Dr.喜作のブログ

2018年1月 の記事一覧

  • 1月20日 久し振りにプールに出かけたら ゴーグルが壊れてしまいました

    昼から 暇だったので 久し振りに交野のワクワクプールに出かけました。600円で二時間プールが利用できます。水泳パンツとサポーター 帽子に耳栓、そしてゴーグルとバスタオルをリュックに入れて出かけました。さすがに寒い時期なので 土曜日ですが結構空いていました。このプールには 水中歩行のコースと 自由遊泳コース 25メートル以上泳ぐ人のためのコース 更には時間帯によって水泳教室のエリアに分けられています。
    まずは水中歩行のコースに入って 歩きながら 準備体操的に少しずつ体をほぐしていきます。ある程度歩いて体の準備が出来たので 泳ぐために耳栓をして ゴーグルを装着しようとしたときに 事件が起こりました。ゴーグル つまり水中眼鏡のゴムでできている顔に固定するためのベルトの部分が ブチッと引きちぎれてしまったのです。このゴーグルを購入したのは ひょっとしたら十年位も昔の話かもしれません。あまりに以前の話なので 何時ごろだったか全く記憶がないぐらいですが 凄く古くなっていたので ゴムの部分が伸びきってきていました。金具を調節して締め直さなければ 緩んでしまって泳いでいる最中に眼鏡の隙間から水が侵入してくるぐらいでした。
    もう使用年数が長くて かなり伸びきったゴムの部分を装着するので引っ張った時に簡単に引きちぎれてしまいました。仕方がないのでプールサイドのゴミ箱にゴーグルの残骸を捨てました。子供の頃に泳いでいた時は 当たり前かもしれませんが ゴーグルや耳栓は使用しないで 普通に何百メートルも泳いでいました。所が このプールは屋内プールであり 冬でも利用できるように温水プールになっています。屋外の冷たい水が張ってあるプールとは違って 直射日光も当らないし 水温も相当に高いので やはり細菌などが増殖しやすい条件だから 塩素などの殺菌、消毒する成分が沢山入っているからかもしれませんが 水中で裸眼で目を開けていると 直ぐに目が痛くて耐えられなくなるのです。
    ためしにゴーグルなしで25メートル泳いでみましたが やはり目が痛くなってしまいました。やはりゴーグルがないと このプールで泳ぐのは難しいようです。プールの入り口辺りには プール用品が販売されていますが 既に水に浸かっている状態でしたから 更衣室に戻って体を拭いて服を着て ゴーグルを購入しに行くことは 時間的にも無駄ですし タオルも一枚しか持ってきていないので 二回もプールに入ると 二回目に体をふくときに ぬれたタオルで体をふくことになりそうなので 只でさえ更衣室は凄く寒いので風邪をひいてしまいそうなので その日にゴーグルを購入することは諦めました。
    仕方がないので 本日は気合を入れて水中歩行に専念することにしました。子供の頃には 裸眼で耳栓もしないで 平気で泳げていたのに どうして大人になった現在は ゴーグルがないと目が痛くなるし 耳栓がないと クロールで泳ぐ場合 息継ぎの時に左側に顔を上げた時に 間違いなく左耳に水が入ってしまいます。耳に水が入ってしまうのは 温水プールであることとは無縁のはずですから自分の耳の責任だと思います。子供の頃には 耳に水が入らないように おまじないみたいに指先に唾をつけて 耳の穴に入れていたように思いますが 全然耳に水が入りませんでした。原因として思い当たるのは 大人になり耳の穴も大きくなったので 耳に水が入り易くなってしまったのかもしれません。まあ年を取って 体のそこかしこが 緩んでしまっていることは自覚しておりますから 耳の穴も広がってしまって 水が入り易くなってしまったのでしょうか。悲しい事です。
    そんな訳で 本日はせっかくプールに出かけたのに 殆ど泳ぐことが出来なくて 一生懸命に水中歩行を頑張っただけに終わってしまいました。次回は 忘れずにゴーグルを新しく購入して しっかりと泳ごうと思います。なんだか耳栓やゴーグルが無ければ 泳げないなんて 情けないようにも思いますが 年をとってしまって 衰えてきているのですから 甘んじてこの情けない状況を受け入れて 対応していこうと考えます。運動して 少しでも減量をすすませようと前向きに考えたのですが 自分の衰えを自覚させられたようで 残念な一日に終わりました。 

     

