な役柄を全て演じて 三年間一度も落選したことがなかったのだそうですから その人気は一時的なものではなくて 本物だと思います。

    エリカ様は 凄く美人であると同時に 凄く可愛らしい女の子だと思います。乃木坂で一番の美少女はメンバーもファンも誰もが認めるところでしょうが マイヤンだとおもいます。一番可愛らしい女の子は これは多少意見が分かれるのかもしれませんが 私は星野みなみちゃんだと思います。だけれどもエリカ様は美しさでマイヤンに、可愛らしさでみなみちゃんに少しも引けを取っていないと思います。

    まあそれ位人気とずば抜けた魅力を持つエリカ様が学業による休業が無ければ 当分センターを務め続けるのではないかと思います。今度の新曲「何度目の青空か?」は詩も曲もアレンジも「君の名は希望」「気づいたら片思い」と並ぶ位の名曲だと思いますから 大いにヒットして 年末の紅白歌合戦で歌えれば最高に嬉しく思います。ただ、私の気持ちとして一番の希望は 一押しメンバーのカズミンが選抜メンバーの崖っぷりに立ち続けていますから せめて二列目のポジションに定着して安心させてほしい という事です。

     

  • 9月19日 長尾谷町にある la Ponta というお店に行きました

    昼から暇だったので 長尾谷町にあるla Ponta というイタリア料理のお店に昼ご飯を食べに出かけました。このお店の前はしょっちゅう通り過ぎていましたが まだ入ったことのないお店でした。先日 近所の小嶋先生とおほるご飯を一緒に食べた時に 紹介されたので出かけてみました。但し、小嶋先生の情報によると ピザに乗っていたシラスが凄くしょっぱくて 水を何倍も飲んだという あまり美味しそうな情報ではありませんでした。ただお店に立派な御釜がありそこでピザを焼いているらしいという事だったので ひょっとしたら 案外美味しいかもしれないと 密かに期待してお店に出かけてみました。

    お店に着くと もうお昼のラストオーダーまであまり時間がありませんでしたので どうしたものかと考えていましたら お店の方が出てきて 直ぐに注文してくれれば一時間ぐらいはお店にいられるとの事でしたので 奥様がすぐにおりて適当に注文してもらっている間に 教えてもらった近所の駐車場まで車を停めに行きました。駐車場からお店に戻るときにうっかりしてお店の前を通り過ぎそうになりましたが 慌てて戻って 知らない顔をしてお店に入りましたが 奥様がきっちりチェックしていて しっかりと突っ込まれました。

    ランチのAセットとBセットがあり それぞれ1080円と1450円でした。値段の違いは デザートと飲み物が付くか付かないかの違いでした。隣の席の人が食べているデザートを見たらおいしそうだったので ふたりともBセットを注文しました。メインのパスタ若しくはピザを日替わりの二種類から選びます。奥様が私の好みに合わせて パスタとピザを一つずつ注文されました。

    前菜は結構種類があり 一つ一つが上手に味付けされているように感じました。とは言っても私はイタリア料理をそれほど食べたことがありませんので 偉そうなことは申し上げられませんが オリーブオイルが しつこくなくて口当たりが良かったので 美味しく感じたのだと思います。この分ならピザも結構期待できるのではないかと思いました。

    メインは先にパスタが運ばれてきました。トマト味のパスタはあまり美味しく感じない場合が多いのですが 酸味がほどほどで 結構食べ易かったし ボリュームもそこそこありました。料理が一つの皿で運ばれてきて 取り皿に取り分けるときには 殆どの場合私が三分の二ほど頂き 奥様が三分の一位を召し上がります。それで二人の腹具合がちょうどよくなります。続いてジャガイモとベーコンのマヨネーズ味のピザでしたが これが生地の具合がよろしいようで 耳の部分まで凄く美味しかったです。上に載っている具材の焼き加減も素晴らしくて、凄く美味しく感じました。

    私はイタリア料理にはあまり馴染みがなくて 先日小嶋先生とご一緒したBOUNO位しか知りません。後は宅配のピザを極たまに注文する位です。ですからこれまでにピザを食べた回数もしれていますが 私が食べたピザの中では一番おいしく感じました。BOUNOはイタリア料理のお店として気に入って ちょくちょく出かけていますが 料理の味はそこそこだと思いますが オーナーシェフの奥様 美香ちゃんが非常にチャーミングな女性なので通っている部分が大きいです。申し訳ないけれど 正直申し上げて お料理だけを比較するとla Pontaの方が美味しいように思います。

