Dr.喜作のブログ

2019年9月 の記事一覧

  • 9月18日 往診車のカーテシスイッチカバーが外れる事件が起こりました

    私は車に全く興味がないので そんな部品の名前すら全く知りませんでしたが 車の車体のドアを受けとめる部分に会って 室内灯がついたり消えたりすることや ドアが半ドア状態である事を警告する事に関わっているスイッチがあり それを覆って保護しているのがスイッチカバーと言う代物なのだそうです。何しろアルト と言う日本でも一番の安物の車に乗っておりますので 今までには経験したことがない トラブルがしょっちゅう起こります。具体的には シートベルトを外して車から降りて ドアを閉めるときに シートベルトが普通ならすぐに引っ込んでしまうはずですが ここの所 戻りが悪くて伸びたまんまの状態の為に ドアを閉めた時にシートベルトが挟まってしまう事がよくありました。
    その為にカーテシスイッチカバーが外れて落下してしまったようなのです。そのカバーがないと ドアをきちんと閉めていても 車は半ドア状態と勘違いして 半ドアランプがつきっ放しになりますし 当然室内灯もつきっ放しになります。そしてそのまま走り出すと 半ドア状態と車が認知していますので 停車して走り出すたびに 警告音が鳴ります。それからオートロックが 開けるときには作動してくれますが 閉めるときには 半ドア状態と認知していますから 働いてくれず カギ穴にキーを入れてひねらなければ施錠できません。
    普通に走行するときには それほど問題はありませんが いろいろな面で不具合が生じておりましたので どうしたものかと困っておりました。奥様がネットで調べて 他のドアの状態と見比べてみて カーテシスイッチカバーと言う部品が 脱落していて このような面倒な状態になっている事や この部品は 消耗品である程度年数を経過した車には ありがちなトラブルであるという情報を仕入れてくれました。その部品はオートバックスなどのお店で結構安価で販売しているらしいことまでわかりました。奥様が近所のガソリンスタンドのお兄ちゃんに相談すると スイッチが接触する部分に隙間が出来ているだけなので その隙間の部分に厚みのある物をテーブで張り付ければ トラブル状態が解消されるでしょうという有難い情報を仕入れてくれました。
    そのスイッチカバーをよく観察すると プラスのねじで留めてあるだけみたいなので 普段一番開閉しない左後ろのドアについているスイッチカバーを外して 一番乗り降りする運転席に付け替えることに成功しました。そして左後ろのドアのスイッチが接触する部分に ビニールテーブを二枚重ねで張り付けると 見事に不具合がすべて解消されました。安物の車だから 色んなトラブルが発生するのは しょうがないのでしょうし この車も新車を購入して既に六年経っていますので あちこち傷んでくるのは致し方のない事でしょう。
    とは言えあと二年ぐらい仕事を続けるうちは 機嫌よく頑張ってくれないと困りますので いずれまたどこかにトラブルが発生するのでしょうが 今回のように上手く対処できることを期待しております。今回の事も 奥様が有効な情報を仕入れてくれて 要領よく判断してくださいましたので 実質只で解決できましたが 私のような無能な人間の場合 結局車屋さんに依頼して 何千円もの修理代を支払う羽目になっていたのでしょうから 賢い奥様に感謝したいと思います。本当に私は奥様に足を向けて眠れない事を肝に銘じて生きていきます。

