Dr.喜作のブログ

2019年3月 の記事一覧

  • 3月18日 1954年の本日 因幡晃さんが誕生しました

    因幡晃さんと言っても 今のお若い方には 全然ピンとこないのかもしれません。でも彼の 失礼かもしれないけれど 唯一にして最大のヒット曲である「わかって下さい」を耳にしたら 相当に大きなインパクトがあるように思います。他にも「別涙(わかれ)」とか[忍冬(すいかずら)」など そこそこいい曲を発表されていますが やはりデビュー曲のインパクトが あまりに強すぎたからかもしれませんが ほとんどヒットしてはいないように思います。

    デビュー曲があまりに大当たりしてしまうと そのイメージが固定されてしまって 他の曲を歌っても それ程聞く人の心に響かない と言うケースは珍しくないのかもしれません。これがアイドル歌手だったら 固定ファンがそこそこの数ついてしまうと 曲の良しあしとは無関係に ファンが購入してくれますから そこそこのヒットが継続するのかもしれませんが オッサンが一人でギターを弾きながら地味に渋く歌いますから 曲自体にそれなりの魅力が無ければ ヒットには結びつかなかったのかもしれません。無論 因幡さんも歌手活動を数十年にわたって 継続されていましたから それほど多くはないのかもしれませんが 熱心なファンが応援されていたのだろうと思います。

    私自身は 人前に立つのが苦手なので 芸能界に憧れたことは一度もありませんが 歌手やお笑い芸人になりたいと言う夢を持つ友人がいたことはあります。実際にその夢にチャレンジしたのか 客観的に判断して 諦めてしまったのかまでは知りません。芸能界と言う所は 勿論その芸能についての才能に恵まれることが最低限の必要条件なのでしょうが 売れるのか売れないのか つまり有名になれるのかなれないのかは 運に左右される部分が かなり大きい様に思います。

    歌手の方で どんなに優れた歌唱力を持ち合わせていたとしても いい曲と巡り合えなければ ヒットしないのは 昔も今も変わらないのではないでしょうか。お笑い芸人で 特にリズムネタと言う分野がありますが 何かの切っ掛けそのリズムが流行してしまって ほんの一瞬引っ張りだこになって もてはやされるけれど そのギャグに飽きられたら 本来のお笑いの才能を持ち合わせていなければ つまりアドリブでウィットにとんだ洒落っ気のある受け答えが出来なければ あっと言う間に消え去っていく芸人は 少なからずいるように思います。勿論歌手でも たまたまヒットに恵まれて一曲あたっても 本来の歌手としての魅力が無ければ 次々に新しい人材が芽吹いてきますから すぐに居場所を奪われてしまいます。

    よく「一発屋」と言う表現が使われますが 歌手にしてもお笑い芸人にしても 一発も当らないうちに 諦めてしまう人の方が圧倒的に多いのでしょうから 例え一曲でも 一つのギャグでも 大当たりをして ほんの短い間でも 一世を風靡できれば 幸せなのかもしれません。ただその期間の栄光が忘れられなくて ずるずると芸能活動を続けて 人生が台無しになってしまうのだとしたら 全く当たらなくて さっさと別の人生を目指して歩き始めた方が 長い目で見たら その人にとっては幸せな人生だったのかもしれません。私は 自分が人気者になったことが一度もありませんから 大勢の人から注目されてもてはやされた経験が ありませんので そんないいおもいをしたことがありません。その魅力は 麻薬に様に人を虜にしてしまうのなら 芸能界と言うのは やっぱり恐ろしい所なのかもしれません。

    私はカラオケで時々「わかって下さい」を歌います。因幡さんの他の曲を何度か歌いましたが やっぱり歌っても満足感が今一なので 繰り返い歌う事はありません。因幡さんも 私たちの世代では「わかって下さい」と言う名曲とともに知らない人はいないと思います。発表されて 数十年が経っても 私の心の中では 高校生の頃に初めて聞いた時の感動が 鮮やかに蘇ります。そんな素晴らしい輝きをいつまでも失わないヒット曲に恵まれたのですから 因幡さんはきっととても幸せに恵まれた方なんだと思いますし歌手として歩んできた人生に 悔いはないと思います。

    私も 二度も大学を出るというかなり思い切った人生を歩んできましたから やりたい事を職業にできましたし 人気が出たり もてはやされた経験はありませんが 奥様と言う素晴らしいパートナーに巡り合えましたから 幸せな人生だったのかもしれません。もう長くないのかもしれない残りの人生を感謝しながら生きていこうと思います。

     

  • 3月16日  「おおいた暮らし塾イン大阪」に参加してまいりました

    最近のブログで 頻繁に登場しております 目下の所 移住先として最有力候補になっております 大分県杵築市の 移住セミナーが開かれましたので 参加してみました。昼に仕事が終わってから 大急ぎで出発して大阪駅の真ん前のビルに一時少し過ぎに到着しました。セミナーは一時から始まっていますので 会場に駆けつけて 受付を済ませて会議室の中に入りました。参加者がそこそこいましたので 中ほどの空いている椅子に腰かけ 話を聞き始めました。

    この企画には 大分県にある十と幾つかの市町村が 順番に参加するみたいなのですが 今回は杵築市と佐伯市が参加していました。初めに大分全般についての説明のようなものがあったみたいで 続いて佐伯市の方が登場して 佐伯市の魅力を紹介されていました。私はそもそも大分県事態にこれまであまり興味が無かったので知らなかったのですが佐伯市というのは 読み方が「さえき」なのだと思っていましたが 実は「さいき」と呼ぶのだという事を知り 勉強になりましたが あまり興味はそそられませんでした。

    続いて そこそこの年齢らしい 割ときれいなお姉さんが出てこられて 杵築市について語ってくれました。話の最初に その女性も三年ほど前のこの暮らし塾に参加してみて その一度で杵築市が気に入ってしまい その数か月後には 杵築市に移住してしまって 市役所の嘱託として働き始められたのだそうです。嘱託には期限があり 今年の三月一杯で その期限が来るのだそうですが その後も杵築で働きながら生活を続けるのだそうです。

