Dr.喜作のブログ

2017年10月 の記事一覧

  • 10月19日 歯石のひどい子の口内のお掃除をしました。

    本日 十二歳のダックスの子の三回目の歯石取りをしました。この子の最初に歯石取りをしたのが 七歳の時でした。その時は 割と簡単に歯石が歯の表面から剥がれ落ちて くれましたから 短時間で歯石の除去が終わりました。歯の表面が全体的に歯石に覆われてしまっていて かなり口臭もひどかったですが すっかり見た目は 真っ白なきれいな歯に戻りました。歯の表面を表から裏まで そして歯周ポケットまで徹底的に歯石を除去しましたから ひどかった口臭は全くなくなりました。只歯の表面がかなりザラザラしていましたから 又歯石が付着するのは時間の問題かもしれないと飼い主さんに説明しました。
    予想通りというか 三年後には 又歯石が初めて歯石取りをした時以上にひどく付着しましたので 十歳の時に二度目の歯石取りを行いました。その時も 丁寧に歯の表面から歯石をはがし取って 隅からすみまで徹底的に歯石を除去しました。ただ歯は一応白くはなりましたが くすんでいて輝くようには白くなりませんでした。歯肉炎の状況もかなりひどかったので 少し長めに抗生剤と消炎剤を飲ませてもらって 何とか歯茎の状態を何とか落ち着かせました。
    そしてつい先日 以前から気が付いていた後肢の付け根にあるイボが かなり大きくなったのが気になる と言う事で来院されました。ここの所数年 殆ど大きさに変化はないし 本人も全然気にしていないので 様子を見ていたのですが 最近急に大きくなってきたようです。イボといえば そんなに怖いものというイメージはないのかもしれませんが 皮膚にできるある種の腫瘍と言ってもいい病気です。様子を見ているうちに 自然に消失する場合も多いし 数年経過しても大きさや数に変化がないのなら 良性の腫瘍でしょうから 本人が気にしていなければ そのまま放置しておいても問題ない場合が多いです。所が最近になって残念ながら急に大きくなってきたと言う事は どうやら悪性の腫瘍だったようですので 手術することにしました。ただその時飼い主さんから 同時にまたひどくなってきている歯石の除去を希望されました。
    腫瘍の摘出は 当然ですが術野の清潔さを求められる手術でありますし 歯石の除去は ばい菌の塊を取り除くのですから 飛び散らないように配慮してもどうしても不潔になってしまう処置です。教科書的な判断としては 清潔さを求められる作業と どうしても不潔な状況になる処置とを 同時に行う事は お薦めできません。しかし飼い主さんの気持ちとしては 麻酔をかけることは それなりにリスクがありますし 勿論費用が掛かりますので 一度の麻酔で二つの作業を終わらせてほしいと望まれるのは当然だと思います。腫瘍はまだ小さなものですから その摘出は割と短時間で終われそうでしたから ついでに歯石取りを同時に行える患者さんだと判断しましたので 正直気は進みませんでしたが承諾しました。
    本日さきに勿論腫瘍の摘出手術を行いました 見た目は直径一センチ具体の腫瘍の摘出でしたが 皮膚を切開してみると 根っこの部分がかなり蛸のように足を広げている状態でしたのでくれぐれも根っこの部分を取り残さないように 慎重に除去しましたので 傷口としては大きくなってしまい 皮膚をナイロンの糸で五針縫いましたが 想定していた位の時間で 無事に手術を終えました。その後直ぐに使役鳥の作業にかかりました。但しこちらは術前に口内を観察して予想していた以上に状態が悪化していました。
    手術を始めるときに まず導入麻酔薬を静脈注射します。直ぐにグターッとしますので手術台に乗せて 先ずはマスクを顔に被せてガス麻酔を吸入させて 更に麻酔状態を安定させます。ある程度落ち着いた状態になったら 開口器を上下の犬歯にかけて大きく口を開かせた状態で気管チューブを挿管します。この子も常法通り開口器を犬歯にかけたら 犬歯に力が加わり簡単にボロッと抜け落ちてしまったのです。犬歯は犬の歯の中で 一番長大な歯ですから その根っこも一番深くまで歯茎に埋まっているはずです。その犬歯が開口器をかけただけで簡単に抜け落ちるぐらいですから 他の歯の状態もその時に確認したら 殆ど全ての歯がぐらついていました。取り敢えずは 気管チューブを挿管しなければ手術が始まりませんが 犬歯が抜け落ちてしまいましたから 開口器が使えませんので 足を固定するためのひもを上あごにかけて 奥様に上あごを持ち上げた状態にしてもらい 私が下あごと舌を捕まえて下に引っ張って 大きく口を開けさせた状態にして 何とか気管チューブを挿管して手術を始めたような次第でした。
    歯がグラグラしていると 超音波スケーラーで 歯石をはがしていくのですが スケーラーの先が歯の表面にしっかりと接触しにくいので 歯石をはがし取るのにかなり苦労をしました。三回目の歯石取りですから 歯石のこびりつき方がひどくて 歯がしっかりと固定されていたとしても かなり手こずったのでしょうが かなりの数の歯がぐらついていましたので 口に指を突っ込んで裏から歯を固定しないとしっかりとスケーラーの先端が歯と密着してくれないのです。でも苦労して歯のお掃除をしましたので 飼い主さんがとても喜んでくださりましたので 頑張った甲斐がありました。
    歯石の除去は 注意していても歯石が飛び散りますし 臭いもかなり強烈な場合が多いので 勿論楽しい作業ではありませんが 凄く汚い状態だったのが 奇麗に処置出来たら飼い主さんにとても喜んでもらえるので 結果的には 満足感のえられる有難い仕事のようです。最近私も虫歯の治療で歯医者さんに通っていますので 一番最後の日には ついでに歯石取りをしてもらうと思います。結構痛い思いもするし 口をゆすぐと思っていた以上に出血していて情けない気持ちになりますが その処置のおかげで歯肉炎が回復しますから 有難い処置です。自分では気づいていませんが 口臭も多少は抑えられているのかもしれません。一生懸命に歯磨きしているつもりでも どうしても歯石はついてしまいますから 歯を磨く習慣のない犬に歯石がついてしまうのは致し方の無い事かもしれません。歯石を放置しておくと口臭もひどくなりますが 歯肉炎が進行してしまい いつの間にかどんどん歯が抜け落ちてしまい 強いては寿命を縮めることにもなりますので 歯が茶色くなり 口臭が気になりだしたら 積極的に歯石取りをすることをおすすめします。

