Dr.喜作のブログ

2017年11月 の記事一覧

  • 11月20日 年を取ると 日常生活でできたゴミを収集場所に出すのも大変なのだそうです

    誰でも年を取ることは間違いのない話だし 年を取れば日常生活にいろんな面で支障が出てくるのは 当然の事だと思います。枚方市の場合 ゴミの分別は 生ごみを含めた可燃ごみと プラスチックごみとビンカン類の三つに分けられています。その他に大きなゴミになると 市役所に連絡すると 指定された場所に出しておけば 回収してもらえます。それほど細かくないし 量的な制限もないので ややこしくなくて助かっています。
    細かい分類を徹底している自治体の場合 二十種類にもゴミを分別して出さなければならないところまであるのだそうです。私の感覚からすれば 例えば果物の皮は 普通に考えて生ごみ 枚方の場合は可燃ごみに含まれるものとして考えればよいように思いますが 果物の皮は生ごみとして認められるが 果物にシールが貼ってある場合は そのシールをはがして 生ごみと可燃ごみとして分類しなければ 回収してもらえない自治体もあるのだそうです。
    普通に生活していて発生するゴミの回収は 住民税をきちんと納めている受民にしてみれば 当然受けられるサービスの様に思いますが こんな訳の分らないルールを勝手に決めて そのルールに従わなければ ゴミを回収してくれないなんて 自治体の住民に対する嫌がらせのように感じてしまいますが 如何でしょうか。若くて元気な住民にすれば それ程負担には感じられない事も 体力的に障害を抱えてしまったお年寄りにすれば 回収場所へゴミを出しに行くだけの事でも かなり負担の大きな作業であるのかもしれません。ましてや認知症などの病気を抱え込んでしまっていたら 細かいごみの分類など 若いころからやりなれた作業ならまだしも 急に決めつけられて 押し付けられてしまったルールなど 守りたくても守れない状態になることは 誰にも責められない事のように思います。
    新聞の記事によると 勿論障害者と認定されることなどの条件はありますが 自宅までゴミの回収に来てもらえる制度のある自治体も少なくないのだそうです。集合住宅などの場合は 部屋が近くの住民が 玄関前に置いてあるゴミを 回収場所まで運んでもらえる様な取り決めのあるところも増えてきているのだそうです。無料の場合もありますが 無料だと利用する側が遠慮してしまうケースが多いので 一回数十円の料金を支払う取り決めになっている所が多いのだそうです。料金は 実際にゴミを運んだ人の取り分もありますが 何割かはお祭りなどの年中行事の費用として使われているのだそうです。お隣さんの顔も名前も知らない場合が多い都会のマンション暮らしとしては ご近所さんとのつながりが出来る事もありますから とてもいい取決めだと思います。ゴミが出ていない場合には 声をかけて 安否確認までしているそうなので とても良い制度だと考えます。
    私もいずれは 体が思い通りに動かなくなるのでしょうし 理解しがたい細かいルールなど守れない状態になってしまいそうです。私の場合は しっかり者の奥様が 恐らく側についていてくださるはずですから 多分サポートしてもらえて 生活を継続できるのだと思いますが 現在でも奥様におんぶに抱っこ状態の私ですから 出来るだけ奥様に迷惑のかかるような状態での長生きは したくありません。なんだか昨日のブログと同じように 暗くて寂しい内容になりそうなので この話題はこの辺りで終りにしておきます。
    老後の移住先を選定している最中ですが 自治体によってゴミの回収のやり方も異なるはずですから 細かく分類することを要求されるような ややこしい自治体は候補地から外そうと考えています。勿論ある程度のゴミの分類は 必要であると考えますが 細かすぎるような分類を住民に求めるような 自治体では 人生の最後を過ごしたくありません。周囲の方にご迷惑をおかけするような 情けない生き方をしたいとは思いませんが ご近所さんと仲良くさせていただいて お世話になる自治体にも 気持ちよく接することが出来るような そんな有難い移住先がうまく見つかることを願っております。

  • 11月19日 年末が近づき 喪中ハガキが何枚も届いています

    私が還暦を迎えてしまいましたから 母は数年前に亡くなりましたし 父がまだ元気でいるみたいですが90歳を超えましたから いつ何があっても不思議がない年齢と覚悟しております。私の友人も一つ目の大学の同期の連中は 勿論私と同様の年齢ですから そのご両親の年齢も押してしかるべきです。二つ目の大学の友人たちは 私より十歳ぐらい若いのですが そのご両親がお亡くなりになられても致し方のない年齢の方もそこそこいらっしゃるみたいで 昨年も今年も 喪中ハガキが届きました。
    私は 本当に無知な人間なので 喪に服する という言葉の意味さえよく理解できていませんでしたが いい機会なので インターネットで喪中の意味合いと 親等による一般的に喪に服するべき期間に違いがあることを 知りました。まあ簡単に言うと 身近な人間が亡くなった悲しみの気持ちがまだ癒えないので 新年を迎えても お正月を祝う気持ちになれない ので年始のご挨拶を遠慮する というのが基本的な考えのようです。
    私は薄情な人間なのかもしれませんし だから友達も少ないし 親戚づきあいも上手にできていないのかもしれませんが 自分が生きていることに対しても あまり執着する気持ちがありません。人間と言うよりもすべての種類の動物は生まれた瞬間から 間違いなく確実に死という結末を迎えることが義務付けられているのです。只 現実に死を迎えるときに 後悔の気持ちや心残り あれをしておけばよかった とか どこそこへ出かけてみたかった等という未練がましい気持ちが 全くないはずはありませんが 出来るだけそんな未練たらしい気持が少ない状態で 死を迎えたいと思っております。
    ですから 私が死を迎えるときの原因がどんなものになるのか 分りませんが 長年のかかりつけの主治医の先生には [あなたは恐らく脳梗塞で死ぬでしょう」と数年前に言われてしまいました。脳梗塞とは 血栓が出来てしまって 脳の血管が詰まってしまって意識をなくし そのまま命に関わることも少なくない病気です。どうせ私が 死を迎えるときには 奥様が側にいてくだされば それだけで十分なので 下手に延命治療など一切行わず コロリと死ぬことを希望します。生きている間さんざん奥様にご迷惑をおかけしたことは自覚しておりますから せめて死に際ぐらいは 潔くあっさりと逝きたいのです。まあ希望通りの史を迎えられるかどうかは分りませんが たとえどんな原因で死を迎える場合でも 痛みや苦しみが長続きするのは 嫌なので くれぐれもコロリと死ねることだけを願っております。
    一応父が枚方に設けたお墓がありますから 恐らくそこに自分のお骨は納められるのでしょうが はっきり言って死んでしまってからの事等 どうでもいいように考えております。極端の事を言えば 決まったお墓に入れない方たちのお骨が収められている無縁仏に納められても 別にかまわないのですが 一応父と母が納められているお墓があるからには そこへ納まるのが道理かもしれません。人と人の縁の薄くなった都会では 昨今引き取り手のいない遺体の数が年々増加傾向にあるようです。その場合自治体が火葬して 無縁墓に納めるのが一般的なのだそうですが その類の無縁墓も殆ど満杯状態になってきているのだそうですから 私のように納めてもらえるお墓のある人間は 自分のお墓に収まるべきの様に思います。
    無縁仏の納まる無縁墓とは別の意味合いで 供養してくれる人のいなくなったお墓の事も 無縁墓と言うのだそうです。私は 林家の長男ですが きちんとした結婚も出来ていない状態で 子供も勿論おりません。ですから このままの状態では ほぼ間違いなく 私が納まるお墓も 残念ながら無縁墓になってしまいそうです。まあ奥様がご存命のうちは ある程度面倒をみてくれるのでしょうし 私の気持ちとしては 奥様が亡くなった時には 結婚はしておりませんが 同じお墓に入ってもらいたい気持ちです。まあ現実にどうなるのかは 奥様が私が亡くなってからその後で決める事でしょうから 予想もつきません。ただ奥様が亡くなられてから先は やはり同様に無縁墓になってしまいそうですが そんな先の話を心配しても どうしょうもないので 深くは考えないようにしております。
    喪中ハガキの話から えらく暗い話になってしまいましたが 還暦を迎えてしまいましたし 喪中ハガキを受け取り 自分の死をある程度現実味のある出来事として 考えてしまう年齢になったのかと思います。このブログで何度も書いてきましたが あと数年でこの仕事をリタイアして 一寸優雅な老後を過ごしたいと 考えております。兎に角死ぬ間際に 未練たらしい気持にはなりたくないのです。仕事をやめてから 乃木坂の握手会にもせっせと参加しようと思っておりますが その時点では大好きなナーちゃんが乃木坂を卒業してしまっている どころかその頃には乃木坂と言うグループが消滅してしまっているかもしれません。私はナーチャンと握手できないままに死んでしまうとしたら その事は確実に心残りになってしまうようで その事が一番心配です。

