Dr.喜作のブログ

2019年3月 の記事一覧

  • 3月5日 1981年の本日 厚労省が日本人の死因一位は「癌」と発表しました

    この年 以降はずっと癌が 死亡原因一位を独走しています。男声で ほぼ三人に一人が癌で亡くなっています。私は 若い頃からの不摂生がたたって 五十代から 不整脈などの心臓病と 糖尿病を患っております。主治医の先生からは [あなたは多分 脳梗塞で亡くなるでしょう」と大分前に言われてしまいまして その覚悟はしております。脳梗塞とは 脳の血管に血栓などが詰まってしまって その先の部分に血液が遅れなくなることにより障害が発生する病気です。

    私の場合心臓に不整脈がありますので 簡単に言うと心臓の動きが不自然なのです。その為にどうしても血栓が生じやすくなってしまい その血栓が脳内な流れ込んでの 脳梗塞が心配されます。このようにして起こる脳梗塞が 一番症状が重いと言われていますから猶更心配です。不整脈を取り除く治療を以前に試みましたが 上手くいきませんでした。その為に血栓ができにくくする薬 簡単に言うと血がサラサラになる薬 「ワーファリン」という 昔から使用されている薬を 恐らく死ぬまで飲み続けなければならないと思われます。

    血液と言うのは 空気に触れると固まり 出血を押さえるように働きます。この血が固まる反応は 大量の出血を防ぐために大切な生体防御反応なのですが この時ビタミンKが重要な働きをします。ワーファリンと言う薬は このビタミンKの働きを阻害することによって 血が固まりにくい つまり血栓ができにくいように働いているのです。そこで 食品の中でビタミンKを多く含んでいる 納豆や青汁を接種することが 禁じられています。

    青汁は これまで殆ど飲んだことがないし さして飲みたいとも思いませんが 納豆と言う食品は 大好物なのです。子供の頃はその独特の臭みが苦手で食べられませんでしたが 中学生ぐらいからは 急に大好物になって それこそ毎朝のように食べていました。所が心臓の治療を始めて ワーファリンを飲み始めた時に 主治医の先生から 納豆を食べないように指示されてしまいましたので ここ十年以上納豆を一度も食べていません。納豆はビタミンKを大量に含むので 食べると一時的に血液がどろっとしてしまうのかもしれませんが 看護婦さんは 極たまに位なら大丈夫だと思うよ と言ってくれましたが 私は 日ごろからロクな行いをしておりませんので 運悪く血栓が出来てしまって 脳梗塞になってしまうのではないかと思ってしまって ずっと辛抱しております。

    血液をサラサラにする薬としては ビタミンKとは無関係に働いてくれる薬が新しく開発されて もうそこそこの年月が経ちます。そちらの薬に切り替えれば 納豆を食べてもいいのだそうですが 新薬ですので 当然価格が高いのです。毎日飲み続ける薬ですから 貧乏人根性の抜けない私は 同じような作用が得られるのなら 古くても効き目が悪くなってしまったわけではないワーファリンを 飲み続けようと思っております。まあ私の場合 糖尿病も患っておりますので ご飯はなるべく控えた方がいいのです。納豆を頂くと 同時にご飯も沢山いただいてしまいますから いずれにしても納豆は辛抱しておいた方がいいようにも思います。

    そんな訳で 私は死亡原因の二位と三位である心臓病と 脳卒中の心配がありますから いつ死んでも不思議がないのかもしれません。おまけに前回の診察の時に 腹腔内のCT検査を受けましたところ 胆嚢内にポリープが見つかりました。半年後位にもう一度検査して 良性のものか悪性のものか判断されるのだそうですが 死亡原因の一位の癌の心配まで始まってしまいました。

    私は今のところは 殆ど自覚できるような症状は 一切ありませんし 食欲もあり過ぎて困っているぐらいで 肥満体であることを除けば 健康そうに見える状態ですが 日本人の死亡原因のトップスリーの心配を抱えているわけですから いつ死んでも不思議ではないのかもしれません。ですから このブログで何度も何度も書いておりますが 一日も早く仕事を引退して 楽しい老後を迎えるべきなのかもしれません。