  • 9月17日 ハラスメントについて思う事

    ハラスメント と言う言葉の意味としては「嫌がらせ」と言う簡単な言葉で表現されるようです。この言葉が使われ始めた頃は ハラスメントと言えば セクシャルハラスメント いわゆるセクハラ だけでした。性的な嫌がらせと言う代物は 売春と言う職業が大昔から存在したのと同様に 人類の歴史とともに存在したのだと思います。残念ながら 売春と言う職業が どんなに人類が進歩しようと間違いなく存在するようにセクハラも 存在し続けるだろうと思われます。勿論 セクハラと言う行為は 許されざる悪行だと思いますし 行う側の意識次第で 減少させることは出来るのでしょうから なるべく起こらない事を期待いたします。
    やはりセクハラは 男性が加害者 女性が被害者の場合が圧倒的に多いのだと思いますが 例えば魅力的な女性がいたとしたら 男性としては ほとんど無意識にその女性を見つめてしまったりすることが有るかもしれません。但し見つめた男性が 爽やかな男前であれば 女性側も不快感を持たれないので セクハラ問題に発展しませんが 助平ジジイの私が 見つめたりしたら 不快感をもよおされた場合はセクハラになってしまうのであるとしたら 助平ジジイとしては 納得がいきません。
    その女性に食いついてしまった原因が 短いスカートであったり 胸のふくらみが強調されたニットのセーターであったりしたら そのような服装を着用した女性側にも 幾らかの責任があるのではないでしょうか。美味しそうな餌を目の前にぶら下げられたので 本能的に反応してしまっただけなのかもしれませんから 一方的に男性が責任を問われるのは それもカッコいい男性なら見逃されているのだとしたら 見てくれの悪い男性の旗頭を自認している私としては 納得がいきかねます。
    次に多く問題視されているのが パワハラ と言うハラスメントかもしれません。主に職場や 体育会系の運動団体などで 起こっていると言われています。職場では 当然上下関係が存在します。上司は 部下よりも 経験が多いし その分まかされる責任も重いし 仕事の能力も高いのが普通でしょうから 部下により仕事で成果を上げてもらって 成長してくれることを期待して 時には厳しく 状況によっては 優しく指導したり 叱咤激励したりするでしょう。指導や叱咤激励を いちいちパワハラだと 騒ぎ立てられては 社員教育がまともにできる訳が無いように思います。失敗やサボったりすれば 叱られるのは当たり前だし 仕事をして給料をもらっている立場なら 本来失敗も怠慢も許されざる 行為であるはずなのに その事を咎められてたからと言って ハラスメントだとの主張は 全く無意味な行為だと思います。
    上司と部下が 指導や激励の意図がよりスムーズに伝わり易くするために 仕事以外で 食事や飲み会などを 企画することは少なくないと思います。但し そんな事を意図してのの企画のお誘いであっても 参加を強く望んだら やはりパワハラになるのだそうです。結局これも 部下から見て魅力的な存在である上司からのお誘いであれば 喜んで受け入れるのに 加齢臭のきつい親父が幾ら誘っても 承諾してもらえないのかもしません。結局上司たる者 見た目もスマートでカッコよく 服装を含めてお洒落でなければ 部下とのコミュニケーションを取る機会さえ与えられないのだとしたら 絶対にこのパワハラだという主張は 逆の意味でのパワハラだと思います。
    仕事をする以上 人間関係を含めて 大なり小なり嫌な思いをするのは 当たり前のことでしょうし 意に染まない事や辛い事を受け入れるなんて 当然すぎる事でしょう。誰だって 気をつかわなければならないし 仕事の失敗を蒸し返されて 説教されるかもしれない 上司との飲み会なんて 参加したいわけがありません。気の置けない同僚たちと飲み食いする方が楽しいのは当たり前のことです。でも 我慢して参加して 昔話や自慢話を さも興味深そうに聞く殊勝な態度を見せれば より大きな仕事のチャンスが与えられる可能性は 確実に高まるのです。
    やりがいのある仕事を任せられ それによって出世して 給料をたくさんもらうためには 嫌な事を我慢するのは 当然すぎる事だと思います。それに上司ではなくて 取引相手からのお誘いの場合は どんなふうに対応するつもりなのでしょうか。上司よりもさらに気をつかわねばならない仕事相手との飲み食いだと断って当然だとでも考えているのでしょうか。そんな嫌な事を強要させるような会社はブラック企業だと 主張するのでしょうか。そんな奴は 会社側が解雇するのが自然の流れでしょうが 不当解雇だと更に騒ぎ立てたりするのでしょうか。
    現在は 自分の気に入らない事を要求されたら 断るのが当然の権利だ 等ととんでもない勘違いをしている人間が多すぎるように思いますが。法律をそんな愚か者の主張が通るように改悪した立法機関にも問題があるのかもしれません。まあこんな主張をすること自体が 何とかハラスメントになってしまうのかもしれません。現在はハラスメントの種類が百以上にも上るのだそうですから こんな社会から早く離脱する為にも 一日でも早く 仕事から引退したいと考えてしまいます。 