  • 11月18日 1928年の本日ミッキーさんとミニーちゃんが誕生したのだそうです

    「蒸気船」と言う白黒のアニメーション映画で 現在のミッキーさん ミニーちゃんとは若干趣の異なる雰囲気のミッキーさん ミニーさんが登場しています。恐らくこの映画が封切られたのが1928年の本日なのだそうで 二人のお誕生日に設定されたようです。当日に訪れたことがないので 知りませんでしたが 現在でもディズニーランドなどでは お誕生日のお祝いの催しが行われているのだそうです。数年前までは 私がディズニーランドの楽しさをいい年になって初めて知りましたの ほとんど毎年のようにディズニーランドへ遊びに出かけていましたが ここの所数年は足が遠のいています。
    別にディズニーランドで嫌な事があったわけではないけれども もともと高いなあと感じていた入園料がさらに引き上げられたのが 足の遠のいた原因の一つかもしれません。本当に私は貧乏人根性が抜けません。それと他の地域に興味が移ったこともあるようでここの所ずっとディズニーランドは出かけておりません。しばらくは 伊勢志摩へ何度も通いました。丁度伊勢志摩でサミットが行われたので たまたま注目を集めていて 雑誌などで頻繁に紹介されていたからかもしれません。
    取り敢えず伊勢と言えば伊勢神宮ですが 私は小学校の時の修学旅行に出かけて以来のご無沙汰でしたし、奥様も大分生まれの大分育ちなので 伊勢神宮に一度もお参りしたことがないという事でしたのでまずは外宮と内宮へお参りしました。やっぱり日本人としては一度はお参りすべき神社の様に思います。それから夫婦岩や真珠島 鳥羽水族館などの定番観光スポットを回ってみましたが そのどれもが想像以上に興味深くて 楽しかったので 何度も通ってしまいました。
    何しろ伊勢エビの名前の由来になる土地ですから 少し辺鄙なところにある料理民宿に泊まれば そこそこの料金はかかりますが 嫌と言うほどの伊勢海老料理のオンパレードとご対面できます。貧乏人根性たっぷりの私ですが こういう宿に宿泊する時には 何時も一番贅沢なコースを選びます。次に伊勢海老料理を堪能できるのが何時になるか見当がつきませんから 出来るときに贅沢をしておこうと考えてしまいます。
    それから最近老後の移住について かなり現実味を帯びて考えてくるようになりましたので 以前は南の島 具体的には石垣島への移住を考えておりましたので そちらへ下見がてらに出かけていた時期もありました。やはり南の島に滞在すると 心底のんびりできますが ずっと生活していると猶更ボケが進行してしまいそうで心配な気持ちもありました。そして一つ目の大学の合唱団の卒業生の集まりで キャンピングカーで日本中を回りたい希望を述べると 日本の真ん中辺りに移住した方がいい とアドバイスを受けたために 冷静になって考えてみると 長野県か静岡県辺りに移住先をあっさりと変更することにしました。
    急遽変更しましたので 長野も静岡もあまり予備知識がないのですが 最近地方への移住がブームになっているようなので 大阪でも移住をアシストしてくれる催し物が頻繁に行われていますから 時間を見つけて何度か参加してみました。どうやら静岡よりも長野県の方の方が 移住者を暖かく迎えてくれそうな雰囲気なので ターゲットを長野県に絞り込みました。更にインターネットで移住先の見当をつけて メールを送り歓迎してくれそうな自治体と連絡を取り 下見に出かけて体験宿泊所へ泊めてもらう旅行につい先日出かけてきました。やむなき事情により 途中で旅行を取りやめましたが 秋の時期の長野県の雰囲気を知ることが出来ました。春夏秋の季節については 大阪よりもずっと涼しくて過ごし易そうです。
    次回の旅行は 来年確定申告の作業が終わった二月の一番寒い時期にもう一度長野県を訪問する予定です。秋の時期では大阪と長野県では さほど違いを感じられませんでしたが 一番寒い時期ともなると 当然寒さや積雪 道路の凍結など長野県の大阪とはけた違いの寒さを実感できるはずですので 是非長野県へ旅行するつもりです。当分は 移住先がの候補地がほぼ確定するまでは 頻繁に長野県へ旅行することになると思います。
    そんな事情があるので ディズニーランドに遊びに行きたい気持ちは 少なからずありますが 当分は行けそうもありません。まあ仕事をやめてから キャンピングカーで出かけて 年間パスを購入してから 飽きるほどにディズニーランドを楽しむつもりですので 当分はミッキーさんやミニーちゃんともお目にかかれそうもありません。年間パスを購入したら ディズニーランドに入り浸ってやるつもりですので それまでは夢の国ディズニーランドは封印しておこうと思います。年間パスは現在相当な高額ですが購入したら ミッキーさんたちの誕生日やバレンタインデーなどに入園すると記念のバッジを貰えるはずですから バッジ目当てで何かのイベント事がある日には必ず入園して 夢の国を堪能することを夢見て それまでは辛抱しようと思います。

