Dr.喜作のブログ

2016年5月 の記事一覧

  • 5月11日 久し振りに ハヤシライスを作りました

    私の一番の好物は 子供みたいで恥ずかしいのですが カレーライスです。一番の好物ですから 料理には結構自信のある私としては 作り方にかなりのこだわりがあります。まずカレーを作る時に始めるのは 大量の玉ねぎを丁寧にみじん切りにすることから始まります。フードプロセッサーを使えば簡単なのかもしれませんが 私はカレー作りを出来るだけ自分の手をかけてやりたいので あえて包丁とまな板で 細かい微塵切りを作ります。次にその大量の玉ねぎのみじん切りを中華鍋で これまた丁寧に炒めます。所謂飴色になるまで 焦げ付かないように注意しながら ひたすら炒めます。

    カレーとは こんがりと丁寧に炒めた玉ねぎの香ばしさを楽しむ料理だと考えていますから ここまでで全過程にかかる時間の半分以上を費やします。飴色になるまで炒めますと 玉ねぎの分量も何分の一かに減少していますが 炒めた中華鍋から 煮込むための寸胴鍋に移して水を加えて煮込む作業が始まります。この段階になって ジャガイモやニンジンの皮をむいて適当な大きさに切って フライパンで簡単に炒めて 寸胴鍋に移します。その頃になると かなり寸胴鍋の中身が煮立ってきますから 丁寧にあく取りをします。野菜だけを煮込んでいても 結構あくが出ますから 丁寧に除去することが大切だと思います。

    その後私はカレー用の塊肉ではなくて スライスされた牛肉を適当な大きさに切って 又フライパンでさっと炒めて 寸胴鍋に投入します。ジャガイモやニンジンに火がとおったら 市販のカレールーを入れます。二十代の若い頃には 香辛料の組み合わせを自分で考えて 何とか自分好みのカレー粉を作ろうと努力しましたが この歳になると さすがにその手順は面倒になってしまいましたから 市販されているカレールー、それもちょっと上等の種類を何種類か混ぜ合わせて 好みの味に近づくように工夫します。

    隠し味的に リンゴがあればすりおろして入れるし インスタントコーヒーやウスターソース、出汁しょうゆ、一味唐辛子などを加えて 自分の好みの味を目指します。当然出来不出来はありますから お気に入りの味に仕上がることもありますし 今一と感じるときもありますが致し方の無い事でしょう。

    そんな風にカレーは非常に拘りがあるし 丁寧に作るので 手間暇かかりますが ハヤシライスには それほど拘りがありませんので ずっと短時間で仕上がります。取り敢えず玉ねぎをたっぷりと スライサーで薄切りにします。今回は煮込む寸胴鍋で 簡単に炒めます。一応火がとおったら スライスした牛肉を適当な大きさに切って これまた寸胴鍋に放り込んで さっと炒めます。

    後は水を加えて煮込み 丁寧にあく取りだけは手抜きせずにしますが 煮立ってきたら ハヤシライスのルーを これまた何種類か組み合わせて投入して ひと煮立ちしてルーが完全に溶けたら 出来上がりです。カレーほど拘りがないので 隠し味的な調味料も殆ど使いません。仕上がるころにタイミングを合わせてご飯を炊いておき アツアツのご飯にたっぷりとかけて頂きました。久しぶりに食べましたので とても美味しかったです。

    もうすぐ病院へ行くひと月前を迎えますから また炭水化物と縁を切る生活に入りますので たっぷりのご飯をゆっくりと楽しみました。こんなつまらない料理でも レストランで食べたら ほんの少しの量で結構なお値段しますから あまり外食でハヤシライスを注文したくはありません。勿論簡単に作っても一時間以上はかかりましたし 牛肉もたっぷりと入れましたから それなりに費用も掛かっていますが 美味しいものを食べたいだけ食べるという 人間にとって基本的でありますが 一番の楽しみを得られますから 私は自分で料理を作るのが大好きです。

    数日前のこのブログで 私の現在の趣味と呼べるものはカラオケぐらいしかないように かきましたが カラオケの場合は先生の指導を受けねばならなかったり 聴きたくもない他人の歌をニコニコしながら聞いていなければならないので 始める前から長続きしそうにないと感じています。料理はそれなりに自信がありますが 完全に自己流ですから 一度基本的な出汁の取り方から先生について習ってみたい気持ちもありますし、いずれ魚釣りを始めた時には 自分で魚が捌けなければどうしょうも無いので そのような技術を身に着けるためにも 料理教室に通ってみようかとも考えています。実際に料理教室に通う事にでもなれば 勿論このブログでも こまごまとしたことを報告しようと思っていますので楽しみにしていてください

     

     

  • 5月10日 三菱自動車の燃費不正問題は 残念です

    企業としては 業績を上げたい気持ちがあるのは分らないでもありませんが このような不正問題は いずれ必ずどこからか情報が洩れて 発覚してしまうものだと思います。ひょっとしたら発覚していない不正が世の中には蔓延していて 私たち無知な庶民が騙されているだけの事であるのかもしれませんが世の中の実態は如何なものなのでしょう。私たち日本人は 基本的には性善説的な考え方をベースにしているのだと思いますし 水戸黄門のドラマのような 明快な勧善懲悪を自然と望んでいるように感じます。

