Dr.喜作のブログ

2017年3月 の記事一覧

  • 3月19日 1948年の本日 朱里エイコさんが生まれました

    彼女の日本での最大のヒット曲「北国行きで」が発売されたのが 1972年ですから24歳の時です。私は中学生でしたが 当時好きだった芸能人が浅田美代子さんです。現在の美代ちゃんは ただの天然ボケのおばちゃんと言うイメージしかありませんが 当時は冠番組を幾つも持っているトップアイドルでした。芸能界は 見た目が可愛いだけでもてはやされるアイドルの全盛時代でした。私は 還暦まじかになっても ナーちゃんやユイポンと言ったアイドルが大好きな 変態スケベジジイですから 当時もアイドルの中でも ひときわ頭が悪そうで 歌もすごく下手糞な美代ちゃんが大好きでした。
    でも実は 心の中で ひっそりとではありますが 友達や勿論家族にも 照れくさくて恥ずかしくて言えなかったのですが 朱里エイコさんと藤圭子さんが大好きでした。どちらも大人の女性の魅力にあふれていました。私は 大人しくて控えめでお淑やかな それでいて笑顔の可愛らしい女性が好きなのだと思いますが、朱里エイコさんのあの派手な衣装と全身から溢れ出るような大人の女の色気に完全に魅了されていました。藤圭子さんも やはりずっと年上で テレビの画面では絶対に笑顔を見せない 暗い影のあるような それでいて非常にチャーミングな容貌と 凄くハスキーな声 暗い内容の詩を切々と歌い上げる姿の虜になっていました。
    朱里さんは日本でのヒット曲は数えるぐらいしかありません。でも彼女の本格的な活動の場は アメリカにあったようです。十六歳で単身アメリカに渡り 勿論相当に苦労しましたが その歌手としての実力がきちんと評価されて 全米でツアーを行うほどに成功を収めたのだそうです。その実績を引っさげて 日本に凱旋上陸したみたいでしたが なかなかヒット曲に恵まれませんでした。やっと「北国行きで」と言うヒット曲と巡り合い 紅白にも出場して その抜群の歌唱力と見栄えの良さ 特に足の見事さで 大いに人気を博した時期があったみたいです。
    しかし日本のテレビは ヒット曲を連発しないと テレビに出演できません。アイドル全盛時代ですから 可愛らしいけれども 歌はすごく下手糞だし ダンスも勿論まともに踊れない 足も細いけれど棒のようなアイドルが もてはやされていた時代です。朱里さんは日本の芸能界 テレビの扱い に疑問や不満を感じて 精神を患ってしまったようです。アメリカに活動の拠点を戻したりもしましたが やはり日本人ですから 日本で歌手活動を頑張りたいのだけれども ヒット曲に恵まれませんでした。元々抜群の歌唱力や 素晴らしいルックスを持ち合わせているのですから 芸能界自体が彼女にヒット曲を出してもらいたくて 一流の作曲家作詞家の曲が提供されましたが 何故かヒット曲と巡り合えないままに 五十代で若くしてその生涯を閉じられました。
    歌手としての実力は カーネギーホールに日本人女性として 初出演したことからも間違いがありませんし 容貌もスタイルも抜群のものを持ち合わせておられたように思います。あのお美しい脚には相当な金額の保険が掛けられていたのだそうです。アジア人と言う大きなハンディキャップを背負いながら アメリカで一流の歌手として十分に評価されていて 活躍の場所も保障されていたみたいでしたから そのままアメリカでの活動を継続された方が さらに大きな活躍の舞台も用意されたのかもしれません。
    日本での活動にこだわられたことが ひょっとしたら寿命を縮めてしまったのかもしれないようなので とても残念に思います。藤圭子さんも 歌手としてレコード大賞まで受賞されましたし 思う存分活動されてから 結婚は二度なさったみたいですが 幸せに過ごしておられたはずでした。娘さんの宇多田ひかるさんの大活躍もありましたから 経済的にも相当に恵まれておられたはずです。なのに数年前に とても残念で悲しい人生と終わり方を迎えられましたから  不思議に思います。
    朱里さんと藤さんと言う私が小学生の頃に憧れたお二人が 残念な亡くなり方をされたことは とても悲しいです。ユーチューブで 「北国行きで」の熱唱をもう一度聴いてみようと思います。男なら誰でも 朱里さんの太ももをまくらにして 優しく耳掃除でもしてもらえたら 幸せの極致だと思います。心よりご冥福をお祈りいたしますので 安らかにお眠り下さい。
     

  • 3月18日 ウンチまみれの連鎖反応

    今日から連休が始まりますから 朝から一匹わんちゃんをホテルで預かるために 迎えに出かけました。他に二匹トリミングの為に朝から預かりました。朝の混み合う時間帯に三件の迎えが重なりましたから 効率よく時間を無駄にしないような 迎えの為のルートを考えました。小さな車ですから かごを三つも積むとかなりのギューギュー詰になります。勿論犬同士の直接の接触はありませんが 怖がりの犬の場合 ビビっておしっこを撒き散らしたりするのが心配です。
    しっかり無駄がないように考えたルートで三軒の家を回れました。犬同士もそんなに相性が悪くはなさそうで 落ち着いていましたから ホッとして病院への帰途につきました。所がホッとしたのもつかの間で 荷台の方から かなり香ばしいウンチの臭いが漂ってきたのです。振り返ると最初に預かった子が ウンチをしている最中でした。普段 一匹だけを運んでいる時には 車中で排便などしたことがない子でしたから やはり 三匹も同時に狭い荷台に乗せてしまった影響かもしれません。かごの入り口に近い所に排便していれば 取り敢えず車を停めて ウンチを取り除くこともできますが かごの一番奥の方に それもかなり大量に排便してくれていましたから 諦めました。
    かなりのうんちの臭いが社内に充満しましたので 取り敢えずは車の窓を全開にして 換気する事を心掛けました。まだ病院までの道のりはかなりありますが下手に急いで事故を起こしたりしたら 元も子もありませんから 臭いのを辛抱しながら 慎重に車を走らせました。しばらくすると また別の香ばしい匂いが漂ってきました。恐る恐る後ろを振り向くと 他の犬が排便中でした。それも走る車の中でだからかもしれませんが 座ったままの体勢で排便しているのです。当然ですが ウンチが肛門周りから内またにかけてべっとりと張り付いているようです。この子も単独で運んでいる時には途中で排便するような子ではありませんでしたが すぐ横から漂ってくる臭いに誘われたかのように 排便してしまったみたいでした。
    こうなると三匹目の子が排便してしまうのも時間の問題かと覚悟を固めたころに またこれまでとは異なった香ばしさと巡り合いました。いやいや後ろを振り向くと 三匹目の犬が シッポを振りながら排便していました。目が合うと 自分もお付き合いでウンチをしてしまいました と笑いながら言い訳をしているような表情を浮かべていて そんな可愛らしい顔を見てしまうと 腹立たしさも飛んで行ってしまいました。きっかけを作った一匹目の犬は ご機嫌そうに走り回ってウンチを踏みたくっています。
    子供が一人だけでいると そこそこ大人しく出来るのだけれども三人位寄り集まってしまうと テンションが上がってしまい 異常に盛り上がってしまい 大騒ぎになるようなものかもしれません。今後の対策としては かごを複数積むときには かごとかごの間に段ボールか何かで仕切りをしてみようかと思います。勿論臭いや気配は感じられるでしょうが 直接視覚的に触れ合ってしまうと 必要以上にテンションが上がってしまい こんなウンチまみれ事件が起こるのかもしれません。
    ホテルで預かる子も含めて 三匹ともシャンプーをしてから返すので 多少ウンチまみれになってしまっても構わないのじゃないかと 思われるかもしれませんが トリミングの手順としては 先ずもつれのひどい部分をある程度クシで解かします。もつれたままでシャンプーしても 汚れがきれいに落ちないからです。次に短くカットする子の場合洗う前に粗狩りをしてしまって 毛のボリュームをダウンさせます。毛の量が少ない方が シャンプーするのも 乾かすのも素早く出来るからです。所がウンチにまみれてしまうと このような下準備が十分にできなくなってしまいますので トリミング全体の仕事量が増えてしまい 余分に時間がかかってしまうのです。時間がかかることは トリミングする側にとっても負担ですが される犬にとっても負担が増えることになりますから 犬にとっても不幸な事なのです。
    今日の様にかごから荷台に敷いてあるビニールのシートまで しっかりと汚されてしまうと かごやシートを掃除して乾燥させるなど 余分な仕事が増えてしまいますから 臭い思いをすることだけではなくて しっかりと仕事の分量が増えてしまう分 猶更気が重い事件が起こってしまったのです。
    まあ犬たちだって 普段はしない車の中での排便と言う行為を喜んでやってるわけではないし 嬉しそうに尻尾を振っているのをみると 思わず苦笑いしてしまい 腹を立てる気持ちにもなりません。本日の様に同時に三匹以上を運ぶことは 今後もあるはずですから 何とかこの恐怖の連鎖反応を食い止める方法を考えなければなりません。このブログをお読みの方で 良いアイデアをお持ちの方は 是非メールでお知らせくださるとうれしいです。どうぞよろしくご指導ください。