  • 11月17日 寒いです。素足の私はしもやけが出来たみたいです。

    文句を言うぐらいなら 靴下位履けばいい事は重々承知していますが ここ数十年 靴下を履いている感触が大嫌いなので 年がら年中素足で過ごしております。乃木坂のナーチャンも 靴下を履いている感触が大嫌いなので家に帰ったとたんに靴下を脱ぎ棄てるのだそうです。こんなことを書いてしまうと まさに変態としか思われないと自覚していますが ナーちゃんの脱ぎたての靴下なら 思いきり鼻に押し付けて臭いたいし なめたりしゃぶったりしてみたいです。ナーチャンのはいていた靴下ですから 足のツーンとした匂いなんかするはずがないし 妙な味もするわけがない事は分り切っていますが ナーチャンをより身近に感じたいので 脱ぎたてのナーちゃんの靴下なら十万円でも喜んで買い取ります。まるでブルセラショップに通い詰めている変態親父みたいですが ナーチャンはそれだけ特別な存在なのです。
    私は別にナーちゃんのまねをして年がら年中 裸足でいる訳ではなくて 単に靴下を履いている足の裏の感触が 耐えられないほどに嫌いだからです。勿論私が凄く太っているからと言って 寒さを感じる神経が無いわけではありません。人並みに一冬に一度か二度は風邪をひきますし 今年はかなり久し振りに インフルエンザにもかかりました。発熱した時には さすがに寒さに耐えられず 仕方なしに靴下をはきますが 今回は別に風邪を引いたわけでもないのに 足の甲の部分が赤くなって どうやらしもやけになってしまったみたいです。
    子供の頃には 何度かしもやけになった経験がありましたが 大人になってからはもう何十年もしもやけとは縁がありませんでした。それだけ今回の寒波が強烈だったからかもしれませんが 私の体の防御力と言うか 免疫力が年齢に従って 低下しているのかもしれません。そういえば 今年の夏 歯医者さんに通った時も 何時もなら痛みを我慢できなくて通い始めるのですが その歯の治療を終えれば それで歯医者さん通いは終了していました。所が今回は その歯の治療が終わっても次々に別に治療を必要とする歯が見つかってしまい 凄く長期にわたって通院することになってしまいました。私はそれほど真面目に歯磨きをする方ではありませんが まあ数年に一度 痛みを我慢できなくなって 歯医者さんに通うぐらいのペースで治療を受けていましたけれども 年齢の割には自分の健康な歯が残っている方だと思っていました。所が今回の長期にわたる歯医者さん通いで 歯自体の防御力も低下しているのではないかと 心配になってしまいました。
    同様に皮膚の防御力 というか回復力も低下してしまったために ここの所ずっと縁のなかったしもやけ という皮膚の寒さによるダメージを受け入れてしまったのかもしれません。頭髪の減少や 白髪の増加と言う目に見える老化現象は いつの間にか自然に受け入れていましたが 体の防御力が年齢とともに衰えてしまって これまではほっといても健康な状態に戻れたはずなのに ダメージを受け入れてしまう状態に変化してきているのだとしたら ショックが大きいですが 私も還暦を迎えてしまい 老人であるという事実を受け入れざるを得ないのかもしれません。
    ナーチャンやユイポンが大好きだ等と 気持ちはまだまだ老け込んでいないつもりですが 体が気持ちについてこれないのは 致し方のない事のような気もします。只気持ちまで落ち込んでしまって 老け込んでしまったら 本当に私に残っているのは 日向ぼっこだけを楽しみとする老人へのカウントダウンしかないのかもしれません。私は仕事をやめたら 乃木坂や欅坂の握手会に通おうと思っていますし キャンピングカーで日本を隅々まで旅してまわりたい夢がありますので せめて気持ち位は若々しさを保っていきたいと思います。

  • 11月16日 本来なら お昼から長島スパーランドで思い切り遊ぶはずでした

    今回の旅行は 移住先の下見に重点を置いていましたが 後半の二日間はナガシマリゾートで目いっぱい楽しむ予定でした。奥様の母上の急病で 昨日急遽帰宅しましたので 本日から病院を開けることにしましたが 二週間以上も前から 貼り紙とホームページで休診を宣言していましたから よほどの急患しか来られないと思います。まあ病院が暇なのは 世の中が平和な証拠かもしれませんから このブログも書き込みがかなり遅れていましたので 頑張って書き込んでアップしようと思います。奥様の母上の容体は取り敢えず落ち着いているようなので 気楽に暇な病院で 暇な時期にやるべき新規カルテのパソコンへの入力や ブログの書き込みなどに勤しみたいと思います。
    私は 一応理工学部と農学部と言う理系の大学を二つも卒業しているのに 自他ともに認める機械音痴です。奥様が とにかくあらゆる分野のエキスパートなので パソコンも実際の入力 という下働きは私が担当しますが そのセッティングや 入力したデーターの活用などの 小難しい作業は 全てお任せしています。確定申告なども 細かい伝票を日付ごとに仕分けして整理してもらうのは奥様の担当ですが その先の手作業つまり誰でもできる下働きは 当然かもしれませんが すべて私がやります。振替伝票に必要な数字を全て計算して 書き込んでから パソコンに入力するまでが 私の担当で その後ソフトを働かせて確定申告の作業を完了してもらうのは 恥ずかしながら全て奥様にお願いしています。
    現在の確定申告ソフトはもう十年以上も利用しておりますが 逐次バージョンアップしてくれているのも その年に合わせてデーターを入力するまでの前準備も全部願いしております。データー入力後の仕上げの作業も一切合財お任せしておりますので 私は奥様がいらっしゃらなければ 確定申告が全くできません。私が下手に手出しすると かえって邪魔になるみたいで 大人しくお側に控えて 指をくわえて待っております。とにかく私は 難しい事 面倒でややこしそうな事等は全て奥様にお願いしてしまいますので 奥様がいらっしゃらなければ 本当に何にもできません。奥様に巡り合えたのはもう二十年以上も前の事ですが よくそれまでの人生を無事に過ごせてきたものだと今更ながら感心してしまいます。
    そんな風に私は全ての面で奥様に頼りっきりの生き方をしていますので 遊びに行くときも常に奥様と一緒でなければ 全然楽しくありません。私にとって現在一番楽しい場所の一つであるディズニーランドでさえ ポツンと一人でいたのでは全く楽しくありません。ですからナガシマリゾートに一人で立ち寄っても 単なる時間の無駄にしかなりませんので 一緒に帰ってきてしまいました。事情が事情なだけに 表だって残念がる訳にもいきませんし 病気になる時期なんて誰にも選べないのですから まあタイミングが悪いことは勿体無いようにも思いますが 人生悪い事があればいい事もあるのでしょうから これからいいことが起こることを楽しみに待っていようと思います。
    案の定 患者さんは殆どお越しになりませんでしたが ホテルやトリミングそして手術の予約が幾つか入りましたから 有難い事だと思うようにしておきます。奥様の母上は御年81歳なのだそうですから 術後の回復に多少時間がかかるのは致し方のない事でしょうが 取り敢えず本日までの経過は順調みたいなので ホッとしております。私の父は90歳過ぎても 元気にしておりますので まだまだ長生きしてもらいたいものです。私自身は とても80歳まで生きられる自信はありませんが 父方の家系は皆長生きしているみたいなので どれくらいまで生きれるのか 取り敢えずは楽しみにこれからの人生を過ごしていこうと思っております。

