Dr.喜作のブログ

2019年12月 の記事一覧

  • 12月17日 1924年の本日 師走の定番ベートーベンの「第九」が 初演されました

    ベートーベンの第九の日本での初演については 諸説あるみたいで もっと早い年度を記述されている場合もありますが まあ私にとっては この時期に合唱に長年携わってきた人間としては どうしても思い出してしまって また歌いたくなってしまうという気持ちを記したかっただけです。ベートーベンの九つの交響曲には 有名な曲 日本人にとってなじみの深い曲が多いように思います。私がクラシック音楽のうちで一番好きな曲といえば なんか当たり前すぎて笑われてしまうかもしれませんが このブログで何度も申し上げていると思いますが 五番の「運命」です。
    特に好きなメロディーは 第四楽章の冒頭に出てきます。最初の六つの音のつながりを耳にしただけで 真剣に聞き入っている場合 涙がこぼれてきます。この曲は 日本人にクラシック音楽といえば という質問をしたときに ひょっとしたら一番沢山の方がお答えになるぐらいの 有名な交響曲です。但し日本だけで 超有名な曲というわけではありません。昔 第二次世界大戦で日本の同盟国であり 同様に敗戦国となったドイツを代表するオーケストラ ベルリンフィルが 敗戦後戦勝国の許しを得て初めて開いた演奏会の メインプログラムが「運命」なのですから ドイツ人にとっても クラシック音楽の原点として存在しているのかもしれません。
    ベートーベンの交響曲では 他にも大好きな曲がいくつもあります。三番と六番と七番です。三番は「英雄」という表題がついていますが ナポレオンを讃える曲として作曲されましたが 完成後まもなくナポレオンが皇帝に即位し、その知らせに激怒したベートーベンは「奴も俗物に過ぎなかったか」とナポレオンへの献辞を破り捨てた、という逸話が有名です。まあナポレオンはどうでもいいとして 一番 二番は 古典的な交響曲の形式を踏襲していたような感じですが この曲から オーケストレーションも上達しているみたいですし 特にホルンによるメロディーが のびやかで素晴らしいように思います。
    六番は 「田園」という表題がついていますが 私が岐阜大学にいる頃 一時的に混ぜてもらった岐大のオーケストラが 演奏会のメイン曲として演奏しましたので 勿論入ったばかりの私は参加させてもらえませんでしたが 耳にタコができる位に繰り返し 木管パートを身近で聞いておりましたけれども 何度耳にしても飽きることがないくらいに素晴らしいメロディーの連続で 本当に魅力にあふれた交響曲だと思います。
    七番はドラマ「のだめカンタービレ」で 有名になったのかもしれませんが 技術的には ベートーベンの交響曲の中で一番難しいかもしれないのだそうです。私は ほんの少しだけ岐大オケに混ぜてもらって ファゴットをちょっぴりだけ触らせてもらった程度にしか オケに関わっておりませんので 技術的な大変さは よくわかりません。この曲は とにかく冒頭からのメロディーが 大好きです。私は どちらかというと交響曲の後半に登場する メロディーに魅了される場合が多いのですが この曲は 最初から大好きです。一番好きなのは 五番ですが 曲の出来栄えや構成については 七番の方が 優れているような気がします。乃木坂でいうと 一番好きなのはカズミンですが 可愛らしさではヨダッチ 美しさではマイヤンの方が勝っているように思うのと似ているのかもしれません。
    話を 第九に戻しますと 私はこれまでに十回ぐらい 合唱団の一員として ステージに立っているように思います。はっきり言って 「第九」は合唱曲としては 音域がかなり高いことと 歌詞の発音が慣れないうちは 難しいこと以外は それほど大変ではありませんので 歌うのにあまり苦労した覚えは ありませんし¥。曲の暗譜もまだ若い頃でしたので それほど大変な思いをせずに済みました。割と単調な歌なので 一度きちんと暗譜してしまうと 楽譜を見ながら集中的に歌い直せば 短時間で思い出すことができました。出来たら オーケストラの一員として この大曲に取り組めたら嬉しいのですが この年齢になっては 叶わぬ夢のようです。とにかく日本人は 年末になると 第九の演奏会にせっせと通う傾向にあるのは 昔も今もあまり変わらないのかもしれませんが クラシック音楽とどうしてもなじみの薄い国民性がありますから この曲だけでも 日本に根付いてほしいと思います。