    但し、口コミ情報を読んでいると たまにピザが相当にしょっぱかった、と小嶋先生と同様に感じた方がいらっしゃいましたから 極たまにはずれのピザを注文してしまうと そのような目に合うのかもしれません。注文する時にピザの味付けについては確認するほうが無難なのかもしれません。

    最後のデザートも見た目にもソコソコ美しくて 美味しそうでした。私たちはメインの料理を私が奥様の倍ほども頂きますので デザートは奥様に二人分召し上がっていただく場合が多いのです。私は飲み物としてアイスコーヒーを注文しましたので 飲みながら奥様が食べ終わるのを待っていましたが 奥様の満足そうなお顔からして デザートのほうもそこそこ美味しかったのだろうと思いました。最後に奥様が注文されたハーブティーを一口頂き 口がすっきりとしたところでお店を出ました。

    お昼から二人で3000円のランチは ちょっと贅沢かもしれませんが 十分に満足が得られましたし。それと大声でしゃべる迷惑なおばちゃんたちがいなかったので 余計にくつろげましたから これはたまたま運が良かっただけかもしれませんが しばらくしたらまたこのお店に来ようと奥様と約束して ニコニコしながら帰途につきました。

  • 9月18日 野良猫ちゃんの避妊の手術をしました

    最近立て続けに 野良猫ちゃんの避妊の手術をしました。当院の場合もともと避妊の手術の料金設定が凄く安いうえに のらちゃんの場合は半額にさせて頂いておりますので ホームページ等をご覧になって 手術の依頼をされるケースが増えてきています。今回の野良猫ちゃんを連れてこられた方は 庭の物置と家の隙間のスペースに住み着いてしまった猫ちゃんの避妊手術でした。所が連れてこられた方は ご家族全員が重度の猫アレルギーなのだそうです。

    猫アレルギーとは 猫の被毛に皮膚から分泌されるたんぱく質がアレルゲンとなって起きるアレルギーです。実は奥様も軽度の猫アレルギーで 猫をシャンプーすると目の周りが痒くなって赤く腫れあげるのだそうです。ですから猫のシャンプーは出来るだけ私が受け持ちます。

    住み着いた猫ちゃんはとても人懐こくて 大人しいので 猫が苦手な方でも何とか確保して病院に連れてこられました。凄く大人しくて甘えん坊な子なので 出来たら今後は面倒をみていきたいのだけれども 体質的に無理なので どなたか里親を探すつもりだと仰っておられました。猫の里親探しはかなり難しいと思いますが 苦手な猫ちゃんを手術して きちんとワクチンの接種まで済ませておられますので 運よく見つかることを期待します。

    お腹をあげてみると既に妊娠しており胎児が三匹見つかりました。あとひと月もほっておいたらさらに三匹増殖してしまい 猶更大変なことになっていましたから ぎりぎりのタイミングで手術を決意されてよかったと思います。もともと何の関係もなくてたまたま自分の家に住み着いたという縁しかないのに わざわざアレルギーがあるにもかかわらず連れてこられて相当に安くなったとはいえそれなりの出費を伴いますが どこかで歯止めをかけないと 増殖が止まらないことなのです。似たような状況の方は 少しでも早く 避妊、去勢の手術を決断されることをお勧めします。

  • 9月17日 新しくなったくずはモールへ出かけました

    新しくなったといっても リニューアルしたのはもう数か月も前の話ですが 最近樟葉方面への往診などもなかったので 樟葉に出かけたのは恐らく一年ぶりぐらいだと思います。以前と同じ駐車場に車を停めて 新しくなったくずはモールに降り立ちました。時間が十二時前だったので 食いしん坊な私と奥様は お買い物の前に取り敢えず腹ごしらえをすることにしました。

    用意周到な奥様が下調べを入念にしてあったので お目当てのお店にむかいました。私が今年で57歳、奥様だってもう50を過ぎていますが どちらも食いしん坊なので ついついブッフェスタイルのお店をチョイスしてしまいます。まだ十二時前だというのに およそ八割の席が埋まっていましたから かなり人気のあるお店なのでしょう。平日の昼間なので当然かもしれませんがお客さんの9割以上が女性、結構料金設定が高いので殆どがいわゆるおばちゃんでしたので 最初から期待はしていませんでしたが 私の気持ちの盛り上がりには欠けていました。

