Dr.喜作のブログ

2018年5月 の記事一覧

  • 5月21日 二日続けて全然知られていない記念日の話ですが 本日は日本で初めて小学校が開校された日なのだそうです

    1869年の本日、京都で日本最初の小学校の開校記念式が行われました。京都府は各町組(「町組」とは、道路をはさんで形成された町が集まって地域的に連合した自治組織のことなのだそうです。)に1校の小学校建設を計画し、最初の小学校として上京(かみぎょう)第二十七番組小学校と下京(しもぎょう)第十四番組小学校が開校しました。当初は 小学校とは 子供の教育の場であるとともに 公民館的な街の集会場みたいな意味合いもあったのだそうです。現在では 災害にあった時の避難場所として活躍している場合が多いみたいです。江戸時代には 寺子屋と言う小規模で私的な子供の教育の場がありましたが 近所の住民たちが寄付を集めて 先生たちも掻き集めて 何とか開校にこぎつけたのだそうです。
    そんな事情があるので 五月の下旬という中途半端な時期から 学校がスタートしたのだとしたら 何となくこの日が開校記念日とされているのもうなづけなくはありません。しかし各学校に創立記念日と言うのがありますが これは日本の場合四月に年度が改まりますから 四月から新学年がスタートするわけですから その時期に集中するはずなのに 結構好き勝手な時期に設定されています。私は昔から不思議に思っていましたが 創立記念日と言うのは 学校の創立を祈念する日 と言うだけの意味合いで 各学校が実際に創立された日やスタートを切った日と言う意味では全然ないのだそうです。
    ですから 各学校が決めた時期の先生方なのか 私立の学校なら経営と運営 を任されている 理事会辺りの人たちが 勝手に決めた日を 創立記念日と言われているのだそウです。ですから創立記念日は六月に多い と言うもっともらしいうわさがあるのだそうですが 創立記念日は 何故か学校がお休みになる場合が多いので 祝日のない六月に設定されている傾向があるのだとかないのだとかいうお話しです。別にこの説に根拠はないのだそうですが 統計を取ってみれば 確かに六月に設定している学校が一番多いのだそうですから あながち適当な作り話とは言えないのかもしれません。夏休みの最中の八月に設定されていたら 生徒からもひょっとしたら先生からも非難ごうごうになるのかもしれないと思います。
    自分たちの都合で勝手に決めた創立記念日なんかに 一体どのような意味があるのか 甚だ疑問に思いますが まあ私一人がそんな異議を申し立てたって 生徒や先生の誰一人として振り返ってももらえないのでしょう。私も学生やサラリーマンの時代には 理由なんてどうでもよくて 学校や会社を大っぴらにお休みできる日は 大歓迎でしたから お休みが増えても喜べない自営業者とは 根本的に立場や事情が異なるのでしょう。自営業者にしてみれば 一日仕事を休めば そのまま収入減につながるのですから とても手放しで喜べるような出来事ではないのです。
    いずれ 仕事を引退してしまえば 毎日が日曜日のご身分になるのですから これまた祝日だとかに対する興味は沸かないのだと思います。それどころか 祝日などで 一般国民がお休みになっている日には 何処へ出かけても混み合うし 料金設定が高くなっていたりもすることがありますから かえって祝日などは邪魔っ気に感じてしまうのかもしれません。
    取り敢えず話を 初めて小学校が開校された日に戻したいのですが 特にこれと言ったエピソードも思い浮かびませんので 本日も私のブログとしては短めですがこれで終了いたします。

  • 5月20日 本日はローマ字の日なのだそうです

    大正11年のこの日に「日本ローマ字会」が創立されたことを記念するもので、昭和30年に制定されました。私が生まれる前に制定されたのですから 六十年以上の歴史があり それなりに権威がありそうな記念日ですが そんな記念日がある事すらご存知ない方が殆どだと思います。ローマ字を習ったのは 小学校の三年か四年生の頃だったように思います。当時は勿論英語の授業など無いので 確かローマ字帳と言う四本線が引かれたノートを購入して 国語の授業で習ったように思います。習ったのはいいけれども 殆ど使う機会がないままに数十年が過ぎてから キーボードでパソコンなどに 日本語を入力するときには普通の方はローマ字入力していると思いますから このブログは勿論 ネットで何かについて検索するときなどにも ローマ字はかなり頻繁に使用している かなり重要な文字だと思います。
    その為か小学校で習う学年が少し繰り上がったとかいう話を以前に聞いたことがあります。現在の小学生は 生まれた時からパソコンが身近にあったはずですから インターネットと接するのも小さな子供の頃かもしれませんので 学校で習うよりも以前から ローマ字と慣れ親しんでいるのかもしれません。
    以前に仲の良かった友達が システムエンジニアというお仕事をされていましたが キーボードを扱うのがお仕事の為 その類の人たちは ローマ字入力ではなくて ひらがな入力を主にされているのだそうです。言われてみれば 確かにひらがな入力の場合 一文字を打つのにキーボードを一回たたけばしまいですがローマ字入力の場合 子音と母音を二回たたかねばなりませんから プロの方にとっては能率が全然違うのだそうです。
    私はこのブログをアップするのがかなり遅れ気味ですが 基本的には出来るだけ毎日書こうと思っておりますので 毎日毎日打ち込んだ文字数のほぼ二倍の数キーボードをたたいていることになります。昔年金を扱う役所で その怠慢ぶりが明らかになり 世間の非難を浴びていましたが 健康のために一日に叩いていいキーボードの数が制限されていました。そんな腐った役所が無くなったことは 喜ばしいのですが そこで働いていた奴らが 職を失って路頭に迷った と言う話は全然聴きませんでしたから 結局は似たような他の役所に配置換えされただけで 現在もそんなたるみきった態度で仕事をして のうのうと給料をもらっているのだと思うと 反吐が出そうになってしまいます。公務員と言うのは 頑張ったところで 下手に目立ってしまうと 上から睨まれるだけだし 目に余るほどにはサボっていなければ黙っていてもお給料がもらえる本当にお気楽なお仕事で羨ましい限りです。
    私たち自営業は 頑張ったら頑張ったなりに 収入が増えますが 私たちの仕事の場合 頑張りたくても患者さんが来院してくれなければ 頑張りようがありません。患者さんが来なければ 収入が全くない事もありうるのです。うちの病院は はっきり言って評判のいい病院ではありません。私が飼い主さんに対して 勿論正論なのですが 言われた方にしてみれば 腹の立つ内容をズケズケと言ってしまうからかもしれませんが 別に望んでそうなったわけではありませんが 評判は頗るよくありません。その為に患者さんの数は少なくて その分暇なので こんなブログをせっせと書き込みしているのかもしれません。でもまあ老後を奥様と二人で そこそこ優雅に過ごせるだけの蓄えは既にできていますので これ以上の収入は望みませんし 仕事も適当に入ってくれれば それ程疲れずにこなしていきますから 丁度良いぐらいの忙しさだと思っております。
    ローマ字の日と言う 全然国民に認知されていない記念日については 特にエピソードが思いつきませんので いつもよりも短めですが 本日はこれまでとさせていただきます。