  • 10月18日 十一月の旅行の日程がほぼ決まりました

    今年の秋の旅行は 移住先候補地への下見を兼ねて 長野県や静岡県を訪れてみようと考えて検討を始めました。当初は温暖で富士山がよく見える 静岡の富士宮市や富士市にアプローチしてみました。両市の市役所の移住担当にメールを送り 十一月ごろ旅行で訪れてみたいので 対応してほしいとお願いしてみました。移住受け入れに熱心な自治体の場合 体験宿泊施設を所有していますが 残念ながら両市ともにそのような施設はないと言う事でした。せめて役所が指定した旅館やホテルに 移住の下調べが目的で宿泊する場合 半額ほど補助を出してくれる制度を設けている自治体もありますが 両市にはそのような制度もありませんでした。この時点で 少なくとも移住の受け入れにあまり前向きの姿勢が無い事に気づけばよかったのかもしれませんが 気付けませんでした。
    安くて宿泊できるホテルを自分で探して 自分で予約しなければなりません。それでも富士山の近所にある土地というのは 私には大きな魅力でした。自分の移住に対する希望や 下見に出かけた時にやってみたい事等伝えてみましたが いずれの市も 通り一遍の返答しか返ってきませんでした。こちらの要望に合いそうな地域を具体的に教えて欲しいとか 移住の先輩から直接話を聞きたいので紹介してほしいとお願いしてみましたが なかなか話が先に進みません。
    ここまで来るとさすがに 富士宮市 富士市の移住担当の どうしても移住してきたいのなら拒否はしませんよ という姿勢が理解できてきました。まあどちらの市も人口十万以上を抱えていて 別に過疎の問題とかとは無縁の地域だから致し方がないのかもしれませんが あまりにそっけない態度に腹が立ちましたので こちらから縁切りメールを送って 移住の候補地から外しました。静岡は温暖な気候なので その地域の住民も暖かく迎え入れてくれるのかと期待していましたが どうやらとんだ勘違いだったのかもしれません。
    静岡県には 両市以外にも候補地が幾つか上がっていましたが 取り敢えずは移住先の候補地を長野県に絞って考えてみることにしました。まだ三年以上先の話ですから 結局は静岡へ移住することになるのかもしれませんが 私の気持ちが長野県に傾いたのは間違いありません。長野県も静岡と同様に凄く広い県です。大きく四つか五つの地域に分けて表現されているみたいですが 地域によって寒さや降雪量も異なるみたいです。私は塩野義に勤めていたころに 金澤と富山で一年ずつ暮して 雪に埋もれた冬を一寸だけ経験しました。
    勿論 サラリーマン時代は それこそ雪が降ろうとやりが降ろうと毎日決まった時間に というよりも雪が積もっていると車を動かすのにも手間暇と時間がかかりますから 何時もの時間よりもずっと早い時間から動き出さねばなりません。慣れない雪道で 車が動けなくなったり スーツが泥まみれになる事なんてしょっちゅうでした。二度と雪に埋もれる生活はしたくないと 思っていたから 老後は南の島への移住を最初は夢見ておりました。所がキャンピングカーで日本各地を旅してまわりたいという夢もありましたので 日本の中心に位置する長野若しくは静岡への移住に方向変換したのです。
    富士山が大好きなうえに 静岡と言えば温暖なイメージがありましたので 取り敢えずは静岡が第一候補 長野が第二候補のように考えておりましたので 先ずは静岡から打診してみたのですが どうも結果は芳しくありませんでした。私の長野県の思い出と言えば 立命館時代の合唱団の夏合宿が 涼しい信州の確か栂池で毎年行われていました。蒸し暑い関西から出かけるとそれこそ天国の様に涼しくて爽やかでした。それから冬になるとスキーに出かけました。これも合唱団の連中と出かけましたが 朝から暗くなるまで滑って 夜はアフタースキーを存分に楽しみましたので 長野県にはいいイメージしかありません。
    ただ雪が積もる場所での生活には 嫌な思い出が付きまといます。でも長野県と言っても かなり雪に埋もれる地域もあれば 寒さ的には そこそこの高さにありますから勿論関西よりはずっと厳しいのでしょうが 雪に埋もれる地域ばかりではないのだそうです。長野県の南の部分 通称南信というのだそうですが そこの伊那谷という地域は 中央自動車道という高速道路が縦貫していますので 名古屋方面 関東方面 そして日本海側へ向かうのに便利な所だと分ってきました。勿論冬場は雪が積もることはありますが 春まで融けないような根雪になることはなくて 十センチ前後が数回積もる位なのだそうです。
    別に仕事をしているわけではないのですから 雪が積もれば家の中でのんびりとぬくぬくと過ごせばいいだけの事です。寒さに耐えきれないと感じれば 真冬の間だけそれこそ南の島へ一時的に脱出することを考えていいのかもしれません。そのように柔軟に考えると 長野県の冬の寒さと雪が それほど脅威とは考えないでいいような気がしてきております。伊那谷のいくつかの自治体へ移住の希望がある事と 十一月に下見に出かけたい事を伝えるメールを送りました。
    すると 箕輪町と辰野町から 直ぐに返事が届きました。どちらの町も移住を歓迎してくださる暖かい気持ちが伝わってきましたので すごく嬉しく感じました。旅行の日程としてはいつものように月曜日から金曜日まで病院をお休みしての四泊五日を予定しています。夜中のうちに出発して 辰野町の町役場に朝九時に到着するように出かけます。ルート検索してみると 大体四時間前後で辰野町役場まで到着するそうなので 余裕をもって早朝四時ごろにスタートするつもりです。
    町役場についてから取り敢えずは担当者の方とお話をして 先ずは町内の生活するうえで重要なスポット 買い物をする商業施設や 病院などを案内してもらいます。続いて移住の先輩方から直接話を聞かせてもらうために 面談の段取りまでつけてもらっています。それから宿泊体験をする施設に案内してもらって 商業施設を案内された時に食材を購入しておきますので 当地の特産品を使った料理を自炊するつもりです。翌日はお昼まで 辰野町の観光スポットを見てから お昼過ぎに 隣町の箕輪町の役場を訪ねて 同様の日程を翌日まで過ごします。
    木曜日の朝に箕輪町を出発して ナガシマスパーランドに向います。約二時間半の移動時間を予定していますから 午前中から長島スパーランドで思いっきり楽しみます。最終日お昼ごろまで長島リゾートを堪能してから 帰途につく予定です。例によって 欲張りな私のたてるスケジュールは 一杯いっぱいなので 恐らく最終日には クタクタに疲れ果ててしまって 帰りの車の運転は奥様にお任せしてしまうかもしれません。うちの奥様は 何をやらせてもそつなくこなされますが 運転もお上手なので 安心してお任せできます。いつも旅行に出かけると 行くときは私が張り切って 八割がた運転しますが 帰りは大抵八割がた 奥様が運転しますので 何時も帰り着いたときには避難の声が絶えません。今回の旅行も恐らくいつもと似たような展開になると思いますが 精一杯楽しんできたいと思っております。 

