Dr.喜作のブログ

2016年7月 の記事一覧

  • 7月20日 昨日歯医者さんに出かけた報告をします

    予約の時間の少し前に歯医者さんに到着しました。有難いことに歩いて3分ほどの至近距離にありますので らくちんです。診察券と保険証を受け付けに出しました。久しぶりだったので アンケート用紙のような紙に記入を求められました。丁寧に記入して提出すると 直ぐに名前が呼ばれて いよいよ診察台に座りました。まずは歯科衛生士さんらしい可愛らしい女の子が対応してくれて 来院した事情を説明しました。一月以上も前から 右下の奥歯で物をかむと鈍い痛みが走りました。取り敢えずはその歯で噛まないように心がけていれば 日常生活には問題がありませんでした。

    確かに虫歯であることは認知していましたが その歯で噛まない限りは殆ど痛みがないので ついつい放置しておきました。所が二日ほど前から その歯の周囲の歯茎が腫れ上がってしまいました。そして咀嚼していなくても その歯を含めた口内の右下の部分に 鈍い痛みと違和感を感じだしました。もう限界だと察知して来院したことを衛生士さんに告げました。歯の状況を確認するために 先ずはレントゲンを撮ってもらいました。

    先生が診察台に来られて レントゲンと歯の現状を確認されました。「ああでっかい穴が開いてしまっているね」と言う事で 取り敢えずは麻酔の注射をうたれました。しばらくすると その歯の周囲と唇が痺れてくるのが感じられました。麻酔が十分に効いてきたときに 再び先生が来られて 「神経を殺すしか方法がないね」と予想通りの診断を下されました。

    覚悟はしていましたが そんな状況になるまでほったらかしにしていたのは全て自分の責任ですから 致し方がありません。取り敢えずは神経を殺す薬が投与されました。しばらくしたら 幹部の歯を刺激されても痛みを感じなくなりました。その後かぶせ物をするために歯を削って整形されて 取り敢えずは患部を覆うかぶせ物がされて 治療は終わりました。

    痛みを感じたのは最初に麻酔の注射をされた時だけで 殆ど辛い思いも 怖い思いもしませんでした。なのにチキンな私はやっぱり歯医者さんが怖いのです。次回は一週間後に来院するように言われて 帰途につきました。出入り口で隣の電気屋さんの兄ちゃんとすれ違いました。「私は虫歯の治療に来たんだけれどもどうしたの]と尋ねると 「前歯が差し歯なんだけれども調子が悪いので診てもらいにきました」と答えました。やはり歯医者さんで治療を受ける前ですから 彼も恐怖におののいているように見えました。

    治療が終わって病院に戻ると 奥様が笑顔で迎えてくれました。出かける前には 今日が私の命日になるかもしれないと覚悟して 奥様に遺言まで残しましたが 無駄な心配ごとに終わったようです。奥様は私と違って 度胸が据わっていて 世の中に怖いものと言えば ゴキブリぐらいのものです。ゴキブリが病院内で発見された時だけは 可愛らしく甘えてきて ゴキブリの処分を依頼されます。無事にほうきと塵取りでゴキブリ退治が終わった時だけ 奥様は私を褒めてくださいます。

    そんな奥様も人間ですから数年に一度は やっぱり歯医者さんのお世話になることがあるみたいですが 何時も平然として出かけて行って いつもと変わらぬ様子で帰ってきます。一度でいいから それ位肝っ玉の据わった人間になってみたいものですが まあむりでしょう。

    まあこんな感じで昨日の歯医者さん訪問記は終了いたします。

  • 7月19日 またまた虫歯が出来たので 歯医者さんに行きます

    私は見た目がずぼらそうですが 正直な生き方がモットーなので 見たまんまにずぼらです。ですから毎朝歯をきちんと磨きません。歯磨きをサボっていると 必ず虫歯になって自分自身が痛い目 辛い目 怖い目に合わざるを得ないことは これまでにも同様の失敗を繰り返してきていますから 身に染みて分り切っているはずです。なのに天性のずぼらな性分なのでしょうけれども 今回もまた歯磨きをサボっていた結果虫歯が出来てしまいました。

    虫歯にも程度があります。初期段階で 歯の表面が腐食されただけの段階であれば いたんだ表面を削って修復して 薬を詰めてかぶせ物をするような治療になるはずです。所が この図体のでっかい腰抜け野郎は 極度の臆病者ですから 直ぐに歯医者さんに出かけて治療を受ける勇気がありません。人間には体に負ったダメージを自分自身で回復していく力を持っています。勿論病気やケガのダメージが大きい時には 自身の回復力では直らないので お医者さんの助けを借りる場合も多いようです。

    例えば風邪をひいて高熱を出してウンウン唸っていても 大人しく寝ていれば 直ってしまう事があります。ひどい下痢に悩まされていても 食物に気を使って安静にしていれば 回復してしまう事もザラにあります。極端な話 例え骨折していても 安静にして患部を動かさないようにしていれば 骨はくっついてしまう事さえあります。勿論奇麗に元通りにはくっつきませんから キチンとお医者さんで治療を受けるべきだとは思います。