  • 11月15日 旅行三日目の予定をこなすつもりでした

    朝私はいつものように六時過ぎに目覚めましたので 何時ものようにシャワーを浴びてスッキリしてから 暖房でしっかりと温まったリビングで服を着ました。テレビでサッカーが放送していましたので その番組を一人で観戦していると 奥様が起き出してきて 話があると 真面目な顔で切り出しました。どうした事かと思いましたが 実は昨夜のうちに 奥様のお母さんの容体が急に悪くなって入院したのだそうです。状況によっては直ぐに手術にもなりかねない状態なのだそうです。奥様としては 帰る手順として朝一番の高速バスに乗れば 枚方市の家の近所まで送ってくれるのだそうで バス乗り場まで車で送ってほしいと言い出しました。
    旅行の日程としては 本日朝一番でリンゴ農家の方にお願いして 収穫体験をさせてもらって お昼から箕輪町の移住の先輩のお宅へ案内してもらうスケジュールが決まっていました。奥様としては 自分だけが帰阪するので せっかく約束してもらっている方たちに迷惑がかかるので 私に旅行を継続してほしいという事でした。本日のスケジュールは案内してもらえれば私一人でもこなせるのかもしれませんが それ以降ナガシマへ移動して ナガシマリゾートで遊んでから帰る予定でしたが 一人では正直な所 移動に不安があるし 一人で旅行を続けても 得られるものが凄く小さくなりそうだし 私一人でリゾート地へ出かけれも 楽しくもなんともありません。私は即座に 奥様と一緒に帰阪することを決断しました。
    先ずは箕輪町の担当者の方に連絡を取り 事情を説明して 急遽二人とも帰阪することを話しました。せっかくアポイントを取って頂いた農家の方や移住の先輩にも ご迷惑をおかけしてしまいますが 事情が事情なので 理解してもらえることを期待するだけです。次に 翌日からの宿泊予約をしていた ホテルナガシマへ電話をかけました。何しろ前日になってのキャンセルなので 当然キャンセル料が発生することを覚悟していましたが 事情を話すと今回はキャンセル料は結構ですと 仰っていただけましたので ホッとしました。これからあちら方面で宿泊するときには 何があってもホテルナガシマに宿泊することになると思います。
    取り敢えずは 必要と思われる連絡を取り終えましたので トーストとコーヒー 目玉焼きで簡単に朝食を取ってから 慌てて帰る準備をしました。荷物をカバンや袋に詰めて車に積み込み 一泊しただけですが 結構床にゴミなどが落ちていましたので 丁寧に掃除機をかけました。その間に奥様がお風呂掃除をしてくれました。ゴミの類も全部スーパーのレジ袋に詰め込み持ち帰りました。こちらの一方的な理由で 予定をドタキャンするのですから 出来るだけご迷惑をおかけしないように心掛けました。カギは室内に置いておけばいいという事でしたので お世話になったお礼のつもりで用意した手土産とともに 奥様がお詫びの言葉を一筆書いて リビングのテーブルの上に置いて 大阪へ向かって出発しました。
    昨日は一日雨にたたられたのに 本日は朝から日がさしてポカポカと暖かそうなので 帰阪するのが猶更残念でしたが 致し方のない事です。昨夜の電話によると それ程状況は切迫していない様でしたので それ程慌てて駆け戻る必要はなかったみたいでしたので 高速のサービスエリアごとに立ち寄り お土産やソフトクリームを購入して せめて帰りの道のりのドライブを楽しみながら 帰阪しようと思いました。
    所が お昼前に病院から連絡が入り お母さんがかなり強く痛みを訴えるようになったので 本日の夕方から緊急手術をすることになりそうだという連絡が入りました。そこで 慌てて大阪へ帰るために 車を走らせることにしました。何時病院から連絡が入るかわからないので 普段梗塞を長距離走る時には 二人で交代で運転していましたが 私が一気に大阪の自宅まで運転して 何とか無事に帰り着きました。奥様のお母さんが入院している病院は 私がかかっている公済病院で 奥様の自宅からも歩いて数分のところにありますので 取り敢えず奥様の自宅におろしていったん自宅である程度準備をしてから病院に駆けつけるのだそうです。何とか緊急の手術には間に合ったみたいなので ホッとしました。
    夜になって 奥様から連絡が入り 無事に手術が終わったと連絡がありましたので 一安心です。奥様もホッとされたみたいだし お昼ご飯も食べていないはずだし 面会時間も終了する時間でしたので 旅行中も全然いわゆるご馳走を食べていませんでしたから 取り敢えず何かおいしいものを食べに出かけようという事になりました。結構寒かったので お鍋がいいかと考えました。一号線沿いにある露庵の場合 パドクーポン券を持っていくと ランチ料金でシャブシャブガ食べられるので 八時過ぎて晩御飯に出かけるときにちょくちょく利用しています。車を走らせ出したところで クーポン券が手元にない事に気づきました。一人ほんの数百円高くつくだけの事ですが 根が貧乏人の私は 急に気が進まなくなりました。
    車を道のわきに停めて 奥様とどこに出かけるか相談したら 久し振りにルイジアナママへ出かけようという事になりました。気分がお鍋モードになっていたので チーズフォンデュのコースを頼みました。この店は 料理も美味しいけれどもデザートのケーキが美味しいので 甘党の私にはとても嬉しいのです。あんまり甘みが強くなくて素材のフルーツの美味しさをいかしたケーキが食べ放題なので 病院で検査を受けた直後ですから 遠慮なく食べてしまいました。旅行の予定が二日も短くなってしまいました。明日以降一応病院を休むと宣言してしまいましたが 病院にいる以上は病院を開けて 患者さんが来られることを待つことにしました。ホームページの表紙も書き換えましたので 明日からの準備が出来ましたから 久し振りに二階の自分のベッドに潜り込んだら 本日は別に何にもしていないのに 結構疲れていたみたいで 直ぐに眠り込んでしまいました。また明日から仕事を頑張ります。