  • 5月19日 1560年の本日 織田信長が今川義元を桶狭間で討ち取りました。

    この事件は 信長を語るうえで 凄く重要なエピソードですから ご存知ない日本人はいらっしゃらないと思いますが 客観的に見るととんでもないどんでん返しが起こったのです。オリンピックのサッカーで日本がブラジルに勝ってしまったマイアミの奇蹟や ラグビーの前回ワールドカップで日本が南アフリカに勝利した事 どころではない大ドンデン返しなのです。当時は その大名の勢力は 石高即ちコメの生産量で 数字的にある程度判断できました。石高が多ければそれだけ 経済的な基盤が強いので 当然兵士の動員力にも反映されます。
    桶狭間の合戦の時の兵士の数は 諸説ありますが 義元が三~四万人 信長が二~四千人と言われていますから 義元は信長の十倍くらいの兵力を抱えていたのです。正面からぶつかり合えば 百パーセント間違いなく義元が勝利したはずです。ただ信長は自分の領地に侵入されていましたから 地理や地形に明るかったし 普段から張っている情報網もあったでしょうし その上天候も激しい雨降りで視界が悪くなるなどの 条件がすべて信長に幸いして 信長は義元の首を取る事だけを目的として戦った事もよかったのでしょうが 奇跡的な勝利を収めました。
    当時義元には 明確で有力な後継ぎがいなかったこともあり 大将を失ってしまうと 後は只の寄せ集め軍団に一変してしまいますから 数の上では圧倒していた義元軍が ちりちりバラバラになって敗走していったのです。義元の直属の軍隊も勿論そこそこいたはずですが 所謂親衛隊が義元を守ろうとして 取り囲んでしまったことが 信長軍にとっては 目標を分り易くしてしまったことで 災いしたとも言われています。それ以外の兵士たちは義元と主従関係を結んでいる家来が引き連れた兵士なので 義元が討ち取られた瞬間に その結束のタガが外れてしまったのは しょうが無い事かもしれません。この合戦後 義元の大きな領地は あっと言う間に北条 武田 そして義元軍に加わっていた 徳川に取り分けられて 由緒正しい今川家は消滅してしまいました。まあ戦国時代としては珍しい事件でもなかったのかもしれません。
    歴史にたらればは 禁物ですが 桶狭間の合戦で義元が討ち取られていなかったら 後の徳川幕府なんて絶対にありえなかったはずなのです。つまり信長は後々徳川時代になる切っ掛けづくりの舞台で大活躍してしまったと言えるのかもしれません。穿った見方をすれば 秀吉が一旦日本をほぼその勢力下におさめたことも 関ヶ原の合戦で たった一日で徳川の世の中を作り上げるための土台作りだったと言えるのかもしれません。結局は 勝ち残ったものが正義なのかもしれませんから この三人が戦国時代に果たした役割は その後数百年続く徳川時代の基礎を作り上げるための準備だったのかもしれません。
    信長としては この一戦での勝利によって 一気に全国にその名前を知らしめた訳だし 家来たちの結束力が大幅に上がったはずです。ただ信長が常人でなかった凄い点は 凡人は自分が若い頃にしでかした 奇跡的勝利に 浮かれて自信過剰になってしまい その後の合戦でもまた 奇跡的な大勝利を夢見て作戦を立ててしまう場合が多いのですが 信長は そんな奇蹟的な事等人生に一度きりと考えて 合戦をする場合 その下準備 合戦場の地理や気候をよく調べ上げて 調略などで敵軍に裏切り者を作って 戦力を低下させ 絶対に勝てるまでの戦力を確保するなどの周到な準備を重ねてから 一気に合戦を始めて あっと言う間に勝利を収めていったのです。まあそんな細かい所にまで気配りのできる信長が 家来の光秀に対する配慮に欠けてしまって 後には裏切りにあって 討ち取られるのですから 皮肉な結末です。
    とにかく この日の合戦は日本の歴史の大きなターニングポイントとなりましたから 歴史好きの方としては 覚えておくべき一日なのかもしれません。

