Dr.喜作のブログ

2016年10月 の記事一覧

  • 10月16日 奈良県の友人宅まで出かけました

    本日は 近所にお住まいだった飼い主さんが 寝屋川市の奈良との県境辺りに 引越しをされて その飼い犬三匹をシャンプーカットしましたので 昼過ぎに送りに出かけました。奈良県の近くまで出かけますので 一つ目の大学時代からの友人宅から結構近いと分りましたので 犬を送るついでに 突然の思い付きで 何の約束もしていませんでしたが 訪ねてみることにしました。会社勤めの真面目なサラリーマンですから 運が良ければ日曜日で家にいるかもしれません。
    住所は年賀状をやり取りしていますから 分りますが 昨年引っ越したみたいで 初めての訪問なので 道順が分りません。インターネットのルート検索を使って 走る道すじを確認しました。とは言っても方向音痴で 地理に非常に疎い私では 殆ど理解できない位に結構ややこしかったので 歩くナビゲーターである奥様にお任せしました。乃木坂のカーナビゲーターはありますが データーを更新していませんから 新しい道が出来ていたりすると 上手く対応してくれません。
    一時半ごろに病院を出発して 二時ごろに飼い主さん宅に到着して犬を返しました。そこから一路友人宅に向かって走り出しました。私が想像していたよりもかなり遠くに感じました。この友人は 以前にこのブログで書きました 一つ目の大学の時に同じサークル 混声合唱団でともに同じパートで歌っていました。そして十一月に予定しておりますお食事会にも参加してくれます。わざわざ奈良県から参加してくれますので 帰り道は私のちんけな車で送り届けることになっていましたので その下見がてらの訪問でした。
    何しろ私は筋金入りの方向音痴ですから 友人宅までは勿論その友人の案内がありますから 迷わずにたどり着けるのでしょうが 帰り道が不安だったのです。私は情けない話ですが 来る時にとおった道を逆向きに走って帰ることが出来ないのです。ですから一度訪ねておいた方が帰りの道順を覚えられるかもしれないので 下見も兼ねて突然訪問してみようと考えたのです。友人宅までの道のりは 私が想像していたよりもずっと距離的にも遠いし 曲がり角が多くて ややこしい道順でした。辿り着いたお宅は これまた想像以上に大きくて立派なおうちでした。さすがに日本人なら誰でも知っている一流企業に三十年以上も勤め上げると お宅も立派なものでした。
    突然の訪問にもし友人が家にいたとしても 玄関先で挨拶して手土産を渡してすぐに帰るつもりでしたが 生憎と友人もその細君もお出かけしているみたいでお留守でした。まあ気候の良い日曜日ですから どこかに夫婦でお出かけしているのかもしれません。お昼ごろに 一応メールで訪問することを知らせておきましたが 友人も私と同様にパソコンでメールのやり取りをしているので もし昼前から出かけていれば 読んではもらえないと思いました。
    約束もなしに突然訪ねたのですから 会えなかったのは ちょっぴり残念でしたが致し方がありません。ドアノブに 手土産と簡単なメモを残して 帰途につきました。帰り道は勿論病院を目指しますから 来た道とは異なるルートになります。私にはどの方角へ向かったらよいのかさえ 見当もつきませんでしたが 奥様が上手にナビゲートしてくださったので 順調に混み合わない道をチョイスしたのもよかったのかもしれませんが ほんの三十分位で帰り着きました。初めて訪問しましたが 割とご近所さんなのだと気が付きました。
    せっかく尋ねたのに会えなかったのは 残念でしたが 予告もなく訪れましたから しょうがないと思います。来月のお食事会の時に たっぷりとお話ししようと思います。それにしても 本日私の方向音痴と土地勘の悪さを痛感しましたので やはりこの友人を自宅まで送り届けるときには 先ず病院によって奥様にご同行願わねばならないことがよく分りました。そのことが分っただけでも本日友人を訪ねたことに意義があったように思います。私は長年合唱経験やピアノを習っていましたから 音感も悪くないし符読みなどもかなり早い方だと思います。合唱団では 大抵の方からいい声だと褒められましたから 所謂音痴ではないと思いますが 方向音痴に関しては 奥様が呆れるぐらいにひどいものであることを 改めて自覚させられましたから 残念な一日でもありました。