    心臓病や糖尿病については 若い頃の暴飲暴食がたたっての 自業自得だという自覚がありますが 癌と言うのは 気をつけていても ある意味運が悪いと遭遇してしまう病気ですから 恐ろしいです。まあ人間 長生きすればするほど 癌と言う病気の発生率が上がるわけですから 日本人が皆長生きするようになったからこそ 癌が死亡原因のトップを独走しているのかもしれませんので 致し方のない事かもしれませんが 私はこれまでもあまり幸運に恵まれた記憶がございませんから 出来たら癌と遭遇する不運とは 無縁で生きていきたいものです。

  • 3月3日 本日はひな祭りなのだそうです

    私が子供の頃に住んでいたのは 2DKのせまい団地で 両親と妹と四人で暮しておりました。枚方の香里団地と言えば 当時としては日本でも有数の規模を誇るそこそこ立派な団地だったように思います。子供の頃ですから 二部屋のうち一つで両親が もう一部屋に私と妹が 布団を敷いて眠っておりました。それこそ四人分の布団を敷いてしまうと 開いているスペースが殆どないような 狭苦しい状態で暮しておりましたが 別に家族が皆健康で 普通に元気に暮らせていましたから 特に不満など感じたことがありませんでした。只客観的に見て とにかく狭い住居だったのは 間違いないようです。

    そんな狭苦しい部屋しかありませんでしたから 妹の為に ひな祭りの時期には ひな人形が飾られましたが 箪笥の上にガラス張りのケースに入った お雛様が掌に乗る位のミニサイズひな人形でした。当たり前かもしれませんが 自分のうちの事しか知りませんから 飾られた人形が 他の家のと比べて凄いミニサイズだったのかどうかも意識していなかったし その事が残念なことだとも 全く思っていませんでした。特に男の子でしたから ひな祭り自体に関心が殆どなかったのだと思います。

    そもそも我が家は 母親があまりその時期のしきたりや恒例行事に無関心だったのかもしれませんが あまりその時々に友人宅で普通に行われていたらしい行事を ほとんど経験していません。ですから ひな祭りの日も ちっちゃなひな人形は 形ばかり飾ってはありましたが 特別な晩御飯が出てくるわけではなかったし、甘酒や雛あられさえ 目にしたこともありませんでした。

    例えば節分の恵方巻きを食べる習慣も 最近になって定着した習慣だと思いますが 現在では一般的なご家庭でも 所謂ひな祭りが恒例行事になっているのでしょうか。よく聞く話としては ひな人形の前で ちらしずしを食べたり 甘酒を飲んだり 雛あられをつまんだりするのだそうですが そんな私としては全く未経験な事が 極当たり前に行われているのでしょうか。

    ひな祭りの定番な食べ物として 菱餅と言うカラフルなお餅があるらしいのですが 実際にみたこともありませんから 勿論食べたこともございません。菱餅と言う食べ物は 世の中にどれくらい認知されて出回っているのかちょっと興味があります。ケーキ屋さんは ひな祭りケーキなどを便乗商法で販売しているみたいですが 一応形は ひし形をしているみたいです。

    本日は 女の子のいるお宅では きっと楽しいひな祭りの行事が行われているのだと思います。私には子供がいませんので 尚更そんな経験がないのかもしれません。もし女の子がいたら きっと楽しい思い出になっていたのだろうと思います。私は自分と言う 世の中で最凶最悪の人間の複製を作りたくなかったので あえて子供を作りませんでしたが 一人位子供を作っておいた方が ずっと幸せだったのであろうと思います。今更悔やんでも手遅れなのは分っておりますが どこかに自分の子孫を残したいという本能があるから 幾つになっても性欲が衰えないのかもしれないと 恥ずかしながら思います。

     

  • 3月2日 1950年の本日 カレンカーペンターさんが生まれました。

    カレンさんは32歳で つまり1982年に亡くなっていますから お若い方はご存知ないのも致し方がないのかもしれません。でも私にとってカレンは 私の知る限りの女性ボーカリストでは 最高にチャーミングな方でした。アイドル界でいうと ナーちゃんのような存在です。お兄ちゃんと組んだカーペンターズは 私が中学生の頃には 最高に人気のあった歌手だと思います。初めての東京公演のチケットが売り切れるまでの時間が ビートルズの並んで最短だったというのが 当時の人気の凄さを物語っているように思います。日本で売れた海外アーティストのランキングでも ビートルズに次いで二位がカーペンターズなのだそうです。