  • 5月18日 「あっぱりしゃん」と言うお店に下見に出かけました

    来る六月十日に 一つ目の大学の時に所属していた合唱団の 現在何故か枚方に住んでいるメンバーで集まる食事会を開きます。一回目は一昨年の秋に 私が言いだしっぺでやってみました。その時は言い出した私が 自然に幹事役を務めました。皆の都合を確認して 日程を決めて 集まるお店を決めて予約してと頑張りました。その時には 枚方に住んでいる私を含めて四人と 奈良に住んでいる親友を呼び出して参加してもらいました。
    その集まった時に 次回の幹事役を別の方にお願いしたのですが その方が多忙で幹事を務めるのはしんどい と仰ったので 仕方なくまた私がしゃしゃり出て 旗振り役を務めることになりました。五月はゴールデンウィークがありますから 皆さんその時に予定を集めるだろうし それなりに出費もかさむだろうという事で 六月に集まることを提案しました。日曜日のお昼が 女性の方もいらっしゃるので外出しやすいという事で 前回も日曜日のお昼に集まりましたので 今回もまた日曜日のお昼にと言う事で参加者のご希望を尋ねた結果 六月十日が一番集まり易い と言う事になりましたので 日取りがまず決定しました。
    お店としては 取り敢えず枚方市駅の近所が集まり易いであろうと その辺りにエリアを絞って 探しました。最初に候補にあがったのは駅のすぐ前にあるT-サイトと言う建物の最上階にあるイタリア料理のお店でした。そこだと今の季節は ベランダでBBQが楽しめる と言う事なのでみんなでワイワイとBBQをしながら 楽しく食事が出来そうに思いました。所がそのベランダは 屋根が全然ないので もし天気が雨降りの場合や 強風の時には 室内のテーブルで BBQの素材をキッチンで焼いてくれたものが運ばれてくる形になるのだそうです。
    屋内で食べても 料金は同じなのですから 楽しみが半減してしまい 何か損した気分になりそうです。ましてや六月の十日だと まだ梅雨入りはしていないと思いますが 雨の降る確率は低くはないように思います。更には T-サイトに入っているお店は 相対的にコストパフォーマンスが凄く悪いと評判です。もしベランダで たのしくBBQが楽しめることが保障されていたとしても 料金設定がかなり割高に感じていましたが もし屋内で食べるのなら 「このお店に決めた幹事は何を考えているのや」と非難の声が上がりそうな料金なのです。 
    そこで他のお店を探していましたら見つかったのが 沖縄料理の「あっぱりしゃん」と言うお店でした。市駅からは 少し離れていますが まあのんびり歩いても10分はかからない場所にありますから 許容範囲内でしょう。そのお店は 普段は夕方からの営業ですが 十人以上で予約を入れると 特別にお昼からでも お店を開けてくれるのだそうですから 逆にいうと貸切状態で 静かに食事が楽しめそうなのです。今回は頑張って来てくれそうなメンバーに声をかけて 何とか現在の所十一人が 参加してくれそうです。もし一人位ドタキャンが入っても 何とか十人は確保できそうなので このお店が有力候補として浮上してきました。
    色んなコースが設定されていますが 女子会コースと言うのが 一番食べ易そうで ヘルシーな料理が並んでいましたので 男性も混じっているけれど予約できるのか確認した所 半数以上が女性であるのなら予約を受けるけれど 男性は料金が1000円高くなるのだそうです。飲み放題もついていますから 男性の方が沢山飲み物を注文するからかもしれませんので 致し方のない事でしょう。沖縄料理は 時々癖が強くて食べづらい場合がありますので 念のために試食してみようと 本日病院を閉めてから 奥様と二人で出かけてみたわけです。一応前日までに要予約となっていましたので 昨日予約を電話を入れておきました。
    夜の八時半ごろに お店に到着しましたが 金曜日の夜だからかもしれませんが お店はほぼ満員で かなり賑やかに盛り上がっていました。二人だったのでカウンターの席に案内されましたが 目の前でお酒をを作っているお姉さんが 非常にきれいな方でしたので ラッキーだったような気がします。飲み放題がついているので 勿論アルコール類も頼めますが 私は沖縄の雰囲気を味わいたかったので まずはサンピン茶を頼みました。アルコール類は 勿論ビールからウイスキー、泡盛もかなりの種類が頼めますし チューハイやカクテルも種類が豊富なので 遠慮しないでお酒を頼むように奥様に言いましたが このところ体調がすぐれないので と言う事でマンゴージュースを注文されました。
    料理は前菜から 順序良くスムーズに運ばれてきます。チャンプルーは具材を選べました。ゴーヤが一番有名ですが 食べたことがあるし ソーメンやお麩のチャンプルーも食べたことがあったので 名前だけ聞いたことがある人参しりしりと言う料理を注文してみました。想像していたよりも お汁がたっぷりで しっとりとして美味しかったです。その他の料理もテンポよく運ばれてきて どれも美味しかったです。メインの料理としてはアグーブタのせいろ蒸しを頼んでみましたが カウンターでIHヒーターで全く火の通っていない状態から蒸しますので 結構待たされた感がありました。まあお酒を飲む方にしたら 丁度良いインターバルだったのかもしれません。私と奥様はどちらもお喋りなので くっちゃべっている間に蒸し上がりましたから 別に退屈はしませんでした。
    〆のデザートは ブルーシールアイス と言う沖縄では定番のアイスクリームが食べ放題なので 私と奥様は 何と三種類ずつ頼んでしまいました。かなりいろんな味の種類があり そのどれもが美味しかったです。以前は時々沖縄や石垣島に旅行に出かけていましたが 南の島が移住先の候補から外れてからは 足が遠のいていましたので 久し振りに沖縄のお料理を頂きましたが とても美味しかったです。この料理と 料金なら 食事会に集まって頂いた方にも 満足してもらえそうに思いましたので このお店に決定しました。
    早速みんなにメールで お店の名前と料金をお知らせしようと思います。詳しい場所などは 各自でネットでお店のホームページを閲覧してもらえますから 便利な世の中になりました。一応食事会の下見のために出かけたという名目でしたが 奥様と二人で美味しい料理をたっぷりと頂き 楽しい時間が過ごせましたし その上お店が決定できましたから 有意義な一夜となりました。