  • 10月15日 野菜の高騰が続いています

    少し前に 同様のネタで書きましたが 以前として野菜の高騰が続いているようです。勿論頑張っていつもの価格をキープしてくれている野菜もありますが いわゆる葉物野菜キャベツや白菜、レタス、春菊などが高値で安定してくれています。まだ白菜はそれほど高くなっていませんから 丁度お鍋の季節を迎えて その重要な脇役を務める白菜があまり高くなっていないのは 助かります。でも私がお鍋に入れる野菜で一番好きなのは春菊ですが 近所のスーパーでは売っていません。なぜ春菊を置いていないのかと店員さんに尋ねたら あまりに高すぎて どうせ仕入れても売れないだろうから 仕入れるのを控えているのだそうです。確かにそのスーパーは 歩いて二三分の所にありますから どうしても通ってしまいますが どちらかと言うと 割と安物を多くおいていりそれ相応に安く販売してくれるお店なのです。
    一言でスーパーマーケットと言っても 調味料や乾物などの食材、肉や野菜なども かなり上等の品をそろえていて 勿論価格設定もそれに応じて高めであるお店も時々あります。そんな価格設定の高めのお店には たまにしか出かけませんが その店でないと売っていない調味料や食材が欲しい時には わざわざ出かけます。でも私は根が貧乏人なので普段通うお店としては それほど上等ではない食材を それなりに安めの価格設定しているお店に頻繁に通ってしまいます。例えば賞味期限がその日までの商品ですがその為に大きく割引して売っていれば 勿論その日に使い切るつもりで飛びついて買ってしまいます。
    現在は賞味期限のほかに消費期限を表示してある食材も多くなってきています。意味合いの違いは美味しく食べられる期限を表しているのが賞味期限で 安全に食べられる期限を示しているのが消費期限だったと思います。つまり消費期限を過ぎてその食品を食べてしまうと危険かもしれませんよ と言う意味だと思います。私は基本的に賞味期限も消費期限も殆ど気にしていません。私が子供の頃には まだそんな期限の表示が厳密ではなかったのかもしれないし 消費者の認識が不十分だったからかもしれませんが 古くなった食品でも 母親がクンクン臭いをかいで 大丈夫と判断したら 普通に食べていました。そんな大雑把な判断で 私は食あたりをした経験がありませんから そこそこ信頼性の置ける判断だったのだと思っています。
    数年前に 賞味期限だか消費期限だか よく覚えていませんが 伊勢の名物「あかふくもち」がその表示に関して不正があったと言う事で 大きくニュースとして取り上げられました。お店としたら 赤福餅を上等の生菓子として印象付けたかったのかもしれませんが あまりにその期限を短めに設定していたがために 表示を訂正するなどと言う不祥事に発展したのだと思います。私の認識としては あかふくもちなんて確かに名前はおめでたいし 伝統のある名物かもしれませんが 所詮あんころ餅にすぎません。
    私はかなり昔に 旅行のお土産としてあかふくもちを頂きましたが すぐに冷蔵庫に入れて そのまま一週間ほど忘れてしまっていました。表示されている期限は 当然かなりすぎていましたが 私は自分で匂いを嗅いで ちょっぴり表面を舐めてみて 安全を確信して 残さず食べてしまいましたが 勿論私の体調に変化はありませんでした。勿論一週間が経過していましたから 多少干からびた感じはありましたが 十分に美味しく頂けました。賞味期限なり消費期限なりをいつにするのかは 作ったお店に判断を任されているのだそうですが 結局はそのお店がたかがあんころ餅を 上等の生菓子と印象付けたいために その期限を必要以上に短く設定しすぎていたから 起こった不正事件だったと認識しています。
    話が横道にそれてしまいましたが そんなわけで 私はスーパーで売っている食材の期限も 一応目安にはしますが 信頼するのは自分の五感です。においや味、見た目で安全が危険かを判断しています。それにしても私は次回の病院での検査が十一月の一日なので 今月は炭水化物禁止令が 作動中です。かといって食べ物自体を制限してしまうと 仕事への意欲が低下しますし 健康にもよろしくありません。ですから 野菜ばかりを食べる生活を続けています。その中での野菜の高騰は かなり厳しく感じてしまいます。別に生活がひっ迫しているわけではありませんから 高値のついた野菜を購入すればいいのですが 高騰している理由を考えると 何となく買いたく無くなるのです。高騰している原因は 度重なる台風の被害で 野菜の収穫量が減少したことだと思います。品薄になれば 資本主義社会である日本では 当然かもしれませんが高値で取引されてしまいます。つまり被害を受けられた農家の方は 凄く苦しんでおられるのだと思いますが 逆に被害を免れた農家の人々が 単に運よく品薄になってしまった種類の野菜を作っていただけで 大儲けをしているような気がします。被害を受けて苦しんでおられる農家の方々の救済に役立つのであれば 高値がついていても喜んでその商品を購入しますが 運よく被害汚受けなかった農家に大儲けをさせるためには 高騰している野菜を購入したくない気持ちなのです。
    幸い 白菜とえのきだけをはじめきのこ類は あまり高くなっていませんから それらを中心にしたお鍋で今月を乗り切っていくしかなさそうです。お鍋のメインの具材は 相変わらず鶏肉のミンチのつみれが殆どです。鳥ミンチのつみれは 私の父親の好物で 子供の頃お鍋と言えばそればかりを食べていましたから 私もその伝統を受け継いて 似たような鍋を作っては繰り返し食べています。但し出汁の取り方が違います。昔我が家ではお鍋に水をはり そこに出汁をとるための大きめの昆布を浸していました。いわばシンプルに昆布だしだけで 野菜や鳥ミンチからも勿論出汁は出ていたのでしょうが そのお鍋で 各自の取り皿にスープを少し取り ポン酢と醤油 薬味としてゆず胡椒を少々加えた味付けで食べていました。現在はお鍋用のスープが色んな種類を販売されていますから その日の気分でキムチ鍋にしたり ごまみそ鍋にしたり 白湯鍋にしたりと変化に富んでいます。
    現在は柚子胡椒なんて 何処のスーパーにも 瓶入りやチューブ入りのものが売られていますが 私が子供の頃には九州でしか販売されていませんでした。父親が九州に出張に出かけた時に 購入してくる貴重品でした。ちなみに明太子も 今ではどこのスーパーでも買えますが 子供の頃には関西では販売されていませんでした。私が初めて明太子を食したのは 中学生の時にお土産に頂いた時でした。九州の文化が全国に広まっているのは 九州生まれの人間としては やっぱりうれしい事です。
    台風が頻繁に訪れる季節が過ぎてしまうと 被害と無縁であった地域に暮らす私たちは すぐにそんな台風による被害を忘れてしまいますが 被災された方々は せっかく丹精を込めて育てられた作物を収穫前に ほんの一瞬の台風の襲来の為に ダメにされてしまったのですから 悔しい気持ち 悲しい気持ち それに大事な収入が無くなってしまって 凄くお困りだと思います。幸いなことにこの大阪府の枚方と言う地は ここ数十年にわたって 殆ど自然災害の被害を受けていません。被災していないのは多分運が良いだけだと思いますが 自分に直接影響がなければ すぐに被災のあった事実を忘れ去ってしまいますが 現在も苦しんでおられる被災された方々に 心からお見舞い申し上げます。人の幸不幸なんて 長い目で見れば みんな似たり寄ったりの平等だと思っています。凄く悪いことがあったからには いずれ凄くいいことが起こるはずだと 明るく考えて 苦しい時期を乗り越えていってください。

