Dr.喜作のブログ

2018年2月 の記事一覧

  • 2月16日 自分の病院で またまた大失態を演じてしまいました。

    約二か月ぶりに 枚方公済病院へ診察を受けに出かけました。昨年から 担当して頂く先生が 変わりました。その先生は 診察の度に 体重を尋ねられます。私は 長いこと体重計に乗っていなかったので 初めての診察の時に 予想として「105キロぐらいだと思います」と答えました。所が帰宅してから 凄く久し振りに体重計に乗ったら 何と112キロもあったのです。それも病院で検査を受けるために それなりに節制したつもりの時の体重が 予想よりもはるかに重たかったのです。そこで二か月後に診察を受けるときに 先生に対して嘘をつきたくないので 初回に答えた105キロまで体重を落としておこうと決意しました。
    丁度その時期に 一つ目の大学のサークルの集まりがあり その時にも急にしんどくなって 救急車を呼ばれて 病院に搬送される大失態を演じてしまいました。その時に 友人たち皆から 健康のために 減量するように 強く求められました。丁度先生に体重を診察ごとに報告しなければならないようだし 友人たちにも次に出会うときには 必ず大幅に減量して 驚かせる と大見得を切ってしまいました。
    どちらにしても 私は頑張って減量せざるを得ない状況になってしまいました。まあ元気で長生きしたいので いずれは体重を落とそうと考えていましたので 大幅な減量を本腰を入れてスタートを切らざるを得ない状況になってしまったのです。恥ずかしながら今年の目標も 減量することにしました。なんだか女性みたいで恥ずかしいのですが 健康の為と割り切って 決意しました。
    減量するのに 色んな方法があるみたいですが 私はとにかく毎日体重計に乗って体重を測定する事だけを 実行しました。私の現在の楽しみは 乃木坂や欅坂に関する情報と接する事と食べる事しかありません。乃木坂 欅坂関係は セーブできないので 食べ物を辛抱する事を心掛けて とにかく味道に体重を測定することで 自分に言い訳できないように追い込むことにしました。おかげでなんとか 二回目の診察の時には 体重が105キロまで減少していました。糖尿病の指標になるヘモグロビンA1cは 正常値が4.9~6.0位なのですが それまでなかなか6を割ってくれなかったのが5.8となり 先生に褒められました。
    それまでも 検査の1か月前から 炭水化物を断って 頑張っていたつもりでしたが たいてい6.いくつぐらいが精いっぱいでした。やはり毎日体重を量る事で 自分を甘やかすことが難しくなった結果かもしれません。私の場合 基本的にお酒は年に二三回しか飲みませんからまだ楽なのかもしれません。私は 太っているので特に夏場は 人一倍汗をかきます。ですから特に夏場は 麦茶を人一倍飲みます。これがもしビールを飲んでいたら それだけで相当なカロリー摂取になってしまって 減量は相当に難しい事になっていたのかもしれません。お酒が飲めない事は減量については見方によっては 助かっているのかもしれませんが 逆に甘いものが好物でありますから 血糖値を上げないためには 常に辛い我慢を要求されますので やっぱり辛いのには 変わりありません。
    まあこれまでに 自分がだらしなくて 必要以上に大量の脂肪を抱え込んでしまっておりますので 何とかその大量の脂肪を減少させるべく 地道に努力を続けるしかありません。その先生の三回目の診察が クリスマスの少し前にありました。その時には 頑張って102キロまで落としました。ヘモグロビンA1cの値は5.4まで下がっていましたから またまた先生から褒められてしまいました。但しクリスマスや忘年会でついつい食べてしまって直ぐに体重が105キロまで増加してしまいました。何とか必死になって 大晦日には100キロ丁度まで落としました。友人たちに出した年賀状に 新年をちょうど100キロで迎えますと書いてしまったからです。
    友達にやはり嘘はつきたくないので 必死に頑張りました。所が 正月三が日だけは 好物のお餅などを好きなだけ食べたら 四日の日の朝に体重を量ると 何と106キロまで増えていました。体重と言うのは おとすのには それなりの苦痛を伴いますが 私の場合増えてしまうのは ほんの一瞬です。悲しくなってしますが そんな太りやすい体質に生まれてしまったことを 恨むしかありません。それでそこからまた頑張って体重を落としていって 本日98キロになりました。先生にまたまた褒められましたし ヘモグロビンA1cの値は さらに下がって5.1でした。毎日飲んでいる薬から 血糖値を低下させる薬を無くしてみましょう と言う嬉しいお言葉まで頂戴しました。
    検査の結果としては 凄ぶるいい数値が並んでいましたが 私の体調がよくありませんでした。このくそ寒い時期に 冷や汗を大量にかいて 先生に私の体調の不調がばれてしまいました。真っ青な顔をして 普通に椅子に座っていることも辛いような状態になってしまっていましたから 先生に私の不調を見て取られるのは 当然だったのかもしれません。取り敢えず診察室のベッドの上に横になるように指示されてしまいました。
    直ぐに看護婦さんが 車いすを運んできて 処置室に運ばれてしまいました。血圧や摂取酸素量を測られましたが どちらもかなり正常値を下回ってしまう 低い値でした。ベッドに横になっている時は 取り敢えず普通の状態のように感じましたが 試しにベッドに腰掛けて様子を見ると しばらくしたらふっと意識が飛びそうになってしまいました。慌ててまたベッドに横にならされました。三十分ほど様子を見ていましたが 状態が改善しないので 心電図をとってみて ビタミン入りの点滴を一本(500ml)入れてもらう事になってしまいました。
    状態が改善しないので 致し方がありません。まあ看護婦さんが てきぱきしていてかなり優秀そうですし そこそこ若いし なかなかの美人だったので 有難い事だと思うように心掛けました。所が 奥様に自分の状態を報告して迎えに来てもらいましたが 私が若くてきれいな看護婦さんに嬉しそうにしていたのが 瞬時にバレテしまい 当然怒られてしまいました。全く男と言う生き物は どんなにしんどい状況であっても 若くて美しい女性が身近にいてくれると 必要以上に嬉しくなってしまうのです。
    点滴を落とすのに小一時間かかりましたが かなり楽になったみたいです。点滴なんて ベースはただの塩水なのはわかっていますが ある程度の量を流し込んでもらうと 不思議と体調が改善するのですから不思議です。椅子に座って様子をみましたが 今度は意識がとおのくこともありませんでした。心電図も先生に診てもらいましたが 問題なしと診断されました。顔色もだいぶ良くなったみたいなので もう帰っても大丈夫だろうと判断してもらえました。起ちあがって受付にお会計をしにむかいました。何時もよりも余分に 心電図は取りましたし、点滴もしてもらいましたので 料金が高くなっていないかと心配しましたが 普段と殆ど変らない料金でしたので ホッとしました。
    直ぐに奥様が車で迎えに来てくれましたので 病院に戻り 二階のベッドに横になりました。五時からまた診察が始まりましたので 一階に下りてカウンターの前の椅子に座りましたが 何とか平気でしたので 夜の診察を無事にこなせました。どうしても病院に出かける一週間ぐらい前から 食事制限をより厳しくしてしまうので 病院に出かけるときに限って 体調を崩してしまう事が これまでにも二三度ありました。長期的に見たら あまり極端な食事制限が望ましい事ではないのは分っていますが ついつい目先の検査の結果をよくしたいので 頑張りすぎてしまい体調を崩してしまうのです。
    私もいい年なのですから 同じ過ちを繰り返すのは 情けないので 今後は減量を頑張りすぎないように そして体調を崩さないように 心掛けようと思います。