  • 3月17日 旅行ボケしているので 仕事について考えてみました

    今回の春の旅行は 三泊といつもよりも短かったのですが 姫路城も四国も全く初めてで 移動が長くてそれなりに肉体的には疲れましたが とても楽しくて充実した旅行だったと思います。本日から 気を入れ直して仕事に取り組みます。休んでいるうちに体調を崩した子がちょこちょこいたみたいで パラパラと患者さんが来院されましたので あんまりボーっとしている暇はなかったので有難かったです。ボーっとしている方が なかなか時間が過ぎてくれなくて 反って退屈してしまうからです。この仕事は わざわざ大学を通い直してまで就いた職業ですから 勿論やりがいは感じていますが やっぱりのんびりと好きな所へ旅している方が 楽しいです。
    私は 普通に一つ目の大学を卒業した時に 普通の会社に就職しました。理工学部の化学科を卒業して 塩野義製薬に入社しました。理科系の学科を卒業したと言っても 職種は営業 いわゆる病院周りで 医者相手の自社の薬の売り込みです。とは言いましても そんなに新しい薬が発売されるわけではありませんから 仕事の大半が医者の雑用のお手伝いみたいなものです。学会に出かけると医者が言えば 宿と切符の手配をします。野球がやりたと言えば 球場を手配して お弁当を準備します。釣りがやりたいといえば 釣り船と釣り宿の用意をします。
    塩野義製薬は 抗生物質が主力のメーカーでしたが 抗生物質には数えきれないほど種類があり 自社の製品が圧倒的に優れていれば ほっといても薬は使用されて 売り上げは上がりますが、ぶっちゃけた所 その効き目はドングリの背比べなのです。勿論塩野義は日本でも何本かの指に入るぐらいの一流メーカーでしたから それなりにしっかりとした立派などんぐりは持っていましたが 結局医者にチョイスしてもらえるか否かは 普段からの営業部員が 医者を満足させるに足るサービスが出来ているか否かにかかっているのです。
    ライバルである他社の営業部員との駆け引きや 医者が望んでいるものの内容とタイミングのリサーチなど それなりに頭の回転も必要ですが 毎日毎日同じ時間に訪問するなどの しつこさと言うか粘り強さも要求されます。それなりに仕事としての面白みはあると思います。私は新人として金澤の営業所に派遣されましたが 最初に単独で任されたのが 放射線科でした。放射線科と言うのは レントゲンなどによる画像診断と 癌の治療に放射線を照射するため 癌のそれもかなり症状の進行した患者さんをたくさん抱えています。ただしこれまで 塩野義の主力商品である抗生剤は殆ど使用されていませんでしたので 新人の私が担当させられたのだと思います。上司が仕事のきっかけづくりに治験を十例依頼してくれました。要するに治療に塩野義の薬を使ってもらって その臨床報告をしてもらい 一件についていくらかの謝礼を渡すと言う事です。
    治験を受けてくださった先生が たまたま私と相性が非常に良かったみたいで 残念ながらこれまで放射線科ではあまり塩野義の薬は処方されていませんでしたので あまりご存知なかったみたいなので 新人の私が 一生懸命に薬の用法用量や副作用についてなど説明させてもらいました。たまたまその担当をしていただいた先生とウマがあったみたいで 担当したばかりの新人営業マンと 治験を任されるぐらいですから 放射線科でもかなりベテランの先生でしたが 結構な信頼関係が出来上がりました。
    おかげでお願いした治験は 癌の末期の患者さんの感染症治療に大量に投与されて 有難い事に非常に効果がクリアに表れてくれました。外科系の科を担当すると 一軒の患者さんを獲得したと言っても 手術の術後感染予防などに再少量をほんの三日間位処方してもらうのがやっとでしたが 放射線科で癌末の患者さんの感染症の治療に一件用いられると 最大量で上手くすると何週間も処方されますから 勿論私だけの手柄ではありませんが 大きな宝の山を探り当てたようなもので 仕事の滑り出しとしては 非常に好調でした。
    但し 仕事ですから 上手くいくことがあれば 当然上手くいかず 失敗を繰り返す頃の方が多かったです。基本的にこの仕事は 他人に殆ど頭を下げた事の無い医者相手ですから 非常に難しいし大変なのです。その分待遇も凄くよかったし 給料やボーナスもほかの業種の方よりは 凄く恵まれていました。当たり前ですが 上手くいけば面白いし楽しいので頑張れる。頑張れるから更に良い結果につながっていくのかもしれません。しかし逆の目が出て 悪いことが始まると 仕事が辛く感じてしまい 全然面白くありません。面白くないので 頑張りがきかないで 猶更悪い方向に向かってしまうのでしょう。
    落ち込んでしまって 大学の卒業の時にお世話になった先生の所に相談に出かけました。仕事にやりがいを感じられないのだけれでも 名の通った一流企業だし待遇も給料も非常に恵まれている。我慢してつづける方向で頑張るべきなのか 気持ちを切り替えて方向転換を図るべきなのか 教えを乞いに出かけました。先生は 自分も大学教授になろうと思ってなったわけではないけれども実際になってみると それなりに面白いし やりがいが後からついてくる感じになってきた、との言葉をいただきました。そんなに景気の悪い時代ではないのだから 真面目に取り組めば どんな仕事をしても食っていけるはずだから 仕事に楽しさ 面白みが感じられないのなら 別の仕事を探しても 年齢的には全然間に合うはずだ という有難い言葉を頂きました。
    そこで普通の方なら 直ぐに再就職の道を探されるのかもしれませんが 私は子供の頃からの夢であった動物病院の先生を 思い切って目指すことにしてしまったのです。一寸思い切りすぎたのかもしれませんが 慌てて一年間受験勉強をやり直して 何とか岐阜大学の獣医学科に潜り込んで いろいろあって今日に至っているわけです。そんなに大きな回り道をしてまで就いた仕事ですから 働けるうちは頑張りそうなものですが この仕事にも当然嫌な事 辞めたくなる事は 沢山あるのです。勿論やりがいが感じられて この仕事が出来て幸せだと思う事も少なくありませんが 人間不信になり 生きていく自信すら無くしそうになることもしばしばあるのです。
    こんな私の様に 愚かで怠け者の人間でも 幾らか世の中のお役にたてていることがほんの少しぐらいはあるはずだと信じて この仕事を二十年以上なんだかんだと頑張ってきましたが そろそろ限界が来ているみたいなので このブログでは何度も申し上げているように 体が元気で 気持ちも明るいうちに 仕事を引退して 優雅でちょっとだけリッチな老後を早目にスタートしようと考えています。飽きっぽくて 何事も長続きしない私が それでも二十年以上頑張れたのは やはり自分の好きなことを仕事にできたおかげだと思っています。私の様な何の取り柄もない惨めなにんげんですが せめて仕事の引き際位は見苦しくなくて 潔い姿で幕を引きたいと考えていますので 後わずかだとは思いますが 皆様どうぞよろしくお願い致します。

  • 3月16日 旅行の最終日です

    いよいよ最終日ですが 本日も昼過ぎまで 充実した予定が組んでありますので 最後までこの旅行を大いに楽しもうと思います。さて 最終日のスタートは 世界一と評判の朝食からです。まずはお風呂にしっかりと入り直して 身を清めてから レストランに向いました。案内された明るい窓際の席に着くと ほどなく雑誌の写真等で 何度も見かけたことのある 世界一の朝食が運ばれてきました。この朝食は 私を覗いた 殆ど全ての人が写真撮影しています。奥様も写真撮影していましたから 珍しくこのブログでもアップしておこうと思います。たまには写真も入れとかないと 本当に世界一と言われる朝食を食べたのかどうか疑われそうですから。
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    先ずは カラフルな飲むサラダ と言うのから頂きました。色んな彩で 様々な栄養素が美味しくサラッと摂取できるのだそうです。見たこともない金属製の道具がお盆に乗っかっていました。半熟卵の殻を食べやすい大きさに 穴をあけてくれる道具なのだそうです。私は自分の生き方としては 出来るだけハードボイルドなものにしたいので 半熟卵はほとんど食べたことがありません。ですからこの卵の殻を割る道具も勿論初めて目にしましたが 周囲の人の様子をうかがっていると 皆さん 初めてその道具を使うみたいで 恐る恐る慎重に扱っていたみたいなので この道具はかなりマイナーな存在なのだろうと想像されます。
    丸い凹みのある部分を卵の殻のてっぺんにあてて 心棒が通してあるおもりを 持ち上げて落っことすみたいです。そのおもりの衝撃で卵の殻が食べやすい大きさに割れるのだそうです。上手にやれば二回ぐらいおもりを落下させると 上手くからが割れて 金属の凹みの部分に吸い付いて その部分の殻が取り除かれるのだそうですが 誰でも最初はおっかなびっくりにやるものですから 二回目で上手く割れたのは奥様位のものでした。周囲の人の様子をうかがっていましたが 大抵四五回落下させてやっと割れていました。腰抜け野郎の私は 残念ながら上手く割れなかったので スプーンで殻を除去しました。本当にどんなことでも奥様は上手にそつなくこなせるのに 私は不器用で不細工な結果しか出せなくて 悲しくなってしまいます。
    パンに塗るバターやジャムにもいろんな種類があり 一つずつきちんと説明書きがついていますから じっくりと読んでから味わいましたが それぞれにとても美味しかったです。一品一品は ヨーグルトにしてもサラダにしても 量が少なめに感じましたが 品数が多かったせいか パンは食べきれず 持ち帰り用の袋を頂いてそれに入れました。私たちは 一品一品に感激しながら ゆっくりとですがパン以外は残さずに頂きましたので たかが朝食ですが レストランに一時間以上も滞在してしまいました。私たちよりも後から来られたお客さんもどんどん先にお帰りになったみたいです。今日は午前中 異人館の辺りを少しだけうろついて雰囲気を味わったら 波止場から遊覧船に乗って 大阪湾をクルージングする予定です。別に急ぐ必要がないので せっかくの高級なホテルの雰囲気を堪能しようと 部屋に戻ってからも 思いっきりのんびりしてしまいました。私の旅行は 予定を詰め込み過ぎる傾向にありますから 最終日位は本来お休みの日なのですから のんびりとくつろぎました。
    車に乗って 異人館の近辺に向いました。朝の十時前でしたが 既に観光客がぞろぞろと歩いて見物していました。表から雰囲気を眺めるだけではなくて 一軒ぐらい中に入ってみようかと思っていましたが 駐車場が見当たりませんでしたし 目立つところにある館は 入場料などの看板が目立ってしまっていて いかにも観光地化していて 客引きみたいな人まで立っていましたので 中に入って様子を見ようとは思いませんでした。
    メリケンパークに行って 車を停めました。ポートタワーのすぐ近くでしたが ここは小学生の時に遠足で訪れたことを覚えていました。子供の目から見ると 凄く高くて自分の方に倒れてきそうな位の圧迫感までありましたが 今回は周囲にそれ以上に高い建物が幾らでもあるからかもしれませんが、凄く小さくて おもちゃのタワーのように感じました。この旅行の最後のイベントは ルミナス神戸2にのって ランチバイキングを頂きながら 神戸から明石大橋の辺りまでをゆっくりと周遊しました。船に乗ると 直ぐにレストランに直行しました。窓際の特等席が用意されていましたので ランチを頂きながら のんびりと窓から景色を眺めました。
    出港すると 海に突き出した神戸空港を回り込んで 一旦大阪湾の方向へ向かいました。海の上からでもかなり遠くまで眺められましたので 昨日淡路島の 花さじきの展望台から眺めた 梅田の高層ビル群や 微かなシルエットからアベノハルカスであろうと 予想していた建物が やっぱりアベノハルカスであることが確認できました。ほどなく進路を西に切って昨日渡った淡路大橋に向いました。淡路大橋の手前でUターンして 明石から神戸の街並みや六甲山を眺めながら出発点であるメリケンパークに戻りました。
    船の旅は眺めも素晴らしくて 満足のいくものでしたが ランチバイキングは ステーキの食べ放題までついていましたが 上等の神戸牛は期待していませんでしたが 筋ばかりでやたらと固かったし その他の料理もありきたりで 値段方はないなと思いました。まあゆったりとしたすわり心地の良い席で 静かに落ち着いて景色が眺められましたから その分の料金だと思いました。船に乗った時は 日がさしていて 海面がキラキラとまぶしいぐらいでしたが 食後に船の外から景色を眺めようとした頃には 曇り出して肌寒かったのが ちょっと残念でした。
    船が波止場について 車に乗ると 旅行の予定をすべて消化しましたから 後は一路病院へ戻りました。時間に余裕がありましたので一般道を走ろうかとも思いましたが やはり旅行も四日目ですから かなり疲れも溜まっているので 高速道路を使って安全確実に素早く戻りました。帰り道も一応ナーちゃんにナビゲートしてもらいましたが 性能が悪いカーナビの為 ベストのルートで案内してくれませんでしたから 奥様がちょっと不機嫌になりました。私がナーちゃんの事をあまりに弁護したので 奥様のご機嫌が猶更悪くなったみたいですが このことは奥様がナーちゃんに焼きもちを焼いているのだろうと 好意的に解釈しているうちに 何とか無事に病院まで帰り着きました。
    期待外れの事もありましたし 予定していたスケジュールをこなせなかったこともありましたが 取り敢えずは無事に戻って来れましたし 楽しい思い出も沢山出来ましたし 次回の旅行の参考になることも色々ありましたから とってもよい旅行だったと思います。多少はカーナビにも頼りましたが 殆どの道順をシュミレーションしてくれて 道案内してくれた奥様に 感謝しつつ この旅行の報告を終わります。

