Dr.喜作のブログ

2015年1月 の記事一覧

  • 1月19日 田部井淳子さんが七大陸の最高峰に登頂された日だそうです

    大学の先輩で時々登山をされる方がいらっしゃったので 辛くて苦しい思いをして山に登って何が楽しいのか尋ねたことがあります。その先輩が仰るには 「山道を登るのは確かに苦しいし、頑張って登り切っても誰も褒めてはくれません。途中で諦めて挫折しても誰に怒られるわけでもないし笑われることもありません。だからこそ頑張って登り切った自分をそれまでの自分以上に好きになれるんだよ。」とのことでした。

    その言葉をきいたときにはあまりピンときませんでしたが 有森裕子さんの「自分を自分で褒めてあげたい」という気持ちと通ずるものがあるのかもしれないとずっと後になって思いました。兎に角私は登山という非生産的なスポーツというか遊びには興味が全く持てません。

    登山に全く興味がない私なので 田部井淳子さんというお名前も 「今日は何の日カレンダー」で見るまで全く存じ上げませんでした。きっと登山をされる方々にとっては有名な女性なのだと思います。七大陸と言われてもアジア、ヨーロッパ、アフリカ、北アメリカ、南アメリカ、南極、オーストラリアを 辛うじて思い出せるぐらいで それぞれの最高峰なんてアジアのエベレストぐらいしか思いつきません。

    田部井さんがどの様な人物なのか 全く想像がつきません。プロの登山家なのか 他に職業を持っておられるのか 体験談を出版でもして稼いでおられるのか 各地で講演でもして生計を立てておられるのか まあ人の心配をするほど自分が裕福ではないので 余計な心配はやめておきます。

    七大陸の最高峰について調べてみたら 最高峰はある意味観光地化していて 登頂が比較的優しいので 七大陸のナンバー2を登頂する方がむしろ登山家の中では評価される、みたいなことが書いてありました。確かに日本で二番目に高い山は赤石山脈(南アルプス)の北岳(3193メートル)だそうですが、富士山の場合は普通五合目まで車で登りますから 北岳に登る方が大変そうです。

    登山は年齢的にも体力的にも 私には不向きだと思いますが この前乃木坂のメンバーが登っていましたから ある程度トレーニングをすれば私でも登れるのかもしれません。日本一美しくて日本一高い富士山には 死ぬまでに一度くらいチャレンジしてみたいと思っています。

  • 1月18日  乃木坂の11枚目シングルの選抜発表がありました

    私が一週間で一番楽しみにしている番組「乃木坂ってどこ」の中で 初のアルバムが発売されて 乃木坂の活動も一区切りついて再スタートを切るような感じですが 新選抜メンバーが発表されました。私の大好きなナーちゃんがセンターに返り咲き 相変わらずどうしょうもないぐらいに可愛いコメントをしてくれました。私の一押しであるカズミンも三列目の何時ものポジションに収まりました。相良伊織という遅れてきた二期生が 選抜に新加入してフレッシュさも加味されたように思います。

    ただ一人を除いては まあ順当な選抜だったのかもしれません。その一人とは勿論サユリンゴこと松村紗友理です。どっかのわけのわからんオッサンと路上でキスしている写真を報道されるという破廉恥な事件を起こした輩です。報道はロチューだけですが その先そのオッサンとずっこんバッコンやりまくったのかもしれません。

    AKBのさしこは 昔付き合ってたつまらない男に暴露記事を発表されただけで HKTへ島流しされました。まあ結果オーライみたいなことになっていますが かなり厳しい処分が下されたと思います。ミーちゃんの場合は自ら進んでぼーず頭になって 反省の気持ちを表現しました。勿論ぼーず頭になっただけでは済まなくて 一期生でありそれなりに人気がありますが 研究生に降格処分されました。

    サユリンゴの起こした問題は 自分の意志で起こした不祥事であり 全く言い訳できない事件であり、当然厳しい処罰が下されるべきだと思います。乃木坂というグループは発足当初から諸々の問題を起こしてきたAKBのメンバーと違って 清楚なイメージがウリです。