  • 10月14日 本日は貯蓄の日なのだそうです

    1952年、日本銀行が、10月17日を勤労の収穫物であるお金を、無駄遣いせずに大切にしようという意味を込め、制定されたのだそうです。10月17日に伊勢神宮で、その年に収穫された穀物でつくったお酒などを収穫への感謝の気持ちを込めてまつる、神嘗祭(かんなめさい)に由来しているのだそうです。私は 貯蓄が結構好きかもしれません。とは言っても いわゆる守銭奴、吝嗇家、けちんぼと言うほど徹底してお金を使わないわけではありません。
    私は 自分に対する物欲が殆どありません。食い意地ははっているので 美味しいものに対してはかなり貪欲ですから 食費には結構使ってしまっています。然しそれ以外は 着るものや車等一般男性がお金をかける事には 全然興味がありません。お酒もたばこも一切やりません。別に辛抱しているわけではありません。お酒は体質的に合わないだけだし、たばこは吸ったことがないので 吸ってみたいと思ったこともありません。ギャンブルも大学時代に可愛いレートで賭け麻雀をたしなんだぐらいです。サラリーマン時代に 時間つぶしにパチンコを少しだけやりましたが 千円負けたら打ち止めに決めていましたから それほど被害はありませんでした。ですから自分に対しては 殆ど美味しいものを食べる以外は お金を使わないだけです。
    自分に対しては お金を殆ど使いませんが 奥様には必要であれば幾らでもお金をつぎ込みます。奥様には 出来るだけいい服を着てもらいたいし 美味しいものを食べてもらいたいし 大好きなディズニーランドには入り浸らせてあげたいです。どこかへドライブに出かけるときなど コンビニでおやつを買うときも 自分の分を買うときにはまずは価格を見て買うかどうか考えますが 奥様の為に買うときには とにかく奥様の好みに合うのかだけを考えて価格は一切見ないでチョイスします。
    年に二回は 思い切り楽しめる旅行に出かけます。旅行に出かけた時は 何時もできるだけ良い部屋を予約して 料理も一番いいものを予約します。普段の娯楽としては 最近はカラオケばかりですが 週に一回以上のペースで通っていて 殆どフリータイムフリードリンクで楽しみます。まあ部屋の中で食べるお昼ごはんは お店で注文しないで 私が手作りでお弁当を用意してコッソリと持ち込み 見つからないように注意しながら食べています。
    そんな暮らしぶりなので それほど切り詰めた楽しみの殆どない生活をしているとは思っていません。ただ奥様も私も お酒は全然嗜みませんし、ギャンブルにも全く興味がありません。着る物やカバンなどの持ち物も 奥様にはなるべく良いものを持っていてほしいのですが 二人ともブランド品なども欲しいと思ったことがありませんからその為に大きなお金を使う事も殆どありません。ですから 病院の仕事を頑張っていて 極普通に慎ましく生活していれば 自然と一年間でそこそこの貯蓄が出来てしまいます。
    そんな生活をずっと続けてきましたから おのずとそこそこの蓄えが出来てきました。私も還暦間近ですから 仕事を引退することを真剣に考えてしまいます。現在の仕事は わざわざ大学を行き直してまでついた職業ですし 簡単に誰にでもできる訳ではありません。勿論それなりに充実感とやりがいを感じることもありますが お金を稼いでいるのですから 不愉快極まりない思いをするのもしばしばあります。肉体的によりも 精神的に疲れ果ててきていますから 万全の気持ちで取り組めなくなってしまって 取り返しのつかない失敗をするよりも早目に 引退した方がいいと考えています。
    只世の中の定年などを迎えて 退職された方たちが 結構暇を持て余して困っている なんていう話をよく耳にします。私は 小さなクルーザーやそこそこのキャンピングカーを購入する予定です。何もなくても南の島のリゾート地にいる訳だし トローリングをしたり ドライブしながら旅行をしたりして 毎日楽しく過ごすつもりですから とても暇を持て余すことはないと思いますが 実際その身分になってしまったら 結構退屈をするのでしょうか。そんな事は 実際にその場になってから考えればいいのでしょうから 現在はそんな身分に早くなれるように 毎日仕事を頑張って 貯蓄に励むことだと思っています。

  • 10月13日 本日は引っ越しの日なのだそうです

    明治元年 明治天皇が京都の御所から 江戸城つまり現在の皇居に引っ越しをされた日なので 本日を引越しの日と言うのだそうです。還暦まじかの私は子供の頃から何度も何度も引っ越しをした経験があります。私にとっての最初の引っ越しは 父の転勤によって 福岡県から枚方の香里団地への引っ越しです。当時は新幹線がありませんから博多発の特急に朝一番で乗って 大阪に着くのが夕方でした。私は大阪で幼稚園に一年通いましたから 四つか五つ位 妹は二つ年下でしたから ひょっとしたら母親に背負われていたのかもしれません。父親がその夜の為だと思いますが 布団袋を担いで運んでいたのを覚えています。それまでも団地住まいでしたから 同じ団地に越してきたので違和感はなかったように思います。引っ越しの前後は殆ど覚えていませんが 布団袋を担いだ父親に導かれて 新しい部屋について凄くホッとした事だけはよく覚えています。
    二度目の引っ越しは 中一の時でした。香里団地は2DKで親子四人が住むには狭すぎます。父親が何年もかけて探し回って やっと現在も父親が暮している交野市松塚の一戸建てのうちに引っ越しました。このうちは当時5LDKもありましたから とんでもなく広く感じました。私は自分の部屋として 二階の一部屋を与えられましたが 当初は他の家族の寝室は一階にあり 夜になると私一人が二階に上がらねばなりません。私は何度も告白していますが 筋金入りの腰抜け野郎でしたから 中一になっていましたが 誰もいない二階に上がることが 相当に怖くて辛かったです。直ぐに自分の部屋がある事の有難味を実感しましたが 最初は恐ろしくて寝るときになかなか部屋の明かりを消すことができませんでした。
    そのまま大学を卒業して 塩野義製薬に就職しました。勤務地が金澤に決まったので 三度目の引っ越しをしました。待望の一人暮らしでしたが 塩野義製薬が用意してくれたアパートは2LDKと言う一人暮らしには十分すぎるアパートでした。同じ棟に会社の先輩が数人いらっしゃいましたので それほど孤独を感じないで済みましたが 掃除や洗濯はこれまで母に頼り切っていましたから 情けない話ですが当時は全自動ではなかったので 洗濯機の使い方さえよく分らず困りました。料理は趣味でもあるので苦痛ではありませんでしたが 掃除と洗濯は面倒でした。引っ越しは会社が手配してくれた引っ越し会社にすべてお任せだったので楽ちんでした。
    二年後に金澤から富山に勤務地が変わったので 又引っ越しました。またまた引越し屋さんにお任せなので荷物を段ボール箱に詰めるだけで簡単でした。金澤と富山は関西人から見れば同じ北陸であり似たり寄ったりでしたが 富山の人の金沢に対する対抗意識が強いのには驚きました。気候は裏日本なので年が明けると雪に埋もれる生活で 殆ど五十歩百歩だと感じました。この頃には一人の生活にもだいぶ慣れてきましたし 掃除や洗濯も要領よくこなせるようになっていました。しかしこの地で働いているうちに 塩野義での仕事に疑問を感じだして 一生続けていけるか自信が無くなりました。中学の頃から憧れていた獣医師への夢も捨てきれずにいました。結局悩んだ末に会社を辞めて もう一度獣医師になるために大学を受験することを選択しました。
    会社を辞めましたから 当然実家に戻ったのですが この時は実家に舞い戻るための移動でしたから 富山で殆どの荷物を処分して 殆ど身一つで実家に帰りました。そこから心機一転して受験勉強をやり直して岐阜大学を受験し無事合格しましたので 今度は実家から大学の近所の下宿へ引っ越しました。自分勝手な選択で やり直す二度目の大学生活でしたから せめてもの親への仁義を通すために 経済的な援助は一切受けないことにしましたので 最初の下宿は 風呂なしでトイレも台所も共同と言う かなり厳しい条件の下宿でした。何しろ六畳一間しかありませんから 荷物も最低限の身の回りの物だけを持って家を出ました。足りないものは少しずつ大学の生協で買いそろえていきました。
    塾の先生のアルバイトで 月に十万円以上も稼いでいましたので 二年になった時に せめてトイレと台所のある下宿に移りました。この時の引っ越しは クラスの友人が手伝ってくれましたので たすかりました。まあ荷物が少なかったので簡単だったのかもしれません。風呂はありませんでしたが 同じアパートに同級生がいましたので 頼み込んで貸してもらっていました。四年生になり授業や実験が忙しくなってきたので 大学からごく近くの下宿に移りました。この時は立命館時代の先輩がトラックを貸してくださいましたので それで引っ越しました。徐々に荷物が増えてきていましたので 結構大変でしたが 何しろお金がないので 取り敢えずは自分が頑張ることで乗り切りました。
    大学を卒業してから勿論また実家に戻りました。この時も荷物は殆ど処分してもてるだけ荷物を持って家に帰りました。そして当地で開業した時に病院の二階へ最後の引っ越しをしました。当時は病院の二階が凄く狭かったので 大して荷物も運べなくて やはり簡単に引っ越せました。病院の二階を増築してまともに生活できるようになってから また徐々に荷物は増えていっているみたいです。今の仕事を引退した時に 私の人生の最後の引っ越しがあるはずです。南の島に終の棲家を建てるつもりですから そこで私の人生は終えられるはずです。全部で何回引越ししたのかさえよく分りませんが 早く最後の引っ越しを終えて のんびりしたい気持ちです。