  • 3月15日 旅行三日目です

    旅行も後半戦が始まります。オレンジ荘で とっても美味しい朝ごはんをお腹いっぱいに頂いて 九時過ぎに車で出発しました。本日は淡路島をほぼ一般道路で縦断します。まずは淡路島の南端を瀬戸内海側に移動してから 海沿いに走りました。一つ目の目的地の「淡路島ウェルネルパーク」に向いました。最初の予定では ここのオートキャンプ場にテントを張って 三泊目に宿泊する予定でした。予定と言うのは 三月も半ばなら 下手したら桜が咲いているかもしれない位に暖かくなっていることを期待していました。しかし今年の春は出足が遅くて 天気予報でも十五日は 最高気温が十四度 最低気温が四度と予測されていました。テントを張って地べたに寝る訳ですから 特にテントでの宿泊経験が少ない私たちとしては 心配でした。管理事務所に尋ねましたら 各スペースに水道と電源がありますから 電気毛布などを用意されていれば 大丈夫だろうと思います とのことでした。
    電化製品で寝るときの寒さは何とか凌げるかもしれませんが キャンプを張る以上 屋外でバーベキューでもして夕食を取ることになると思いますが 日が暮れてからの屋外での作業は 如何なものかと心配して 残念ながら キャンプを張ることは今回の旅行では諦めました。但し このウェルネルパークは 色んなスポーツ施設がありますし 体験工房では 蕎麦やうどんの手作り体験ができるし 陶芸や紙漉き、布の染色体験などもできるのだそうです。農園では 玉ねぎやさつま芋の収穫体験 イチゴ狩りなども体験できるそうですから きちんと予約を入れておけば 一日しっかりと 遊べそうです。それで 次回の旅行では もっと暖かい季節に訪れるでしょうから キャンプ場や各施設を下見するために 訪れてみました。
    オートキャンプ場は 場所によっては 落ち着かない様なポジションもありますが 奥の方の小高いスペースなら 見晴らしもいいし とても静かで落ち着けそうでした。各エリアに水道と電源がありますから 調理もしやすそうです。それから 今回も宿泊してみたかったログハウスも実際に建物を見物に出かけました。こちらは ログハウスですから 木の香りが漂うような落ち着いた建物で 各ハウスにバーベキューのできるスペースが付随しています。屋根もありそうですから お天気の心配なくバーベキューが楽しめそうです。
    但しこのログハウスは 一棟を借り切りますから 二人では広すぎますし 結構高くつきます。少なくとも五六人で利用すれば 割安になりますから 凄くお得になりそうです。残念ながら 私には旅行に一緒に出掛けてくれるような友人がいませんから 二人で割高に利用するしかなさそうです。でも人数の多いご家族にすれば凄く魅力的な宿泊先なので 非常に人気があり 利用日の六か月前から予約が出来るのだそうですが あっと言う間に予約が埋まってしまうので 思いつきで旅行の予定を立てる私たちには 到底利用できそうもありません。残念ですが オートキャンプ場が利用できれば ずっと安い料金で宿泊できますから そちらに期待しようと思います。
    それ以外にも普通の宿泊施設もあります。そちらも様子を見ましたが 結構きれいでレストランなどもしゃれた雰囲気で食事が楽しめそうです。何棟か離れもありますから 独立していてとても落ち着けそうでこちらの施設もそれなりに魅力的です。それからここには お風呂の施設が 独立して存在しますから キャンプを張る場合にも利用できますので 気持ちよく宿泊できそうです。ザーッと見て回りましたが なかなか使い勝手が良くて 料金もリーズナブルな設定のものが多いので 次回の淡路島旅行では ぜひ利用してみたい施設でした。
    ウェルネスパークの下見を予定通りの時間に終えましたので 次の目的地である あわじ花さじきと言う公園に向いました。ここは山のてっぺんにある公園で 名前の通りお花畑がきれいな広々とした公園です。今の時期は 菜の花が真っ盛りで 広々とした菜の花畑が黄色いじゅうたんの様でした。もう少し時期が遅いと ムラサキハナナという同じ菜の花科のラベンダーのようなきれいな紫色の花が咲きだすのだそうですが 残念ながら本日はそのつぼみすら見当たりませんでした。山のてっぺんにありますから 遮るものが全然なくて 風が吹き抜けます。毎日ここに通っているという叔父さんからききましたが こんなに風が吹いて寒いのは久し振りで 普段はもっと穏やかで温かいのだそうです。やっぱり本日のキャンプは中止して正解だったと思いました。
    凄い強風に 吹きさらされながらも 頑張って展望台に登りました。長い結構きついスロープを登り始めると 隣で わたしよりもずっと年配のお爺ちゃんが登り始めました。そのお爺ちゃんが奥さんにも一緒に登ろうと誘いましたが その奥さんは風がきついのと上り坂が急なのを見て諦めていました。私はほぼ同時にスタートしたお爺ちゃんに後れを取りたくなかったのですが そのお爺ちゃんは両手にストックのような杖をついていましたから 上手に杖に体重を預けて ひょいひょいと登って行きました。取り残された私を見て 奥様が情けなさそうに笑っていましたが しょうが無いので 私は私のペースでとぼとぼと登りました。
    やっと展望台に辿り着くと さっきのお爺ちゃんがスマホで景色の写真を夢中で撮影していました。風は相変わらず吹いていましたが せっかく上った展望台なので 対岸に見える景色をじっくりと眺めました。奥様は とにかく方向感覚や距離感が抜群に優れているので あそこが梅田の高層ビル群だとか 微かに見えるのはアベノハルカスだ、関空があちらの方向に見える 等と細かく解説してくださいましたので 大阪湾の位置関係がほぼ理解できました。方向音痴の私が幾ら眺めていても どこに何があるのやら さっぱり見当がつきません。展望台を降りるときには 結構急な傾斜のカイダンでしたので さっきのお爺ちゃんが杖を突きながら 危なっかしそうに降りていきます。私はその横を軽やかな足取りで降りていきましたので さっきの悔しさが少しだけ解消されました。
    花さじきを出発して 淡路島のサービスエリアに立ち寄り ゆっくりとお昼ご飯を頂きました。ここは土産物売り場が充実していますし レストランもステーキにお寿司などバラエティーに富んでいてなかなかの食べ応えと評判です。観覧車などの遊戯施設もありますから 子供もしっかりと楽しめるエリアになっています。私は少し贅沢してステーキ丼をいただきました。旅行に出かけているのですから多少の贅沢は許されるでしょう。このサービスエリアでゆったりとくつろいで 花さじきで冷え切った体を温めてから 出発しました。
    淡路大橋を渡り やっと本州に戻ってきました。橋を渡ってから 奥様にしては珍しく今夜宿泊予定のホテルへの道順が分らなくなりました。それで仕方なしに道沿いのコンビニに寄り 道順を教えてもらう事にしました。奥様は非常に感が良いので 要領よく教えてもらえれば 直ぐに理解できるはずですが 十分以上過ぎてやっと車に戻ってきましたが 教えてくれる人が 親切なのだけれども よく解かっていないみたいで さっぱり理解できなかったのだそうです。仕方がないので隣接する郵便局に立ち寄りました。私が説明をきいてもどっち道全く理解できませんから 私は車の中で待っていました。
    所が二十分以上過ぎても 奥様がまだ戻ってきません。私は不安になって 中に入ると 一人の局員さんが地図のコピーを何枚も使って懸命に説明してくれていました。私がしびれを切らして カーナビがあるのだから それを利用しようと提案すると 奥様も了解されたようで その様子を察して局員の方の説明も終了したようでした。車に戻って 事の経過を訪ねるとここから本日宿泊予定のホテルへの道筋はかなり複雑なのだそうです。結局奥様にもピンとこなかったみたいでした。カーナビと言っても 乃木坂のメンバーが音声案内してくれるものなので 私としてはナーちゃんが説明してくれるのですごく嬉しいのですが 何しろ安物のカーナビなので 結構その説明がピンと外れだったり 不親切だったりするのです。
    でも仕方がないので ナーちゃんが説明する通りに車を走らせたら それほど苦労することなく本日宿泊予定の 「北野ホテル」に無事到着しました。神戸の北野ホテルと言えば 世界一の朝食で 有名なホテルです。ぎりぎりまで この日の宿泊をオートキャンプ場にしようか迷っていて 慌てて本日の宿泊先を探しだしましたので 予約するときに私が一寸した勘違いをしてしまいました。この旅行の一泊目、二泊目の宿泊先を予約した時に いずれも二人分の料金が表示されていました。一泊目のスーパーホテルが二人で約七千円、二泊目のオレンジ荘が フグの贅沢コース付きで 三万数千円、このホテルのたまたま見つかった夕食は無料サービスで世界一の朝食付きのツインルームが 二万円と表示してありましたから 夕食が無ければ 一人一万円で宿泊できるのだと勘違いしてしまいました。
    私が 慌てて探していたために料金が一人分なのか二人分なのか しっかりと確認していなかったのです。つまり二人分の料金だと四万円だったのです。辛うじて税サ込だったので 支払いが四万円で済みました。まあ夕食が無料のプランですから 部屋は二階で窓からは隣の民家が見えるだけでしたが そのベッドの豪華さには驚きました。私がこれまでに宿泊したホテルで一番高い料金を支払ったのは ディズニーシーのホテルミラコスタの ハーバービュールームで 素泊まりで五万八千円の部屋です。ハーバービューですから ホテルの部屋の窓から つまり特等席から夜のショーが見られる部屋でしたので 一度だけのつもりで張り込んで 泊まってみました。その部屋のベッドの分厚さも初めて目にするほどでしたが 北野ホテルの部屋のベッドも それに引けを取らないぐらいの豪華なものでした。
    無料で付いている晩御飯ですから あまり期待はできませんが 何しろ世界一と評判の朝食まで食べられるのですから 一人一泊二万円でも致し方がないのでしょう。夕食の前に 少しだけ神戸の街の雰囲気を味わうために 二人で散歩に出かけました。さすがに神戸でもお洒落な雰囲気のある街並みらしくて 何気ないお店が凄く雰囲気があってその前を通りかかるだけでも 神戸の香りが感じられました。部屋に戻りお風呂に入ってサッパリとしてから レストランに夕食に向いました。奥の窓際の席に案内されましたので 落ち着きましたが 手前の席はディナーブッフェの方たちの席だったみたいです。結構若い女の子たちのグループが 明らかに私たちよりも上等のコース料理を賑やかに食べていましたから どこぞのお嬢様学校の学生さんかもしれません。私たちの 無料でいただけるコース料理も そこそこ充実していて 勿論味は素晴らしかったです。選べるメイン料理で オマールエビのフライを頼みましたので 料金が千円アップしたはずですが 翌日の支払いの時 料金に加算されていませんでしたのでラッキーでした。無料で付いているコースにしては デザートまで充実していて 十分に楽しめましたので 最初から二食付で一泊と考えれば 一人二万円は 納得のいく料金だと思いました。
    部屋に帰ると凄く分厚くてふわふわのベッドに寝転がりました。分厚くてフワフワなだけではなくて横幅も凄く広くて 解放感も満点のベッドでした。テレビをつけるとWBCの熱戦が繰り広げられていましたが ベッドがあまりに快適なのと 旅の疲れがたまってきていたからだと思いますが いつの間にかぐっすりと眠ってしまいました。 