  • 12月16日 一つ目の大学時代の 混声合唱団の女性二人とランチしました

    ここの所 六月ごろに 混声合唱団の平方在住のメンバーを中心に 土曜日の昼に集まって昼食会を開く事が 恒例になりつつあります。私が言い出しっぺなので かなり面倒なのですが 毎年集まりの幹事として頑張っております。そちらの方は 十人以上も集まっていただくのでかなり盛り上がっているように思います。ただその時に一人の女性が 秋ごろにもっと少数で 簡単に集まってランチをしようと言い出しました。私も参加したいので 集まるときには 必ず声をかけてほしいと伝えました。先日 秋に少人数でランチをしようと言い出した女性から メールが届いて 秋は忙しいので十二月の半ばにランチするのは如何でしょう という内容でした。年末になるとさすがに忙しくなるので 本日の昼から なら時間が取れるのでその旨返事を出しました。
    集まるのは その女性が宇治の近辺に住んでいるので 自分のご近所さんの女性を一人誘って 承諾をもらっているという事なので 三人で集まろうという計画でした。但し日にちだけは 彼女が決めてくれましたが いつの間にかお店と集合場所 集合時間などは 私に決めてくれと 頼まれてしまいました。結局この少人数の集まりも 私がセッティングする幹事役を引き受けてしまいました。昼なので 予算は2000円位と 言われていましたので 困りました。私としては 女性二人と食事するのですから 当然私がごちそうするつもりで もう少し予算を高めに考えて ゆっくり話ができるように個室のあるお店を 想定していました。
    所が 計画が煮詰まっていくにしたがって 妙な借りを作りたくないので お会計は割り勘にしてくれ 予算は2000円位に設定してくれと 注文がついてしまったので どのお店にしようかと 一から考え直さなければならなくなってしまいました。そこで思いついたのが イタリア料理のチェーン店「ルイジアナママ」でした。個々のランチなら 大体千数百円のランチセットがいくつもあり デザートを付けるとちょうど二千円位に収まりそうなので 予算的にちょうどいいように思いました。但し 駅から遠く離れているので 私のオンボロ往診車で駅まで送迎しなければなりません。普段トリミングの犬たちを沢山のせて運んでいますので 車内がかなり毛だらけなので 丁寧に掃除をしなければなりませんが 何かないとずぼらな私が掃除をしないので いい機会だと前向きに考えました。そして本日の午前中に ボディに付着した泥などを 洗い落としたり 窓ガラスをクリーナーで磨いたり 床に掃除機をかけたりして せっせと掃除をしました。
    午前中の診察が無事二十二時過ぎに終わりましたので 待ち合わせの樟葉駅のロータリーに向かいました。何とか約束の時間ギリギリに モスバーガーの前という指定した場所に 辿り着きました。ちなみに 私の奥様も参加してもらいました。私としては とにかく楽しい時間を過ごすのに 奥様は必要不可欠な存在だし 奥様は昨年の六月の集まりの時に参加していましたので 二人と面識がありましたから 二人とも奥様の参加を快く受け入れてくれました。正直に申し上げると 奥様がいないと 駅までの道や お店までの道筋に 不安があるから同行してもらわないと 道に迷ったりして 惨めな醜態をさらしてしまいそうになる不安があったから誘ったのもありました。
    このお店は 昼間は忙しいので 予約を受けてくれないのですが 事前にお願いしておくと 順番待ちのボードに 早めに名前を書いておいてくれて それ程待たずに済むよう配慮してくれるので有難いのです。一応余裕をもって 一時頃に着く予定だと告げておりましたが 十分以上早くついてしまったがために 若干入り口の所のイスに座って待ちました。勿論そこでも 互いの近況報告などをおしゃべりしていましたので 全然退屈しませんでしたし ものの五分ぐらいで 席が空いたので 案内されました。チーズフォンデューとハンバーグのランチを注文しました。スパゲティとピザが一つずつ付くので 彼女たちに選んでもらいました。
    私たちは 午後も仕事がありますので お酒は飲めませんが 彼女たちはそこそこ酒豪コンピでしたから 取り敢えずグラスワインを注文されました。私はウーロン茶 奥様はオレンジジュースのグラスをもって ワインがテーブルに届いてから 乾杯してにぎやかな食事が始まりました。
    二人の女性のうち 一人は 私と何と同じ出身高校 四条畷高校でも同窓生でした。まあ同じクラスになったことがなかったので 寝屋川出身の彼女とは全く面識がありませんでしたが 練習終わりの帰り道は いつも同じ京阪電車に乗って 帰るので 直ぐに親しくなり 色んなことを喋るようになりました。最近でこそ ちょこちょこランチのお誘いにも 気軽に参加してくれますが 以前は 何故か頑なに合唱団のメンバーの集まりに顔を出してくれないので心配しておりました。その辺りを食事の途中で 私が話すと その頃は ご主人との仲が かなり険悪になっていて 離婚することも考えたぐらいに 家庭崩壊のピンチだったようなことを 話してくれました。それに娘さんが 大きな病気を抱えてしまい そちらへの対応にも 精一杯で とても学生時代の友人と 楽しいひと時を過ごすための 時間的にも 精神的にも余裕がなかったのだそうです。自分の家庭の事情の 裏の部分を 正直に話してくれましたので 嬉しかったし 現在は 何とかその二つのピンチを上手く乗り越えられたらしい と聞いて ホッとしました。
    もう一人の女性は 富山出身で 大学を卒業してすぐに 実家に戻り近所の高校の社会の先生をしていました。私が 卒業して 塩野義製薬に就職して 一年目は金沢で働いておりましたが 三年目から富山に勤務地が変わりましたが 勿論私は富山に知り合いが全然いませんでしたので 彼女と結構頻繁に連絡を取るようになりました。最初のころは 特に寂しさを感じておりましたので 彼女の実家にちょくちょくお邪魔させてもらいました。料理は得意でしたから 結構自炊をしておりましたが いわゆるおふくろの味 一般的な家庭料理に飢えておりましたので 晩御飯を期待して 仕事終わりに度々通ってしまいました。ご両親とも何故か話が弾んでしまって 事あるごとに お誘い頂けたりしておりましたので 遠慮なくお邪魔してお世話になっておりました。現在彼女は 娘の嫁ぎ先が京都にあり その子供たち つまり孫の面倒を見るために 京都で暮らしているのだそうです。ご主人は まだ栃木県にお住まいでお仕事を頑張っておられるみたいですが 私としては孫は可愛いかもしれませんが もっとご主人を大切にして 面倒を見てあげてほしいように思っております。
    そんな彼女たちと 全く連絡を取れていない時期もそこそこありましたが 現在もなんとか 仲良くさせてもらっていますので とても嬉しいです。食事は 結構ボリュームがありましたので みんなおなか一杯になったあたりで三時半を回りましたので お開きにすることにしました。私は 現在の最大関心事である 移住先の話を中心にしましたが 彼女たちは どちらかというと老後は便利な都会で生活したい派でしたので 私の話す田舎暮らしの楽しさをなかなか理解してくれなくて もどかしかったけれど いずれ移住してから 大分県まで遊びに来てくれたら その良さを理解してもらえるのではないかと 思いました。とても楽しかったし この人数だとみんなと満遍なく そして心置きなくおしゃべりできましたので またいつかこのメンバーで集まりたいと思いました。とても楽しくて充実した一日でした。めでたしめでたし。