    私は 杵築市についてその存在を知ったのも 最近の事です。移住先として大和ハウスの森林住宅と言うプロジェクトが 私の好みにマッチしそうだと考えていました。その森林住宅が たまたま大分県の杵築市に展開されていたので 杵築市と言う存在を知った位です。そのお姉さんの話の割と早い部分で 大和ハウスの森林住宅と言うプランがあり 経済的に余裕のある方には お薦めです、といきなり森林住宅の事が紹介されたのには 驚きました。

    杵築市は 海に面していますから 海産物が豊富で 安くて美味しいのが セールスポイントの一つです。私も訪問した時に 大和ハウスの案内してくれた担当者に お昼ご飯として 海鮮丼を御馳走になりましたが そこそこ安くて美味しかったです。小さなボートでも所有すれば 自分で有名な関サバや関アジを釣りに行けるのだそうです。大分県ですから 私はあまり魅力とは思いませんが 簡単に温泉が引けるのだそうです。瀬戸内式気候の地域ですから 温暖で雨が少ないし ミカンなどの果樹を二羽で育てるのも それほど難しくないのだそうで これはかなり魅力を感じます。

    お姉さんの杵築市についての説明が終わりましたので そこからは 幾つかのブースが設けられて 個別での相談が始まりました。個別なので 一時前に来場した人たちが 自分の相談したいブースに申し込みをしていました。その予定表を見ると ひとりが二十分位の見当で 既に二人が申し込まれていましたので 四十分ほど待たされそうです。夕方五時からまた仕事がありますので 杵築市の関係者らしきお姉さんに声をかけてみました。予約はしていないのだけど 仕事があるので 早めに相談を受けたいのだけれども と話すと その可愛らしいお姉さんと さっき杵築市の説明をしてくれたお姉さん 二人が相手をしましょうと準備して机を並べてくれました。

    そこで 先日大和ハウスの森林住宅を下見に来たことを話すと こちらの積極性を理解してもらえたみたいで 喜んでもらえました。私が枚方で 動物病院を経営していると知らせると 是非杵築で開業してほしいので お越し願いたい等と まあおべんちゃら半分でしょうが 言われてしまい 可愛らしい女の子の歓迎します と言う対応に思わずにやけてしまいました。先日相談した友人からも 移住先で獣医師としての特技を生かすべきだとすすめられました。私は何も 耄碌して獣医師として働けないから 引退をするわけではないし あまり耄碌してしまってからでは 引退生活を楽しめないように考えて 早目の引退を考えているわけですから 移住先の家を 設計段階から 外来で簡単な診察と治療が出来るように しておけば 完全な無収入生活にはならずに済むのかもしれませんから 経済的に考えても安心なのかもしれません。

    大和ハウスの下見した物件には そこそこ魅力的な物件がありましたが 何しろ大和ハウスが企画したプランなので 建築会社が大和ハウス一択なので かなりのぼったくり価格を提示されそうで そこが唯一二の足を踏んでいる理由なのです。そこで杵築市の移住担当者に相談して 広めの敷地付きの中古の物件を買取 自分好みの家を建てるプランを対抗策として用意すれば 大和ハウスに対しての 値切る材料になりはしないかと 考えています。勿論そちらで本気で気に入った物件が あればそのプランを実行しても構わないのでしょうから 取り敢えずは選択肢を広げるためにと考えて 本日参加したことまで その担当者の若くてかわいらしいお姉さんに話してしまいました。

    勿論そのお姉さんは 私の意図を理解しても 気を悪くしたそぶりは見せないで どちらにしても杵築市に移住してくれるのなら 全力でサポートしますと 言ってくれました。取り敢えずは 中古物件を具体的に紹介するために 「空き家バンク」に登録することをすすめられましたので 申し込みの書類に記入して 帰りました。大和ハウスで紹介された移住の先輩からも 市役所の人たちの対応が暖かくて優しいと聞いていましたが お姉さんが若くてかわいらしい事で 点数を甘くしていまいそうですが 確かに説明が解かり易くて 親切でしたから 杵築市に対する好感度が上がったのは間違いありません。

    私の移住先候補は 石垣島に始まって 長野県の辰野町や箕輪町から静岡市や焼津市などふらついていましたが 大分県杵築市に落ち着きそうな気がしてきました。大分県は 奥様の出身県でもありますし 私も福岡県生まれの人間ですから 元々九州には 親戚が沢山いるし馴染があるので 関西と同じくらいに親近感を持っていましたので 大分県杵築市を知ってからの期間は短いですが かなり本気で移住先として考えるようになってきました。本気で仕事を引退してからの移住先を探してきましたので そろそろ結論を出すべき時期だとも思います。何事にも 百点満点のものなど あるはずがありませんから 杵築市で出会えた そこそこ気に入っている物件と 市役所の可愛らしい担当者との御縁を大切にして そろそろ前向きの答えを出す方向に考えようと思っております。

  • 3月14日 1970年の本日 大阪万博が開幕しました

    今から49年前の事になりますが 当時私は中学一年生でした。私は 一人で出歩くことが 好きではありませんでした。今でも どこかに出かけるのは 必ず奥様に同伴して頂きます。まあ奥様の場合 歩くナビゲーターみたいな存在で 何処に出かけても 道案内が出来るくらいの方ですので 知らない場所に出かける場合は 方向音痴の私にとっては 必須うアイテムなのであります。そんな私ですから まだ中学生になったばかりの頃ですし 一人でよく知らない電車を乗り継いで 出かける事なんて殆どしたことがありませんでした。

    万博に初めて訪れたのは 春休みに クラスの友人数人と一緒に出掛けた時でした。何しろ日本で初めての 大きな博覧会が 大阪で開かれるなんて めったにある事ではないので いける機会があれば 何度でも出かけた方がいいと 学校の先生に言われていましたので それなりに楽しみにして出かけてみました。取り敢えず電車を乗り換えて 会場に近づいていけばいくほど 皆が万博を目指しているような雰囲気になってきて 会場に着く前から かなり期待感が高まってきました。

    朝かなり早くに出発して 開場時間よりもかなり前に入口ゲートに到着しましたが 入口にできていた行列が凄いのにまずは驚きました。その日の入場者数がどれくらいだったかは分りませんが 平日でも数十万人が当たり前だったみたいですから その日も朝一番から とにかくすごく沢山の人たちが 行列を作って並んでいました。そしてその行列の中には かなりの数の外人さんがいましたが 聞いたこともない言葉を耳にするだけで 枚方の田舎では殆ど体験できない事なので 何だか嬉しくなってしまいました。