  • 5月17日 西城秀樹さんが63歳で亡くなられました

    西城さんは 私が中高生の頃に新御三家と言われて 野口五郎さん 郷ひろみさんと並んでトップアイドルでした。西城さんは すらっとして背が高いし運動能力も高そうですから 筋肉質の引き締まった体をしておられます。にも拘らず これまでにも二度脳梗塞を起こしていました。今回も結局は心不全で亡くなられていますから 心臓を患っている私としては すこぶる心配な事の経緯です。私はこのブログで何度も書いておりますが 不正脈と言う心臓病を患っております。太っていますから 当然高血圧の傾向もあります。
    病院から投薬された薬を 出来るだけきちんと服用していますし 普段の食事で塩分については 十分に気を付けていますから 血圧の方は何とかコントロールできているつもりですが 不整脈があるという事は心臓が不自然な動き方をしているわけですから どうしても血液の流れにスムーズを欠きますので 血栓ができやすい状態が続いています。その為にワーファリンと言う血液をサラサラにして 血栓ができにくくする薬を恐らく死ぬまで飲み続けなければなりません。その為に 好物の納豆をもう十年以上も食べられない生活をしています。
    まあ納豆が食べられない事等は どうでもいい事ですが 主治医の先生から [あなたは恐らく脳梗塞で死ぬでしょう」と予言されていますから キチンと処方された薬を内服していても いずれは脳梗塞を起こしてしまうのだろうと覚悟しております。西城さんは スマートだし アクティブなステージを披露して来られた方ですから 運動も十分にされていたでしょうに 若くして軽い脳梗塞を発症されたのですから もともと心疾患と縁の切れない体質に生まれついておられたのかもしれません。
    私は 今の所 一応元気で普通に生活できていますが 何時そんな病気を発症するか分りません。更に私は 糖尿病まで抱えていますから どちらにしてもこの先ろくでもない事ばかりが待ち受けている人生だと覚悟しております。只人間一病息災 と言う言葉がありますが 私の場合 不整脈と糖尿病という二つの厄介な病気を抱えておりますので 定期的に病院にかかって検査を受けております。現在の所 不整脈も糖尿病も それなりに辛抱する生活を心掛けておりますので そこそこの状態にコントロールできているみたいです。
    私は今年の目標を 若い女性みたいで恥ずかしいのですが 減量にしました。今更スマートになって 女性にもてたいと全く考えていないと言えばうそになるのかもしれませんが 体重を減少させることが 心臓病にも糖尿病にも いい方向に作用してくれることは間違いありません。私はあと数日で誕生日を迎えてしまいますから ついに還暦を突破してしまいます。この歳になったら 後は望むことは元気で長生きする事しかありません。今更偉くなりたくもありませんし 注目されたり尊敬されたりすることも かえって面倒なだけの様に思えますから その方面での成功も望みません。奥さんと二人で そこそこ優雅に老後を過ごせるだけの蓄えはほぼできていますので これ以上のお金も望むつもりもありません。
    後はぴんぴんコロリで 死の直前まで元気に普通に生活していて 死の病を発症したら 長引かせずにコロリと死んでしまいたいのが 最後の望みです。現在そして過去十数年 そしてこれから恐らくは死ぬまで奥様に迷惑をかけっぱなしの生活ですので 最後ぐらいは 迷惑をかけずに逝きたいので くれぐれも延命治療など一切しないように 病院に十分に自分の気持ちを伝えておきたいと考えております。西城さんの場合 子供さんがまだ小さいので 私の様にこの世に未練が殆どないわけではなかったでしょうが それなりに覚悟はしておられたのでしょうから 入院生活があまり長引かずに最期を迎えられたのは よかったのかもしれません。
    最近では 私よりも若くして亡くなられる方のニュースにもさほど驚かなくなってしまいましたが 西城さんは 私の青春時代にもろに重なっているアイドルなので 亡くなられた それも心臓病で と言うのが心に突き刺さりました。奥さんやこどもさんを残してでしたから 勿論現世に未練はあったでしょうが アイドル歌手として人気の頂点を極められたような人生でしたし その後も歌手としての表舞台に立ち続けてこられたのですから 凄く充実した 幸福な人生だったでしょうから そういう面では達成感をもっておられたのではないでしょうか。私もすぐに同じ年齢になってしまいますので 無事にその年齢を過ごせることを祈るばかりです。 最後になりましたが 西條秀樹さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

  • 5月16日 大阪の図書館で 自習が解禁になるのだそうです

    私は知りませんでしたが 実はここ数十年間 大阪の公立の図書館での自習は 禁止されていたのだそうです。勿論 自習に出かけて行って 追い返されることはなかったのだそうですが 表立っては受け入れないのが建前になっていたのだそうです。本来図書館の机といすは 図書館に本を借りに来た人が 一応内容の確認にページを開いて読んでみるための場所であるはずなのだそうです。ただ図書館の机に向い椅子に座ると 自ずと姿勢が正されて 気合が入って勉学に集中できるように思います。
    人間は 弱い生き物ですから 自分の部屋で どんなに気合いを入れて勉強をしようと決意して机に向かっても すぐ後ろにはベッドがあり ステレオがあり 雑誌や漫画本がありますから ついついゴロンと寝転がったり おきにいりの音楽を流してみたり 雑誌を手に取ってみたりと 誘惑が周りに溢れているのです。喉が渇けば 台所に行って飲み物とついでにお菓子でも持ち込んでしまうと 勉強に対する集中力が 相当に落ち込んでしまいます。
    図書館の 静かだけど何となく落ち着ける そして張りつめた雰囲気と 周囲の人間が 勿論立場や目的がそれぞれ異なりますから 勉強している内容は 様々でしょうけれども 例えば司法試験を目指して頑張っている人や 大学受験に向けて勉強している受験生や 種々の資格を取るための試験への準備のための勉強に取り組んでいる人など 種々雑多な人たちが それぞれに己の目標の為に集中して勉強に真剣に取り組んでいるのです。集中力が途切れて 怠けたりだらけたりしたくなっても 周囲の人間が真剣に勉学に取り組んでいる姿勢を間近に見ると とても怠けたりだらけたりしていられませんから 勉強の能率がかなり高くなるような気がします・
    私は会社勤めを辞めてから 一年間受験勉強をやり直して 獣医学科を受験し直して 現在何とか獣医師としての仕事に取り組んでいます。高校を卒業してから十年近くが経過していましたから 受験勉強をやり直すにしても まずはその時期に使われている教科書を揃える所から始めなければなりません。大学の同期のや先輩後輩で高校の先生をしているものと連絡を取り まずは教科書を入手しました。今更予備校に通うのは 年齢的にも 費用の面からも抵抗がありましたので 基本的には自分で受験日までに合格できる力を身に付けるための準備をするスケジュールを組んで ひたすら自分だけの力で勉強し直しました。
    私は本番に弱い 腰抜け野郎でしたから とにかく試験の雰囲気に慣れてしまおうと ありとあらゆる模擬試験を受けまくりました。勿論受験のための模擬試験ですから 志望校を書いて その合格率の判定を貰いました。受験勉強を始めてから 割と短期間で 岐阜大学農学部獣医学科一本に志望校を絞りました。一年足らずの間で 二十回以上模擬試験を受けてみました。共通一次試験と二次試験と両方をほぼ半数ずつ受けましたが 合格判定は 全てA判定を大幅に上回る点数で 極普通の状態で普通に問題が融ければ 合格まちがいなしと言う判定を貰いましたから 安心して本番も受験できましたし あっさりと合格できました。
    日頃の勉強は 家から自転車で十五分位の所にある図書室の自習室で半分以上行いました。何しろ交野市の中でもかなり田舎の地区にある図書館なので 午前中は 私以外は利用者が誰もいません。午後になると 子供を遊ばせるスペースが設けられていましたので 近所の幼い子供がお母さんに連れられて遊びに来るぐらいでした。高校の定期試験の前になると 近所の高校の女の子たちがたまに勉強しにやってくるぐらいで 自習室は殆ど私だけの勉強室の様になっていました。
    別に 自宅の自室で勉強してもよかったのですが やはりすぐにだらけてしまい 能率が上がりませんでしたので そんなほとんど私以外はいない自習室で勉強を頑張りました。それなりに効果的な勉強が出来ましたから 合格できたように思います。一度だけ中之島図書館の自習室を利用したことがありますが 交通費がかかるし 非常に混み合っていて実際に利用できるまでに結構待たされましたので 一度だけで止めましたが 相当な緊張感がある雰囲気でしたから 間違いなく効率的な勉強は出来たように思います。
    何時の時代にも 目標を持って試験勉強に励む人たちは沢山いるはずですから 図書館の自習室を利用したい人も多いのだと思いますから 一応表立って自習室を試験勉強に利用できるようになったのは いい事かもしれません。ただ図書館の基本的な目的は 蔵書を貸し出す事ですから 借りる本の内容を確認するために使用する机といすが 自習する人のために占領されてしまっていたら 本末転倒になってしまうのかもしれませんから 現実的には デリケートな問題で どちらが正解なのかわかりません。本を借りる人が机を利用するのはのは ごく僅かでしょうし 立派な机といすを有効に活用するためには 自習する人に利用を認めるのは いい事なのかもしれません。 
    まあ私がこれから 自習室をを利用することはないでしょうから 直接関わりがない問題でしょうから あんまり難しく考えて こだわるのは止めにしておきます。