  • 10月17日 1849年の本日 ショパンがわずか39歳で永眠しました

    私の親友に モーツァルトを崇拝していて ショパンをチャラチャラした音楽と見下した表現する人がいます。彼のクラシック音楽に対する知識はそれなりに確かなものがあるのを認めますが 私の様に長年ピアノを練習してきたものからすると ショパンの音楽をチャラチャラしていると表現されるのは 全然納得できません。モーツァルトは 交響曲もたくさん書いているし オペラも少なからず書きあげていますから その作品のジャンルとしては 幅広いし作品数も多いので 作曲家としての後世への影響力は上回っているのかもしれませんし恐らくファンの数も多いでしょう。ショパンの場合は その作品の殆どが ピアノ独奏曲に限定されていますから その作曲家としての活動の場が狭かったのは認めざるを得ませんが ピアノを懸命に練習してきた者には 教祖様のような犯しがたい存在なのです。
    ある程度ピアノの練習を積み重ねたものにしてみれば ショパンのバラードやスケルツォ、ポロネーズなどは ボリューム的にはどれも十分以内で演奏できる曲ですが その表現すべき内容は深くて大きいし 弾きこなすのには 相当なテクニックが要求されますから チャレンジしてみたくなる魅力にあふれている名曲は多いと思います。誰でも耳にしたことのあるフレーズが多いので 腕に覚えのあるピアニストなら演奏会でのプログラムに取り入れておられる方も少なくないように思います。
    ショパンのエチュードはバッハの平均律曲集とともに ピアニストが一人前になるための絶対的な通過点 と表現されることがありますが 私はピアノの技術を向上するための練習曲集としては チェルニーの練習曲集の方が 直接的であり且つ効果的なのではないかと考えます。ちなみに私は高校生の頃にチェルニーの五十番という練習曲集の半ばまで指導を受けましたが 音大に進んだ妹よりも先に進んでいたことが 密かな自慢です。
    ピアノを長年練習していると どうしても自分の思い通りに弾きこなしてみたい 別に誰に聴かせるわけではなくても 自分の解釈した音楽を思う存分表現して 思いっきり自己満足の世界に浸ってみたいという曲が何曲か出来てくると思います。私の場合は ショパンのバラードの一番です。私が立命館大学に通っていたころの友人で 素晴らしくピアノの上手な人物がいました。彼は背もすらっと高くて 当然指も長いので 手を広げれば楽に十度(ドから二つ上のミまで)届くほど身体的にもピアノを弾くのに恵まれていました。
    私も男ですから 出来たらもう少し背が高くてすらーっとしていたいと思ったことは多いですが 現実はズングリムックリで 指も当然短いので 一オクターブを弾くのがやっとです。彼のように身体的にピアノを弾くのに恵まれていることを凄く羨ましいと思いました。勿論彼は 身体的にピアノを弾くのに向いているだけではなくて 技術の向上のために 凄くストイックに練習に取り組んでいましたから 十年以上ピアノを頑張ってきた私が 舌を巻くほどに素晴らしい演奏テクニックを身に着けていました。
    その彼が得意としていたのが ショパンのバラードの一番でした。私はどうしても彼と同じようにこの曲を弾きこなしてみたいと思いましたが 彼は私の技術では一番は難しすぎるので 同じくバラーとの三番を奨めてきました。勿論三番も素晴らしい曲なのですが 私としてはどうしても一番が弾きたくて 密かに練習を始めました。八割がたは何とか弾けるようになったように思いますが 最後の一番盛り上がるコーダの部分で 和音を連打する部分が 私の短い指ではどんなに練習しても ゆっくりなら鍵盤を押さえられますが 自分の演奏したいテンポでは幾ら頑張っても弾きこなせませんでした。彼の見立てはやはり的を得ていたようです。
    そんな訳でショパンのバラードの一番は 私にとってどんなに頑張って追いかけても 決して手の届かない存在 現在の私から見たら乃木坂のナーチャンみたいなはるかかなたの存在なのかもしれません。それから 他にチャレンジしてみたい曲に 同じくショパンの軍隊ポロネーズがあります。この曲は中学生になったころ同じ先生について習っていた友人が 私よりも先にこの曲を与えられて練習を始めました。彼の方がピアノを始めたのが早くて いつも私は彼の後塵を拝していましたが 何とか頑張って追いつき追い越してやろうと努力を重ねていました。どんな場合もライバルの存在が大切で 彼の為にかなり悔しい思いもしましたが 私の技術の向上には 役に立ってくれたのかもしれません。
    もともとショパンのポロネーズは かなり体力を要するうえに 相当なテクニックも求められる難しい曲ばかりですが 何とかライバルに追いつけてきたのではないかと 自惚れていた矢先に 彼が発表会のレパートリーとして軍隊ポロネーズを与えられたのです。私は悔しくて その発表会で自分がどんな曲を弾いたのかさえ全然覚えていません。発表会で弾く順番は 私が最後から三番目 二番目が高校生の女の子で 彼が初めて発表会のトリを務めました。私は自分が何を弾いたのか覚えもいない位ですから そこそこの曲をそこそこの出来で演奏できたのだと思います。彼は日ごろから大人しくて 本番にそんなに強くないはずでしたが 大曲を与えられて 必死に練習してきたのだと思いますが 堂々と立派に弾きこなして見せました。
    結局私のピアノ人生で 軍隊ポロネーズと巡り合う事はありませんでした。ポロネーズはショパンの故国ポーランドの民族音楽ですから幼いころから馴染んでいたらしく彼の一番最初になんと七歳の時に作曲したのが ポロネーズだったのだそうです。現在よく演奏されるピアノ独奏曲としては 七曲が残っているみたいですが 「英雄」や「幻想」等の有名な曲は 私の短い指では全く歯が立たないのは明確なのでチャレンジしてみようと思ったこともありませんが 軍隊ポロネーズだけは バリバリピアノを弾いている時代にチャレンジしてみたかったです。只中学生の時にライバルだった友人の演奏が かなりいい出来栄えだったので その演奏に及ばなかった場合凄く惨めな気持ちになりそうで あえてチャレンジはしなかったのかもしれません。
    現在はもうピアノから離れて 数十年が過ぎますので どうしょうもありませんがショパンのバラードの一番と軍隊ポロネーズを弾きこなせなかったことは 私の人生の大きな悔やみごとの一つとしてあげられるのかもしれません。