    私の頭の中では 清純そのものとしか考えられない ナーちゃんやマイマイまでがサユリンゴのようにふしだらな行動を取っているのかもしれない等と絶対に考えたくありません。ですから少なくとも今回の選抜からはアンダーに降格して 十二分に反省させるべきだったと思います。

    秋元さんに決定権があるのだと思いますが 何故今回の事件に対する評価が二列目から三列目に下げるだけで済まされてしまったのか 全く納得がいきません。私はもともとサユリンが嫌いなメンバーではありません。私が一番最初に好きになったメンバーはナナミンでした。別にナナミンが嫌いになったわけではありませんが 次に気に入ったのがサユリンでした。

    その後メンバーを広く知っていってサユリンが嫌いになったわけではありませんが現在のカズミン押しに落ち着きました。サユリンは容姿も勿論可愛らしいし大阪出身だし 性格もサッパリとして素直ですから どちらかといえばお気に入りの存在でした。それだけに今回のような不潔な事件を起こしてしまったのが 残念でたまりません。アイドルとしての資質に恵まれた女の子ですから 一旦アンダーに落とされても必ず這い上がってきてくれる子だと思います。

    今回アンダーに落としておかないと 結局選抜されなかったアンダーメンバーのモチベーションが心配です。こんな不祥事を起こしておきながらサユリンは結局は選抜されたのに 何も問題を起こしていない自分が選抜されなかった事実は 相当に厳しいストレスになると思います。

    乃木坂全体の事を考えても絶対にサユリンは選抜されるべきではなかったように思います。まあ、世の中の一般の方から見れば アイドルグループの選抜メンバーに問題を起こした子が入ろうと落とされようと全く関心のないことだと思いますが、私には非常に気になったことなので書かせていただきました。乃木坂に興味のない方で ここまで読んで頂けた方がもしいらっしゃるなら この場を借りて厚く御礼い申し上げます。

  • 1月16日 超肥満猫のカテーテル挿入に失敗しました

    夕方の外来で来院された雄猫が おしっこが出ない状態で 苦しんでいました。お腹を触ると暴行がパンパンに張った状態で 昨日から殆どおしっこが出ていないとのことでした。圧迫排尿を試みましたが 尿道が完全に詰まってしまっているようなので カテーテルを挿入するしか方法はなさそうでした。

    年齢は三歳と若いし、心雑音が少なからずあって年齢の割にはかなり問題をはらんでいる心臓ではありますが カテーテルを挿入するための浅い麻酔を短時間かけるぐらいなら心配なく挿入の処置が行えそうでした。但し、体重が9.5キロもある超肥満体の猫ちゃんでしたので うまく挿入できるか不安はありましたが 麻酔をかけるために同意書にサインをもらって預かりました。

    八時になったので病院のシャッターを下ろしてから その肥満猫の処置を始めました。まずは導入麻酔薬を筋肉注射して ある程度沈静したところで マスクをかけて吸入麻酔を始めました。普通はマスクのまま処置を始めますが 相当な肥満体なので手こずりそうだったので 念の為気管チューブを挿管してから仰向けに体を固定しました。

    いざカテーテルを尿道に挿入しようとおもって おちんちんをつまみました。猫のおちんちんは先細りの形をしていますが しっかりと根元の方を捕まえるとその部分は若干細くなっていますので がっちりとおちんちんを捕まえられます。

    所がこの猫ちゃんは 何度も書きますが超肥満体でした。おちんちんが体についた脂肪で埋まってしまっていて 殆ど体外に出っ張っていませんでした。通常サイズの猫のおちんちんは先端から根元まで1.5センチ位はありますからしっかりと左手の。指で捕まえられます。左手の指でしっかりとおちんちんを捕まえて カテーテルを右手に持って尿道の入り口から挿入を試みます。

    所がこの肥満体の猫ちゃんの場合は皮下脂肪におちんちんが埋まってしまっていて三ミリぐらいしか突出していないのです。周囲の脂肪を押しのけておちんちんを引っ張り出そうとしましたが それでも5ミリぐらいしか出てきてくれません。先端の細くなっている部分ですから とてもおちんちんをしっかりと保定できる状態ではありませんでした。

