Dr.喜作のブログ

2017年10月 の記事一覧

  • 10月8日 ひらがなけやき二期生の顔と名前がサッパリ覚えられません

    欅坂46には 漢字欅坂とひらがなけやき坂の二つのグループが存在します。なぜ漢字欅 とひらがなけやきと言うふたつのグループが出来たのか 欅坂ファンなら常識ですが 世の中には欅坂46について殆どご存知ない方が多いようなので 一応簡単に説明しておきます。欅坂46のの最初のオーディションで 最終選考をパスした合格者が 所謂漢字欅の一期生です。この普通に合格したメンバーだけなら問題なかったのですが 最終選考を前にして 親が迎えに来てしまって 強制送還された女の子が一人いました。
    長濱ねるという長崎出身の 見た目は清楚で大人しそうないかにも欅坂っていう雰囲気を持った女の子でした。運営スタッフとしては 当然最終選考もパスして 欅坂の中心メンバーとして頑張ってくれることを期待していたのだと思われます。所がねるちゃんのご両親は 自分の娘がまさか実質倍率が千倍以上のオーディションで最終選考まで残るなどとは夢にも思っていなかったのに とんとん拍子に事が進んでしまいました。 合格が決まってしまってからでは 娘を諦めさせるのが難しいと判断したからだと思いますが 最終選考の前に急遽長崎から駆けつけて ねるちゃんを強引に連れ帰ったのだそうです。
    普通なら それで長濱ねるちゃんと欅坂の縁は プツリと切れてしまうはずですが 長濱ねるという女の子の魅力に未練が残った運営側から ご両親に再度アプローチしました。欅坂46と言うグループに ねるちゃんが欠かせない存在であることをアピールして 姉貴分的存在の乃木坂46のコンサートに招待して 芸能活動の有意義さなどを必死に訴えたのだと思います。その熱意にねるちゃんのご両親も 娘の芸能界入りを許す気持ちに傾いたようです。
    そこでねるちゃんは 正規メンバーよりも少し遅れて欅坂というグループの活動に参加し始めました。但しねるちゃんは最終選考をパスしていないどころか 参加さえしていませんから 他のメンバーと全く同じ扱いでいいのか 等とどっかの形式にこだわる人物が言い出したのかもしれません。そこで最終オーディションに合格したメンバーを漢字欅坂 長濱ねるだけをひらがなけやき と呼んで立場に微妙に違いをつけました。但しねるちゃん一人だけでは 実質的な活動が出来ないので 第一期オーディションが終わった直後でしたが ひらがなけやきメンバーを募集するオーディションが急に企画されました。
    そのオーディションで十一人の合格者が決まり 長濱ねるちゃんとともにひらがなけやきとして活動を始めました。ねるちゃんは「欅って書けない」等の番組では 漢字欅のベンバーとともに出演していましたが 一応立場の違いを明確にするためなのか デビュー曲である「サイレントマジョリティー」では歌っていません。とはいえ最初ののシングルCDで平手ちゃんとともにソロ曲を貰っていましたから その期待の高さが十分に伺えます。
    ひらがなけやきの一時メンバーが11名決まり ねるちゃんを含めて十二名で活動が始まりました。ねるちゃんはその頃 立場としては漢字欅とひらがなけやきを兼任する形になりましたので 両方のレパートリーをマスターしなければならず 相当に負担が大きかったように思いますが 何とか無難にこなしていたようで その能力の高さが証明されたのかもしれません。只漢字欅が21名いるのに ひらがなけやきは12名と人数的に少ないためにダンスのフォーメーションなどが限定されてしまうからかもしれませんが 今回追加でひらがなけやきの二次メンバー9名が追加で発表されたのだそうです。
    私は 還暦になって恥ずかしながら 乃木坂と欅坂の大ファンを自負しております。ただ年齢が年齢だけに メンバーの顔と名前を覚えきれる数に限度があります。乃木坂の一期生と二期生については 顔と名前 更に気に入っているメンバーは出身地 誕生日まで覚えています。欅坂についても 漢字欅のメンバーは ほぼ完ぺきにデーターがインプットされています。しかしその辺りが 私の能力の限界みたいで 乃木坂三期生とひらがなけやき一時メンバーには 勿論お気に入りのメンバーは存在しますが どうしても未だに顔と名前が一致しないメンバーが数人ずついるのです。
    そんな状態で 更にひらがなけやきの二次メンバーが発表されてしまいました。ひらがなけやきの二次メンバーもこれまでのメンバーと同様に 凄く清楚で大人しそうな美少女ばかりで 正直な所 個性があまり感じられないのです。
    私のキャパシティを超えた数のメンバーは 残念ながら 覚えきれる自信がありません。可愛い女の子は大好きですから 考えようによっては 嬉しい悲鳴かもしれませんが 60のジジイには これ以上のメンバーの情報は受け入れられないので もうこれ以上メンバーを増やしてほしくないのが本音です。AKBグループにしても 手を広げすぎてメンバーの質の低下が顕著になってしまいました。坂道グループは 出来たらこれ以上あまり手を広げずに メンバーの質を落とさないように心掛けて頂きたいものです。