  • 2月14日 奥様からチョコレートを貰えませんでした

    本日はバレンタインデーです。どうせ女性に全くもてない私ですから 奥様以外の女性からもらえる事なんて期待はしていません。毎年奥様がわざわざ買い求めたチョコレートを昨年までは渡してくれました。ある年は ゴディバーのチョコレートで かなり値が張り込んだみたいで 私は一応開封しましたが 手元にあったのはほんの一瞬で 奥様に直ちに回収されたことがあります。まあ別に私は甘いものが苦手ではありませんが 特に上等のチョコレートを食べてみたいと言う気持ちもありませんので 直ぐに奥様に回収されてしまっても 取り立てて腹も立ちませんでした。
    所が今年は 幾ら待っていても 渡してくれなさそうなので 仕方なしに催促してみました。そしたら「毎年わざわざ買いに行って渡しても 自分では全然食べないから 今年から省略することにした」と言われてしまいました。私は 下戸なので お酒が駄目な分 甘いものが好きです。しかしチョコレートは 嫌いと言うほどではありませんが 積極的に食べたいとは思いません。ですから 送られたそこそこ上等のチョコレートは 結果的には 奥様に食べて頂いておりました。あまりチョコ好きではない私が食べてしまうのは 勿体無いと考えて いたからです。
    ただ重要な事は 私としては 奥様から毎年チョコレートを頂くことに 意義があるのです。見てくれの凄く悪い私は 義理チョコ以外の 所謂本命チョコは 奥様以外からもらったことがありません。まあ冷静になって考えてみると 奥様から頂くチョコレートも 今更愛の告白的な意味は全然ありませんから 究極の義理チョコなのかもしれません。でも男と言う生き物は 広いこの世の中で たった一人の女性からは 毎年間違いなくチョコを貰えることで 生きる希望や意欲、勇気が湧いてくるのです。
    たまたま車でラジオを聴いていると 私と同様に毎年奥様だけからはチョコを貰えていたリスナーが 今年は奥様がインフルエンザにかかってしまって チョコを買いに出かけられなかったので 結果的にはもらえなくて とても悲しい気持ちだと 報告されていました。本音を言うと 奥様からチョコを貰って とても嬉しい気持ちになる男性は 極稀かもしれません。でも貰えなくて落ち込む男性の割合は 非常に高いのは 間違いありません。男は 確かに厚かましいし奥様に対しての気遣いが 普段から足りていないのは 認めますが 結構繊細な部分も持ち合わせておりますから 年に一回のそこそこ重要な行事なので 周到に準備して頂いて 間違いなく プレゼントして頂きたものです。勿論チョコを頂いたら ホワイトデーには もっとずっといいものをお返ししますから。
    本日は 落ち込んでしまって これ以上ブログを書き続ける気力がわいてきませんので 短いですが終了いたします。