  • 10月16日 不本意な事に セクハラ親父扱いされてしまいました

    うちの病院はここ数年 近所の中学校の職業体験研修に協力してきました。それで先日 三名の中学生(男一名女二名)がその挨拶の為にうちの病院にやってきました。そこで三人が自己紹介文を持参してきましたので それを見ながら一時間ほど話しました。当日の服装や 持参するもの 準備してくることなどを話したのですが その時の会話の内容に 私からのセクハラ発言があったと言う事で 本日先生が尋ねてきて 自己紹介文を回収して 事情を説明して帰っていきました。
    まあ私は このブログでもかなりあけすけで露骨な表現を 遠慮なく使ってしまいますので 女性で読んでいてくださる方が 思わず眉をしかめるような表現がしばしばあったかもしれません事をこの場をお借りしてお詫び申し上げます。ただ私は ざっくばらんに飾らない自分を表現して 理解して頂きたかっただけで 他意はございませんので 何とかご理解いただけたら嬉しいです。今年やってきた三人の中学生は 当然かもしれませんが 全くの初対面の大人と接する機会なので相当に緊張しているように見えました。以前うちの病院にやってきた女の子が 研修を終えてから その感想文というかお礼の手紙をくれるのですが その中で 「先生はパッと見がすごく怖そうなので 最初はとても緊張しましたが 実際に話してみるとずけずけものを言われるのには驚きましたが とても面白くて楽しい先生でした」等と書かれていました。
    今年の子たちも同様にカチカチに緊張しているみたいなので そんな気持ちを解してあげようと思って 「私は還暦を迎えた爺ちゃんやけど 直ぐそこにアイドルのポスターを貼って喜んでいるような 変態ジジイだから 全然緊張しなくてもいいよ」と喋りかけて それからひとしきり乃木坂と欅坂についてのうんちくを語りました。変態ジジイと言うのは いつも私が奥様に言われている呼び方なので 女性にそんなに敬遠される表現だとは思っていませんでした。所が この三人がアイドルそれも女性アイドルグループに全然興味がないみたいで 結構笑えるエピソードを拾ったつもりでしたが 予想外に受けなくて 残念な滑り出しになってしまいました。
    取り敢えずは各自が書いてきた自己紹介文に目を通して そこから何か弾みそうな話題を見つけようと考えました。そこで自己紹介文を受け取る時に中学生が 「私たちのプロフィールです」といったので 自己紹介文じゃないのと思いながらその紙を広げてみるとやはりタイトルとしては 自己紹介という文字が並んでいたように思います。プロフィールという言葉に私が食いついてしまい「アイドルのプロフィールやったら 体のスリーサイズとか書いてあったりするけど 君たちのプロフィールにはそんなもの書いてるわけないやんね」と言って 笑ってもらおうとしましたが またまた滑ってしまいました。
    どうも今回来てくれた三人の中学生とは 私と笑いのツボが完全にずれてしまっているようで なかなかケラケラと明るく笑ってもらえないので 内心焦ってしまいました。これまでは三人とも女の子ばかりでしたが 今回は待望の男の子が一人混じっていましたので その子を落ちに使えば簡単に笑いが取れるはずなのに 全然受けないのです。私は岐阜大学時代の生計を中学生相手の塾の先生でたてておりました。大阪から来たおもろいオッサンを見事に演じきって そこそこ人気のある先生だったと自惚れております。事実私の授業は 笑いが絶えずとても楽しい雰囲気だったのではないかと思っています。これまで研修に来てくれた子たちにも 別に尊敬されようなんて気持ちは微塵もありませんから それなりにおもろいオッサンとは認識してもらえていたように自負しております。
    私としては 実際の研修をしてもらう前に 少しでもこの子たちと打ち解けておいた方が 身につくもの 持って帰ってくれるものが多くなるのではないかという考えで いろいろと頑張ってみましたが 全くの無駄に終わってしまっていたみたいです。二人いた女の子のどちらか一方なのかそれとも両方なのかは知りませんが 帰宅してから 挨拶に行った研修先で体のスリーサイズを尋ねられた と報告したらしくて うちの子がセクハラを受けたと 学校に届け出たのだそうです。
    その結果 教頭先生がわざわざうちの病院まで出向いてきはって 自己紹介文を回収して事の経緯を説明して 研修はなかったことにするという要件を述べて 帰って行かれました。私はチャンチャラおかしくて取り立てて弁解もしませんでした。私としては何の悪気も無い事でしたし こちら側の言い分を聞いてくれる雰囲気も全然なかったので 勿論謝罪の言葉も吐きませんでした。私には 孫位の年齢の中学生に対して セクハラを働こうという気持ちなど あるはずがない訳で これまで何度か研修に来てくれた中学生は それなりに喜んでくれていたように感じていますから 今回やってきた子たちにとっても少しでも有意義な研修になってくれれば という気持ちだけで接していたのにこちらからの事情を説明する機会すら全く与えられないのには 徐々に腹立ちすら覚えたほどでした。
    職業体験なんてものを受け入れても 少なくともこちらには何のメリットもないのです。特に私の様ながさつで無神経な人間が対応すると 今回の様にこちら側としては全くその気がない発言でセクハラだとかパワハラ等と騒がれても面倒なので 事前に先生から職業体験の生徒を受け入れてくれるかどうかのお願いと言うか確認の電話がかかってきたときに 受け入れ人数は三人 私がガサツなオッサンだから なるべく男子を選んでほしいと毎年必ずお願いしていました。しかしこれまでは希望者に男子がいたのかいなかったのか知りませんが 全員女の子でした。今年初めて男子が一人入ってくれていたのでだんだん男子が増えてくれればいいと 正直思っていました。やっぱり男は男同志の方が 絶対に気楽に話せるし 中学生の男子を喜ばせようとしたら ちょっとエッチな方向に話を持っていけば簡単だからです。
    まあ中学生の職業体験を受け入れなくても 病院には全然関係がないのだけれども 少なくともその中学校では うちの病院はセクハラ動物病院という不名誉で有難くない認識が定着するのでしょうから またまた病院の評判が落ちる事だけは間違いないのかもしれません。でもうちの病院の評判なんて もともと最低最悪だったと自覚していますから もうこれ以上は評判が落ちようもないのかもしれません。
    あと数年でこの仕事を辞めるつもりですしこの土地から離れたら二度と戻ってくるつもりはありませんから そんな評判どうでもいいように思います。只私は この病院の評判が悪い事の全ての原因だと自覚していますから 個人的に私が恨まれようと 嫌われようと ネット上でディスられようと全然かまいませんが 奥様は至極まともな普通の人間なので そんな悪い評判が奥様にまで及ばないかと言う事だけが 唯一心配な事です。
    結局今回の事件も 私の喋ったことがすべて原因ですから なるべく喋らないように気を使った方がいいのかもしれませんが 私の仕事 動物病院の先生の仕事は 勿論動物を診察して 必要に応じて検査して 診断して治療する事なのですが 飼い主さんと会話することで全ての手順が成り立っていますから 喋らないわけにはいきません。なるべく相手の意に沿うような内容を話せばいいのですが 状況によってはどうしても相手の意に反する内容を話さなければならない事も 多々あります。
    そんな時でも表情や言葉遣いに注意すれば 相手の気持ちを強く逆なでしないで済むことは分っていますが 私は人格的に大きな欠陥を抱えておりますので あえて逆なですることもしばしばなので うちの病院の評判は 地に落ちるのだと分ってはおりますが 恐らくこの性格は死ぬまで直らないだろうと思います。こんなことなら一日も早く病院をたたんでしまった方がいいのかもしれませんが 優雅な老後を過ごすためにあと少しは 仕事を続けるつもりでおりますので こんなつまらないブログを読んでくださる優しい方々は どうぞこの哀れでスケベなジジイに救いの手を差し伸べてやってくださいまし。