  • 5月15日 日本人は ギャンブル好きなのだそうです

    何でも日本全国のパチンコ屋さんの売り上げは ラスベガスの総売り上げよりも多いのだそうです。まあパチンコ屋さんが全国で何軒ぐらいあるのか知りませんが 相当な数になるのでしょうしその売り上げが莫大な金額になるのは 頷けない事ではありません。ギャンブルには ほとんど縁のない生活をしている私ですが 一つ目の大学時代には 結構パチンコを暇つぶしの楽しみとして利用していました。当時はまだ電動式の打ち出しではなくて 自分でレバーをはじいて球を打ち出していました。ですから自分のタイミングでのんびりと少しずつ打ち出したり 間隔を積めてまとめて打ち出したりと 自分の好みのペースで球が打ち出せました。当時は現在のような台によって 画面があってキャラクターがあって 独特のかなり複雑な仕掛けなどがありませんでした。
    球が 枠内に入ると チューリップが開いて 次の球が入り易くなる位の仕掛けしかありませんでした。チューリップが開いている時に 二つの球を同時に入れると またチューリップが開いた状態になるので 私はチューリップが開くと 球を打ち出す間隔を縮めて 出来るだけ同時に球がチューリップの中に入ることを狙って球を弾いておりました。高校は公立の高校で 別にお坊ちゃん高校ではありませんでしたが そこそこの進学校だったので トイレにたばこの吸い殻が落ちているぐらいで 大騒ぎをする高校でしたから 高校生の時には パチンコ屋さんに出入りしたことはありませんでしたが、大学生になってからは 暇つぶしに時々遊んでしました。
    当時は 嫌煙権なんて微塵も存在していませんでしたから たばこの煙が鬱陶しかったけれど 誰も文句を言いませんでした。たばこの吸い殻の溜まっている台は 誰かが長時間売っていたわけですから 球が出る可能性が高いので わざわざ煙草の吸殻が溜まっている台を狙って選んでいたように思います。それから入口に近い所は 通りがかった人が 球が沢山出ているのを見て 入ろうかなと思うので 比較的設定が甘くしてあるので 出易い台が多いという噂を信じて 落ち着かないけれども入口近辺の台を選んだりもしていました。
    とにかくパチンコ屋さんと言うのは 出入りするのにハードルが低くて 二十歳前後の若造でも 女性でも簡単に参加できました。客観的に考えるとパチンコ屋さんは 相当に儲けの大きい商売なのだそうですから その分お客さんがトータルして考えれば負けているのは 間違いないのですが 人間負けて悔しい思いや 現実に損したことはすぐに忘れてしまいますが たまに勝った時の嬉しい印象が何時までも残るので ついついまた勝てそうな気がして パチンコ屋さんに入ってしまいます。
    昔から パチプロ と言う職業の方がいらっしゃるのだそうですから その道を究めれば 常勝の可能性もあるのかもしれませんが まず素人は 極たまに勝った時の印象に引きずられては 負けて損することを繰り返しているから パチンコ屋さんが大いに繁盛して 大儲けしているのでしょう。何しろパチンコ屋さんは 夜の派手なネオンにかかる電気代だけで月に百万円以上かけている店が殆どなのだそうですから それだけ大きな利益が出ている 即ちお客さんが負けているのは 間違いない事だと気付いてからは キッパリとパチンコ屋さんと縁が切れました。
    私は競馬には 全く縁がありませんでしたが 馬券の買い方として 狙い馬を三頭 四頭に絞って 三点買いやボックス買いをするのが一般的らしいのですが その中で当たっているのは一通りしかないのですから 最初から当たり馬券以外のはずれ馬券を相当数に買っているのです。結果としては 例え当たり馬券を買えていたとしても お金の出入りを考えたら そんなに大きなプラスにはならないように思います。勿論当たり馬券を買えないときも多々あるのでしょうから そんな時には丸損するわけですから 到底競馬でトータルに考えて 大儲けなんてできるはずがない様に思えて 全くギャンブルとしての興味が湧きません。
    私が現在でも 時々関わり合いを持つことがあるのが 宝くじです。宝くじもある意味公営ギャンブルみたいなものですから 購入金額の相当な割合を税金に持って行かれているはずですから 儲かる確率は 決して高くはないはずですが 要するに当選番号を確認するまでの ワクワク感にお金を支払っているような気がします。もし一等の数億円が当たったらどうしようかと 妄想するのにお金を支払っているようなものです。一等が当選する確率は 限りなくゼロに近いのですが 買わなければ全くのゼロですから そこの違いは大きいと思います。十枚ずつ販売されていますが 連番とバラがありまして 私はいつもバラを買います。何故なら当選番号表を見て当たり外れの確認をするのに 面倒ではありますが 全て外れを確認するまで時間がかかる分 楽しい時間を長引かせることが出来るからです。
    宝くじは ちょくちょく購入していますが 一度も千円以上の当選をしたことがありませんが あくまでワクワクできる気持ちに対する代金だと思っていますので これからも機会があれば とは言っても年に一回が良い所ですが 買い続けるだろうと思います。人生にはやはり そんな夢を見れる時間が必要だと思います。
    まあパチンコも競馬も競輪 競艇などのギャンブルに人が熱狂するのは やっぱり短い間でも楽しい夢を見たい気持ちがあるからだと思います。ギャンブルにはまってしまって 人生を棒に振ってしまう人もたまに這いますが それはあくまで個人の責任によるものだと思いますから 私は日本にカジノが出来ることに反対ではありません。当然カジノの経営者が儲かって そこに通う人が損をする図式は変わらないのでしょうが かなりの金額が税金として納められれば 日本の国自体が少しでも豊かになるのでしょうから 大いにカジノが繁盛してもらいたいと 私は思います。ギャンブル万歳です。 