  • 1月19日 1954年の本日 松任谷由実さんが誕生されました

    松任谷由実さん 通称ユーミンの事は さすがに今のお若い方もご存知だと思います。まあ名前と顔ぐらいは知っていても 一風変わった声で歌うオバサン 位にしか認識されていないのかもしれませんけれど。まあぶっちゃけた話 ユーミンは 歌手としてはお世辞にも美人とは言えないし 声もかなり個性的で 一般的な美声からは程遠いのかもしれません。その事はご本人も 若い頃から重々ご承知だったみたいで 最初はソングライターとして 裏方に徹しようと考えておられたみたいで いろんな方に楽曲を提供されていました。
    他の歌手に提供された歌で 私が特に印象に残っているのは 三木聖子の「まちぶせ」と松田聖子の「赤いスイトピー」かもしれません。この二曲は 思い出したらカラオケでも歌うぐらいに 凄くおきにいりの曲です。あまり表だってヒットはしていませんが 結構な数の歌手や女優さんに楽曲提供をしておられるみたいです。ただあまり表だってヒットしていないのは やっぱりユーミンの曲はユーミンが歌わないと その魅力が最大限に発揮されないからなのかもしれません。ユーミンの作品には 勿論名曲が多いので 一流の歌手の方が カバーされていることは珍しくありませんし それなりに味があって素晴らしい出来栄えなのですが 私は何故か ユーミン自身が歌唱している歌に一番魅力を感じてしまいます。
    ユーミンが登場した時は かなり話題になりましたし 芸能界のニュースに疎い私ですが 凄くインパクトがあり 相当に印象的でした。ジャンルとしては 少し前までに流行していた フォークソングに近い印象でした。但し当時のフォークソングは 四畳半フォーク等と表現されてしまって 髪のだらしなく長い 汚い破けたジーンズに下駄ばきのアンちゃんが歌っている 狭くて日当たりの悪そうな下宿を舞台とする 暗くて地味な歌 と言うイメージでしたが それらとユーミンの歌は 明らかに一線を画していたみたいです。ご本人も自らの歌を ブルジョワサウンドと表現されているようで 貧乏くささとは無縁のゴージャスな音楽を目指しておられたように記憶しています。何しろ数十年も昔の話ですから 微かに覚えている程度ですが。
    数々の名曲を生み出されたユーミンですが 私の中でお気に入りベストスリーをあげると 個人的にラグビーが大好きなので 「ノーサイド」、一度きいただけでサビのメロディーが忘れられなかった「翳りゆく部屋」車も彼女もいないのに女の子と二人でドライブに憧れて「川景色」になるのかもしれません。割と初期の曲ばかりを思いつきましたが あくまで本日 只今の気分によって選んだ三曲がこれらだという事です。明日又考えて選んだら 全然異なる三曲になるかもしれません。あくまで個人の好みですから 作品としてのベストスリーと言うのとは全く違うと思います。
    ちなみに 交響曲で私の好きなベストスリーをあげると ベートーベンの五番、ブルックナーの七番、チャイコフスキーの五番 あたりかもしれません。ちなみにピアノ曲で考えると ベートーベンのソナタ「熱情」ショパンのバラードの一番、ラフマニノフのピアノコンチェルトの一番 位かもしれません。もっとちなんで 乃木坂のベストスリーは ナーちゃんが初めてセンターを務めた「気づいたら片思い」この曲の時だけさゆにゃんがカッコいいと思える「あの日僕は咄嗟に嘘をついた」一寸ポッチャリ気味のヒメタンが 凄く可愛い「不等号」になると思います。恐らく三曲とも もうすぐ発表される乃木坂のベスト曲投票では あまり上位には食い込まないのかもしれませんが。
    ユーミンのコンサートは 二回出かけましたので 私が歌手のコンサートに出かけた回数としては 最多だと思います。乃木坂のコンサートも関西でちょくちょく行われますので 一度出かけてみたいのですが 恐らくアイドルのコンサートですので ずっと立ちっぱなしでしょうし サイリュームライトも振りっぱなしでしょうから 体力的に付いていける自信がありません。それにどうせなら合いの手も上手く参加したいのですが よほど慣れていないと タイミングがずれてしまって 赤っ恥をかくのがいい所のような気もします。その為にあまり積極的にコンサートに出かけたくありません。まあユーミンのコンサートでも 結構スタンディングの時間はあります。前の席の人間が立ち上がってしまうと 自分も立ち上がらないと 舞台が全然見えませんから 仕方なく立ち上がりますが 静かなバラードなどの時には 座ってゆっくりと楽しめる時間もそこそこありますので 割と楽ちんで楽しめます。
    引退して 長野県に移住してしまうと コンサートなどに行ける機会もあまりなくなるのでしょうから 大阪にいるうちに コンサートにはもう少し積極的に出かけてみようかと考えています。ユーミンは私よりも三つ年上ですから もうおばあさんと呼ばれても 致し方のない年齢です。何時までコンサート活動が元気に出来るのかわかりませんので 今年は大阪でのコンサートがあれば そのチケットを頑張って購入して 是非でかけてみようと思います。ユーミンを婆ちゃん呼ばわりしてしまいましたが 自分がジジイになっていることを勿論自覚しているつもりです。自分の年齢を考えたら 尚更乃木坂のコンサートには 行けそうもありません。この歳で ナーちゃんが大好きだなんて 変態くそじじいとと呼ばれても 返す言葉がございません。