    所が 残念ながら生きていくうえで大切な歯には 自己回復力が殆どないようです。一旦虫歯になってしまったら ほっておいてもいつの間にか治癒してしまう事はありえないようです。ですから 虫歯になったことを自覚したら 一刻も早く歯医者さんを訪れて 治療を受けるべきであることは 分り切っているはずなのに 結局は少々の痛みなら我慢してしまうのです。何故なら歯医者さんが怖いから。

    ほったらかしにしておいて 虫歯の状態が更に進行してしまったら もっと恐ろしい目に合う事はこれまでに何度も何度も経験しているはずなのに 結局今回も痛みに耐えかねて 歯医者さんに自分で電話して予約を取る事等恐ろしくて とてもできませんので 奥様に虫歯が悪化してしまったことを申告して 予約を取ってもらいました。恐らく今回も 虫歯の状態としては歯の腐食が神経にまで到達しているのでしょうから 歯を抜いてしまうか 神経を殺してしまって 虫歯の表面を相当に削って土台を作りその上から歯の腐食を遅らせる薬を充填したかぶせ物をされるのだと覚悟しています。

    歯は一本一本が神経を備えた生き物のようなものだと思います。歯の神経を殺してしまう事は 文字通りその歯の命を奪ってしまう事ですから 治療後は一応歯茎に根を張った一人前の歯のような見栄えには戻してもらえますが 実態は歯の死骸になってしまうのです。勿論神経をなくしていますから その後また腐食されても痛みは感じませんが 腐食されたことに気づけなくなっていますから いずれは朽ち果ててしまうのだとおもいます。

    私も来年には還暦を迎えますが 無事に生き残っている歯の数はあんまり多くないように思います。成人の永久歯は正常であれば28本なのだそうですが 私は数年前に顎の骨にできた嚢胞を摘出する手術のために 左側の奥歯を三本も失ってしまいました。今回は右側の奥歯ですが また一本歯が命を失ってしまいそうです。本当は歯が抜けた部分には部分入れ歯を入れなければならないはずです。特に下側の歯を失っていますから それに相対する上の歯が噛みあわせる歯が存在しないので 徐々に浮き上がってしまい いずれは抜けてしまうような事になってしまうであろうからです。

    所がその部分入れ歯 と言うのが相当に違和感がありそうで テレビのコマーシャルでも 部分入れ歯を洗浄する薬などをみると 凄く自分が年寄りになってしまったみたいで あえて避けて通ってきました。恐らく今回の歯の治療と同時に 部分入れ歯の装着を薦められるでしょうから 受け入れざるを得ないのだと思います。来年には正真正銘の老人ですから なるべく生きている歯をたくさん残して 長生きできるように 今度こそ歯をきちんと磨いて虫歯とは縁を切りたいと思います。

    それでは決死の覚悟をもって 歯医者さんに出かけてきます。こんなブログを読んで頂いている有難い皆さん 無事に帰宅できることをお祈りください。

  • 7月18日 本日は「海の日」なのだそうです

    1996年から始まっている国民の祝日なのだそうですが 当初は7月20日に決まっていたらしいです。何時ごろからか ハッピーマンデー制度によって 7月の第三月曜日にシフトチェンジしたのだそうです。ちょうど子供たちの夏休みが始まるかどうかと言う微妙な時期なので 子供にとってもありがたいのだかどうだかはっきりとしない祝日なのかもしれません。

    私が病院を開業してから後に始まりましたから 私には殆ど関わりないようですが 大人は一応三連休になるので旅行される方が結構いらっしゃるみたいで ペットホテルで病院がにぎわってくれているのは 有難いことです。一応祝日に定めた趣旨としては 海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う と言うような意味合いが込められているのだそうです。

    自分に殆ど関わり合いのない祝日ですから 全然印象に残っていなくて 始まって今年が二十年目と言われても全然ピンときません。祝日が一番ありがたかったのは やはりサラリーマン時代かもしれません。塩野義製薬 と言うちゃんとした一流企業に 運よく就職できました。但し 後から考えると 製薬業界の営業の仕事 と言うのは 他の業種の営業職と比べても かなり肉体的にも精神的にもハードでしたから 入社出来たことが良かったのか ひょっとしたら良くなかったのかもしれないと後になって考えたこともありました。

    塩野義製薬と言えば 日本人なら恐らく誰でも名前ぐらいはご存知の 有名でありかつ 規模の大きな そして立派な業績をあげている素晴らしい会社だと思います。お給料や待遇も十分すぎるほどだったと思います。基本給は当時としては平凡な金額だったように思いますが その他に月に十万円弱の食卓料と言う名目の 営業手当がつきました。勤務地が金澤と富山だったので いずれも2LDKの 一人暮らしとしては広すぎるぐらいの住居を用意してもらいました。車もカローラでしたが 殆ど新車で ガソリンもカードを貰っていましたから 自由に給油できました。