    私は基本的に 人付き合いが苦手で 人が沢山いる場所は 好きじゃありません。ですから 万博会場のような何処に行っても人が溢れているような場所は 苦手のはずです。所がどうした事か 私はごく当たり前に外人さんたちとすれ違う事の出来る この滅多にあるわけではない場所が非常に気に入ってしまいました。私は 恥ずかしながら 中学生にまでなっているのに 一人で知らない場所へ出かけることが苦手でしたので 実際に一人で電車を乗り継いだりしたことは 全然ありませんでした。

    只 万博と言うのは勿論開催期間が半年ほどと決まっていましたから 一人で遠出するのは 不安でどうしょうもなかったのですが それ以上に出かけたいという欲求が強かったので 頑張って一人でせっせと出かけて行きました。一度何とか無事に会場に到着して 何とか自宅まで帰りつけたので 二回目からも不安な気持ちが無かったわけではありませんが 凄くハードルが下がったみたいで 結局一人で十回以上も通い詰めました。別に一緒に行ってくれる友達がいなかったわけではありませんが 友達と行くと自分のまわりたい所 見たいパビリオンに行けないことが少なくないので 一人で自分の思うがままに楽しみました。

    それ以来 電車を乗り継いでの一人旅が 結構好きになり 時刻表マニアになった時期もありました。大学生の頃には 暇はあるけれど お金があまりないので 時刻表旅行をして楽しんでいた時期が ありました。その頃は 結構一人で 知らない場所を歩いていると 何だか自分が物語の主人公になったみたいな気分に浸れるので 一人旅が好きだったのかもしれません。友達と一緒に出掛けると やっぱり友達に気を使ってしまい 気に入った場所にずっと座っていたりとか出来なかったので 独りのほうが気楽でいいと思っていました。

    今の私は 全ての面で奥様におんぶにだっこなので 奥様と一緒でなければどこにも出かけられませんし 出かけたいとも思いません。こんなパートナーと巡り合えたことはきっと幸せなんだろうと思います。この幸せが少しでも長続きするように 元気で長生きを目指して頑張ります。

  • 3月13日 1578年の本日 上杉謙信が49歳で亡くなりました

    日本人で 上杉謙信の名前を知らない人は 殆どいらっしゃらないと思いますけれど 僅か49歳で亡くなってしまいましたが その死因としては 脳溢血辺りが 有力だったとされているそうです。高血圧から来る脳出血だとすれば それまでに自覚症状が殆どなくて 突然死に至る病気ですし あながち私と無縁ではなさそうな病気ですから 恐ろしさが身近に感じられます。初陣が15歳の時で亡くなるまでの三十四年間で七十回以上も記録に残っている 即ちそこそこの規模の戦をしたのだそうですから 一年に二回以上のペースですので 殆ど戦に明け暮れた人生のようです。

    戦国時代には全国各地の大名が 軍備の充実を図って 兵力を集めそして鍛えて その武力を高めることによって 勢力を拡大できましたから 力のあるものは それこそ日本全土の支配も可能でしたので 兎に角軍事力強化に頑張ったようです。逆に 軍事力の弱い地域は それこそあっと言う間に力ある大名たちに支配されてしまったのだそうです。そんな時代に 謙信は 甲斐の武田信玄と並んで 二大強国と当時から認識されていたそうです。

    日本統一をやり遂げそうになり その途中で転んだ織田信長や それを引き継いで日本をまとめた豊臣秀吉の軍隊は 兵士個人の能力としては 最低レベルであったろうと言われています。兵士個人としては貧弱でも 鉄砲と言う新兵器を大量に装備していた事と 何よりも指揮官の能力が凄く高かったので 各地の戦闘で勝利をおさめ続けたのだそうです。一般的に 生活文化の高かった地域の兵士は弱くて 日々の暮らしが不便で苦しかった地域の兵士が強かったとも言われているそうです。信長は 信玄と正面からぶつかれば 絶対に勝てないと認識していましたから 日頃強気の振る舞いが印象的な信長が 徹頭徹尾下手に出て 媚びへつらう姿勢で 外交したのだそうです。

    そんな信玄の 生涯のライバルであった謙信は 戦に明け暮れていたようですが 内政にも能力があり 国内で産業を起こしたり 農地を開墾して米の生産高を増やしたり と言う方面の能力にもたけていたのだそうです。無骨一辺倒のイメージがありますが 二度三度と謙信を裏切った部下であっても 十分に反省していると認めたら 配下への帰参を許したりして 結構優しい一面もあったそうです。

    私の様な 棒脳の塊みたいな人間には 信じられませんが 女性とは生涯関係を持たなかったと言われていて ほぼ間違いない事実のようです。当時力のある大名ならば 近所の豪族辺りが 家来になる証として それこそ深窓の令嬢のような箱入り娘を 人質代わりに差し出されることも珍しくなかったでしょうし 結婚自体が重要な外交の手段でしたから 大名の御姫様を差し出したい と言う申し出は 謙信程の実力者であれば ひっきりなしにあったでしょう。勿論 戦をして 敵の城などを攻め落とせば そこにいる若くて美しいお姉ちゃんたちも 全て戦利品であったのでしょうから 大将なら抱きたい放題のご身分であったはずです。

    謙信は 自分を武人として高めるために 女人との交渉を自らの意思で断ったと言われていますが 本当に信じられません。そもそも人間と言う生き物は 戦場と言ういつ死ぬかわからない場面に遭遇すると 強烈に自分の子孫を残したいという気持ちが働いて 性欲が尋常じゃないほど高まるのだそうです。謙信は それこそ戦に明け暮れていたのだそうですから 人一倍性欲が高まっていたはずですし 魅力的な女性を抱きたいだけ抱けるご身分だったにもかかわらず 一切の交渉をしなかったのだそうですから ご立派と言うほかはありません。