  • 10月15日 1953年の本日 チャーチルはノーベル文学賞を受賞しました

    ウィンストンチャーチル というイギリスで長年にわたって首相を務めた政治家の事を 今のお若い方はご存知ないのかもしれません。何しろノーベル賞を受賞したのが 私の生まれる三年前の出来事ですから ご存知なくてもしょうがないのかもしれませんし 世界史の教科書でチャーチルの名前は第二次世界大戦について記したページや ポツダム宣言について説明した文章位にしか登場しませんから あまり印象的ではなくても 致し方の無い事だと思います。
    何年も前に日本で長年首相を務めた佐藤栄作さんが ノーベル平和賞 を受賞しました。その時には 佐藤さんがそれほど外交的な事で 輝かしい実績を作っていたようには思いません。その次の田中角栄さんの方が日中国交正常化などを成し遂げましたから 平和に貢献したように思っていました。佐藤さんが平和賞を受賞した理由は 非核三原則(核兵器を持たない、作らない、持ち込ませない)や 専守防衛論を繰り返し訴えた事や 憲法九条にある戦争放棄を強調した発言を続けたことに対して 世界の平和に貢献したと認められたのだそうです。
    ですから私はチャーチルさんがノーベル賞を受賞したのは知っていましたが 政治家としての認識しかありませんでしたので 佐藤さんと同様に平和賞を受賞したのだと勘違いしていました。文学賞と言っても 過去の受賞者には哲学者で文章としての作品は殆どないけれども その発言の重みから 受賞された方もいらっしゃったみたいです。チャーチルが文学賞を受賞した作品としては「第二次世界大戦回顧録」が挙げられるのかもしれませんが チャーチルの名言集を検索してみると 膨大な量の発言が見つかりますから哲学者と同様にその名言も文学賞の対象になっていたのかもしれません。
    「第二次世界大戦回顧録」という作品は かなり分厚い書物で全六巻にも及ぶのだそうですから チャーチルの作品として完成され出版された数は少ないのかもしれませんが 決してうすっぺんらな作品ではなくて立派な文学大作と言えるように思います。調べてみると チャーチルは政治家として卓越手腕を発揮しましたが 文才も秀逸なものですけれど 実は美術の方面にもたぐいまれな才能に恵まれていたのだそうです。ですから 現代のレオナルドダビンチ並みに多方面にわたって才能に恵まれた人物だったみたいです。
    ただ第二次世界大戦で ナチスドイツ軍の圧倒的な軍事力は あっと言う間にヨーロッパを席巻してしまい 隣のフランスは連合軍からかなりの援軍を受けていたにもかかわらず あっと言う間に全滅してしまいました。イギリスは島国ですから 海と言う防波堤に守られていたおかげもあり 辛うじて持ちこたえていた状況でした。ただ彼我の軍事力を比較すると イギリス軍の陸海空軍の戦力は ドイツの十分の一にも満たない寂しいものだったようです。そんな圧倒的に不利な戦況で 国民の士気を高めるとともに アメリカからの援軍を上手に掻き集めた その優れた政治力が無ければ ひょっとしたら第二次世界大戦はドイツの勝利に終わっていたのかもしれません。
    あまりに卓越した政治力の為に 政治家としての評価しかされていない傾向があるのかもしれませんが 文学面での才能や美術の方面での才能も もっと評価されるべき人物なのかもしれません。チャーチルの文才を 正当に評価したノーベル賞の選定委員たちは 既成概念にとらわれず いい仕事をしたものだと 今更ながら感心してしまいます。「第二次世界大戦回顧録」は当然ヨーロッパ戦線の事ばかりが表現されているのでしょうから 読んでみようという気にはなりませんが チャーチルという偉大な政治家の意外な一面を知れていい一日でした。