  • 10月7日 1986年の本日 石坂洋次郎さんが 亡くなられました。

    石坂さんは生まれたのが1900年 つまり十九世紀最後の年でありますし お亡くなりになられてからも三十年以上が過ぎていますから 完全に過去の作家さんかもしれません。でもその残された作品は 未だ輝きを失っていない素晴らしいものばかりの様に思います。小説に描かれている時代背景としては 主に戦後間もない時代が特に印象に残りますが 現在に近い時代感覚で得かがれているものもあります。勿論現代とは言っても 携帯電話なんて影も形もない 昭和の時代です。
    私は これまでに読んだ小説の数はかなり多いように思います。一番読んだ冊数が多い作家さんは 栗本薫さんです。この方の作品は 結局話半ばで栗本さんがお亡くなりになられたので ストーリーとしては完結していませんが 「グインサーガ」だけで外伝も含めると二百冊近く 「魔界水滸伝」等の他のシリーズまで含めると 恐らく三百冊ぐらいは読んでいると思います。ちなみに栗本さんの小説は全て文庫本で読んでおりますので ハードカバーの本は一冊もありません。
    次に多い作家さんが 恐らく五木寛之さんだと思います。高校時代の友人から「五木といえば」と質問されて 私は五木ひろししか知りませんでしたので 散々馬鹿にされてしまい それから奮起して 五木寛之さんの作品を読み漁りました。恐らく高校時代に読んだ小説の七割方が 五木さんの作品だと思います。「青春の門」は 話が完結するまでに凄く長くかかりましたので 結局最後まで読み切れていませんが 私の青春時代のバイブルと言ってもいい作品かもしれません。そして男なら 高校生のうちに「青年は荒野をめざす」を是非読んで頂いてから 自分の進路や進学することについてじっくりと考えるべきだと思います。
    小学生の頃に一番たくさん読んだ作家さんは 多分司馬遼太郎さんだと思います。父が司馬さんの大ファンでしたので 殆どの作品が本棚に並んでいましたので 土曜日の夜など 布団に持ち込んで電気スタンドの明かりで読みふけったのを覚えています。司馬さんの作品は 父が主にハードカバーのものばかり購入していましたから 文庫本は殆ど読んだことがありません。司馬さんの作品は NHKの大河ドラマにしばしば取り上げられましたので 子供の頃から大河ドラマは殆ど全て見ておりました。最近は 主人公のキャスティングや 舞台背景などによってみるかみないか判断しますので 今年の大河ドラマは一度も見たことがありません
    石坂さんの作品にはまったのは 中学時代だったと思います。テレビで放送された映画「光る海」を見て いっぺんで石坂さんのファンになり 原作の小説を本屋さんで購入して 貪るように読んだことをよく覚えています。確か600ページぐらいあるかなり分厚い文庫本でしたが 土曜日の昼に購入して 直ぐに読み始めて 日曜日のお昼過ぎに読み終えました。映画よりも小説の方が はるかに面白くて それ以来石坂さんの小説ばかり読んでいました。主役の人物が高校生から二十代ぐらいの若者でしたから 中学生の私からすると少し年齢が上の方の話でしたが 背伸びしたい年頃でしたから 尚更はまってしまったのかもしれません。
    石坂さんの作品は 映画やテレビドラマなどで 映像化されているものが多いのですが 先に映像化されている作品を見てしまうと 登場人物の姿が 演じた役者さんの姿にどうしても重ねてしまうので 後から原作となっている小説を読んでも 自由に登場人物の風貌を想像できなくなるので なるべく映像化された作品はみないように心掛けました。逆に 先に小説を読んでいると 登場人物像を自分の想像で作り上げていますから その後で映像化されたものを見ても 自分の想像していた風貌と異なる役者さんが演じていると どうしても違和感が生じますので 石坂さんの作品を読み始めたきっかけは 映画化されたものを見た事でしたが その後はなるべく映画 ドラマになっていても 少なからず興味はありましたが みないようにしていました。
    石坂さんの小説で 一番好きな作品は やはり一番インパクトのあった「光る海」かもしれません。中学生で一番性的な事に興味津々の時期に それまでの私が読んだ小説では全く描かれていなかった性的な描写がちょくちょく出てきましたから 凄く衝撃的でした。二番目以降はほとんど横並びで 「陽のあたる坂道」「石中先生行状記」「あいつと私」「青い山脈」「美しい暦」「暁の合唱」「山の彼方に」「丘は花ざかり」「山と川のある町」「あじさいの歌」「河のほとりで」「風と樹と空と」「だれの椅子?」等など いくらでも挙げられます。
    石坂さんの小説を読むと いつでも心がほっとして 温かい気持ちになれます。今のお若い方には 時代背景など 理解しづらい所が少なからずあるのかもしれませんが 古き良き時代を勉強する意味でも 是非石坂さんの小説を読んでみられることをおすすめします。私も久しぶりに 読み返してみたくなりましたので 本屋さんを訪ねてみようと思います。