    フリードリンクを付けて1700円ぐらいの料金で時間は無制限なのだそうです。お店の一番奥の方の 窓際に案内されました。とても明るいし、落ち着けるので悪くはありませんが 料理が置いてある場所からは 相当に距離があるのが面倒でした。料理の品数や料理の質は料金と照らし合わせて考えると 「まあ悪くはない」位の評価だと思いました。奥様の話では 女性の評価の決め手になるのは フリードリンクの種類と質、それからデザートの種類とその品質によるのだそうですが 私は飲みませんでしたがハーブティーが数種類あり フルーツやスイーツも充実していたみたいなので 奥様もいたくご機嫌でした。

    食べ始めて一時間ぐらい経過したところで ほぼ満腹になりましたが 昼にお腹がいっぱいになると 最近はいつもの事なのですが 便意が向上してきます。トイレの場所を尋ねると なんと店内にはなくて 結構遠くまで歩かされましたので 最後の方はかなりピンチな状態でした。辛うじて間に合ったのですが 本日はなかなかふんぎりがつきませんでした。もう少し出そうなので頑張ってみるのですが どうしても出ない状態が10分以上続いたので 諦めてトイレを出ました。席に戻った時には席を立ってから 30分近くが過ぎていました。

    私たちの隣の席には ほっそりとした女性の三人組が食事をされていました。入店したのは私たちとほとんど同じ時間でした。私たちはメインの料理を三皿位頂きましたが その女性たちはメインの料理は一皿位食べた後で すぐにデザートのようなものを食べ始められました。さすがにほっそりとした女性のグループだから 結構小食なのかなあと思っていました。

    所が私が席に戻っても その女性たちはまだデザートのケーキを山盛り取りに向かわれましたから 決して小食の方たちではないように思いました。私たちが食後のコーヒーをゆっくりと頂いて店を出ようとするときにもまだ フルーツを山盛りとって席に戻られましたから いったいどれだけ食べるのだろう、なぜあんなにカロリーの高いものをたくさん食べても 太らないのだろうかと不思議に思いながらお店を後にしました。

    その後靴屋さんで奥様の通勤用の可愛らしいけれど ソフトで厚底の疲れにくそうな靴を買いました。続いてお財布が古くなり くたびれてきたので 新しい財布が欲しいとリクエストを頂きましたから 雑貨屋さんに向かいました。うちの常連さんの患者の飼い主さんで 狂犬病の集合注射のお手伝いをお願いしている方がいらっしゃいますが その方の御嬢さんがくずはモールの雑貨屋さんでこの春から働き始めていることを聞いていましたので その女の子を捜しました。今までに何度かお見かけしたことはありましたが その女の子は乃木坂にでも入れそうな位の 飛び切りの美少女なので ワクワクしながらその女の子を探しました。

    ヒントとしてはそのお店の決まりごととして 揃いの制服を着て 必ず帽子をかぶって接客していることでした。要は帽子をかぶっている店員さんで一番可愛らしい女の子を探せば 見つかるはずです。くずはモール全体ではとてつもなく広いスペースなので よっぽど運が良くなければ 見つからないと思っていましたが よっぽど運が良かったみたいで10分ぐらい探したら 帽子をかぶったすごく可愛い店員さんを見つけました。その女の子も入店する前から 私だと気付いてくれていたみたいで お財布を見ているとすぐに接客に来てくれました。

    店員さんの方から「いつもクッキー君がお世話になっている西原です」と自己紹介されましたので 間違いありませんでした。まだ仕事を始めて半年ほどなのに 商品に関してとても細かいところまで覚えていて 適切で分かり易い説明をしてくれましたので ちゃんと話したのは初めてでしたが この子は可愛いだけではなくて そこそこ頭の切れる子だと思い 余計に気に入りました。勿論私がその女の子をどれだけ気に入ったとしても 別に指一本触れられる訳ではありませんが 取り敢えず凄くチャーミングな女の子がいるというだけで男は幸せになれるのです。