  • 12月12日 1911年の本日 日本で初めての喫茶店がオープンしたのだそうです

    東京の京橋というところで 一杯三銭のコーヒーを 白いエプロンのお姉さんが運んでくれると 評判になり かなり繁盛したのだそうです。私も大学生のころには ちょくちょく喫茶店に通いました。一つ目の大学時代は 授業にはあまり熱心に出席しておりませんでしたので 所属していた混声合唱団の部室に居座って やってくる仲間たちと 合唱についてやクラシック音楽全般についてとか 勿論時事問題についてなど 語り合っておりました。確か部室には 電気ポットとインスタントコーヒーが飲めるようなセットが置いてありましたので 話しながらそれをせっせと飲んでおりました。ただたまには ちゃんとした薫り高いコーヒーが飲みたくなりますので おごってくれそうな先輩がいると それとなく喫茶店へ誘って ちゃんとしたコーヒーを飲んでおりました。
    サークルの部室もそれなりに 落ち着けるけれど やっぱり喫茶店だと座る椅子も上等だし 雰囲気も良くて BGMも流れていますので 高いお金を払うだけのことはあると思っておりました。私は 一つ目の大学時代は バイトがあまり好きではなかったので かなりの貧乏学生でした。まあ二つ目の大学時代は バイトで授業料から生活費まで稼いでおりましたので もっと貧乏な学生でしたけれど。生協の食堂でも 卵ご飯定食と自分で名付けた ライスの中60円 生卵30円 味噌汁10円 合計百円で一度の食事にしておりましたので 三百円前後もかかる喫茶店は かなりの贅沢な場所でした。でも雰囲気のいい喫茶店で 友人たちと話す というよりも意見を交換する方が ずっと盛り上がった気がしますので 気前のいい先輩がいると せっせとおべんちゃらを並べて 喫茶店に連れて行ってもらっておりました。まあその頃は コーヒーの味がわかるのか と言われれば 全然わからなかったように思いますが 喫茶店の前を通っただけで 漂ってくるコーヒーの芳醇な香り にすごくひかれていたことは間違いありません。
    卒業してサラリーマンをしていたころは 営業職でしたから 先輩たちとの待ち合わせや 仕事の空き時間をつぶすのに 頻繁に喫茶店は利用しておりました。その頃は 私の人生でいうとかなりリッチな時代でしたから 少々値が張るけれど 美味しいコーヒーを飲ませてくれるお店を探してみたりもしました。私の大好きなテレビ番組「孤独のグルメ」で 五郎さんが喫茶店のナポリタンスパゲティはなぜか美味しい と言っていましたが 私も喫茶店で食べるナポリタンは とてもおいしく感じてよく注文していました。まあ作っているのは バイトの学生かなんかのはずですから 取り立てて美味しいはずがないとは思っておりますが 何故か熱々の鉄板に乗って 出てくる それも目玉焼きなんか乗っかっていようものなら 凄くおいしく感じて 赤い汁が飛ばないように注意しながらも 貪り食ってしまいました。
    サラリーマンを辞めてから 二つ目の大学岐阜大学に通っていたころは モーニングサービスを期待してせっせと喫茶店に通ったのを覚えています。岐阜や 愛知県では 昼間喫茶店でコーヒーなどを注文すると 殆ど間違いなくピーナッツや一口サイズのお菓子が おまけとしてついてくるのです。それが朝食タイムになると 普段のコーヒーと同じ料金で かなりしっかりした朝食がついてくるのが当たり前なのです。トーストにゆで卵なんかが大阪では普通ですが そんなものでも別料金が発生してしまいます。所が岐阜では まずはパン類としてトーストかサンドイッチかホットドックが好きなものを選べて 更に割とちゃんとしたサラダがついてきて おまけにデザートとして果物やプリンかゼリーなどがついてきて 料金はコーヒー一杯分なのです。驚いたお店では 味噌汁とおにぎりに漬物 そしてデザートまでついて 最後にコーヒーが出てくるところもありました。ですから岐阜や愛知では 結構なお年寄り夫婦などが 仲良く喫茶店でモーニングサービスを食べている姿は 全然当たり前なのには びっくりしてしまいましたが 私も貧しかったけれど頻繁にコーヒーチケットを買って 通ったものです。
    開業してからも 近所の喫茶店の女の子が 可愛らしくて結構通った時期がありましたが ふとしたきっかけで その女の子が嫌いになりましたので それ以来全く喫茶店に出かけることがなくなりました。最近は 外食はちょくちょくしますので 出かけますが 勿論食事が目的ですからご飯屋さんにしか行きませんので ここ数年喫茶店と名の付くお店には 入っていないように思います。一時期 コーヒーを自分で点てる事に凝ってみようと サイホンやミルを購入して 豆を買ってきて飲んでいた時期がありましたが やはり自分の家のいつものテーブルで飲むのでは それなりに美味しいのだけれど いつの間にか飽きてしまって サイホンも誇りをかぶっております。
    喫茶店に出かけるという行動も やはり習慣性があるようなので お気に入りの店ができたら また通うようになるのかもしれませんが 当分は 縁のないお店のように思います。