  • 2月13日 世間ではオリンピックの話題で盛り上がっているようです

    私も以前は スポーツ観戦が大好きでしたから オリンピックや高校野球の期間は かなり熱中して観戦していたように思います。所が数年前に五十年以上も続けていた プロ野球の熱狂的なドラゴンズファンを卒業してから 一気にスポーツ全般に対する関心が低下してしまったように思います。高校野球や ラグビー アメリカンフットボールなども 一応結果は気になるので 試合結果をチェックはしますが テレビで放送されていても 放送時間を確認して 腰を据えてのテレビ観戦は 殆どしなくなってしまいました。
    オリンピックについても 同様の傾向があるみたいで いつの間にか始まっていたなあ と言うのが正直な感想です。勿論日本人が活躍してくれてメダルを獲得されたりしていると 心から祝福したい気持ちにはなりますが もともとの興味がないので どの種目のどの選手がメダル候補なのかも全然知りません。それにしても 昔と違って かなり目新しい種目が増えているのには 驚きました。個人だけの競技と認識していたのに いつの間にか団体戦があったりして 驚きます。スキーアスロンなんて初めて耳にする競技では 途中でスキー板を履きかえていましたから 凄くビックリしました。スノーボードなどでも 全く初めてみる競技があり 驚きましたが このオリンピックから始まったわけではないようなので 前回のソチで行われたオリンピックにも 私の関心は盛り上がっていなかったのかもしれません。
    私があまり熱心にオリンピックなどの放送をみなくなったのは 報道する側が 勝手に妄想を膨らませて 金メダル確実だ等と期待感だけ煽っておいて 残念な結果に終わった時には 国民の期待を裏切った 等と攻撃するような表現で報道されてしまうからかもしれません。スポーツをするものであれば 勝ち負けがはっきりとつく世界ですから 誰だって勝ちたいし 勝ちを目指して 人生の他の道に進む可能性を消してまで 打ち込んできたのかもしれませんし オリンピックに出場するレベルの選手なら 恐らく満身創痍のはずで 頑張って体に極度の負担をかけるのでしょうから 場合によっては自分の寿命を削っているのかもしれません。本人としては その場でできる精一杯の頑張りを見せたはずなのに 期待された結果が出ない場合 一番残念なのは 選手ご本人のはずです。いい結果が出た時に 祝福してともに喜ぶのはいいのでしょうが 残念な結果に終わった時に その選手の神経を逆なでするような表現で報道されたりするのは 本当に悲しくなってしまいます。
    今回のオリンピックでも 期待の高い選手は そこそこいるみたいですが 出場するすべての選手が いい成績を残そうと必死なのですから 思わしくない結果に終わることは 度々あると思いますが 残念な結果に終わって 傷ついている選手を暖かく励まし いたわるような報道がなされることを 心から期待したいです。