    私はその時点で もう無理だと判断して諦めようと考えましたが 奥様が何とかピンセットで捕まえて挿入できないかやってみようと提案されました。奥様が左手でおちんちんの周囲の脂肪を押さえつけて右手で先の細いピンセットを持っておちんちんの片端を保持しました。私も左手にピンセットを持って奥様とは逆の端を捕まえました。右手でカテーテルを持ち挿入を試みました。何とか先端が尿道に入りましたが一センチ位の所で引っ掛かって それ以上は進めませんでした。

    超音波発振器で水圧をかけて何とか詰まっている結石を割ろうと試みました。何しろピンセットで辛うじて保持しているおちんちんですからうまくいく自信はありませんでしたが とりあえずやってみました。

    直ぐに水が跳ね返されましたが 頑張って続けていると少しだけ超音波発振器が深くはいりましたので カテーテルの挿入を再度試みました。今度は三センチ位は挿入できましたが またそこから先は詰まってしまっていて うんともすんとも入りません。

    もう一度超音波発振器を挿入して水を流し込みましたが 今度はそこから先に勧めそうな気配が感じられず 数分間にわたって頑張りましたが そこから先へは進めませんでした。この状態には さすがに奥様もなす術がないと諦められました。

    しょうがないので飼い主さんに電話をかけて 正直に現状を説明しました。残念ながら当院としては精一杯の事を試みましたが うまくカテーテルを尿道に挿入できなかったことを報告しました。

    次の方法としては尿道を体の外に縫い付けて そこからの排尿出来るように手術するしかないことを話しました。心臓の状態から手術にはそれなりのリスクが伴う事と手術がうまくいっても 排尿がうまくコントロールできなくなるので 日常の生活でかなり困った状態になることまで説明しました。

    すると飼い主さんは別の病院で診てもらうことを選択されました。私としては出来る限りの事をさせてもらったつもりなので 飼い主さんが納得されるようにされればいいので迎えに来ていただいてお返ししました。

    恐らくどこの病院に連れて行っても似たような結末になると思いますが 飼い主さんが納得されたらその後の治療法も受け入れられることだと思いますので 私としては実質的にお役にたてないまま終わってしまったことが残念であり申し訳ありませんが まあ致し方のないことなのだと思うしかないのだろうと考えます。

  • 1月15日 一昔前までは成人の日でありラグビーの日本選手権の日でした

    いつの間にやらハッピーマンデーなどというわけのわからない制度の為に今年も平日であり ラグビーの選手権とも無縁の日になってしまいました。そもそも私がラグビーに興味を持ったのは自分が中学生の頃でした。年末年始に殆ど全試合を放送していた高校ラグビーの選手権を興味深く見るようになってからでした。当時は目黒高校や国学院久我山高校といった東京勢が凄く強い時代でしたので 少なからず不愉快には感じていました。大坂勢もそこそこは頑張っていましたが 東京を含めた関東勢にかなり押され気味でした。

    大坂の花園ラグビー場で試合をしているのに 大阪勢が頑張らないのは 甲子園ボウルで日大の全盛時代に関学が全く歯が立たなかった時期のようで 非常に歯がゆい気持ちでした。高校の選手権で活躍した選手が当然大学に進みますから 大学ラグビーにも興味を持つようになりました。

    当時は高校ラグビーで活躍した選手のほとんどが 東京の対抗戦グループの大学 つまり早稲田、明治、慶応などに集中して進学していました。優秀な高校生が集まるので必然的にそれらの大学の戦力が他校を圧倒していて 特に関西の大学は全く歯が立ちませんでした。非常に悔しかったです。

    高校の選手権で伏見工業がすごく強い時代を迎えてその主力であった平尾や大八木が 関東には進学せずそのまま京都の同志社に進学して やっと同志社が大学の選手権で優勝するようになりました。同志社に引っ張られるように 京産大や大阪体育大などが強くなって関東の高校と互角の戦いができるようになった時代は 大学の選手権を見るのが非常に楽しかったです。