    女性との交渉が無かったために 当然実子がいませんでしたから 養子を取り 後継者にと考えていたのだそうですが 謙信の遺伝子を受け就いた息子が 存在したら 日本の歴史は変わっていたかもしれませんから 他人事ながら 残念に思います。まあ信玄の実の息子である勝頼は 父親に比べて 能力が低すぎたために 能力と実績のある信玄の子飼いの部下に 裏切りこそされませんでしたが 信頼をされなかったために 武田軍団が短期間で崩壊してしまっていますから 謙信の息子がどれだけ活躍できたかはくえションマークなのかもしれません。

    若くして亡くなられた歴史上の偉人を想う時 何時も自分の平凡で何も誇れるもののない人生に 泣きたくなってしまいます。まあ冷静に考えれば 世の中の大半の人たちの人生なんて似たようなものであり 特異な才能に恵まれたごく限られた人だけが 若くして素晴らしい人生を歩んでこられたのかもしれませんが どうせなら一度の人生 他人に認められるような 誇れる道を歩んでみたかったとどうしても考えてしまいます。まあ私の場合 奥様と言う私には過ぎたパートナーと巡り合えましたから それだけでも感謝しなければならないのだと思います。残り少ない平凡な人生を 悔いがない様に過ごしたいと考えます。

  • 3月12日 この一週間は 毎日手術の予約が入りました

    私の仕事は 受動的な面が強いです。私が幾ら張り切って 仕事に取り組む姿勢を持っていたとしても 病院に患者さんが訪ねてきてくれなければ 始まりません。極端な事を言えば 一日張りつめた気持ちで 準備していても 誰も病院にアプローチしてきてくれなければ 全く仕事は出来ないし 当たり前ですが 一円の売り上げも上がらず勿論収入も全くないわけです。

    私は 動物病院の仕事が基本的にサービス業であることを 自分に言い聞かせているつもりですが ペットを大切にしていない飼い主に対しては 我慢できなくて ひどく冷たい対応をしてしまいます。還暦過ぎてジジイになった今はあまりありませんが 若くて血気盛んなころには 飼い主の対応があまりに酷い場合には 怒鳴り散らして追い返したりも していました。その為うちの病院の評判は すこぶる悪くて その為だけではないのかもしれませんが 患者さんのおとずれる数が 凄く少なくて 所謂流行っていない病院になってしまっております。まあこれは私の不徳の致すところですから 致し方のないことだと思いますが 現在はネットで一方的で独善的な 悪口言いたい放題の時代ですから 文句を言っても始まりません。それでもまじめに仕事に取り組んでいれば 何とか奥様と二人 人並みの生活が出来ますし 年に数百万円の老後の蓄えが出来ておりますから 有難い仕事に就けていることに 感謝しております。

    そんな訳で うちの病院への手術の依頼も ちらりほらりの状態なのですが 何故か今週は一週間毎日手術の予約が入ってくれました。まあ予約されるわけですから 避妊と去勢の手術が殆どですが 腫瘍の摘出手術も含まれております。手術と言うのは 基本的に全身麻酔をかけて行う作業ですから、術中は一瞬も気の向けない緊張感のある仕事です。体質によっては 麻酔をかけただけで 命に関わる事態に陥る可能性があるからです。

    但し その分短時間でかなりの金額を頂ける作業ですから お仕事としては 有難いです。若い頃は 大きな手術の前日などは 緊張して寝つきが悪かったことがありますが 現在は年をとりましたので 眠りが浅くなっているみたいで ふとしたことで目が覚めてしまう事は ありますが 緊張して眠れないような事はありません。仕事に慣れてきたという事はあるのでしょうが やはり手術は適度な緊張感が必要ですから 油断だけは絶対にしないように肝に銘じております。

    時期的に 少しずつ日が長くなってきていますので 発情期を迎える猫が増えてくるはずです。発情が来ると 飼い主さんが避妊の手術を 決意されるケースが多いので これからも手術の頻度が上がってくれれば 有難いです。勿論 周到な準備と 適度な緊張感を持って 対処していこうと思います。このブログを読んでくださっている ごく僅かな人たちも ペットの手術をお考えになる時には どうか当院をよろしくお願い致します。

     

  • 3月11日 東日本大震災から八年が経ちました

    八年前のその日 その時間に私は よく覚えていませんが 獣医師会の集まりで 確かゴミの処理の仕方についての 何処かお役所の職員が前に立ってのレクチャーを受けておりました。どこかの立派な建物の会議室でパイプいすに座っておりましたが 退屈な話に眠らない様にだけ気をつけていたら 何となく床がユラユラと蠢いているような感覚で 窓にかかっているブラインドがゆっくりと揺れていましたので どこか遠くで地震が起こっているのかな と思っておりました。退屈な講義がやっと終わって 車で病院に戻ると 奥様がテレビのニュースを見ながら 東北で大きな地震があり その後の津波による被害が甚大であることを教えてもらい 驚きました。

    私は阪神大震災の時も その瞬間まだ暗いうちの明け方に ぐらっと揺れを感じて 私はおろかにも 本棚と食器棚の間に立ち 手を突っ張って倒れないように 足を踏ん張りました。結果的には 枚方市は 大して揺れもしないで済みましたから 殆ど被害を受けない程度の地震だったからよかったようなものですが もしもっと大きな揺れで 立っていられない位であったなら 本棚や食器棚の下敷きになってしまって 大けがをしてしまう所だったのかもしれません。

    あとから冷静になって振り返って 自分の取った行動の軽率さを反省しながら テレビをつけると 神戸の辺りを中心に巨大な被害が出ていることを知りました。二階の寝室から 一階の病院へ降りてみましたが 薬棚からプラスチック製の薬瓶が一つだけ床に転がっているだけで 被害は殆どありませんでした。「のど元過ぎれば熱さを忘れる」とか[人の噂も75日」といいますし 足を踏まれた方は その恨みを忘れないけれど 踏んだ方はいつの間にかその事を忘れてしまう等と言われますが 自分が大した痛みを感じなかったことなので 身近に起こった阪神大震災ですら 忘れてしまいました。ましてや対岸の火事であった東日本大震災の事ですから 申し訳ないですけれど 殆ど忘れてしまっております。