  • 2月12日 あまりの寒さに 長野県の道路事情が心配です。

    丁度一週間後から 病院をお休みして 旅行に出かけます。一応名目上は 研修の為と謳っておりますが このブログでは毎回白状しておりますが 引退してから移住する候補地を 長野県に絞りましたので 昨年の秋に一度訪問しましたが 一番寒くて厳しいこの時期に 再度訪問してみよう と言う事で今年の旅行は 長野県の辰野町、箕輪町、駒ケ根市に一泊ずつすることにしました。辰野町と箕輪町は 昨年も訪問していますので ある程度の勝手は分っているつもりですが 駒ケ根市は初めてなので 不安もありますが また新しい出会いがありそうで 楽しみでもあります。
    今年の冬の寒さは かなり異例の事の様で 各地で雪の被害が続出しているみたいです。以前は 南の島への移住を夢見ていましたから 寒さや雪の心配なんてしたこともありませんでした。方向転換して 静岡県か長野県に移住先を絞って考えた時期がありました。静岡県は太平洋側に位置していますし かなり温暖なイメージがあります。所が もともと移住先として人気のある地域だからかもしれませんが こちらの問い合わせに対する 対応に全く熱意が感じられませんでした。別に移住してきたいのなら 拒絶はしませんよ と言った雰囲気を感じられました。その点長野県の移住担当者の方の対応には 熱意と暖かさを感じましたので 長野県に候補地を絞りました。
    一口に長野県 と言っても大阪に比べると 凄く広いのです。地域によって 気候や風習も違えば 立地条件や足の便なども 全然異なります。今更スキーや雪山登山などには 殆ど興味がありませんから 出来たら積雪があまりない地域が望ましいのです。そこで長野県としては南に位置する伊那谷と言う地域に絞って 比較検討を始めました。この辺りだと 例年は雪が積もるのは年に一度か二度ぐらいで5センチから多くとも10センチ位なのだそうです。所が今年は 例年に比べて 気温も低いし 道路が凍ったり 雪が積もったりしている所がそこそこあるようなのです。
    辰野町が 今回の旅行先としては最北端なので その辺りの天気や気温をチェックしていましたが 中央道 と言う高速道路を走る予定ですが その手前の標高が高い地域である駒ケ岳付近の方が 雪が積もったりしている可能性が高いらしいことが こまめに道路情報をチェックしていて 気付きました。その辺りは ちょくちょく規制がかかっているのですが ここで言う高速道路における規制と言う言葉の意味が理解できません。他の地域で 速度規制されている部分がありましたから 速度制限の規制ではなさそうなのですが ノーマルタイヤでは走行できないような意味合いなのかどうか 全く予備知識がありませんので 理解できません。
    次の冬からは スタッドレスタイヤを購入して 履いておけば 枚方近辺でも場合によっては道路が凍結したりすることがありますから 安心できますので そのように対処しようと考えていますが 今回の冬は ノーマルタイヤとチェーンでなんとか乗り切りたいので 不安が増大しております。たまたま冬の長野に訪れるのが 異例の寒さの年に当たってしまいましたから 不運なのかもしれませんが 一番厳しい状態を体験しておけば これ以上酷い目に合う事はないだろうと かえって安心できるのかもしれませんので とにかく事故だけは起こさないように 慎重にそして早め早めの対応を心掛けて出かけてこようと思っております。旅行から帰って また楽しくブログで報告できるように心掛けますので 皆さんも私の無事をお祈りしてください。お願い致します。

  • 2月11日 本日は 建国記念の日なのだそうです

    「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として、1966年に定められ始まりました。そもそも明治時代、初代天皇と日本書紀などに 記されている神武天皇が即位された日を日本の紀元(歴史が始まる最初の日)としたことからであり 戦前は「紀元節」と言われていました。所が戦争に敗れた直後 敗戦国日本を支配していたGHQが そのような祝日を認めると またまた日本が 天皇を中心として日本人の団結力が高まるのではないかという事を懸念して 廃止させたのです。
    しかし日本が始まった日をお祝いしたいという国民からの根強い そしてごく当たり前の要求があり なかなか国会で承認されませんでしたが 紆余曲折あって1966年にようやく 国民の祝日となりました。ただし野党などからの強い反発がありましたし 神武天皇自体の存在を証明する物が無かったことなどから 総合的に判断して 記念日ではなくて あくまで日本と言う国が建国されたことをお祝いする日 と言う事で建国記念の日と言う表現に落ち着いたのだそうです。
    今回 何となく調べてみて 初めて そのような流れによって 記念日ではなくて 記念の日と言う表現が使われていることを初めて知りました。でもこのことを御存知ない方は 結構多いように思いますが如何でしょうか。まあ子供の頃や サラリーマン時代は とにかくお休みになるので 祝日なら何でも有難かったです。但し 自分で開業して 祝日でも水曜日以外は仕事をすることに決めてからは カレンダーの表記が赤かろうと黒かろうと 無関係なので 祝日についても更に無関心になってしまいました。
    私が子供の頃には 祝日には おうちの前に日の丸を飾ってある所が 結構多かったように思いますが 最近では殆ど見かけません。今では迂闊に日の丸を掲揚したりしたら ご近所に右翼関係者と勘違いされてしまうのかもしれません。テレビでも昔は 祝日に関する行事や出来事が 報道されていたように思いますが 最近では国民の関心が低下してしまったために そのような出来事をニュースとして流しても 視聴率が取れないからかもしれませんが ほとんど扱われなくなってしまい 更に国民の関心度が低下しているように思えて 残念に感じます。
    ただ奥様が 久し振りに街宣車を見かけたと 仰っていましたから そちら関係の方が 一応出動して 割と地味に活動されていたのかもしれません。勿論その類の方が 元気よく活動されるところなんてあまり見たくありませんから 目立たない位で有難いようにも思います。日本人は 世界的に見ても珍しいぐらいに 信仰心が乏しいし 日本人としての自覚も薄いように思います。まあオリンピックの時だけは 日本人を応援して 日の丸を振りますから 全く愛国心がないわけではないのかもしれません。世間は冬季オリンピックに関心が集中しているのかもしれませんが 出来たら本日位は 日本の始まりや これまでの歴史更には今後について 落ち着いて考える一日になってほしいものだと 私がこのブログで発言しても 何の影響力もありませんよね。残念です。

