Dr.喜作のブログ

2017年5月 の記事一覧

  • 5月20日 1940年の本日 王貞治さんが誕生しました

    私は巨人と言うプロ野球チームが大嫌いです。オーナーのナベツネも大嫌いなら 読売新聞も出来たら読みたくないぐらい嫌いです。活躍した選手も個人的に嫌いでした 一番大嫌いなのが長嶋です。あと堀内とか原、香取なんていうのも嫌いでした。そんな中で 王さんだけは 勿論あれだけホームランをたくさん打ちましたから私が大好きだった中日も何度もひどい目にあっていましたが 何となく好きでした。真摯に野球に取り組む姿勢や 礼儀正しい所なんかに 魅力を感じていました。
    ただ私がまだ小学生だった頃に ゴールデンウィークの最中に中日巨人戦が 後楽園で行われていて 王さんが逆転サヨナラスリーランホームランを打ってしまいました。私は当時も王さんにだけは敬意を表していましたから これが大嫌いな長嶋に打たれたことを考えるとずっとましな出来事だと 必死になって自分を慰めていました。所がラジオで実況中継を聞いていた時の アナウンサーのデリカシーのない言葉が心に突き刺さりました。
    「このホームランは 全国の野球ファンの子供たちへのゴールデンウィークのいいプレゼントになりましたね」等とほざきやがりました。「逆転サヨナラホームランを打たれて 泣いているドラゴンズファンの子供たちだって 沢山いるはずなのに その発言はないやろう」と怒り狂いました。そのニッポン放送のアナウンサーの名前は 今でも覚えていますが それ以来ずっとそのアナウンサーとニッポン放送が大嫌いになりました。
    王さんは 現役を引退してからも 監督として 素晴らしい仕事をされたと思います。ダイエーからソフトバンクの監督 そしてフロント入りまでされましたが その成績はなかなかのものだと思います。まあ弱小球団だったダイエーが強くなったのは 根本陸夫さんの功績が莫大であるのかもしれませんが 王さんの人柄にひかれて 選手が一致団結して勝利を目指したのも成績向上の要因であることは間違いないと思います。
    根本さんを御存知ない方もいらっしゃるかもしれませんが現役の頃は そこそこ活躍した捕手でした。しかし後輩の面倒見がよいので 指導者として期待されていたようです。広島の監督を務め チームを初めてAクラスに導いたり 衣笠、山本浩二、水谷、三村などを獲得して育てて 後の広島が赤ヘルブームを起こす基礎固めをしました。次にクラウンから西部の監督を務めました。西武の監督としては 広岡さんや森さんが有名ですが その西武の全盛期を作り上げたのもやはり根本さんの功績です。
    選手名をあげるのは控えますが 有望な選手を見つけると 数年かけて囲い込みを行っていました。有望な選手は普通なら社会人の有力チームのある会社に進みますが わざと野球部のない会社に入社させて 有望選手としての評判がたたないように画策したりしました。他の有望選手は わざと必要でもない手術を受けた痕跡と言うか傷跡を作り 他球団の一位指名を回避させたこともあります。他にも ドラフトにかかる一年前から 説得して 一年間ひじ痛があると嘘をつかせ続けて やはり他球団の一位指名を回避させて 堂々と一位指名した事実もあったようです。
    そんなある意味非合法な手段を使って 有望な選手を次々に獲得していって チーム力を飛躍的に上げていきました。ソフトバンクに移籍してからも 当時は逆指名制度があった時期でしたから 高校生の時に目を付けた選手を 囲い込んでしまって大学に進学させてしまいました。高校生には逆指名権が無かったけれども大学生にはあったから確実に指名できて獲得できたのです。勿論その選手の力量を見極める眼力も必要ですが 一応ルールに沿ったような方法で 有望選手を次々に獲得して ソフトバンクは常勝球団へと変貌したのです。
    話が横道にそれてしまいましたが WBCの監督を務めた時も やはり王さんの人柄にひかれて メジャーの有力選手もこぞって参加しましたし、チーム一丸となれたことで世界一の座につけたのだとおもいますから やはり王さんの大きな功績だと思います。
    最近のWBCは 何故か日本のメジャー選手だけが 不参加で 他の国は積極的に参加しているように思います。メジャーの選手抜きのチーム構成では 日本人のベストメンバーで戦うときに比べて チーム力が半減とまではいいませんが 相当に弱体化していることは間違いありません。アメリカが本気でメジャーのベストメンバーで臨む姿勢になりましたから 日本人メジャーリーガーも次回のWBCには是非参戦してほしいと願っております。
    またまた話が横道にそれてしまいましたが 王さんは現役時代に たとえどんなにうれしい場面でホームランを打っても 平然とした表情でランニングしていました。打たれた相手投手の気持ちを考えての事だそうです。選手として実績が超一流の方は 人間性においてもやはり超一流なのだとおもいますので 王さんは本当に尊敬しております。繰り返しますが 長島は星野仙一と並んで 一番嫌いな人間です。

  • 5月19日 1560年の本日 桶狭間の戦いがありました

    桶狭間 正確には田楽狭間なのだそうですが その地で 織田信長が今川義元を討ち取って その名を世間にとどろかせた大事件でした。総勢四万の軍勢を率いていた義元が ほんの数千名の織田方に敗れたために 間抜けで無能な大名として 有名になってしまいました。義元は 今川家の三男坊でしたから 家督を継ぐ可能性は殆どなくで 若い頃に出家して坊さんの道を歩むはずでした。しかしお寺で修行をしていた時に出会った 太原雪斎 と言う人物が 非常に切れる方だったみたいで 後には今川家の軍師として、義元の側に仕えることとなりました。この雪斎の導きにより 義元は今川家の家督を継ぐことになったらしいです。
    今川家はもともと大変な名門で 足利家から将軍がたてられない事情になった場合には 今川家のものが将軍職に就く可能性がある位でした。そんな名門今川家の跡目を継いだ義元は 戦国大名として非常に優秀な人物であったと言われています。戦国武将としてせっせと領土拡大に励み 北の武田家 東の北条家と同盟を結ぶなど外交感覚にも優れていました。北と東の脅威がなくなってからは西に向かって領土を拡大して駿河、遠江、三河の三国を支配下におさめて 今川家で最大の領土を誇っていたのです。政治家としても優れていて キチンとした検地を実施して 経済のしっかりとした基盤を築いたり 寄親寄子制度で家臣団の結束を高めたと言われています。
    そんな風に戦国大名として優秀であった義元は 国力が充実して年齢も四十を過ぎたので いよいよ上洛して天下に号令しようとして西に向かって進軍を始めました。そもそもの国力や軍事力に大きな差があったので 尾張の国を簡単に踏み潰して上洛しようとしたのが間違いの元だったようです。当時の織田信長は いわゆるうつけ者としての評判しかありませんでしたから ある程度舐めてかかったのも致し方の無い事かもしれません。
    しかし信長がそののちの活躍で全国を統一する一歩手前で挫折はしましたが 非常に優秀な武将であったために 不覚を取って命を落としてしまいました。たまたま天候などが信長に味方して たまたま奇襲を受けやすい地形の土地で休息を取ってしまったために 命を落としてしまいました。非常にアンラッキーな条件が重なってしまったためにある意味人生の絶頂期に不覚を取ってしまいました。
    歴史を語る時に「たら」「れば」は厳禁のはずですが 義元が順調に上洛していれば 勿論信長の大活躍も始まらなかったでしょうし 当時今川家に人質として存在していた家康が幕府を開くことも絶対にありえなかったはずです。絶頂期にあった義元が死んだために 後を継いだ氏真がまだ若くて 戦国大名としての才覚に全く恵まれていなかったので あっと言う間に今川家は崩壊してしまいました。
    すんなりと義元が上洛できていれば まかり間違えば将軍にまでなっていたかもしれませんから 人の人生は儚いものだと思います。私ももうすぐ還暦を迎えますから いよいよ人生も終盤に差し掛かってきました。これまでも普通の人よりは 波乱万丈だったかもしれませんが 何とか落ち着いた状態で還暦を迎えられそうです。あと数年仕事を頑張ったら 速やかに引退して 軽やかな老後を過ごしたいと考えております。その為には これから今更逆転満塁ホームランなど全然期待してはいませんが 取り敢えずは健康で 無事の病院を続けていければとだけ 考えております。このブログをお読みの方々も あと少しだけ宜しくお付き合いください。 