  • 3月14日 旅行二日目です

    スーパーホテルの料金が安いのは 狭い部屋の空間を有効活用して 二段ベッドにして ツインルームを作り出したり 照明設備を必要最小限に押さえて 当然電気消費量も少なく抑えるやり方は なかなか合理的で 感心してしまいます。それから もう一つ上手なやり方だと思ったのが 料金は先払いで 部屋のドアのカギはダイヤル式で そのナンバーをお客さんに手渡すだけなので 出発するときには 勿論時間制限はありますが お客さんの都合で 勝手に出ていってくれ と言うシステムです。
    まあホテルの人の見送りなどは期待してはいませんから 自分の都合で出発するだけで ある意味気楽だし 合理的です。料金後払いだと 当然チェックインの時には従業員の応対が必要ですが チェックアウトでの対応がいらないし 部屋の鍵の回収も必要ないのです。宿泊料金を安くするために 省ける従業員の作業を徹底的に省いてしまっているという事で 本当に合理的で感心しました。勿論掃除などは行き届いていますから 清潔で過ごし易い 最低限の環境を提供してくれているみたいで かえって好感が持てました。次回高松で宿泊するときにも利用したいです。
    朝ごはん代わりに 六時半からオープンしているうどん屋さんを ホテルの近所で見つけてありましたので 六時過ぎにフロントにいる人に そのうどん屋さんの場所を訊ねましたが そのうどん屋さんの「こだわり麺や」と言うお店の名前も聞いたことがないのだそうです。調べるのでちょっと待っていてくださいと言われてしまいました。そのうどん屋さんは 確かにそれほど有名なうどん屋さんではないみたいでしたが 六時半の開店時間に惹かれていってみようと思ったのです。所が 調べてもらったらそのうどん屋さんは このホテルから歩いて三十分位かかると言われてしまいました。私がホテルの場所を勘違いしていたみたいで 往復一時間の歩きは 想定外の遠さなので 諦めることにしました。
    このホテルでは 宿泊者に無料で朝食バイキングがついています。無料のサービスですから その内容には全く期待できないと予想して わざわざ外へうどんを食べに行こうとしていました。そのサービスがちょうど始まったようでしたので 食堂に行って朝ごはんを頂くことにしました。私の勝手な想像以上に朝食の内容が充実していたのには驚きました。取り敢えずは味噌汁とごはん 生卵と焼き海苔 佃煮などで ご飯を一善いただきました。
    おかずは他にも焼き魚や煮物もいくつかあり 玉子焼きまでありました。生野菜とドレッシングも何種類かおいてありましたし パンもクロワッサンにロールパン、食パンまで並んでいて マーガリンやジャムも何種類かおいてあり トースターまで用意されています。焼き魚や卵焼き サラダなどで 二杯目のご飯もサラッと頂きました。正直な気持ち わざわざ遠くのうどん屋さんまで出かけて 勿論何某かのお金を払ってうどんを頂くよりも 最初からこのホテルの無料サービスの朝食を頂くことにしておいた方が よほど良かったと思います。飲み物も ソフトドリンクがすべて無料だしコーヒーもそこそこの味でしたから 十分に楽しめました。
    ただ残念な事は 今回の旅行で五軒のうどん屋さん巡りをする計画でしたが そのうち二軒をいかずじまいです。午前中の予定としては十一時から開店する かなりの有名店で混雑が予想される「竹清」です。開店時間よりもそこそこ前について お店の駐車場に車を停めて 開店と同時にうどんを注文して 最後だし うどん屋さん訪問を二軒もカットしてしまいましたから たっぷりと頂く予定です。朝食がホテルのモーニングサービスになりましたので 予定よりも早くホテルをスタートできることになりましたので 九時から見学できる高松城跡に出かけてみることにしました。
    ここは城址で 残念ながらお城そのものは残っていません。係りの人に訊ねた所 お城の再建の話は随分前から持ち上がっていて そこそこ資金の準備もできているのだそうですが 何しろ由緒正しきお城を再建するとなると 出来るだけ本物のお城に近い形で再建しなければならないのだそうです。所が 昔のお城についての資料が残念ながらあまりないので 忠実に再現することが難しい と言う事で お役所から再建の許可が下りないために 何時までも城跡のままなのだそうです。今更 昔のお城の様子を知っていて 文句を言う人もいないのだから せっかく他の条件は整っているのだとしたら お役所も融通をきかせてゴーサインを出せばいいのにと 思ってしまいました。
    ここのお城は海沿いにありますから お堀の水は海水をひきいれたものなのだそうです。従って お堀に付き物の鯉の姿は見られません。所がここのお堀には 恐らく全国的にもここのお堀だけだと思いますが かなりの数の真鯛が泳いでいるのです。外海から お堀に入り込んで自然と居ついてしまったものなのか まさか観光用にお堀に放されたものなのかは確認できませんが 真鯛の姿を期待して捜しましたら 凄く立派なサイズの真鯛が 相当数泳いでいることが確認でしました。他に小さなフグがユラユラ泳いでいるのも見かけました。
    真鯛が泳いでいることを知っていましたので ホテルの朝食のパンを二つほどコッソリと頂いてきましたので ちぎって水面に投げてみました。普段貰っているのは 見た目はドッグフードのドライタイプのような餌です。百円で売っていたので 試しにあげてみると 喜んで食べていました。所がパンの方が美味しいはずなのに 見慣れない物体だったからか 最初は警戒してなかなか食べてくれませんでした。所が小さめの縦じまのある 多分縞鯛だとおもいますが 最初に食いついてくれました。それでやっと食べ物と認知されたみたいで 大きな真鯛が寄ってきて むしゃむしゃと食べてくれました。
    城跡と言っても結構広いのでウロウロ散歩しているうちにいい時間になりましたので 「竹清」に向いました。かなり余裕を持って十時半ごろに到着しましたが 何しろお店の横にある駐車場は三台分しかなくて それ以外は近所のコインパーキングに停めなければなりません。面倒だし無駄なお金がかかるので 早めに到着したつもりでしたが 既に先着された方が一人いらっしゃいました。その方の横に車を停めて 取り敢えずお店の入り口に様子を見に行くと 開店の時間が十時四十五分と書いてありました。インターネットによる情報だと十一時になっていましたから 余裕をもって早めに到着してよかったです。書いてある通り十時四十五分にきっちりとお店が開きました。ここは うどん玉と天麩羅を注文しますと 丼に入ったおうどんとお皿にのった揚げたての天ぷらが渡されて 取り敢えずお会計します。渡されたうどんは 茹で上げられて 冷水で締められた状態ですから 冷たいおうどんです。後は自分の好みに応じて おうどんを仕上げて頂くシステムです。うどん玉は朝ご飯をしっかりと頂いてしまいましたから 一玉にしておきました。男性だと二玉から三玉が標準的みたいです。私はまず自分でうどんをざるに入れて熱湯にくぐらせて うどんを熱々に温め直しました。そこに熱いお出汁をかける いわゆるアツアツと言う食べ方で 頂きました。トッピング用の薬味から ショウガとねぎ それにゴマをたっぷりとかけて お揚げさんと竹輪の天ぷらをのせて食べました。高松城跡を歩き回って結構お腹が空いてしまっていたようで あっと言う間に一玉食べてしまいました。これで香川のうどんの食べ納めだと思うと どうしてももう一玉食べたくなり お代りをしてしまいました。ここのうどんは 麺のコシがどうとか お出汁の味がどうとかいうよりも とにかく美味しかったです。さすがに超がつくぐらいの有名なおうどん屋さんでした。二杯目は うどんを温めないで 熱いお出汁をかけて いわゆるヒヤアツと言う食べ方で 勿論薬味をたっぷりとのせて 今度はゲソ天と玉子天をのせて頂きました。これもまた あまりに美味しくて食べている途中の記憶がないぐらいです。十一時過ぎには 既に行列がそこそこできていましたから 食べ終わり次第 お店を後にしました。ここの御店は何しろ昼間の三時間位しか営業していませんから 訪問するのが結構大変ですが 次回のうどん屋さん巡りでも 必ず訪れるお店になると思います。
    さて高松のうどん屋さん巡りを終えて 次に向かったのが鳴門です。勿論渦潮をみるためです。お昼に高松でうどんを食べましたので 本当はした道をのんびりと走って 途中でもう一軒ぐらいおうどん屋さんに寄り道したかったのですが 渦潮と言う自然現象が相手ですから よく見える時間帯がありますので 直ぐに高松自動車道から高速に乗ってしまい 神戸淡路鳴門自動車道にのって 淡路島に上陸してしまいました。手前の鳴門からも渦潮見学の船が出ていました。但しそちらにのると 一旦高速を降りて船着き場まで行って 観光船にのります。淡路島から出る観光船にのる場合は 一気に淡路島に上陸してしまいますから 高速料金としても安上がりだし 時間的にも余裕が出来ると思いましたので 淡路島から乗り込む観光船をチョイスしました。
    渦潮は 自然現象ですから 日によって そして時間によってよく見えたり あまり見えなかったりするとは思いますが 正直想像していたよりは小さな渦巻でした。まあ名物にうまいものなし と言う言葉もありますから 勿論生まれて初めて見る現象でしたが 期待が大きすぎたからか それほど感動はしませんでした。次回の旅行で 鳴門海峡を渡る機会があっても 多分素通りするでしょう。姫路城、香川のうどんが期待以上に ワクワクさせてくれましたから たまには期待外れがあっても 文句は言えないのかもしれません。
    船を降りてから 淡路島の特産品売り場がありましたので 見て回りました。いかにも観光地のお土産らしいものばかりが並んでいましたので ちょっとがっかりして出ていこうとしたら 出口の所に立派な大きさの玉ねぎが箱詰めされておいてありました。形も見事に真ん丸で 凄く美味しそうでした。その時店のオジサンが 「じゃあ今からひと箱三千円の所 二千円で販売します。」と大きな声で言うのが聞こえました。奥様が直ぐに反応して「買う」と仰ったので 私がその箱に手をかけました。残りはひと箱になり そこにに三人のおばちゃんたちが群がりました。私は一瞬先に箱を持ち上げたので 争奪戦には巻き込まれませんでしたが やはり最後のひと箱となると どうしても人間欲しくなってしまうのかもしれません。直ぐにお金を払って車に運びましたが おかげでその後は車の中がかなり玉ねぎ臭くなってしまいました。車に乗るたびに空気を十分に入れ替えましたが シートなどに多少は玉ねぎの臭いが浸み込んだかもしれません。
    その後展望台によって海を眺めたりしながら 二日目の宿「オレンジ荘」に向いました。二日目で今日も高速道路をたっぷり走りましたから 疲れもありましたので 早目に宿について ゆっくりと広いお風呂に入って 夕食までのんびりとくつろぎました。今夜は淡路の近海で養殖された三年物のトラフグを白子タップリとついた贅沢なコースで注文してありますから 昨夜のうどんとは異なりかなりのご馳走です。晩御飯の時間になりましたので 食事の部屋へ移動しました。普通は お風呂上がりですから ビールで乾杯からスタートするのでしょうが 下戸の私と 奥様は飲めないわけじゃないけれども 私に付き合って お茶で乾杯して食事が始まりました。
    フグの皮の湯引きや てっさ、唐揚げなどがどんどんテーブルの上に並びます。二人とも十一時におうどんを食べて以来の食事ですから 美味しいを連発しながら 夢中で食べ始めました。そのうち小さな七輪が出てきて待望のフグの白子と身が出てきました。白子は予想以上に大きくて テンションが上がりました。やはり三年物のフグは 体も大きく成長していて 白子も十分に成熟して大きくなっているのだそうです。固形燃料に着火して 焼きふぐと焼き白子のスタートです。こんがりといい香りがしてきましたので 丁寧にひっくり返して 全面こんがりと焼き上げます。レモンを絞って 塩を振りかけて 頂きました。やはりフグの白子は まったりとして上品な美味しさに溢れています。たまに食べるたらの白子も それなりに美味しいのですが やはりお値段の違う分 美味しさにも差があるようです。
    お鍋にも火をつけて てっちりもスタートしました。骨のついたフグの身とは別に しゃぶしゃぶ用のフグの身と白子がついていましたが 私はあえて食べずにおいて 最後の雑炊に入れて楽しもうと考えました。てっちりを食べ終えると 一旦お鍋を台所に下げて 雑炊の用意をしてくれるのだそうで 楽しみに待っていると 白子とフグの身も入った 雑炊が出来上がりました。鍋の〆の雑炊は どんな鍋でも とても美味しいのですが やはりフグの旨味を吸ったてっちりの最後の雑炊は格別でした。デザートの果物を頂いて 満腹で大満足で部屋に戻りました。布団がしいてあったので 寝転がってWBCの試合を見てから ぐっすりと眠りました。