  • 2月10日 タヌキが入院しました

    昨日の夜 時間外に電話がかかってきて マンションの入り口付近に何か動物がうずくまって動けなくなっているので 診てもらえないか と言われてしまいました。深夜なので 暗くて動物の種類が分らないのだそうです。右肩の辺りの皮膚が破れて大けがをしているのは間違いのない事だと 電話の主は仰います。犬かも知れないし 野生動物かも知れない と言う事でしたので 取り敢えずは動物を確保して 動物の種類が分ってから もう一度電話をかけてくるように言いました。
    五分後ぐらいに 同じ方からまた電話がかかってきて 段ボール箱に保護して 明るい所で確認したら どうもタヌキの様だ と言う事でした。肩の傷は予想よりも大きいけれど 現在出血とかはしていないのだそうです。何とか呼吸はしているが ぐったりして殆ど動けない状態の様で その為に簡単に保護できたのかもしれません。取り敢えずは 直ぐに連れてきてもらう事にして 私は慌てて病院に下りて 場合によっては傷口の縫合をその場でするかもしれないので 治療の準備を始めました。
    予想よりも早く タヌキを保護した方が 来院されました。早速診察室で 保護されたタヌキと対面したのですが まず目を見て驚きました。真っ白で 白内障の病状が凄く進行しています。体の毛は普通に茶色いのですが 顔面がほぼ全面 真っ白で恐らく殆ど白髪になってしまっているのだと思われます。タヌキの寿命は7~8年と言われていますが 恐らくその年齢に達しているであろう 高齢タヌキのようです。肩の傷の様子を見ると 十センチ以上もあり 引き裂かれたように大きな穴が開いてしまっていました。
    腐敗臭がひどくて 奥の方に膿が溜まり 筋肉がかなりの広範囲で 腐敗をしているような状態でした。傷を負ったのは一月以上前の事のようです。体の表面が既に冷たくなっているし 心音も辛うじて聞えるぐらいなので その場ですぐに麻酔をかけて 傷の処置をするのは難しいと判断しましたから 体を温めながら 皮下に点滴と抗生剤や消炎剤を加えて投与して ある程度の体力の回復を図ることにしました。野生の動物ですから 犬舎の中は 屋外よりもずっと暖かくて清潔で快適な環境のはずですが 人間に慣れていないので 人工的なものによるストレスは小さくないのかもしれませんが ひとまずはお預かりして 入院室に入ってもらい体力の回復を期待しました。
    ひょっとしたら夜のうちに命に関わることがあるかもしれませんので 二三時間ごとに様子を見ましたが 何とか朝まで頑張って生きてくれていました。缶詰のドッグフードに鰹節をかけたものを与えてみましたが 朝までに完食していましたし コロンとしたウンチもしていましたから 人間の環境にも 割と順応してくれそうです。多少は体力が回復してくれたみたいだし 体温も上がってきましたので 何とか自力で立ち上がれるぐらいには 回復してくれたみたいなので 本日のお昼に傷口を手術しました。
    まずは引き裂かれた皮膚が かなり肥厚してしまっていましたので 正常な皮膚の部分まで切開して 古い傷口を全て切除しました。中の筋肉の部分も腐敗が進んで大きな穴ぼこが開いていましたので ここも腐敗した部分を全て切除しました。体の中に死控が出来ないように 吸収糸で縫い合わせました。皮膚も内側同士を縫い合わせて 皮膚がピタッと沿う様に縫合するつもりでした。埋没する縫い方だと抜糸の必要がないからです。所が 皮膚が思ったよりも薄くて柔らかいので 吸収糸で 両サイドにしっかりと糸をかけて 縫合することにしました。普通は十日後位に抜糸しますが その前に自然に返してやりたいので 抜糸は省略することにしました。吸収糸を使っていますので 体内に潜っている部分が 数週間で焼失しますから 体表の糸も自然に体から離れることを期待しました。
    麻酔が覚めても なかなか起き上がってくれませんが 術前の立ち上がるのがやっとの状態でしたし相当な高齢であるみたいなので 焦らないでじっくり様子を見ていこうと思います。これまでにも タヌキが入院したことは何度かありますが 皆元気に退院していってくれましたので この子も無事に自然に帰してやれると嬉しいです。