  • 5月14日 1957年の本日 古尾谷正人さんが誕生されました

    古尾谷さんは 私と同じ年の生まれで 誕生日も十日ほどしか違いませんから ちょくちょく自分の人生と重ねあわせて 比較したりしていた方でした。私は初めて古尾谷さんの知ったドラマは 81年に放送された「キッド」と言う刑事ドラマでした。主演の堺正章さんが演じる通称キッドの相棒として若手の刑事を演じておられました。連続ドラマに重要な役所で出演されるのは 殆ど始めてだったように思いますが キッドに振り回されて 途惑ってしまう若手刑事を上手に演じておられました。その時は 役者としての実績にも乏しいし 年齢もまだ若かったので コミカルな役どころを巧みに演じていたように思います。
    その後は ご本人自身が インタビューなどを見てもかなり硬派な方みたいで 割と真面目でいかつい人物の役を好演されていたように思います。すらっと背が高くて 男前ですから 直ぐに人気が出たのだと思います。演技力もかなりあったように思いますから 凄く沢山のドラマに かなり幅広い役柄で 出演されていたように思いますから かなり頻繁にテレビに登場されていた時期がありました。私が一番印象に残っている作品は映画「ヒポクラテスたち」です。医学部の六年生が 各科を研修で順番に回っている姿を描いた作品です。
    映画を見た時には 何も感じませんでしたが 今になってキャストに並んだ役者さんの名前を見ると かなり豪華な顔ぶれだと思います。続編が作られる話もありましたが 出演していた役者さんが 多忙になりキャスティングが出来なかったのだそうです。私がこの映画の中で 一番好きなセリフは 野球を凄く頑張っている学生が「俺は 打って守って走ってと 三拍子そろった医者になる」というものです。私たち獣医師は 外科から内科 小児科も産婦人科も対応しなければなりませんし、診察する動物も 犬猫ばかりではなくて 魚や爬虫類 鳥と多岐にわたっていますから 得意分野に拘らず 色んなことにチャレンジして 技術を磨いていきたいので 私の目標としている言葉でもあります。
    ほんの一場面の出演でしたが 強烈なインパクトを受けた演技が 「北の国から、初恋」の最後のシーンで 純を東京へ送っていくトラックの運転手を演じている場面です。五郎さんから運び賃として受け取った泥のついた一万円札を 「自分には受け取れないから 一生大事に持っていてお守りにしろ」と言うセリフが 少し表現は違うかもしれないですが 感動的でした。その泥のついた一万円は その次の放送で 重要なアイテムとなりましたが その事を予感させるぐらいの 説得力のある演技だったように思います。
    出演されたドラマは 凄く広いジャンルにわたっていて それだけ役者としての奥行きがある と言うか 引き出しを沢山持っている有能な俳優さんだと思いますが 逆に器用貧乏みたいな面があったからなのかもしれませんが 古尾谷さんの代表作 と言われても 直ぐにこれだと思い当たる作品が無いように思います。古尾谷さん自身の性格からすると 硬派で厚みのある役柄を演じることに拘りたかったのかもしれませんが その役柄に拘ったことが 不幸の始まりだったのかもしれません。
    役柄に拘り 仕事を選ぶようになると 実績をかなり積んでいましたから それなりにギャラのランクも跳ね上がっていたらしくて プロデュサーとしたら 扱い辛い役者さんとして認識されてしまったようで 仕事のオファー自体が激減してしまったみたいです。働き盛りなのに 仕事が無くて 昼間から 自宅で酒を飲んでは くだをまく生活になってしまったのだそうです。仕事が無くなれば 当然収入も無くなりますから 生活は困窮して 奥さんは 共演した女優さんでしたが 水商売で働いて 生活費や住宅ローンを賄っていたのだそうです。
    経済的に苦しくなっている時期に お父さんが亡くなり 遺産相続について 継母ともめて 裁判沙汰になっている最中に 自殺されてしまいました。45歳と言う 働き盛りの年齢で 役者として ルックスに恵まれていたし 演技力も幅広く持ち合わせていたし 奇麗な奥さんと可愛い子供が二人もいて 羨ましいぐらいの人生に どうして自分で幕引きをしたのか 私には見当がつきません。私の様に 見てくれが悪くて その上人間的にも問題があるので 辛く寂しい人生を送っているものからしたら なぜ自殺と言う選択肢に辿り着いてしまったのか 不思議で仕方がありません。
    役者として 当然自分が演じたい役柄や 作品に対する拘りがあるのは 当然だと思いますが 仕事ですから やりたくなくても 不本意であっても 受けなければならないことがあるのは当然だと思います。家族を養っていくためには 演じたくない役でも 受け入れなければ致し方なかったはずなのに 結局は 一番大切な家族に 寂しい思いや 悲しい思い 経済的な辛さを味あわせてしまったのですから 夫として 父親としては 褒められた人生ではなかったのかもしれません。
    芸能人で 若くて 凄くカッコいいうちに自殺された方として 思い浮かぶのは 田宮二郎さんと 沖雅也さんですが お二人とも主役を務める役者さんだから 当たり前ですが 凄くスタイルが良くて男前で羨ましい限りなのに どうして自殺と言う悲しい行為に走ってしまったのでしょう。二人とも他人には理解しがたいけれど どうしょうもない理由があったのだとは思いますが 私の様に 不細工な顔とズングリムックリのスタイルの男からみると 何で死なないかんかったのか 全く理解できません。もし私が そんな男前になれたら 若くてきれいなお姉ちゃんと ヤリまくってみたいと 還暦を迎えているのに思ってしまいます。
    古尾谷さんも 役者としての道を究めようとされた結果 仕事に譲れない拘りがあったからこそ 仕事が無くなり 貧すれば鈍するで 客観的に愚かな道を選んでしまわれたのですから 安易に批判は出来ないようにも思いますが やっぱり残されたご家族にすれば こだわりを捨てれば 仕事があったはずですから 死んでしまえば 自分は楽になれるかもしれませんが 周囲の人たちへの影響を考えて欲しかったと思います。私が一番大好きな落語家 桂枝雀さんも あまりに仕事に拘り過ぎてしまって 自殺されてしまいましたから その拘りが他人事としては カッコいいとも言えるのかもしれませんが やはり枝雀さんにも奥さんや子供さんがいたのですから 一番大切な人たちへの配慮に欠けていたように思います。
    この方たちと比べると 私の人生なんて 本当にとるに足らないようなものですが 大切な奥様を死ぬまで 守っていきたいと考えております。まあ 奥様に言わせると 奥様が私を守って支えてくれている と言う事になりそうですが ほぼ間違いなく その表現の方が適切であるように思います。