  • 1月18日 年金受給開始70歳が検討されているのだそうです

    私は 働いていた年数の殆どが自営業ですから 受給できる年金も殆どが国民年金だけです。更には大学に二つも通って 合計十年間も大学生でしたから 年金をかけていた年数も 一応受給は出来ますが 僅かなものです。従って受け取れる年金の金額も 殆ど子供のお小遣い程度でしかありません。従って 勿論受け取れるものはありがたく頂戴しますが 生活の足しにしようなどと考えたことはありません。奥様も年金についての状況は 似たり寄ったりなので 二人とも年金で生活していこうなどと考えたことは全くありません。
    その為に私は 仕事をやめたら いきなりそれまでに蓄えたものを切り崩して生活していくことしか 計算しておりません。ですから あと数年しっかりと仕事を頑張って 蓄えを十分に増やしてから 引退したいと考えているのです。でも長年サラリーマンを勤め上げた方の場合 厚生年金ですから 月々相当な額を受け取られるはずで 当然そのお金で 生活していくことを予定されているのだと思います。
    私は父がサラリーマン一筋でしたので 現在も毎月相当に高額の年金を受け取っているみたいで のんびりと優雅な老後を過ごしているように思います。酒は結構飲みますし 趣味の油絵も 絵具代やキャンバス代がそこそこかかるようですが チョクチョク旅行に出かけていたりして 羨ましいようなゆったりとした生活です。会社役員でしたから 定年はなくて 自分が辞めくなった時に 引退したみたいですが 退職したらすぐにそのままずっとのんびりと暮しています。
    私も還暦を迎えましたので 一つ目の大学時代の会社勤めの友人たちが そろそろ定年を迎える年齢になりました。定年を迎えたら 当然父の様に すぐにのんびりした老後の生活をスタートさせるのだと思っていましたが 大間違いでした。皆そろいもそろって 再就職先を懸命に探して まだまだは元気なうちは働きたい 等と言うのです。私は自分の病院が水曜日が休みで 土日は稼ぎ時なので なかなかサラリーマンの友人たちと遊べなかったので サラリーマンの定年を迎えたら やっと一緒に遊べるものと 期待していました。所が 少なくとも65歳まで 出来たらそれ以上までも働きたい 等と訳の分からないことを言われてしまい ガッカリしてしまいました。
    皆どうしてそんなにあくせく働きたがるのでしょうか。人間皆それまで分相応に生きてきたのですから 老後もそれなりに生きていくしかありません。会社が定年と定めた年齢には 勿論意味がある訳で そろそろ仕事を引退してのんびりしなさいよ と言っているのではないのでしょうか。その会社を信用して入社して 身を粉にして人生の大半をささげた組織が そろそろのんびりしなさいよと指示しているのですから 黙ってその指示に従った方が賢明な選択だと私は思うのですが。
    只 困ったことに 誰にも自分が何歳までどのような状態で生きられるのか 見当がつきません。その為にどれだけの蓄えがあれば 老後の資金として十分なのか 分らない不安があるので ついつい働けるうちは 稼いでおこうという気持ちになることは 理解できないわけではありません。でも年寄りになれば 借金などが無ければ そして持ち家があれば 夫婦二人で月に十万円もあれば 慎ましく暮らしていけるように思います。贅沢するとしたら 食べるものになるのでしょうが 贅沢品に限って 健康に悪い場合が多いので 粗食の方が健康的なのだと自分を説得するのです。ですから手持ちの現金が 一千万円もあれば 想定していたよりも五年くらい長生きしてしまったとしても 楽に生きていけるはずです。
    真面目に仕事をして 普通に生きてきたのなら それ位の余裕はみんな持っているはずだと思います。私の様に人よりもかなり大きな回り道をした人間ですら そうなのですから 私が何十年も友達づきあいをするぐらいの人間なら 再就職してまで あくせく働く必要があるようには 思えません。そんな私の目から見れば愚かな働きたい願望がある人が多いので 厚労省のおバカな大臣に65歳になってもまだまだ働きたいと考えている人ばかりだから 年金の受給スタートを70歳にしてもいいのではないか 等ととんでもない発言を許してしまうのです。私が年金をかけ始めた頃には 受給開始は60歳でしたし 標準的な受給額も現在よりも多かったと記憶しています。
    年金受給の年齢が繰り下げられるだけでも 詐欺にあったようなものなのに その受給額まで減額されているのですから 国民は完全に国にだまくらかされているのです。日本人はおろかで従順ですから お上の言う事は絶対だ 間違いなどあるはずがないと 信じきっているので 誰も声を上げて文句を言いません。もし受給スタートを70歳に遅らせるのであれば その事に納得して掛け金をかけ始める現在二十歳の人間が 70歳になる五十年後からにしてもらいたいものです。年金を受給している老人の数が 凄く多いので年金の会計が苦しいのは理解できますが 真面目にコツコツ掛け金を収めてきた国民に対する裏切り行為は 私は絶対に許せません。共産党辺りが もっとこの辺りの事をギャンギャン文句を言って欲しいのですが あんまりそんな声が聞こえてこないのが残念です。とにかく現在の自民党は 絶対多数の議席数を確保していますから やりたい放題ですが 何とか次回の選挙ではこんな驕り高ぶった自民党に 国民が鉄槌を下してやってほしいと心底願っております。