  • 12月10日 本日はノーベルさんの命日にあたりノーベル賞の授与式が行われるのだそうです

    今年も一人の日本人の方が 受賞されたみたいです。リチウム電池という現在の生活には 必要不可欠なるものを開発されたのだそうですが 私はスマホとまったく無縁なので 余りピンと来ておりません。ノーベルさんという方が ダイナマイトを発明して 巨万の富を得られたので 遺言として 世界のいろんな分野で大きな功績を建てられた人を表彰して 賞金を与えるような制度が1901年から確立されたのだそうです。ノーベル賞というのは 普通とは異なる 才能に恵まれた方々が 長年にわたって懸命に努力を重ねられた結果を 評価されて受賞されるもので 我々一般人とは全く無縁のものだと思っております。
    ただし 私の友人で このブログで何度も紹介しております 永長直人君は 何と小学三年生のころから その受賞を人生の目標として掲げておられました。
    当時 私も小学生でしたから ノーベルと科学技術分野における発明・発見や、学術及びスポーツ・芸術文化分野における優れた業績を挙げた方いえば キャンディーで有名な ノーベル製菓ぐらいしか馴染みがありませんでしたから 最初はお菓子にすごく興味があるのかなぐらいにしか 考えておりませんでした。確か小学三年生の二学期だったと思いますが 彼が東京からの転校生としてやってきたのです。見た目は それ程才気ばしった風貌ではなくて どちらかというとおっとりした育ちのいいお坊ちゃんという印象でした。所が授業中になると 彼の人格が変わります。そもそも私たち普通の子どもにしてみれば 教科書に書いてあることや先生の言葉に対して 一切疑問を持つはずがありません。
    なのに彼は 教科書に書いてある文章の表現に対して もっとこういう言い方をした方が 適切であるはずだ などと発言します。そして教科書の内容に沿った 恐らく既成の つまり先生の手作りではなかったであろうテストを受けるときの彼の口癖が「ミスプリントや」でした。私たち 鼻水垂らして 頭の中遊びとおやつの事しかないごく普通の子供にしたら 聞いたことがありませんから 勿論発言したこともない言葉です。「ミスプリント」の意味は「印刷物の誤植」という事らしいのですが 彼は問題文のあいまいな部分や 場合によっては異なる意味にとられるかもしれない表現を 的確に見つけて 大声で指摘するのです。普段は授業中でもそこそこ賑やかな小学生の教室が さすがにテストが始まったばかりのころは シーンと静まり返っているときに永長君の甲高い声が響き渡るのです。転向してから一週間ぐらいしたときに彼についたあだ名は「ミスプリントの鬼」そして名字を音読みにして「天才エイチョー」でした。
    とにかく まだ小学校の三年生なのに 将来の目標もしっかりと持っていましたから 普通の小学生であった私とは 住んでいる世界が異なることを感じていました。「将来は東大の多分理学部の教授になって 研究に打ち込んで いずれはノーベル賞を取りたい」という立派な目標でした。もし彼が とびぬけて頭脳明晰で かっこよくて運動能力まで高ければ 私は彼を大嫌いになっていたかもしれませんが 実際は おっとりしたお坊ちゃんで そんなに女の子にもてる風貌ではなかったし 走るのもどちらかというと遅かったので 私はそこそこ仲良くさせてもらっていたように覚えています。
    そんな彼と再会したのは 四条畷高校に入学した時の事でした。同じクラスには全然なりませんでしたが 彼のとびぬけた秀才ぶりは 自然と耳に入ってきておりました。当時四条畷高校は 私たちの学年から学区改変があり 第四学区のトップ校になりましたので 十段階評価で10と9の子ばかりが集まっていましたが その中でもずば抜けていました。確か三年生になってから 五教科各二百点満点 つまり千点満点の模擬試験が何回か行われました。かなりの秀才ぞろいなのに 平均点が四百点台で 五百点以上取れれば 阪大に 六百点以上取れれば京大に入れるなどと噂されているテストでした。私は恥ずかしながら 四百点を超えるのが精一杯でした。
    テスト終了後 各科目や総合した平均点と 総合点の各人の分布を棒グラフにあらわした結果が発表されました。さすがに賢い生徒が少なからずいるみたいで 六百点以上とる子たちがそこそこいました。そして例年は七百点以上取る生徒が存在しなかったからなのでしょうが 棒グラフの上限が七百点になっていたようなのですが 一人だけ毎回九百点前後の点数を取ってしまう人がいたので その人の分が書き足されていたように思います。そんなとんでもない点数を獲得するのは 永長君に間違いないことは 全員周知の事実でしたから 改めて器の大きさの違いを見せつけられるようで 辛かったです。
    昨年高校の還暦同窓会がありまして 参加しましたが 数学の先生が言っていました。「彼は毎回毎回満点を取るので 何とか減点してやりたくて 高校生の数学レベルをはるかに超えた難題を出題して やっと満点を阻止できたとき 思わずガッツポーズしました」と。誰についての発言であるのかは 勿論みんな分かっていましたので 先生にそんな思いをさせるぐらいに 彼の秀才ぶりが突出していたのだと 改めてみんな痛感したように思います。
    そんなとんでもない秀才の永長君は 子供のころの宣言通り東大理学部物理学科の教授になって 昨年 科学技術分野における発明・発見において優れた業績を挙げた方が頂戴する紫綬褒章なるものを受章されました。天皇陛下から 多分直接手渡されるのだと思いますが 我々一般庶民には 全く無縁の世界の出来事です。でも彼の人生の目標は あくまでノーベル賞を受賞することですから 彼にしてみれば 単なる通過点に過ぎないのだと思います。そして今日も彼は 黙々と研究に取り組んでおあられるのだと思います。
    彼の目標がノーベル賞であることは 友人のだれもが知っていることですし 何時かは彼が受賞してくれることを皆信じて疑いません。六十二歳といえば まだ一流といわれる科学者の中では若手の部類でしょうから あと十年ぐらいしたら 本気でノーベル賞受賞者の発表されるときに 彼の名前が呼ばれることをワクワクしながら待つようになると思います。ここの所 日本人の受賞者が相次いでいますので 正直あまりお名前もお顔を 覚えておりませんが 彼が受賞してくれたら 私も小学生のころにそこそこ仲の良かった友人として とても嬉しいので 死ぬまで自慢の種にさせてもらおうと 楽しみにしております。勿論彼は 私の名前も顔も覚えてくれてはいないのでしょうけれど。