  • 5月12日 アメリカンフットボールの日大守備選手のプレーについて思う事

    アメリカンフットボールの選手は 凄くごっついプロテクターを装着して プレーをしています。私は身に付けたことがないのですが かなり重そうだし 慣れるまでは 凄く動きにくくて 相当なストレスのかかる装備であることは間違いないように思います。とは言ってもあのプロテクターは前面からかかる衝撃に対する防御のためのものですから あのラフプレーの様に真後ろから 腰を狙ったタックルに対しては 全くその体を守ってはくれなかったであろうと思います。
    スポーツの試合中は 勿論選手は凄い緊張状態にあります。緊張感を持っている状態であれば 不意を突かれて ダメージを受けたとしても そんなに大きくはなりません。只人間の緊張感がそんなに長時間継続することは不可能です。アメリカンフットボールは プレーが行われているオンタイムと 行われていないオフタイムがくっきりと分かれて 交互に繰り返される スポーツです。関学のQBが タックルを受けたのはパスを投げて 不成功に終わり 既にオフタイムになった瞬間ですから 作戦が上手くいかなかったこともあり 余計にガッカリして 力が抜けてしまっている瞬間に 腰に後ろから思いっきりタックルされたのですから その選手の被害が甚大になってしまっても致し方がないように思います。
    アメリカンフットボールと言うスポーツは 攻撃側 守備側十一人ずつの選手が 好き勝手に動いているように見えるかもしれませんが 殆ど全ての選手の動きは 予め決められた通りに動いているのです。ディフェンスバックの選手だけは 相手の攻撃パターンに応じて 対応をその場で考えて反応しているようなものですが 攻撃側の選手については 一人一人細かく動きが指定されているはずです。反則を犯した選手は QBを狙ってタックルをかけたのですから一応形としては QBサックをかけたのでしょうが 原則としてQBサックはQBが ボールを保持している間 パスを投げるまでの間にタックルをかけなければ そのプレーの効果はありません。
    守備側のチームとしては QBサックと言う守備行為は パスやランによる攻撃に対する守備要員から わざわざ一人を割いて サックと言う攻撃的な守備をするわけですから 勿論上手く決まれば攻撃チームが大きく地域をロスするわけですから 得るものは大きいのですが もし空振りに終わると ランなりパスなりの守備陣が一枚手薄になってしまっているわけですから 大きく前進されてしまう危険性も高いのです。いわばハイリスクハイリターンの守備陣形なのです。
    人間与えられた役割を果たすまでは 当然緊張感がありますがその後は 当然ホッと一息つく瞬間があります。その一番気を抜いている瞬間に 真後ろと言う見えない方向から 全力でタックルされてしまうのは 非常にダメージと恐怖を伴うプレーをされてしまいました。QBと言うポジションは 攻撃のかなめですから 一チームにそんなに何人もいないはずです。攻撃のパターンをその場の状況におうじて組み立てなければなりませんから それなりの経験も必要かもしれません。
    とにかく 攻撃を組み立てる中心選手ですから そのQBをゲーム中に負傷で失うのは チームの戦力が大きく低下してしまいますから 大きな痛手です。明らかにパスを投げた後の気を抜いた瞬間に全力でのタックルですから 最初からそのタイミングを狙っていなければ 出来ないように思います。このプレーに関して ヘッドコーチは関与を否定しているようですが これだけはっきりした反則行為の中でも特に危険とされているプレーですから まだ一学生に過ぎない選手の判断で 行えるとは考えられません。
    殆ど間違いなくヘッドコーチからの厳命によって 実行されたと考えるのが 自然だと思います。ラグビーやアメリカンフットボールではゲーム中に人だかりに埋もれてしまう事がちょくちょくありますが そんな時に審判に見えない所で殴られたり けられたりするプレーは殆どありません。もしそんなプレーをしたら 自分が人ごみに埋もれた時に 当然自分がやった以上に報復されてしまうからかもしれませんが 不思議と審判の全く目の届かない所でもフェアプレーが実践されているのだと思います。
    選手がフェアプレーを実践しようとしても アメリカンフットボールチームにおける ヘッドコーチの存在は大きくて その権限は絶大なんだと思いますから そのコーチから反則行為を求められて 恐らく断れば 全くそのゲームには勿論 今後の試合でも出場する機会が全く与えられないかもしれないわけですから その選手も拒否できなかったのかもしれません。実際に反則プレーを実行した選手こそがひょっとしたら 最大の被害者なのかもしれません。日大でそこそこ実績のあるアメフト選手なら アメフトで就職先が決まるのかもしれませんが こんな大騒ぎの張本人扱いされてしまっては とてもアメフト部に在籍してはいられないでしょうし 今後アメフトを続けていっても 常にあのとんでもない反則行為をした選手だ というレッテルは一生ついて回るのでしょうから 可哀想にも思えます。
    アメフトをやっている選手ですから 自分が命じられた反則行為が いかに悪質で危険な行為なのかは 勿論分っていたはずですが、絶大なる権力者ヘッドコーチの命令なら 逆らえなかったのかもしれません。でも やはりスポーツマンシップを思い出して フェアプレーの精神から 拒否することを選択していてほしかったように思いますが もし自分がその状況に追い込まれたとしたら 敢然と拒否できた自信はありません。兎に角一プレーヤーとヘッドコーチと言う立場からすると ヘッドコーチの申し出を断れなかったのですから これは典型的なパワハラにあたるのではないでしょうか。
    現実の被害者は 負傷した関学のQBであることは間違いありませんが 反則行為を強要された選手の 今後の選手生命を奪ってしまったのですから ヘッドコーチは厳罰に処されるべきだと思いますが 実際に裁かれた時には パワハラは犯した罪の大きさに比べて 刑罰が軽すぎるように感じます。スポーツ選手にとって一番大切なスポーツマンシップを踏みにじるような行為ですから ヘッドコーチ自身と任命した責任者位は 厳罰に処されて 二度とアメフト界とはつながりを持てないような厳罰が下される事を期待いたします。