  • 1月17日 1995年の本日の早朝に 阪神淡路大震災が起こりました

    まだ病院を開業して間もない時期だったと記憶しています。その揺れを感じた時 勿論布団なのかで眠っていましたが 目覚めて瞬間的に私は立ち上がりました。私は地震と気づくと 直ぐに台所に行き 食器棚と本棚を両手で支えて 倒れないように頑張りました。枚方では実際に揺れていた時間は ほんの数秒だったと思いますが 食器棚と本棚を支えたおかげで 棚の食器も本も全く被害がありませんでした。
    只冷静になって考えたら もっと揺れがひどければ 自分自身が立っていられる保証はないし そんな大きな家具の下敷きにでもなるかもしれませんから 凄く愚かで危険な行動を取ってしまったのだと反省しました。取り敢えず二階を確認すると 全く被害がありませんでした。病院に降りてみると 薬棚から 小さな薬瓶が落ちて転がっていましたが 別に割れたわけでもありませんでいたから 全く被害らしいものを受けていないし ガスや水道などの被害もない事を確認して ホッとしてから二階に戻りテレビをつけて 地震のニュースを見て 神戸から淡路島の被害が深刻であることを知り 驚きました。地震の規模の大きさを改めて知って 自分の被害が殆どない事に 感謝しました。
    何しろ開業して間もない頃ですから 借金も沢山抱えている時期です。もし病院に大きな被害を受けていれば 凄く大きな人生の躓きになっていたかもしれません。神戸にしろ東北地方にしろ 地震に対して それほど危険性が高いと言われていた地域ではありませんでしたから 何時枚方が大きな被害を受けるのかわかりません。私の人生も 大学に二度も通ったりして かなり波乱万丈だったのかもしれませんが 大きな不幸に見舞われることが無かっただけ 幸福だったと思います。
    地震やその後におきる津波なんて 対策の立てようがない災害ですが キチンと損害保険に加入して 例え被害を受けても その影響を少なくすることぐらいは 心掛けようと思います。神戸の復興は 素晴らしくて 極たまに神戸の街を歩きますが 震災の被害を全然感じません。私が鈍感で まだ残っている震災の爪痕を見逃しているだけの事かもしれませんが 取り敢えずは見事に復興を遂げておられるように思いますから 心から拍手を贈りたいとおもいます。東北地方は まだまだ震災の被害の爪痕を感じられる映像を たまにニュースなどで見かけますが 一日も早く立ち直ってくださることを 同じ日本人として 心からお祈りいたします。
    それでは 今後の私の人生に 突然災害が起こってしまい 不幸のどん底に陥ることがない様に祈りまして 本日のブログを終了いたします。

  • 1月16日 昨年は 飲食店の倒産が2000年以降で最多 だったのだそうです

    ここの所 表面的には緩やかな景気回復に伴い トータルでの倒産件数が減少傾向にあったみたいですが 飲食店が沢山倒産したというのは 個人の消費が落ち込んでいることを示しているように思いますから 結局アベノミクスなんて言う絵に描いた餅のようなクソ政策の為に 庶民の生活が 全く楽になっていないことを表しているのだと思いますが 如何でしょう。こんなことは 最初からわかっていましたし 如何に鈍感で愚かな日本国民でも前回の総選挙の時には 幾らなんでも分っていたのだろうと期待していましたが まあ受け皿の野党の大失態があったとはいえ またまた自民党の大勝利に終わってしまいましたから 私は改めて日本人が大嫌いになりましたし 明るい日本なんて 夢にも期待しなくなってしまいました。
    せっかく森友、加計学園問題で 大嫌いなアベチャンが吊し上げられる 楽しい場面をワクワクしながら待ち望んでいたのに 選挙の大勝利で何時の間にか禊は終わったような雰囲気になってしまったのも 非常に不愉快です。まあ飲食店 それも小規模なお店の倒産が増えたのだそうですから うちの様な何時つぶれてもおかしくないような 貧乏病院にとっては 対岸の火事ではありません。あと何年かは 何とか潰さないように努力していこうと思っておりますが こちらの思惑通りに事が運ぶとも限りませんので 不安が募ります。
    政治なんて言うものが 庶民の期待通りに執り行われることなんて 所詮は夢のまた夢であるのかもしれませんが 現在のアベチャンの政治は あまりに酷い身勝手で私利私欲に走った まるで韓国の大統領みたいに思えてしまいます。私の人生ももうすでにカウントダウンが始まっているのかもしれませんから 少しでも早く政権交代が起こってほしいと願います。日本に生きていてよかったと思えるような 尊敬できる政治家が現れて 日本のかじ取りをしてくれることを期待しますが 総選挙が終わって間もないので 少なくともあと数年 恐らく私が仕事をしている間はずっと アベチャンが総理の椅子にしがみつくのでしょうから 私の気持ちが晴れ晴れとすることは 当分ないのだと思います。
    まあのんびりと余生を過ごすようになれば どんな政治が行われていようと 殆どわが身には関与しなくなるのでしょうから 一日でも早く 引退したいと思う今日この頃です。