  • 5月18日 獣医学部の新設でもめているみたいです

    私は 岐阜大学農学部獣医学科の出身です。現在は農学部と言う名称が変更されているみたいですが どうも頭の古い私には馴染めません。 開業獣医師になるには 獣医学科をきちんと卒業しなければ 国家試験を受験できませんので 必須うコースです。別に獣医学科を卒業したからと言って 皆が皆開業獣医師になるわけではありません。保健所や市役所などのなじみの深い公務員になる人もいれば 食肉関係等のあまり一般の方が 聞いた事の無いお役所の職員さんになる人も結構います。勿論 大学に残って 研究を続ける人もそこそこいますし、民間の研究所に就職する人も少なからずおられるみたいです。
    開業して動物病院を経営する場合は 獣医師免許が必須うアイテムですが 開業して臨床の仕事をするわけでないのなら 恐らく獣医師免許は なくても済んでしまう場合が結構あるみたいです。東大の獣医学科の卒業生は 殆ど開業されませんので 勿論入学するための偏差値は 最高レベルですが 指して必要としない国家試験の合格率は恐らく最低だと思います。獣医師の国家試験は マークシートの五択問題ですが 大学の授業にきちんと出席して単位を取得した位では 合格できません。マークシートの問題に対するそれなりのきちんとした準備を ある程度の期間 しなければ とても簡単に合格は出来ないレベルの問題なのです。
    私が岐阜大学を卒業したのは もう三十年近くも昔になりますが 国立大学の授業料は 私の学年は年間25万円位でした。これでもかなり急激に上昇したみたいで 数年上の先輩は 十万円以下だったそうです。私はこのブログで何度も書きましたが 親にきちんと私立の大学を卒業させてもらい 運よく就職できた一流の会社を 自分の意志で辞めて 獣医師になるための道を選びましたので 最低限親への仁義を通すために 岐阜大学を卒業するためにかかる入学金や授業料 教科書代も馬鹿になりませんでしたが それと生活費の全てを 自分でアルバイトで稼いで乗り切りました。
    一応調べてはみましたが 私立の獣医学科を卒業するためには 六年間でトータル一千万円以上もかかりそうでしたので 経済的に論外でした。 何とか国公立の獣医学科に潜り込まなければならなくて 入学試験はそれなりに難関でしたが 何とか運よく合格できました。大阪の人間ですから 地元の大阪府立大学を目指した方が 自宅から通えて便利だったのでしょうが 自分としては親から独立して 完全に自力で卒業したかったので 二番目に近い岐阜大学を志望校にしました。近い方が どっち道かなり貧乏な生活でしょうから 帰省するのに交通費がやすい事が魅力でした。いつも岐阜駅から 京都駅まで鈍行電車に乗っていました。新幹線に乗ろうなどとは考えたことも 一度もありませんでした。
    現在では国立大学の授業料が 年間五十万円ぐらいになっているのだそうです。私が通っていたころの立命館大学理工学部の授業料は 庶民の大学ですから私立の大学理系学部としては特に安かったみたいですが三十数万だったそうですから 現在は国立大学の授業料が上回っているみたいです。勿論立命館の授業料もそれなりに値上がりしているとは思いますが。私立の獣医学科を卒業するには私が調べた頃よりも 更に高額のお金が必要になっているのだと想像します。
    私立の医学部でよく言われるのが 一流の 難易度も凄く高い大学 例えば慶応や東京医大などは 私立の理系学部ですから勿論授業料は一般的な金銭感覚からするとかなり高額でしょうが まあサラリーマンの親でも頑張れば支払いが可能だと聞いたことがあります。所がきいたこともないような三流の私立医大の場合 難易度が低い分 授業料や寄付金等が数倍に跳ね上がるのだそうです。そんな大学には 勿論親が一般人では通えなくて 医者のバカ息子ばかりが通っているのだそうです。お金持ちのお医者さんのバカ息子が 一応三流でも医学部を卒業していれば 国家試験に受かって医者の端くれにはなれるからでしょう。
    獣医学科も私立の場合 相当に高額の授業料なのでしょうから それこそ当院とは違って流行っていてそれなりに儲かっている動物病院のお坊ちゃまたちが通っているのではないでしょうか。獣医学科の数をこれまで政策的に制限してきたのは 安易に獣医学科の定員を増やしたら 開業したものが過当競争になってしまうのを防ぐための保護政策みたいなものだったらしいです。守られていた私自身は そんな自覚は全然ありませんでしたが。
    獣医師が働き手として 不足している と言う話を聞いたことがあります。但しそれは 公務員としての働き手なのだそうです。毎年獣医学科を卒業する人間は 国公立と私立の大学をすべて合わせて 1000人前後いるのだそうです。そのうち半分が開業するとして 毎年全国で五百ぐらいの動物病院が新設されているのかもしれません。勿論廃業する人もそれなりにいるでしょうから 一方的に増え続ける訳ではないのかもしれません。
    一方 公務員として働く獣医師が不足している現状があるのなら 獣医学科の増設を検討されることは 当然かもしれません。しかしもし増設するとしたら 国立大学の今ではそう呼んでいないのかもしれませんが 農学部に増設すべきではないでしょうか。今更私立の高い授業料の大学を増やしてみても 通えるのはある程度リッチな動物病院のバカ息子ばかりでしょうから どっち道そんな連中は 殆ど全てが開業してしまうのですから 公務員として働いてくれる獣医師を増やそうとする趣旨に全くあてはまりません。 
    四国には獣医学科が一つも存在していないから 獣医師が不足している なんていう愚かな意見を吐く馬鹿がいますが 岐阜大学にも 四国出身の学生は何人もいました。勿論地元の人間もいましたが 全国各地から学生は集まって来ていました。獣医師になるための大学を選ぶときに 勿論自分の学力との兼ね合いによりある程度は限定されますが 大学そのものやその土地に対して魅力を感じるか否か 位の事で 志望校を選んでいる者が殆どだと思います。たとえ四国に獣医学科が出来たからと言って 四国在住の獣医師を志望しているものが こぞって入学するなんてありえません。私立の出来立ての ましてや開学以前からこれだけ叩かれている大学ですから 獣医学科としての実績が全くない学校に通う事を望む学生なんて果たしてどれだけいるのでしょうか。勿論私立ですから 授業料が馬鹿高いのは間違いありませんから 一般人の親が払える限界は恐らく超えているでしょう。
    森友学園の問題も アベチャンの奥さんが役員をしているぐらいですから アベチャンと実質的にどれくらい親しかったのか知りませんが 数億円も値引きして土地を売ってもらえるなんてさすが総理大臣 と言う言葉しか思いつきません。今回の獣医学科の増設にも 間違いなくアベチャンが一緒にゴルフする仲良しのオッサンが 大変な利益をこうむっているのはほぼ間違いないでしょう。私立の獣医学科が定員をどれくらいに設定するつもりなのかも知りませんが 毎年数億円が動く相当に大きな商売になるはずです。当然その周辺には 大変な利益を手に入れる人間が誕生するはずです。アベチャンとお友達でいると そんな大変な利益が手に入るのでは まるで韓国の歴代大統領と同じではありませんか。
    小泉さん辺りは その言動から かなり清廉潔白な人物だと思えましたが アベチャンには 胡散臭い話ばかりで そのような清潔感を全く感じられません。そもそも 獣医学科を増設することに 経済特区の話を持ち出すのは 全く筋違いだと思います。経済特区とは 私の拙い理解では 経済発展のために法的、行政的に特別な地位を与えられている地域の事だと理解しています。その地域では税金などが特別に安く設定されているので 新しい企業が伸び伸びと発展できるための地域の事だと理解しています。だとしたら 数十年ぶりに獣医学科を開設することに 経済特区と言う言葉を用いるのは 間違っているのではないでしょうか。単にアベチャンのお墨付きをもらったオッサンの希望をごり押しする為だけに 従来の役所の権限を越えて 行政府が一方的に話を強引に進めているとしか考えられません。
    京都産業大学がきちんと準備して ちゃんと手順を踏んで 誠意をもって立候補していたのに なんで岡山の大学が 四国に分校を出すと言う希望が一方的に選ばれたのか理解できないけれども アベチャンが仲良しのオッサンの希望を強引に押し通そうとしている と言う筋書きなら 非常に納得がいきます。最初の話では 同じ都道府県に獣医学科が存在するのなら 開設を認めないはずだったのが 岡山の大学が四国に分校をわざわざ出すのも不自然だけれども 同じ地方に獣医学科が存在する場合は開設を認めない と条件を明らかに後付で変更しています。
    要するに岡山の大学が岡山に獣医学科を開設するのであれば 既に中国地方は鳥取大学と山口大学に獣医学科が存在するので わざわざ四国後に分校を開設するわけだし ライバルの京産大は同じ近畿地方で大阪府立大学が存在しますから 却下できる理由になる と言うあまりにも見え見えの筋書きの為にわざわざ獣医学科開設のための条件を変更したこと自体が アベチャンのごり押し以外の何物でもない事実だと思います。
    こんな風に私利私欲のために総理大臣としての権限を使うような人間は一刻も早く罷免すべきだと私は思いますが 如何でしょうか。このままこんな悪行三昧を許していたら 日本が韓国の様になってしまいそうで とても心配です。