  • 12月9日 私は本当に 器の小さな けちん坊の男だと思います。

    ここの所 風邪気味で 鼻水が 結構垂れてきます。普通そんな時 昔ならチリ紙 今ならティッシュで鼻をかむのが普通だと思います。私も当然はじめはティッシュペーパーを一枚引っ張り出して 普通に鼻をかみます。そこで使用したペーパーは 丸められてゴミ箱に放り込まれるのが 当たり前だと思います。でも私は 根っからの貧乏人根性が抜けないので 最初に鼻をかむときに 右半分を使用します。それで 使用後も机の端っこに置いておいて 次に鼻をかみたくなった時に 残りの左半分で 鼻をかみます。ティッシュペーパー一枚 正確には分かりませんが 一円するかしないかだと思います。ですから 一円を惜しんで そんなけち臭いことをしているのではないように思いますが 一枚のティッシュで 二度鼻がかめるのなら そのように利用してやらないと ティッシュペーパーに失礼に当たるような気がしているのかもしれません。それと一枚で二度鼻をかんだ方が ゴミも半分になるからそんなせこい行動をとっているのだろうと思います。
    似たようなせこい行動は 台所でも見られます。普通 割りばしというものは お弁当を食べるときなどに使用して そのままごみとして捨てられるものだと思います。所が 私は 暴飲の二階で不通に食事をするときなどに 割りばしそれもスーパーなどで お弁当などを購入した時に おまけでもらえる無料の割りばしを そのままごみ箱へ捨てないで 普通の食器などとともに 洗って箸立てにたてて 乾燥したら 次の食事の時や 料理で箸を用いるときに ごく当たり前に使用しています。勿論本来使い捨てにする割りばしですから 何度か使用して 薄汚れてきたり くたびれてきたら 遠慮なく捨ててしまいますが 使えるうちは何度か 箸としての役割を果たしてもらうようにしています。
    スーパーから只でもらった割りばしですから もったいない とか節約したくてこのような行動をとっているわけではないのでしょうが 使い捨てが当たり前かもしれない割りばしでも 洗って乾かしてやれば あと何度かは お箸としての役割を果たせるのですから 働けるうちは働いてもらった方が 割りばしとしても 嬉しいのではないかと考えてしまうからです。平和な日本で こんなみみっちい せこい行動をとっているのは 私だけかもしれませんが たとえ消耗品として生み出されたものでも その役割を十分に果たしてから お役御免にしてあげたいと 思ってしまうのです。
    こんなことをブログに恥ずかしげもなく 正直に書いてしまうのは 私が恥知らずな人間だからかもしれませんが 出来たらこのブログを読んでいただけているごくわずかな人たちの中で 共感していただける方が一人でもいてくださるのなら 同様の行動をとっていただけると とても嬉しいからかもしれません。本来一回使ったら 即ごみ扱いされてしまうティッシュペーパーや割りばしを 複数回使うことを多くの人が実践すれば 世の中ごみがあふれかえっている時代ですから 幾らかなりともごみを減らすことにつながるのではないでしょうか。私のような 本当にくずみたいな人間でも ほんの僅かであっても 世の中のお役に立てる などという言葉もおこがましいような 些細でみみっちい行動ですが ほんの少しだけでもゴミ減らしのお役に立てるのではないかと 思って 恥を忍んであえて提案させていただいております。
    スーパーの駐車場でエンジンかけっぱなしの車にも 私は文句を言いたいのを我慢しております。車を走らせるうえで エンジンをかけるのは 自動車という移動手段を利用する以上 走るときにエンジンをかけて 酸素を消費して 排気ガスを排出するのは 現代社会ではある程度致し方のないことだと思います。だけれども 駐車場に車を停車したら 一刻も早くエンジンを停止すべきだと思います。なのに おっさんが一人だけスマホをいじりながら車で待っている間は 当然のようにエンジンはかけっぱなしです。おっさんが涼しく過ごすために エンジンをかけっぱなしにして 排気ガスを放出するのは 全く無駄な行為だと思います。子供がちょろちょろするのが面倒だからかもしれませんが 車に子供だけ残してエンジンをかけっぱなしの状態も よく見かけます。
    地球温暖化対策として 少しでも二酸化炭素ガスの排出量を減らすためにみんなで努力しましょう といくら政府が呼び掛けても 国民にその意識が全くないのは 日本人の民度の低さを痛感させられるようで とても悲しく思います。百歩譲って 人間がだれか車内に残っているから エンジンをかけっぱなしにしているのは 暑ければ熱中症対策として 致し方のないことかもしれませんが 炎天下駐車されている車に 明らかに誰も乗っていないのにエンジンをかけっぱなしにしている馬鹿野郎が 時々います。おそらく買い物をしているうちに 車内の温度が高まるのが嫌だからかもしれませんが 本当にそんな輩は ぼこぼこにどつきまわしてやりたくなります。
    まあ高所大所からみれば ほんの数十分エンジンをかけっぱなしにして発生する二酸化炭素なんて 微々たるものかもしれませんが 小さなものが積み重なって 大きな結果につながるのではないでしょうか。ティッシュや割りばしを直ぐに捨てないで 使いまわしをするのは もっと微々たることであるのは 分かっていますが でも私は今後も続けていくつもりです。笑いたい人は笑えばいいし 軽蔑したい人はどうぞご自由にと 申し上げておきます。

  • 12月8日 1980年の本日 ジョンレノンが狂信的なファンによって射殺されました