    私は大学病院担当の部署に配属されましたから 食事ももっぱら大学の生協の食堂で取っていましたから 非常に安上がりで済みました。基本的にお酒を飲まないのは今も変わりませんが ギャンブルなどのお金のかかる遊びも殆どしていませんでしたから 働き出して一年間で 貯金額が200万円以上になりました。仕事の内容は 朝からずっと大学病院に入って 医者相手に塩野義の薬の営業活動です。

    営業活動と言えば 聞こえがいいのですが 実情は 医者の召使いのような立場 と言えば分かり易いと思います。学会に出かける医者と接触したら 先ずはホテルの手配や飛行機のチケットの用意から仕事が始まります。学会で発表する医者であるのなら 発表する内容のタイプ打ちの手配やスライドづくりのお手伝い 参考文献のコピーなどが主な仕事になります。その為にタイプやさんや現像所、図書館などをかけずり回ります。

    何しろ医者と言うのは 自分の直属の先輩以外にはほとんど頭を下げた事の無い人たちですから 勿論人格者で 薬屋の営業を人間として扱ってくださる素晴らしい先生もほんのわずかはいらっしゃいましたが 殆どの医者からは虫けらのように扱われていたような気がします。塩野義クラスの製薬会社ですと それこそ京大を始めとして一流大学を卒業された 相当に頭の切れる 勿論口もたつ優秀な先輩方が 私の周囲にもゴロゴロおられました。

    そんな優秀な先輩たちが 一言の文句も言わずに身を粉にして 懸命に働いておられました。私は立命館と言う二流の大学を卒業して、それほど勤勉でも優秀でもありませんでしたから 凄く仕事にストレスを感じてしまいました。完全週休二日制でしたし 祝日も勿論お休みでしたから 年間百日以上もお休みがありました。それでも祝日がある一週間は 非常にありがたかったし 楽が出来て有難かったです。

    そのように会社から凄く優遇されていましたから 逆に会社に求められるものも相当に厳しいものでした。入社して一年目は 分けも分からないままに過ごしましたが 二年目には壁にぶつかり 凄く悩みながら過ごしました。三年目には とてもこの仕事をずっと続けていく自信が無くなってしまい とうとう会社を辞めることを決意しました。仕事に対する意欲をなくしてしまいましたから 辞めざるを得ませんでしたが 会社にしがみついていたとしても 恐らく結果の出せない社員ですから 解雇されていたろうと思います。

    それから一念発起してもう一度大学にそれも六年間も通って 現在の仕事を始めました。病院を開業してからは 祝日は水曜日に重ならない限りは仕事をしていますから 殆ど影響がないし 興味もなくなってしまいました。特にハッピーマンデー制度が適用されてからは その祝日の独特の意味合いも薄れてしまったみたいに感じて 尚更関心が無くなってしまいました。祝日の本来の意味合いをきちんと考えるためにも ハッピーマンデー制度は廃止すべきではないかと思います。

  • 7月17日 本日は祇園祭先祭りの山鉾巡行の日です

    何時の間にか 祇園祭が先祭りと後祭りにきちんと分けて行われるようになってもう三年目なのだそうです。京都は割と近くて 車ならした道を走っても一時間足らずで着きますから ちょくちょく遊びに出かけています。立命館大学に通った四年間はほとんど毎日電車とバスで通学していました。当時はまだ京都市内を路面電車が走っていたように記憶しています。勿論地下鉄なんて 影も形も存在していませんでした。兎に角 ある意味で日本最大の観光地に 結構馴染や思い出がありますから 凄く身近に感じています。

    祇園祭と言えば 京都三大祭りの一つですし 日本三大祭りの一つにもあげられるくらいに 有名であり由緒正しいお祭りだと思います。そもそもの始まりは平安時代869年のことです。京の町では疫病が流行して 大勢の死者が出る悲惨な状況だったそうです。疫病が流行したのは、御霊(みたま)の怒りに触れたからであるという御霊信仰が当時はありました。御霊の怒りを鎮めるために、当時の国の数にちなんだ66本の鉾を立て祇園の神を祀り 洛中の男児が祇園社(現:八坂神社)の神輿(みこし)を神泉苑に奉納し疫病退散の為に御霊会を行ったのだそうです。この行事が 現在の祇園祭に受け継がれているのだそうです。

    一般的には 祇園祭と言うのは 京都市内の結構通行量の多い道路に山鉾を組み立てて陳列して 宵山辺りに 間近で山鉾を見物して 巡航の日に市内を引き回される山鉾を並んで眺めるものと思われていますが 勿論宵山から巡行が祭りのメインイベントであることはまちないありませんけれども 現実のお祭りはほぼ七月全日にわたって 色んな手順を踏んで遂行されているようです。

    私は近所に住んでいながら 人ごみが苦手なので 宵山見物には 大学時代に当時付き合っていた女の子に誘われて一度きりしか出かけていません。巡行も大学のサークルの用事で 夏休み中にたまたま大学に出かけた時に 通りかかって通学の途中で ほんのついでに見学した事しかありません。根本的に人が沢山集まる場所は苦手なので しょうがないと思っています。