  • 5月16日 乃木坂三期生が非常にレベルが高くて喜んでいます

    乃木坂の場合 一期生のレベルが高すぎて どうしても二期生が凄く見劣りしてしまいます。マイヤンや卒業してしまったけれどナナミン、イクチャンなどは デビューした時から 殆ど完成された美少女でした。その為に四年経ってもあまり変わり映えしていないのかもしれませんが スタート時のレベルが凄く高いので致し方がないのかもしれません。二期生では堀ちゃんがいきなりセンターに抜擢されたりして 活躍の場が広がるかと思われましたが その後は鳴かず飛ばずのように感じられて残念です。
    ほとんど注目されないうちに卒業してしまったメンバーもかなりいるみたいだし いまだ選抜に入れずにいる子たちがかなりの数存在しています。一期生については 一応全メンバーを選抜に一度は入れておこうという意図が見え見えの選抜発表が続いた時期がありましたから 未選抜のの子はいませんが 二期生でもそろそろ在庫一掃セールみたいに 少なくとも一度ぐらいは選抜を経験させてあげるべきだと思います。
    自分よりも随分後輩の三期生が うっかり選抜されてしまうと 未選抜の二期生がやる気をなくしてしまわないかと とても心配してしまいます。私の二期生のお気に入りメンバーは コト子、カリン、絢音ちゃんといずれも選抜に入ったことがない子ばかりだから余計に心配してしまいます。アンダーメンバーはアンダーなりにコンサートも大盛況ですし それなりに活躍の場はあるみたいですが 少なくとも一度ぐらいは選抜に入って 華やかな注目とスポットライトを浴びさせてあげたい様に思います。
    私がこんなことを心配するのは 三期生のレベルが凄く高いので 二期生を飛び越えて 選抜入りしそうなメンバーが何人かいるからです。まず最初に選抜入りしそうな子は 山下美月だと思います。この子は イクチャンのデビューした時に 顔だちも雰囲気もそっくりの凄い美少女だと思いますから 近いうちに選抜入りするのは間違いないでしょう。三期生だけで曲を披露するときには 何時も大園桃子がセンターを務めています。鹿児島のかなりの田舎から出てきた 訛りも殆ど抜けていない 女の子です。
    私はどちらかと言うと 都会的なハイセンスの女の子よりも 一寸田舎臭いぐらいの 朴訥としたあか抜けない女の子の方が好きです。二期生で例えると絢音ちゃんです。現在私が AKBグループで唯一興味があるのは 総監督を務める横山由依ちゃんですが この子は一応京都出身です。アイドルになってからかなりの年月が過ぎていますし 総監督として常に注目されているはずなのですが 何時まで経っても全然垢抜けしない女の子だと思いますけれども AKBクループでは一番好きです。所が この大園桃子と言う 凄く田舎臭くて垢抜けしていない女の子には 全く魅力を感じません。乃木坂は 活動の初期のうちは かたくなに生駒と言う秋田出身の田舎娘をセンターに起用し続けましたが やはり生駒にはまったっ興味が湧きませんでした。どうも乃木坂の選抜メンバーやポジションを決めている連中には よほど田舎臭い女の子が好きなのオッサンがいるのだろうと思ってしまいます。
    私の好みは あまり一般的ではないみたいで 三期生の一押しは 勿論 山下美月と言う美少女ではありません。仙台出身の やはりおっとりとした 久保史緒里が一押しです。この子は卒業してしまったマイマイにそっくりで聖母二世とも呼ばれています。マイマイは 世の中で唯一ナーちゃんよりも私の評価が高い 私から見れば完全無欠の女の子ですから そのマイマイにそっくりなくぼちゃんを 私の一押しにするのは致し方の無い事かもしれません。
    二番目に気に入っているのが 佐藤楓ちゃんです。インターネットのあまり信憑性がない三期生の人気ランキングでいうと 最下位に位置していることが多いようですが 私としては珍しく シュッとした都会的な女の子です。愛知県出身でナーちゃんと栗太郎が好きな所も気に入っています。好きな曲も「気づいたら片思い」と この子とは非常に好みが合うのがお気に入りになった原因かもしれません。兎に角 三期生は十二人がすべて かなり高水準の美少女なので 目立っていませんが AKBグループに行けば 相当に目立つ存在だと思いますから 今後もしっかりと応援していきます。
    他にも 博多便が可愛い与田祐希も 非常に顔立ちが整っていて 福岡生まれの私にとってはどうしても博多弁が懐かしく感じられて大好きです。それからいつも笑顔で 真剣に怒っているのにその気持ちがなかなか伝わらない向井葉月も AKBの コジマコみたいで凄く魅力を感じます。一つ違いの芦田愛菜のモノマネが上手な岩本蓮加も 非常に可愛らしいと思います。いちいちあげていたらきりがないのでこれぐらいにしておきますが何しろ4000倍以上の競争率の中で選ばれたのですから 粒ぞろいなのは当然かもしれません。ちなみにNMBなんか ほんの100倍ぐらいの倍率ですから 乃木坂と比較されても可哀そうなレベルであるのは 当然かもしれません。
    二期生では 堀がいきなりセンターに抜擢されましたが その後はあまりパッとせず いかにも話題作りのためのセンター抜擢だったように感じていますが 三期生で山下辺りがいきなりセンターに抜擢されても 新鮮さが感じられて 楽しみになりますから そんな大抜擢を期待してしまいます。期待はしますが 先に書いたように未だ未選抜の二期生が落ち込むことも心配ですから 複雑な気持ちです。
    何にしても 現在の乃木坂にはいささか沈滞ムードが漂っていますから 次の選抜発表の時には 三期生が新風を吹き込んでくれることを望みます。