    三菱自動車のかなりの車種にわたって データーが改竄されていたみたいですから 誰か一人の目論見で実行されていたわけではなくて かなり組織立った犯行 会社ぐるみの悪だくみだと思います。三菱自動車は 病院が開業してから ずっとトッポを往診車として愛用していましたから それなりに愛着のあるメーカーです。以前にも書きましたが 子供の頃にいちばん憧れていた車が ギャランGTOと言うヒップアップクーペでしたから そんなメーカーが会社ぐるみで不正事件を起こしてしまったことは 凄く残念です。

    燃費と言うのは 特に庶民にとっては 自動車の車種を決めるときに 結構重要な選択の基準になってしまいます。ガソリンの価格が上がったり下がったり 安定しない時期ですし 基本的に円安にシフトしている時代の流れですから 恐らく高値で落ち着くのでしょうし 尚更燃費は重要な決め手です。改竄したのが燃費のデーターだけなのかもしれませんが 他の部分でも嘘偽りがあるのかもしれないとユーザーは考えてしまいます。何しろ自動車は 乗っている人が命を預けてしまう道具ですから 根本的に信頼できないメーカーの車には 絶対に乗りたくありません。

    こんなことが起こってしまうと 今後当分の間は 非常に業績が落ち込んでしまうのでしょう。今年の春から希望を胸に入社した新入社員の方たちがすごく可愛そうです。工場なども操業停止に追い込まれて 沢山の社員が自宅待機をしているのだそうです。工場で働いている方たちは 勿論データーの改ざんなどとは 全く無関係な人たちですから 尚更悲惨に感じます。

    自動車メーカーがそれだけ追い込まれてしまったら それらの部品などを請け負っている中小企業にまで ダメージは及ぶはずです。工場に努めている社員や 下請けの会社の社員さんは 自分たちは自分の仕事を全うされていただけなのに 一部の愚かな人間がしでかしてしまった悪事の為に 生活できなくなってしまうとしたら 悔しくてたまらないお気持ちだと思います。

    熊本で起こった地震は 多くの方の住む家や仕事を奪ってしまいましたが まだ原因が自然災害ですから 諦めて気持ちを切り替えることに 何とか向かえるのかもしれませんが 今回の事件の場合は 問題を起こしたのが 同じ会社に勤める従業員ですから そう簡単に諦めたり気持ちを切り替えたりできないように想像します。かといって不景気な世の中ですから 会社に見切りをつけて 新しい仕事を探すのも 至難の業かもしれません。

    私のような超零細な規模でやっている個人商店では あまり過大な希望を抱かずに 何とか奥様と二人そこそこの生活が出来て 将来の蓄えが少しずつでも増えていってくれれば 御の字であると考えて 地道に毎日の仕事を何とかこなしています。会社組織も 同様に地道にコツコツと歩んでいくのが 結局は早道なのかもしれません。

    私の車購入予定としては 現在乗っているアルトに 何とか病院の仕事を辞めるまで頑張っていただきたいです。仕事を辞めたら ちょっと豪華なベンツを購入しようと思っていますから 今後日本車を購入する予定はありませんが 三菱自動車には これまでの浅からぬ因縁がありますから 信用を取り戻して 業績を回復するのには 相当の年月がかかってしまうのでしょうが 大三菱をバックに抱えている企業ですので 何とか立ち直っていただきたいと期待いたします。

  • 5月9日 若干体調を崩してしまい 仕事への意欲も挫けそうです

    ゴールデンウィーク中と言う事で気を張っていると 結構疲れが溜まるのかもしれません。以前は多少疲労が蓄積しても それほど辛さを自覚していませんでしたが ここ数年は さすがに還暦が近づいているからかもしれませんが しんどくなってしまいます。肉体的にしんどくなると 精神的にも頑張れなくなるみたいで 仕事を休んでのんびりしたくなってしまいます。

    昔は60歳になると お役所や会社が定年になって 必然的にみんな引退してのんびりしていたのかもしれませんが 現在では 年金の支給される時期も遅くなっているみたいですし 平均の寿命も随分延びましたから 少しずつ定年を迎える時期も 伸びているようにも思います。私たち自営業者の場合は 定年と言うか仕事を引退する時期は 自分で決めざるを得ません。

    私には子供がいませんから 病院の仕事をついてもらう訳でもありませんから 本当に自分で辞めたくなった時が仕事の辞め時なのかもしれません。別に今すぐ仕事を辞めようとは思っていませんが 現在かなり体力的にもしんどいし 精神的にも無気力な状態なので 明日も仕事を頑張ろうという気持ちは なかなか湧いてきそうにありません。

    疲れがとれて 精神的なダメージからも回復すれば 恐らく仕事に対する意欲も 再び湧いてくるのだろうとは思いますが 人間は徐々にこんな状態を経験していって 仕事を辞める決意をしていくのかもしれません。肉体的にしんどくなって 精神的にもたるんだ状態だと ウッカリ風邪をひいたり怪我をしたりしそうで 心配です。