    葵祭りや時代祭は 場所によっては人の集まり方があんまりないところを先輩に教えてもらって のんびりと見学したことはあります。大学時代の友人は アルバイトで時代祭の扮装をして行列に参加していた奴もいましたが そんなに積極的にお祭りに参加したくなかったので 誘われましたが 遠慮しておきました。とにかく人が集まる場所は苦手なので 混み合いそうな時期にはなるべく京都には近づかないようにしています。うっかり近づいて 渋滞に巻き込まれて えらい目にあったことがありますから。

    わざわざこのお祭りを見物するために日本各地から すごく暑い盛りに ひときわ蒸し暑い京都にわざわざお越しいただいて ご苦労様でした と言う気持ちしかありません。今年もまた 無事にお祭りが終われたら それが一番大切であり そして有難いことだと思いますから つまらない事故などない事を心よりお祈りいたします。

  • 7月16日 私は夏バテと無縁みたいです

    梅雨が明けて いよいよ夏本番となりましたので 暑さが本格化してきました。私はとても太っていますから 凄く汗かきですが いわゆる夏バテとは全く無縁みたいです。よく耳にするのが 夏バテで体調を崩される方が少なくないような話です。私はありがたい話なのかもしれませんが 六十年近いこれまでの人生で 夏バテになったしまった記憶が一切ありません。

    ここ数十年ずっと太った体型ですから 出来たら食欲不振にでもなってくれたら 正直嬉しいのですが どんなに暑い時期に暑い中で仕事をしても 食欲が衰えてくれたことは一度もありません。私はいい年をして恥ずかしいのですが 病院をPRするチラシをこの炎天下に 自分で歩いて自分で手配りしています。勿論病院の宣伝の為もありますが 少しでも運動不足を解消するため と言う意味合いも少なからずあります。

    勿論炎天下に帽子もかぶらずに ひたすらテクテクと歩いてポスティングをして回りますから その前後には水筒にタップリと氷とともに麦茶を用意しておいて 歩き回る前後には十分すぎるほどに水分補給をします。あまりに汗をかくので 車の座席やシートベルトが汗臭くなってしまい いつも奥様に文句を言われています。昼間手術も往診もなくて カラオケなどに遊びに行く予定もない時に 二三時間配り歩いたら エアコンのよく聞いた車で病院に戻り 殆ど水ぶろ状態のお風呂に飛び込みます。

    冷たいお風呂に15分位も浸かれば 直ぐに生き返ってしまい 散々歩き回った後なので 直ぐに健康的な空腹感がやってきてくれるのです。頑丈な体に産んでくれた両親に感謝すべきことなのかもしれませんが 相当に暑さによるストレスをこの身に与えてみても 直ぐに回復してしまうのです。昨今は 熱中症にはくれぐれも気を付けましょう 等と盛んに言われていますが 本当に熱中症になってしまう人が信じられません。

    私が子供の頃には 夏休みなんか 捕虫網と虫かごを抱えて 炎天下に何時間も歩き回る事なんか 日常茶飯事でした。勿論水筒なんて気の利いたものは用意して出かけていませんから 水分補給は自宅に辿り着いてからしかしていませんでした。当時も日射病には気を付けて 帽子を必ずかぶりましょう、などと言われていましたが あまり帽子もかぶっていなかったように思います。そんな外出を繰り返していても 全くしんどくはなりませんでした。

    中学生になってからは 運動部に入部しましたから 最初はテニス部 転校してからはバレー部で活動していました。テニスは勿論炎天下に練習していましたし バレー部も弱小だったので 体育館は殆ど使わせてもらえず もっぱら炎天下で特に夏休みなどは 数時間練習を繰り返していました。当時はそれが当たり前でしたが 練習中は一滴の水を飲むことも許されませんでした。そんな暑さの中で結構過酷な練習をしていましたが 熱中症にかかるようなひ弱な奴は 一人もいませんでした。当時は光化学スモッグなんていうものがありましたから その注意報には気を付けていましたが。

    若い頃に 炎天下で動き回ることを繰り返していましたから 熱中症とは全く無縁の 夏バテ知らずの人間になってしまったのかもしれません。若い頃には勿論各家庭にクーラーなんて言う代物は 皆無でしたから 尚更暑さに対する免疫が出来上がってしまったのかもしれません。最近やたらと熱中症で病院に運び込まれる方が続出していますが 私に言わせれば 一種の贅沢病に過ぎないように思います。

    子供の頃に 炎天下で活動を繰り返していれば 確かに私が子供の頃よりも夏の平均気温が上昇しているのは間違いありませんが 現在の暑さにも 少なくとも私は全然へこたれていませんから 全く平気な体質が培われるのではないでしょうか。現在の若い人は生まれた時からクーラーのある涼しい環境で育ち 小学校ですら各教室にクーラーが常備されていますから 厳しい暑さをほとんど経験していないために 暑さに対する免疫が殆ど出来上がっていないために ちょっとした暑さとの接触によって熱中症なんていう御大層な病気になってしまうのだと思います。