  • 10月12日 丁度良い季節であるはずの秋は何処へ

    つい先日まで昼間の気温が三十度をこえて 真夏日だったのに 本日はもう寒いです。昔から日本は四季のある国と言われていました。子供の頃の記憶としては 春夏秋冬の各季節がほぼ四等分ではなかったのかもしれませんが 春と秋もそこそこ存在感があったように思います。昔は冬の暖房器具 ストーブや炬燵を片付けて 夏向けの電化製品と言えば扇風機しかなかった時代ですが それを物置から引っ張り出して来るまでに そこそこの時間経過があったように思います。逆に扇風機を片付けて ストーブや炬燵を使い始めるまでにも そこそこのインターバルはありました。
    私が子供だった頃には 勿論エアコンのある家なんて皆無でしたから 夏を涼しく快適に過ごすための電化製品と言えば扇風機オンリーでした。冬はストーブや炬燵、電気毛布など温まるために色んな電化製品が昔からありましたが、涼しく過ごすためには 扇風機以外はそれこそ氷枕ぐらいしか思いつきません。部屋があんまり暑いときには 洗面器に氷水を入れて 足の先を浸すこともしたように思います。寒さ対策としては 部屋の中でも寒ければ 暖かい衣服を重ね着して対抗できましたが 暑さ対策は 部屋の中だからと言って 素っ裸になるのが精いっぱいで それ以上涼しい恰好は出来ませんでしたから 恐らく夏の暑さの方が 冬の寒さよりも辛かったように思います。
    寒さに対抗する手段としては 暖かい食べ物 例えばお鍋やシチューなどをフウフウ言いながら食べれば 多少は暖かくなりました。暑さ対策の食べ物と言えば 冷やし素麺が代表的かもしれませんが 私は素麺が大嫌いでしたので ほとんど食べませんでした。暑いからと言って かき氷やアイスクリームばかりを食べているわけにもいきませんから その点でも夏の暑さの方が 私は苦しめられたように思います。そんな諸々の条件が重なったためかもしれませんが 私は子供の頃から ダラダラと長い夏休みよりも クリスマスやお正月のある冬休みの方が 楽しみにしていたように思います。
    病院では 一応患者さんのために 少しでも寒ければエアコンで暖房して暖めますし 逆に一寸でもムッとすれば冷房なり除湿機能で エアコンを作動させます。エアコンの場合 リモコンの運転切り替えボタンを押すだけで 簡単に冷房でも暖房でもできますから 必要に応じて簡単に対応できてしまいます。簡単すぎるから 尚更なのかもしれませんが冷房から暖房への切り替えが一週間以内に起こってしまいましたから 呆れてしまいます。
    秋と言えば 昔から食欲の秋 とか読書の秋、芸術の秋、運動会の秋など 色んなイメージがありますが 少なくともひと月以上は 秋を実感しながら 生きてきたつもりですが ここ最近は本当に春と秋が短すぎるように思います。例年狂犬病の集合注射を担当する四月に 凄く暑い日もあれば 逆に寒さに震える日もあります。所がほとんど毎年ゴールデンウィークには 夏日つまり最高気温が25度を越える日がごく当たり前になっています。
    私が暑さ寒さについてぼやくときにいつも思うのですが 夏の暑さは明らかに 私の子供の頃よりもひどくなっています。夏日と言う表現だけで事足りていたのが いつの間にか真夏日、更には猛暑日あるいは酷暑日なんていう言葉が当たり前に使われています。夏の夜も昔は昨夜は熱帯夜でした と言うのがニュースになっていましたが 最近では 昨夜数十日ぶりに熱帯夜ではありませんでした と言うのがニュースで流れるようになっています。地球温暖化が進行しているのですから それはそれで深刻な問題ですが 個人としては甘んじて受け入れるしかしょうがありません。
    所が 夏の気温が上がっているのが地球温暖化によるものであるのなら 冬の寒さも当然緩むはずなのに 実感としては冬の寒さは子供の頃に比べて暖かくなってきた と言う気がしません。だから南の島への移住を真剣に考えています。便利な世の中になってしまったがために 人間が贅沢になってしまって 暑くもないし寒くもなくて 丁度過ごし易いと感じる期間が短くなってしまったのだとしたら それはそれで問題なのかもしれませんが 四季のある温帯に属していた日本が まるで雨季と乾季しかないサバンナ気候のように夏と冬しかない情緒もなければ過ごし易さもない困った気候の国になってしまったとしたら 悲しい気持ちになります。老い先短い身の上とはいえ それなりに風情のある国で のんびりと老後を過ごしたいものです。