    幸いそのお店で奥様の気に入る財布が見つかりましたので 購入しました。前回までは布製の財布でしたが 今回の財布は革製なので 少しお値段も張りましたが 長持ちしてくれることと思います。奥様も、美味しいものをお腹いっぱい召し上がり そこそこ納得のいく靴と財布を購入されましたので ご機嫌で帰途につきました。これで数日は奥様のご機嫌が麗しくなることを期待して病院に戻りました。

  • 9月15日 ちょっと自慢したい事が出来ました

    アイドル好きな人でなくても 名前は知っていると思いますが 橋本環奈ちゃんの事です。福岡を拠点として活動するアイドルグループ「Rev from DVL」のメンバーで「天使すぎるアイドル」「千年に一人の逸材」「神様、仏様、環奈様」などと表現されている女の子です。

    アイドルは「乃木坂46」しか興味がない私でも 「この子はあまりに可愛らしすぎる」と思っていました。この子がもし「乃木坂」に入ったら いきなり一列目で歌っていても誰からも文句が出ないであろうとも思っていました。兎に角 ナーチャンやマイヤン、イクチャンと並んでも 遜色のない位のずば抜けて可愛らしい女の子なのです。

    このめちゃくちゃに可愛らしい女の子のおばさんに当たる女性、つまりお母さんのお姉さんに当たる人が諸岡亮子さんと言いまして、私が立命館大学時代に所属していた混声合唱団「メディックス」で私の二年先輩にあたる方なのです。この先輩は文学部を卒業されたのですが あまりに音楽的才能に恵まれていたので その分野に進まれて いろいろな経緯があったみたいですが 現在ドイツにあるオーケストラで オルガン奏者として活躍されておられるのだそうです。

    諸岡先輩は 兎に角小っちゃくって可愛らしかったのでニックネームが「チッチ」さんでした。私はこの学年の方には非常にお世話になりました。諸岡先輩だけではなくて この学年の女性には非常にチャーミングな方が多かったので 二学年上の方だと凄く大人の女性に見えましたが 結構甘えさせていただきました。

    私はこの合唱団に所属する前に 他の合唱団に一時期所属したりして 回り道をしてから入団しましたので 同級生たちとも馴染むのに少し時間がかかりました。現在もそうですが 当時も愛想よくすぐに友達ができる性格ではなかったので 休憩時間なんかも一人でポツンといることが多かったです。四年制の大学のサークルの場合三年生が主要な役職について 団の運営のために頑張っておられました。それで一人でポツンといることの多い私を心配して積極的に声をかけてくださったのが 諸岡さんの学年の先輩方でした。

    勿論お世話になったのは二つ上の学年の女性の先輩ばかりではなくて このブログでも何度か登場いただいている石田信孝先輩には 言葉に尽くせないぐらいにお世話になりました。それまでこの合唱団は一学年十名+アルファ 四学年で五十名ぐらいの規模のサークルでした。どのサークルでもありがちなことですが四年間活動を続けるのは結構大変です。運動部のように厳しい練習に耐えられなくてやめていく人は少なかったと思いますが 人間関係がこじれてサークルを去っていく人が相当数いたのだと思います。所が私たちの学年は悩み事を抱えると 石田先輩の下宿に泊まって悩み事を相談しました。石田先輩の暖かくて適切なアドバイスを頂いたおかげで 私たちの学年はそれでも数名が去っていきましたが 三十名で卒団出来ました。こんなにたくさんの人数が活動を続けられたのは 石田先輩を筆頭に二つ上の学年の先輩方のお蔭だと思います。

    私は遅れて入団しておきながら 団の機関誌の発行責任者の役職に二年生でなってしまいました。普通は三年生が役職のトップに立つのが当たり前なのに 役職を決める選挙にいつの間にやら立候補させられてしまい 選挙では当然三年生の方も立候補されていましたから 私は落ちて当たり前で 気楽なこともあり 適当に思いついた企画などを面白おかしく話したら それが結構受けてしまい なんと予想外に当選してしまったのです。

    これが私の不幸の始まりでした。他の役職のトップは全員三年生なのに私だけ二年生なので 対等に話をすることができず 孤立してしまう事が多くなってしまいました。そこで落ち込んでいる時に心配して声をかけてくださったのが四年生のつまり石田先輩や諸岡先輩の学年の方たちでした。