    日本人も数十年前 私が子供の頃に立ち返って 子供の頃にしっかり暑さと向き合っておけば 現在の様にちょっとした暑さで病院に搬送されるような情けない状態から 立ち直れるのではないでしょうか。私は現在も病院内は致し方がありませんが 二階でプライベートな時間を過ごす際には 極力クーラーのスイッチを入れないように心掛けて 扇風機を活用して過ごしています。まあ私のリビングは何しろ30畳以上もありますから 一旦クーラーのスイッチを入れても 涼しさを感じるまでにはかなり時間がかかりますし 電気代も馬鹿になりませんから 辛抱しているのもありますけれど。

    何度も書くと 夏バテでお悩みの方の神経を逆なでするのかもしれませんが 一度夏バテになって 食欲不振を経験してみたい気持ちが強い私であります。

  • 7月15日 天皇陛下の生前退位について思う事

    私は恥ずかしながら 不勉強なので 天皇陛下が生前退位を望まれたことが こんなに世間を大騒ぎさせることになるとは思っておりませんでした。突き詰めた表現をすると 天皇陛下も一人の人間なのです。しかし 我々庶民でさえ当然認められている人権が 陛下には殆ど認められていないように思います。我々庶民は 勿論庶民に生まれてしまったことを喜ぶつもりはありませんが 色んな意味で自由が認められています。

    例えば職業選択の自由が私たちにはあります。勿論貧乏人ですから いきなりすごいお金持ちにはなれないかもしれませんが その方面の才覚があって 頑張ればたくさんお金を稼いでお金持ちにもなれる可能性があります。私は一度普通のサラリーマンになりましたが 一念発起してかなり頑張った結果 なんとか獣医師になれました。こんな人生が良かったのか悪かったのかは死ぬ時に 己の人生を振り返ってみて 納得が出来るのか出来ないのかで決まるのだと思いますが 一応はそこそこ頑張っているつもりなので 何とか納得して最後の瞬間を迎えたいと思っています。

    所が天皇陛下は 天皇家の長男として生まれてしまったら 職業を選ぶ自由からして全く存在しないのです。現在の制度のままだと 父親である天皇陛下がお亡くなりになられると同時に 何の選択の余地もなく ほぼ強制的に 天皇陛下にならざるを得ないのです。そして自分が死ぬまで天皇陛下としての仕事を全うしなければならないのです。現行の制度では 生きている間は退位してのんびりした老後を過ごす事すら許されていらっしゃらないのです。

    皇族の方々も あえて表現すれば 普通の人間なのですから ごく当たり前にやってみたい仕事や趣味、遊びの類もあるはずです。我々庶民なら 勿論制約はありますし 費用の面などで制限されることもあるのでしょうが ある程度やりたいことをやりたい様にできる自由があります。例えば 男なら特に若いうちは 当然風俗のお世話になってみたい欲望があるものですが 皇族の方々ともなれば 恐らくはその方面の遊びは許されないでしょう。

    天皇陛下を中心にどの範囲の方にどの程度の 警護や制限が働いているのか さっぱり見当がつきません。勿論皇族の方の警護であるのなら 失敗は許されないのでしょうから 警護する方々も凄く大変かもしれませんが 警護されている方たちにも 相当なストレスが働いているのではないでしょうか。私はこれまでも 勿論これからも警護される身分になることはありえませんから 気楽なものですが。

    詳しいことは存じ上げませんが 歴史の乏しい知識によると 天皇が生前に退位されて 上皇になられていた時代は結構長くあったように思います。いつの時代から どのような理由で 天皇陛下の生前退位が認められなくなってしまったのか 全然予想もつきません。確かに昔には 上皇となられた方が 今上天皇に対して 強い影響力を持ってしまって いろいろと良からぬことが起こってしまったという事実はあるみたいです。

    しかし普通の人間には 仕事を引退してのんびりとした老後を過ごす自由があります。私もあと少ししたら のんびりと優雅な老後を過ごすことを楽しみにして 最期のひと踏ん張りをしている所です。天皇陛下は勿論天皇陛下になられてからまだ三十年足らずですが 皇太子であられた時代から 天皇に準ずるお仕事を それこそ物心ついたころから遂行されておられるのです。

    天皇陛下としてのご公務が 私たちの想像するよりもはるかに激務であられるのは 間違いの無い事でしょうし その激務の疲労が蓄積されて その寿命を縮めてしまわれる心配があるのなら 早目に引退されてのんびりしていただいて 少しでも長生きしてくださることを望まない国民はほとんどいないと思います。天皇陛下は祭りごとには関わられるが 政治的な発言や行動は一切認められておられないのだそうです。従って生前退位を認める法改正についての発言も 政治的な発言とみなされるために 許されないのだそうです。すべての日本国民と象徴として 働かれている天皇陛下が 健康上の理由でそのお仕事を十分に果たすことが難しくなってきたから 生前退位を望まれるのであるのなら 国民は拍手を持って受け入れる気持ちのはずです。