  • 10月10日 うちの給湯器がピンチです

    昨日の朝 いつものようにシャワーを浴びようと 裸になって風呂場に座りました。シャワーを全開にして お湯が出るのを待ちました。普段だとほんの数秒で暖かいお湯が噴き出すはずなのですが 何時まで待っても水のままです。お風呂のパネルをみると普通シャワーを使うと点灯する赤いランプがついていません。つまり給湯器が全然作動していないのでいつまでたってもお湯が出てこないのです。仕方がないので 裸では寒いので取り敢えず服を見て台所に行き 流しにお湯を出してみましたが やはりお湯は出てきません。
    給湯器に異常があるとしか考えられませんが 前日まではお湯はレバーをひねると 順調に出ていました。但し いつもお風呂にお湯をはる時には 時間を設定します。その時刻になるとピーと言う信号音でお湯が溜まったことを教えてくれていたのですが 最近一月ほど その信号音が鳴らなくなっていました。そして全然関係のない時間に信号音が鳴りだす現象が 何度も起っていました。心配になって給湯機の様子を見に行くと 外観的にはなにも異常は認められませんでしたが 設置した年月日を確認すると なんと十八年も前の事でした。一般的に給湯機の寿命は十年ぐらいなのだそうです。
    まあ私は残念ながら 広い病院に一人暮らしをしていますから お湯を使う量も少なかったと思います。お風呂なりシャワーは 私は毎朝頂く習慣ですが 夏場はシャワーが多くて 寒くなってくると風呂にお湯を張ることが多くなる傾向にあります、ガスの使用量を見ても 普通のご家族の三分の一位とかなり少なめですので 給湯機にかかる負担も軽かったので 一般的な寿命よりもだいぶ長持ちしてくれたのかもしれません。
    暫くしてもう一度お湯を出す操作をしてみると 何事もなかったようにお湯が出てきました。そのおかげで昨日も犬のシャンプーの予約が入っていましたが 何とかこなすことが出来ました。しかしいつまたお湯が全然使えない状況になるのかもしれません。これから年末に向って トリミングの予約も立て込んできますから トリミングでの稼ぎ時を迎えます。もしもそんな時期にお湯が使えなくなってしまったら 非常に厄介なことになりますから かなりの金額はかかるはずですが 給湯器の買い替えを考えざるを得ないようです。
    取り敢えずはガスのトラブルなので 大阪ガスに電話してみました。この類の電話はコレクトコールですから 電話代はかかりませんが なかなかつながらないのでそれなりの覚悟が必要です。気の短い私では無理なので 奥様にお任せしました。かなり待たされて やっとつながりました。電話で奥様が的確に反応して 現在使われている給湯器の品番まで確認されました。結局近所のガスセンター うちの場合は藤坂ガスセンターが対応してくれることになり 本日現状を確認してから ある程度正確な見積金額を提示すると言う事でした。
    大阪ガスのホームページをみると うちの給湯器と同じ能力の似たようなタイプのものが掲載されていました。価格をみると三十万円以上 更に設置工事や外した給湯機の処分代 出張料などで四十万円以上がかかりそうなので驚いてひっくり返しました。但しインターネット時代の有り難いことは 給湯機の設置工事を依頼するお店はいくらでもあり そちらのホームページをみると うちと同等の機種を設置してもらって古いものを処分してもらって 総額で十万円+アルファ位と表示されています。
    あまりの価格の違いにまたまたひっくり返りました。所が調べてみると 似たような価格設定のお店が何軒もあって それぞれに自分の店で工事する事のメリットを強調しています。どうも大阪ガス関連のお店に頼むと 殆ど定価販売しかしていないみたいです。所がネットで調べた一般の業者さんの話では80パーセント引きが当たり前なのだそうで 驚いてしまいます。24時間フリーダイヤルで対応してくれるお店がありましたので さっそく電話をかけてみました。大阪ガスのように凄く待たされることもなく電話がつながりました。
    その日のそれまでの話の流れを伝えて 先ずはかなりの低金額だけど 安かろう悪かろうなどと言う事はないのか を確認しました。定価の80パーセント引きなんて常識では考えにくいからです。対応してくれた方の説明によると 仲介マージンなどをすべて省くと そのような価格設定で十分にその会社もやっていけるとのことでした。対応された方が勿論電話での問い合わせに対応するプロの方ですから 話の飲み込みが速くこちらの意図を的確に把握してくれるので とんとん拍子に話が進んで うちの給湯器の品番や使用状況を説明すると 現状を確認していない段階ですから 多少は幅がありますがうちの工事を依頼した時の大まかな見積金額として 十三万円前後であろうと教えてくれました。月曜日に 現状を確認してくれて 更に正確な見積や 具体的な工事の日程をを提示してくれることになりました。
    さて本日のお昼に藤坂ガスセンターの方が やってきました。簡単にこれまでの流れを話して 給湯器の現物を確認してもらいました。藤坂ガスセンターの方が出した見積もりは全て込の料金として45万円だそうです。私はここから劇的な値引きがあるのかもと思って尋ねましたが 正味この金額なのだそうです。一割、二割ぐらい高いのなら 大阪ガスのネームバリューかもしれないようにも思いましたが 十万円台の見積もりを出してくれたお店の給湯器もノーリツと言う一流の名のある給湯器メーカー製ですけれども その大まかな見積金額の三倍以上の金額を提示されましたから その旨を伝えてお引き取り願いました。今どきインターネットでちょっと調べれば 藤坂ガスセンターの見積もりがとんでもなくべら棒な金額であることは明白なのに そんな金額で工事を依頼する人がいるのかと尋ねたら 結構いらっしゃるから 潰れずに頑張っておりますと答えはりました。驚き桃の木山椒の木です。久しぶりにこのフレーズを使いました。
    つい先日エアコンが寿命を迎えて 思わぬ出費がかさみましたが またまた予期せぬ出費で辛いですが 給湯器が無ければまともに生活できないし 仕事にすら差支えが起きますから 致し方がないのでしょう。この病院の色んなものが寿命を迎えてきていますが 余裕を残してさっさと仕事を引退して 寿命の最後の部分を有意義に過ごしたいです。 