  • 10月14日 今年は 秋の味覚の王様 マツタケが凶作なのだそうです

    今年の夏の天候が マツタケの生育にはよろしくなかったみたいで 収穫量が例年の一割前後なのだそうです。普段でも国産のマツタケなんて 高嶺の花でほとんど購入したことがありませんでしたが 今年は収穫量が激減したために とんでもない高値がついているらしくて お店でその香りを嗅ぐことも無さそうです。まあいってみればたかがキノコじゃありませんか。別にマツタケを食べなくても秋はやってきますし サンマや栗を頂ければ 私には十分なような気がします。
    よく「香りマツタケ 味シメジ」等と言いますが ここに出てくるシメジとは スーパーで良く打っているブナシメジの事ではありません。ホンシメジというきのこで これはある意味マツタケ以上に貴重品なのだそうです。貴重品ですから そのお値段もマツタケを上回る位するのだそうですが 何しろあまりに貴重品なので 殆ど一般小売店には出回らないのだそうです。マツタケは 大学時代の先輩がマツタケの取れる山を持っていましたので 秋になると実家からどっさり送られてきたのだそうで その御裾分けでいただいたりして 結構な量を食べたことがあります。焼きマツタケに 土瓶では作りませんでしたがマツタケのたっぷりと入ったお吸い物や マツタケご飯などの料理で マツタケを堪能したものでした。
    数年前には 滋賀県の山奥まで出かけて マツタケのどっさりと入ったすき焼きを頂きました。ただあまりに大量のスライスしたマツタケが入っていたので 有難味も感じませんでしたし すき焼きの濃い甘辛いあじで せっかくのマツタケの香りが飛んでしまっていましたから 上手なマツタケの食べ方ではないように思いました。そんなわけで マツタケは これまでに何度も食べたことがありますし 買わないにしても上等の木箱に入って売られている立派なマツタケの姿を何度も拝んではおります。所がホンシメジという代物は 恐らく高級な料亭のようなお店で 目の玉が飛び出るぐらいのお金を出さないと 見ることも食べる事も出来ないのかもしれません。まあ話の種に死ぬまでには 一度位 食べてみたいものですが 根が貧乏人の私には そんな高級な料亭の敷居が高すぎて 恐らく無理な話でしょう。
    高級な食材と言えば 最近ウナギのかば焼きももう何年も食べていません。以前は今考えると恐らく中国産のかば焼きなのだと思いますが 近所のスーパーで 二匹で千円位で売っていましたので ご飯をたっぷりと炊いて 大盛り二段重ねのうな丼を二杯作り 夢中になって一気にいただいたりしておりました。体重が増加するわけです。しかし最近は 中国産のウナギですら そんな安売りはしていないみたいですし 国産のウナギは 一匹で千五百円ぐらいはします。何度も書きますが根っからの貧乏人である私には とてもそんな高級な食材を購入して食べる勇気はございません。
    さんまの塩焼きも大好物ですが これまた収穫量によっては かなりの高値がつくこともございます。庶民の楽しみであるさんま位は 安く売っているとありがたいのですが 貧しいものには生きにくい世の中になっているように思います。まあサンマの塩焼きはとても美味しいのですが どうしてもご飯をたくさん食べたくなってしまいますので 減量を志す私としては どちらにしても辛抱した方がいい食材であるのかもしれません。
    秋の食べ物としては 柿と言う果物もあるのかもしれませんが 私は柿が嫌いです。まだ実が若くてシャリッとしているうちはいいのですが 熟してきてニュルッとした食感になってくると気持ち悪くて食べたくありません。それなのに私は干し柿は結構好きなので 自分でも分けが分りません。母親も干し柿が好物だったので 岐阜は柿が名産なのかよく知りませんが 岐阜駅の近所にある干し柿やさん といっても他のものも販売していたのでしょうが 干し柿しか買わなかったので 私にとってはそのお店は干し柿やさんで 立派なのになると一個で四五百円するものまでありましたが よくお土産に買って帰り 私も小粒のものを頂いておりました。
    他に秋の味覚と言うと栗があるのかもしれません。子供の頃親戚のうちに結構立派な栗の木があったので この時期にその家に遊びに行くと 何時もタダで栗が拾い放題でした。人間とは 一度栗なんてただで拾い放題 を経験してしまうと スーパーで売っている栗が かなり立派な値段がするので なかなかお金を出してまで買う気になりません。でもどうしても栗ご飯が食べたくて辛抱できなくなった時に 思い切ってそこそこの量の栗を購入します。しかし栗ご飯にするには 栗の皮を剥く作業が 凄く面倒なのです。外の堅い鬼皮はまだ割と簡単に向けますが 内側に張り付いている渋皮を丁寧に実からはがすのが凄く大変な作業なのです。でもそうやって苦労を重ねて剥いた栗で炊いた栗ご飯は 私は少し出汁の素を加えて炊きますが それにゴマ塩でも振りかけて食べると 最高に美味しい秋の楽しみです。
    残ったくりは茹でてから頂きます。子供の頃は 母親が包丁で皮を剥いてくれるのを 妹と順番に待ちながらゆっくりと少しずついただきました。現在は剥くのが面倒なので 包丁で半分に切って スプーンですくって食べてしまいます。
    マツタケが今年は天候の為に収穫量が激減したのだそうですそれは自然の恵みですから致し方のない事かもしれませんが 来年には例年通りの収穫量に戻ってくれると どっち道私には手が届きませんが 庶民の貴重な秋の楽しみとして復活してほしいものです。ただキノコは胞子植物ですから 今年そんなにマツタケが少ないのであれば 胞子が飛散する量も少なくなってしまい 来年以降も収穫量が少なくなってしまうのではないでしょうか。キノコの増殖については殆ど知識がありませんので よく分りませんし 私の心配が杞憂に終わってくれればいいのですが 野生動物なども一旦個体数が激減してしまうと なかなか元の数に戻るのには 相当な時間がかかってしまう場合が多いので 心配してしまいます。世の中不景気な話題 暗いニュースが多いので せめてこのような自然の産物位は どっさりとれて 明るい話題を提供してほしいものです。

  • 10月13日 選挙ワリという制度があるのだそうです

    読んで字のごとく 選挙で投票に行くと 投票済み証がもらえるのでその紙切れを見せるか 投票所の看板とともに自どりした携帯電話の写真を 提示すれば そのキャンペーンに参加している店が定めた割引のサービスが受けられるのだそうです。まあ全国でそのキャンペーンの趣旨を理解して参加しているお店の数が500軒ぐらいなのだそうですから 各都道府県に十軒+アルファのお店しかありませんから 自分の近所にそんなお店がある可能性は高くないのかもしれませんが 少しでも選挙の投票率を上げようとして 身銭を切ってこのキャンペーンに参加しているお店には やはり好感を持ってしまいます。どうせ買い物をするのなら 少なくとも私はキャンペーンに参加しているお店で買うようになるでしょう。
    日本の様に一定の年齢になれば 勿論住民票が登録されているものだけですが 誰でも平等に選挙に参加する権利を与えられていると言う事は 凄く有難い事なのです。国民の一人一人の意思が政治に反映されることは 日本人にしてみれば当然すぎる事の様に思えるのかもしれませんが 世界を見渡せば凄く素晴らしい制度が確立されているのです。すぐお隣にある世界最大の人口を誇る中国には こんな民主的な選挙なんて 影も形もないのです。共産党の一党独裁の中国には 民主的なものなど何一つない 野蛮でとっても惨めな国なのです。
    日本だって最初から誰にでも平等に選挙権が与えられていたわけではありません。先人たちの血のにじむような努力と頑張りの結果 やっと勝ち得た権利なのです。そんなとってもありがたい自分たちの権利を行使しない人が多い事は 非常に残念であり 愚かな行為だと思います。私も残念ながら 当日に急用が入ってしまって どうしても投票に行けなかったことが二三度ありますが それ以外はきちんと投票しています。
    選挙で投票に行くことは 国民の三大義務 教育 勤労、納税 についで重要な 国民の義務だと私は考えてしまいます。三大義務は よく話に出てきますが 同じく国民の三大権利というのがあります。生存権、教育を受ける権利そして参政権なのです。参政権とは勿論選挙権の事です。選挙権は国民に保障された凄く大きな意味合いを持つ権利の一つなのです。自分たちの生活に少しでも不満があるのなら きちんと選挙で投票して自分たちの意思を示すことが必要なのです。勿論一回の選挙で 自分たちの希望通りに世の中が変化することはないのかもしれませんが 信念を持って投票していれば きっと自分たちの望むような世の中に変えてくれる政治家が現れてくれることを信じて投票することが大切だと思います。投票にも出かけない人間には 自分たちの生活についての不平や不満を口にする権利はないと考えます。
    とにかく参政権 つまり選挙で投票して自分たちの意思を表すせっかくの機会ですから サボらずに投票に行きましょう。一般的に投票率が上がると 与党の議席数が伸びると言われていますから 選挙にきちんと投票に行けば 税金が少しだけでも安くなるような制度を設ければ 簡単に投票率は上がると思いますから 自分たちの議席を増やすためにも 自民党には そんな規則を作ってもらいたい様に思います。まあ現実的には難しいでしょうけれども。