  • 11月14日 旅行二日目です

    辰野町の体験宿泊所に無料で泊まらせていただきました。朝いつものように六時ごろに目覚めましたので またいつものようにシャワーを浴びました。初めての湯沸かし器なので温度調節が難しくて 丁度いい温度になかなかできなくて若干苦労しました。朝ごはんは 昨夜炊いたご飯に ベーコンエッグと昆布の佃煮 おつゆ代わりのカップうどんで 昨夜と同様に管理人さんと一緒に食べました。朝ごはんを食べ終わると 限られた時間を有効に活用したかったので 管理人さんお薦めの観光スポットが 宿泊所の割と近所にあるみたいなので 先ずはそこを訪ねてみることにしました。
    横川と言う所にある 蛇石という珍しい地形が 観光スポットになっているのだそうです。八時半ごろに宿泊所を出発して 横川に向かって走り出しました。天気予報では昼ごろから雨模様とのことでしたが 悪い方にはずれてしまって もう小雨が降っていましたが お天気に文句を言っても始まりませんので ブツブツ文句を言うだけで諦めました。やはり私の日ごろの行いに問題があるのでしょうか。横川はダムガある位ですから 町はずれのかなりの田舎ですが 無料で利用できるキャンプ場があるので 暖かい季節の土日は相当に賑わっているらしいのですが 紅葉のシーズンも終わりかけの平日の朝方ですから 私たち以外は誰も見かけませんでした。
    落ち葉をかき集めて車に積んでいるオジサンがいましたので てっきりここのの管理人さんだと思って話しかけました。「蛇石と言うのは 何処にあるのですが?」「そこの狭い道を降りていくと川の流れの中に見えているよ」と教えてくれました。落ち葉が凄く溜まっていて 雨で滑りそうな小道でしたので 滑って転びそうだったからその道を少し降りたところから川の水面を覗き込むと 珍しい模様の本当に蛇が水面をはっているように見える特異な岩の連なりが見えました。百聞は一見にしかずと言いますが パンフレットの写真で見て想像していたものとは 全然異なっていましたので 小雨の中ですがわざわざ訪れてみてよかったと思いました。それから管理人だと思っていたオジサンは 後で確認するとこの川にしょっちゅう釣りにやってくるオジサンがたまたま居合わせただけだったそうです。落ち葉を車に積んで持って帰って何に利用するのでしょうか。
    取り敢えずは 雰囲気の良さそうなキャンプ場と蛇石 という珍しい観光スポットを確認できましたので 昨日一日おつきあいしてくれた役場の女性とまた町役場の駐車場で落ち合いました。事前のメールで本日の午前中に辰野町の観光スポットを巡りたい旨を伝えてあり 幾つか候補の場所を教えてもらっていました。所が 生憎のお天気でしたので 何処に出かけてみようか迷っていましたが その女性のお気に入りのスポットである小高い場所の展望台のような場所に案内してもらいました。
    言葉で道順を説明してもらってはいましたし 地図を見れば大体の場所は見当がついていました。但し「坂道を上りつめたような地点から道が二又に分かれているので舗装されていないワイルドな道の方へ進んでください」と説明されていましたが もし自分たちだけでその場に辿り着いても 落ち葉に埋もれたかなりの急斜面でしたから 初めてであればとてもじゃないけれども進めないようなかなりのワイルドな道でしたので 案内してもらってよかったです。
    展望台に歩いて登りましたが 小雨が降る天気でしたから 当然の事かもしれませんが 霧と言うか雲に隠されてしまって見通しが凄く悪かったです。天竜川の川沿いの地域に伊那谷地方が広がっているのですが 晴れていれば辰野町の南に続く本日昼からお邪魔する箕輪町や南箕輪村 伊那市等の辺りまで 奇麗に見えるのだそうですが 小雨降る本日は辰野町の南縁まで位しか見えませんでした。雨が降り寒さもそこそこなので晴れていれば ベンチに座って のんびりしたいような場所ですが 比較的僅かの時間で切り上げました。
    その後中途半端に時間が余ったので 時間に余裕があれば尋ねてみたいと思っていた神社へ出かけてみました。但し 雨脚が強まってきていましたので 車から降りてお参りにはいかないで 車の中から眺めるだけにしました。ちょうどお昼ご飯タイムになってきましたので ここはやはり信州名物のお蕎麦を頂くことにしました。結構寒い時期なので 関西では当然暖かいお蕎麦に天麩羅などをトッピングするのが一般的だと思いましたが 信州ではそこそこ寒くなっても 盛り蕎麦を冷たいお出汁で頂くのが一般的なのだそうです。
    盛り蕎麦 ザル蕎麦の類は 一人前食べても殆どお腹が膨れないような気がするのですが 案内してくれた女性から この店の大盛りは結構食べ応えがありますと言われましたので 期待して待っていたら 予想以上に大盛りだったので嬉しかったです。メニューに蕎麦がきと言うものがありました。私はこの食べ物を昔読んだ小説の中で 見て名前は知っていましたが 未知の食べ物でしたので注文してみました。出てきたのは 小鉢にそば粉でできたお饅頭のように丸いふっくらした物体が入っていて 熱いお出汁に山葵をとかしたもので頂くようです。食べてみるとふっくらとして 美味しかったです。注文しなかったけれど蕎麦汁粉と言うのは 恐らくこの蕎麦饅頭にお汁粉がかかっているのでしょうが 甘党の私としてはかなり魅力的でしたから 次回に来た時には 注文してしまいそうです。