  • 1月15日 私にとっては この日はどうしてもラグビーの日本選手権の日なのです

    昔は 一月十五日は 成人の日でした。それが八ピーマンデーなんていう馬鹿げた法律が出来たために 成人の日が一月の第二月曜日なんてことに決められてしまいました。一月十五日と言うのは 所謂小正月で 昔元服の儀式が小正月に執り行われていたことに由来しているのだそうです。その後 元服と言う儀式自体が無くなりましたが その日に おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげますことを趣旨として 成人の日を本日に設定されたのだそうです。
    まあ現在では 元服も 小正月も あまり身近な出来事ではなくなってしまいましたから 成人の日が本日に定められた由来が 親近感の湧かない出来事になってしまっているのは致し方のない事かもしれませんが やはり国民の祝日として定められているからには その所以にちなんだ日を 祝日に固定する方がふさわしいと私は思います。恐らく木っ端役人の思い付きで始まったハッピーマンデー法なんていう馬鹿げた法律の為に そうでなくても最近では国民の祝日が 単なる休日になってしまっていますから 頭が固いと言われてしまうかもしれませんが 私としてはそんな空気がとても残念に思えてしまいます。
    プレミアムフライデーなんていう訳のわからん習慣も 施行された最初の頃には ニュースでも取り上げられていましたが 今となっては ほとんど話題にも上らなくなってしまっているように思います。洒落のきいたテレビ局が この習慣の言いだしっぺである役所に注目したのですが 三時になっても 誰一人として帰宅する役人はいなかったようです。国民に分けの解からん習慣を押し付けておいて 自分たちが率先して実行するのならともかく その第一日目から 全く無視しているなんて 国民を馬鹿にしているとしか考えられません。
    話が横道にそれてしまいましたが 私が子供の頃から学生時代まで 本日が成人の日であり ラグビーの社会人の日本一のチームと 大学生の日本一のチームが 対戦してその年の日本一強いラグビーチームを決定する試合が 毎年行われていました。現在では 大学生が毎年メンバーが入れ替わるのに対して 社会人は固定されたメンバーでスキルを習熟させられるし 外国人の助っ人を要所に配することで その実力に格差が生まれてしまっていて 殆ど勝負にならなくなってしまっています。でも 私が熱狂して応援していたころは 勿論社会人の方に分がありましたけれど 大学生が日本一に輝くこともしばしばありましたので ラグビーファンにとっては 非常に興味深い一戦でした。そんな中で新日鉄釜石や神戸製鋼が七連覇したのは 私の記憶では 最近の事のように鮮明に覚えています。
    現在も日本選手権は 行われていますが 単に社会人チームのナンバーワン決定戦のような色合いが強いので あまり興味が湧きません。そもそも大学選手権も 最近は帝京の一人勝ちのような気配が濃厚で あまり興味が湧きません。やはり昔の早稲田 明治がしのぎを削っている所に 慶応がどう絡んでくるのか 関西の同志社や京産がどれだけ爪痕を残せるのか とワクワクした時代の方が 楽しみでした。まあ私の中で ラグビー熱が冷めたのは アメリカンフットボールに興味が移ってしまっているからかもしれませんけれど。今年も高校ラグビーは決勝戦が大阪ダービーで非常に興味深かったのですが その実力のある高校生の殆どが 卒業したら関東の大学に流れていってしまうので何だか悲しいです。誰かが言っていましたが 関東の大学のラグビー部では 関西弁が標準語なのだそうです。平尾や大八木が伏見工業からそのまま同志社に進んで 同大が大学選手権を連覇した時代が とてもなつかしいです。
    またまた話が横道におSれてしまいましたが やっぱり成人の日は 本日に戻して固定してほしいと感じているのは私だけなのでしょうか。そういえば今年も成人式で 馬鹿者どもが暴れて 他人に迷惑をかけたりしたのでしょうか。そんな愚かな奴らは 一生肩書きとして 成人式でいきがって迷惑をかけた大馬鹿者であることを掲げて生きていけばいいと思います。何も成人式で きちんとお座りして もっともらしい顔ですましている子が 立派だ等と言うつもりはありませんが その日からは成人として扱われるのですから その式で迷惑をかけたものには 大人扱いをしてきちんと前科をつけてやれば 少しは大人しくなる奴が増えるのではないでしょうか。
    大人になれば 嫌な話を神妙な顔をして聞いているふりをしなきゃならない事もあるし 歩き回りたい衝動に駆られても きちんと座っていなきゃならない事等 日常茶飯事なのですから そういう事を理解していない馬鹿者どもに教えてあげるいい教育の場として 成人式をもっと有効に活用してほしいものだと 私は思います。まあ今年の成人式から一週間遅れでこんなことを書いても 説得力がありませんよね。