    当時のラグビー日本選手権は大学のナンバーワンと社会人チームのナンバーワンが十五日の成人の日に対戦するラグビーファンにとっては非常に楽しみな大一番でした。勿論社会人チームの方が経験や戦力的に見ても優位な戦いをしていましたが ひょっとすると大学チームが勝てそうな試合展開が多かったように思います。大学ナンバーワンの方が知っている選手が多いので どうしても大学チームを応援する気持ちで見ていましたが ラグビー好きにはたまらないワクワクする試合でした。

    所が 社会人チームは数年にわたってある程度メンバーを固定して戦えますし 外国人を補強したりもできましたから 大学生のチームと戦力的にかけ離れてきて 勝敗は一方的になってきました。そこでラグビーの日本選手権の決め方が試行錯誤しながら変化していきました。現在ではほとんど興味が亡くなってしまったので よくは知りませんが社会人チームの選手権と似たり寄ったりのチームが集まって 似たり寄ったりの結果が出ているような気がします。

    私個人の興味もラグビーからアメリカンフットボールに移ってしまっていますので どっち道現在ではラグビーの選手権の行方に興味がありません。最初はAKBのファンだった私が 現在では乃木坂のファンになってしまいAKBグループにはほとんど興味がないのと似ているのかもしれません。

    何にしても 成人の日を一月の十五日に定めたのにはそれなりの理由があったはずなのに 国民の連休を増やすために日にちを流動的にするのは 今更ながら 如何なものかと思ってしまいます。

  • 1月13日 1979年の本日 共通一次試験が始まりました

    私が立命館大学に通っていた頃なので 普通の人生を歩んでいたら共通一次試験とは縁もゆかりもないはずでした。所が私は普通に大学を卒業して 塩野義製薬といういわゆる一流企業に就職できて 仕事にもそれなりにやりがいを感じて お給料も凄くたくさんいただいて 住むところもぜいたくすぎるくらいの部屋を用意して頂いていながら どうしても獣医さんになりたいという希望を捨てきれずに 退職して一受験生に逆戻りしてしまいました。

    そのために共通一次試験という縁もゆかりもないはずの試験と直面しなければならなくなってしまいました。獣医師になるためには国家試験に合格しなければなりません。受験資格は獣医学科をきちんと卒業しなければなりません。私立大学もありましたが 卒業するまでの六年間で 授業料や生活費を含めると一千万円ぐらいもかかりそうでしたので とても経済的に許されませんから 必然的に国公立大学に合格しなければなりません。

    国公立の大学の獣医学科は 全国でも十校ほどしかありません。東大と北大は特に偏差値が高いし 学科別の受験ではありませんから、獣医学科に進級できる保証がありませんから除外して考えるとその他の大学の獣医学科は難易度的にはドングリの背比べみたいなものでした。但し そのどんぐりは立命館大学よりは 偏差値的に高いので 現役の受験生の時よりも高得点が要求されていました。

    まずは自分が現役の受験生だった時とは全然異なる受験のシステムから学ばねばなりませんでした。立命館大学の時に同期だった学生で高校教師になったものを訪ねて回り教科書から入手して受験のシステムについても教わりました。

    要するに共通一次試験を受けてその得点に二次試験の点数を加えて合否を判定される大学が多いみたいでした。一次と二次の点数の配分や二次の科目の選択範囲などが 各大学によって異なるので慎重に受験する大学を検討しました。

    いちばん地理的に近いのは大阪府立大学ですが 近すぎて自宅から通えてしまうのでやめました。自分のわがままでもう一度大学に通い直すので 大学生活にかかる全ての費用を自分で負担したかったからです。二番目に近いのが岐阜大学でした。二次試験にあまり得意ではない英語が含まれていましたが 距離的に鈍行で二時間半しかかからないので 受験大学に決めました。