    同学年の人には恥ずかしくて言えない泣き言を さんざん聞いていただきました。それまで年上の女性と話したことなど殆どなかった私ですが この学年の女性方は皆さん包容力にあふれていて 私の泣き言を嫌な顔もせずに聞いてくださり 時には優しく、もちろん必要に応じては厳しい言葉で 私を慰め、励ましてくださいました。

    ですから、自分が大学を卒業して塩野義製薬に勤めましたが 当然初めての仕事で失敗しては怒られてを繰り返しましたから 会社に最後まで残って一人きりになると また二つ上の学年の女性方に電話をかけては慰められ、励まされておりました。当時卒業されて福岡のご実家にいらっしゃった諸岡先輩の所にも何度が電話をかけて 相談にのっていただきました。

    そんなお世話になった諸岡先輩の姪っ子が 環奈ちゃんなのです。だからどうなんだと言われれば 返す言葉もございませんが あのめちゃくちゃに可愛い女の子の叔母さんに当たる方と 親しくして頂いたことがある、ということがちょっと自慢したい出来事でした。

     

  • 9月14日  ユンボの操縦の素晴らしさに感動しました

    一月位前から 病院の横の道で下水道管を埋設する工事が始まりました。道路のアスファルトをカットして引っ剥がして土を掘り下水管を埋設しているのだと思います。その工事の主役を務めるのが ユンボ(ニッケンの登録商標なのだそうです)一般的にはパワーショベル、若しくは油圧ショベルという建設機械です。

    ユンボはそれ自体キャタビラで移動できますが長距離を移動するときには ダンプの荷台に乗せられて運ばれてきます。ダンプから降ろす動作をたまたま入院している犬を散歩に出した時に目撃しましたが そのダンプの荷台から下りるときの動作に見ていて感動しました。

    ユンボがダンプの荷台の端っこまで移動したら ダンプの荷台が徐々にせりあがります。ユンボはそのショベルの部分を伸ばして地面につっかえ棒のようにして落ちないように支えます。ダンプの荷台から徐々に移動してキャタピラの先端部分が地面に着くまで進みます。キャタビラの先端の部分は地面についていますが 後端の部分はまだダンプの荷台の上にあります。

    この時に落ちないように支えていたショベルの部分を反転して 今度はダンプの荷台の部分でツパッテキャタビラの後端の部分が落っこちないように支えながら また徐々にキャタビラが前進して 殆ど衝撃のないようにキャタビラの部分が全部地面に着地しました。言葉で説明すると 分りにくいかもしれませんが すごく上手であり素早い作業でした。勿論ユンボを操縦されていらっしゃる方にしたら 日常茶飯事なのでしょうが 初めてその光景を目撃した私にしたら 感動的に見えました。

    先日その日の工事の終りがけを見ていたら ユンボの操縦車の方はショベルの部分をおのれの掌のように操って 土を均したり固めたりと 凄いテクニックを見せて頂きました。私は 自分が本当に不器用であるので どんなに練習してもそのように巧みにユンボを操ることは出来ないと思い 尊敬してしまいました。

    勿論その操縦をしている方だって 犬や猫の避妊の手術は出来ないわけだから 私が一方的に劣っているとは思いませんが やはり人間向き不向きというものがあるのだと思いました。私は昔から大きな機械例えばクレーン車を巧みに操られる方とか トレーラー車をバックで車庫入れされる方を 本当に尊敬していました。やっぱり男ですから でっかい機械を思い通りに操られる方は 素晴らしいと感じてしまいます。

    病院の仕事を辞めてから 南の島でのんびりしようと思っていますが その時には中古でいいから小さなクルーザーを購入して 操縦しようと思っています。勿論必要な免許は準備して取得するつもりです。奥様と私と船の運転に関しては 全く同じようにスタートしますが 何をやらせても不器用な私と 本当に何でも器用にこなされる奥様では 恐らくその操縦技術にも 直ぐに天と地位の差がつくと思います。悔しいけれど泣かないで少しでも追いつけるように地道に頑張ろうと 今から密かに思っています。

  • 9月13日 1912年の本日 乃木大将ご夫妻が殉死されました

    日本人なら誰でも知っている出来事だと思いますが 最近の若い方はご存じないのかもしれません。乃木大将という方は日本の陸軍の将軍で日露戦争の時に第三軍司令官として旅順攻囲戦の指揮を執られました。日露戦争最大の激戦地203高地は 映画にもなった位の大苦戦になりました。地形的に極端に攻めるに難く、守に易い戦場でした。攻める日本軍としては 正面から正直に突撃するしかなくて いたずらに大量の戦死者を出しました。乃木将軍の実の息子さんまでが二人もこの戦いで戦死されています。