  • 3月13日 一応建前は 研修のための旅行にスタートしました 

    本日から三泊四日の日程で 旅行に出かけます。病院のシャッターの張り紙や このホームページの表看板には 研修のための旅行と銘打ってありますが 本当は百パーセント遊ぶための旅行です。こうやってブログで毎回白状しておりますから 今更な気がしますが 「遊びの為に旅行に出かけます」とは表現しにくい私の気持ちもご理解ください。ここの所旅行と言えば 伊勢志摩方面が多かったように思います。きっかけは 奥様が雑誌でたまたま見かけた記事から 伊勢方面の料理民宿で とても豪華な伊勢海老三昧のお料理が 結構リーズナブルな料金で楽しめる と言う情報を仕入れてこられたからです。
    先ずは日程を決めてから その民宿に予約のメールを入れましたが 雑誌に載って有名になってしまった影響でか 残念ながらその民宿は予約できませんでした。但し その地域の民宿を検索すると 雑誌の民宿よりも更に魅力的な料理民宿が見つかりましたので 伊勢志摩本面への旅行に出かけることになりました。たまたま伊勢志摩でサミットが行われるために 世間の注目も集まっていましたので それなりの混雑も予想されましたが あえて出かけてみました。小学生の頃以来の伊勢神宮参りや 鳥羽の水族館 夫婦岩に地中海村など観光スポットは沢山ありすぎるぐらいなので とても一度の旅行では回り切れず それから何度も伊勢志摩に出かけてしまいました。
    今回はどこに旅行に行こうかと 奥様と相談していましたところ テレビでお城見物する番組が大好きで何時も欠かさずにみている と言う話題になり 数年前に改修が終わって 凄くきれいになったと評判の姫路城を見学に出かけることが 最初に決まりました。私は姫路と言う地域を訪れること自体が初めてですから なんなら姫路に腰を据えて その周囲をじっくりと観光して 帰りがけに神戸や六甲に寄り道するプランも考えてみました。所が 今度は私がテレビで最近見た番組の影響で 香川のうどん屋さん巡りをしたい気持ちになっていましたので どうせ姫路まで出かけたのなら 橋を渡ったら直ぐに「うどん王国」香川県であることに気づいて 思い切って四国に上陸してしまうプランが持ち上がりました。私も奥様も 四国にわたった経験がなかったので 思い切って遠出してみることにしました。一日目の昼からと二日目の午前中は 香川県のうどん屋さん巡りをすることにしました。ここから先のプランは 明日のブログで書くことにします。
    さて 旅行の出発の時には 何時も私のお弁当作りから 既に旅行は始まっているようなものです。病院から姫路城まで ルート検索をして 早朝スタートでかかる時間を調べたら お城の開門が九時ですから その駐車場に余裕を持って八時半に到着するためには 六時半にスタートすることが決まりました。何時もは ご飯を炊いておにぎりにするのですが 今回の旅行は何しろお昼からうどん屋さん巡りの予定ですから サンドイッチで胃にもたれないように と奥様から注文が入りました。それからこれはいつもいつも厳重注意を受けているのですが どうしても食いしん坊の私が作ると 食べ切れないぐらいに大量にお弁当を作ってしまいます。
    昨日にスーパーで運よくサンドイッチ用のパンが安売りになっているものを購入しました。何故かサンドイッチ用の食パンは量目の割に価格が高めに設定されているようで 納得がいきません。それに以前は十四枚入っていたのが いつの間にか十二枚入りに 消費者に何の断りもなく 枚数が減少しているのです。よく切れる包丁があれば 六枚切りを半分に切って サンドイッチ用のパンを作れるのですが 何しろうちの包丁は 指にあててスッとずらしても 全く怪我しないぐらいの切れ味なので やわらかい食パンを薄くカットするような芸当は 全く無理なので 仕方なくサンドイッチ用のパンを購入しています。
    今朝は サンドイッチを作るために 四時半に起床しました。本当は本日沢山高速道路を運転するので たっぷりと寝ておくべきなのですが 私はお弁当作りを優先してしまいます。本当は自分で手作りのお弁当を用意すると 結構いい材料をたっぷりと使いますから そこそこの経費が掛かってしまいます。ぶっちゃけた話 コンビニでお弁当でもサンドイッチでも買った方が楽だし 反って安上がりかもしれません。でも食べた時の満足感が全く違うと自負しているので いつも出かけるときのお弁当作りを頑張ってしまいます。
    どんなサンドイッチを作ったかについて いろいろと拘りがあるので書きたいのですが 何時まで経っても旅行がスタートしないので 病院から車を走らせ始めた所から 書いていこうと思います。奥様を拾ってから 高速道路に向かって走り出しましたが 奥様が一番最初の登り口から乗るよりも 次のその次の登り口から乗る方が 高速道路を運営している会社が一つ少なくて済むので数百円高速料金が安くなるよと 教えてくれました。時間帯はまだ七時前でしたから 当然側道もすいていると確信して 二つ目の高速への登り口を目指しました。
    本当に私は貧乏人根性が抜けない人間だと痛感しますが 一つ目の登り口を通過してから直ぐに 道路の渋滞が始まりました。結局二つ目の登り口まで 五分位で到着するつもりが二十分もかかってしまいました。今回の旅行はスタートからいきなり暗雲が立ち込めるのかとも思われましたが 高速に乗ってからはすいすいと走れましたので 途中でサービスエリアによって ゆっくりと手作りサンドイッチとコーヒーで朝ごはんを食べても 予定通り姫路城の駐車場に到着しました。私は食うとすぐに出るタイプなので 駐車場のトイレに駆け込みましたが 結構混み合っていましたので お城の入場門についたのは九時ちょうど位になりました。
    姫路城は遠くから見ても素晴らしく美しかったですが 天守閣を真下から見上げた姿も壮大で魅力的でした。但し 天守閣までの道のりが 城を攻める軍勢と同じ道を歩かされますから ダラダラと上り坂が続きますし 結構ヘアピンカーブのような曲がり角もあったりして かなりへこたれました。前後を歩く観光客が わたしたち夫婦よりもさらに年配の方が多かったので くたびれてゆっくりと歩いてくれましたので 疲れて立ち止まってしまって 後続の方に迷惑をかけるようなことがなくてラッキーでした。こんな坂を相当に重い鎧や兜を身に着けて 駆け上がるのですから お城を攻めるお侍さんたちは大変だったろうと思います。ましてや弓矢や鉄砲の弾が降り注いでくるのですから。
    天守閣に入ってからも更に大変でした。はしごかと思えるぐらいに 幅が狭くて傾斜が急な階段を延々と六階まで登らされるのです。途中でリタイアしようかとも思いましたが せっかくですから天守閣のてっぺんから姫路の街を見下ろしたかったので 何とか頑張りました。姫路市は人口が枚方市よりもわずかに多いぐらいの街ですが お城のおかげで全国的に有名な街ですし 枚方よりも若干都会だと感じました。朝一番から こんな寒い平日にもかかわらず 観光客であふれかえっていますから それなりに潤っている街なのだろうと思いました。
    普通のブログなら この辺りで姫路城の全景の写真でも差し込まれるのでしょう。奥様は携帯(スマホではありません)で沢山写真を撮っていましたが まあ姫路城の写真なんて物珍しいものでもありませんから 掲載するのはやめておきましょう。予定よりも三十分ほど早く駐車場に戻りましたので さっさと姫路を後にして香川県を目指しました。初めて渡る瀬戸大橋は 案外短く感じました。海の上を走っているのは ほんの短い時間に感じられました。さていよいよ待望の香川県に入りました。どこのうどん屋さんを訪問するかについては 奥様と散々話し合いました。