  • 2月9日 公立小学校の標準服にアルマーニとは驚きました

    そもそも標準服と言う言葉自体と初めて出会いましたので 調べてみると 制服の場合は 同じ団体に所属する者には着用が義務づけられるけれども 標準服は 義務ではないが着用することが望ましい服装の事なのだそうです。私自身の経験をお話ししますと 幼稚園は確か制服があったように思います。カトリック系の かなり締め付けと言うか躾の厳しいので評判の所だったそうです。毎日礼拝堂みたいなところで お祈りさせられるのが 苦痛でしょうがありませんでした。一人目の奥さんが幼稚園の先生でしたので 幼稚園の思いでは嫌な事しかないと話すと 私の性格に一番不向きな幼稚園を選択してしまったみたいだ と言われました。ひょっとしたらお祈りだけではなくて 毎日決まった服装でいなければならないことに対する反発心もあって マイナスのイメージが強いのかもしれません。
    小学校に上がると 服装は自由になりましたし 神様なんて見たこともないものを拝まなくてよくなりましたから 非常に楽しく小学校に通いました。私は食べ物に苦手なものが ありました。このブログでは何度も書いていますが 塊の肉が凄く苦手でした。ですから給食については 誰もが大嫌いであったスキムミルクと塊肉の嫌な思い出は強く残っていますが それ以外は割と楽しく過ごせたように思っています。
    中学に上がると男子は黒の学生服に黒ズボンの制服になりました。まだ成長期ですから 最初はかなり大きめのサイズの服を着ましたが 詰襟をきちんと止めると気が引きしまるような気がしましたし、大分大人に近づいたような気がしましたから 制服に対して取り立てて反発する気持ちはありませんでした。中学生になったら 学生服を着用するのが当然 という情報を刷り込まれてしまっていたからなのかもしれません。
    高校も公立でしたから 当然同じ学生服でした。私は 大学以外は近所の公立の学校にだけ通いましたから 中学、高校と標準的な学生服だけを着用していました。それが当然のように感じていましたから別に抵抗はありませんでした。逆に私立の高校の場合 私服で登校することが許されている所がありました。高校生なんて 自我が目覚め始めて 自己主張したい年頃ですから 羨ましく思わないでもありませんでしたが 高校生は学生服 と思い込んでいましたから 当たり前に毎日同じ制服を着て通っていました。但し 年齢的に新陳代謝の活発な時期ですし 毎日それなりに汗もかいていたのに 何日も同じズボンを履いているのは 衛生的には如何なものかと思えなくもありません。
    大学は 勿論私服で通っていました。中には かえって目立つし 評判にもなるからかもしれませんが 学生服を着て 下駄ばきで通う バンカラ気取りの奴もいましたが 私も私の周囲の人間も 好感は抱きませんでした。当時の流行に従って 私も髪を結構伸ばしていましたし、裾の広がった ボロボロのジーパンを喜んで履いていました。今思い出すと 情けないような気持になりますが 女の子の気を引きたくてたまらない時期でしたから 自分にできる精一杯のファッションだったように思います。自分の見た目が悪い事は 既に自覚していましたが 何とか女の子と仲良くなりたかったのです。
    話が大分横道にそれてしまいましたが 制服を着用することに 自分はそれほど反発はしません。しかし公立の小学校で 強制力はないにしても標準服なるものを指定されてしまう事には 少なからず「何でやねん」と言う気持ちになります。奥様に聞いたら 今どきは都会の小学校では 標準服なるものが指定されている所は珍しくないのだそうです。私はこのブログに何度も何度も書いておりますが 自分の服装が夏はポロシャツにジーパン 冬はその上にトレーナーを重ね着する と言う完全ワンパターン人間ですから ファッションに全く興味がありません。当然すぎる事ですが ブランドものの服なんて一枚も持っていません。もしそんな服を私が来たとしても 似合いもしなければ カッコよくもないでしょう。そもそもこの肥満体に合うブランド物なんて存在しないでしょう。
    別に経済的に手が出ないわけではありませんから 奥様にはたまにはブランド物で着飾ってほしいのですが 奥様も謙虚な庶民派なので それなりの金額を潜ませた財布を渡して 自由に買い物しておいでと言っても なかなか上等の服には手を出されません。まあ奥様のそんな慎み深い所も 好きなので腹は立ちませんが もういい歳の女性なんだから 改まった場所へ出かけるときなどに 恥ずかしくないような服装は揃えてあげたいと思っております。
    またまた話が横道にそれてしまいましたが ブランド物の標準服を決めた小学校の校長の発言には 非常に腹立たしい所が幾つかあります。特認校だから とか銀座だから と言った頓珍漢なエリート意識がまずは 腹を抱えて笑ってしまいます。同じ服を着用することによって生まれる一体感なんて 思わずファシズムの再来かと考えさせられます。私はこんな右に偏ったような意見を 公立の小学校の校長が 堂々と発表したことに対して 共産党辺りが もっとかみつくのかと思っていましたが あまり反応がないのに少しがっかりしています。私は 共産党と言う政党が ある意味一番庶民の生活を考えた政策を出してくれているように感じています。勿論共産党が政権を取ったりしたら 日本がひっくり返りそうに思いますから 程々に頑張ってほしいと応援しているのですが 昔から一番主張がぶれていないのは 共産党だけだと思いますので 信頼しているのですが 今回の公立小学校の標準服問題について もう少し積極的な発言を期待します。
    子供が小学校に入学するとなると 標準服以外にも 学用品を揃えたりと その準備で相当な出費があるはずです。標準服だから 強制力はないからと言って みんなが同じ服を着ているのに 一人だけ違う服装の子がいたとしたら 苛めの対象にならない事等ありえないように思います。ましてやその原因が 経済力の違いに起因するのだとしたら かなり根の深い 陰湿ないじめに発展しかねないように思います。今年入学する子供の親たちは 大した文句も言わずに標準服を注文したのだそうですが 一つの学校でそんな愚かなことが認められたら 同じようにファッショな考えの校長がいる学校は 増殖してしまう可能性がありますから 私はなんとしても日本のファッショ化には 断固反対したいです。森友学園の教育理念も とんでもないものであるという認識は 一般的だと思いますが 今回の標準服問題も類似した問題を抱えているように思いますので 是非こんな話は流れて欲しいと思いますが まあ子供を通わせる親たちが 了承しているのなら 余計なお世話かもしれないとも思います。