    この時期よりも後の戦いのように飛行機や長距離砲があれば 先に爆撃や砲撃で徹底的に敵側の要塞を潰してしまえますから それほど兵力を消耗せずに済んだのかもしれませんが この時代の戦争としては 正攻法で正面から突撃をかけて攻めるしかなかったのかもしれません。但し、損害を受けていたのは日本軍だけではなくてロシア軍も確実に兵力を消耗していきました。

    日本が最終的に203高地を攻略する攻撃の時のロシアの守備兵には少年や老人まで駆り出されていたのだそうです。ですから、乃木将軍の再三にわたる正面からの突撃は少しずつではありますが 効果があがっていたのです。そして最後の攻撃が勿論一番の激戦になりましたがついにロシアの要塞を陥落させて 203高地を占領して旅順を攻略できたのです。後に行われる日本海海戦で日本艦隊がロシアの誇るバルチック艦隊を全滅させて 日露戦争に勝利しました。

    乃木将軍は日露戦争勝利の立役者の一人であったことは間違いありません。その将軍としての功績と能力は世界でも高く評価されていました。でも乃木将軍は自分ではたくさんの兵隊を死なせてしまったことを 悔やみ恥かしく思っておられたのに違いないと思います。兵隊は当時の考え方として天皇陛下からの預かりものであり 非常に大切な存在なのに 凄くたくさんの兵隊を死なせてしまったことに 天皇陛下に対して凄く申し訳ない気持ちでおられたのだと思います。

    乃木将軍としては 戦後天皇陛下にお会いして 沢山の兵を失ったことをお詫びしたかったのだと思いますが 陛下からは労いとお褒めの言葉しかなかったのだそうです。この時の天皇陛下とのやり取りが のちに将軍が殉死されるきっかけになったのだろうと想像されます。

    乃木将軍の殉死については 日本国内でも賛否両論あったみたいですが そのニュースは世界各国の新聞でそれも一面に取り上げられたのだそうですが、そのほとんどが賞賛されていたみたいです。

    殉死という行為は 一応法律で禁じられています。自ら望まないのに立場上周囲から望まれて強制されることを防ぐためだと思いますが、もし殉死したいほど大切に思える出会いがあったのなら それはそれですごく幸せなことだと思いますし 殉死という行為を否定的に見るのは良くないように思います。私自身は幸か不幸か 殉死したくなるほど大きな影響を受けた人物と 今の所出会っていません。一般庶民として暮していれば 毎日を生きていくのが精いっぱいであり ある人物の死に自分の命を殉じて自ら断つような行為を考える余裕などないのが普通だと思います。

    乃木将軍の殉死が尋常でないのは ご婦人もともに殉死されていることです。夫唱婦随ここに極まれりだと思います。乃木将軍は大将閣下であり身分も伯爵であったにもかかわらず 最後まで質素に暮らされていたみたいですし その人生が幸せに満ちていたのかどうかは よく分りません。でも 殉死しようと思える御方と巡り合えて、ともに殉死してくれる伴侶に巡り合われただけでも 最高にお幸せな人生だったと思います。

  • 9月12日 銀行の預金の利率が低すぎると思います

    私は将来の蓄えを基本的には銀行に定期預金という形で 寝かせています。私の父や友人にも株式に投資している人が少なからずいます。株式に投資することは 社会の動きや経済の状況 今後の的確な見通しなどが必要になり 世の中のことについて色々と勉強することになるので悪いことだとは思いません。しかし、株式は買い時、売り時を間違えて 結構損をする方が多いのが気になります。

    定期預金に預けておけば 後はほったらかしでも 決まった利息分微々たるものですが増えます。投資は儲かる場合もありますが その分リスクも抱えていますから 私はお金を稼ぐことには一生懸命になれますが そのお金を増やすことにはあまり興味がありません。別に箪笥貯金でも構わないのですが 盗まれたり火事で燃えてしまう事が心配です。