  • 9月16日 本日は敬老の日なのだそうです

    ハッピーマンデー法なるつまらん法律によって 本日が敬老の日になるのだそうです。「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを目的として、昭和23年(1948年)に祝日法として制定されたのがはじまりだそうです。当初は9月15日が敬老の日として定められていましたが、平成15年(2003年)より「9月の第3月曜日」になりました。もう十六年も前からなのだそうですが やっぱり私には9月15日でないと あまりピンときません。
    「母の日」や「父の日」があり それぞれにその日は各々の苦労を知り 感謝を表す日として定められています。まあそんな日が一年に一日でも 定められて 皆がその事を意識することは 悪いことではありませんが お年寄りや両親を敬い 感謝するのは 年がら年中すべきことのようにも思いますから その類の祝日をわざわざ設けることに どれだけの意味があるのか とさえ思わなくもありません。まあ私も還暦を過ぎましたから ちゃんとした老人であるのは間違いないのでしょうが 多年にわたって社会に尽くした覚えが全くないので 特に敬愛されるべきだとも長寿を祝われる立場にもない事ぐらい 自覚しているつもりですけれど。
    お年寄りと言うと年齢的には幾つからなのでしょうか。一つの目安かも知れない60歳と言う年齢の方であっても まだまだ仕事をバリバリ頑張っている方も少なくないけれど 会社勤めの方とかは 一応定年を迎えて 勤め上げた会社を卒業して 年金を受け取れるまでのつもりの方が多いみたいですが65歳までは 再就職される方が殆どみたいですから 還暦という年齢はあくまで通過点に過ぎないのかもしれません。私も自営業者ですから 引退するときは自分で決められますので あと少しだけは働こうと考えております。まだ働いているうちは あまり老人扱いされるのは 有難くありません。殆ど混んでいる電車などには乗りませんから経験がありませんが もしお若い方に席を譲られたとしたら にっこり笑って「すいません」と言える自信はありません。
    自分の子供たちに子供 所謂孫が出来てしまうと 立場上 お祖母ちゃんとかお祖父ちゃんと呼ばれても仕方がないのでしょうが 現実にそう呼ばれた時 にっこり笑って肯定できるのでしょうか。徐々にその立場に慣れてはいくのでしょうが 最初はやっぱりかなり抵抗があると思います。私は子供がおりませんので お父さんともお祖父ちゃんとも呼ばれることが 無いのですが この歳になると一抹の寂しさを感じないでもありません。
    この年齢になると レストランや映画館などで 年齢によって割引が受けられます。最初の頃は そんな割引を受けること自体が恥ずかしくて 黙っていましたが ここの所爺さんとしての自覚が芽生えてきたようで 喜んでその割引を受けております。私が けちん坊だからなのもあるでしょうし プライドなんて持っていても一銭にもならないと考える器の小さな男だからかもしれませんが 世の中が割り引いてくれると言っているのですから 受けられる恩恵は受けるべきだと思うようになってしまいました。
    私も 別に周囲の人から 敬われようとは 思いませんし 年寄り扱いされても致し方のない年齢だと自覚しておりますが ボケた行動や 危険な運転などをして これ以上世間様にご迷惑をかけるような生き方だけは しないように肝に銘じながら 無難な余生を送りたいです。本当に私が望むのは スムーズに仕事を終えて 楽しい引退生活を送りたいという事だけです。これまで周囲の方々に 散々ご迷惑をおかけしてきましたので 死に際ぐらいは潔く カッコよくしたいと考えておりますので どうぞよろしくお願い致します。