  • 1月14日 本日 宮城県では どんと祭りで盛り上がるのだそうです

    世界地図で見ると 日本はなんともちっぽけな国です。雄大なユーラシア大陸の東側の海に浮かんだ ちっちゃな島国です。私は還暦を迎えておりますが 恥ずかしながら一度も外国へ出かけたことがありません。これまでに一度も外国へ行こうと考えたこともありませんので パスポートを 申請したことも一度もございません。この歳になるまでに 普通は少なくとも一度や二度は 外国へ出かけた事のある方が多いと思います。私は 勉強の中で どちらかと言えば理数系の科目が得意でしたし 社会も歴史や地理には 結構興味がありましたので 比較的成績は良かったように思います。所が英語は凄く苦手でした。英語に対するコンプレックスがあるからなのか 語学全般に苦手意識がありました。
    その為か 別に英語が苦手でも 外国旅行に出かける方は多いと思いますが 若い頃から何となく海外へ出かけることを避けて通っているうちに とうとうこの歳になってしまいました。別に海外旅行でも 団体のパック旅行であれば 日本語だけで十分に楽しめるのかもしれません。でも私はせっかく その地を訪れたからには その地の人とコミュニケーションを 取りたいのです。通訳の方がいらっしゃれば ある程度の意思の疎通は可能なのかもしれませんが それでは物足りない様に思ってしまって 敬遠していました。
    今更語学の勉強をし直して 何とか会話力を身に着けて とは考えられません。この歳になると 身につくものよりも 忘れてしまって 手放す物の方が多いと感じるからです。ですから海外旅行は取り敢えずは置いておいて せめてこんなちっぽけな日本 狭苦しい我が国位は こまめに足を運んで その地の名所や絶景 特産品などを知って 楽しんで と考えております。その為に 引退してからは ちょっと贅沢なキャンピングカーを購入して 奥様と二人でのんびりと日本を隅々まで巡ってみたいのです。
    昔 秘密のケンミンSHOWがスペシャル版で放送されていました。初めてみた時 狭い日本なのに 全然知らない習慣や文化があるのに凄く驚きました。このテレビ番組は 予想外に人気があったためと よく探ってみると狭い日本だけれども 他の地域の人が全然知らないけれども 興味深い風習が数限りなくあることに 気付いたテレビ局がレギュラー放送を始めたのだと思います。その地域でずっと生活していると 極当たり前の習慣が よその地域の人から見たら 信じられないような出来事は 幾らでもあることに気づかされますから 私もこの番組はよく見ます。
    話を本日のブログのタイトルに戻すと どんと祭り と言うのは私には 初耳のお祭りです。「どんど焼き」と言う習慣があることは知っていました。小正月の時期に 正月飾りや注連縄、書初めなどを集めて神社で燃やし その炎に当たると穢れが落ちるので 無病息災になると言われている習慣です。大阪でも住吉大社辺りでは 一月の十五日に毎年行われているみたいです。そういえば 我が家でも正月のしめ飾りなどは 十日戎の時に昨年の福ササなどとともに 神社に納めていましたので その行事の時に燃やされていたのでしょうか。
    とにかく宮城県の神社では 本日のどんと祭りが かなり盛んに行われているみたいで 神社によっては 初詣の参拝客よりも どんと祭りで神社を訪れる人数の方が多い所まであるみたいです。私は生まれたのが福岡県で どうしても親戚関係は 九州に多いみたいです。子供の頃には 母の実家に毎年夏休みに帰省しておりました。ですから当然九州各県にはなじみが深いし 私のこれまでの行動範囲も どちらかと言うと西日本が中心でした。逆に東日本とはどうしても縁が薄いため 旅行でもディズニーランドは 大のお気に入りスポットでしたから 何度も何度も訪れましたが 東京ですら数えるぐらいしか行ったことがありません。
    ましてや東北地方なんて 更にそのずっと先に位置していますから 高校の修学旅行に出かけた時ぐらいしか 訪れたことがありません。以前にもこのブログで書きましたが その修学旅行で 調子こいて 好きな女の子に告白して こっぴどく振られてしまいましたので 修学旅行にいい思い出が無くて その為なのか東北地方に対していい印象がありません。別に東北地方に対して偏見があるわけではありませんし 大震災のダメージから 少しでも早く復興されることは心から望んでおりますが わざわざ訪ねてみるには あまりに遠すぎて 殆ど未踏の地になってしまっていました。現在の私は旅行と言えば オンボロ往診車を転がして出かけられる範囲 と言う限定がありますので 東北地方や北海道は 圏外になってしまっていました。
    どうしても距離的に遠いし 現実に訪れる可能性が非常に低いので 興味が湧かず 殆どその地域の文化や風習にも知識が全然ありません。このどんと祭りも宮城県では相当な人出でにぎわう人気のある行事みたいですから 機会があれば一度その時期に訪れてみて 体験してみたいと思います。宮城県といえば 仙台の七夕祭りが全国的にも有名です。東北の三大祭りの一つですし他の二つのねぶた祭り 竿燈祭りも一度は日本人としては 実際に触れてみたい行事です。
    仕事を引退したら キャンピングカーを転がして日本中を訪ねてみたいのは このように知識としては知っていても 全く訪れる機会がなさそうな行事に参加して 体験してみたいからです。昨年なんかの切っ掛けで 東北地方の七夕祭り と検索したら 七から八月にかけて 東北だけで数十か所で 殆ど毎日のように七夕祭りが催されている事を知りました。死ぬまでに一度は 東北地方の夏にどっぶりと浸かってしまって 各地の七夕祭りを堪能してみたいと思います。東北地方はかなりの広範囲ですから 相当な強行軍になるのでしょうから ある程度体力がなければ 体験できませんから 若くて元気のあるうちに 引退したいのです。
    勿論 外国旅行を諦めたわけでは ありません。ディズニーランドが大好きな奥様をいつか 本場アメリカのディズニーランドやディズニーワールドへお連れしたいと考えています。でもその前に狭い日本の 行ったことがない所 知らない風習を十分に堪能してからの事と考えています。こんなことを書いていると 一日も早く仕事をやめてしまいたいですが 優雅で楽しい老後の為には あと少しだけ蓄えを充実させたいので もうちょっとだけお仕事に励みます。頑張りますのでよろしくお願い致します。
     