    私は度胸がなくて緊張しすぎて 大事な本番でミスをしがちだったので 出来る限り沢山情報を集めて 模擬試験は共通一次用と二次試験用を合わせて二十回以上受けました。おかげでかなり試験慣れしましたし 合否判定でも 受験したすべての模擬試験で 岐阜大学獣医学科に80パーセント以上合格の成績を収めました。かなり費用は掛かりましたが 本番のプレッシャーを和らげるためには致し方がありませんでした。

    所が本番に弱い私は やはり共通一次試験の本番でやっぱりやらかしてしまいました。数学は模擬試験で殆どが満点悪くても200点満点で190点は固い科目でした。所が私が受験した年に限って 普段とは全然異なる回答システムでした。例年は回答するマス目にきっちりと答えを書き込めばよかったのですが 私が受験した年に限って マス目の数と答えの桁数が一致しませんでした。一致しなければ 回答の頭に星印を書きこめばよいのですが 星印を書きこむようなケースはこれまで一度もありませんでしたので 私はそのことに動揺してしまい 沢山のイージーミスを犯してしまいました、

    そのために共通一次試験の数学で あわよくば満点悪くとも190点を計算していたのに なんと130点しか得点できませんでした。その動揺はほかの科目にも影響してしまい 予定していたよりも共通一次試験の得点が100点ぐらい悪くなってしまいました。

    自己採点した結果を予備校に送って合否予想判定をしてもらったら 合格の可能性は20パーセントと判定されてしまいました。模擬試験では常に80パーセント以上の判定をもらっていたのにかなりのショックでしたが 今更受験校の変更もできないので 岐阜大学に二次試験を受けに出かけました。勿論二次試験用の模擬試験でも 常に合格判定80パーセント以上をもらっていましたから普通に得点できれば きっと逆転できるはずだと信じていましたが 相当に大きなプレッシャーの中での受験でした。

    二次試験は割と落ち着いて受けられたので 恐らく逆転できて合格できるだろうと思いましたが 合格発表を見に行った時の緊張感は 受験した時以上だったかもしれません。合格した者の受験番号だけが張り出されていましたが 最初の番号を見た時には愕然としました。いきなり私の番号よりも大きな数字だったからです。

    気を取り直して次の番号を見るとずっと小さな番号になっていました。後でわかったのですが 合格者をアイウエオ順に並べて その受験番号を発表したのだそうです。結局一つ一つ番号を確認していくと 終りから四番目に私の番号があって合格していたことが分りました。

    そんなことでやっと岐阜大学農学部獣医学科に合格できて 何とか六年間で卒業出来て 辛うじて国家試験にも受かって やっと獣医さんになれました。そんなことで共通一次試験には 大失敗をした嫌な思い出しかありませんが結果的には何とか合格できたので まあ良しとしておきましょう。

  • 1月12日 毎月12日はパンの日だそうです

    私はパンは どちらかといえば好きではありませんし、食事としては腹持ちがよくないように感じるので どうしても間食というか おやつのような感覚でとらえてしまいます。

    小学校の頃の給食の主食と言ったら 殆どがコッペパンでした。私はこのブログで何度も書きましたが 子供の頃 塊肉が呑み込めなくて大嫌いでした。逆に野菜は人参であろうとピーマンであろうとなんでも平気でした。塊肉はそのままでは呑み込めないので パンにくるんで 飲み込もうとしましたから 余計にパンが苦手になったのかもしれません。

    干しブドウの入ったブドウパンは甘くて大好きでしたが 女性は特に奥様も含めて嫌いな方が多いようで不思議に思います。奥様は甘いものが大好きな方ですが 不思議と餡子が苦手で アンパンも大嫌いなのだそうです。餡子といえば甘いものの代表選手みたいに思うのですが 許せない存在なのだそうです。そのくせぜんざいは好きなのだそうですから訳が分かりません。

    私は男のくせにお酒が全然だめで その分甘いものが得意な甘党です。いいおっさんがお酒が全く飲めなくて 甘いものを喜んで食べている姿など 非常に見苦しいと思いますので なるべく人前では 甘いものは食べないように気を付けていますが 買い物に行ったときにときどき甘いものをこっそりと買い込んで 自宅で思い切り食べてしまう事があります。私は糖尿病を患っていますので 甘いものは勿論 血糖値をあげる炭水化物系統の食物はなるべく控えなければなりませんが ごくたまに思いっきり甘いものを食べてしまい 後悔することを繰り返しています。