    うどん屋さん巡りをするのが初日の昼からと二日目の午前中なので 時間が限られていますから 効率的に回れるように 地理的な条件と あまり混み合う有名なお店は待ち時間が無駄になりますので 今回は超有名店はあえてはずして予定を組みました。記念すべき一件目のうどん屋さんとして選んだのは 橋を渡ったところから割と近い丸亀市にある「名水亭」にしました。ここは 観光客相手なのかもしれませんが 結構値段設定が高いうどん屋さんです。「鴨塩焼き土佐しょうゆうどん」が名物として評判のお店です。
    奥様が鴨肉が大好きなので 是非このうどんを御馳走したくて 選びました。香川のうどんとしては 1500円以上しますから かなりの贅沢うどんかもしれませんが 分厚くてとても柔らかく 鴨の味がしっかりと楽しめましたから それほど高いとは感じませんでした。私は平凡に天麩羅うどんを注文しましたが 山菜の天ぷらから海老の尻尾まで カラット美味しく上がっていましたので それなりに美味しかったです。うどんは 予想通りしっかりとしたコシがあって 咬みごたえものど越しも素晴らしいと思いました。付け合せに 香川のうどん屋さんには必ずおいてあると言われるお味噌をつけて頂くおでんがありましたので 何本か頂きました。大根と蒟蒻がとても美味しかったです。
    ここまで 時間単位で決めてある旅行のスケジュールが順調にこなせていますので 予定通りに二件目のうどん屋さんに向いました。このうどん屋さんはつい先日もテレビで紹介されている有名なうどん屋さん「もり家」です。大きなお店で お客さんも多いみたいですが 座席の数も多いし かなり回転も速いみたいなので 並ばずに食べられそうだというので 訪ねてみました。このお店でもやはり看板メニューのかき上げ下ろしうどん特上と 特上もりもりうどんを注文しました。ここのかき揚げはとにかくそのボリュームが凄いのが評判ですし 特上になるとたこやエビ、イカなどの海鮮が沢山入っています。もりもりうどんは 刻みネギや錦糸卵、もみ海苔などの薬味がたっぷりかかっていて 特上には大きな竹輪てん と玉子てんがのっています。どちらも予想をを上回るボリュームで 何とか食べ終わりましたが お腹の具合がほぼリミットに達していました。このうどん屋さんは トッピングは期待以上に大きくて サクサクしていて凄く美味しかったけれども うどんはそれほどコシガあるようには感じられず お出汁も平凡な感じで 勿論美味しくはありましたが 恐らく二回目の訪問はない様に思います。
    ここまで時間的には 順調に移動できていましたが お腹の状態が予定よりも早く満腹状態になってしまいました。勿論おうどんのサイズとしては 一番少量で注文していますが やはり年をとったのか食べられる量が思っているよりも少なくなっているのかもしれません。お腹の満腹状態については 時間の経過とともに様子を見ることにして 予定通り高松市内に移動して 時間調整と運動してお腹が減るようにと言う意味合いも兼ねて 栗林公園と言う駅のすぐ近所にある割には 広くて立派な公園がありますから そちらの散策に出かけました。名前から栗の木が沢山あるのかと思いましたが あまり見かけなかったように思います。
    私の旅行はいつも 観光シーズンを外れていますので もう数週間後なら さくらも開花しているでしょうし 花壇の花もきれいなのかもしれませんが 色合い的にはかなり寂しい公園を歩いて回りました。途中で梅林があり ここだけは 丁度梅がきれいに咲いていました。ここでちょっと不思議な光景を見かけました。梅の花にウグイスは 花札にもあるように付き物だと思いますが ある一本の梅が盛りのように花を咲かせていましたが その梅の木にだけウグイスが十羽近くも枝にとまって花をつついているのです。この部分だけをみると微笑ましい光景なのかもしれませんが その他の梅の木には一羽もウグイスが見られないのです。他にも見事に花を咲かせている梅の木はいくらでもあるのに なぜか一本の梅の木にだけ集中してウグイスがたかっている理由が分らなくて とても不思議に思いました。
    公園を歩いていると いつもの事なのですが 私がまた食うと出るの生理現象が始まりそうでしたので 慌ててトイレを探して駆け込みました。奥様は 私と旅行した時にはこのような事は日常茶飯事なので
    予めトイレのある場所をきちんと確認されていますから 大事に至らずに済みました。いつもながら奥様に感謝しております。公園のトイレですから あまりきれいなトイレではないであろうことを 覚悟しておりましたが 意外に明るくて清潔なトイレで感心しました。表向きの場所は大抵きれいに掃除も行き届いている所が多いものですが 一歩裏に回って トイレが汚いとガッカリしますし 逆にトイレに清潔感があると その施設の印象が凄くよくなりますから トイレの掃除は 楽しくはありませんが とても重要だと思います。
    公園を出ると 一日目の宿泊予定の高松市内のホテルに向かいました。「スーパーホテル」と言う名前のビジネスホテルです。私が太っていますし 夜中にトイレに何度も起きますから ツインルームが必須う条件で ビジネスホテルの料金の安い所を探していましたら見つかりました。料金が二人で一泊なんと六千円台なのです。大きなお風呂は時間によって男女が交代しますが 部屋にも最低限度のユニットバスはついています。但し部屋に入って驚いたのですが 普通ツインルームと言うのはベッドが二つ並んでおいてあるのですが ここはなんと二段ベットの様になっていて上のベッドははしごで上り下りするのです。部屋がとにかく狭いので致し方の無い事かもしれません。
    さて本当は もう一件うどん屋さん巡りをする予定でした。夜の八時に開店して 夜中じゅう営業しているうどん屋さんで「鶴丸」と言うお店です。このお店の看板メニューは カレーうどんなのだそうで
    高松市内でお酒を飲まれた方の〆に よく利用されるうどん屋さんなのだそうです。ホテルから歩いて十五分位の所にありますから 夜の散歩代わりに出かけて 夜食としてカレーうどんを一つだけ注文して半分ずつ食べようと考えていましたが 残念ながら 満腹状態が解消されていないみたいですし 朝からかなりの移動距離がありました。その上姫路城で予想以上に体力を奪われてしまいましたので 二人とも疲れ果ててしまい さっさとシャワーを浴びて横になってしまいました。カレーうどんは次回の旅行の楽しみにとっておこうと思います。
    それから次にこのホテルで 驚いたのが 部屋が十分に明るくならないのです。ホテルに着いたのが既に薄暗くなっている時間帯でしたから 部屋の窓はもともと小さいので 取り敢えず照明のスイッチを入れたのですが ところどころの小さな照明が明るくなりましたが 部屋全体としては薄暗いままなのです。テーブルに置いてある説明書を奥様が読むと このホテルの利用者は部屋ではほとんど寝るだけなので 必要以上の照明は用意されていないのだそうです。まあビジネスホテルですから 部屋でくつろぐことはあまり期待していません。お風呂にはいれたら 後は寝心地の悪くないベッドがあれば十分なのかもしれません。
    そんな事で 一日目予定をこなせなかったことはありましたが 天気にも恵まれていて 十分に楽しく過ごせましたので そのまま二人ともぐっすりと眠りました。