  • 1月 13日 1543年の本日 狩野永徳さんが誕生されたのだそうです

    狩野永徳さんは 織田信長や豊臣秀吉に認められて 安土桃山時代の文化を象徴する存在と言えると思います。有名な「唐獅子図屏風」を見たことがない 若しくはどんな図柄か想像もできない様な日本人は 恐らくいないでしょう。日本人の画家としては 絵の事は全然興味がありませんので ひょっとしたら全く的外れな表現かもしれませんが 私のイメージ的には 横山大観と並ぶ世界に誇れる二大スターではないのでしょうか。
    そんな日本人なら知らない者は 恐らくいないであろう 超有名人ですが 生まれた時はただの赤ちゃんに過ぎません。狩野家は 永徳のひいおじいちゃんが画家として名を残した最初の存在だったそうです。ひいおじいちゃんから始まって 永徳の子孫が代々第一銭の画家として 明治維新まで活躍をつづけたのだそうですから 永徳も画家としてはサラブレッドの家系に生まれたのかもしれませんが かなり昔の話ですから 亡くなられた日は 稀代の画家として名を残した後の事ですから 正確に記録されているかもしれません。でも生まれた日についてはどうなのかなあと思っておりましたら、狩野永徳について 解説されている資料に目を通すと やはり誕生日に関しては 一月十三日だけではなくて 他にもいくつかの説があるみたいです。
    狩野さんの代表作である「唐獅子図屏風」は 美術の教科書にも必ず掲載されている 誰でも知っている素晴らしい作品ですが 意外にも国宝には 指定されていないのだそうです。その理由は あまりに素晴らしい作品なので 代々の天皇家が所有されているからなのだそうです。勿論日本の貴重な宝ですから 天皇家 と言うよりも宮内庁が 大切に大切に保管しているのでしょうが 皇室所有の作品ですから 国宝としては指定されていないのだそうです。
    私の様に名もなき庶民ですから 私の生まれた日も恐らく亡くなる日も 奥様以外には 覚えてくれている人がいるとは思いません。奥様だって 私が死んでしまったら 何時まで覚えてくれているのか あまり自信がありません。まあ名もなき庶民が 時代の流れに埋もれて 消え去っていってしまうのは 致し方のない事かもしれません。でも私の高校時代の友人には 私がいつもブログを書くときにヒントをもらっている「今日は何の日カレンダー」で その日に生まれた有名人 の名前が上がっている所に 登場する方がいらっしゃいます。日本テレビのアナウンサーで 現在でも時々現場にも登場されるアナウンサーとしては 恐らく最古参になられるであろう 井田由美さんです。
    このブログでは 何度か井田由美さんの事を書きましたが 高校一年生の時 同じクラスで 二学期に書記と言うクラスの役員を 同時に務めたのが 私の自慢です。極たまに各クラスの書記が集められて会議みたいなのがあって その時には二人で仲良く参加したのが 井田さんとの一番の思い出です。勿論 井田さんがそんな些細な事を覚えておられるはずない事は よく自覚しております。それから 私が出席番号十五番で 井田さんが二十五番でした。先生によっては その日の日にちに当たる出席番号の人に質問をする方がいらっしゃいました。例えば五日の日なら まず出席番号五番のものが質問されて 次は私の番です。すんなり質問に答えられることもありましたが 全く見当もつかず降参することも度々ありました。そんな時に 次に二十五番の井田さんが指名されて 極当たり前のように サラッと正解を答えられて 私の馬鹿さかげんが より強調されてしまう事が何度もありました。私にとっては かなり屈辱的な思い出ですが こんなことも勿論井田さんが覚えておられるわけはありません。
    所詮 人間としての器や能力の大きさ そしてもちろんその容姿に大きな格差がありましたから 現在ついてしまっているより大きな格差も当然かもしれません。一般庶民は 庶民としての分をわきまえて 謙虚に残りの人生を過ごして 静かに消え去っていくべきなのでしょう。なんだかすごく寂しくなってしまいましたので 私のブログとしては少し短めですが これで終了いたします。

  • 1月12日 今年の寒さに 屋内でも警戒が必要です

    私は 今年数十年ぶりに 連日靴下を履いて生活しております。真冬に靴下を履いて生活するなんて 一般の方々には 当然すぎる事かもしれません。でも昨年までの私は 真冬でも 風邪をひいて寒気がするとき以外は 素足で生活しておりました。一月ほど前に 子供の時以来ですが 足の先にしもやけが出来てしまい 悲しくなってしまいました。私も還暦を迎えて 老衰が進んでしまい 寒さに対する免疫力が低下してしまったのだと 感じたからです。
    天気予報などを見ても 各地で例年よりも積雪が多いと報じられてはいますが それ程今年の冬が 寒い 気温が低いとは言われていないように思っていましたので 自分の老化現象を自覚させられて密かに落ち込んでおりました。所が 昨夜と今朝方 緊急で来院した犬たちが 室内で飼育されているにもかかわらず いずれも体温が低下してしまって 必死に蘇生を試みましたが 続けて命を落としてしまう と言う悲しい出来事が起こってしまいました。
    昨年までも屋外で飼育されている犬が 強い寒波に見舞われた夜に体温が低下してしまい 翌朝冷たくなって発見される と言う悲しいニュースが時折舞い込んできてはおりましたが 屋内で飼育されている犬でそのような被害を受けたような話は 耳にしたことがありませんでした。所が 昨夜来院された犬は 飼い主さんが朝出かけた時には 普通の状態だったのに 帰ってきたらぐったりして冷たくなっているので 慌てて来院されました。体温計では測れない位に体温が低下していて 心臓の拍動も微かに聴き取れるかどうかという状態でした。取り敢えずは強心剤を注射して 心臓マッサージをしながら 温めて 何とか心臓の拍動を呼び戻そうとしましたが 十分以上も前から 呼吸が停止していたらしくて 蘇生できませんでした。朝から家を留守にしていたので 家の暖房は一切していなかったみたいで 体重が二キロにも満たない 小さなチワワでしたから 例え室内にいても 寒さに耐えられず 体が平熱を維持できなかったのでしょう。
    今朝がた五時頃に電話があって来院された犬も 五キロぐらいのシーズーでしたが 朝方飼い主さんがトイレに起きた時に犬の様子を見たら 呼吸をほとんどしていないので 触ってみると体温の低下が感じ取れたので 慌てて連れてこられいました。この子も昨夜の子と同様に体温が体温計で測定できないほど下がっていて 心臓の拍動が微弱な状態でした。何とか蘇生を試みて頑張りましたが 同様に蘇生してくれませんでした。やはり室内にいても 寒さのストレスに体が負けてしまって 肉体が平熱を維持できずに体温低下が起こってしまい 死に至った模様です。
    とにかく今年の寒さは 例年以上ですから 例え室内にいても 適切に暖房して 暖かな環境を提供してあげないと 小型犬 特に高齢犬になると かなり心配な状況であることを飼い主さんが理解して頂いて 室内での凍え死にを未然に防いであげて欲しいと思います。最近では 夏の暑さも年々増大していって 例え室内にいても 熱中症にかかってしまう方が 続出していましたが 同様に冬の寒さの厳しさも特に今年は 例外的なので 昨年までは問題が無くても 要注意だと思います。
    気づいたら 大切なペットが 冷たくなって死んでいた なんてことがない様に 例え室内で面倒をみていても 油断できませんし 屋外で飼っておられる方も今年は 特別に暖房した玄関先に入れてあげて 面倒をみてあげて頂きたいと思います。後悔先に立たず と申しますので 是非何か事件が起こる前に 十分に気を付けてあげましょう。 