  • 10月5日 1949年の本日 今は亡きたかじんが生まれました

    たかじんさんがお亡くなりになられてから 四年近くが過ぎましたが 彼の事を今のお若い方たちは どのような存在として認識されているのでしょうか。私はたかじんさんを 思わずさん付けで呼ぶように 極めて尊敬の気持ちが強い存在でした。まずは歌手として極めて魅力的な方でした。普段喋る時は だみ声のオッサンにしか見えませんが 凄くきれいな声であり歌い方も独特の凄くチャーミングな歌いかただったと思います。私はカラオケに行くと 最後から数曲前に 必ず[東京」を歌います。ちなみに最後は必ず 沢田研二の「抱きしめたい」でしめます。
    たか仁さんのコンサートは 大半がしゃべりに費やされて 三時間ほどのコンサートで歌われる曲はほんの十数曲だったと言われています。ファンにしてみれば たかじんの歌声は当時の話ですからレコードで何時でも聴けるから その場にいないと聞けないおもろい話を期待していたと 言われています。何しろたかじんさんの喋りの面白さは 歌手なのに上方お笑い大賞を授与されそうになったほどです。たかじんさんが 自分は歌手なので大賞を頂くわけにはいかないと辞退して審査員特別賞と言う事で落ち着いたのだそうです。
    歌手には しゃべくりの上手な歌手 例えばさだまさしなどユーモアたっぷりのコンサートを開く方は少なからずいるのかもしれませんが それなりに権威のあるお笑い部門の賞を現実にもらったのは たかじんさんだけのようです。但したかじんさんは 極度のあがり症だったために 観客席がよく見えないように わざわざサングラスをかけていたのだそうです。テレビでは生放送ですら 言いたい放題のようなイメージがありますが やはり相当に緊張しながら喋っておられたのだそうです。
    活動を極端に関西に限定しておられましたから それこそ関西でたかじんさんの存在を知らない人は殆どいなかったと思いますが 逆に関東での知名度は驚くほど低かったのだそうです。たかじんさんが仕切る番組の面白さは 勿論東京でも評判になり番組出演のオファーはいくらでもあったようですが 極端に東京が嫌いなたかじんさんは 頑なに出演を拒否されていたみたいです。関西ローカルのたかじんさんの番組は 勿論大阪のテレビ局で制作されていましたが 全国ネットで放送することを東京のキー局から要望されましたが それもすべて断っておられたのだそうです。
    私は生まれは福岡県ですが 育ちは幼稚園から大阪で通いましたから 大阪人としての誇りを持っているつもりです。ですからとくにこれといった理由はないけれども 東京に対する反感は少なからず持っているようです。たかじんさんがどうしてそんなに東京を嫌われるのか理由は分りませんが 私も特にこれといった理由はないけれども 東京弁を話す人とは なかなか友達になれませんから 本能的に東京を拒否するのに理由なんて必要ないのかもしれません。
    私がたかじんさんを尊敬するのは 歌手としての十分な歌唱力を持っておられるにもかかわらず テレビ番組のMCとして 非常に魅力的な存在だったことも大きいように思います。女性に非常にモテておられたようなので そちら方面の話題にも事欠かれませんでしたが 非常に色んな方面の物事をよく勉強されていて 政治経済の問題から 芸能界に関する裏事情にまで精通されておられましたから どんな話題になっても関西人らしく必ず話に落ちをつけて終わらせてくれるサービス精神が 人気の秘密だったように思います。
    私もこのブログで多少は政治について 偉そうなことを語ったりすることがありますが そんなものはネットで仕入れた薄っぺらな情報に 自分の意見をちょこっと被せただけのお粗末極まりないものでしたが たかじんさんの場合 政治学者や政治家たちと 堂々と渡り合っておられましたから その度胸と身についた幅広い知識には 何時も脱帽しておりました。
    歌手としても一流 タレントとしてもトップクラスの才能を持ち合わせておられたたかじんさんが 六十代半ばでお亡くなりになられたのは 非常に残念に思います。一月三日に亡くなられたのだそうですが 本人の希望でみんながお祝いをしている正月 松の内のうちに訃報を流さないようにと言い残されたので 実際に亡くなられてから密葬がすんで 死亡が発表されたのは そこそこ日にちがたってからの事だったそうです。最後の最後まで ファンを大切にされるたかじんさんの死は あまりに早すぎる様で残念無念です。私もあと数年でその年齢に達してしまいますが 無事に過ごせるよう今から精進しようと思います。

