Dr.喜作のブログ

2017年4月 の記事一覧

  • 4月2日 やっとチラホラ桜が咲き始めたみたいです

    例年なら すでに満開になっている時期かもしれませんが 今年は何時までたっても肌寒い日が続いていますので 困っております。この地域で桜と言えば 一番ポピュラーなソメイヨシノと八重桜位しかないように思いますが 有名な造幣局の通り抜けには 結構な種類の桜が咲いているのだそうです。桜と言うと日本人にとっては 一番馴染の深い花かもしれません。スポーツで日本の代表選手の胸にも桜がデザインされていることも珍しくないように思います。しかし桜についての知識はあまりないのかもしれません。
    例えば 誰でもさくらんぼを食べたことはあると思いますし 勿論さくらんぼが桜の木に実ることは知っているでしょう。でもお花見をする近所の桜の木にさくらんぼが実っているのを見たことがある方は殆どいらっしゃらないはずです。そもそもさくらんぼを収穫する桜は ソメイヨシノとは品種が違います。さくらんぼ農家の方が育てているのは セイヨウミザクラと言う品種が多いのだそうです。さくらんぼの有名ブランドである佐藤錦やナポレオンもこの桜に実るのだそうです。
    わたしたちが一番よく目にするソメイヨシノは 結構有名な話ですから ご存知の方も多いと思いますが 原木は一本しか存在していないのだそうです。江戸時代の末期に染井と言う場所で エドヒガンと言う桜にオオシマザクラ と言う品種を交配して作り出されたのだそうです。そしてその原木は一本だけで 現存するソメイヨシノの桜の木は 全てその原木のクローンであることが 遺伝子の検査によって確認されているのだそうです。花の咲く密度が高いのと 花を咲かせるまでの年月が短い特徴がある為 お花見に適しているからか 沢山植樹されたようです。
    ただ人間の都合で作り出された品種の為か その寿命が一般的に短くて 数十年と言われています。と言う事は現存する原木も何代目かのはずですが 原木が次世代の原木をどのようにして作り出されるのか 知識不足のために理解できませんが 園芸の専門家の方が苦労して生み出しておられるのでしょう。ソメイヨシノは 自家不和合性が強い品種なので 自家受粉しても再現性のある種子は 出来ないのだそうです。
    自家不和合性と言うのは 聞き慣れない難しい言葉ですが 自家受粉 即ち同じ花 若しくは同じ木に咲いている花 どうしで受粉 分り易くいくと雄蕊の花粉が雌蕊と接触しても 種子が出来ないのです。血が濃すぎると不都合が生じるので 日本では三親等以内の結婚が禁じられているようなものかもしれません。自家不和合性が強い植物は結構多いみたいです。要するに近場に咲いている花で妥協しないで 遠くに離れて咲いている花としか受粉して種子を作らないようにしているのです。新しい血を導入することによって 環境の変化などへの対応力が強まると考えられています。植物は根を張った生き物ですから 自ら動き回ったり 場所を移動したりすることが出来ません。従って 現在の環境とは異なる地域への発展の可能性を広げるために 環境の変化に強い子孫を残して 生育できる地を広げていこうとしているのかもしれません。
    尚一年草の場合は そんなのんびりとした長期的な計画は立てても実行できませんから 取り敢えずは自家受粉して 同じ土地 同じ環境に自分の子孫を残そうとするために 自家不和合性が低い場合が多いのだそうですが 実に理にかなった進化だと思います。昔 鈴虫を近所の人から雄雌数匹ずつ譲り受けて 大切に育てました。寿命が来ると当然全部死にましたが 卵を産んでいたみたいで翌年幼虫が沢山出てきてくれましたので 又大切に育てました、その年の秋は 鈴虫の大合唱で煩いぐらいに感じました。
    当然その虫たちも時期が来ると死にましたが 翌年には 更にたくさんの幼虫が生まれてきました。明らかに数が増えすぎたのでご近所さんに配ったりしました。所がその翌年には殆ど幼虫が生まれてきませんでした。当時小学生だった私には理解できませんでしたが 新しい鈴虫を全然加えていませんでしたから 地の濃い者同士が交配したために 生きていく力の足りない幼虫になってしまったためであろうと思います。ずっとのちになって 幼虫が殆ど生まれてこなかった原因に思い当たりましたが 交配によって血が濃くなることの不都合を 植物も自然に避けるためのシステムが確立されているのが 不思議に思えます。
    尚 極まれにソメイヨシノにさくらんぼが実っていることがあるかもしれませんが それは近所に生えていた山桜辺りと偶然に受粉した結果かもしれません。食用ではありませんから 果肉も殆どなくて 口に入れても渋い味がするだけなのだそうです。
    所で ソメイヨシノは自家受粉しませんから 当然種が出来ません。従って ソメイヨシノを増やすには 接木若しくは挿し木によって増やしていくのだそうです。園芸の知識が全くないので 挿し木や接木と言われても 具体的にはどのような作業をするのか全然 見当もつきませんが 単に種を土中に埋めるのではないらしいので 結構面倒で繊細な注意の必要なデリケートな作業かもしれません。
    今年も開花は遅めですが やっとチラホラ咲き始めてくれましたから 今年もお花見に出かけるだろうと思います。弁当を持って行って 桜吹雪の中 青空のもとで楽しいひと時を過ごすとやっと春が来てくれた と実感が出来ると思いますので 楽しみにしています。例年京都の有名な桜所に出かけていますが 今年は近場にあり 近所の人しか知らないような穴場を探してみたいと思っています。但し探すのはどうしてもインターネットで と言う事になりそうです。でもネットに情報が上がってしまった時点ですでに穴場ではなくなってしまっているのかもしれません。