    予想以上にボリュームがあり お店を出るときにはゲップが出そうになりました。お店を出た所で 一日半案内してくれた女性とお別れして 二つ目の目的地である箕輪町の町役場へ向かいました。隣町ですから ほんの十五分位で到着しましたが 道順をメモした紙を忘れていましたので 曲がるべき信号を見逃してしまい 若干手間取って約束の時間ぎりぎりに到着しました。私は自他ともに認めるだらしない人間ですが 約束の時間に遅れる事だけは許せない性質なので ギリギリですが間に合って ホッとしました。
    箕輪町で相手をしてくださった方は 予想していたよりも年配の男性でした。私たちのような移住希望者の案内の経験も豊富なベテランなのかと期待してしまいましたが 正直予想が外れて かなりガッカリしてしまいました。辰野町の女性と比較しては悪いのかもしれませんが 町の案内の仕方が 全く要領を得ていないのです。こちらは生まれて初めてこの町を訪れる訳ですから 買い物する場所や遊ぶ場所 病院などの 重要ポイントを案内してくれることを期待していたのですが 町の外回りばかり案内されたのです。そんな町の外回りばかり案内されても 初めて走る道だし 私は方向音痴で距離感にも疎いので 町のどういう所にどのようなものが配置されているのか全然わかりません。
    晩御飯は 自分で買い出しをして宿泊所で自炊するので 食材を買い出しするのに適当なお店を紹介してほしかったのですが お店の場所を地図で教えてくれるだけで 地図のよく読める奥様はある程度理解できたみたいでしたが 方向音痴の私にはその位置関係もほとんどつかめなかったし 辰野町の担当者はやはり女性目線でお店を紹介してくれますから 何軒かのお店の特徴と位置関係を分り易く説明してくれました。所が 普段食材の買い物などしたことのない男性の説明ですから 単に地図を見ればわかるのにお店の前を通り過ぎて店の名前を告げてくれるだけでした。
    挙句の果てには 翌日朝一番で リンゴ農家にお邪魔して収穫体験をさせてもらう予定になっていましたが 通りかかった際に「明日九時までに この家まで来てください」と言われてしまい 腹が立つ前にあきれてしまいました。そもそもスタート地点の宿泊所の場所さえまだ案内されていませんから 分っていないのです。まだ未知の場所からスタートしてこの家に時間を指定されて 来てください 等と言われても 道順は見当もつかないし 距離感も分りません。全く初めての箕輪町での移動ですから 朝の混み具合も検討がつかないので 九時に到着するのには 何時ごろ出発すればいいのかさえ皆目わかりません。
    近ごろかなり温厚になってきているように自覚していた私なのですが いきなり知らない町で「九時にここまで来てください」等といきなり言われても来れるはずがない様に思いましたので その考えをストレートに案内してくれた人にぶつけてしまいました。奥様が 私を窘めてその場の雰囲気を和ませてくれましたので 何とか治まりましたが そのままだったら 私が「不愉快だから帰る」と言い出しかねない位に 私は腹を立てていました。初めて訪ねてきた移住希望者を案内するのにしては あまりに配慮というか思いやりが足りないように感じたからです。辰野町の担当者が 非常に心のこもったもてなしをしてくれたので その落差の大きさに 凄く驚いてひっくり返りそうになってしまいました。
    最後に宿泊所へ案内されました。現在は閉鎖されている 診療所の別棟の住居部分が 宿泊所として利用されているみたいです。中はホテル並みに新しくてきれいでした。但し無料で宿泊させてもらうのだから 当然かもしれませんが 帰る時にはついた時と同様に 掃除の行き届いた状態まで奇麗にしてから帰るのがルールなのだそうです。LDKはかなり広いのですが 煙突のついた石油ストーブが据え付けてあり 凄い暖房力で一気に部屋を暖めてくれました。煙突がついているので 普通の石油ストーブの様に消化した時の臭いも全然気になりませんでした。
    昨日お邪魔した移住の先輩方のおうちはいずれもまきストーブで それなりに暖かかったし 燃料のまきは 上手くするとただで手に入るのだそうです。但し自分で適当な大きさに割らなければならないのだそうですが いい運動になるみたいで悪くないのかもしれません。でも灯油ストーブの方が費用はかかるのでしょうが 臭いも全然気にならないし 楽ちんで良さそうに感じました。巻きストーブは上手く活用すると 結構料理にも利用できそうなのが魅力的でした。
    まだ時間が早かったので 近所のモミジの名所 その名もモミジ湖と言う観光スポットへ出かけてみました。以前として小雨が降り続いていましたが