    私の人生 人よりもかなり回り道をしたのは間違いありませんが 取り敢えずは自分のやりたいことを職業にできているのですから 大変幸せ者なのだと思います。所がそのやりたい事であるはずの仕事に対して 意欲がわかない状態になっているのは 凄く困ったことかもしれません。私は このブログで何度も 早く南の島へ移住して のんびりとしているけれども そこそこリッチな老後を過ごしたいと 繰り返し書いてきました。しかし人間はある欲求が満たされてしまうと 結局その状態に慣れ親しんでしまって満足できなくなって 更に難しい ある意味贅沢な望みを抱え込んでしまうのかもしれません。

    私はこれといった趣味がありません。例えば父親なら 油絵を描くという趣味を 若い頃からずっと続けていて 現在も描く題材は 変化しているみたいですが 継続しています。油絵を描く同好会のようなものに所属していますから その関係で友人もいるみたいですし 風景画を描くために 旅行に出て美しい風景を写真に収めて帰ります。沢山とった写真から お気に入りのアングルを選んでのんびりと日がな一日絵を描いているみたいです。題材は風景であったり 人物であったり 静物であったり色々みたいですが 現在でも背景の部分の色の塗り方について いろいろと新しい技術を導入しているみたいで 恐らく死ぬまで飽きることはないのでしょう。

    最近もコンクールに出品する絵を仕上げるために 懸命に絵をかいている姿を見かけました。人間幾つになっても打ち込める趣味があると言う事はとても素敵な事であり 羨ましく思います。私が現在趣味と言えるのかどうかわかりませんが 暇があれば繰り返しているのは カラオケ屋さんに通う事ぐらいです。

    昨年所属した合唱団も 正直あまり合唱には今更興味が持てないけれども 合唱をしているぐらいの人たちの集まりだから 一緒にカラオケに行ってくれる位の友達ができるかもしれないと 期待したからです。所が残念ながら そんな友達が出来そうにもないので その合唱団はやめてしまいました。

    カラオケ同好会の類の集まりは結構あるみたいですが 基本的には指導する先生がいるカラオケ教室的なものが殆どみたいです。私は合唱を十年以上やっていましたから そこそこ響きのある声が声量も十分に出るつもりです。ピアノを十年以上やっていましたから楽譜はきちんと読めるし音感にも自信があります。勿論合唱とカラオケでは 歌い方などに根本的な違いがあるのかもしれませんし私の知らないテクニックは沢山あるのでしょうが 今更先生から指導されて上手くなりたいとは思っていません。

    それとこれは私の困った性格であることは重々承知していますが 非常に自己中心的な性格なのです。人前で歌う事は 別に恥かしくもないのですが 他人が歌っているのを 延々と聞き続けて お愛想に拍手をするのが 相当に苦痛であろうと言う事です。これまでは殆ど奥様と二人でカラオケに出かけますから 基本的に相手が歌っている間に 次に歌う歌をチョイスして 入力して 演奏が始まったら歌いだす と言う作業を延々と繰り返していました。歌いたいのに待たされる辛さを あまり経験していないのです。

    自分の自己満足で歌っている歌を他人に聴いていただくのですから 当然他人が歌っている間は 機嫌よく拝聴しなければならないのが当然のルールのはずですが その基本的な鉄則を守れそうにないので もし私がうまくカラオケのサークルに参加できたとしても 恐らく長続きはしないでしょう。

    一応南の島では中古のクルーザーを購入して トローリングなどの釣り三昧の生活を夢見ていますが 釣りはこれまでほとんど経験がないので 全く釣果が上がらないのかもしれません。私の飽きっぽい性格では 釣果が上がらなければ ひょっとしたらその趣味も 長続きしないのかもしれません。風通しの良い場所で のんびりとお昼寝をするだけの生活は とても退屈そうです。

    そんな風に 老後についても 経済的にはあまり心配していませんが 充実感と言う点で多少不安があります。今はそんなに真剣に考えていませんが 南国の果物の木を植えて フルーツの栽培にチャレンジしてみようとも考えています。フルーツの栽培は 農業の中でも一番気を使わなければならない難しい作業なのだそうです。勿論沢山育てて 商売にしようなどとは考えていませんから 自分が食べる分だけ収穫できれば十分です。そんな難しい手のかかりそうな南国のフルーツ栽培も やってみたら結構楽しいのかもしれません。

    兎に角 老後は失敗してもいいから これまでやってみた事の無い事にチャレンジして ワクワクしながら過ごせれば幸いです。そんな楽しい老後にするために あと数年は現在の仕事を頑張って続けようと思っています。早く体調を戻して 仕事への意欲も取り戻して また頑張りますのでよろしくお願い致します。

  • 5月7日 1824年の本日 ベートーベンの「第九」が初演されたのだそうです

    ウィーンのケルントナー トーア劇場において ベートーベンの「第九」は作曲者自身の指揮により初演されました。初演は演奏会としては大成功であったと言われています。初演後の会話帳によると、聴衆が第二楽章の終わった時に喝采してしまって演奏が中断されてしまったのだそうです。更には曲の途中でありながらアンコールを求める拍手が鳴りやまなかったのだそうです。演奏後にも度々万歳がコールされて警察官が出てきて静止したほどだったそうです。また、聴衆の大拍手に気づかず総譜を見つめていたベートーヴェンのために、アルト若しくはソプラノの歌手が肩に手をおいて 聴衆の方に向けさせた、という逸話も残されています。