  • 9月14日 千葉県の台風被害を心配しております

    問題の台風15号は 関西には全く影響がなかったので 対岸の火事のような気分で 気楽に考えておりましたが 静岡県辺りに上陸して 関東地方を横断した形で通過したみたいです。その結果 房総半島それも半島の先端部分の被害が大きかったと聞いて 私はピクリと反応しました。乃木坂の不動の一押しメンバーである カズミンこと高山一実さんの出身地が 千葉県南房総市なのです。
    取り敢えずは 台風の強風で 電柱が沢山なぎ倒されて 必然的に停電が広い範囲で 発生しているみたいです。この時期に停電すると 普通に生活していくことが非常に難しいみたいです。熱さのピークは過ぎたのかもしれませんが まだまだかなり厳しいものがあります。当たり前ですが エアコンや冷蔵庫が全く働いてくれませんから 体を冷やしたり 冷たい飲食物を口にすることが全くできませんから 特にお年寄りや子供さんの熱中症が心配されます。
    テレビやパソコン、そして携帯電話なども充電が切れてしまえば 利用できなくなりますから 災害の規模も復旧や今後受けられそうな救援の見通しに関する情報もサッパリ入って来ないのでしょうから 不安であることが 肉体的なダメージに 精神的な影響もより深刻になりそうで 案じられます、報道によると お役所や電力会社の 初期段階における対応が遅かったことが 非難されているみたいだし お役所とかは 自分たちの弁明と責任逃れに必死になっているみたいで もっと対策に必死に取り組んでほしい時だけに 凄く見苦しく感じてしまいます。
    仕事のある身としては ボランティアなどに参加して 実際にお手伝いすることが出来ませんが もしカズミンのご家族が 苦しんでおられるのだとしたら 少しでも早く復旧して 元の生活に戻られることをお祈りするばかりです。せめて暑さだけでも 例年並みの気温になってくれれば 幾らかでも過ごしやすいのでしょうから そうなってくれることを願うばかりです。カズミンとしても 不安な気持ちで あいどるとして活動されているのでしょうから いつも以上に応援する気持ちでおります。
    ここ数年 台風や地震などの自然災害による被害が続いておりますが 私自身は 台風で病院のテントが吹き飛ばされたことぐらいで その被害も保険のおかげで 実質的な被害は殆どありませんでしたので 無事に仕事が続けられるだけ 本当に有り難い事だと感謝しながら 生活していこうと思います。

  • 9月13日 [あなたの番です」がえらい評判になっていたことを今頃知りました

    このドラマは 秋元康さんがプロデュースしたドラマで ナーちゃんが主要キャストとして出演していましたので 正直しょうもないドラマだとは覚悟しながら ナーちゃんが見たいだけの動機で 毎週録画して欠かさずにみておりました。主役は 今人気の田中圭さんと若い頃よりも魅力的になられたと思う原田知世さんで それぞれに好演されていたようには思います。ストーリー的には 連続殺人と言うショッキングな内容の割に 私としてはあまり盛り上がらないままに 最終回を迎えてしまいました。ナーちゃんのキスシーンがあったのが 私にとっては一番衝撃的な事件だったように思います。
    さして大物の俳優さん 女優さんが出演されているわけではないし 放送時間も中途半端でしたから そもそもそんなに注目されているなんて思いもしませんでした。前半の最期の部分で 原田さんまでが殺されてしまうという 意外な展開には 多少驚きましたが そこから始まる後半部分では 分けの分らない登場人物がどんどん増えていきましたので 正直全然面白くないドラマだと評価しておりました。大好きなナーちゃんが出演していなければ 絶対に見ないな等と思っておりました。
    そして最終回で いきなりナーちゃんが連続殺人の主たる犯人としてフューチャーされましたが ナーちゃんの演技が下手糞すぎて 殺人の動機や手口の説明も 体育館でやっている学芸会の演劇みたいになってしまったようで ガッカリしてしまいました。もともとしょうもないドラマだと評価していましたが ナーちゃんのあまりに拙い演技で このドラマに止めを刺してしまったように思い やっと終わってくれてホッとしていました。
    そんなに注目されているわけではないのだろうから ナーちゃんの醜態がそれほど 広まらずに済んだのだと思っていたら このドラマの視聴率が同時期のドラマの中でトップだったと知って 驚くとともに ナーちゃんの大根役者ぶりが 世間にばれてしまったことに心を痛めておりましたら 何とネットの評判として かなり叩かれて炎上してしまっていたのだそうです。まあそもそもナーちゃんに ちゃんとした女優さん並みの演技力を求めた 秋元さんの人選ミスだと私は言いたいです。
    但し ナーちゃんはグータンヌーボーの時も 初めてMCを務めたロケの放送後 MCとしての自覚が全然ない と叩かれまくりましたし 大ファンである私の目から見てもひどい内容だと思わざるを得ませんでした。所が 徐々に向上していこうとするナーちゃんの努力が少しずつ感じられて 回を重ねるごとに MCとしての実力が上向いていっているように思います。それまで 乃木坂にいた時は 幾ら叩かれようと グループ内にいたので メンバーやスタッフのおかげで 殆どダメージが無かったのかもしれませんが 一人になって ダイレクトに世間の厳しい評価を受けて めげずに頑張る姿勢が ナーちゃんにはあるように思います。
    今後も ナーちゃんの人気と魅力は 当分衰えないでしょうから 主役クラスで ドラマにキャスティングされる事は 何度もあると思いますが いずれは演技力も少しずつ向上していくための努力は出来る子だと思いますので 今回の演技がひどかったのは 否定しませんが この先に期待できるのは間違いないと思いますので 世間の皆様も どうぞナーちゃんを見はなさないでやってください。お願い致します。