  • 10月4日 私が生まれた1957年の本日 ソ連が初の人工衛星を打ち上げました

    世界で初めての人工衛星がアメリカではなくて 今は無きソ連のうちあげたものであることに 若干驚きますが その驚きをスプートニックショックと言うのだそうで それ以降アメリカなどの宇宙開発部門に相当な衝撃を与えたのだそうです。まあ初めての人工衛星ですから 当然かもしれませんが 非常にシンプルな構造だったようです。形態としては球体に四本のアンテナがついているだけのものだったそうです。機能としても 衛星周囲の気温の情報を 定期的に送ってくるだけのものだったそうです。
    総重量は83キロと凄く軽量にできていて その重量のうち半分以上が 情報を送信するための電池の重さだったそうです。電池には勿論寿命があって 21日後には切れてしまい情報の送信も途絶えたのだそうです。その後は勢いを失って 高度が低下してきて 地球に落下する途中で燃え尽きたのだそうです。ですから 記念すべき初めての人工衛星は 燃え尽きて消滅してしまい その存在は記録にしか残っていないのだそうです。
    私が生まれた年に 始まった人工衛星の歴史は 素晴らしい速さで進歩して その十二年後には アメリカのアポロ十一号が 月面着陸して 人類が月に足跡を残して 無事に帰還しました。凄い快挙ですが ソ連とアメリカの競争があまりに過激で その為にお金がかかりすぎたからかもしれませんが 結局七回月面着陸してからは もっぱら地球を周回する人工衛星に目的が変化してしまったみたいです。その後うちあげた機体を再利用することを目的としたスペースシャトル という形態に変化してからは 殆ど地球の大気圏ぎりぎりの所 宇宙から見たら地球の表面を周回しているような状態になってしまいました。
    スペースシャトルが機体を再利用することを目的に掲げていたのは 経費削減が一つの目的だったのかもしれませんが 開発費用は膨らむばかりで その割に安全性の面からみてもあまり性能が向上しませんでしたので スペースシャトル計画もいつの間にか終わってしまったようです。現在宇宙旅行には かなりの高額のお金と 健康な肉体にそれなりのトレーニングを課すことで 実現が可能になったと言われているみたいですが やはり地球の大気圏よりもわずかに外側で 一応無重力状態は経験できるのでしょうが そんな地球から飛び立ったとは とは言えない状態を味わっただけで 宇宙旅行といってもいいのかどうか 私にはわかりませんし 興味も全然ございません。 
    宇宙は 実際に移動しながら旅するのも夢があるのかもしれませんが 空気のきれいな場所から眺める美しい星空を眺めて 色んなことに思いをはせるだけでも 十分に楽しめる神秘的な存在だと思います。