  • 4月1日 1873年の本日 ラフマニノフが生まれました

    ラフマニノフは 勿論ロシア出身の作曲家として有名ですが 作品数はそれほど多い事はないように思います。それは彼が人生の半ばでロシアを離れてしまい それ以後は作曲する意欲をなくしてしまったからだと思います。確か十月革命がおきて新しい政権が確立されてからは ロシアを離れ二度と祖国に戻っていないはずです。帝政ロシア時代に生まれ育った人でしたから その後政治改革が劇的に進んで共産主義国家ソビエト連邦へ向かう流れに 反発してしまったためかもしれません。
    やがてアメリカへ移り住みました。友人に作曲をしない理由を訪ねられた時に「もう何年もライ麦のささやきも白樺のざわめきも聞いてない」と答えたのだそうです。私としては ロシアを代表する作曲家チャイコフスキーよりも そのピアノ協奏曲や 交響曲に ロシアの雄大な自然とロマンを感じますから その言葉に大いに頷ける気がします。その為に 祖国を離れてからは 作曲家と言うよりはむしろピアニストとしての活躍が目立っていたようです。
    大柄なロシア人の中でも特に大柄で身長が二メートルにも達していたのだそうです。左手で十二度が押さえられたのだそうです。分かり易く言うと ドから一オクターブ上のドまでが八度です。ピアニストであるのなら 出来れば十度が押さえられることが望ましいと言われているみたいです。私も十年以上ピアノを練習した身ですが 残念ながら 身長が170センチで ズングリムックリの体型ですから 手足が短く出来ていますから 一オクターブ八度を押さえるのがやっとです。立命館大学時代にできたピアノの凄く上手な友人は わたしよりもずっとすらっと背が高くて 指も長かったので そんなに無理しなくても十度が押さえられました。凄く羨ましかったです。
    ラフマニノフは 十二度ですから ドから一オクターブ上のソまで押さえられたのですから 私から見れば化け物のようにでっかい手を持っていたのだそうです。ピアノ演奏史上有数のヴィルトゥオーソ(凄い達人)と称されていたのも当然かもしれません。二十世紀最大のピアニストだと思っている ホロビッツと親交もあり 肩を並べて共演もしていたそうですから そんな演奏会がもし現在行われるのであれば 私は仕事をほったらかしにしてでも チケットを手に入れて出かけると思います。現在の所 大好きな乃木坂や欅坂のコンサートも駆け付けたい気持ちは山々ですが 一応仕事を優先しているので 辛抱しています。ちなみに 私の些細な音楽知識において 人類史上最高のピアニストは リストだと思っておりますが 彼は十九世紀の人物です。
    私は自分が ピアノをかじったからかもしれませんが 十代から二十代にかけては クラシック音楽のジャンルで一番好きなのが ピアノ協奏曲でした。その頃は かなりいろんな作品を 色んなピアニストで聴き比べしていました。そんな中で 一番好きだった作品がラフマニノフのピアノ協奏曲第二番でした。ピアノ協奏曲は 割と静かに始まって オーケストラの伴奏の助けを借りながら徐々にクライマックスに向って盛り上がっていく流れが 一般的だと思いますが ラフマニノフの二番は 始まっていきなりクライマックスに達してしまい そのまま延々と盛り上がり続けるように感じれるところが好きです。ちなみに二番目に好きなのは 平凡かもしれませんが シューマンのピアノ協奏曲です。
    三十代になってから 交響曲が好きになりました。立命館大学時代に知り合った 音楽にものすごく詳しい友人によると ブルックナーの交響曲が最高だと言う事でしたが 二十歳前後の若造だった私にはブルックナーは壮大過ぎて理解できる範囲を超えていました。三十代になって 自分がピアノからすっかり離れた生活をするようになってからか ピアノの音に対するこだわりをなくしてきいてみると やはり管弦楽により奏でられる交響曲に興味が移りました。ラフマニノフの三番もとても好きな作品ですが やはりロシア音楽としては チャイコフスキーの五番や六番の方が より心を動かされるような気もします。じっくりと音楽に浸りたいときなどは ブルックナーの七番などが一番聴きごたえを感じます。以前にもこのブログに書いたことがあるとは思いますが 交響曲で一番好きなのは ベートーベンの五番「運命」です。あまりにメジャーすぎる作品なので 名前をあげるのが気をひけるぐらいですが 第四楽章を気持ちを入れて聴いていると涙が流れます。ちなみに二番目に好きな作品も ベートーベンの七番です。「のだめ」でフューチャーされましたから ご存知の方もおいかもしれません。
    話が横道にそれてしまいましたが ラフマニノフは六十代で亡くなりましたが ロシアの墓地に埋葬されることを希望したのだそうですが 米ソが対立していた時代だったためにアメリカの墓地に埋葬されたのだそうです。きっと人生の晩年は ずっとロシアの雄大な大地に帰りたかったのだと思いますから 偉大な作曲家でありピアニストだったとは思いますが 寂しい人生の結末だったのかもしれません。彼の作品は 一般聴衆には熱狂的に受け入れられたのだそうですが 音楽家いわゆる評論家たちからは 非常に評判が悪かったのだそうです。その理由が 私の様に音楽的に無知な人間には理解できませんが 私には とても個性的であり魅力的な作品だと思いますから 素晴らしい作曲家であったと断言したい気持ちです。