  • 2月8日 1983年 男子高校生の平均身長が 170センチを超えたのだそうです

    私は身長が170センチ丁度です。体重は 恥ずかしながらなかなか100キロから減ってくれてはいません。この身長でこの体重ですから 凄い肥満体です。元気で長生きするために あと20~30キロの減量を目指して頑張っていこうと思っております。私の世代では 身長170センチと言うのは クラスで背の順に並んだ時に 結構後ろの方でした。所が高校生の平均身長に追い越されてしまったらしいので 今の若い人たちの中に入れば 平均よりも小さい部類に入るみたいで 結構ショックです。
    女性が求める男性の条件に 昔高身長と言うのが 入っていたように思います。一応170センチあれば ギリギリ女性の身長に対する要求を 満たしていてくれたのかもしれません。高学歴や高収入と言うのは 本人の努力でなんとかなるのかもしれませんが 身長なんて言う持って生まれた体のサイズについて 要求するなんて 女性は情け知らずの生き物のように思います。まあ男性も女性の顔だちについては かなり我儘な要求をしてしまいますから 釣り合いが取れているのかもしれません。
    奥様は 身長については 150センチあると主張して一歩も引かれませんが ひょっとしたらもう少し低いのではないかと 私は思っています。ただあまりその点を突っ込むと 手痛い反撃を貰いますので 確認することは諦めました。アイドルでいうとAKBの初代総監督 タカミナが150センチだったそうです。メンバーの中でも 低い方から数えて何番目かなのだそうです。メンバーになった時は タカミナよりも小さいメンバーもいるけれども 成長期なので あっと言う間にタカミナを追い越してしまう子が殆どなのだそうです。
    私は タカミナが全メンバーの中でもいちにを争うぐらいのおバカでなければ ずっとタカミナ押しを続けていたように思いますから 別に女の子は背が低くても かえって可愛らしいポイントが上がって 評価が高まる位です。ですから奥様の身長についても 何にも不満はございません。こんなすごい肥満体の私を見捨てずにお付き合いくださっているのですから 奥様の外見について 文句を言いたいと考えたことは一度たりともありません。只 私がだらしないから致し方のない事ですが 奥様の態度が日に日に大きくなっていっているのが 将来的には非常に不安です。現在の所 体力的には私の方が上回っていますが いずれ老いぼれてしまった時に 奥様にいたぶられてしまうのではないかと 真剣に心配しております。まあいずれは必ず私の体力的な衰えが 奥様よりもずっと早くやってくるのは間違いありませんから その日の為にせいぜい奥様に優しくしておこうと考えております。