    初演としては大成功を収めましたが 音楽批評家などからは 何しろ交響曲に合唱がプラスされた画期的な作品でしたから どうしても保守的な批評が多くて あまり好評価されてはいなかったようです。聴衆が異常に盛り上がったのは 久し振りにベートーベンが表舞台で指揮をしたことに興奮してしまったからであろうと言われているみたいです。

    ベートーベンは紛れもない天才作曲家であることは間違いありませんが ピアノなどの単一楽器にも名曲が多くて オーケストレーションつまり楽器の演奏の割り振りがあまり上手ではなかったようです。従って初演された時の楽譜と 私たちがよく耳にする「第九」の楽譜はかなり異なっているらしいのです。

    ベートーベンの死後 フランソワ アントアーヌ アブネック と言うフランス人の指揮者が その難解な楽譜を三年にわたって研究してからバリ音楽院管弦楽団と言うオーケストラと じっくりと練習を重ねて現在に近い形で演奏したのだそうです。その後 この演奏の影響をベルリオーズやリヒャルトワーグナーが聴いて 影響を受けて 更に発展させたのだそうです。リヒャルトワーグナーはオーケストレーションが非常に巧みであったのだそうで終楽章の木管のソロパートなど見事に形作っていったのではないでしょうか。更にはハンスフォンビューローやリヒャルトシュトラウスが独自の解釈を加えていきました。更にはワインガルトナーなどの新解釈も加味されてマーラーやメンゲルベルクと言った偉大な指揮者たちが ほぼ現在の「第九」を完成させていったのだそうです。

    今日では殆ど全世界のオーケストラのレパートリーに加えられているみたいですが そのもちいられる楽譜がベートーベンのオリジナルのものとは かなりかけ離れているようなので 演奏自体のオリジナリティと言う点では 永遠に解決されないであろうテーマとして 捉えられているのだそうです。

    私たちにとっては クラシック音楽と言うのは 既に長年人類の財産として評価されていて その素晴らしい音楽を受け入れるだけのものですが これらの音楽をオンタイムでダイレクトに受け入れられた人たちは凄く幸せな方々だと思います。特に初演に立ち会えて 自分の耳で聞くことができるなんて最高の贅沢のように思います。未だ誰からも評価されていない音楽を 先ず自分の耳で聞いて 感じられるのですから 羨ましい限りです。

    私は現代音楽と言うものが 正直あまり好きではありません。凄く斬新なのかもしれませんし 私の頭が保守的なだけかもしれませんが 何とも受け入れがたいのです。これらの私の耳には受け入れがたい音楽も いずれは評価されて人類の財産として 残っていくのかもしれませんが 私が生きている間には 私を感動させてくれはしないだろうと思います。

    私の人生も もうそんなに長く残っていないのだろうと思いますから 好きなジャンルのコンサートには 出来るだけ機会を作って出かけて行って 感動できるときに感動しておこうと思います。

     

  • 5月8日 本日は漫画家さくらももこさんとそのキャラクターちびまる子ちゃんのお誕生日なのだそうです

    さくらさんが生まれたのは1965年で 私よりも8歳若いようです。「ちびまる子ちゃん」と言う漫画は 今のお若い方もよくご存知なのでしょうか。初めてテレビアニメ化されたのが 私が岐阜大学に通っていたころですからもう三十年近くも昔の話だと思います。エンディングにかかる「踊るポンぽコリン」は 大ヒットしてたしかNHKの 紅白歌合戦でも歌われていたように記憶しています。

    「ちびまる子ちゃん」は恒久的な人気アニメーション「サザエさん」と同様に登場人物が一定の年齢 小学校の一定の学年でごく当たり前にストーリーが継続していきます。小学生の主人公まる子とそのお姉ちゃん 爺ちゃん婆ちゃんと 両親の確か六人家族のごくありふれた日常を描いたアニメだったと思います。私は さくらさんと生まれた年代が近いので 最初の頃の時代設定は 私の子供の頃と妙にリンクして 凄く懐かしくて 見ていて心が温かくなる とても楽しいアニメーションでした。

    最初の頃のストーリーは さくらさんの実体験に基づいていたのだそうですけれども 当然かもしれませんが そんなにいつもいつも面白いことが起こるわけはありませんから 少しずつフィクションが加わっていって 自然に時代背景や設定が変化していったのだそうです。最初の頃に登場したインスタントラーメンのコマーシャルソングなんか 凄く久し振りに耳にして とても懐かしく当時の記憶がよみがえりました。

    私の年代の人間には とても懐かしくて 凄く心が引かれる魅力的ストーリー展開でしたが 当時私と一緒に大学に通っていた級友たちは ざっと十年ほど世代が離れていましたから 当然私にとっては懐かしくても 彼らにとっては未知の出来事だと思います。日曜日の六時から 「サザエさん」の前に放送されるアニメ番組でしたから 当然小学生ぐらいの子供さんをメインのターゲットにしていたのだと思います。小学生のありがちな日常を切り取った 心のほのぼのとするようなストーリーでしたが どうしてあんなにヒットして 話題になったのか その当時から少し不思議に思っていました。