    なんとか天皇陛下のひょっとしたら生まれて初めてかもしれない 個人的なご希望を述べられたのかもしれませんから そのお気持ちを大切にするような成り行きを心から期待しております。

  • 7月14日 飼い主さんから お中元代わりにブランデーを頂きました

    私は相当な肥満体なので お酒を相当量飲むように誤解されがちです。暑い夏の時期には それこそビールを底なしの様に飲むのではないかと勘違いされているのかもしれません。正直な所暑い季節に喉が渇いていると コップ一杯のビールは爽やかで飲みやすいと感じないでもありません。しかし二杯目からは単に苦くて腹の膨れる 美味しいとは思えないのにかなり高カロリーの 有難くない飲み物にとしてしか考えられません。やはり私にとっては 夏喉が渇いた時には冷たく冷えた麦茶が最高です。どんなに沢山飲んでもカロリーの心配がいらないのもありがたい事です。

    まあ私はそんな外見をしているので 時々いただくお中元でも ビール券や ウイスキー、ブランデーの類を頂戴する事がちょくちょくあります。お菓子や果物の類でしたら 奥様が喜ばれますから そのまま持って帰っていただきますが 奥様もアルコールの類は殆ど嗜まれないので 実家の父親の所へそのまま持っていくことが多いです。今回頂いたブランデーも実家に持ち込むことになるのだと思います。

    お酒を楽しむこと、気持ちよく酔っ払う事は 人生において非常に大きな楽しみの分野の一つだと思います。若い頃には 私もいつかはアルコールを体が欲するようになり お酒の楽しみを知る機会が訪れてくれると信じていましたが、来年には還暦を迎える年になりましたから 恐らくそのような機会は一生来てくれない事と分ってきました。私は付き合いで仕方がない場合しかお酒を飲みませんから お酒の味が全く分かりません。

    恥ずかしながら 普通のビールと発泡酒の違いも 見た目が同じですから区別がつきません。ウイスキーもバーボンとスコッチでは原材料さえ異なるのに恐らく違いが分からないと思います。ブランデーとワインでは見た目からして異なりますから 味わいの違いもわかります。でもブランデーの価格が製造してからの年数によって異なるのは知っていますが 価格ほどに味が異なることが理解できる自信はありません。

    ブランデーと言う種類のお酒が誕生したいきさつは 知識としてはインプットされています。フランスでワインがだぶついた時期があったのだそうです。ワインは醸造酒なので きちんとした場所で保存しないと 腐敗してしまうのです。そこで余ってしまったワインを蒸留してブランデーを作ったのだそうです。ブランデーは蒸留酒ですし アルコール度数も高いので 常温で貯蔵しても腐敗しません。それどころか貯蔵年数を重ねると味に深みと言うかまろやかさが生じて美味しくなるのだそうです。

    ブランデーの貯蔵年数によって ランク分けされて価格も変わってくるのだそうです。アルファベットのVSOPXなどを組み合わせて表記して 貯蔵年数を表しているのだそうです。その大まかな基準をいえぱ、V・Oが12~15年、V・S・Oで15~20年、V・S・0・Pで25年~30年年、X・0で40~45年なのだそうです。そういえば上等のブランデーの代名詞になっている「ナポレオン」と言うのは50年以上貯蔵したブランデーの事を呼ぶのだそうです。興味のないお酒の話なので 伝聞朝の表現になってしまいますがお許しください。

    私には全く興味のないお話なので ブランデーの話はこれぐらいにしておきますが いつものように結局頂きもののブランデーは実家の父親へのプレゼントになりそうです。やはりせっかくの頂き物ですから 一番喜んでくれる人に渡すのが正解だと思います。そこそこ上等のプランデーですから きっと父も喜んで飲んでくれるでしょう。

  • 7月13日 お昼に久々ステーキランチを頂きました

    本日は何にも予定のない休日でしたので 奥様と久々に美味しいものをお昼ご飯に頂こうという話になりました。依然松井山手にあった「サンマルク」と言うレストランが 代替わりして「ジャクソンビーフステーキハウス」と言うお店に変わっていましたので 試しに出かけてみました。実は「サンマルク」と言うレストランは 茨木のお店ですが 奥様と始めて食事をした記念すべきお店なので 時々利用していましたが 店じまいしてしまい残念に思っていました。

    新しくステーキハウスが出来て 昼間も結構駐車場に車が停まっていましたから 流行っていそうだなあとは思ってましたが 初めて食事に出かけてみました。お店のつくりはサンマルクの時と全く同じだと思います。このお店は天井が高くて 解放感もありますし 日の光も十分に入る構造ですから レストランとしてはなかなかグッドだと思っていました。女性の方がグループで来られて 長々と大きな声でお喋りされているのは 美味しくて流行っているお店であるなら致し方の無い事かもしれませんが 天井が高くて開放感のある構造だからか そんなおばさま方の喋り声も それほど耳障りではありませんでした。