  • 11月13日 本日から秋の恒例の旅行に出かけました 

    早朝の四時ごろにスタートしました。目的地は 長野県辰野町役場です。何時ものように朝ごはんの為のお弁当を作りました。おむすびは明太子を少し炙ったものを具材として握りました。おかずは 定番の卵焼きと レトルトのハンバーグ フランクフルトをバリッと炒めたものとポテトサラダです。ついでにお昼の分のサンドイッチも作りました。こちらはパンに挟む具材として 茹で玉子、ハムとレタスにチーズ、玉子とキュウリ、ポテトサラダ 冷凍のエビフライなどです。どちらも私はついつい三人分ぐらい作ってしまいますので いつもいつも奥様に怒られてしまいますが 私としてはちょっと物足りないのが嫌なので 何時でも多めに作っては 残してゴミにしてしまいます。今回もやはり多めに作ってしまい 何時ものようにお叱りを受けました。
    昔は初めての場所へ出かける場合の距離はかなり正確に分りますが 到着する時間までは予測できませんでした。しかしインターネットが普及した現在は 出発地点と 到着地点を入力してルート検索すると出発する時間も入力できますので リアルタイムに到着できる時間までほぼ予測できてしまいます。丁寧に利用する道路や乗継地点まで教えてくれますので 初めての道でも割と安心して出かけられます。まあ私には 歩くナビゲーターである奥様がついてくれていますので ネットの助けが無くても 道に迷う事等一切心配しておりません。
    途中で休憩することまで 計算に入れて朝まだ真っ暗な四時に病院を出発しました。この時間に出発すれば ほぼ四時間で辰野町役場に到着できるはずでした。まだ旅行の初日なので 元気いっぱいなので ほんの少しだけサービスエリアで 休憩しながらドライブしました。最初は真っ暗な空が 徐々に明るくなって朝を迎える気分が味わえて 如何にも旅行の幕開けが感じられて好きな時間帯です。天気予報では 長野県南部は曇りと予想されていましたが 結構朝日がさしてくれていましたから 余計に気分が明るくなりました。
    ただ高速道路を走っている途中で 今回の旅行のスケジュールをまとめて書いたメモ用紙を 今回の旅行で使えそうな目的地近辺の地図やパンフレットと一緒にクリアファイルに挟んでおいたのに それらの大事な情報源を病院のカウンターに置き忘れてきたことに気づいてしまい かなり落ち込みました。スケジュール表は 何度か予定を煮詰めて書き直したので 自然に覚えてしまっていましたので 何とかなりましたが町中を買物などでうろつくときに利用しようと思っていた地図を 忘れてしまった自分の間抜けさを痛感して 旅行の初っ端からへこんでしまいました。まあ奥様に言わせれば 私のそんな間抜け具合は 想定内 との事でした。
    予定通りに八時過ぎに辰野町役場の駐車場に到着しましたので 用意した朝ごはん用のお弁当を広げました。おむすびが予想以上に乾燥してパサついたのが残念でしたが 玉子焼きはふわっとした食感とあまり甘くなくて出汁が効いていましたので奥様からお褒めの言葉を頂きました。ハンバーグとウィンナーは フライパンで焼いただけなので 予想通りの味でした。ポテトサラダは ジャガイモを細かく切って茹でて キュウリ ハムと混ぜ合わせて マヨネーズで和えただけのものですし サンドイッチの具材の残り物を詰めただけですから これも予想通りの味でした。まあ失敗作が無かったので良しとしておきましょう。
    熱いお茶を水筒に入れて持っていましたので 時間に余裕がありましたし のんびりとすすりながら頂いていると 何故か職員さんたちがズラッと入口から出てきて列を作り並んでいました。端っこには花束を抱えた人もいました。まさか私たちのお出迎えかと 一瞬期待しましたが 八時半丁度になると 偉そうなおじさんが到着して花束を受け取り 拍手されながら役場に入場していきました。たまたま本日が新しい町長さんの初めてのお出ましの日に当たっていたのだそうです。私は担当者と九時に会う約束をしていましたので 十五分位前に役場の建物に入りました。朝ごはんを食べたので 当然うんこがしたくなりましたので トイレの個室に入りました。今ではお役所などのトイレは殆どが ウォシュレットになっているので助かります。
    約束の時間のきっちり五分前に 待ち合わせの窓口を訪ねました。担当者の女性とは メールを何度かやり取りしていましたので 自己紹介をするとすんなりと打解けられました。取り敢えず町を案内してくれるのかと思って その女性の車に乗り込みましたが いきなり移住の先輩の所へ案内してくれる という事でしたので 挨拶代わりに渡そうと持参してきた手土産を自分の車に置きっ放しでしたので 一旦駐車場を出ましたが 車に戻ってから出かけました。
    案内してくれた女性は 私は二十代後半ぐらいかと思っていましたが 後から確認したら 三十代半ばなのだそうで 凄くしっかりとしていてくれて 要領よく町のポイントを案内してくれながら 一軒目の移住の先輩の自宅へ案内してくれました。私が出来たら農村のような地域へ移住したいと 希望を伝えていましたので ザ田舎 というか農村の原風景みたいな場所へ案内されました。四年ほど前に関西から移住された先輩です。いかにも農村といった雰囲気の住宅でしたから 田舎特有の強い地域へのつながりに興味がありました。あまり干渉されるのは 面倒に感じるのかもしれませんが せっかく田舎で暮らすのですから ある程度はご近所さんとしっかりとお付き合いをしていきたいと考えています。
    その辺りを質問すると この地域はご近所さんが黙っていても色々と面倒をみてくれて 困りそうな事は予めアドバイスしてくれるとても優しい人が多いのだそうですが 決して押しつけがましくないのだそうです。お付き合いもそこそこ濃厚にありそうですが 気が進まないときには 正直にその気持ちを伝えると 別に強制されているわけではないし 行事に参加しないからと言って 冷たくされることもないのだそうです。辰野町のキャッチフレーズは 「程々の田舎町」なのですが まさにこちらが望むような程度の所謂丁度いい田舎町で 凄く興味がわいてきました。
    お昼になりましたので 一軒目のお宅を後にして 昼食の為役場に戻りました。役場の職員用の食堂で 持参したサンドイッチを食べました。私が用意したサンドイッチだけでそこそこにボリュームがありましたが奥様のジャムを挟んだデザート系サンドイッチも加わりましたので 缶コーヒーとともに美味しく頂けました。担当の女性の方は ワンコインで美味しそうな定食を召し上がっていました。
    午後からもう一軒先輩宅へ案内されました。今度もいかにものんびりとした自然の豊かな それもかなり大きめのお宅でした。こちらは関東から昨年移住して来られたのだそうです。現在民宿としてお客さんを取るための準備中なのだそうですが いずれはランチを出すレストランも始めたい意向なのだそうです。私は 一旦引退したら 仕事など一切するつもりはありません。まあ動物病院の先生でしたから ご近所さんのペットが困った時には 何かしらお役にたてることがあれば ご近所づきあいの延長として 動くことは嫌ではありませんが あくまで望まれた時にお役にたちたいぐらいに考えています。
    ですから 仕事をやめて一年位が過ぎて 何にも働かない状況に飽きてきて 何かしら仕事をして稼ぎたい気持ちもわからなくはないのですが 如何なものかと思いました。関東ではブティックを三十年以上も経営されていたのだそうですが 誰に強制されたわけでもないのに 仕事に見切りをつけて のんびりとした引退生活をスタートしたからには 仕事のストレスがそれなりに大きかったのではないでしょうか。所が 何もしない生活をある程度つづけたら 仕事をしていた時の楽しい事ばかりを思い出して また働きたくなる無い物ねだりのような気持ちもわからないではありませんが 自ら決断して仕事をやめたわけですから 今更客商売なんか始めてみても 労力とストレスばかり大きくて実りのある結末にはならないような気がしましたが 勿論いらぬお節介だと思いましたので 黙っていました。
    その後 晩御飯の食材を買いものして 宿泊体験所へ向かいました。管理人さんが常駐しているので 気を遣う部分もありますが 安心出来るところもあります。取り敢えず炊飯器でご飯を炊いて 肉じゃが鍋で作りました。ガスレンジに魚の焼ける機能がありましたので 立派なホッケを焼いてみました。料理が出来るまで 管理人さんに近所の案内をしてもらっていましたので 一緒に食べました。食べ終わると 今朝が速かったので眠くなってしまいましたので 直ぐに寝室に入り休みました。
    早朝からずっと 高速を運転しましたし 初めての人と会ってそれなりに緊張もしていましたから かなり疲れていたので 直ぐにぐっすりと眠ってしまい旅行の初日が終了しました。