  • 9月12日 青蜜柑 運動会の デザートに

    そろそろスーパーで 緑色したミカンが売り出される時期です。まだあまり甘くはありませんが ミカンの独特の香りと甘酸っぱさに魅かれてちょっとだけ買ってしまいます。小学生の頃 いつもは給食だけど 運動会の日は 遠足の日と同様に 母が心を込めたお弁当を作ってくれます。玉子焼きやウィンナーと言った子供の大好きなおかずとお握り その横に半分に輪切りにした青蜜柑がデザートとして入っていると 嬉しくて 尚更テンションが上がりました。緑色のみかんをみると 運動会のお弁当を思い出しますので その気持ちを詠んでみました。相変わらず ストレートで ひねりや深みが全然ありませんが 私の正直な気持ちですので 理解して共感して頂ける方が ほんの少しでもいらっしゃれば 嬉しいです。

  • 9月11日 俳句同好会に参加してきました

    昨日 枚方の俳句同好会と検索して 見つかった集まりに参加してきました。前日に電話番号が明記されていましたので 夕方に電話をかけて参加したい旨をつたえました。喜ん見学にお誘いいただきました。但し 会員が集まって 各自が自分の作った句を持ち寄って 句会をするので 明日の昼までに五句作って 短冊に書いていくように 指示されました。手ぶらで参加して 人の作った句を聴いているだけよりも 楽しめるからなのだそうでした。
    私は勿論何にも準備していませんでしたので 慌ててネットで 秋の季語を調べて 五句捻り出しました。正直これまで人目に触れる俳句なんて詠んだことが無かったので焦りましたが プレバトの夏井先生が 取り敢えずは上の五文字で 季語を入れて 後の七文字と五文字で 季語について思う所を述べれば 俳句は出来上る と言う言葉を信じて作ってみました。
    集まる場所は 枚方市駅の近所の生涯教育センターの会議室でした。始まる時間の五分前に到着すると 会議室の机といすを四角く並べていましたので 取り敢えずはご挨拶をして机を並べるのを手伝いました。書いてきた句を提出するように言われましたので 自信は無くて恥ずかしかったのですが 提出しました。参加者は八人でした。今日は欠席の人が多いのだそうですが まあ十人前後の集まりみたいでした。年齢的には 私が一番の若輩者と言った感じでした。今はテレビの「プレバト」と言う番組のおかげで結構若い人たちも俳句に興味を持っておられるみたいですが やはり年配の方の趣味なのかなあと思ってしまいました。
    椅子に座って 最初にしたのは 俳句を五句書き入れるマスの書かれた紙と 俳句の書かれた短冊が五枚渡されました。その五つの俳句をその紙に 書き写すように言われました。私は訳が分からないままに 言われた通り書き写しました。その紙が回収されて 暫くすると 各人が書き写した俳句をコピーされたものが つまり全員分の俳句が他人によって書き写されたものが 手渡されました。要するに 他人が書き直すことによって その俳句の作者が筆跡によって誰なのか分らなくするための作業でした。
    次にまた五つのマスの書かれた紙が渡されて 全員の俳句を読んで 気に入った五句を選び書き出すように言われました。更に一番気に入った俳句には二重丸 二番目と三番目の句には一重丸を付けるように言われました。俳句の初心者である私に 俳句の良しあしなんてわかるはずもないので 取り敢えずは読んでみて 情景の分り易い句を選び出しました。その五つの句に優劣をつけるなんて 出来ないので 単純に好きな順番に丸を付けて 提出しました。
    すると 各人が気に入ったと上げた五句が読み上げられました。私は自分の選んだ句が 他の誰も選ばないのではないかと不安でしたが 五つのうち三つは他の人と重なっていましたので ホッとしました。まあ初心者の私がそれも短時間で間に合わせて作った句なんて選ばれるわけがないと思っていましたが 何と五つのうち三つも選んでいただけました。不思議に思いましたが 取り敢えずは気に入ったと評価されたのでしょうから 凄く嬉しかったです。
    その後 ズラッと並んだ俳句を全員で見直していき 誰かに選ばれた俳句について 評価した理由を発表していきました。その後作者が名乗り出るという手順が続きました。私は予想外に三つも選んでいただけましたので 作者を問われて 手を挙げるときに この句会に参加してよかったと思いました。勿論人から評価されるために句を作ったわけではありませんが 一応自分の作った五七五の十七文字が 俳句の体を成している事が実感できましたので 嬉しかったのです。
    ここで評価された俳句を紹介いたします。
                   八朔よ 手間暇無くば うんと好き
                   残暑とは 名のみの日差し 滝の汗
                   山椒の実 辛さと食感 今は好き
    いずれも 秋の季語を頭に持ってきて その季語に対する気持ちを表現しただけで ひねりも深みもありませんが 一応気に入ってもらえた方がいらっしゃいましたから 俳句の仲間入りしているのではないでしょうか。
    但し私が一番自信のあった句は だれからもえらばれませんでした。 その句は
                   法師蝉 物悲しさを ひきつれて
    というものです。法師蝉とは 夏の終わりごろに泣き始めるツクツクボウシと言う蝉の事だと思いますが その鳴き声をきくと 何時も夏の終わり 夏休みの終盤である事を思い知らされて 悲しく寂しい気持ちになってしまう と言う心情を詠んだもので 私としては一番俳句らしいのではと思っておりました。まあこの季語だと似たような気持を詠んだ句なんて 掃いて捨てるほどあるからなのかもしれませんが 選ばれなかった理由としては 「物悲しさを」が曖昧だったからのようで「ひきつれて」はまあまあと評価して頂きました。まだまだ始めたばかりですから 当然ですが 俳句の良しあしは 全然分りません。
    本日は ビギナーズラック があって選んでいただけたのだとおもっております。自分の句が 誰からも選ばれなければ 相当に悲しくて 落ち込むことも多いのでしょうが 取り敢えずは俳句を作って 他人の俳句にも接する機会を得られる この同好会の活動は なかなか楽しく感じられましたので 今後も都合がつくようなら参加していこうと思います。なお提出した俳句は 全て東京におられる偉い先生にみて頂いて 評価してもらえるのだそうです。どのような手厳しいお言葉を頂戴するのか分りませんが まあ初めて作った俳句ですから スタートは評価が低い方が 上達していきやすいと覚悟しておきましょう。