  • 2月7日 暇だったので タイヤチェーンの装着と取り外しの練習をしました

    二月の下旬に 移住を検討している長野県に あえて一番寒くて厳しい季節を選んで 訪れてみるつもりでおります。長野県は 夏の涼しさも有名ですが 当然冬の厳しい寒さも覚悟せねばなりません。そこでスタッドレスタイヤに履き替えてしまう事も検討しましたが 訪れるのは 長野県でも南に位置していて 冬場でもほとんど雪が降らない地域ですから 必要に応じてチェーンを装着すれば 対応できると判断して 今回の訪問はチェーンを購入して対処することにしました。
    現在のチェーンの主流は 非金属即ちジャラジャラした金属の鎖ではありません。装着 取り外しも鎖タイプよりも簡単だし 装着しての走行時の違和感や騒音もかなり少ないのだそうです。昔塩野義に勤めていたころには 現在は使用路禁止されている スパイクタイヤと言う雪道用のタイヤを履いて 冬季は過ごしました、おかげでその時にチェーンを装着しなければならないような ピンチの状態にはならずに済みました。もし今回の長の訪問で チェーンを装着したら 初めての経験になります。恐らく高速道路では 慎重に走れば ノーマルタイヤでも問題はなさそうな様子ですが 一般道に降りてからはチェーンのお世話にならざるを得ないのかもしれません。
    せっかくの旅行ですから楽しい思い出にしたいと考えておりますので 早目に対応して くれぐれも安全運転を心掛けようと思っております。チェーンの装着と取り外しは 購入したその日に 病院に戻って直ぐに一度試してみました。お店で店員さんがやり方を説明してくれた時には かなり簡単そうでしたが 実際に屋外でやってみると 地べたのアスファルトは想像以上に膝をついても痛いし 冷たいので かなり辛い作業でしたが 奥様にちょこっと手伝ってもらって 何とか装着し取り外しも出来ました。一軒取り外しの方が簡単そうなイメージですが 現実には 取り外す方が大変でした。実際にチェーンを利用してから取り外すときには さらに難しい面倒な作業になることが予想されます。
    本日は 前回の経験から 足や手をつく部分にバスタオルを二枚敷いてやってみました。始める前に 説明のDVDをもう一度見て やるべき作業を復習し直してからやってみました。前回は奥様のアドバイスや ちょっとしたお手伝いがあったので何とかこなせましたが 今回は自分一人でやってみることにしました。前回は素手でやったので 指先が悴んだし 痛かったので軍手をはめて作業しました。タオルを敷いて 軍手をはめての作業でしたから 前回よりも短時間で 一人でも装着できました。
    車を一回り転がしてみて 取り外しの作業にかかりました。今回もかけたフックの部分がなかなか外れなくて 手こずりましたが やはり二回目ですので 一人でやり遂げましたが 前回よりも短時間で作業が終わりました。やはり一回目よりも二回目の方が 経験値もあるのでしょうしタオルと軍手と言う準備も整っていたからか なんとか一人でこなせました。勿論 実際にチェーンを装着 取り外すときの環境は 本日の病院の前の道路よりも ずっと厳しいものであることは間違いないのでしょうから 旅行に出かけるまであと十日ほどありますので あと数回は練習をして 経験値をあげておこうと思いました。
    私はなんでも 難しくて厄介なことは 奥様の手助けがないとできないのではないかと言う 不安がありましたが 本日タイヤチェーンの装着 、取り外し と言う大したことはない作業でしたが 自分一人で成し遂げられましたから一寸だけ安心しました。

  • 2月6日 株価が暴落しているのだそうです

    私は 生涯株の売買などには 一切手を出しませんので まったく無縁の世界のできごとです。ただバブル経済が膨らんでいる頃には 株価も土地価格も右肩上がりを信じて 猫も杓子も張り切っていた時代には 私の父親も相当な金額を株式の売買につぎ込んでいたみたいです。土地も株価もずっと上昇し続けるなんて ありえない夢物語を 信じて大損をこいて人生を台無しにしてしまった人も すくなからずいたみたいです。私の父も かなりの損害を被ったのでしょうが 別にその泣き言を耳にしたことはありません。
    ギャンブルやこの類の投機をやっている人で不愉快なのは 自分が利益を上げた時だけは 饒舌になって自慢話に花が咲くのですが 自分が損をした時の事は一切口にしない輩です。私の父は それなりに大儲けをしていた と言うか大儲けをしていた気分を味わった時期は そこそこあったのでしょうが その時に不愉快な自慢話を全然しませんでした。私がその類の自慢話が大嫌いであることを知っていたからかもしれませんけれど。ただバブルがはじけた時に 一般の投資家の大部分がそうであったように かなりの損失を出してしまったらしいのですが その事もあまり態度に表わさないので 私は気づきませんでした。 母が「父は株でかなり大損したらしい」と耳打ちしたので ようやく気付いたくらいです。まあいい夢を見させてもらったのだから 世の中がそんなに甘くない事を教わるための 高い授業料を支払った位に受け止めていたのかもしれません。まあ私の父の場合 あくまで余裕のある範囲で 投資していましたので それ以降の生活には一切支障がなかったらしくて 幸いだったのかもしれません。
    株価の上がり下がりで 一喜一憂する人たちとは 全く住む世界が違うように感じておりますので 株価が暴落して 大損する人たちが増えても 全然興味がないし 無縁の生活の様に思います。只経済的ゆとりがなくなると ペットへの支出が減らされる確率は高いので 景気が良くて 株価が上昇傾向の方が 病院経営には有難いのかもしれません。ただ株の売買という 非生産的な行動で 儲けよう等と言うスケベ根性が私は大嫌いなので 株価が大きく下がって 損失を出した人に対しては 多少は小気味よく感じてしまう気持ちもないではありません。
    今回の株価の日本市場の暴落は アメリカの金利が上昇しそうな気配がある と言う事がきっかけに アメリカの株価が暴落したことが原因だそうです。下げ幅は有名なリーマンショックよりも大きかったみたいですから 日本だけではなくて アジアやヨーロッパの各国でも全面的に暴落しているのだそうです。リーマンショックが起こった時も 勿論日本も相当な不景気にかなりの期間陥りましたから 今回もまたある程度の期間不景気が続くとしたら 心配ではあります。やはり世の中の景気が良いと 周囲の人間に笑顔が増えるのでしょうから 病院経営にもいい影響があるのは間違いありません。
    株価の暴落で損失を出した方に 心からお見舞い申し上げるとともに 一日も早い景気回復を願っております。