    東日本の震災について 現在私が一番気にかかっているのは やはり原発の事故の その後の状況です。現在の一般的な日本の家庭での生活は 電気が無ければ成り立ちません。大量の電力は 残念ながら私たちの日常生活を維持するのに必要不可欠です。発電の方法としては 現在の所日本では 水力発電と火力発電 それに原子力発電が主力となっています。水力発電は ダムがあれば発電できますが ダムのある場所が普通は山奥で 電気を消費する地域と遠く離れているために 送電する際に相当なロスが出ることが 欠点とされています。火力発電とは石油系の燃料を燃やして 水を沸かしてその蒸気でタービンを回して発電しますので 電力を消費する地域の近くに建設すれば 水力発電の様なロスは発生しませんが 多くの二酸化炭素を発生してしまいますから 地球環境的には 温暖化を促進していまうデメリットがあります。

    原子力発電は ウランの核分裂による発熱を利用して 水を沸かして発電しますので 二酸化炭素を発生しませんので 地球温暖化とは無縁のクリーンな発電であることと 燃料費が火力発電よりもかなり割安なので 安定した電力の価格を維持できる と言う大きなメリットもあります。但し 反応時の発熱をコントロールするために大量の水 即ち海水が必要なので どうしても海岸近くに建設する必要がありますから 地震の時に起こる 津波による被害が大きな事故につながる危険性がありますし 使用済みの燃料の処理などに 人類がこれまであまり経験した事のない大きな問題を抱えているのは間違いなさそうなので 万が一事故が起こった時には 取り返しのつかないような重大な被害が想定されますし 福島ですでにその事故が起こってしまいました。

    現在 関西には原発は存在しませんが 原発銀座と言われている福井県との距離は 関西人が感じているよりもずっと短いのです。地震による津波のダメージによって原発に事故が起これば その規模によっては 関西も無関係ではいられないのです。福井県と京都府や滋賀県は接していますし 近畿の水がめである琵琶湖の水が 放射能に汚染されてしまったら どえらい被害が関西全域に発生するかもしれないのですから 他人事と考えない方がいい様に思います。

    原発は メリットも沢山ありますが 万が一事故が起こった時には 福島県が証明したように 元通りに復興するのにどれだけかかるのか 未だにわからない位に大きなダメージを受けてしまうのです。現在福島県では 太陽光発電や 風車による 自然エネルギーによる発電に積極的に取り組んでいるのだそうで その成果は少しずつ上がっているようですが 発電した電力を保管しておくバッテリーや 各家庭に送電する送電網を 大手電力会社が独占してしまっていて 利用させてもらえないためにせっかく発電のための設備が少しずつ整いつつあるのに スムーズに事前エネルギーによる発電に舵を切れないでいる状態なのだそうです。

    大手電力会社にしてみれば これまで自分たちが独占してきた電力産業を 維持したい気持ちもわからないでもありませんが福島全体が被った被害の大きさを考えれば 脱原発に向かう動きを上手くフォローしてあげる方向に動かないのが 腹立たしい限りです。世界の国々で 福島県産の製品の輸入を禁じている国が沢山あるのが現実ですから 出来るだけ福島がクリーンに生まれ変わったことを アピールするためにも 自分たちの既得権益やメンツなんか投げ捨てて 地道な自然エネルギーによる発電に協力してくれることを期待しますが 人間は強欲な生き物ですから 現実には難しいかもしれません。

    かくいう私も 本日がたまたま震災の起こった日なので 色んなニュースに取り上げられているので 思い出しただけなのです。でも同じ日本人 何にも悪いことをしたわけでもなくてたまたま福島にお住まいだった人たちが沢山 辛い思いや悔しい思いを 現在も進行形で味わっておられるのは間違いない事なので 少しでもお役にたてることがあれば 協力したいと思います。ただ関西からは 距離的に遠すぎますので 例えば旅行に出かけて 観光で福島にお金を落とすのも 間接的ですが復興へのほんの僅かなりともの協力かもしれませんが 私はこの歳まで福島県を訪れたことがないので 仕事をしている間は難しいかもしれません。但し引退してから キャンピングカーで全国を旅する予定ですので 一番最初の目的地を福島県にしようと思います。

    因果応報と言う言葉がありますが よろしくない行いをしたものが 苦しむのは 別に何とも思いませんが 東北で被災された方々は たまたまその地にお住まいだったというだけで 大きな被害を受け 亡くなられた方も凄く沢山おられます。まあ天災と言うものに文句を言っても始まりませんが 東北地方の一日でも早い真の復興を心からお祈り申し上げます。

  • 3月10日 本日は 語呂合わせで「砂糖の日」なのだそうです

    私は 見た目は太ったいかついジジイなのですが お酒が一滴も飲めない下戸野郎です。その為 甘いものが大好きな甘党です。所が私は悲しいかな 糖尿病を患っておりますので 甘いものは NGなのです。勿論たまには 甘いものを思いっきり食べてしまう事もありますが 結局は 糖尿病を進行させてしまい 残り少ない自分の人生をさらに短くしてしまうのでしょうから 甘いものを食べたい欲望と元気で長生きしたい願望を天秤にかけて できる限りの辛抱をしようと思っております。

    甘いものを食べると 正直に血糖値が上がります。健康体の方なら すい臓からインシュリンと言う血糖値を下げるホルモンが分泌されますので 速やかに血糖値が正常値に下がりますが 糖尿病を患っております私は 若い頃に散々甘いものを食べ過ぎて インシュリンを無駄遣いしてしまったがために 現在ではほとんどこのホルモンが分泌されなくなってしまっているのでしょう。その為に血糖値や その一月間の血糖値の平均値を表しているヘモグロピンA1cが 正常値を大きく上回ってしまい 糖尿病を進行させてしまうのです。

    糖尿病の恐ろしいのは 初期段階では 全く自覚症状がない事で 定期的に検査を受けておかねば その病気の程度や進行状態がほとんどつかめない事だと思います。まあ簡単な話 中年以降の年齢で 肥満体であれば 十中八九の方は 程度に違いこそあれ 糖尿病と考えていて間違いないのかもしれません。奥様は 五十代半ばですし ポッチャリ体型ですし 甘いものがお好きな性質ですから 糖尿病が心配されますが 時々受けられる健診では 全く糖尿病の心配はないとお医者様に言われているのだそうですから 羨ましい限りです。甘党の私が 辛抱していることをよく御存知なのに 私の目の前で甘いものをパクパクと嬉しそうに食べておられます。非常に不愉快な気持ちになります。