  • 10月9日 本日は語呂合わせで塾の日なのだそうです

    私は自分が家庭教師を付けてもらったり 塾に通ったことはありません。しいて言えば中三の冬休みに高校受験のための講習を十日間ほど受けただけです。うちの親は 別に放任主義とかほったらかしではなかったように思いますが 塾へ通う事を全然勧めませんでしたし 自分でも塾の必要性を感じていませんでしたから 全く縁のない出来事でした。そんなのんきな母親が近所の同じ学年の子の親から珍しく情報を仕入れてきて クラスの半分以上の子が 高校受験のために冬期講習に参加することを知ってしまったために 通わされることになりました。まあよその中学の生徒の雰囲気を知っておくことは 私がかなりの上がり症でしたから 必要だったのかもしれません。
    そんな事で 塾や家庭教師との縁は凄く薄かったのですが 自分が大学生になってからは 非常に効率の良い と言うか自給の高いアルバイトでしたから 結構頑張りました。立命館に通っていたころは 時々家庭教師をする程度でしたが 岐阜大学時代は何しろ授業料と生活費を稼がねばなりませんでしたから 毎日のように主に塾の先生のアルバイトをしていました。塾での話はこのブログで何度か書きましたが 小さな塾の場合は 五教科を全部教えなければなりませんでしたが それなりに広く浅くでなんとかなっていました。
    岐阜でも一番か二番目に大きな塾の先生になった時には 担当する科目を尋ねられました。中学生相手であれば 別にとの教科でも務まる自信はありましたが 英語や数学は希望者が多いので除外しました。理科や社会だと たまには覚えていない事 あまり興味がなくて自信が無い分野がたまにありますから 下調べが必要になりますから 面倒なので除外しました。残るは国語ですが 私は国語には若干自信がありましたし 恐らく希望者が一番少ないであろうから 沢山の授業数を任せてもらえて 沢山のバイト代を頂けるだろうと考えて 国語を選択しました。
    大きな塾でしたから 国語の先生として 国語の教師崩れのオバハンを二人抱え込んでいました。塾の先生仲間と言う 極ごく小さな社会でしたが 私としてはそんなおばはん連中に偉そうに指示を出されるのが不満でした。ある時 そのおばはんたちが作ったテストの正解について 私がクレームを付けました。お互いの主張が譲らなかったので 塾としては言語学者に質問状を出して 回答をもらったのだそうです。幸い私の主張が正しいとの裁定が下りましたので それからは塾で発売している模擬試験の予想問題の国語の問題作成を任せられるようになりました。別に責任ある立場に立たされたからと言って 時間給が上がるわけではありませんでしたが 個人的には働きやすい環境になりました。
    大きな塾の先生の時には 一応国語の先生のトップとして 懸命に頑張りましたし、小さな塾の先生をしていた時には 私が移動手段として自転車しかなかったので 結構遠方にあって いろいろと問題の多い教室を任されるために わざわざ塾から車まで貸与してもらっていたこともあります。相手は中学生ですから 下手に舐められてしまうと全く相手にされないし あまり高圧的にでると かえって反発を招くので 大阪から来たおもろいオッサンに徹して 生徒から勿論私の見てくれがよくないのもありましたから それほど好かれてはいなかったでしょうが あまり嫌われてはいない先生だったように思います。
    特に岐阜での塾の先生は 楽しくもありましたが 何しろ生活が懸かっていましたから 必死で頑張りましたので それなりにやりがいを感じていました。特に女子生徒は胸が膨らみ始める年頃ですから おきにいりの女の子がいるクラスの授業はワクワクしていました。おきにいりの女の子を露骨にひいきして持ち上げ 男子で精神的に強くて落とされてもケロッとしている子を選んで思いっきり突き放しました。あまりに露骨なので 他の女の子からも特には不満の声は上がらず 突き放された男子を見て皆が大笑いするような 楽しい授業を繰り広げていました。
    岐阜大学を卒業してからは 勿論塾とは完全に無縁の生活をしてきましたが たまたま読んでいた小説の主人公が塾の経営者でしたから 塾の先生時代を思い出してしまいました。余裕があれば 週に一日ほんの数時間でもいいから 又塾の先生をやってみたくなりました。ネットで調べたら この近所にも沢山の塾があり 先生の募集をかけている所も少なくありません。こんな年寄りが応募しても 恐らく採用はされないでしょうが 一度チャレンジしてみたくなっています。

  • 10月7日 夜診察後に子宮蓄膿症の手術をしました

    子宮蓄膿症とは 雌の陰部から細菌が膣内更には子宮内に侵入することから始まります。子宮内と言うのは 胎児を成長させるための場所ですから 適度に暖かくて 十分に潤っていますので ある意味細菌が増殖するのには最適の環境なのです。一旦細菌の侵入を許すと 急激に増殖してしまいます。細菌の増殖により 先ず食欲が減退します。更に症状が進むと嘔吐が始まります。当然元気が消失してきます。腎臓もダメージを受けて 水分の吸収が減少してきますから 多飲多尿の症状も現れます。
    本日来院した犬は 今朝から元気消失していましたが 嘔吐や多飲多尿等の典型的な症状は出ていませんでした。只血液検査で 白血球が正常値の四倍以上にも達していました。それに陰部から膿が溢れていましたから 診断は簡単につきました。この病気は 内科的に点滴に抗生物質を大量に混入して投与して増殖した細菌の減少を期待する内科的な治療法もありますが 殆ど効果は期待できません。回り道をして体力が低下してしまい 手術のリスクが高くなるばかりです。
    結局は 飼い主さんへの私の説明如何によるのかもしれませんが 手術をするのがベストの治療法であることを選択してもらうことが重要です。飼い主さんとしては まさか手術しか適切な治療法がない病気であることを予想して来院されていませんから 突然手術しか有効な治療法がない それもそこそこリスクを伴う手術と説明されると 躊躇してしまうのは当然かもしれません。しかし内科的な治療を試みて 様子を見ることにより 体力を消失してしまって より手術のリスクが高まりますから 私としては出来たら手術をすることを決意して頂きたいのです。
    幸いにも本日の飼い主さんは 勿論かなり躊躇されましたが 今夜のうちに手術することを 決断してくださいました。それにしても 私はこの手術を百件以上経験していますが その殆どが夜病院を閉めてから行っています。午前中に来院されて そのまま昼間に手術をする可能性もあるはずですが 何故かこの病気の患者さんは夕方に来院されるケースが殆どなので 昼間にこの手術をした記憶はありません。
    本日は昼間にも手術をして 結構疲れていましたが 先延ばしは出来ないので 慌てて器具を滅菌して その他の手術の準備を整えました。この手術は 膿がパンパンに溜まった子宮とついでに卵巣を摘出しますから、やることは普段からよくやっている避妊の手術と同じですので 技術的にはそれほど難しくはありませんが まるで妊娠中の様に大きく膨張していますから 大きくなっている子宮を摘出しますので 当然切開部分も大きくなるし 血流量が増えているので 出血量も多くなります。勿論食欲元気が消失していますから 普段の避妊の手術よりもずっと慎重さが求められます。まあその分普通のの避妊の手術よりも高い料金を頂きます。
    今日手術した犬は 30キロ以上もあるゴールデンでそこそこの高齢犬でしたから 体が大きくて 手術としては かなり難航しました。喉の構造が独特だったためか 気管チューブがなかなか気管に挿管できなくて 出だしでまずつまずきました。開腹してからも 普段なら出血しないはずの部位から 何故か大量に出血したのです。いちいち立ち止まって止血しながらの作業でしたから 通常の子宮蓄膿症の手術よりも一時間ほど余計にかかってしまいました。とはいえ 無事に何とか手術を終えましたので 飼い主さんにその事を電話で伝えますと ホッとされていました。
    かなり出血の多い 不細工な そしてとっても疲れた手術でしたが 明日の朝 どれくらい元気と食欲を取り戻してくれているのか楽しみであり 正直な気持ちは不安でもあります。取り敢えずは自分としての最善を尽くしたつもりですので少しでも早く回復してくれることを祈ります。