    このての 熱狂的なファンが 芸能人やスポーツ選手に危害を加える事件は 昔から時々あったみたいですが 私には この事件もサッパリその動機が理解できません。ジョンを殺害した犯人は その場で一切抵抗もしないで 逮捕されました。その後の警察による 取り調べにも割と素直に応じたみたいですが 大好きなジョンを殺害した理由については 周囲を納得させるような説明がなされなかったようです。ジョンのファン以外の人間でも なぜジョンレノンが それも彼自身のファンに 射殺されねばならなかったのか という理由を知りたかったはずで 数々の憶測が飛び交ったようですが その本当の所の真実は 明らかにはされていないのだと思います。この事件を描いた映画が 二本も作られていたのだそうですが あくまでも脚本家による推理が 犯人の動機づけとして描いているのでしょうが 真実であるのかどうかは分かりません。
    例えば アイドルのファンが どっちみち相手にされるわけがないので チャンスが現実にはあるわけないはずですが レイプしてしまう というのなら 動機としてはすごくよく理解できます。私もナーちゃんやマイマイを 無理やり自分のものにしてしまう妄想をしながら オナニーにふけったことはしばしばあります。 まあ現実にナーちゃんやマイマイを目の前にしたら あまりに可愛らしすぎて 好きすぎる気持ちがあふれるのでしょうから 例えそのようなチャンスがあったとしても 自分の勝手な欲望を 辛抱してしまうと思います。
    私が 初めてレコードを買ったのは 中三の頃でした。それまでは自宅に ステレオというレコードを再生する装置が存在しなかったので レコードを買いたいけれど我慢しておりました。当時ステレオという電化製品がそれほど贅沢品ではなかったように思いますが うちの父は そのたぐいのなくても生活には不自由しない電化製品を購入するのには じっくりと時間をかけて 選ぶのだけれど その時にはケチケチしないで 割とグレードの高い製品を購入する傾向があったような気がします。中三という 初めての受験を控えた時期に そんなものを購入されては 受験勉強に差しさわりがあるはずなのに なぜそんな私の人生にとっては大切な時期に ステレオを購入したのか分かりません。
    但し 父も待ちに待っていたかのように ステレオを購入した途端に 自分の趣味であるクラシック音楽のレコードをどっさりと買い込んでいるのが おかしく思えました。私も欲しかったレコードが沢山ありましたので 早速レコードを買いに行きました。記念すべき私の一枚目のレコードは ビートルズの「ヘルプ」でした。このレコードは 同じタイトルのビートルズ主演の映画の サントラ盤でしたが 一番有名かもしれない「イエスタデイ」が収録されていることでも有名かもしれません。当時のステレオには チューナーも当然のようについてきましたので それまでAMラジオばかり聞いていましたがFM放送も聴くようになりました。受験生なのに この時期にこんな電化製品を購入されてしまいましたので ステレオの前に陣取る時間がそこそこできてしまいましたが 致し方ないような気持でおりました。
    最初は当たり前ですが 一枚しかレコードを持っておりませんから 繰り返し繰り返し 何度もひっくり返しながら それこそレコードが針ですり減るぐらいに 聞いておりました。二枚目に買ったレコードが確か「ラバーソウル」だったように思います。名曲「ガール」や「ミッシェル」が入っていましたので これまた何度も何度も繰り返し聴いていたように思います。受験生の貴重な自由時間は 殆どすべてビートルズのレコードを聴きながら過ごしたように思います。何とか高校受験に合格して 自由な時間が増えましたが 当時の小遣いがひと月2000円で LPレコードが殆ど2000円平均でしたから ひと月に一枚レコードを買うと それだけで小遣いが全く消えてしまいます。高校時代ですから 一番おなかがすく時期で 学校の食堂でみんなが 美味しそうにうどんなどを食べているのを 指をくわえてみているしかありませんでした。
    とにかく最初は せっせとすでに解散してしまっていた過去のグループであるビートルズのレコードばかり買い集めておりました。初めてビートルズ以外のレコードを買ったのは 当時大人気であったカーペンターズのアルバムでした。たまには カーペンターズやモンキーズに浮気をしておりましたが ビートルズのレコードを買いそろえるつもりで 販売されているレコードをせっせと買いに出かけておりました。ビートルズが四人のグループとして活動していた時期はたった八年間です。私の知る限りでは12枚のアルバムを発売して 世界を席巻しました。乃木坂が活動を始めて 多分八年だと思いますから 活動期間としては並んだのかもしれませんが その知名度や 影響力は 全く比較になりません。まあビートルズと乃木坂を比較するなんてことは 大の乃木坂ファンである私ぐらいしか思いつかないでしょう。
    私は どちらかというとポールの作品の方が メロディーが美しいので 好きでしたが ジョンの作り出す かっちりとした音楽も嫌いでは会いませんでした。すでに解散してしまった後から 追いかけるようにファンになった私ですから 解散した理由などは あとから耳にして 徐々に理解していったのですが 結局は 四人ともに能力が高かったので いずれは独立して活動をせざるを得なかったのだと理解しております。とはいえ ジョンが生きているうちは いつかまた四人でグループを再結成してくれるのではないかと 秘かに期待しておりましたので ジョンの悲報を聞いたときには それも狂信的なファンによって殺害されたことを聞いたときには 直ぐには自体が呑み込めなくて かなり落ち込んだことを覚えています。
    ビートルズファンである私としては 今更ながらジョンのご冥福を祈りたいと思います。