    私の両親も その両親も どちらかと言うとほっそりとした体形でしたから 糖尿病ではなかったのだと思います。この病気は遺伝的になり易い体質を受け継ぐ場合が多いと言われていますが 私の場合は ひとえに個人的に若い頃の不摂生がたたったのだと思います。ただ私の妹が 私と同様にすごいデブなので 間違いなく糖尿病のはずですが 妹もやはり ふしだらな食生活を続けてきたからなのでしょうか。

    何にしても 一旦糖尿病を患ってしまうと 一生死ぬまで直らない病気のようですから 大好きな甘いものをそれこそ死ぬまで我慢しなければならないのだと思います。私が現在コーヒーなどの飲み物や 料理に使っているのは カロリーがゼロでありながら しっかりと甘みを感じられる人工甘味料です。人工的な調味料ですから あまり健康にとっては望ましくないのかもしれませんが 糖尿病なので血糖値を上げたくない と言う目の前の現実と向き合うために 選択して愛用しています。勿論価格も普通の砂糖よりもずっと高いので けちん坊な私は 尚更量的に少な目を心掛けますので 価格がお高い事が自然に抑止力になってくれているのかもしれません。この甘味料が 安い価格だとしたら 遠慮なく大量に摂取してしまって 健康にとってはマイナスに作用しているのかもしれません。

    まああと一週間で死ぬことが 事前に分かったなら 思いっきり甘いもの三昧の生活をして 埼葛しようと思いますが そんなこと現実的には無理だし 死ぬ一週間前の状態では 食べたいものを思いっきり食べること自体が難しいのかもしれませんから どちらにしても実現は難しい様に思います。ただ私は この六十数年生きてきて 食欲が落ち込んだ と言う経験が恐らく一度もない様に思いますから 出来たら思いきり食べたいものを食べて死にたいと思います。

    死ぬ間際になって 食べたいものを思いきり食べる事しか望まないなんて 恥ずかしくて情けない人生だと思いますから 他に実現したい夢を考えようと思いますが いま思いつきそうなことは 大好きなナーちゃんに会いに行くことぐらいしか思いつきませんから どちらにしても 情けない寂しい人生なのかもしれません。まあ私は最期を迎えるときに 奥様が傍にいて下されば それだけで十分に幸せな人生だったと思えるはずですから それ以上の事は望まないでも全然かまわないように考えております。

     

  • 3月9日 突然訃報が舞い込んできました

    私は メールチェックをこまめにしておりませんので 時々大事な要件を知るタイミングが遅すぎて 悔しい思いや 残念で地団太踏むことがありますが 今回もそのような事が起こりました。今回の残念な一件は 高校時代の友人の訃報がメールで届いていたのに その事を知るのが遅すぎた事です。私は 高校時代 女子と話したりしたかったのですが 自意識が過剰だったのと 自分の見てくれに対するコンプレックスが強すぎたので 殆どクラスメイトの すぐ隣に机を並べて学んでいた女子に対しても 距離感が大きすぎて 話さえできませんでした。

    亡くなられた女性は かなり元気の良い女の子だったので 男子女子関係なく 気さくに喋りかけていましたから 彼女と親しかった級友は少なくなかったと思います。このブログでも報告しましたが 昨年の十月に 高校一年生の時のクラスの同窓会がありました。春に学年全体の同窓会はありましたが 一年生のクラスの友人たちとは 全然話が出来なかったので 参加者の三分の二が女性でしたから 殆ど初対面みたいな感じの集まりになりそうで 浮いてしまって誰にも相手にされないのではないかと言う不安を抱えながらも 思い切って参加してみました。結果としては お互いに爺さん婆さんになっているわけですから 昔を懐かしんで 隣近所に座った人たちとは とても楽しく話が出来ました。

    但し 亡くなった彼女とは 高1の時も殆ど話したことがありませんでしたが 同窓会で集まった時も 参加者が二十人以上いましたし くじ引きで席決めをしたのですが 遠く離れていたみたいで 一言も話せませんでした。十月の同窓会で 話せなかったのは 勿論彼女だけではありませんが 参加者のみんなが 老け込み方には個人差がありましたが いずれも元気でシャキシャキしていましたから 五年後か十年後にまた開かれるであろう このクラスの同窓会の時に きっと再会できるであろうから その時までのお楽しみにしておこうと考えておりました。

    同窓会の連絡係からの訃報メールには 亡くなった日時と お通夜 お葬式の場所や日程は書いてありましたが 亡くなられた原因などについては 触れられていませんでしたので 不慮の事故にでも遭われたのか 病死なのかも分りません。学年全体の同窓会の時には 還暦で集まったわけですが やはりクラスに一人や二人は亡くなった方がおられました。皆その事には あえて触れないでいたみたいでしたので 高3の時のクラスメイドで亡くなられた人にいったい何があったのか 見当がつきません。

    しかしほんの数か月前にあった時には 高校生の頃と同じように とにかく元気で 皆と大きな声でお喋りしている姿を見かけていましたから 一体何があったのか気になります。事前に日程を知っていれば 金曜日がお通夜で 土曜日の昼から告別式だったみたいなので せめてお通夜にでも駆けつけられれば その辺りの事情を伺えたのかもしれませんが 今となっては遅すぎました。

    私たちも もはや還暦を通り越した年齢ですから いつ何があっても不思議ではない年齢なのかもしれません。一つ目の大学時代の 集まりに参加しても 誰かしらが 既に亡くなっているという話を 耳にしないでもありませんから 何時そんな不幸が自分の身に降りかかってくるのかもしれません。私は日ごろの行いが 決してよくない方だと自覚しております。凄く太っているので かなり昔から 心臓病と糖尿病を患っております。

    「一病息災」と言う言葉があります。勿論「無病息災」に越したことはありませんが 一つぐらい病気を抱えていると かえってその為に体を気遣うので 返って長生きするかもしれない と言った意味合いだと思いますが 私は致命的になりそうな病気を二つも抱え込んでおります。ですから今後いつ死んだって文句は言えない身の上だと自覚しておりますし この二つの病気は 所謂生活習慣病ですから 若い頃にふしだらで不摂生な生活を続けていた ツケを払わされているのだと考えております。