  • 10月6日 「KEYABINNGO]」が放送終了して退屈な木曜日です

    数日前に「「KEYABINNGO]が放送終了して残念な気持ちであることは書きましたが 本日は改めて「KEYS・・」が終わってしまったことに気づかされて がっかりしました。私はもともと乃木坂の大ファンで 欅坂が結成された時も 姉妹グループが結成されたんだ というきもちしかありませんでした。メンバーの顔触れを見ても乃木坂の様にデビュー時から殆ど完成されていたマイヤンやナナミン、イクチャンクラスの美少女は見当たりません。ミナミちゃんやヒメタンの様にとんでもなく可愛らしい女の子もいないみたいでした。
    最初から乃木坂ほど粒ぞろいの女の子たちのグループが二度と結成されることなどありえない と考えていましたから 別に期待外れだ等と残念に思うほど私は暇人ではありません。所が 「欅って書けない」と言う番組をみていくうちに 欅坂のメンバーのポテンシャルに徐々に気づかされていきました。
    まず最初に一押しメンバーになったのは 織田ナナでしたが 乃木坂のカズミンと同じようにバラエティー担当の立ち位置が気に入りました。私はもともと化粧をする女の子が嫌いなのですが 織田ナナは 最終オーディションまですっぴんで通したのです。まあ本人が一度も化粧をしたことがなくて したくてもできなかった事情はあるみたいですが。織田ナナは 私服がダサいのでも有名ですが 私自身が 己の身なりに全く拘りがないので 余計に共感してしまいます。そんなわけで カズミンが乃木坂で不動のナンバーワンであるように 織田ナナも特に美人でもないし 可愛くもないけれども 恐らく当分一位の座に君臨すると思います。
    二押しは 小林由依ちゃんです。メンバーにも親しい子が少ないみたいで かなり人見知りの性格だと思います。ふんわりと可愛らしくて お淑やかで控えめで友達が少ない まるで乃木坂のナーチャンみたいな女の子です。由依ちゃんは見た目も雰囲気も 本当にナーチャンみたいです。ナーちゃんは私が六十年近く生きてきて 知った女の子の中で 一番魅力的な女の子ですから 由依ちゃんは私にとって二番目に魅力的な女の子になります。
    三番目のお気に入りは 栗太郎こと鈴本 美愉さんです。表情が豊かで 色んなチャーミングな顔を見せてくれます。栗太郎の怒った顔、拗ねた顔、泣き顔 勿論笑顔も大好きです。とっても素直で思いやりのある子だと思います。
    四番目は上村莉菜ちゃんです。ひょっとしたら見た目では 欅で一番のお気に入りかもしれません。最初は千葉の妖精と呼ばれていたのに すぐに千葉のブハブハと呼び名が変わりました。あれだけ下手糞なトランペットを特技の欄に記入できる勇気 素晴らしいと思います。
    五番目にこの子をあげると ロリコンかと疑われそうですが 還暦まじかのジジイが欅坂が大好きと言っている時点で ロリコンの大きな看板を持って歩いているようなものでしょうから あえて申し上げますと 原田葵ちゃんです。今年から高校生になったのにメンバーからは相変わらず小学生扱いをされるぐらい 天真爛漫な所が大好きです。
    六番目は米谷 奈々未さんです。アイドルとは思えない位の落ち着きぶりと やはり私服が織田ナナと同じぐらいにダサい所がお気に入りです。大阪出身と言うだけで 面白いことを期待されるのは可愛そうに思いますが、お化け屋敷でどんなに脅かされても 全く怖がっていなかった肝っ玉は 素晴らしいと思います。腰抜け野郎の私から見れば 一番お嫁さんに欲しい女の子です。
    七番目は 守屋茜さんです。見た目はとても色っぽくて Sっぽいですが、織田ナナの私服を露骨にバカにするあたり中身も相当にSっぽいのだと思います。私はどちらかと言うと 大人しくて優しい女の子が好きなのですが アカネンのいやらしさを感じさせない色気に惑わされてしまったみたいです。
    八番目は 渡邉 理佐さんです。この子はザクールの一員ですし 葵ちゃんいじりは相当に厳しいみたいなので 見た目も中身も 正真正銘のSな女の子だと思います。でもこの子は先日の「欅書け」で放送されましたが 実は優しくて面倒見の良い女の子の一面もちゃんと持っていると思っていました。見た目では 莉菜ちゃんに次いでお気に入りかもしれません。
    九番目は佐藤詩織さんです。この子は 当初周りの女の子が皆自分よりもずっとかわいく見えて落ち込んでいたところが好きです。欅坂のメンバーは千倍以上の競争を勝ち抜いた選りすぐりの女の子たちですから 飛び切り可愛いのは当たり前ですが 自分もその競争を勝ち抜いたことを忘れずに 自信を持って活動してほしいです。
    十番目は菅井 友香様です。この子はお嬢様ですが ほんまもんのお金持ちの娘さんなので 育ちの良さが言動から窺われて 鼻持ちならない金持ち臭が全然なくて とても魅力的です。顔だちはアイドルとしては平凡かもしれませんが 身についてしまった上品さで 人気が出るように思います。
    欅坂には乃木坂の様に大嫌いなメンバーが現在のところいませんから 好きなメンバーをあげていけば 結局は全員と言う事になりますが きりがないのでこの辺で終りにします。私の好きなベストテンには メジャーに人気のある てじやズーミン、ネルネルネール、ベリカ等の名前がありませんがマイナー好みの私ですから 当然かもしれません。こうやってじっくりとメンバーを見てみると 決して乃木坂に引けを取ってはいないように思います。一年で全員が大きく成長したからかもしれませんが ますます欅坂の存在が私の中で大きくなってきていますので 一刻も早く「KEYABINNGO2」が始まってほしいと願う私です。