    出来たら元気で長生きしたいので ヘモグロビンA1cの値をなるべく低く保つように心がけていますが おのれの欲望にしばしば負けてしまい 後悔することを懲りずに繰り返してしまいます。年を取って正直な所 性欲はかなり衰えてきたように感じますが 甘いものに対する欲望は全然衰えていないように感じます。おそらく死ぬまで甘いものへの欲望とは戦っていかねばならないのかもしれません。

    話をパンに戻しますが 私が菓子パンや調理パンの類で一番好きなのは カレーパンです。一口にカレーパンと言っても オーソドックスな揚げパンタイプもあれば ふっくらと焼き上げたタイプもありますから お店によってさまざまな種類が楽しめます。カレーもお店によって全然味が異なるように カレーパンも見た目が異なれば 中に入ったカレー餡も違いますから さまざまな味と出会えます、

    私は初めてのパン屋さんに入ると たいていカレーパンは置いてありますから 必ず選んで食べてみます。好みに合う場合と合わない場合が勿論ありますが 食べたくなくなるほどの事はないので全くの外れというカレーパンとは出会ったことがありません。

    それから奥様に言わせれば人間の食べ物とは思えないとまで仰るアンパンも結構好きです。粒あんとこしあんがありますがどちらかといえば粒あんの方が好きです。サンドイッチも勿論好きですが 自分で作る時にはレタスやトマトをどっさりとはさんだ野菜サンドが好きなので お店で購入するときも野菜たっぷりの種類を選びます。

    奥様が基本的にパン大好き人間なので二人で出かけた時には お昼ご飯を買いにパン屋さんにはよく出かけますが 最初にも書きましたようにどうもパンの類は腹持ちがよくないので 晩御飯までに空腹を感じてしまいます。私は昼もできたらガッツリご飯を食べたくなりますが 奥様に選択権を預けていますので 結構パンを食べる機会はあります。

    勿論ごはんもガッツリ食べたら後悔するだけなので いい加減年とともに食欲が衰えてくれたらうれしいのですが 残念ながら食欲が衰えたことは六十年近く生きてきて 殆ど記憶にありません。その意味では健康であり幸せなことなのかもしれませんが 本当の健康のためにはその食欲を抑えねばならないので つらいことですが致し方ありません。私はおそらく死ぬまで自分の食欲と戦わねばならない人生なのだと思いますが 受け入れるしかないのかもしれません。

     

  • 1月11日  本日はちばてつやさんのお誕生日です

    今の若い方にはあまり馴染のない名前かもしれませんが かつて手塚治虫大先生と並び称されるぐらいに超大物の漫画家さんです。最近の漫画家さんには作画だけを担当する方とストーリーを担当する原作者で分業されていることが多いのかもしれませんが ちばさんは「あしたのジョー」を除いてはストーリーと作画の両方を一人でしていた漫画家さんだと思います。

    代表作としては 「あしたのジョー」が有名ですが 私は「みそっかす」([あかねちゃん]としてアニメ化)や「ハリスの旋風」「おれは鉄兵」「明日天気になあれ」等大好きな作品がいっぱいあります。

    ちばてつやさんの作品の特徴としては主人公が(石田国松にしても、上杉鉄兵にしても、向太陽にしても)ストーリーの進行とともに 何故か少年なのに段々と身長が小さくなっていくことがあると思います。ライバルと対峙する場面で主人公が小さい方が ライバルを倒した時により痛快だからかもしれません。この傾向はちばさんの他の漫画にもあるみたいで 独特の雰囲気を醸し出しているみたいで 興味深いと思います。