  • 12月7日 旅行直後で 忙しかったです

    今週一週間 仕事をお休みして旅行してまいりましたので 患者さんが立て込んで忙しかったですが 勿論売り上げにつながりますので 有難かったです。トリミングでは大型犬が予約が入っていましたし 緊急に手術まで入ってしまいましたので 正直な所 今朝神戸港について 急いで病院に戻ったばかりですので のんびりしたかったのですが たっぷりと旅行を楽しんだのですから 致し方のないことでしょう。お休みをする一月前ぐらいから 病院には 休診のお知らせの張り紙をしていましたし 勿論ホームページにも 休診の告知をしてありましたが 気づいてもらえなくて 来院されて休診に気づいた方が何人もいらっしゃいましたので 申し訳なかったです。一応研修のためと 銘打っておりますが 移住先の下見というプライベートな目的のための旅行でしたが それなりに有意義な旅だったと思いますし 私どもも人間ですから 玉のお休みはお許しください。

  • 12月6日 旅行六日目です

    今回の旅行もいよいよ最終日の朝を迎えました。ぐっすりと眠れたので ゆっくりと朝風呂に浸かって 十分に温まってから 服を着ました。トーストとハムエッグ インスタントコーヒーの朝食をゆっくりと頂いてから また昨日のカフェに向かいました。21歳の彼女が待っていてくれましたので 改めてコーヒーを注文して また彼女といろんな話をしました。今朝は 彼女が東京でどんな暮らしをしていたのかを中心に話を聞きました。東京のそれもかなりのお洒落な街で 生まれて育ったのだそうですが 彼女のお父さんは 現在も現役で活動しているロック歌手なのだそうですけれども 同時に東京に住んでいる間は 千葉に農地を借りて 農業にも精を出す兼業農家さんだったという話から 始まりました。
    彼女も多感な少女時代をお洒落で優雅な女子高生として過ごしていたみたいですが 突然お父さんが一大決心をして 臼杵に移住して 農業に本腰を入れながらも ロック歌手としての活動も頑張るように ライフスタイルを一変されたので まだ独り立ちしていない娘としては従うしか選択肢がなくて 臼杵の街へ移住してきたのだそうです。東京でもかなり中心部の人気のある地域で 暮らしていた二十歳前の多感な女の子が 人口三万足らずの 大分県でも田舎に類する臼杵市に突然やってきたのですから 本人が決して望んでそうなったわけではない環境の変化に よくぐれなかったものだ感心します。田舎には田舎なりの不良たちが存在しますから そんな輩の仲間入りしなかっただけでも 本当に親孝行ないい子だと思います。
    昨夜と同様に 彼女が昭和時代の影響が強いことにまたまた驚いたりしているうちに あっという間に二時間ほど話し込んでしまいましたので 宿を出発して次なる目的地に向かいました。予定としては 特に具体的なものは立てていなかったので なごり雪の所縁の地をもう一度 訪れてみたい気持ちもありましたが 旅行中に実際に家を建てるにあたっての アドバイスを幾つかいただきましたので その辺りを確認したくて 大分にある住宅展示場に向かうことにしました。幾つか教えてもらった工務店のうち 九州にしか存在しないけれど 興味深い業者さんがありましたので 勿論住宅展示場なんて大阪にもいくらでもありますが あえて大分県の展示場に出かけてみました。
    最初に訪れたのが 何度も名前を聞いていた一条工務店さんです。ここの特徴は 床暖房というのはよく耳にしますが 床冷房もあるのが 一つの特長だと思います。要するに床下にパイプが通っていて 暖かいお湯が流れれば 床暖房になるし 冷たい水が流れれば床冷房になるのだそうです。勿論かなり特殊な床の構造ですから その分高くつくのでしょうが 冷暖房費が かなり安く上がるので 長い目で見れば高くつくとは言えないのかもしれません。それに展示場の住宅のつくりを見ても かなり上等の出来上がりですので 具体的な建築例の費用も含めた情報を頂きました。案の定 坪単価は 大和ハウスさんと同様に百万円近い物でした。やっぱりいいものを見てしまうと 魅力を感じてしまいますので ある程度単価が高くなってしまうのは致し方のないことかもしれません。
    次に谷川工務店を訪ねてみました。この工務店さんが 九州でしか営業していない業者さんです。ここの売りは 木材が無垢材ばかりを使用していることのようです。費用を安く上げようとすると 小さな板切れを接着剤で張り合わせた合材の使用頻度が高くなるのだそうです。合材の多く使用されている家は どうしても接着剤に囲まれて暮らしているようなものですから デリケートな方の場合アレルギーを起こしたりする健康被害の恐れがあるのだそうです。まあ現在私の暮らしているスペースは 合材だらけなのですが 私は何にも被害を受けていないつもりなので それほど合材でできた家が悪いものだとは思いませんけれど やはり無垢材の方が いざと言うとき 例えば地震の時の強度などで 優れた点があるのかもしれません。
    最後に 大和ハウスの展示場を訪れてみました。杵築リゾートが大和ハウスプロデュースなので 強気の料金を提示されているのかもしれないので 一般的な土地に大和ハウスで家を建ててもらう場合の 料金について調べてみようと考えたのです。そこで提示された金額も かなり高めのものでしたが 谷川工務店の職員さんの言葉「坪単価を安く提示することは 難しくありませんが それは外回りや門扉 アプローチなどの料金を外して計算すれば 耳障りのいい金額になりますが 実際に住む家を建てるのにかかる費用をトータルしたら 結局はそこそこの料金になってしまう」というのと 同様の説明をされましたので 家だけではなくて 周囲の工事代金まで全てひっくるめての料金提示の方が むしろ良心的であるようにも思えてきました。
    そろそろ移住先を決定する時期に来ているのかもしれませんので 私としては 出来る限りいろんな可能性を考えて いろんな土地へ出かけて 自分の足で歩き回って探してみましたが どうも杵築リゾートのお気に入りの区画が やっぱり私にとってはベストであるように思えてきました。昨年の秋に たまたま二人の全くつながりのない方面の友人たちから 移住先として大分県をすすめられて たまたま移住先になりそうな物件を探していて見つけた 杵築リゾート その中で十年以上も売れ残っている物件だけれども 私にはすこぶる魅力的に見えた物件と出会いました。今回の旅行で 自分なりに手を広げて 大分県内で移住先としての物件を探してみましたが 結局はこのお気に入りの物件以上のものは 見つからないであろうという事実が見えてきました。
    杵築リゾートは 移住者ばかりが集まっていますから 田舎にありがちな面倒な風習や 干渉の心配もありませんし 大和ハウスの職員さんが何人も常駐してくれていますから 何か困ったことがあるときには 直ぐに相談に乗ってもらえます。広さ的にも 傾斜地を含みますが500坪と申し分ありませんし 住宅内に歩いて数分で行けるプライベートビーチがありますから海を身近に感じられるし 夜に様子を見に行った時 野ウサギが走り回っていましたし 朝訪れると小鳥のさえずりがうるさいほどに聞こえてくるぐらいに 自然が豊かなのです。私の望む移住先の条件 自然を感じれるゆったりとした土地で のんびりと静かに暮らしたい という事にこの物件は凄くマッチしているように思えます。
    それとこれは単なる偶然でしょうが 杵築リゾートを管理している事務所の所長さん 今回もずっと付きっ切りで相手をしてくださった方なのですが なんと私と一つ違いで 出身大学が立命館なのです。つまり同じ大学のキャンパスで 同時期を過ごした 同窓生であることがわかりました。ひょっとしたらすれ違ったり 食堂の隣の席で食事をしていたかもしれないのです。こんな偶然もきっとこの物件と縁があるからなのかもしれないと 思えてきましたので 猶更この物件に決めてしまおうという気持ちに傾いてしまいました。今後よほどの好条件の物件が見つからない限りは この物件を移住先として決めてしまおうという風に気持ちが固まりました。そう決意できただけでも 今回の旅行はとても有意義なものになったと思います。
    帰りのフェリーの時間が迫ってまいりましたので 晩御飯の買い出しを通りがかりのスーパーで済ませてから 大分港へ向かいました。今回のフェリーは プライベートベッドの料金をすでに支払っていましたが 二人で4000円ほど追加料金を払うと 個室の二人部屋に変更ができますので 受け付けてもらうときに確認したら 変更可能でしたので グレードアップしてみました。ベッドは二段ベッドですしそれほど広くはありませんが 個室ですから 身近でテレビを見ながら のんびりと食事ができて 眠くなれば目の前のベッドに転がり込めばいいので やっぱり個室は有難かったです。四千円追加しただけの値打ちはあったように思います。本日も かなり疲れ果てていたようで 晩御飯を食べたらすぐに眠くなってしまい 結構早めの時間から眠り込んでしまいました。結構長い旅行でしたが 何とか無事に終えれたみたいでほっとしております。明日からまた仕事に頑張ろうと思います。