  • 5月11日 柿の花が咲いているのを見つけました

    奥様の住んでいるアパートに 柿の木が一本植えられています。毎年秋になると見事な実をつけるので 何時も大家さんからのお裾分けで そこそこ立派な柿の実が幾つかビニール袋に入れてドアノブにかけてくれているのだそうです。身がなるからには 当然花が咲いて 咲いている間に虫が受粉してくれなければ 実がつかないはずですが 私は還暦を迎えるこの歳まで 柿の花を見たことがありませんでした。草間はそのアパートの住人ですから 毎日その木のすぐそばを歩いているわけですが 昨日たまたまその木の枝を見ていたら 無数に花らしきものが咲いているのに気づいたことを 今朝教えてもらいましたので 生まれて初めて 実際にその花を見ました。
    四枚の花弁が並んだ クリーム色の小さくて 割と地味な花でした。柿の実は かなり大きくて立派な姿をしていますから それなりに立派な花なのではないかと想像していましたが 実際には 葉っぱの陰に隠れて 目立たないようにひっそりと咲いていました。そしてその花の付け根には 柿の実にへばりついている四枚の葉っぱが 既にしっかりと形成されていました。恐らく花の脂肪の部分が 膨らんで立派な実に成長していくのでしょうが 早くもその葉っぱが出来上がっているのには かなり驚きました。私は柿の実があまり好きではありません。甘くて美味しいとは思いますが ぬるっとした感触が嫌いなのです。ですから自分でお金を出して 柿の実を買う事や 自らその身を包丁で皮を剥いて食べることは まずありません。
    ですが柿の実にへばりついている葉っぱが何時も四枚であることは 何となく記憶しています。その四枚の葉っぱが 花が咲いている時からその場に存在しているのは 何となく不思議な気がします。花は 虫たちが蜜を吸いに来てくれて 動き回ってくれることによって受粉するわけで 虫たちを集めるのには もう少し派手な色や形の方が 目立ちやすいように思います。葉っぱの陰に隠れてしまうような奥ゆかしい花の咲き方で 十分な受粉が出来るのかどうか心配になってしまいます。
    まあ虫たちの目が どれだけ色を識別できるのかどうか知りませんが それ程カラフルな色を細かく識別は恐らくできないであろうと思いますので 人間の目からみてからふるであるひつようはないのかもしれません。色や形が地味で目立たないのですから ひょっとしたら臭いや香りが 虫を引きつけるのかもしれないと考えて 花の匂いを嗅いでみましたが 取り立てていい香りも独特の臭いも感じられませんでした。まあ人間の嗅覚なんて 知れていますから 虫たちからすれば 柿の花には それなりに魅力的な香りが漂っているのかもしれません。鼻を観察している間にも アブのような虫が二匹飛んできて 蜜を吸いながら 花の中で動き回っていました。
    柿の木は 子供の頃に住んでいた団地のすぐ側にも何本も生えていました。物干し竿のようなものを使って まだ緑色の柿の実を枝から降り取って 齧ったことを覚えていますが 子供の頃の観察力では とてもこの小さくて地味な色の柿の花は見つけられなかったろうと思います。ひょっとしたら一生下記の花の色形を知らずにいたのかもしれませんが 奥様のおかげで一つ世界が広がりました。病院に戻ってから ネットで柿の花 と検索すると 沢山の写真が紹介されていましたが やはり目立たない花でも興味を持っておられる方が少なくないことが分り なかなか興味深かったです。今後も こんなさり気無い出会いがあれば 少しずつ人生が充実していきそうで 楽しみです。