  • 5月15日 突然に病院の自動ドアが開かなくなってしまいました

    昨日の午後の診察時間に 突然病院の自動ドアが開かなくなってしまいました。昼過ぎに来院された患者さんが出入りするときまでは 全く普通に開閉していました。五時になりましたので 二階で休憩していた私が病院に降りてきて ロールカーテンを開けて カギ代わりのつっかえ棒を外して 午後の診察の準備をしました。五時半ごろに 本日昼からシャンプーをした猫の飼い主さんが迎えに来院されました。
    午前中に猫を連れて来院された時には 機嫌よく自動ドアは開閉してくれていました。夕方迎えに来られた時も 午前と同様に 自動ドアの「押してください」の部分にタッチされましたが ドアが開閉しないので 困った顔をされて入口に立っておられました。私は時々 うっかりして ロールカーテンを開けるだけで つっかえ棒を外し忘れることがありますので また今回もそんな失敗をやらかしたのだと思って 慌てて頭を下げながら ドアに近づきました。
    所が 今回はつっかえ棒を外し忘れたわけではないのに 「押してください」の部分をタッチしてもドアが開かなくなってしまっていたのです。取り敢えずは ドアを開かなくてはなりませんから ドアのふちに手をかけて 力づくで強引にドアを開いて 猫の飼い主さんに病院内に入ってもらいました。開いたドアは自動的に閉まりましたから 電源が切れたりしているわけではなさそうです。
    取り敢えずは自動でドアが閉まってくれましたから 機嫌を直してくれたのかと思いましたが いったん閉まったドアは再び力づくでしか開かない状態に逆戻りしてしまいました。うちの自動ドアは 動物がうっかりと挟まってしまわないように ドアの動線に沿って 足元にセンサーが働いていて 動線上に動物が存在していることを認知した場合には ドアが閉まらないようになっています。再び閉まりかけたドアのそのセンサーの部分に足を出してみました。
    すると動線上の物体に反応して 再びドアが開きました。どうやらそのセンサーはドアが閉まる時には働いているらしくて 自動ドアが開く動作もスムーズにできていました。いったい突然うちのドアはどうしてこのような不調になってしまったのでしょうか。病院の前の道は 小学生の通学路になっていますので 昼過ぎの時間帯には 沢山の子供たちが通ります。昼間は自動ドアの電源を切って鍵をかければ 戸締りできるのですが カギは病院が開業した時から 壊れたままで 修理するのに凄く高くつきますので 開業以来ずっと昼間の戸締りは自動ドアにつっかえ棒を咬ませて開かなくなることで済ませていました。
    この状態で 「押してください」にタッチすると 当然自動ドアですから 開こうと作動します。しかしつっかえ棒がありますから ガタッと言う音がして一瞬振動してから 機械に不具合が生じたことを知らせるためのピー、ピーと言う信号音が鳴りだします。どうやらこの一連の反応が 小学生のクソガキには 面白かったようで 連日五時になって下りてくると信号音が鳴っていたことがありました。
    まあ小学生にしたら 取り敢えずは信号音が鳴ることに満足しているみたいで それ以上の嫌がらせはありませんでしたが こちらとしては自動ドアの故障にもつながりそうなので困っておりました。そこである日私は小学生が帰宅する時間帯に 待合室で週刊誌を読みながら 待ち構えていました。すると二三人の男の子がしゃべりながら近づいてくる気配を感じ取りました。そこでドアのすぐ内側で待ち構えていて そのクソガキがドアにタッチした瞬間に「こらー」と大声で怒鳴りつけてやりました。
    小学生はびっくりして尻もちでもついたような気配でしたが すごすごと逃げ去るのが カーテンの隙間から見えました。一度の撃退で 連日の悪戯が 治まるものかどうかと思っておりましたが どうやら犯人は一人だけだったみたいで それ以後は一度も似たような被害は受けていません。そんな事があったのは もう数年前の話ですから 突然の自動ドアの不調に原因として思い当たるものもありませんでした。
    しょうが無いので ドアに「自動ドア故障の為、来院されましたら 声をかけてください」と言う貼り紙をしました。八時までに二組の患者さんが来院されましたので その度に私がドアに駆け寄り力づくでドアをこじ開けて 入ってもらい 帰る時にも同様にして出ていってもらいました。もう十年以上も前に やはり自動ドアの開閉のセンサーが寿命で壊れてしまい 修理してもらいました。
    予期せぬかなりの出費に 相当ガックリしましたが 今回も翌日まで様子を見ても 状態が改善しない様なら それなりの出費を覚悟せねばならないでしょう。今朝目が覚めた時に 心配になって 自動ドアに触ってみましたが やはりピクリとも動いてくれません。ガックリして落ち込んでいる所に 奥様が登場されました。奥様は本日トリミングをする犬を迎えに出かけて 犬を連れて病院の入り口に立たれました。自動ドアの不調の事は 一応昨夜電話で報告しておきましたが 奥様が自動ドアの「押してください」にタッチされると 極普通にドアが開きました。
    私が首をひねりながら ドアに駆け寄り 閉まったドアにタッチしたら 何事もなかったように自動ドアは開閉を再開しました。その後も順調にドアは開閉してくれています。いったい昨夜から 今朝の最初の私がドアに触れた時の不調はどこへ行ってしまったのでしょうか。自動ドアが普通に開閉しない状態を 少なくとも昨夜来院された飼い主さんたちは 目の前で見ておられましたから 信じてくれるはずですが 奥様は信用してくれません。
    取り敢えずは 自動ドアを修理せずに済みましたから 安心しましたが 昨夜から今朝まで私が心配し落ち込んだことの責任は一体だれが取ってくれるのでしょうか。世の中には納得のいかない現象がちょくちょく起こります。悔しいです。寂しいです。とっても悲しいです。