    「サザエさん」は私が子供の頃からずっと放送されています。もう長いこと実際の放送を見てはいませんが 相変わらず日曜日の夕方六時半から放送が続いているのだと思います。「サザエさん」もごくありふれた一家の繰り広げる何気ない出来事を題材としている アニメーションで 特に面白おかしくて笑える番組ではないし 真剣に見ていたら感動できるストーリーでもありません。ただ日本人の原風景みたいなものを ほのぼのと繰り返し放送しているのだと思います。TBSと言うテレビ局が消滅しない限りは ほぼ永久に放送が継続されていくのだと思います。

    ちなみに 日本のアニメーションの歴代視聴率第一位は「ちびまる子ちゃん」であり 第二位が「サザエさん」なのだそうです。ごく平凡なありふれた日常を描いたアニメが視聴率の一位と二位を占めているのは やはり日本人の求める幸せが 極平凡なありふれた生活にある と言う事かもしれません。

    「ちびまる子ちゃん」も「サザエさん」もどれだけ年月が過ぎても一切登場人物の年齢が変わらずにいることは やはり日本人が成長して子供から大人になってしまっても 何時までも平和な そしてあまり深刻な悩み事など抱えていないのであろう子供に帰りたい気持ちがあるから 放送されているとなんとなくだけれども ついつい見てしまう理由なのではないでしょうか。

    私ももうすぐ仕事を引退して 子供のようにその日一日何をして遊ぼうかとワクワクできる生活に 戻っていこうとしています。そのワクワクを少しでも長続きできるように くれぐれも健康には気を付けて 元気で長生きできるように心がけようと思っています。

  • 5月6日 本日は二十四節気の一つ 立夏なのだそうです

    季節的にはまだ梅雨も迎えていないはずですが 暦の上では夏になるのかもしれません。まあ気温的には最高気温が二十五度を越えると夏日、三十度を越えると真夏日なのだそうですから あながち気温的には夏と言ってもいいのかもしれません。私は服装が一年を通して二パターンしかない人間です。冬は下着のシャツかポロシャツの上にトレーナーを重ね着します。夏にはトレーナーを脱いでポロシャツ姿になります。そろそろトレーナーを脱いで 夏バージョンの服装に衣替えしようかとも考えています。

    地球の温暖化が叫ばれてから久しいような気がします。確かに夏の暑さは私が子供の頃に比べて 厳しさを増しているように感じます。子供の頃には 勿論クーラーなど影も形もありませんから 各家庭が扇風機でなんとかしのいでいました。午前中 特に朝方などは真夏と言えども そこそこ涼しかったように思います。

    私は昆虫が大好きで 一日中でも網を持って蝉取りに出かけたい子どもでした。所が私は目が悪かったので 蝉が鳴きだしてくれなければなかなか見つけるのに苦労しました。メスは鳴かないので 捕まえられるのは 雄ゼミが多かったです。蝉が鳴き始めるのが 大体昼の一時過ぎてからでした。ある程度気温が上がってからでないと 蝉が活発に活動をはじめないのだと思います。

    現在は 朝の六時には煩いぐらいに蝉が鳴いている場合があります。もうその時間に 相当な高温になっているのでしょう。熱帯夜が当たり前みたいになっていますから 一晩中クーラーをつけっぱなしのお宅も多いのかもしれません。クーラーの室外機からは 熱風が一晩中噴出していて 気温の下がるまもないのかもしれません。明るくなったらいきなり蝉が目いっぱい活動できるほどの気温に達しているのかもしれません。

    日本の気候は確か子供の時に温帯気候と習いましたが 熱帯夜が一月以上続くのが当たり前になっていますから 明らかに気候が変化しているようです。ただそう感じるのは春から秋にかけてです。冬の寒さは 子供の頃から何ら変化が無いように感じますから 本当に地球の温暖化が進んでいるのか 甚だ疑問に思ってしまいます。

    私は太っていますが冬の寒さが嫌いなので 仕事をリタイアしたら 南の島 恐らく石垣島への移住を計画しています。年がら年中寒さとは無縁の島でのんびりしたいのです。無論夏の凄い暑さは覚悟していますが 南の島の方々は 昼間の暑い盛りには 何もしないのが一番なのだそうです。仕事をリタイアしてからの生活ですから ひたすら涼しい風通しのいい場所で昼寝を貪りたいと思っています。

    何にしても暦の上では夏を迎えるのですから 私も衣替えの準備でもしておこうと思います。

  • 5月5日 子供の日のはずですが あまりピンときません

    私が子供の頃には 祝日には小さくとも一軒家のおうちの門の所には 日の丸が掲揚されていた場合が多かったように思います。最近では そのような景色は殆ど見かけません。子供の日の少し前から 庭のあるおうちの場合は鯉のぼりが勢いよく泳いでいました。団地でもベランダに可愛らしい鯉のぼりが翻っていたように記憶しています。しかし今日この頃では 鯉のぼりが元気よく泳いでいる姿もあまり見かけなくなってしまったように思います。

    子供の日といってもゴールデンウィークを形成する祝日の一日にしか過ぎなくなっているのかもしれません。子供の日だからと言って 特別の催し物などが 開催されているようなニュースも殆ど見かけませんし 子供の日にちなんだテレビ番組のプログラムも気が付きません。スーパーなどに買い物に出かけると やはり柏餅やチマキ等の子供の日独特の食べ物が売り出されているので 何となくこどもの日を意識するぐらいのものです。