  • 10月5日 1894年の本日 初めて本格的な時刻表が発売されました

    その為に本日は 「時刻表記念日」なのだそうですが 知名度は低いでしょうから こんなこと知っているのはよほどの鉄道マニアの方位かもしれません。私は一時期 時刻表にはまって毎月交通公社の一番大判の時刻表を購入していたことがあります。時刻表の根本的な利用目的は 列車の発着時間を調べて 列車を利用する予定を立てることにあると思います。列車の発着時間は 一時的な季節列車などが臨時で走ることはありますが ダイヤ改正がない限りは ほとんど変化はないはずです。
    ですから本来の利用目的からすると 大きなダイヤ改正があるたびに時刻表を購入すれば いざと言うとき 急に列車に乗って旅立つ場合などに役立つはずです。時刻表を出版している会社にしても 本来ならダイヤ改正があるたびに新規の時刻表を出版すればいいはずですが 何故か交通公社やJRは毎月時刻表を発売しています。毎月発売するのは 恐らく毎月購入する人が少なからずいるからではないでしょうか。
    私の家には自家用車がありませんでしたから 父に急な出張の予定が入った時や家族で旅行するときに 父が時刻表を見て乗る列車を決めて 乗り込む駅や発車時間、到着する駅とその時間を手帳に書き込むのを見て 密かにカッコいいと憧れていました。高校生の頃までは 時刻表を開いてみても 列車名と駅名それに発着時間の数字が羅列されているだけの時刻表には 何の興味も持てませんでした。
    以前に書きましたが 私は臆病な腰抜け野郎で 一人で電車に乗れない情けない奴でした。中学一年の時に 大阪の千里で万博がひらかれました。最初は友人と出かけましたが どうしても一人でも出かけたくなって ようやく淀屋橋や千里中央なんている殆ど見ず知らずの駅で 乗継が出来るようになりました。万博が無ければ 一人で電車に乗れるようになるのはもっと遅かったかもしれません。
    それ以来電車の路線図を見て 乗継を確認できれば 知らない土地まで一人でも出かけられるようになりました。そして一つ目の大学である立命館に通うようになってから 極たまにですが一人で泊まりがけで旅にでるようになりました。そうすると当然自分で目的地を決めて そこまでのルートを考えるところから 既に旅行は始まっているのです。車やバイクはありませんから 当然移動手段は鉄道が主体になります。当時は旅行や サークルの合宿など 鉄道に乗る機会があるたびに時刻表を購入していました。
    当時 時刻表の出版社としては 交通公社とJRのものが 代表的だったと思います。私は たまたま最初に購入したのが 交通公社の時刻表だったので そちらに馴染んでしまいましたから交通公社のものばかりを利用していました。巻頭の特集記事や添えられている写真が気に入っていました。場合によっては 近所なら時刻表の写真に誘われて出かけた場所も 紅葉の名所など何か所かありました。
    時刻表としては先発の交通校社通称JTBの方が当然初めの頃は売り上げも多く人気があったのだそうです。所が最近は特にインターネットで簡単に列車の発着時刻や料金が調べられる時代になりましたから 相対的に時刻表の売り上げが減少しているのだそうです。全盛時は1980年代だそうで 当時は毎月百万冊以上が売れていたのだそうです。所が最近では月に十万冊も売れないのだそうです。
    JRの時刻表は 後発で多少出遅れした感はありましたが 現在でも毎月数十万冊が印刷されているのだそうです。これはあくまでJRの公称ですから まるっきり鵜呑みには出来ないのかもしれませんし 全国のJRの駅には必ず少なくとも一冊はJRの時刻表が置いてありますから その数も含まれているのだとは思います。数年前に鉄道マニア いわゆるてっちゃんと話した時に時刻表と言えばJTBだよねと話しましたら 私たちの世代は圧倒的にJTB派が多いのだけれども 十代、二十代の若い連中は JR派が多いという話を聞きました。やはり時刻表にも時代とともにはやりすたれがあるのかもしれません。
    時刻表はダイヤ改正される四月からの時刻表が掲載されている三月号が一番月別では売れるのだそうです。勿論進学や就職のために人々の移動が多い時期だからもあるのだとは思いますが。ダイヤ改正の月のJTBの時刻表には 必ず新しいダイヤで各都道府県の全ての県庁所在地を短時間で回るルートを見付けるクイズが掲載されていました。このクイズは安上がりで絶好の暇つぶしになりました。時刻表一冊と乗車する列車を書き留めておくノート一冊あれば 十時間でも二十時間でも遊んでいられるのです。
    現在ならコンピューターにかければ 正解がごく短時間で出てくるのかもしれませんが 当時はJRのルートを徹底的に研究する方々がおられて その方たちが地道にルートを探して正解を作成されていたのだそうです。何事にも道を究めた専門家の先生がいらっしゃることに かなりお驚いたのを覚えています。立命時代の同じサークルの二学年下に やはりこのクイズにはまっている子がいましたので 三月にはその子と顔を合わせるたびに 互いに見つけた最短時間ルートを比較しましたが やはり若くて柔軟な考え方のできる後輩にいつも後塵を拝しておりました。
    時刻表には大判サイズから ポケットサイズの小型のものまで 何種類かありました。私はいつも必ず大判のものを購入しました。勿論小さなサイズでも時刻表ですから 列車ん発着時間や料金表など最低限の情報は掲載されていますが 時刻表ファンにすれば その他もろもろの情報が欲しくて時刻表を購入するのです。大判の時刻表は 発着時間表の下の欄に その時期のおすすめの観光スポットミニ情報や お弁当の紹介などがされている場合があります。
    時刻表ファンなら絶対やるのが 時刻表旅行です。まずは日程を自分で決めて 目的地を設定して いかに時間的に効率的に 勿論なるべく安上がりで一つでも多くの観光スポットを回れるルートと列車の乗り継ぎを考えるのが楽しいのです。ちょうどお昼ごろに通過する駅で売っている駅弁を思い浮かべて 食べたつもりになるのが時刻表の楽しみなのです。大判の時刻表は バスの時刻表まで掲載されていますから 観光スポットの最寄りの駅で下りてから どの時間のバスに乗るのかまで設定します。旅館やホテルの情報も掲載されていますから ホテルの名前から 勝手にどんな建物か想像して そこに幾らぐらいで宿泊するか お土産のおすすめが紹介されている場合もありますから お土産まで 考えます。最後に出発地点に戻ったところで 交通費や食事代 宿泊費、お土産代まで全てを合計して かかった金額まで計算するところが 時刻表旅行の楽しみなのです。
    一般的には頭の中で想像上で旅を楽しむなんて 無意味なことに思われるかもしれませんが 時刻表が大好きな人間にとっては凄く楽しい遊び と言うかお金のかからない暇つぶしなのです。そういえば 病院を開業してからは 殆ど車で旅行に出かけるようになってしまい 列車に乗らないので 必然的に時刻表を買い求めていません。まあ今の時代なら わざわざ本屋さんまで時刻表を買いに出かけて 自分で調べて自分が乗る列車を決めて 発着時間を確認する、更に料金を料金表を見て確認する 等と言う手間暇のかかる作業は恐らく時刻表好きの私でもしないと思います。ネットで検索した方が 早いし楽だし なんなら切符もそのまま購入してしまえるのかもしれません。
    時代が変わることにより 携帯電話の普及とともに 公衆電話や駅の掲示板が姿を消しましたし、ネットが手軽に利用できる時代ですから 時刻表の必要性が低下してしまって発行部数が全盛時の十分の一位に減少しているのだそうですから いずれは時刻表自体が姿を消してしまうのかもしれません。便利になることはありがたい事ですが 旅行をするときにはまず時刻表を見る事から始めていた私としては 何となく寂しいです。マッカーサーの言葉「老兵は死なず、ただ去りゆくのみ」みたいなことかもしれませんが いずれは時刻表が博物館でしか見られないような事にはなってほしくありません。