    私がカレンさんを気に入っていたのは 歌われていたその音域の低さ 所謂アルトの音域です。当時 そして最近まで 人気のあるボーカリストは殆どがソプラノの音域の方のように思います。そりゃ 高くて美しい声の方が 歌手としては人気が出るのは当たり前かもしれません。但しカレンさんの声域は あのジュリーアンドリュースと同じ三オクターブあったのだそうですから 決して高い声が出なかったわけではないのに 低くて 渋くて 絶妙にチャーミングな声で歌っているのが 最高にカッコよかったのです。

    私が高校時代から大学時代に 一番繰り返しよく聞いたレコードは カーペンターズの「トップオブザワールド」です。ビートルズの「ラバーソウル」やモンキーズの「ザバーズ、ザビーズ&ザモンキーズ」も大好きでよく聞きましたが 一番気に入った曲が多かったので 何度も何度もレコードをひっくり返しながら聞いたものです。当時はレコードで聞いていましたから 面倒でしたが それが当たり前でしたから 特に不自由だとは思いませんでした。当時のレコードは A面からB面にひっくり返すときのつなぎのパートがあって それが結構面白かったのですが CDの時代になると そのまま続けて音楽が流れるので レコード時代によく聞いた人にとっては 面倒ではないけれど 少し残念な思いをしている方が多いのではないでしょうか。

    数字的な細かい事は よく分りませんが 「トップオブザワールト」と言う曲は 私が中学高校時代の 所謂深夜放送の代表的番組 今でも続いているのかどうか知りませんが朝日放送の「ヤングリクエスト」で毎日発表されるリクエストナンバーワンの座を 当時としては一番長く続けたという勲章がありました。この番組が何時まで続いたのか(現在も続いているのかもしれませんが)よく知りませんが その後 その記録を破ったヒット曲があるのなら 御存知の方がいらっしゃったら 教えて頂きたいです。確か九十日ほど続いたように記憶しています。

    但し 私がカーペンターズで一番好きな曲は この曲ではなくて「雨の日と月曜日は」です。ハーモニカで始まるイントロを聞いただけで 涙が出るくらいに今でも大好きな曲です。まあナーちゃんが この世の中で一番可愛い女の子だと思いますが 私の乃木坂での一押しは ファンになった時からずっとカズミンこと高山一実さんです。毎年購入する個人のカレンダーも四年続けてカズミンを選びました。ちなみに「雨の日と月曜日は」は時々カラオケで歌います。

    私がカーペンターズが大好きだった理由は その曲が素晴らしかったことと カレンの魅力的な声であったのは間違いありませんが 他にも理由があります。カレンの歌う英語の発音が とても正確で美しかったことです。同じアメリカのグループでモンキーズの曲も沢山聞きましたが 英語の発音が美しくないのです。ビートルズは イギリスのグループだからかもしれませんが 意外に発音が聴き取り易くて正確で美しかったように思います。

    もう一つカーペンターズの魅力は 歌手は一つの曲を歌い込みすぎると どうしても自分なりのアレンジが加わってしまい 録音された当初の歌いかたとは違ってくる方が多い様に思いますが カレンの歌は どんなに歌いこまれた曲でも 正確にレコードと同じ歌い方をしていた事です。これは当たり前の事のようですが なかなかできる事ではないように思いますので カーペンターズの歌手としての資質の高さを表しているように思います。

    そんな歌い手として非常にチャーミングであったカレンが 拒食症と言う ある意味凄くつまらない病気で 凄く若くして亡くなってしまったことが 残念でなりません。若い頃に 雑誌でちらっと おデブさん と表現されてしまったことを 気にしすぎてこんなことになってしまったようです。私が持っているカレンの容貌に対するイメージは 全然太っているようには思いません。カレンさんにとっての晩年 結婚されていましたが 直ぐに離婚を考えたようですから人生のパートナーとしては 不適格だったのかもしれませんけれど 御主人がもう少しカレンさんの病気の事を気遣ってあげていれば こんな悲しい結末にはならなかったように思います。まあ、離婚を考えている配偶者の状態を思いやることなど出来なかったのかもしれません。