    私には子供がいませんから 尚更こどもの日を意識できない 感じ取れないのかもしれませんが 子供さんを抱えた一般的なご家庭でも 子供の日だからと言って 何か特別な料理を作ったり兜や武者人形でも飾って 端午の節句の雰囲気を醸し出しているのでしょうか。あんまりそんな話も耳にしないように思いますが 実際のところ如何なのでしょう。

    今年のゴールデンウィークはお天気に恵まれたみたいで 行楽地はそれぞれに賑わっているみたいですが 熊本では相変わらず余震が続いているみたいでそれどころではないはずです。ボランティアに熊本まで出かけておられる方も少なくないのかもしれませんが 事故など起こらないことをお祈りいたします。被災された方に自治体が用意した仮設の住宅の数があまりに少ないようなので アベチャンが思い切って大盤振る舞いをすれば 選挙でもまたまた大勝間違いないはずなのに 機敏には動けていない様で残念です。私にできることは ささやかな金額を義援金として贈るぐらいのものですが 被災された方のお役に少しでもたっていれば幸いです。

    私も奥様も出身地の九州なので 大きな災害でダメージを受けていますから ゴールデンウィークだからと浮かれる気持ちにもなれず 少しでも早い復興を心からお祈りいたします。

  • 5月4日 本日はラムネの日なのだそうです

    ラムネとはガラス玉で栓をされている独特のガラス容器に入った 甘い炭酸水の事を言うのだと思います。サイダーも似たような飲み物ですが サイダーは普通の瓶に入っていて ビールと同様に王冠で栓をされていました。従って ラムネを飲むときには栓をしているガラス玉を ラムネの栓を開けるための専用の道具で瓶の中に押し込んで飲める状態にしました。サイダーは普通にせん抜きでビール瓶と同様に王冠を除去してから飲んでいました。

    昔はラムネとサイダーは微妙に味も異なっていたように思いますが 現在は単に容器の違いが名称の違いになっているのだそうです。ラムネを飲むのには ちょっとした注意が必要です。栓をしていらガラス玉が 再び液体の出口を塞がないように ガラス玉を置いておく凹みの様な部分に置かなければならないのです。うっかりすると ガラス玉がまた詰まってしまって中の液体が飲めなくなります。その時には指でも突っ込んでガラス玉を取り除かないといけません。私は子供の頃から 要領の悪いガキでしたから ラムネを飲むのに結構苦労した思い出があります。

    本日がラムネの日とされているのは 昔何処かの誰かが初めてラムネを作ったのだか 販売したのだかの日なのだそうですが 百年以上も昔の事で 正確にはよく分らなくなっているのだそうです。ラムネにしろサイダーにしろ 炭酸飲料ですから 飲むとすぐにげっぷをしますが 現在よりも昔の方が 子供だったからかもしれませんが 炭酸の濃度が高くて きついげっぷが出ていたように覚えています。

    夏の暑い日には 現在の様にクーラーなど普及していませんから 扇風機に当たりながら 飲んだラムネは非常に美味しかったです。所で ラムネの瓶に入っているガラス玉は ビー玉だと思っていましたが 調べてみると ラムネの栓をしていたガラス玉はエー玉と言って厳密にはビー玉とは異なる代物なのだそうです。どの様に異なるのか いろいろと説明されていましたが 今ひとつピンとはきませんでした。

    子供の頃には男の子ですから よくビー玉で近所の子供たちと遊んでいました。ビー玉の遊び方にもいろいろなルールがあるようです。子供の頃には団地に住んでいましたから 集団登校をするときに同じ班を構成する Bの30棟から32棟までの子供たちを中心として いつも遊んでいました。関西地方では大体似たようなルールであそばれていたみたいですが やはりいつも遊ぶメンバーによって 徐々にルール変更が行われてしまって 集団登校をする班ごとに 独自のローカルルールが確立されていたみたいです。

    一緒に遊ぶ仲間は 殆どが小学生ばかりで 卒業して中学生になると当然かもしれませんが 自然と疎遠になってしまいました。私も小学校の低学年の頃には 高学年の子供と遊んでもらっていましたが 当然年上の子供には 敵いませんでした。ビー玉などの技術も年上の子の方が上でしたから 悔しいけれども大抵は巻き上げられていました。自分の学年が上がってくると 当然経験を積み技術も磨きますから 年下の子からビー玉を巻き上げていました。低学年の時には 高学年の子にビー玉やメンコを持って行かれていましたが 自分が高学年になると やはり年下の子から回収して 何となく収支があっていたような気がしていました。

    六年生になると 同じ班の子供に対しては勝つのが当たり前になっていましたから たまに他の班の地域へ遠征して他流試合を申し込んだことがあります。しかし当然他の班にはそこの独自のローカルルールが確立されています。他流試合を申し込んだ以上は 当然そのローカルルールに従わねばなりませんが そのルールに適した技術を身に着けていませんから 当然惨めな敗北を味わいました。泣きたくなるぐらいに悔しかったけれども 泣き出すわけにもいかず すごすごと自宅に向かいました。学校では一緒に遊んでいるクラスメートもいましたから 悔しさもひとしおでした。