    その為に 私はこのブログで何度も何度も書いております様に 老後の資金的なめどがたったら 一日も早く引退してのんびりしようと考えているわけです。人の未来なんて何が起こるのか分ったものではありませんが 確実なのは 何時か間違いなく死ぬ時を迎える事です。その時に あまり悔いが残っていないようであれば 相当に幸せな人生だったと思えるのだと思います。ああすればよかった とか こんなことをしたかった 等と言う邪念を幾つも浮かべながら 最後を迎えるのは 寂しい人生だったのかもしれません。

    死は生まれてきた者に 全て平等に訪れるものですから 最後の瞬間をニッコリ笑いながら迎えられるようであったら とても幸福であったのでしょうから 出来たらそんな風になれるように 今更ながら 一日一日を大切に生きていこうと 友人の突然の訃報を受け取って改めて考えました。そして 久し振りに会える機会を得た友人とは 次にまた会えるなんて考えないで しっかりと話をしておこうと 今回の事を教訓にして 思いました。自分が思っている以上に年をとっているという事なのかもしれません。

  • 3月7日 本日お役所から 当院の衛生面での調査を受けました

    先日 名前は一度きいただけでは覚えきれないような長ったらしい名称でしたが 大阪動物衛生グループとかなんとか 名乗られたような気がしますが そんな普段全くコンタクトする事のない役所から 電話がありました。患者から お宅の病院が不潔だ と言う通報があったので 一度調査に伺いたい と言う要件でした。私は動物を大切に扱わない飼い主や 礼儀知らずの横柄な飼い主に対しては 一切の診療を拒否して 追い返すことが時々あります。

    動物病院は 一応サービス業に属する業種ですから 飼い主様はお客様 お客様は神様です、と言う気持ちで仕事をしていれば うちの病院ももう少し流行っていて あとちょっとは儲かっているのでしょうが 飼われているペットには 何の責任もない事は重々承知していますが 飼い主に ペットを大切にする気持ちと 病気やケガときちんと向き合って 治療に取り組む姿勢が全く見られない場合には 顔を見るのも不愉快になるので 一刻も早くお帰り願おうとして 怒鳴りつけたりすることが 時々あるのです。

    そんな輩がまずすることは ネットの悪口掲示板に うちの病院のあることない事 殆どがない事ですが を思いっきり書き込むようです。普通はそれだけで その輩の気持ちが 収まるはずですが 今回の飼い主は それだけでは収まらず お役所に文句を言って うちの病院に嫌がらせをしてやろうと考えたようです。そこでネットで調べて 動物病院が関係ありそうな役所に片っ端から電話をかけたのでしょう。ご苦労様な事だと思いますが それで 最初に書いた 殆ど聞いたことがないようなお役所が ウッカリ関わりあるような応対をしてしまったがために 一応形だけでも 現地で確認調査をしなければならない羽目になったのだと思います。

    うちの病院は 開業してからもう三十年近くがたちますから あちこちにかなり ガタが来ているのは致し方のないことだと思います。昨年の台風で 表のテントが吹っ飛んでしまったのも 長い年月によるテントの劣化で どうしょうもなかったのでしょう。細かく見てみると あちらこちらに 長い歳月による劣化が 見受けられることは認めますが 毎朝 簡単に掃除機をかけて モップをかける掃除は 定例化しております。午前中 トリミングが暇である時には 奥様が 棚やカウンターの拭き掃除をしてくれますから そんなに埃も溜まっていないように思います。

    常識的に考えられる掃除は 励行しているつもりですので 不潔な病院だ等と言うのは 単なる嫌がらせに過ぎないと思います。まあお役所としても ウッカリ動物病院の衛生面について多少は関わり合いがあるような応対をしてしまったので 形ばかりでも対応しておかざるを得ないのだと思いますが 今朝九時にどこからお見えになったのか見当もつきませんが わざわざ男女二人で 病院の様子を見に来られました。

    私としては 何も隠し立てするつもりはなかったので 奥様にも今朝お役所が調査に来ることを知らせていませんでしたので ごく普通の朝の掃除をしただけの状態の待合室と診察室を見てもらいました。勿論何の問題もないという事で 十分ほど話しただけで帰られました。訪問された職員の方は 申し訳ないけれど念のため様子を確認させてください と言う 謙虚な気持ちが現れた態度だったので 私もにこやかに応対しました。

    とは言え 本当に不潔な病院が存在するのは 事実だと思います。ですから 今回のような嫌がらせの為の通報ではない場合もあるのでしょうから 出来たら病院の実態をもう少しキチンと調べられるような対応が必要なのではないでしょうか。例えば 病院のすぐそばに待機していて 治療を受けて帰る飼い主さんをつかまえて お役所の身分証明書でも見せてから 動物病院の衛生面についてのアンケートを取っているので 協力してほしいとでも 話しかければ 二三分で済む事でしょうから 簡単にその病院のかなり正確な実態調査は出来るはずです。

    その結果問題が無さそうであれば そのまま帰ってもいいでしょうし もし問題がありそうな病院なら 突然踏み込んで その病院の実態をじっくりと観察すれば 予め予告しておいて 調査に乗り込むよりも ずっと正確なその病院の衛生面の調査が出来ると思います。調査に来られた職員さんに その辺りの事を話してはみましたが まあ今後の調査にいかされることはないでしょう。私は何度も何度も このブログで公務員は仕事をしない と訴えていますが もう少しやる気を出して仕事をした方が 楽しいのではないかと思います。

  • 3月6日 80代の女性が 3400万円もの詐欺被害にあったのだそうです

    人間に物欲があるのは 致し方のない事かもしれませんが 詐欺被害にあった方が 80代のそれも女性だという事には 驚きました。競馬で勝つための情報提供料として 何度も何度もそこそこの金額を振り込んでしまって 合計するとこんな金額になってしまったのだそうです。恐らく 老後の資金としてコツコツ貯め込んだ大切な資産を ほぼ全額持っていたれたのだそうです。我々一般庶民としては 3400万円 と言えば立派な金額だと思いますし 80代になって それだけの金額を自由に使えるというのは 若い頃から 懸命に働いて 無駄遣いをせずに 地道に貯め込んだ結果だと思います。