  • 9月10日 1960年の本日 カラーテレビ放送が 始まったのだそうです

    今から59年も前の話です。但し当時のカラーテレビは とんでもなく高価で とても一般人が購入できるような代物ではなかったようです。白黒テレビの保有台数をカラーテレビが上回るのに 十一年もかかったのだそうですから 普及するまで庶民には 高嶺の花だったのでしょう。私の家は 父がサラリーマンのいわゆる一般庶民でしたし 父がその類の新製品が発売されても ある程度普及して 販売価格が十分に下がるまで 手を出さない人でしたから 我が家にカラーテレビが購入されたのは かなり遅かったのだろうと思います。
    とは言え四十年以上前には 一般家庭にカラーテレビがあるのが当たり前になっていましたから お若い方にしてみれば生まれた時からカラーテレビが極普通に各家庭に置かれていて 白黒テレビの存在すら知らないのでしょうから その有難味を理解していなくても仕方がありません。それも今では 据置型のテレビではなくて スマホやタブレットなどで 各個人が見たいものを見ますから 家族の団欒なんていう古き良き時代の家族の一体感なんて無くなってしまっているのかもしれません。
    各家庭にテレビが一台しかなかった時代には 恐らくチャンネルの選択権は お父さんが握っていたのでしょうから時代劇やプロ野球ばかりで 歌番組やバラエティなんかあまり見られないのが普通だったのかもしれません。今はお父さんが実権を握っているご家庭は 少ないのかもしれませんが 子供たちはスマホやパソコンで見たい番組をチョイスできるのでしょうから 皆が平和な時代と言えるのかもしれません。
    昔 高校生の女の子をアルバイトに雇っていた時に 話していて驚いたことが有ります。自分のお父さんやお母さんが子供の頃の写真を見るとみんな白黒写真ばかりだし、テレビも白黒の時代だったという話を聞いていて その時代には 全てのものが白黒の世界だと勘違いしていたのです。カラー写真やカラーテレビが普及するまでの世の中は 白と黒しか色が無かったなんて言う発想は 凄くユニークで ある意味素晴らしいのかもしれませんが この子とは絶対に本質的な部分で分かり合えないなあと 思ってしまいました。あの子も 当時はピチピチの女子高生でしたが 今では四十歳前後の小母ちゃんのはずですけれど 普通に生きているのでしょうか。当時は オジサンだった私がお爺さんになってしまっていますから 時の流れの速さに驚きます。