    あまりに悔しかったので そちらのローカルルールに対抗できるように密かに練習して技術を磨いて ひと月後位に再挑戦したら 何とか互角に渡り合えましたから 本当は叩きのめしてやりたかったのですが まあ友人と遊ぶ場が増えたことに満足しました。

    ビー玉と言うのは一般的に通用する名称かもしれませんが 私たちは子供の頃にはビーダンと呼んでいました。メンコも一般的な名称かもしれませんが 私たちはべったんと呼んでいました。同じ団地に住んでいても やはり貧富の差が各家庭にあったみたいで お金持ちの子は ビーダンでもべったんでも 珍しい種類のものを所有していました。ビーダンでも白いミルクダンや 大粒のオオダンを持っていました。私たち貧乏人の子は なかなかそんな珍しいビーダンは買ってもらえません。でもそんな珍しいビーダンは 凄く欲しくなりましたから そんな子に勝負を挑んでは 巻き上げていました。お金持ちの子はいくらでも買ってもらえるからでしょうが 勝負にあまり執着しないので 貧乏人の子は必死になって勝ち取りました。子供なりに 貧富の差はなんとなく縮まっていたかのように思っていました。

    そんな子はべったんでも大阪市内でないと売っていないような 珍しい漫画のキャラクターのものを沢山持っていましたから ビーダンと同様にいただいていましたが ある時に親に見つかってしまい こっぴどく叱られて 泣く泣くその子の家に返しにいかされました。子供なりに 貧富の差を無くしていいことをしたような気分でしたから とっても残念でした。でもその子とは中学生になってからも 結構仲良くしてもらいましたから 返しに行ってよかったのかもしれません。

    ラムネの日からかなり話がそれてしまいましたが サイダーもラムネも透明な飲み物であるのに対して コーラを初めて目にして 飲んでみた時の驚きはかなりのものでした。色からコールタールをイメージしてしまいましたし 当初はコーラをたくさん飲むと骨が解けてしまうなんて言うデマも流れていました。今ではゼロカロリーコーラをしょっちゅう飲んでいますが 幸い骨は解けていないようです。でもひょっとしたら自覚していないだけで骨祖鬆症にでもなっているのかもしれません。年を取ってきましたから あまり炭酸系の飲み物は控えたほうが長生きできるのかもしれませんから 今後気を付けようと思っています。

  • 5月3日 お昼に弁当を持って 近所の展望台に出かけました

    本日は昼から 手術や往診、トリミングの予定がなかったので 午前中に暇を見付けては二階に上がって 弁当を作り 近所の公園の展望台に出かけました。私は 見てくれが非常に悪いので 女性に全然モテませんでしたから 必然的に料理を作ってくれる相手もいませんでした。けれども若い頃から 現在もそうですが 食いしん坊ですので せっせと料理作りに励みましたので 料理はほぼ全般的に得意です。

    勿論 オシャレなイタリア料理などは あまり食べたことがありませんから 作れませんが 和食や中華料理は 割と上手に作れるように思います。面倒な下ごしらえや 長時間煮込んだりするのは あまり好みではなくて 出来るだけ短時間で 簡単にできる料理の方が自信があります。本日はたまたま冷やご飯があったので 炒飯を作りました。

    彩を考えて野菜を火が通り易いように細かく刻みました。私は子供みたいですが玉子が大好きなので 少し多い目の卵をたっぷりの油でフワフワに炒めて野菜とラーメンのスープを加えて更に炒めました。玉子が硬くならないうちに冷やご飯を加えて 出来るだけご飯がパラパラになるようにほぐしながら炒めました。塩コショウで味を調えてから 醤油を少し焦がしながら加えて 香ばしさを加味しました。つまらない中華料理屋よりも美味しく出来上がったと思います。

    栄養のバランスを考えて もう一品サラダを作りました。サニーレタスがありましたので 手でちぎって キュウリのスライスや晒し玉ねぎを加えて ツナ缶と 彩で粒コーンとポールウィンナーをそぎ切りにしたものを加えました。炒飯が油で炒めてありますから ドレッシングは和風のポン酢味にしました。結構暑そうだったので 水筒に冷やした麦茶とたっぷりの氷を入れたものを用意しました。

    十二時を過ぎて病院を閉めてから お弁当を持って意気揚々と出かけました。普段から 暇な時には ちょくちょくその展望台にはやって来ていました。少し小高い所にあって 京都は比叡山から 梅田の高層ビル街 果ては恐らくアベノハルカスであろうと思われるシルエットまで見えます。十二時半ごろにその場所につきましたが 生憎と親子連れが座っていました。どうしたものかと考えていると その親子連れが食事を終えて帰り支度をしている様子です。二三分も待つと立ち去ってくれましたから いつもの場所に陣取りました。

    コンクリート製のいすとテーブルがあるのですが 日差しが結構強くてテーブルはかなり温まっていました。日を遮るものが全くありませんから 致し方がありませんが 奥様は日焼け止めクリームをたっぷりと縫って 麦わら帽子をかぶって日焼け対策をしておられましたが 私は全く気にしていません。