    友人に資産の運用についての アドバイスをお仕事にしている方いわゆるフィナンシャルプランナーがいますからから 相談しましたが ハイリターンを望まないのならば信用できる銀行に定期預金で入れておくのが一番簡単だと教えてもらいました。税務署さんも脱税を繰り返して 査察される場合は別として コッソリと預金している分までは 捜しようがないので安心だと聞きました。

    それでその銀行に設定されている一番長期の定期預金に放り込むことに決めました。ほとんどが五年物の定期でしたがそれが最近続々と満期になり 面倒なので同じ条件でもう一度預けるというと 利率がなんと一ケタ小さくなるという事でした。もともとが零点何パーセントだったのが零点零何パーセントになるというのです。普通預金に預けておくのとほとんど差がありません。他の銀行に確認すると どこも似たり寄ったりの利率でおどろきました。

    私が働き始めたのは バブルがはじけた直後で そのころには借金をしたときの利息も凄く高かったですが 預金の利息も凄く高かったように記憶しています。大口定期(一口一千万円以上)なら 年10パーセント位の利息が付いた時代があったのです。つまり大口定期を五口も持っていれば 全然働かなくても年に五百万円入ってくるので のんびりと暮らせた時代があったのです。

    勿論それはバブルという特殊な時代の幻影に過ぎないのかもしれませんが、それにしても五年定期に預けても普通預金と利率がほとんど変わらないのはおかしいと思います。銀行が儲けすぎているのではないかと文句を言いたくなりますが ほとんどの銀行が横並びなので 文句を言っても始まらないのでしょう。まあ貸金庫でも借りてそこに保管したら 貸金庫の借り賃分でていくわけですからマイナスにならないだけましなのかもしれません。

    それにしても 相変わらず安倍ちゃんのアベノミクスの効果は全く感じられません。景気が良くなりみんなの収入が増えて 豊かな生活がいつになったらやってくるのでしょう。つい最近閣僚の入れ替えをしただけで また内閣の支持率が上がったみたいです。私は安倍ちゃんを政治家としては全く評価しませんが 支持率を高く保つ才能だけは ずば抜けたものを持っている人だと思います。

    アベノミクスなんて幻影であり 実質的な効果なんてサラサラ期待していませんが せめて銀行の定期預金と普通預金の利率にはっきりとして違いが出るくらいに 経済を上向けてほしいと思います。

     

  • 9月11日  近所の小嶋先生とお昼ご飯を食べました

    このブログでも何度か登場されていますが 小嶋先生はうちの病院のすぐ御近所さんの動物病院の先生です。ある意味では一番の商売敵でありますが 枚方市の獣医師会の会計として 代表である私を支えてくださっている大切な仲間であり 友人でもあります。私はあまり友達が多い方ではありませんので 獣医師会で一緒にご飯を食べに行くようなお付き合いをしているのは 小嶋先生ぐらいです。以前は囲碁仲間の井上先生(枚方動物病院)などがいらっしゃいましたが 現在はもう引退されて、ゴルフ三昧の天国のような生活を送られているそうです。

    小嶋先生の病院には看護士さんが二人おられるので オジサン二人ではむさくるしいのでお付き合いをお願いしました。私は勿論奥様に付き合ってもらいました。ご飯を食べたのは 長尾駅の近所の「BOUNO]というイタリア料理のお店です。このお店は以前に情報誌パドでランチバイキングをやっていたので 食べに行ってから 結構美味しかったので時々出かけています。

    長尾の片田舎にある割には こじゃれたお店でオーナーシェフの奥さん 美香ちゃんが明るくてとっとも可愛らしく応対してくれるので 美香ちゃん目当てで通っているお客さんも多いと思います。ランチコースは30品ぐらいある料理から好きな料理を五品選んで注文します。イタリア料理ですから勿論パスタやピザもありますが 肉料理や魚料理も美味しいです。バランスよく前菜からメインディッシュ、デザートまで注文しました。

    小嶋先生の所の女の子は この前一緒にカラオケに出かけた時も付き合ってもらいましたが 二回目なので割とリラックッスしてくれているみたいでした。まあ、女の子と言っても二人とも結構ベテランで平均すると30歳ぐらいですから そんなにこちらが気を遣わなくてもいいでしょう。もし二人がカズミンとナーチャンだったら 私は緊張しまくって食事が全く喉を通らないと思います。