  • 10月3日 「孤独のグルメ」という番組が気に入りました

    ネットショッピングのアマゾンから 買い物をするのにプライム会員になると 直ぐに届くし安く買えるので 一か月無料のお試しプレミアム会員 というのに申し込んで 買い物をしました。サービス機関の一か月を過ぎると 月に400円の会費がかかるのだそうですが 月に一度ぐらいは買い物をすれば 割安で購入できるので400円の元は取れてしまいそうなので 有料会員になってみようと考えています。会員の特典は それだけではなくて 過去に放送されたり上映された映画やドラマが見放題だし 音楽も色んなジャンルのものをきき放題 その他にもいろいろな特典がついてくるのだそうです。
    そこで 過去に放送されたドラマのジャンルから 面白そうなものを探している時に「孤独のグルメ」というのがありましたので 試しにみてみると 凄く面白かったので 暇があるとそのドラマばかり見てしまいます。松重豊さん主演で 輸入雑貨などを扱う会社を一人で営んでいるのだそうですが 営業活動で外出した時に 初めてのお店に飛び込んで昼ご飯をさも美味しそうに食べる ただそれだけの番組です。マンガを映像化した番組の様で 原作者が 実際にドラマに登場したお店をもう一度訪問して ご馳走になる部分がつけ足されていますが、どちらにしても オッサンがご飯を食べるだけのドラマなのです。別に感動するようなストーリーもなければ そのお店の歴史や背景を紹介するわけでもありません。
    私は根っからの食いしん坊なので 人が美味しそうにものを食べるのを見るのが好きなのです。ですからお酒は全然飲まないのに「酒場放浪記」等も大好きで よく見ます。この番組もオッサンが 当然かもしれませんが酒のみですから 色んなお酒を美味しそうにいただきながら いろんな料理をたらふく食べまくるのです。オッサンのそんな幸せそうな姿を見ていると 何だか自分まで楽しくなるので 放送されているとついつい熱心に見てしまいます。でもそんなシンプルな内容の「孤独のグルメ」も相当な回数放送されていますから それなりに人気があるのは間違いなさそうです。
    似たような番組で「深夜食堂」というテレビドラマがあります。こちらは小林薫さんが主演で 夜の十二時から朝の七時ごろまであいている食堂です。あまり一般的な営業時間ではありませんが それなりに色んなお客さんが訪ねてきて こちらは毎回そのお客さんが展開する色んなストーリーが繰り広げられます。こちらのドラマはそれなりに感動的なストーリーや ほっこりするようなエピソードが詰まっていますので ドラマとしてなかなか見ごたえがあります。私はいい年こいて 無類のアイドル好きですが こんなオッサンばかりが出てくるドラマが大好きな一面もあるようですのでただのスケベジジイだとは思わないでください。
    その他にアメリカのドラマ部門で 「メンタリスト」がありましたので 最初からしっかりと見直してみようと思います。このドラマは主役のジェーンさんが 人の心を些細な行動や仕草から読み取るメンタリストなのですが レッドジョンと言う悪者に妻子を殺されて その仇を討つために CBIという警察組織に捜査のアドバイスをするスタッフとして協力していく様子が描かれています。
    ジェーンさんは 鋭い洞察力と観察力によって 事件を解決に的確に導いていくので とても興味深いし なんといってもジェーンさんが カッコよくて魅力的です。ジェーンさんは お茶が大好きで 事件現場などでもしょっちゅうお茶を飲んでは 鋭い観察眼を発揮しています。「相棒」の杉下右京さんが やはり紅茶党で しょっちゅうお茶を飲みながら 名推理を展開していきます。私は以前はコーヒー通になろうと努力したことがありますが 幾ら頑張っても豆の産地は分からないし あまり飲みすぎると胸焼けするようになってきました。そこで最近は もっぱら紅茶の種類を幾つか揃えて その日の気分で飲み分けています。ゆったりとした気分で 紅茶を頂くと ジェーンさんや右京さんの様に 賢くなれたような気分が味わえますので 当分紅茶を愛飲することになると思います。
    そういえば 「孤独のグルメ」の主人公が お酒が全然飲めないので 何時もウーロン茶ばかり飲みながら 美味しそうにご飯を食べていますが 私と飲めない共通点があるから猶更親近感がわいて 見ていて楽しいのかもしれません。何時も飲み物をきかれてウーロン茶を注文して その場がしらけそうになりますが 平気な顔でウーロン茶を美味しそうに飲む主人公が 私は大好きです。 