    お店に入ると 直ぐに店員さんが笑顔で寄ってきて 人数を確認するとあいているテーブルにスムーズに案内してくれました。見ると店員さんは男性も混じっていましたが 女性はみんな若くて感じの良い笑顔の方ばかりで 店員さんがまず気に入りました。初めてなので ランチの注文の仕方を説明してもらいました。勿論決まった説明文を暗唱しておられるのでしょうが 適切で分かり易くて 声の大きさも程々でしたので すんなりと理解できました。

    初めてなので じっくりとメニューを見て考えたかったので その旨を伝えると 笑顔で会釈しながら 店員さんが遠ざかってくれました。一応予算としてはお昼なので二人で三千円ぐらいを考えていました。日替わりランチみたいなのがあって そちらを注文するとサラダとスープがまず出てきました。スープサラダはまあランチに出てくるものとしてはごく普通だと思いました。次にメインディッシュにステーキが出てくるのだそうです。その日はたまたまミスジと言う結構上等の部位のお肉でしたのでまず一人はこれを注文することにしました。柔らかくてそこそこボリュームもありましたから ランチとしては十分に合格点がつけられそうです。ランチの場合ライスかパンを選べて ふんわりサクッとした食感のパンが食べ放題みたいだったので そちらをチョイスしました。食後にアイスコーヒーがついて980円は かなりお得な気分になれますから お客さんがたくさん入っているはずだと思いました。

    もう一品は ハンバーグもこんがりして美味しそうでしたが デミグラスソースが気になりましたので ビーフシチューを注文してみました。サラダとスープは日替わりと同じものが出てきました。メインのビーフシチューは アツアツの鉄板で手出来ましたが 私の大好きなマッシュポテトが たっぷりと添えられていることで 先ず評価ポイントが上がりました。

    私はそんなグルメではないので どの部分のお肉が使われているのかさっぱりわかりませんでしたが 十分すぎるほどに煮込まれていて ナイフを使わなくてもフォークで押さえただけで お肉が繊維ごとにばらけてしまうほどの柔らかさでした。私としては ある程度お肉の噛みごたえも楽しみたかったので 抑えただけでほぐれてしまうお肉には ちょっぴり不満が残りました。デミグラスソースは きちんとした手順を踏んで 手間暇かけて作ってあるように思えて とても美味しかったです。奥様のランチについていたパンを貰って デミソースを残らず掬い取っていただきました。これにコーヒーとデザートがついて1600円でしたから 予算以内に収まりましたし 十分に満足のできる昼食でした。

    奥様もお気に召したようなので 次回は ディナーで利用してみようかとも思いました。ディナーのメニューも見てみましたが 二人で15000~20000円ぐらいで豪華なステーキが頂けそうなので 是非試してみようと思いました。ここの所あまり新規のお店を開拓していませんでしたので 奥様とまた新しいお店にもチャレンジしてみようと ご機嫌で話しながら病院に戻りました。

  • 7月12日 ペットロスについて考えました

    犬猫の平均寿命は約15年と言われています。人間の五分の一以下ですから 普通に犬猫を飼い始めたら自分よりも先に亡くなるのは 自明の理であり 飼い始める以前からその事をしっかりと認識しておくべきだと思います。しかし現実には 子犬や子猫と出会ってしまって 可愛い、飼いたいという気持ちになってしまったら どうしょうもない気持ちになってしまって 後さき考えずに買い始めてしまうのかもしれません。最近 うちの患者さんで 長年とても大切に飼っておられた犬猫が老衰のために 亡くなるケースが二三件続きましたので ペットロスについて考えてみました。

    突発的な事故や 苦痛を伴う病気で最期を迎えるよりも 飼い主さんに看取られながら 静かに息を引き取ったのですから むしろとても恵まれた最期だったのではないかと 私としては仕事柄か どうしても客観的に判断してしまいがちです。動物の死と直面することの多い仕事ですから 言い方は良くないのかもしれませんが ある意味動物病院においては ペットの死は日常茶飯事なのです。

    でも飼い主さんにしてみたら 生まれて初めてのペットとの永遠のお別れであったのかもしれません。その方と動物にどのような関係性が存在したのかなんて ケースバイケースであり 一介の獣医師にはとても窺い知ることは出来ませんが あまりに落ち込まれた姿を見ると やっぱり早く立ち直っていただきたくなります。但し 下手な慰めは火に油を注ぐことにもなりかねませんから 迂闊な言葉はかけられません。

    客観的な意見としては やっぱり動物好きな性分は 大切にしていたペットと別れたばかりであっても 変わらないと思いますから 次のペットを飼い始める事なのかもしれません。でも長年連れ添われた奥様なり御主人を亡くされた直後に その当事者に再婚を勧める人などいないように 迂闊に次のペットを飼うことを勧めるのは ありえません。取り敢えずは何か月が過ぎて 飼い主さんが十分に落ち着かれてからの事だと思います。