  • 11月11日 1982年の本日 中央自動車道が開通しました

    旧街道の甲州街道および中山道に沿う形で整備された道路なのだそうです。開通当初は東名高速や名神高速と同様に中央高速道路と呼ばれたいたのだそうです。名前は立派に高速道路だったのですが 開通当初は 暫定2車線対面通行で なおかつ中央にセンターポールも分離帯もないという状態であった上、更には追越しも許されている つまり中央線が破線の状態の道路であったにもかかわらず、「高速」という呼称が使われていたがために速度超過が多発したことによる交通事故が頻発してしまったのだそうです。その為に 当時の日本道路公団が慌てて 中央自動車道に改称すると発表したのだそうです。その後1982年にやっと 所謂高速道路が完成したのがその年の本日だったのだそうで 現在の名称も中央自動車道のままです。
    基本的には 東京と名古屋をつないでいる道路ですから 東名高速と同様です。東京 名古屋間の距離的には中央道の方が かなり回り道をしているように思いますが ほぼ同等なのだそうです。以前にディズニーランドへ遊びに出かけた時に 走行距離が変わらないと聞いたので 一度東名ではなくて中央道を走って帰ってきたことがあります。時間的にも似たようなものだったと思いますが 海抜の高い地域を走りますから 燃費は悪かったように思います。中央自動車道を走った記憶はその時ぐらいしかありませんでしたが 移住先として 長野県がかなり有力になって参りましたので 今後利用する頻度がかなり高くなりそうに思います。
    月曜日から出かける旅行も 長野県の辰野町と箕輪町へ移住先としての下見に出かけますので 早速中央自動車道を利用します。いずれの町もこの自動車道のインターチェンジから直ぐの所にありますから 東京や名古屋に出るのにも便利な位置にあります。ただ今回の旅行の時には ノーマルタイヤで問題がないはずですが 次回の旅行は 例年通りの二月になるはずですから 一番寒い時期であり 当然積雪していることが予想されます。雪道となれば スタッドレスタイヤ若しくはチェーンの装着が必要になりそうなので 不安になってしまいます。
    私が塩野義製薬に勤めていて 金澤 富山で雪に埋もれた生活をしたのはもう三十年以上も前の話です。当時からスタッドレスタイヤなんて洒落たものがあったのかどうか知りませんが 私は会社から支給された車で走っていましたので やはり会社から支給されたスパイクタイヤ というタイヤの表面に無数の釘が刺さったような状態のタイヤで雪道を走っていました。雪の上を走る時には 陸上競技のスパイクシューズの様にグリップ力がかなり強くて安心して走れましたが 雪のない道を走る時には バリバリと凄く煩いし摩擦力が大きい分燃費も凄く悪かったように思います。兎に角私は雪道になれていなかったので 雪の季節は かなり早い時期から遅い時期までスパイクタイヤのお世話になっていたように記憶しています。
    チェーンなんて当時は 装着するのが結構大変だったみたいで 触ったこともありません。現在のチェーンは 割と装着が簡単になっているみたいなので 来年寒い時期に長野県を訪問するときには 装着が必要になりそうです。スタッドレスタイヤは 現実に長野県への移住が決まってから 購入を検討しようと考えています。一時期は 南の島 つまり思い切り暖かい地域への移住を考えていましたが キャンピングカーで日本全国を回りたい夢を 重視して移住先を考えると 本州の中心に近い 長野県が候補になりましたので 冬はかなりの寒さを覚悟しなければなりません。
    まあのんびりとした老後を過ごすわけですから 雪に埋もれている間は頑張って出歩くことよりも のんびりと自宅の中でぬくぬくと過ごせばいいと考えております。ただ本格的な寒さを目の当たりにしたら 尻込みしてしまうのかもしれませんが 長野県で暮しておられる方が沢山いらっしゃるわけですから 何とかなるようにも思います。取り敢えずは 今回の旅行で移住先として如何なものか 判断材料を沢山仕入れられれば良いぐらいの気楽な気持ちで のんびりしてこようと考えております。

  • 11月10日 自分の病院に出かけてきました

    長年お世話になった先生が 御栄転されましたので 担当してくださる先生が変わってから二回目の診察です。前回の診察を受けた時に 最後に現在の体重を質問されました。正直体重を長い事量っていませんでしたが 「分りません」 とは答えづらかったので 「大体105キロぐらいだと思います」と適当に答えてしまいました。その日病院から戻って 恐る恐る体重計に乗ってみました。それまでも減量を意識していましたから 恐らくそれ位の体重であってほしいという願望があったのですが 現実は111キロもありました。
    情けないやら 恥ずかしいやらで 自分なりにショックを受けてしまいました。まあこんなに体重が重いのは 全て自分の責任ですから 受け入れるしかありませんが 先生の質問に6キロもサバを読んで返答してしまったことが恥ずかしかったのです。そこでその日から毎日朝起きた時に必ず体重を測定して 手術などの仕事のスケジュールが書いてあるホワイトボードの一番下の部分に体重を記入することにしました。毎日体重を量り 記録していけば自ずと体重の減少が期待できると考えたからです。
    体重を量り始めてから六週間後の本日 なんとか体重は104.6キロまで減少していました。一週間で一キロのペースですから それ程きつくはありませんでした。途中で 辛抱できなくて 露庵と言う食べ放題のお店に出かけたこともありました。勿論炭水化物は一切食べないで 野菜や豆腐 蒟蒻 海藻などの食材の料理ばかりをチョイスしましたが 何しろたくさん食べてしまいましたので 一時的には 体重が増加してしまいました。でも大量にうんこも出ましたので 割とすんなり減少していくペースに戻ってくれました。
    とにかく現在の私は 乃木坂や欅坂の番組を見る事と 食べる事しか楽しみのない人間ですから 体重を減少させるのは 結構しんどい事ですが 少し前に友人たちに減量することを宣言してしまった手前もありますし 何しろ減量することが元気で長生きにつながる事であるのは間違いありませんから これからも一生減量に取り組んでいくことになると思います。人間何か目標がある方が生活にはりが出るような気がしますから 少なくとも毎日朝の体重測定はそれこそ死ぬまで続けようと思っております。
    体重が六キロ以上も減少してくれたおかげで 糖尿病の指針となる検査項目 ヘモグロビンA1cの値が 前回は6.9と高めでしたが 今回の結果は5.8と正常値の範囲に収まってくれていましたので先生に褒められました。やはり体重を毎日量れば 増加してしまった時には 必ず思い当たる原因がありますから その後できるだけその原因を排除するように心掛けて生活したことが良かったのだと思います。私としては 取り敢えずは先生に嘘をついてしまったことが申し訳なかったので 今回の検査までに何とか申告した体重を下回ろうと頑張れたので検査結果としてもいい値が出てくれました。
    とはいえまだまだ100キロ以上の とんでもないデブであることには変わりありません。次回の検査がまた六週間後にありますので その時までには 何とか100キロ以下になっているように 引き続き頑張っていこうと思います。まあ焦っても失敗して挫折してしまえば 直ぐに体重は元通りになってしまいますから あまり高い目標を設定しないで 確実に達成していくことを目指してみようと考えます。このブログを読んでくださっている方も 大なり小なり体重の減少を目指しておられる方は多いのかもしれません。私の場合 最終目標までは はるか遠いのですが 結局は自分の為になる事ですから 精一杯努力してみようと思っておりますので よろしかったら一緒に精進しましょう。