    そんな方が 競馬等と言うギャンブルに 手を染めるという事からして 不思議に思えますが 詐欺師と言うのは 真っ当な人間をたぶらかすために 巧妙な手口を考え出して あらゆる手立てを尽くすのでしょうから 一旦ターゲットとして狙いをつけられてしまえば 逃れることは至難の業なのかもしれません。私も 偉そうなことを言ってますが ターゲットになってしまえば コロリと騙されるのかもしれません。私は還暦を過ぎても スケベジジイですから 若くてピチピチした女の子を 餌にぶら下げられたら コロリと騙されて 簡単に食いついてしまいそうです。まあこんな流行らない潰れないのが不思議な位の 動物病院の経営者なんて 詐欺師の方から見れば 殆ど魅力のない存在でしょうから 狙われる心配はないと思います。

    昔から 色んな勝負事に必勝法等と言うものが 実しやかに語り継がれているように思いますが そもそも必勝法等と言うものが 存在するはずがないのです。この方の場合 競馬の勝ち馬の情報を レース前に知らせるので その情報料を支払う と言う形で 詐欺にあったのだそうです。ギャンブルと言うのは てっとり早く金を稼ぐ手段としては 一般的ですが、どうして何某かの料金で もしその情報が確かなものだとしても 譲ってもらえると等と 安易に考えてしまったのでしょうか。

    もし私が 競馬のレースの勝ち馬の確実な情報を持っているとしたら 絶対に誰にも私ません。幾らかの情報料を受け取るよりも 借金してでも持ち金をかき集めて 勝ち馬の馬券を購入します。下手に勝ち馬の情報を他人に譲り渡してしまうと 勝ち馬に投票する数が凄く増加してしまうはずです。勝ち馬に投票する数が増えれば増えるほど 投票権一枚当たりの払戻金が減ってしまうのです。つまり 情報を持つ人間が増えれば増えるほど 一人あたりの取り分は減少してしまうのです。

    競馬で確実な勝ち馬の情報が存在すると言う話自体が 丸っきりの嘘っぱちだとは思いますが 必勝法を赤の他人に譲るなんて言う 都合の良すぎる話が この世の中に存在するはずはないのです。世の中には 色んな形での 詐欺事件が報道されていますが いずれも自分さえ儲かればいいという 強欲の為に被害にあっているように思いますが 楽して簡単に儲かるなんて都合のいい話が この世に存在するわけがないのです。なのに どうして簡単に騙されてしまう人が後を絶たないのか 私には不思議で仕方がありません。

    この類の詐欺の被害に遭う方は 要するに簡単に金もうけをしようと考えるような輩ですから 自業自得で 被害にあっても 全然可哀想だとは思いません。己の強欲と浅知恵を思い知り 大いに反省すればいいのだと思います。但し被害者の方を可愛そうに思わないではないのは 所謂[オレオレ詐欺」の被害に遭われた方たちです。家族がピンチに立ってしまって その救済のためにと 被害に遭ってしまわれるのですから 自分の欲の為にお金を使う訳ではないので なんとか被害に遭ったお金が戻ってくれたらいいように思いますが、現実的には難しいのでしょうね。

    とはいえ [オレオレ詐欺」については さんざん報道されていますから もし自分に詐欺師からのアプローチがあっても 恐らくは騙されることはない様に思います。ちなみに大阪人は がめつくて ケチだからなのか知りませんが [オレオレ詐欺」の被害に遭う人が一番少ないのだそうです。但し [オレオレ詐欺」の手口も巧妙化していっており 登場人物も多彩になり 被害者と電話で話す担当や 実際にお金を受け取る担当など 細分化されていて もし捕まっても なかなかその全貌が明らかにされないようになってきているのだそうです、

    幸い 私はお金に余裕があると 世間から認識されていないみたいで 事実余裕なんてこれっぽっちもありませんが 詐欺師からのアプローチがないので たまたま被害者になっていないだけなのかもしれませんが 結局詐欺の被害に遭うのは 勿論引搔けようとする詐欺師が悪いことは間違いありませんが 自分だけいい思いをしようとする気持ちや 世の中の出来事に無関心である人たちが 被害にあっているみたいですから どうしても自業自得のような気がしてしまって 本気で同情する気持ちになれません。まあこんな偉そうなことを書いておいて 万が一にも詐欺の被害にあってしまうと カッコ悪いので 十分に注意しながら生きていこうと思います。

    なんて 自分が さも賢そうな事を書いてしまいましたが 中学生から大学生の頃に 私も必勝法商法には 引っ掛かっておりました。当時私は 麻雀にはまっていました。本屋さんの書棚には 麻雀の必勝法なる帯と津の本がたくさん並んでいました。私は麻雀を家庭麻雀ですが 小学生の頃にルールを覚えて 点数の計算の仕方もきちんと身につけておりました。中学生の頃から 級友たちと土曜日の昼から等に 友人宅に集まって麻雀を楽しみました。級友たちは 中学になって麻雀を覚えたばかりの初心者ばかりでしたので 経験値が物を言って かなり勝率が高かったです。所が 高校生になってからは そこそこの進学校だったからか 賢いうえにかなりのベテランが多かったのかもしれませんが なかなか勝てない友達が少なからずおりました。

    何とか麻雀が強くなりたいときに 本屋さんで麻雀の必勝法なる本が並んでいたら 大した価格でもなかったので 小遣いでも簡単に買えましたので 阿佐田哲也さんや小嶋武雄さんの本を何冊も買いこんで 熟読しましたが 何冊購入しても 殆ど強くはなりませんでした。但したまに運がよくて 勝った時に自慢げに話す うんちくの話題が増えた位のものでした。小島さんの必勝法の本に書いてありましたが 「もし本当に必勝法なんて言うものがあるのなら 誰にも教える訳がありません。小嶋家だけの代々の秘伝として 小嶋家だけが勝ち続けていくでしょう。」と言う事でした。従って 必勝法なるものが存在するのかもしれませんが そんなものがそんなに簡単に手に入る訳はないのです。

    とにかく 私は人間と言うものが 幾つになっても業突張りな生き物であると 悲しくなったので このニュースを取り上げてみました・

    但し