  • 5月13日 銀行カードローンのCMが 消費者金融の二倍も流れているのだそうです

    誰でもそうだとは思いますが 借金なんてあまりしたくない行為ではないでしょうか。私もこの病院を開業するときと 土地建物を買い取った時に それぞれ二千万円と四千万円ほど国民金融公庫(現在は名称が変更しているみたいです)から借金して いずれも十年間できちんと返済しました。開業時は親の実家を担保としましたし、買い取った時は病院の土地建物を担保物件としました。わずか二千万円の借金とはいえ 普通は親の実家でも担保物件にしなければ 借りられないのが現実です。私は幸いにも親が実家を所有していましたので それを担保に借金できましたから 何とか開業できましたが 親にそれ位の財産がないと 開業したくてもできずに 勤務医を続けていて悔しい思いをしている獣医師が時々います。
    私の人生で 借金と言う行為をしたのは その時だけなので 銀行のカードローンや 消費者金融などとは一切無縁の生活をしています。無縁なので 全く興味がありません。従って銀行のカードローンや消費者金融についての知識も全くありません。カードローンとは、ATMなどからカードを利用して融資を受けたり返済することが出来るローンのことなのだそうです。カードローンの大半が無担保で融資を受けられ、用途を指定せずお金を借りることができるプランが多く、カードローン各社はそのリスクを考慮した金利に設定している為、住宅ローンや自動車ローンと比較して金利が高い場合が多いらしいです。まあ担保を取っていない以上はそのリスクを考慮して利息が高く設定されるのは 致し方の無い事かもしれません。現在のカードローンは「銀行系」と「消費者金融系」辺りが主流らしいです。他にそこそこの金額の商品を購入した時に 分割払いをする場合には 信販会社を利用することがありますが これもカードローンに含まれるのかもしれません。そういう意味では 現在の往診車は一年ローンで購入しましたから その一年間は 私も借金をしていたと言えるのかもしれません。
    何にしろ 借りる相手が 銀行なのか 消費者金融 私のイメージとしては 昔の通称サラ金と言った方がピンときますが によって銀行のカードローンなのか 消費者金融のカードローンと呼ばれるのかの違いだと思います。私の乏しい知識では 銀行と言うのは一般人から預金として預かり そのお金を貸し出す仕組みの会社だと理解しています。それに対して消費者金融 現在でも通称で街金とは呼ばれているのでしょうか は預金業務が無くて 貸出業務のみを営んでいる会社だと理解しております。昔サラ金と呼ばれていた貸金業者は 主にサラリーマンが貸し出す相手だったからそのように呼ばれていたのだそうです。所が時代が変わって女性 OLや主婦までが 借りるようになったので 消費者金融と呼ばれるようになったと記憶していますが 間違ってはいないでしょうか。昔は 高い利息で貸し付ける業者の人たちを まとめて「高利貸し」等と呼んでいたように思いますが 現在はこの呼び方は使われていないのでしょうか。
    私には よく理解できないのですが よく問題になっているのが法外に高い利息を請求されて支払えず 場合によっては本人が自殺したり 家族が離散してしまったりと 凄く悲惨な目に合う方がいらっしゃるみたいです。世間では そのような辛い目にあっておられる方々を よく被害者扱いしていますが そのような人たちは本当に被害者なのでしょうか。私はカードローンなど一生利用するつもりはありませんので 全く興味がないし それについて勉強するつもりもありませんが 少なくとも万が一利用する機会がやってきたら キチンと貸金に対する利息に関する法律や 自分の借金する条件による利率などをきちんと勉強して しっかりと納得してから 借りることになると思います。
    高い金利に追いかけられて 生活が苦しくなるかもしれない事は 借りる側がきちんと勉強して 返済できる具体的な計画を立ててから借りるべきだと思います。借りる人は 少なくともお金汚受け取る時には有難がって 借金の条件に納得して受け取っているはずです。少なくとも借りる側がきちんとした準備をして きちんと返済していれば何も問題は起こらないはずです。問題が発生するのは 条件通りの返済をしていない借りた側に責任があるように考えますが おかしいでしょうか。私から見れば 銀行も街金も かなり高い利息を取って貸し出している以上は 全く同じ穴のムジナに見えてしまいます。なのにテレビのCMについては 銀行は制限が殆どないのに 街金の場合は回数や時間帯などに制限がついているのだそうです。私の目から見れば 同類なのに どうしてそのように宣伝活動について 差がつけられているのかも理解できません。
    最近テレビで利息の過払い金が戻る可能性があることについて やたらと弁護士事務所が宣伝しているのも不思議に思えます。大体自分が借金する場合に その業者から提示された金利が 法に定められた範囲のものなのか その枠を超えたものなのか 確認を怠ったのは借りたものがきちんと確認しなかったのですから その人の落ち度だと思うし 提示された条件に同意して借りているのだから 例え法に定められた利率よりも高かろうと 本人が納得して同意したうえで借りているのだから 借りた時点で定められた利息は支払われるべきだと 私は思ってしまいます。被害者面して 過払い金が戻ってきたことを大喜びしているような人間は 私は嫌いです。間違いなく借りる時点では 借りる側の人間が頭を下げてお金を受けとったのなら 約束はきちんと果たすべきだと考えてしまう私はおかしいのでしょうか。
    こんな屁理屈ばかりをこねているから 私は友人が少ないのだと思います。でも本日の主張は 本当に私が間違っているとは思えません。世の中筋の通らないことが沢山ありますが 少なくとも私は自分に関わる事では キチンと筋を通して 約束したことはちゃんと実行して 生きていきたいと思います。