    直ぐにお弁当を広げて食べ始めました。太陽の下で食べれば 何でもおいしく感じるのでしょうが 本日の炒飯の出来はなかなかのものだと 奥様からもお褒めの言葉を頂きました。サラダも美味しく頂いてから デザートに持って行ったリンゴを食べながら くだらない世間話をしていました。しばらくしたら バイクが進入禁止のエリアにバイクで乗り入れた兄ちゃんに声をかけられました。

    「ここら辺はバーベキューしてもいいのですが」と言う質問でした。普通の公園ではバーベキューなどは禁止されている場合が多いので そのように答えると残念そうに引き返したみたいでした。結構日差しがきついので 私たちも車に戻り病院へ引き返そうとしました。所が車に戻る時に見かけたのですが さっきの兄ちゃんの仲間たちみたいな連中が たむろしていて 荷台にはバーベキューのコンロや食材が用意されているみたいでした。

    多分 私たちが帰った後で 知らん顔をしてその辺でバーベキューを決行するつもりなのでしょう。注意しようかとも思いましたが 結構怖そうな兄ちゃんも混じっていましたから そのまま気づかぬふりをして帰りました。最近の若い連中にモラルを求めること自体が間違っているのかもしれませんが せっかく楽しい気分になりたくて出かけてきたのに 何となく嫌な気分でした。

    この辺りでは 山田池公園にバーベキューが出来るスペースがありますが それほど広くありませんから 朝早くから場所取り合戦になっているみたいです。一日の日曜日に 山田池公園のバーベキュー場の近所を朝の八時ごろに通りかかりましたが 既にほとんどのスペースが埋まっていました。こんな時期に公園でバーベキューをするのなら それ相応の下準備が必要なのです。そこがそれほど混み合うのは それ以外の場所が禁止されているからだと思いますが そんなこと若い連中に説明しても 恐らく理解してもらえないでしょう。

    最近の若い連中は ホームセンターなどでバーベキューコンロを買い求めて バーベキューを楽しんだ後 そのコンロを放置して帰る輩が多いのだそうです。バーベキューコンロ自体は それほど高価なものではありませんから 一度楽しんだら使い捨て感覚なのでしょう。そんなコンロをその場に放置したら その後にその場所を利用する人が非常に迷惑をこうむりますが そんなことはお構いなしなのでしょう。バーベキューは普通炭火で調理しますが 使用後の炭の後始末が結構面倒なのです。バーベキュー場の場合は炭を捨てる場所まで用意されているはずですが 普通の公園にはそのような用意がされていないから 恐らくバーベキューを禁止されているのだと思います。

    私たちが帰ったとで 恐らくその若者たちはバーベキューを知らない顔をしてやったとは思いますが せめて後始末位はきちんとしてから帰ってほしいものです。

  • 5月2日 1956年の本日 秋元 康さんが生まれました

    私よりも一歳年上になりますが これまでに成し遂げてきたことには 大分差があるようです。まあ持って生まれた才能に天と地ほどにも差があるようなので 比べて嘆いてみても始まらないのかもしれません。秋元さんの存在を初めて知ったのは「夕焼けニャンニャン」と言う番組で企画を担当していたころです。ちょうどその時期は 私が岐阜大学に通っていた時期であり 当時はテレビを持っていませんでしたから 友人の下宿でたまにその番組を見せてもらうぐらいの事でした。いかにも東京色の強い番組でしたから あまり興味はありませんでした。出演者の女の子を嫁さんにもらったりしていましたから あまり信用できない人物だと思っていました。

    その後は あまりその存在を意識したことはありませんでした。AKBが話題になった時も当初は全く興味がなかったのが 一日だけ検査入院をしたときに たまたま読んだ週刊誌で AKBのメンバーの板野友美が非常に気に入ってしまい それ以来AKB関連の情報を集め ユーチューブなどで出演している番組をチェックするようになりました。

    直ぐに板野友美は 私好みの性格ではないことが分り タカミナのファンになりました。ところが そのタカミナがとんでもないおバカであることが分り 横山由依ちゃんのファンになりました。その後も由依ちゃんは応援していますが AKBの公式ライバルである乃木坂に興味が移ってしまいました。現在は カズミン ナーちゃん マイマイ押しです。

    その後結成された欅坂46にも 非常に興味がわいてしまって 正直な所乃木坂よりもその動向が気になっています。まんまと秋元さんの作戦にはめられて せっせとCDなどを購入していますし カラオケに出かけても 乃木坂や欅坂の歌を沢山歌って 秋元さんの稼ぎに協力してしまっています。別に世の中への影響力や 稼ぎ高で 秋元さんに比べて 凄く劣っているからと言って 私の人生が 劣っているとは考えたくありませんが 秋元さんの仕事は 世の中の人たちに多くの喜びを与えておられるようで 素晴らしいと思います。

    それから奥さんが結婚するまでは芸能活動をしていて結構人気もあったのに 結婚してからは一切表舞台に出てきていませんから きっと大切になさっているのだと思いますので その点でも立派だと思います。世の中には 優れた才能に恵まれた立派な人生を歩んでおられる方が少なくありませんが 秋元さんも私よりもたった一つ年上なだけですが これまでの仕事の実績も 今後残されるであろう足跡でも 私は全然及ばないだろうと思います。でも私は私で 一生懸命に生きていますから 自分にできる事 目の前にある取り組むべき仕事に 懸命に頑張っていこうと考えます。