  • 10月2日 キングオブコントの「にゃんこスター」は衝撃的でした

    私はコントや漫才 落語等のお笑い演芸が大好きなのですが この手の大金と名誉のかかった賞レース番組は M-1を含めてあまり見ません。というのが演者が あまりに緊張しているのが感じられるし どうしてもネタが テレビ受けするものに限定されているような気がするからです。所が本日放送された「キングオブコント」は前ふりの宣伝が上手だったからかもしれませんが 何となく録画予約してしまい 四時間の放送をもちろんCMの部分は飛ばしましたが 全編しっかりと見てしまいました。
    百倍以上の関門を潜り抜けた決勝進出者ですから それなりに笑えましたが 特に目新しさも感じられず 正直一寸退屈しながら見ていました。結果的に優勝した「かまいたち」は 普段からレギュラーで出演している番組をみていますから 期待通りに笑わせてくれましたが それも私としては想定内の笑いでした。
    所が 「にゃんこスター」のコント と言えるのかどうなのかも疑問に思える不思議な内容には 腹を抱えて笑ってしまいました。他の出演者がコンビを結成してから 十年前後のベテランばかりなのに対して このコンビはまだ結成してからわずか五か月 女の子の方はまだ23歳で普段はOLさんなのだそうで 乃木坂のマイチュンと同様二足のわらじを履いているのだそうです。一本目が縄跳びのネタで リズム縄跳びと言うジャンルについてよく知りませんが 音楽に合わせて縄跳びの演技をするのだそうです。曲がサビの盛り上がる部分に差し掛かると 縄跳びの縄を放り投げて その女の子が奇妙な踊りを踊るのです。その動きがあまりにコミカルで 面白すぎました。
    ダウンタウンの松本さんが審査員の一人として参加していましたが あの笑いの天才である松本さんが 笑いをこらえきれずにいましたし 演技が終わって採点するときに頭を抱えていたのが 凄く印象的でした。そして本日の最高点 百点満点で97点をつけたのには驚きました。他の審査員も続々と高得点をつけましたので 一回戦の最高得点を獲得してしまいました。会場が一番盛り上がっていましたから 他の演者も文句のつけようが無かったろうと思います。ただ可哀想だったのはその直後に順番の回ってきたコンビでした。それなりにレベルの高いコントを披露しましたが 直前のにゃんこスターの 異常な盛り上がりと興奮が冷めないうちでしたから 審査員達の点数も低めに治まってしまったように思います。
    ファイナルステージでは 果たしてにゃんこスターがどの様なネタを披露してくれるのか それこそ審査員も会場の人たちも テレビの視聴者もワクワクして待っていたはずです。二本目のネタは 縄跳びがフラフープにかわっただけで 意図してそうしたのでしょうが 全く同じ展開のコントでした。やはり女の子のコミカルな動きが フラフープなので多少は異なりましたが 殆ど似たような動きでしたが またまた思い切り笑わせてくれました。
    只審査員のつける点数的には やはり一回目の演技をあえてなぞったのでしょうが ハードルが上がっていた分点数的には低くなってしまい 合計点でかまいたちに僅かに及ばず二位に終わりました。記録的にはかまいたちの優勝となりましたが 記憶に残ったのは 圧倒的ににゃんこスターの方だったと思います。恐らくこれから年末にかけてのバラエティー番組への出演依頼は 殺到するでしょうし その分かまいたちへの注目度が下がるのでしょうから 凄い貧乏くじを引いてしまったのかもしれません。
    にゃんこスターが今後どのように展開していくのかによって 一瞬で消えてしまう一発屋に終わるのか それともお笑い界の革命時になるのか決まってくると思います。まあどんなに頑張っても 一瞬も輝けないで消えていくお笑いコンビが沢山いるのでしょうから ほんの一瞬かもしれませんが みんなを笑わせて 記憶に残ったのですから それだけで大成功と言えるのかもしれません。でも本当に衝撃的な笑いを提供してくれたコンビですから 今後もどんどん新しいネタを開発して活躍していってほしいです。