  • 5月12日 滋賀県の税務署職員が 話題になっているみたいです

    大体税務署の職員なんて 何もなくても殆どの人間から嫌われているのではないでしょうか。サラリーマンは 源泉徴収されてしまっていますから 直接税務署と関わり合いを持つことはないのでしょうが 我々の様な自営業者にとっては 一円でも多くの税金をむしり取ろうとする 天敵と言うか害虫のような存在にしか見えません。我々零細自営業者が 汗水たらして稼いだお金から 税金をそれこそ身を削るような気持で納めているのに それを着服していて 全く悪びれていない態度は 呆れ返ってしまいます。
    しかし公務員にそんな非常識な人間がいることは 今更それほど驚きませんが 国民の血税を預かっている税務署がお金の管理が全然出来ていない事には 驚いたり呆れたりしている場合ではないように思います。三千万円もの現金を着服されていて その重大なミスに全然気づいていない様なルーズなチェック体制の お役所なんかに 税金をきちんと納めたくなくなるのは ただでさえむしりとられていると感じている国民としては 当然かもしれません。可哀そうなのは 机を並べて一緒に働いていた同僚の職員かもしれません。只でさえ毛嫌いされる職種の人間が そんな犯罪をいけシャーシャーと犯している同僚と一緒にいるのに 全く気づかないでいたなんて 大間抜けを絵にかいたようなものでしょう。
    この犯罪人は もし着服していなければ自分は死んでいただろう 等とほざいています。こんなたちの悪い人間は 出来たら着服しないで 死んでくれていた方が世の中のためになったように思います。自分が他人の金を盗んでおいて平気でいられるのは 両親を含めた家庭環境に問題があるからだ 等ともほざいています。確かに 着服したお金は 両親が直ぐに返済してしまったのだそうです。こんな世の中から死んでしまえばいいのに と思われている息子のために 直ぐに代理返済をしてしまうような バカな両親ですから こんな犯罪人が生まれて育ったのかもしれませんから この犯人の行っている家庭環境が悪かった と言うのはある意味正解かもしれません。
    犯人は裁判にかけられて 恐らく懲役数年の実刑判決が出るのでしょうが 両親が簡単に返済してしまったのでは 本人が勿論刑務所にいる間は全く反省しないと思います。出所してから どうせまともな所では働けないことを期待しますが 苦労して仕事をして借金を返済していく生活をしているうちに 自分の犯した罪の重さを実感できるのではないでしょうか。簡単に両親が返済してしまったのでは 今後もまた同様の犯罪を犯す可能性は相当に高いと思いますが如何でしょう。それこそ 借金を返済していきながらの苦しい生活を経験すれば 多少なりとも反省するかもしれませんし 再犯の可能性は低くなりそうに感じます。何だったら その苦しい生活の中で本人が言うように 死んでしまえばいいのにとも思います。
    とにかく今回の事件で 税務署は国民から税金をむしり取ることに必死になるよりも 納めて頂いた血税をきちんと管理して 今後このような個人での着服事件が絶対に起こらないようなチェック体制を作ってほしいと思いますし 何だったら数か月ごとに第三者による会計監査を 実施すべきではないでしょうか。私は 大して税金を納めていないので 偉そうなことは申し上げられませんが 公務員は国民の公僕であることをもっと自覚してほしいです。

  • 5月11日 映画[リトルフォレスト」の 冬編 と春編をみました

    レコーダーのおまかせ録画に知らないうちに録画されていたものを 観ました。「リトル・フォレスト」は、五十嵐大介さんと言う作家さんが実体験に基づいて描いた漫画作品らしいです。この漫画を原作として 映画化された作品のようです。かなりあやふやな表現になってしまいましたが この映画は前半部分を 「夏編」と「秋編」として 公開されたようなのです。その後に後半部分を「冬編」と「春編」として制作されて そののちに公開されたらしいのですが 実際にこの映画が封切られた時期には その映画の存在すら全く知らなかったし、前半部分を見ていないから当然ですが 全く知らないのに 後半部分だけを見てしまった形になっていますので 今ひとつ この映画の全貌が理解できておりません。
    主人公の女の子を演じているのが 橋本愛さんと言う 乃木坂のイクチャンに似た雰囲気の きりっとした美人の女優さんです。知らにうちに 映画の後半部分から見始めてしまいましたので もう一つ描かれている舞台となる東北の小さな山里も人物関係も よく解からないのですが 橋本さんが凄くチャーミングなので その魅力に引きつけられて 最後までみてしまいました。このままでは 消化不良を起こしそうなので 是非前半部分の「夏編」と「秋編」もなるべく早急に見ようと思います。
    この映画の舞台は あまり具体的な説明はないようですが 東北の雪深い山里のようです。そんな厳しい環境の中で 生まれ育った女の子が もともと母子家庭だったらしいのですが 恐らく主人公の女の子が 高校生の頃にお母さんが突然疾走してしまって 田舎の一軒家に一人暮らしを しているようでした。かなり辺鄙な田舎らしくて 買い物に出かけるのもそれなりに苦労するように説明されていました。東北地方ですから 当然冬は 雪に埋もれそうなかなり厳しい環境の様です。若い女の子ですから そんな辺鄙な田舎から どの程度かわからないけれども 普通の都会に出て生活をしたこともあったようです。
    しかし都会には都会のしがらみや暮らしにくさがあるので 直ぐに生まれ故郷の田舎に戻ってきたのだそうです。勿論田舎には田舎特有の 付き合いやしがらみがありそうですから 一概に都会よりも生活しやすいとは思えませんが 生まれ育った土地だからか 田舎の生活しにくさは それほど苦にはなっていない様でした。女の子が一人暮らしで 殆ど自給自足の生活をしているように描かれていましたが ある程度は現金収入がないと 生計が成り立たないように思いますが 農業を頑張っていれば その作物を売ることで それなりの収入は得られていたのかもしれませんが その辺りは前半部分をみていないからなのか よく解かりません。
    女の子一人で 何処まで農業を本格的にできるのか 全然見当がつきませんが 米作りは勿論 野菜などもかなりの種類に取り組んでいるようですから ほとんど休む暇もないのかもしれません。何しろ冬の間は 雪に埋もれた生活になりますから その期間の食糧も確保して保存しておかなければなりませんので 凄く大変そうに見えました。時には 鴨等の鳥や 鱒などの魚も手に入れていましたから それらの獲物もしっかりと捌いている姿はなかなかかっこよかったです。蕎麦や小豆などの作物も収穫していましたから それらを植えて育てて 収穫する方法やタイミング 収穫したものの調理の仕方まで含めると かなり広い範囲での知識と経験が必要そうで とても私には真似できそうにありませんでした。
    私もあと数年したら 南の島へ移住して のんびりとした隠居生活をするつもりです。勿論自給自足などは目指していませんが それなりにゆったりとした土地で生活しようと考えていますから 趣味的に農業もやってみたいと考えています。勿論趣味的な取り組みですから そんなに手のかかる作物には手出ししません。難しいとは思いますが 南国ですから果物にチャレンジしてみようかと考えております。まあ最初の数年は 失敗の繰り返しを覚悟しておけば 間違いないでしょう。それにしても 雪国の生活は 私は苦手です。塩野義に勤めていたころに 金澤と富山で三年ほど過ごしました。北陸地方ですから 東北よりも雪の量は少ないのかもしれませんが 何しろ雪が積もっているのが当たり前の生活は 初めての経験でしたから 駐車場から車を出すのに その通路の雪をスコップで除去するのが 朝の日課 と言うのは非常に苦痛でした。道路に出れば 沢山車が通っていますから 何とか走れるのですが 一般道に出るまでの雪かきが 長靴を履いて スコップを担いで ほんの数メートルなのですが 慣れていないので三十分位かかるのです。朝の三十分は かなり辛いロスタイムです。
    その時に雪のある生活に拒絶反応を感じるようになりましたので 本当は憧れの北大のある北海道での生活を夢見たこともありましたが 悩んだ末に 南の島で夏の暑さは想像している以上に 厳しいかもしれませんが 冬でも厚着をせずに外出できる南の島への移住を決意しました。何にしても この映画の前半部分をみてみないと 落ち着きませんので 頑張って探してきて 観てみようと思います。