  • 3月11日 古い友人から メールをもらいました

    一つ目の大学時代に 同じ合唱団で活動をしていた一学年後輩から 凄く久し振りに と言うよりもメールをもらったこと自体は初めてかもしれませんが 突然にメールが届きました。名古屋の出身なので 当然ドラゴンズファンだと思って話しかけたら なんと私が生まれて初めてであったヤクルトファンでありました。兎に角型破りな人物ですが サークル活動にはそれなりに真剣に取り組んでいましたから 私たち先輩からも よく可愛がられていました。
    私がチーフを務めた 合唱団の機関誌の作成を積極的に手伝ってくれていましたから そちら方面の役職に進んでくれることを期待していましたが 何しろ型破りな人物なので 団員の投票で結果の出る 選挙で合唱団の役員を決めるのですが なんと彼は合唱団の代表者 部長さんに立候補してしまいました。対立候補に結構有力な人物がいましたので 彼を特に可愛がっていた私たちの学年が 選挙参謀について それなりの選挙活動をしました。勿論私たちの応援だけではなくて 彼に元々それなりの人望があったのでしょうが 見事に合唱団の代表者である部長さんに 当選しました。
    所が 何しろ彼は型破りな人物でしたから 部長さんとしての仕事を上手にこなしている部分もそこそこありましたが 対外的な場面でだらしのない部分をさらけ出してしまったようです。人間長所があれば短所も必ず備わっているのですから 悪い面ばかりを取り上げて 問題視するのは如何なものかと思っておりましたが なんと彼はリコール案が提出されて 部長さんと言う役職を罷免されてしまいました。その時 私たちは四年生と言う最後の学年でしたので せっかくとてもいい雰囲気で 四年間サークル活動を頑張ってきましたのに その最後の年に そんな残念な悲しい事件が起こってしまって とても心残りに感じました。
    私たちが無事卒業して それぞれに社会人として活動を始め 私も塩野義製薬で 結果的にはとても短いサラリーマン生活をスタートしました。一年後には 彼も無事に卒業して 私立高校の先生になったのだそうです。何しろ型破りな人物なので 高校の先生が無難に務まるものかと 心配しておりましたら 数年後には退職して公務員の国家試験に合格して 名古屋で公務員になることを 決意したみたいです。普段の生活は かなりだらしのない奴でしたが 頭の回転と記憶力は かなりのものでしたから 真剣に受験勉強をして 楽々と合格したみたいでした。ただ先生よりも もっとお堅いイメージのある公務員を彼が勤めあげられるのか心配しておりましたが しっかりとした奥さんを貰ったみたいで 見事に現在まで無事その仕事を継続しているみたいなので ホッとしていました。まあ彼が高校を辞めた時期と前後して 私も会社を退職して なんと大学を受験し直しましたから 私の方が型破りな人生かもしれませんが。
    そんな彼からメールが届いたのは 合唱団のサークル活動で 一番お世話になった大先輩 石田さんから 私のブログについての情報が伝わったからなのだそうです。私は石田さんがお仕事の都合で福井におられた時には 福井まで訪ねていきましたし 東京に転勤された時には やはり東京でお会いしました。定年を迎えて 奥さんの実家のある関ヶ原に帰って来られた時も やはりおたずねして一緒に食事をしました。何しろ私が岐阜大学に通っていたころは 岐阜でお勤めでしたから その時にもたっぷりとお世話になっていた大先輩ですから 現在の私の事もブログを含めて 色々とご存知みたいです。
    その石田先輩からの聞いた話なのですが アイドルの橋本環奈ちゃんが なんと石田さんと同期の私もそれなりにお世話になった 先輩の姪御さんに当たる と言う事でした。それでその時のブログに 私からはかなり遠い関係ですが 環奈ちゃんは大学時代にお世話になって先輩の姪御さんに当たります、と自慢話っぽくサラッと 表現したように覚えています。メールをくれた後輩が 私に似てアイドル好きなのかもしれませんが 私が環奈ちゃんについてブログで何かを書いたことを石田先輩からききつけて 私のブログを読んでくれたみたいで メールを送ってくれたみたいなのです。
    環奈ちゃんは確かにものすごく可愛らしいし 性格もそれなりに良さそうですが 現在の私はやっぱり乃木坂のナーちゃんと 欅坂のユイポンにしか興味がないので 通り一遍の事をほんの少ししかブログで触れていなかったと思いますから ブログをかなり読み漁ってくれたみたいですが 環奈ちゃんについての文章は見つからなかったみたいです。何しろ書いた本人が 何時ごろどんなことを書いたのか 全く覚えていないぐらいですから 万が一見つかったとしても 期待外れでがっかりしていたことと思います。
    彼は五六年前に 脳出血と言う大病を患ったと聞いていましたから 心配していましたが 現在も少しだけ失語症と言う後遺症が残っているのだそうです。その後遺症のリハビリとして 五十代からまた読書を頑張っているのだそうです。私が太宰治の誕生日辺りに 彼の作品は「走れメロス」位しか読んだことがない と書いていたのを読んでくれて アドバイスを送ってくれました。彼は感心にも 太宰の作品を殆ど全て読破はしたみたいで 有名な代表作よりも とっつきやすい中編、短編小説から いくつか紹介してくれました。せっかく後輩がお勧めしてくれましたので 読んでみようとインターネットを検索していましたら「お伽草紙」と言う短編小説は直ぐに見つかりました。
    便利で有難いとは思いますが やはりこんなことでは 作家さんの売り上げにも収入にもつながりませんから 本屋さんでちゃんと買い求めなければと思いながらも 今更本屋さんで その小説本を購入しても 太宰さんの収入にはつながらないなと思ってしまって 直ぐにインターネットの小説を読み進めてしまいました。太宰先生 申し訳ありません。きちんと読み終えたら 彼と感想を語り合いたいので 一字一句もらさずに気合を入れて読もうと思っています。
    六月に京都で行われる京都府の合唱祭に 彼がわざわざ名古屋から参加するみたいで 私も一緒にどうかと誘ってくれましたが 現在私はのどの調子は絶好調みたいですけれども 六月の恐らく日曜日が本番になりそうなので 参加が難しそうで 断念しました。私も一年ほど前には枚方の合唱団に参加していた時期がありました。大学時代に 合唱に打ち込んだものは 幾つになっても 声がまともに出るうちは 合唱に参加できますから 仕事を辞めてのんびりしてから もう一度真剣に合唱をやってみようかと考えています。
    私は 恥ずかしながら 凄く友達が少ないので 久し振り と言うかひょっとしたら初めて古い友人からメールを貰って 嬉しくなってダラダラとかいてしまいました。私のブログを読んで頂いている 奇特で殊勝な方はごくわずかだと思っておりますが 最後までお付き合いいただきありがとうございました。もし古い友人のメルアドが分っておられたら 久し振りにメールを送ってみられることから 懐かしい交流が芽生えるかもしれませんから 是非試してみられることをお勧めして 本日のブログを終了いたします。