  • 9月9日 秋の蝉 明日はわが身と たそがれる

    また一句浮かんだので 捻り出してみました。歳時記の秋の季語を眺めていたら 「秋の蝉」と言うのが心に引っ掛かりました。セミは地中で数年を過ごしながらゆっくりと成長して地上に出て羽化してから 僅か一週間ほどで死ぬと言われてきました。但し最近の調査によると 羽化してから一か月ぐらいは普通に生きているのだそうです。まあ地中の生活の長さに比べると 地上での生活が非常に短いという点では 五十歩百歩かもしれませんが セミの寿命と言う事で考えたら 地上で活動している時期が 晩年であることは 間違いなさそうです。
    何にしろ 客観的に見てかなり短い時期に 自分の子孫を残すための繁殖行動即ち交尾をするために オスは煩い位にミンミンと鳴いているのでしょう。七月 八月の時期には セミの鳴き声がうるさくしか聞こえませんが 九月になってたまにセミの鳴き声を耳にすると もうあと少ししか生きられないはずの蝉に 哀れな気持ちを抱いてしまいます。
    中七の言葉として 最初は「明日は我が身と」にしようかと思いましたが 奥様から日頃 散々老いぼれジジイと罵られておりますので「既にわが身と」の方が 適切な表現かと判断しました。
    私の人生が 終盤に差し掛かってきていることは ここの所いつ仕事を辞めるのかが 私の最大の懸案事項ですから 間違いないと思います。その事を実感する度に 落ち込んでしまいますので その心境を詠みこんでみました。人間だれしも平等に年をとる訳で 若くて元気な時期には その有難味を実感できないままに 無駄であり無意味な事にばかり 関心を持って行動しておりました。正直な所 若い時期には 女の子とHすることしか 興味がなかったと言っても過言ではありませんが もう少し有意義な時間を過ごしておけばよかったと 後悔しきりでございます。
    誰にだって 若くて元気でピチピチしていた時期が あったのですから 現在のお若い方々を羨んでも どうしょうもない事は重々承知しておりますが 返す返すももっと自分の人生にとってプラスになる事に 頑張っておけなかったことが 残念無念です。でも私には 明るい老後が待っているはずですから 下ばかり向いていないで 楽しい明日を夢見て 元気に生きていこうと思います。

  • 9月8日 1868年の本日 元号が明治になりました

    これまでは天皇の即位の他、瑞祥や災異があったときなどに頻繁に改元していましたが 年号の軽薄感をなくすため岩倉具視が一世一元を具申して、天皇が許可されたのでそれ以降は 天皇陛下が即位されるたびに 改元されるようになったのだそうです。現在は 西暦と和暦が混在しております。主な年号は西暦で表現する場合が多いのかもしれませんが 誕生日などはいまだに和暦で表現される場合が多いように思います。
    今年 一応一代限りの特例として 平成天皇が生前退位されましたので 元号が 令和と改まりました。しかし私の生活の中で 令和と言う元号を使用する機会が殆どありませんので 今年の五月から元号が変わったことは殆ど実感しておりません。一般の方々は 平成から令和に元号が変わったことを もっと実感されているのでしょうか。
    昭和生まれの私としては ついに二時代前に生まれて育ったのですから もっと疎外感や焦燥感があるのかと思っておりましたが まだまだ昭和生まれが 世の中の実権を握っていますし その状況は当分続くのでしょうから それ程悲哀や寂しさを感じなくて済むのかもしれません。但し スポーツ界などでは 平成生まれが 主力になっていますから幾つかのジャンルでは 明らかな世代交代が着実に進んでいるようです。
    昔 和暦しか存在しなかった時代には 元号がコロコロ変わっていたら その元号の名前と何年続いたのかを覚えておくのも面倒であったでしょうし 単純に年齢なんかもわかりにくかったのではないでしょうか。岩倉具視さんが 発案して具申してくれて 当時の天皇陛下が認められたので 一世一元号と言う制度に落ち着いたのでしょうから 今から考えると 有難い事だと思います。もう私が死ぬまで元号が変わることはないのでしょうから もう少し令和と言う元号に馴染んでいこうと思います。