  • 10月12日 毎月十二日は語呂合わせで 豆腐の日なのだそうです

    豆腐と言う食品は 私が凄く好きな食材の一つです。春から秋にかけては取り敢えず冷奴で頂きます。かける醤油は 普通の濃い口醤油の時もあれば 濃縮された麺つゆの場合もありますし 雰囲気を変えるために刺身用の醤油を使う場合もあります。但し刺身用の醤油は 色が真っ黒なので 真っ白な豆腐までどす黒くなり 見た目が良くないのであまりかけません。豆腐にのせる薬味としては ネギが一般的かもしれません。ネギの切り方もその時の気分で小口切りが多いですが 食感に変化をつけるために 斜めにそぎ切りにするときもあります。白ネギと青ネギ(万能ねぎ)のどちらも使いますが 私は白ネギの方が甘みを感じられるので好きです。
    父はミョウガが好物だったので よく刻んだりスライスして豆腐にたっぷりとかけて食べていましたが 私はミョウガの独特の香りが苦手なので 絶対にのせません。その他の薬味としてはシソの葉を刻んだり 海苔を千切りにして振り掛けることもあります。何にもない時には ゴマを振りかけることもありますが ゴマの香ばしさが楽しめるので 結構美味しいと思います。その他に 海苔の佃煮やお茶漬け用のなめたけ、高菜漬けの刻んだものなどをのせることもありますが それぞれに風味が変わってとても美味しいと思います。
    所謂一般的な薬味としては 辛子が一番ポピュラーなのでしょうか。昔豆腐屋さんで豆腐を買うと 辛子のコブクロ入りのものをつけてくれましたので 試しに豆腐にのせてみると予想外に美味しくなりましたので 最近も何もなければチューブの辛子をのっけて食べます。その他 ショウガや山葵をのっけて食べてみましたが それなりに美味しいとは思いますが やはり豆腐の冷奴には 辛子が一番合うのかもしれません。
    豆腐には木綿と絹ごしの二種類がありますが 私は断然しっかりとした木綿豆腐の方が好きです。女性は 結構絹ごしの滑らかな舌触りを好まれる方が多いのかもしれませんが 私は豆腐にまさか歯ごたえは求めませんが 田舎豆腐と言われるかなりしっかりとした お箸で挟んでも簡単に形の崩れない位の方さの豆腐の方が美味しいように感じます。どこかの地方の田舎豆腐は あまりにしっかりとしているので 運搬するのに縄で縛っているのを見かけました。どれくらいしっかりしているのか一度食べてみたいものです。
    私の料理のレパートリーとして豆腐が登場する頻度が高いのは 麻婆豆腐です。暇がある時には ニンニクやしょうが 唐辛子などを刻んで油でしっかりと炒めてから 豆板醤、甜麺醤等の中国のお味噌を加えて そこでひき肉をよく炒めてから豆腐を加えて さらに熱を食材に通します。そこで仕上げに水溶き片栗粉でとろみをつけて出来上がりです。只時間がない というよりも手間暇かけて作るよりも早く食べたい気持ちを優先する時には 麻婆豆腐用の出来合いの調味料を利用することも多いです。これを使うとひき肉を炒めて調味料を投入してから 豆腐を加えて最後にとろみをつければ簡単にできますので凄く楽ちんです。辛みが物足りない時には 一味やラー油を加えて辛さを自分好みに調節します。私は辛さにかなり強い方なので 自分の為だけに作る時と 他人も食べる分を作る時とでは 辛さを調節します。例えばレトルトのカレーでいうと グリコのリーカレーの二十倍は全然平気ですし 三十倍も結構汗をかきますが食べられない事はありません。
    それ以外の豆腐の食べ方としては おでんやなべ物に入れるのが一般的だと思います。私はおでんが大好物です。好きな具材は 大根、玉子、厚揚げ、蒟蒻に次いで豆腐です。但し子供の頃には やはり玉子は好きでしたが ごぼう天や竹輪などの味のしっかりとついている練り物が好きでした。我が家では 大根はあまり人気が無くて 割と最後の方まで残っていました。大人になってくると しっかりと煮込んで出汁の味が浸み込んだ 元々の味を感じにくい蒟蒻や豆腐が好きになりました。おでんの豆腐を食べるときにも 冷奴と同様に辛子をたっぷり目につけて食べます。
    父の好物が湯豆腐でしたので 冬場の日曜日は 大抵湯豆腐かすき焼きでした。すき焼きはスライス肉なので辛うじて食べられましたので 子供の頃から好物でしたが 鍋料理に入っている豆腐は 熱くて食べにくいし ポン酢の味もあまり好きではなかったので 美味しいと思って食べたことは殆どありません。白菜やエノキ、春菊などの他の具材ばかりせっせと食べていました。大人になってからも お鍋は冬場にちょくちょく作りますが 豆腐は美味しいとは思いませんので うっかりすると買い忘れるぐらいの ほんの脇役でしかありません。冷たいまま薬味をのせて 醤油をかけて食べた方が 美味しいように思います。
    私が豆腐を食べるのは 大体こんな料理の食材としてですが 他の食べ方をされる方もいらっしゃるのでしょうか。子供の頃には 母が白和えという料理を時々作ってくれました。ゆでた野菜などを味噌と豆腐をすり合わせたもので和えた料理だろうと思います。勿論子供の口には 美味しい料理とは感じられませんでしたが 我が家では 母が作ってくれて食卓に並んだ料理に 文句を言う事も残すことも許されていませんでしたから 仕方なしに食べておりました。まあ基本的に野菜は苦手ではないのですが 味噌と豆腐をすりつぶしたもので和えてある食感が 子供には結構辛かったように覚えています。
    それから極たまに豆腐や蒟蒻に味噌を塗って炙った田楽料理が出てきました。こちらは結構甘い味の味噌が塗ってありましたので そこそこ美味しく頂けました。只白和えにしても田楽にしても 大人になった現在でも それほど美味しいとは感じられませんし 結構手間暇がかかりますから 自分で作って食べようとは思いません。今年も寒くなってきましたから お鍋の季節が近づいてきました。お鍋は基本的に油を使わない料理だし 野菜をたっぷりといただけますから 減量には有難い料理ですので 豆腐は私のお鍋ではほんの端役に過ぎませんが 温まりますから美味しく頂こうと思います。