    次のペットを飼い始めることは 何となく先代のペットを忘れ去ってしまう事 心変わりしてしまったことを認めてしまう行為 と考えてしまって ためらわれる方が多いのかもしれません。しかし先代の亡くなってしまったペットの気持ちは 早く飼い主さんが元気を取り戻して 又笑顔で生活してくれることを望んでいるのではないかと 私は推測します。先代のペットと暮らした楽しい生活を取り戻しすためには やっぱり次の世代のペットを飼い始めることがベストとは断言しませんが 少なくともベターな選択肢の一つではないかと思います。

    ペットを亡くされて 暫くしてからその飼い主さんとお話しする機会があると 私は次のペットを飼い始められることをさり気無くお勧めすることが多いのですが 新しいペットとの生活をスタートされた方は みるみるお元気になっておられることは間違いないように思います。そんな幸せそうな飼い主さんの姿を見て 恨みがましく思うような動物は 恐らくいないと思います。ここしばらくの間にペットを亡くされてしまって凄く落ち込まれておられる飼い主さんも 心の傷が十分に癒されてからでよいので 新しいペットとの生活を上手にスタートされて また幸せな日々が訪れてくれることを心からお祈りいたします。

  • 7月10日 南シナ海における中国の傍若無人ぶりには呆れ返ります

    別に中国のやりたい放題は 今回の事に限ったわけではありませんから 取り立てて驚くほどの事ではありません。いかにも中国らしい唯我独尊の滅茶苦茶な発想だと思います。そもそもかの海の名前に南シナ海などとつけたのが 間違いの始まりではないでしょうか。単にシナ(中国)の南に位置する海 と言うのが命名の切っ掛けかもしれませんが 中国にすればシナと名前がついているからには 全てが己たちのものであるという いかにも中国らしい発想から今回の騒動は始まっているように思います。

    そもそも中国のように他の国々と協調して平和に活動していこうという発想を全く持たない国を 国連に加盟させたこと自体が大間違いなのではないでしょうか。今回の騒動も国連海洋法条約に照らし合わせて 仲裁裁判所が下した判決なのですから その判決を真っ向から否定するような国を 国連に加盟させておくことがおかしいのではないでしょうか。まあ国連と言う団体自体が 第二次世界大戦の時の戦勝国たちを母体にした団体ですから 中国も一応戦勝国の端くれでしたから 常任理事国としてふんぞり返っているわけですので その中国を追い出すのは相当に手間暇かかりそうですが 頑張って追い出してしまって 全ての国連加盟国が中国との国交を断絶すれば 多少は反省してまともな感覚が芽生えるのではないでしょうか。

    中国は共産党が単独支配する国ですから レベルの低い国民を先導して 世界からみれば非常識な行動に引っ張っていくのは致し方の無い事かもしれませんが、何しろ世界の人口の約二割が中国人ですから やたらと規模の大きくて厄介な問題です。私は勿論中国に行ってみたことがありませんから 平均的な中国人がどの様な生活レベルであり どのような教育を受けているのか どんな風に情報操作をされた生活をしているのか 皆目見当がつきません。

    少なくとも何かあると直ぐに日の丸を燃やしてくれたりしていますから 反日の感情は半端なものではないのかもしれません。政府が積極的に反日感情をあおっているのは間違いありませんが 中国人はそれをまともに受け取っているのでしょうか。それともお国に対する点数稼ぎのために反日行動に出ているのでしょうか。勿論日本人の中国人アレルギーも相当なものかもしれません。少なくとも私は中国人が大嫌いです。

    人が集まる場所 例えばレストランやホテルで 中国人の話し声が聞こえただけで 非常に不愉快な気持ちになりますし 中国人がたむろするような場所には二度と近づきたくありません。しかし最近では 何処に行っても中国人がうろついているので 外出するのが嫌になってきています。日本人の観光客で中国を訪れる人がどれくらいいるのか知りませんが 中国人はそんなに日本の事が嫌いなのだとしたら 日本にはやって来てほしくありません。

    基本的な国際間のルールが守れない中国なんかとは 本当に国交を絶ってほしいと思います。とはいえ世界の人間の二割が中国人ですから 色んな意味で脅威であることは間違いありません。現在でも基本的なルールを無視して平気で踏ん反り返っている国を完全に孤立させてしまったら それこそ自暴自棄になって荒れ狂って 近隣にある日本にどんなとばっちりが及ぶのか知れません。しかし中国のやりたい放題を世界が半ばあきれてみているうちに 更に増長してのさばってきたのですから いい加減厳しい制裁を加える必要があると思います。

    今回の裁判の判決についても 中国から発表される情報は 殆ど筋の通らない嘘八百ばかりです。自国民に対するご機嫌取りでやっているのかもしれませんが やればやるほど世界を呆れさせていることに どうして気づかないのでしょうか。それとも厚顔無恥だから 気づいてやっているのでしょうか。何にしても無理が通れば道理が引っ込みますから なんとしても今回の中国が押し通そうとしている無理は どうしてもひっこめさせるべきだと思います。