    久し振りにカーペンターズの曲を聴いて カレンさんと偲ぼうと思います。いい曲は何時聞いても 何度聞いても新たな感動がありますから。

  • 3月1日 「退職代行サービス」なるものがあるのだそうです

    私も 塩野義製薬に三年半ほど勤務して 退職しました。私の場合 高校を卒業して大学を受験したわけですが 獣医師になりたかったけれども 学力が足りなかったので 獣医学科には合格できませんでした。そこでごく一般的な大学に入学して 卒業して 公務員には興味が無かったので 民間の会社に就職したわけです。塩野義製薬は 社員を大切に扱ってくれる会社でした。その分 求められるものも大きくて 厳しかったです。製薬会社の営業ですから 病院を回って 医者に薬に関する情報提供して 自社の製品をアピールする と言えば聞こえがいいのですが 要は医者にこびへつらって 機嫌よく薬を使ってもらう事を目指すわけです。

    塩野義は一流の製薬会社ですから 勿論私よりもずっと優秀な社員が沢山いて その方たちが懸命に働いておられるから 数十年後の今も 立派に一流企業であり続けているのだと思います。只 私は薬屋さんの営業が どうしても上手く出来なくて 徐々に慣れて 出来なかったことが少しずつでもできるようになることを願って 三年以上頑張りましたが やっぱりそれ以上続けることが辛くなりました。会社を辞めて一体どうすればいいのか最初は見当がつかず不安でしたが 自分の人生はまだまだ可能性があると考えて 会社を辞めることを上司に伝えました。特に引き止められることもなく あっさりと認められましたから 周囲の人たちから見ても 私がこの職場で働くことは 難しいと思われていたのだと思います。

    会社を辞めてから もう一度受験勉強をやり直して 獣医学科を目指しました。何とか合格して 現在に至っているわけです。退職をするときは かなりのプレッシャーがありましたが 最後に課せられた自分の仕事だと思って 上司に退職を願い出ました。誰でも その会社に就職するときは 自分の意思で 自ら行動して 入社を認められたのだと思います。勿論 仕事の内容や 賃金などが 予想とはかけ離れている事等 珍しくもない話でしょうし 自分がその職種に向いていると思っていたけれども 全然不向きであった なんていう話は 日常茶飯事だと思います。

    ですから自分に適していない仕事を続けるのは 自分にとっても その会社にとっても無益な事だと思いますので 辞める覚悟が出来た時が 仕事の辞め時だと思います。但し仕事は生きていくためには 必要不可欠なものですから 自分に適した仕事を上手く見つけるための努力が必要です。特に少なくとも一度は 仕事選びに失敗したのですから。まあ世の中には 色んな業種の 様々な職種の仕事がありますから 真面目に 懸命に働こうという気持ちがあれば きっと自分に最適な仕事は見つかると思います。

    今では 終身雇用等と言う言葉は死語になっているのかもしれませんが 私が就職活動をしていた四十年前ぐらいの時代には 一度就職した会社に骨をうずめる覚悟の人が少なくなかっただろうと思います。私も出来たら せっかく一流と言われる会社に就職できたのですから 生涯勤めあげることを目指して入社したはずです。ただ仕事の内容が 私にとっては不向きだったので 退職を選択しました。辞めてよかったのかどうかは 分りませんが 今の仕事は何とか三十年近く続けていられますから 私には向いていたのかもしれません。

    自らの退職を願い出るという行為は 確かにその決断をする時点までも相当な勇気がいる事だと思いますが 実際に仕事の関係者に申し出る行為は 凄く沢山のエネルギーを求められる行為だとは思いますが 少なくともその時点まで 自分の生活を支えられた 収入を保証してくれた会社に対する 最後の大切な御奉公だと思います。そんな重要な自分のけじめを 他人に代行してもらうなんて 少なくとも私には考えられません。無責任極まりない行為だと思います。

    その会社を辞めるという事は 当然時期的には何時頃になるか分りませんが いずれは次の会社に就職することになるのだと思いますが そんな自分のけりをきちんとつけられないような無責任な人間では ほぼ間違いなく次の会社も退職せざるを得ないような状況になるように思います。次の会社を退職する時も またこの代行業者に頼むのでしょうか。こんな馬鹿げた企業は とっとと潰れてしまって 消滅してほしいものです。

    ゆとり世代の弊害とは 義務を果たさず 責任を負わず 権利ばかり主張して 何か事が起こると 言い訳ばかりして 責任逃れをする人間を大量に作ってしまったことだと 誰かが言っていましたが、そんなゆとり世代にとっては 有難い代行業者なのかもしれません。会社の代表として 偉そうにインタビューを受けていた輩が いかにもゆとり世代の代表選手にしか見えませんでしたから。