  • 5月10日 USJの近所のホテルでディナーブッフェを頂きました

    ホテル京阪ユニバーサル・シティと言う京阪系のホテルがなぜかUSJの近所に存在しています。私はUSJで非常に不愉快な体験をしたので 生涯二度とUSJに出かけることはありませんが ジャランのクーポン券を獲得したのが三月ごろだったと思いますが その使用期限があと数日に迫っていましたので 慌てて使えるイベントを探していましたら このホテルのディナーブッフェが該当しましたので 予約しました。一人四千円ぐらいかかるところが クーポン券を使うとほぼ半額で楽しめるので 結構遠方にありますが わざわざ車を飛ばしてやってきました。
    食事が六時開始の予定でしたので 夕方出発するのですが この時間帯に大阪に向かう事はあまりありませんので 到着時間が予測しづらかったのですが 混み合うのとは逆方向に走るので それほど渋滞には巻き込まれないであろうと予測して それでも余裕を持って 三時と出発時間を決めました。案の定午前中に大阪方面に向かう時よりもかなり空いていましたので 五時前には ホテルに到着してしまいました。
    あまり速くに駐車してしまうと 余分に注射料金が発生してしまう可能性がるので どうしようかと躊躇しましたが 最近ホテルに食事に来た時 レストランが太っ腹で 余裕たっぷりに駐車券をサービスしてくれましたので 恐らく大丈夫だろうと予測してそのままホテルの駐車場に入りました。取り敢えずは地下の駐車場からホテルの受付のある三階に上がりました。ホームページをみていましたので 予測はついていましたが 普通ホテルの受付のある階には ソファーなどが並びゆっくりと歓談できるスペースがあるはずですが その類のスペースが全くありませんでした。
    それにちゃんとしたホテルなら 食事をする店としては 洋食、和食 中華 ステーキなどいくつかのレストランがありますが このホテルには恐らく食事のできるお店が この受付のある三階にあるレストラン一件しかなさそうです。どうもこのホテルは 私がこれまで利用してきたホテルとは 若干異質の宿泊施設かもしれないと感じました。時間つぶしをするためにUSJ の方向に歩いていきました。土産物を売っている店や 食事のできるお店が結構な数並んでいましたので 暇つぶしに見て回りました。たこ焼きミュージアムと言うのがあって 数件のたこ焼き屋さんが軒を並べていました。
    ブッフェを頂く直前でしたから 勿論お腹はペコペコでしたが それほど私の食欲を刺激するお店はありませんでした。ただ喉が渇いたので タピオカやナタデココのようなものが入った飲み物が どんな食感なのか興味が湧きましたので 購入して飲んでみました。飲んだら ほぼ予想していた通りの食感で 正直ガッカリしましたし 結構な値段したので 失敗し高菜と思ってしまいました。
    六時が近づきましたので ホテルのレストランの前に行きましたが 他に予約したお客さんが少ないのか女性客が二人待っているだけでした。六時になりましたので 入口に近づくと 直ぐに名前が呼ばれて席に案内されました。かなりの座席数があり驚きました。食事をスタートしたお客さんはほんの数組でしたから 空いていてありがたいのですが 何となく寒々としたものを感じました。
    料理の内容は ホテルのブッフェとしては 可もなく不可もなくと言った程度でしたが ステーキ肉はかなり固かったです。デザートとして注文するとその場でクレープとパンケーキを焼いて席まで運んでくれるのが 出来立てで美味しかったです。食べ終わった皿を下げに来てくれるタイミングも良かったので 気持ちよく食事が出来ました。兎に角空いていましたから オバハンたちの下品な笑い声に不快な思いをさせられなかったのは 非常に良かったです。
    帰りがけに 駐車券を受け取る時に 早目についたので 余分に駐車券をくれるように頼んだのですが 断られました。今年になって訪れたホテルは リッツカールトンとタワーホテルでしたが どちらも気前よく駐車券を振る舞ってくれましたが やっぱり安物のホテルは言う事がけち臭いと感じました。まあリッツカールトンとホテル京阪を比べるのは可愛そうな気がします。料理もクーポン券でほぼ半額になっているので 納得できますが 通常の料金なら 特に美味しいと感じたものがありませんでしたから 高すぎると文句を言いたくなるでしょう。
    帰り道 第二京阪の側道を病院へ向かって走っている時に 急患の電話が入りましたので 臨時収入があり助かりました。今の時期には 毎日何某かのお金が入って来てくれないと 寂しい気持ちになります。私は物心ついたころから 枚方と交野で生活してきましたから 京阪電車に馴染の深い人間ですが やっぱりホテル京阪は残念ながら 何処となく安っぽくて 又訪れることはないだろうという 物悲しい気分になってしまいました。