    ちばさんの代表作である「明日のジョー」は 私に近い年代の日本人なら 恐らく知らない人はいないぐらいに 知名度が高くて 勿論私も非常に面白くて何度も読み返した作品です。ストーリーの中で力石徹が死んだときに ファンが集まってお葬式が行われるなど 社会現象にまでなりましたから それなりに素晴らしい作品だと思います。ただ梶原一騎さんの原作だけに 他の作品と若干雰囲気が異なるように感じます。

    私は実の弟のちばあきおさんも大好きな漫画家さんでした。「キャプテン」や「プレイボール」は少年野球漫画の歴史に名を残す 特に秀逸な作品だと思います。最後の作品となってしまった「チャンプ」も非常に面白くて 月刊ジャンプを楽しみにしていたのに 恐らく事故死されてしまいとても残念です。

    てつやさん未だご存命だとは思いますが マンガは書かれていないみたいなので復活されることを心から楽しみにしています

     

  • 1月9日 確定申告の準備が順調です

    毎年、正月の三が日は 緊急の患者さんに対応するので大忙しですが、皮肉なことに 病院をいつものようにオープンしたら四日からがその反動のように 暇になってしまいます。まあ、そこで一年間サボりまくっていた確定申告の準備が始まります。まずは銀行の通帳を銀行勘定帳に転記します。只書き写すだけの 小学生でもできる作業ですが 60歳近くになってくると 結構うっかりミスをしてしまいます。何とも泣きたくなるような情けないミスを繰り返しながらも 無事にきちんと転記し終わりました。

    銀行勘定帳などと立派な名前で呼びましたが 以前はハードカバーのちゃんとした帳簿を使っていましたけれども 現在は大学ノートの表紙に銀行勘定帳と書いてあるものを使っています。続いて仕入帳を書き上げます。仕入帳も勿論ふつうの大学ノートです。当院は三軒の薬屋さんから仕入れていますが 奥様がその納品書をきちんと日付順にファイルしてくれていますので、伝票番号と品数、金額を月ごとに記入して、集計して、前月分の支払いも記入します。同時進行で医薬品と医療消耗品の仕分けをして月ごとの集計金額も書き込みます。

    細かい数字が多い作業なので 慎重に集中して 一年分を仕上げました。私がほったらかしにしている伝票を 会社ごとに分類して日付ごとにファイルしてくださる奥様のお陰で この仕事も順調に終わりました。

    続いて振替伝票に一日分ずつの売り上げ明細書をホッチキスでとじ合わせて 一日分の売り上げなどを記入していきます。この伝票を一月分ずつ束ねて白表紙にとじ紐で束ねます。一年分のこの作業が終わると 次に銀行勘定帳から 全てのお金の出入りをその日の振替伝票に転記します。

    現在ここまでの作業が終了しました。後は経費の領収書やレシートを日付に一致した振替伝票に貼り付けて経費の種類を分類しながら振替伝票に転記します。

    これで振替伝票が完成しますから 後はその伝票を見ながら数値や項目を間違えないように慎重にコンピューターに入力します。以前は売上帳や金銭出納帳を毎日つけて全て電卓で自分で集計して 決算書を作り上げていました。凄く苦労するのに貸借対照表’バランスシート)が左右で一致したことはありません。なんとか合わせようと努力しますが 結局一致しないままに強引に決算してしまった年も少なからずありました。

    ところが もう何年前だったか忘れましたが税理士さんが無料で指導に来てくれて パソコンの会計ソフトの導入を指導してくれました。始めは戸惑いましたが 慣れてくると伝票を仕上げて入力すると自然に決算が出来てしまいますから 非常に楽ちんでした。

    所が楽ちんであるがために 私のように性根の腐った人間は どんどん日々の仕事をサボりまくるようになりました。最初は一月分ずつまとめて振替伝票をまとめて仕上げていましたが 徐々に数か月分をまとめて仕上げるようになり とうとう現在に至っては年が明けてから一年分の作業を まとめて片づけるようになってしまいました。

    ここ数年はずっと年が明けてから全ての作業を片付けるようになりましたが だんだん要領をつかんできたので 尚更スムーズに作業が進むようになってきましたが 今年は例年以上に作業が上手く進行しています。恐らくあと十日位ですべての作業が完了すると思います。