  • 10月1日 今年も残り四分の一になってしまいました

    今年も殆ど何にも成し遂げないうちに 四分の三が終わってしまいました。やはり元旦に はっきりとした目標をたてないのが よくなかったみたいです。一年かかって達成できるぐらいの そこそこ大きくて 達成した時にそれなりの満足感のえられる しっかりとした目標を 正月にいきなり考えても 出てこないかもしれませんから 今のうちから少しずつ考えておいた方が良いのかもしれません。
    現在の小さな目標は 減量かもしれません。減量することは 見た目も多少は良くなるのでしょうし 恐らく長生きにつながる健康面でのプラス面が大きいので 一石二鳥の有り難い目標かもしれません。とはいえ 還暦を迎えた爺さんがその年の目標として掲げるのには 一寸恥ずかしくて もし人に尋ねられた時に 答えづらい目標であるのかもしれませんので あくまで二番目の目標として考えたいと思います。
    そういえば本日久し振りに体重計に乗りました。かかりつけの病院の先生が御栄転されましたので 担当して頂く先生が新しく変わりました。その先生から 現在の体重は何キロですか と訊ねられましたので最近全然体重を図っていなかったことをそのまま報告するのが恥ずかしかったので 適当に「105キロぐらいです」と答えてしまいました。「体重は診察のたびにお聞きしますので その日の朝体重を量ってきてください」と言われてしまいました。そこで病院から戻るとすぐに体重計に乗ってみると 何と恥ずかしいのですが113キロもありました。小柄なお相撲さん位です。
    それからひと月足らずで4キロ落としましたが 本日の体重は109キロです。先生に嘘はつきたくないので 十一月十日が次の診察日ですが その時までに何とか105キロまでは減らしたいと考えております。効果的なダイエット法として 毎日体重計に乗る というのがあるのだそうです。自分を甘やかして つい食べ過ぎてしまうと 正直に体重に反映されてしまいますから 少しずつ自分の欲望を抑制して 結果的に体重の減少につながるのだそうです。
    別に減量を誰から強制されたわけでもありません。自分が元気で長生きしたいから 減量しようと決意したわけですので 慌てて頑張りすぎて 諦めてその反動でリバウンドしてしまわないように 少しずつ確実に体重を落としていこうと考えています。それから自分の恥かしい体重を 発表するダイエットもあるようです。自分だけで体重管理をしていると どうしても自分を甘やかして 順調に減量が進まないことが多いのだそうです。ですから このブログでも一週間に一回は 必ずその日の体重を発表するようにしていこうと思います。こんなつまらないブログを読んで頂いている方なんて世の中でほんの数人しかいらっしゃらないとは思いますが その方たちに自分の恥かしい体重を発表することにより 少しでも恥ずかしさの少ない体重を報告できるように減量に頑張って取り組めるようになると思います。まあ私の体重なんて 読んでくださる方には 全く興味のない数値だとは思いますが 宜しくお付き合いください。
    取り敢えず今年の残りの目標としては 次回の病院までに105キロまで減量して 年内に100キロ以下まで減量を進めることを 当面の目標として頑張ってみようと思います。世の中には 同様に減量を目標に掲げておられる方は 少なからずいらっしゃるのかもしれませんが 一緒に頑張っていきましょう。