  • 1月11日 戎さんの残り福で 星田神社に出かけました

    一昨年までは もっと近場の交野の住吉神社に出かけていました。こちらは町中にありますから 十日戎の期間は 何時出かけても大変な人ごみでした。只近場なので 結構常連の飼い主さんと出くわしたりすることがありました。動物病院といえども うちなんか とても零細ですし 生計を立てるために経営している商売ですから 毎年必ず十日戎には 飾り物をぶら下げた福笹を買い 商売繁盛をお願いしておりました。只病院が商売繁盛 と言う事は ペットの病気やけがを待ち望んでいるように受け取られるかもしれませんので 若干知った顔と出くわさないことを願いながらのお参りになっていました。
    星田神社は たまたまネットで見かけたのですが かなり田舎のさびれた地域にありますので こじんまりとしていますが 逆に参拝客に対する対応が丁寧であるらしいと言う評判を聞きましたし かなり遠くにありますから 患者さんと出くわす可能性も殆どないでしょうから 昨年わざわざ出かけてみました。私は 何時も十一日に病院の仕事を終えてから 前年の福笹やお守りなどを持ってお参りに出かけていました。最終日の 終いがけなので 値切り易いように思うからです。
    只 昨年は本当に終いがけに駆け込んだようで 福笹を購入してから 星田神社では 丁寧に一人一人の笹を御祈祷してもらえるのです。結構時間がかかりましたが 丁寧に御祈祷してもらえましたので ご利益が大きい事が期待されましたが 終了してから外に出ると 何とさっきまで笹や箒等を販売していた場所は すっかり片づけられてしまっていて 帰りがけにお守りを買おうと思っていた私たちは困ってしまいました。やはり規模がこじんまりとしているので 片づけもほんの短時間で済んでしまうみたいです。
    しょうが無いので 窓口をノックして 人を呼び出してお守りを購入しました。何時もならおみくじも引くのですが そこまでは頼みにくかったので 諦めました。私は 星田神社は こじんまりとはしていますが 丁寧に対応してくださり 福笹も結構おまけしてくれたし 一人ひとり丁寧に御祈祷してもらえましたので かなりの好印象でした。ですから 今年も本日 残り福の日の夕方に星田神社を訪れました。
    今年は まだ時間的に余裕があるからか 昨年の様にスムーズに値引き交渉が進みませんでしたが 粘りに粘って なんとが四千円分を二千五百円にまけてもらいました。お店のオッチャンには かなりぼやかれましたが こちらとしてはわざわざ遠くからやってきたことを強調して頑張ったのが 功を奏したのかもしれません。ある程度の金額購入すると 何処の神社でもガラポンをやらせてくれます。奥様はこれまでにも結構な商品を獲得されていますので 今年もお願いしましたところ 何だかあんまり見た事のない色の球が落ちてきました。ガラポン担当の女の子もビックリしたような様子だったのが印象的でした。じっくりと玉の色を確認すると 金色で 何と特等の自転車が 当たってしまいました。今年は幸先良いスタートが切れそうな予感がします。事実年明けには 手術の予約が立て続けに入ってくれています。
    自転車は 目玉商品なので 今夜最後まで展示しておきたいので 後日また取りに来てほしい とのことでした。面倒ですが しょうが無いので暇な時にまた取りに来ることにしました。昨年は出来なかったおみくじも引いてみました。二人そろって大吉でした。お正月は縁起をよくするために大吉の割合が高くしてあるらしいのですが 二人そろって大吉と言うは 初めての出来事でした。今年はいきなりガラポンで特等を引き当てるし おみくじもそろって大吉ですから かなり明るい未来が待っていそうに思えます。今年もお仕事には精進して 少しでも蓄えを増やすために頑張るとともに 健康のための減量にも気を脱がずに頑張ろうと思いますので どうぞよろしくお願い致します。