    割と会話も弾んでご飯を食べ終わりました。次回は 「杉五兵衛」という結構山の奥にある野菜料理中心のお店に出かけることを約束して 解散しました。久しぶりに奥様以外の人と食事をしたので 楽しかったです。食事は大勢で食べる方が美味しく感じるのは何故なのでしょうか。時々テレビで大家族をフューチャーしたドキュメント番組を放送していますが 食事の場面では 何しろ人数が多いのでそれほど豪勢な料理を食べているわけではありませんが みんなで賑やかに食べていれば きっと凄くおいしいに違いないと思います。私は一人で食事をすることも多かったのですが やっぱり一人では 自分の大好物を食べていてもあんまりおいしくなかったです。

    仕事の愚痴や楽しくない話題でも嫌な顔をせずに聞いてくれながら一緒に食べてくれる奥様に改めて感謝しようと思います。

  • 9月10日 本日はカラーテレビ放送記念日だそうです

    1960年の本日からカラーテレビ放送が始まったのだそうです。最初の頃はカラー放送を総天然色放送とよんでいました。但し、カラー放送が始まったばかりの頃には カラー放送の番組自体が凄く少なくて 大部分が白黒放送の時代でした。ちなみにアメリカでは六年も前にカラー放送が始まったそうですから 当時は技術的に相当にアメリカに後れを取っていました。

    放送が始まったころには当然カラーテレビ自体が相当に高かったはずです。我々一般庶民ではなかなか手の届かない憧れの的だったと思います。1964年の東京オリンピックの年に 各家電メーカーが一斉にカラーテレビを大量生産して 一気に価格も下がり 庶民の生活にも浸透してきました。「オリンピックをカラーでみよう」という宣伝文句に吊られて 各家庭にカラーテレビが広まりました。

    日本の鮮やかな紅白の揃いのユニホームをテレビで見た印象が今も鮮明に頭の中に残っています。恐らく私たちが白黒テレビからカラーテレビへの移り変わるのを体験した最後の世代かもしれません。

    当時のテレビは現在のテレビと縦横のバランスが異なりますし、角っこがかなり丸かったのを覚えています。大きさ的には最大でも20インチまででした。勿論テレビは一家に一台きりでしたから 見たい番組が重なると 一騒動あったように思います。チャンネルの数もVHFが六つ、UHFが一つか二つみられたらよい方でした。勿論当時はBSも当たり前ですがCSも一切存在していません。

    結構後になって知ったのですが まだ関西にいるからVHFでNHKの総合と教育 それに民放の日本テレビ テレビ朝日 TBS、フジのキー局は全部見られましたが 地方に行くと民放が二つしか映らない地域が多いのには驚きました。正直な気持ち 田舎には住みたくないものだと思いました。

    兎に角 初期のテレビジョンは大きかったです。スピーカー部分もやたらとでかくて威厳を感じさせました。カラーテレビがドーンとおいてあるだけで その部屋に威厳というか風格を感じさせてくれました。昔は立派なステレオと百科事典が お金持ちのおうちの応接間のシンボルみたいな時代があったように覚えていますが 当時は大きくて立派なテレビがやたらと幅を利かしていたように思います。画面に扉がついていたり ほこりをかぶらないためにやたらと立派な布がかけてある家もあったように思います。

    その後ハイビジョン放送が始まり ハイビジョンに対応したテレビが開発され、続いて液晶テレビやプラズマテレビが開発されました。さらにそれらが発展して一秒当たりのコマ数が増えたり、そうさ線の数が増えたりしました。更には4Kテレビという更に新しいテレビが出現しました。正直言ってテレビジョンにあまり興味がないので現在の最新情報は知りませんが たかがテレビジョンでそんなに最新の技術がなんの役に立つのだろうかと疑問に思います。見苦しくない程度に視聴できれば十分ではないのでしょうか 部屋のサイズに調和した大きさの画面であれば全然満足できるように思います。

    本当は上流階級のおうちみたいに テレビのない生活にあこがれたことが少しだけありました。テレビがなければ 新聞や本を読む時間が増えると思いますから 教養を高めるだけではなくて 獣医師としての見識も深まるように思います。でも私はやっぱり根が庶民なので テレビがないと 間が持たないというか、手持無沙汰で寂しくなってしまうように思います。奥様もかなりのテレビっ子で凄く話題が豊富な方ですが その情報源としてはテレビが重要な位置を占めているみたいです。やっぱりテレビと縁を切ることは無理みたいですね。