  • 5月7日 仕事について考えてみました

    大勢いる人間には たまに仕事や勉強にやりがいや達成感があるから好きだ 等と胡散臭い事を言う輩がいます。私は正直申し上げて 子供の頃から勉強も大人になってから就いた仕事も大嫌いでした。子供の頃 勉強はそこそこ頑張ったつもりはあります。中学までは 大して頑張らなくても殆ど上位一割ぐらいの成績でした。人間というものは 他人よりも下に位置するよりも上にいる方が気持ちがいいのは間違いありませんから それなりに満足感はありましたので 最低限度自分の希望がとおる程度には嫌々ながら頑張りました。
    高校受験の時も 一応学区のトップ校に受かる程度の成績でしたので 志望校も簡単に決まり 受験してすんなり合格できました。但し高校に入ってからは 自分の成績 と言うよりも能力について かなりショックを受けました。つまりそれまでクラスで一番か二番の者ばかりが集まった高校でしたから テストで平均点を取るのに初めて四苦八苦したのです。気を抜いていればあっと言う間に落ちこぼれになりそうな状況でしたから 自分なりに勉強に本腰を入れました。自分としては ほぼベストを尽くしたのに 成績上位にはなれませんでした。世の中には 賢い人間が少なからずいる事と 自分の能力がそれほど高くないことを 痛感させられました。
    それまでは幾らか頑張れば 直ぐに自分は優秀なのかなと感じられる成績が収められていたのに 頑張っても平均点がやっと と言う自分の不甲斐無さに もともと好きではなかった勉強と言うものが はっきりと嫌いになってしまいました。嫌々ながら継続する勉強でいい結果が出る訳はなくて 結局進学できた大学は 立命館大学の理工学部でした。勿論立命館大学自体は それなりの実績と伝統のある立派な大学だとは思いますが 人に胸を張って自慢できるような学歴であるとは思えませんでした。
    進学したのが理工学部の化学科という所でしたが ここもまた自分が本来望んでいた学科とは異なりましたから 授業を積極的に受けて 化学に関する知識を身に着けよう 等と言う姿勢は全くなくて ただ卒業するために必要な単位を取得したに過ぎませんでした。その為に 大学で学んだことを活かせる職業にもつけませんでした。人並みに就職活動をして最終的には 塩野義製薬と言う会社の営業職に落ち着きました。
    塩野義製薬と言うのは それなりの業績をあげていて 知名度もあるし 給料などの待遇も申し分のない 私の様な仕事をやる気もあまりない人間には 勿体無いような立派な会社でした。製薬会社の営業職と言うのは 要するに医者相手の営業ですから 肉体的にも精神的にも 非常に辛い仕事でした。同じ部署の先輩方は 相当に癖の強い個性的な方ばかりでしたが 自分の仕事に誇りを持って 真剣に取り組まれていたのだと思います。
    私は半人前の仕事すらできない 一番下っ端のペーペーでしたから 当然かもしれませんが 仕事にやりがいなど一切感じられませんでした。私が塩野義製薬に在籍していたのは 三十年以上も前の話ですから 現在は存在しないのかもしれませんが 担当する医者との対話を報告書にして提出することが義務付けられていました。その報告書は 勿論事例としては 実在の患者さんに処方された塩野義の薬の効果について確認した対話を簡潔にまとめた報告書 と言う形になっていましたが 現実の話とはかなりかけ離れていました。
    勿論報告を受ける方も 現場経験者ですから そんなに理想的に こちらに都合の良い話に展開することなどありえない事は分っているはずでしたが あくまで報告書としては 医者と理想的な対話を進めたかのような報告書になるまで 書き直しを命じられていました。勿論仕事の理想形を求めて その方向に進む努力をすることは大切だと思いますが その点にこだわって医者と接触すれば 面倒がられて 嫌われてしまうのが落ちでした。
    そんな理想を追い求めるような形を 大切にしているように装っていても 結局のところは 売り上げの数字が一番物を言うのです。きちんとした非の打ちどころのない報告書 と言うか作文を拵えて 提出する事よりも とどのつまりは前年同期同旬の売り上げを上回っていれば 殆ど文句は言われないのです。私は わたしなりに医者相手の隷属的な営業活動に 何とかやりがいを見つけようと努力をしましたが 最終的には見つけられずに 退職して自分の本当にやりたかった獣医師を再度志す決意をしてしまったのです。
    再度受験勉強をやり直して 岐阜大学に入学して 何とか卒業して 研修を積んで 自分の病院を開業して 現在に至っています。人よりも十年近く回り道をして何とか開業獣医師になりました。開業当初は自分なりの理想の動物病院を作ろうと懸命に頑張りました。しかし実際に仕事として直面していくと どんなに自分が望んでいた仕事であっても 理想通りにはいかないし 言いたい事を我慢して受け入れなければならないこともたびたびあるし 自分の無能さを痛感させられて 泣きたくなることもしばしばありました。
    客観的に見れば 何とか二十年以上病院を潰さずに経営できていますし それなりの収入はあるのかもしれません。やりがいを感じられて この仕事を選んでよかったと感じたことも 勿論少なからずありますが あまりに不愉快さを痛感して その場でこの仕事を放り出したくなったことも 何度も何度もありました。お金を稼がせて頂いている以上は 我慢も辛抱も必要だと頭では理解していますが 正直な気持ち このストレスの非常に大きい仕事を続けられる限界が直ぐそこまで来ているように感じることが少なくありません。
    私ももうすぐ還暦を迎えますから 退職後を楽しみにしてもいい年齢に差し掛かっているように思いますが 立命館を同時期に卒業した友人たちと話をすると 定年を迎えても のんびりするどころか 再就職に向ってやる気満々なのには驚いてしまいます。きちんとした会社をきちんと勤め上げれば それなりの退職金とかなりの金額の年金が受け取れるはずです。なのにどうして まだあと数年懸命に働こうとするのでしょうか。「すまじきものは宮仕え」と言う言葉があります。「会社や官庁に勤めるのは 気を使い大変辛いものだから 出来ればやらない方がいい」と言った意味合いだったと思います。事実私は会社勤めがほんの三年ほどしか持ちませんでした。
    友人たちは 数十年にわたって宮仕えをしてきたのに ようやくそのお勤めから解放される時期を迎えたら どうしてみんなが皆再就職したがるのでしょうか。再就職が決まると 取り敢えずはおめでとうと申し上げるのですが 本当にお目出度い事なのでしょうか。「体が動く間は 働かないと勿体無い」 とみんな口をそろえて言いますが 体が動かなくなってから 引退したって 思い切り遊ぶことが出来ないのではないでしょうか。健康寿命と言う言葉が最近注目されています。健康寿命とは日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自立した生活ができる生存期間のことだそうで 日本人男性の場合70歳を少し過ぎたところまでなのだそうです。だとしたら 私はあと十年ぐらいしか残っていません。
    最初に書きましたが 私は勉強も仕事も 正直好きではありませんので 一刻も早く引退してのんびりする方向に努力した方がいいのかもしれません。のんびりと楽しく過ごすためには 友人たちと楽しく過ごしたいのですが 未だ働く気満々なので 相手にしてもらえ無さそうで残念です。死ぬ時に 十分満足に生きられたと実感したいので 私が引退した時に 一緒に遊んでくださる方を求めます。こんな文字ばかりの腐ったようなブログを読んで頂けている方たちなら きっと私と話が合うと思いますので 是非お友達になって 一緒に楽しい事をして遊びましょう。ご連絡をお待ちしておりますので よろしくお願い致します。