  • 3月10日 「森友学園」問題の核心だと思う事

    この問題の一番の核心は 財務局が 森友学園に問題になっている土地を破格の価格で売却した時に 何らかの大きな力が働いて その価格を非公表にしたところにあるように 私は思います。国有地を民間人に売却する以上は もともと全国民の財産を払い下げるのですから その売却価格は公表されるのが当然のはずです。豊中の市会議員さんがこの点で財務局をさんざんつついて その価格が明るみに出たことから 今回の騒動が持ち上がったように思うからです。財務局だって 痛くもない腹を探られたくないはずなのに 一旦は売却価格を非公表としたことから その腹に結構大事な一物を抱え込んでいたから 隠し立てしていたと勘ぐられても致し方がない対応の様に思えてしまいます。どうしても隠し立てをする必要のある人物の 関わり合いがあったのではないでしょうか。
    森友学園の代表者の発言が 耳を疑いたくなるほどに 二転三転していて 信憑性に欠ける事ばかりで 何時の間にかこの騒動の中心人物になってしまっていますが この人は極右の幼稚園として有名な「塚本幼稚園」の代表者なのですから 常人の感覚とは異なる受け答えをしても 不思議ではないのかもしれません。こんな人が代表を務める小学校の開設が認められるなんて よほど巨大なコネでもなければ 現実的には考えられないことだと思います。塚本幼稚園を退園させられた園児の親たちから 訴訟を起こされそうになっている人物なのです。
    この代表者が「安倍信三小学校」なんていうふざけた名称で寄付金を集めようとしたことや この学園が問題視されるまで その奥さんが学校の名誉校長を務めていた事実等から 普通に判断すれば そこそこの額の寄付金をアベチャンが申し出たとしても それほど不自然には感じられません。これほどの問題を抱えた人物が出した小学校開設の申請がすんなりと認められたことや 小学校の用地として販売された土地を 他の民間団体が森友学園の三倍以上の金額で購入を希望したのに 却下されたことなど 常識では考えられない事ばかりが起きています。
    塚本幼稚園や瑞穂の国記念小学院に 子供の両親が入学させることを望んでいるのなら そこで極右の教育をわが子に受けさせたい両親が そこそこの数存在するのであるのなら そのような類の教育機関も必要であるのかもしれませんから そんな幼稚園や小学校の存在が認められる必要性があるのかもしれません。一般常識では とても受け入れられないような教育機関であっても 総理大臣が直々に必要であると判断したのなら その大きな権力を駆使して 非常識な価格で国民の財産である国有地を払い下げ 学校開設の申請もごり押しで認めたとしたら 今回のような不思議でしょうがない事件が起きてしまったのかもしれません。
    アベチャンは今回の騒動について国会で質問された時に 自分がもし関わっているのなら 政治家を辞めると断言しています。破格の価格で払下げをした財務局や 小学校開設の申請を容認した教育機関の責任も重大だとは思いますが もしアベチャンが総理大臣としての権力で コリ押しして今回の騒動を引き起こしたのであるのなら 即刻総理大臣を辞任すべきだと思います。頭のおかしい篭池さんの処分なんてそんな枝葉の事はどうでもいいから 徹底的にアベチャンの責任追及こそが 今回の騒動が解決に向かう核心だと私は思います。
    ちなみに 篭池さんが問題が あまりにも取り上げられすぎていて 東京都の市場の問題での 石原さんの責任追及が ぼやけてしまっていますが こちらも非常に重要な問題ですし 小池さんとしても曖昧なまま終わらせるわけにはいかないのでしょうから きちんと白黒つけて頂きたいと考えております。

  • 3月9日 1894年の本日に日本で初めて記念切手が発行されたのだそうです

    それで本日を記念切手記念日と言うのだそうです。明治天皇ご夫妻の御成婚25周年を記念しての切手だったそうです。このブログで だいぶ前に小学生の頃記念切手の収集が趣味であったことを書いたことがあると思います。小学生の頃の微かな思い出をかき集めますので その時と殆ど同じような内容になってしまうのかもしれませんが お許しください。小学生の頃 私は香里団地の三丁目に住んでいました。2DKのアパートで 両親と妹と四人で生活していました。今考えるとプライベートなんて全くなくて 信じられませんが 当時はそんな住宅事情の家族が当たり前のような時代でした。
    通っていたのは 枚方市立開成小学校と言いました。私が入学した時の一年生は四クラスでしたが 二つ下の妹が入学した時には 一年生が確か七クラスに増えていました。その後もクラス数が増え続けましたから 恐らく教室数が足りなくなってしまったのだと思いますが 三年生の時には 運動場に建てられたパイプ教室で授業を受けていました。五年生になった時には 新校舎が完成して コンクリートの臭いのするピカピカの教室に入れたのが嬉しかったように記憶しています。その後もクラスが増え続けたみたいで 五年生の時に近所に新しく小学校が出来て分裂しましたし、私たちが卒業した春からも別の小学校が出来て分裂したみたいでした。
    私たちはいわゆる団塊の世代よりも少し下の世代ですが とにかく当時も枚方市の人口はすごい勢いで増え続けていたのだと思います。但し確か一つ目の大学に通っていたころに たまたま小学校の近所に出かけましたから 懐かしくなって開成小学校を訪れてみました。その時に驚いたのですが クラス名を表示されていない 要は普段使われていない教室が少なからずありました。私が一年一組で授業を受けていた 一番手前の教室は 図工室と表示されていて 図工に使う道具が並べて置いてありました。その時の一年から六年までのクラス数は確認できませんでしたが かなり少ないのだろうと思いました。私たちが住んでいたころに比べると 団地も建て直されて 凄く立派になっていました。恐らく家賃もかなり高くなってしまい 小さな子供のいる家庭では 住みにくくなってしまい 子供の数が減少してしまったのかもしれません。
    話が大分 横道にそれてしまいましたが 私が一番熱心に切手収集をしていたのは 多分小学校四年生の頃だと思います。私の家は 勿論団地に住んでいるくらいですから お金持ちではありませんが それほど貧乏な家庭だとも思っていませんでした。只父親が無駄遣いなど一切しない性格でしたから 月々にもらう小遣いも四年生だったら 四百円ぐらいだったと思います。一月分の小遣い400円を握りしめて 自転車で三十分くらいかかって 京阪電車の香里園の駅の近くのワルツ堂と言うお店まで 記念切手を買いに出かけていました。額面で二十円から五十円ぐらいの記念切手が 勿論既にプレミアムがついていますから 百五十円から二百円ぐらいしますから 大抵二枚しか買えませんでしたが 月に二枚ずつ記念切手が切手ブックに増えていくのが生きがいであった頃がしばらく続きました。
    お年玉付きの年賀状の末等の商品が その年の干支の描かれた四枚つづりの記念切手でした。集め始めた最初の頃の額面は七円でしたが しばらくしたら十円に変化しました。更にしばらくすると十五円に上がりました。ハガキ代に匹敵する額面だったのだと思いますが 徐々に郵便料金が値上がりするのが実感できて興味深く思いました。私の分の年賀状は僅かでしたが 父が几帳面だったのか 父の年代では普通だったのか分りませんが 毎年数百枚も年賀状をやり取りしていましたので お年玉の商品の記念切手も毎年十枚以上当たっていましたので 大喜びで郵便局に受け取りに出かけていました。
    ある日 学校から帰ってきたときに切手ブックの置いてある場所がいつもと違っていたので 不審に思って開いてみると なんとお年玉年賀状の賞品の記念切手が 殆ど全てシートから切り取られてバラバラに切り離されていました。この記念切手は 四枚つづりでシートに納まっているからこそ値打があるのです。勿論その切手自体が記念切手ですからプレミアはつきますが シートから切り離してしまうと全体としての価値が凄く小さくなってしまうのです。
    犯人は妹でした。切手ですからシートに収まっている状態で穴が開いていて簡単に切り離すことが出来ます。妹は興味本位で 普通の切手の様にその殆ど全てを分離してしまったのです。小学生でしたから 私は怒りにまかせて 妹をどつきまわしてやりました。妹の浅はかな行動のために せっかく所有していた記念切手の価値を大幅に失ってしまったのです。まあもとはと言えば 父に届いた年賀状の当たりくじを私が郵便局に持って行ったわけで 本来の所有者は父であったのかもしれませんから 私が妹に暴力をふるったことは間違いだったのかもしれませんが 私が保管している切手ブックから 勝手に取り出して切り離してしまうのなら せめて私の許可を求めてからやるべきではなかったのでしょうか。
    当時記念切手の収集が一般の大人も子供も結構夢中になっていました。郵便局に行くと いつどのような記念切手が発売されるか予告されていましたから その日は郵便局が開く前から結構長い行列が出来ていました。郵便局としては 少しでも多くの人に行き渡るように 一度目の窓口では 切手シートの半分だけ売ってくれました。そのシートの半分を受け取ってもう一度行列に並んで二回目に窓口に辿り着くと最初にもらった半分を返却してやっと一シートを購入できました。現在は 記念切手を求めて行列が出来ることも全然ないみたいで 普通に郵便局に切手を購入するときに 局員さんから通常切手にしますか それとも記念切手にしますか と質問されます。昔記念切手の行列に参加したものとしては 若干の寂しさを感じてしまいます。
    その頃私は既に発売されている記念切手を一枚ずつ増やしていくのに必死でしたから そんな新しい記念切手をシートで購入するだけの経済力がありませんでした。そんな残念そうな私を見かねて 母が新しく発売される記念切手を購入してくれるようになりました。勿論発売日に購入すれば額面の金額で購入できますが 一シートを入手するのには結構面倒な手続きが必要でした。そこで 私が母の代わりに 郵便局に出かけて購入するための行動を代行しました。そんな風に郵便局に並んで記念切手をシート買いする時期が何年か続きましたが 小学生の子供が一時的に夢中になる事ですから いつの間にかその熱が冷めてしまい その切手ブックやシートホルダーの存在すら忘れてしまっていました。
    もう数十年も前の事ですから ひょっとしたら保管状態が悪くて カビが生えたりして 傷んでしまっているのかもしれませんが もし無事に保管されていれば 数十万円の価値はあるはずですから 今度実家に帰った時に 二階の本棚を探してみようと思います。もし見つかれば 金銭的な価値もありがたいですが 子供の頃に夢中になって集めた切手に対する 思い出がよみがえってくれるかもしれません。金銭的に価値があるものであることは 一目瞭然ですから うっかりと捨ててしまう事は ありえないとは思いますが 何かの機会に誰かに処分されてしまっているのかもしれません。もう長い事 実家の二階の自分の部屋に入っていませんので 次回実家を訪問した時に 切手ブックの捜索をしてみつかるといいのですが 何しろ数十年忘れていた代物ですから 難しいかもしれませんね。