    申告の準備が出来上がると二月に毎年病院をお休みして旅行に出かけます。正月から休みなく頑張って働きましたから 自分にご褒美をあげるために 一応名目としては 研修の為とうたっていますが のんびりと遊びに出かけます。

    「のんびりと」と書いてしまいましたが 私は根が貧乏性なので月曜日から金曜日までの五日間にこれでもかというほどの予定を詰め込んで 普段病院で仕事をしているよりも 肉体的には疲れてしまうのかもしれません。いい年をしてあまり欲張らずにのんびりとしたスケジュールを組めればいいのですが まあ無理でしょう。

  • 1月8日 悪質なネット詐欺に引っ掛かってしまいました

    私も男ですから スケベな事には非常に興味があります。インターネットでエッチなサイトをなるべく見ないように心掛けていますが つい出来心で 普段は入り込まないような怪しい雰囲気のサイトに引き寄せられてしまいました。確かに何回か大丈夫か不安な問いかけに応じてしまうと 自動的に悪質なサイトと契約を結んだことが一方的に通告されました。その通告を消去しても、数分経つとまた同様の画面がコンピューターに再掲されてしまいます。

    いい年をしてそんな幼稚で初歩的な詐欺に引っ掛かってしまったことが情けなくて 恥ずかしいです。奥様に隠れて何とか対応策を考えようかとも思いましたが 機械音痴である私では現実的に手も足も出ないような厄介な代物だったので 正直に奥様に現状を報告しました。

    奥様は 多少は驚かれましたが 私がドスケベであり 大間抜けであることは十分に承知されていますから 取り敢えずコンピューターの画面にタオルをかけて 患者さんにエッチなサイトとのつながりをアピールする画面を見えないようにされました。その後私の引っ掛かった詐欺について 調査されて その画面が二度と掲示されないような方法を見つけてくださって 無事に今回の詐欺事件は解決していただけました。

    本当に恥ずかしい話ですが 私はそんな愚かな詐欺に引っ掛かってしまったことに動揺してしまって 何にも解決に向かって動けなかったのに 奥様はいつものように冷静沈着に対応されて あっさりと難問を解決されましたので 私が一層奥様に頭が上がらなくなってしまったのは言うまでもありません。

    私がしでかした大失態を どれだけ奥様に救って頂いたことか分かりません。これからも散々ご迷惑をおかけすると思いますが 見捨てられない様にだけは気をつけたいと思っております。

  • 1月7日 本日は七草粥の日です

    春の七草と言えば セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ。スズシロと名前だけは覚えていますが 具体的にはどのような植物なのかは 殆ど知りません。ただ現在では スーパーで七草を御粥に入れるために 予め刻んでくれたものを売っていますから、それを買い求めて 普通に炊いたご飯に水と七草、それに塩を少々加えてグツグツ炊いて 御手月七草粥を作り 食べてみました。

    もともとは中国で七草粥を食べて無病を祈る風習が日本に伝わったものだそうです。七草の入った御粥は おせち料理で栄養価の高いものを普段よりも多めに食したであろう胃を休めて正常に戻そうとしているのだと思いますが 実際の効果は胃薬でも飲んだ方が 期待できるのかもしれません。

    まあ、シンプルな塩味で あっさりしていて そこそこ美味しかったです。昨日に病院へ出かけて血液検査を受けました。年末にはそこそこ摂生していたつもりですが どうしてもお正月に気をつけていても普段よりは食べてしまいましたので心配していましたが HA1cの値は前回の検査よりも少しではありますが低下していましたので ホッとしました。

    今年の目標としては 昔はいていたズボンが履ける位に多少はスマートになる事をまずはあげたいと思います。別に今更スタイルや見た目を気にするわけではありませんが 元気で長生きするためにある程度体重を落としたいと考えています。この歳になればある程度経済的に余裕ができたら 元気で長生きした者が一番の幸せ者だと思います。奥様と楽しく充実した老後を迎えるために今年は健康を第一に考えて頑張ろうと思いますのでどうぞよろしくお願い致します。