  • 10月10日 本日は缶詰の日なのだそうです

    1877年の本日 北海道の石狩川の川沿いにある工場で 鮭の缶詰が製造されたことにちなんでいるのだそうです。私が子供の頃には 缶詰と言えば鮭缶でした。台所の保存食置き場には 缶詰と言えば鮭缶ばかりが置いてあったように思います。他に記憶に残っている缶詰と言えば ホワイトアスパラガスが印象的でした。結構貴重品だったのかもしれませんが お客さんが来た時に 缶詰を開けてお皿に盛られて 食卓に出てきました。
    マヨネーズをかけて食べていたように思いますが 独特の香りと食感でした。大人になった現在なら その美味しさを理解できたのかもしれませんが 子供だった私には 正直げろを吐きだしそうになる位に 不味く感じました。でも父やお客さんたちは 美味しそうに食べていましたから やはり子供には理解しがたい大人の美味しさだったのかもしれません。私は子供の頃 このブログには何度も何度も書いているように 塊肉が食べられなくて非常に辛い思いをしました。逆に野菜はなんでも平気でした。私が子供の頃に子供の嫌いな野菜と言えば人参でした。現在はピーマン辺りが子供の嫌いな野菜の代表選手みたいに聞いていますが 私は人参もピーマンもどちらかというと好きな野菜でした。昔の人参は 確かに現在の甘みさえ感じるような人参よりも ずっとえぐみが強くて子供には食べづらい野菜だったかもしれません。そんな野菜好きの私にも ホワイトアスパラの缶詰は 全く歯が立ちませんでした。
    現在ではアスパラと言えばグリーンアスパラが一般的なのかもしれません。何処のスーパーでも売られているし ゆでたり油で炒めたりして 割とよく食べられていますが 私が子供の頃にはグリーンアスパラなんて野菜は存在していたのかもしれませんが 庶民の身近には影も形もない食材だったと思います。今ではごく当たり前に売られている野菜でも私が子供の頃には影も形もなかった野菜がそこそこあるように思います。
    ブロッコリーという野菜も今ではごくポピュラーな野菜かもしれませんが やはり私が子供の頃にはなかったように思います。似たような野菜でブロッコリーという代物がありましたが モソモソとした食感が苦手だったかもしれません。それからパプリカなんていうカラフルな野菜も 私から見ればつい最近登場したように思います。パプリカはあまりおしゃれなレストランに出かけたことがないので 一体どのように食べればいいのか見当がつかないので買ったことがないし食べたこともありません。まあピーマンの親戚みたいなものですから 薄く切って野菜炒めなどに入れればいいのかもしれませんが あまりにカラフルな色に若干抵抗があるので 当分は食べないように思います。
    話を 缶詰に戻しましょう。私が缶詰の中で一番たくさん食べたのは 恐らくシーチキンか さんまのかば焼きの缶詰だと思います。シーチキンの缶詰も私が小さい頃にはなかったように思いますが中学生の頃にマヨネーズをかけて食べるのにはまってしまい どんぶり飯をお代りして食べてしまいました。おかげでかなり体重増加してしまいました。さんまのかば焼きは 割と安い値段で手に入りましたから お鍋でグツグツしてから やはりどんぶり飯にかけてお腹いっぱいの幸せを味わいました。岐阜大学に通っていたころは とにかく貧乏学生でしたから 安上がりでお腹が膨れるさんまのかば焼きの缶詰は凄く重宝しました。
    そういえば缶詰がプルトップ式に変化したのは何時ごろからでしょうか。昔は缶切りが無ければ食べられなかったのに便利な世の中になったものです。何年か前に中学生が職業体験でやってきたときに缶切りで缶を開封できるかどうか試してみたが 三人が三人とも全く缶切りの使い方を知りませんでした。それどころか缶切り自体を見たことが初めてなのだそうでこっちが驚いてしまいました。とはいえ全ての缶詰がプルトップタイプとは限らないので 缶切りの使い方位は 親が子どもに教えておくべきではないのでしょうか。
    最近は 殆ど自炊の生活をしていますが 缶詰は殆ど食べていません。最近で缶詰の食材を使ったのは サラダに入れる粒コーン位です。シーチキンもさんまのかば焼きもご飯が進んでしまうので現在は全然食べません。私はワーファリンと言う血をサラサラにする薬を飲んでいますので 好物の納豆をもう十年近く食べていません。もう後一月で死ぬことが分ったら シーチキンとさんまのかば焼きと納豆を思いっきり食べてやろうと密かに思っています。もっと贅沢な食べ物を夢見ればいいのに 最後の最後まで貧乏くさい男でもうしわけありません。

  • 10月9日 本日が体育の日なのだそうですが 私には やはり十日でなければピンときません

    そもそも体育の日が祝日となった切っ掛けは 1964年に開かれた東京オリンピックの開会式の日だったからだそうです。私が子供の頃には 小学校や中学校の運動会は既に終わっている場合が多かったように思いますが 私が通っていた開成小学校では 市民運動会 つまり子供から大人まで参加してのかなり大がかりな運動会が 体育の日に毎年行われていたように記憶しています。体育の日は元旦と同様に殆どお天気に恵まれる特異日だったので 雨天により中止されたことはなかったと思います。
    そのような意味で 十月十日は 私にとっては市民運動会で丸一日盛り上がる 子供から大人まで皆が走り回る 本当に体育の日であることを一番実感できる祝日だったように覚えています。今でも市民運動会のような催し物は開催されているのでしょうか。そういえば 何年か前に順番が回って来て自治会の役員を引き受けた時に 集会所に呼び出されての寄り合いがあって 地区対抗の運動会に役員はなるべく参加するようにと 言われたのを覚えています。結局私に参加できそうな競技には 参加者が足りていたみたいなので 出場はしませんでした。でもそんな話し合いが毎年行われているみたいなので どんな盛り上がりを見せているのかチラッとも覗いたことがないので 見当もつきませんが 大人から子供まで参加する運動会が 少なくとも私の住んでいる地域では行われているみたいです。
    私はハッピーマンデー法というものが施行された時から 大反対でした。祝日にはそれぞれに何らかの理由があってそれぞれの日にちが定められていたはずです。なのにその大切な祝日の謂れを無視してしまって 単に日曜日とくっつけて連休を増やそうなどとは いかにも自分が昇進する事しか考えていない官僚たちの思いつきそうな浅知恵だと思います。その為に現在では その日が何の祝日なのか認識していない国民が 凄く増えているように思います。
    昔は 夕方のニュースで 祝日の場合はその謂れとなった出来事を振り返ったり 縁の地から中継したりして その祝日の意味合いをみる人に思い出させてくれる企画があったように思いますが 残念ながら 最近では国民自体の祝日に対する関心が低い子とも関連しているのでしょうが 殆どその日が祝日であることを取り上げてくれる番組が全然ありません。
    こんなことを言い出すこと自体が 私が正真正銘のジジイになっていることの証なのかもしれませんが やはり古き良き時代の日本を大切にしていってほしいと思ってしまいます。私が子供の頃に接した口うるさいお年寄りからは 相当な違和感と嫌悪感を受けていました。まあ人間は皆 間違いなく子供から大人そしてお年寄りになっていくわけで 寿命が来たら死んでいく運命で 年寄りになったらお年寄り扱いされるのは致し方の無い事だから 甘んじてその扱いを受けるべきなのかもしれません。
    私の様に無力な人間が 殆どよんでいただける人もいないこんなブログで 何を叫ぼうと全く影響力が無い事はよく自覚しているつもりですが ハッピーマンデー法なんていう日本の祝日をコケにした法律を廃案にすることを提案してくれる政党があれば 無条件に投票してしまうのですが そんな政党はあるわけありませんよね。