  • 12月5日 旅行五日目です

    今朝は 昨夜スーパーで買っておいた 総菜パンと菓子パンにインスタントのコーヒーでさっさと朝食を済ませて 臼杵市役所へ向かいました。早い時間だからか した道も高速道路も空いていましたので 余裕をもって 市役所に到着できました。ただ臼杵市役所は かなり海っぺりにありますから 市民から見たら利用しにくいのではないかと思います。役所の建物に入って 案内図を見ながら 訪ねていく課とその位置を確認しているとき 役所の職員さんたちが「お困りですか」とか「どちらの課をお探しですが」などと次々に声をかけてくださいました。こんなに親切な職員さんがいらっしゃる役所は初めてのような気がしましたので
    臼杵市についた途端に 好感度がグッと上がりました。
    杵築市以外にもう一か所市町村を回ってみようと考えた時に すぐ隣の日出町を考えましたが 以前に見て凄く印象に残った映画「なごり雪」の舞台となった臼杵市に興味がわきました。いるかさんが歌って大ヒットした「なごり雪」をモチーフにしてストーリーが構築されていて 主題歌としてもこのヒット曲が使用されていました。とはいえ 上映された映画館が 極ごく限られていましたので 世間にはあまり知られていない映画かもしれません。この映画は男前のモテ男と もてない君 それにモテ男を一生思い続けた女の子の青春時代と 老年になってからを描いた映画です。モテ男を三浦友和さん もてない君をベンガルさんが演じていました。もてない君と結婚するんだけれど ずっとモテ男を思い続けていた女の子を須藤温子さんが演じておられました。須藤さんは凄くチャーミングな女の子なのに それほどその後目立った活動はされていないのかもしれません。長澤まさみさんが ちょい役のように出演されていましたが その後は凄い活躍ぶりです。私としては 映画の舞台になっている駅や家を訪ねてみたい気持ちが強くて臼杵市へやってきたのかもしれません。
    市役所の移住担当の方とは 何度もメールのやり取りをしていましたので お会いしたことはないけれど そこそこ親しくなっているつもりでしたので その方が対応してくださるのだと思っておりましたが 急に何かの監査のようなものが入ってしまったとかで 移住担当の別の女性二人が 対応してくださいました。この方たちも 言葉づかいや物腰も丁寧で 申し分のない対応だったと思います。まずは 臼杵市内の 病院や買い物できるお店などを簡単に案内してもらいました。その後映画の重要な舞台になっていた上臼杵駅にも案内してもらいました。駅の表の部分もホームの部分も 映画の時とほとんど変わっていませんでしたので 感動しました。時間があれば ゆっくりとホームに立ってみて 映画の思い出に浸りたかったのですが そんな訳にはいきませんでした。
    続いて 臼杵市役所のホームページに掲載されていた五~六十軒の住宅地で 一区画だけ売れ残っている物件がありまして そこが気になっているのもありましたので 臼杵市を訪問しましたから その物件を見学に出かけました。380坪ほどありますので 広さ的には十分なのですが 旗地の地形であることと 奥の方に傾斜地があるのが 難点だと言われていましたので その点を自分の目で見て確認するためです。手前の通路になる部分は 奥行きが思っていたよりも短いし 結構幅があるので それほど問題にはならないように思いました。ただ奥にある傾斜地の割合が思っていたよりも多いのと その傾斜が想像していたよりもきついのには ちょっとがっかりしました。
    杵築リゾートのお気に入りの物件と比較をしてみると やはり杵築リゾートの物件の方が 広さを実感できるし 多すぎるので少なからず伐採するつもりですが 森林がたっぷりとある所に魅力を感じてしまいます。朝は小鳥の鳴き声がうるさいぐらいだし 夜になるとの野ウサギが走り回るぐらいに 自然がたっぷりとあって プライベートビーチ(住宅全体のではありますが)まで五分で着くなど 私の求めている自然があふれている所も 嬉しい所です。この臼杵の物件は 逆に杵築リゾートの物件の良さを痛感させてくれたようにも思えてきました。
    それに杵築リゾートは 四百区画ぐらいありますから いろんな人たちが集まっているので この住宅地だけで 一つの集落として成り立っているように思います。四人の移住の先輩方のお宅を訪問してみましたが それぞれに個性的な住宅を建てて それぞれの形で 杵築リゾートでの暮らしを堪能されているみたいでした。住宅地内で 毎月ゴルフコンペが開催されて 盛り上がっているみたいだし 公民館のような場所では サークル活動もいろいろと催されているみたいです。ぜひ始めてみたいと考えている釣りも お上手な方が 少なからずいらっしゃるみたいなので 弟子入りして大いに楽しめそうに思っております。もう一つの海が見える物件については 海が見える事 潮騒が聞こえる事などに ひかれる部分がありますが 海が見えて嬉しいのは 暮らし始めてひと月ぐらいで 直ぐに慣れてしまうと感激は無くなってしまう という意見もありましたので私の中では いつの間にか却下されてしまっておりました。
    その後 「なごり雪」の 重要な舞台となっているモテない君の実家が 造り酒屋さんで その一部で昼ご飯屋さんをなさっているので 「なごり雪」の思い出に浸りながら 臼杵の郷土料理を中心にした昼ご飯を頂きました。昼からは 自由時間でしたので 佐賀関の先端まで海沿いの道をドライブしてみました。大きな天体望遠鏡のある関崎海星館に立ち寄りました。この沖合で有名な関アジ 関サバなどが生活をしているのです。久しぶりに 宇宙の星たちの存在を思い出したりしましたし 宇宙食なども販売されていましたので 宇宙旅行に出かけてみたかった子供のころを思い出したりしました。もし杵築リゾートに住むことになったら この辺りは割と近いので そこそこの大きさのボートを購入して 関アジ 関サバ釣りにチャレンジしてみたいと考えております。
    天気が下り坂になってきましたので 臼杵の街に戻って 本日の宿泊予定のゲストハウスなるものに 向かいました。この宿泊施設は 基本的には ドミトリーでの宿泊 つまり見知らぬ者たちが 相部屋で安く宿泊して 交流したり 情報交換したりするための施設のようです。ただ本日は 利用客が私たち二人だけだったので 一軒家を買し切り状態で自由に使えました。この宿泊施設を管理しているのが 二年ほど前に東京から移住してきた21歳の女の子なのです。この子は 臼杵市役所のホームページに移住者紹介のページで取り上げられているちょっとは知られた女の子のようでした。
    本日の目的の一つに この東京からやってきて この臼杵で頑張っている女の子に臼杵の街の魅力を訪ねてみることがありましたので 宿泊する一軒家の前で 待っているとその家のカギをもって案内に来てくれたその女の子と 対面しました。宿泊施設の案内が終わると その女の子に移住してきてからの話を聞きたいと告げると 直ぐ近くに実家があり そこがカフェなので そこで話しましょうという事になりました。そちらのカフェにお伺いして その女の子と話し始めたのですが これがかなり衝撃的な内容ばかりで 驚きました。ホームページには その子が移住してきたばかりのころの髪型が超斬新で 人目を引いたのだそうですが 東京よりも臼杵の人たちの方が すんなりとその髪型を受け入れてくれたのが嬉しかったとかいてありました。
    現在の彼女の髪型は ベリーショートではありますが 可愛らしい顔立ちに似合っていて ごく普通の髪型です。まずはそこについて私が質問すると 彼女は東京にいる頃 バイトでモデルなどをしていて お洒落な服装や髪形の 最先端の部分を歩いていたのだそうです。そしてモデルの先輩から 頭の形がすごくいいので 坊主頭 それも殆どつるつるの五厘刈りをすすめられて思い切って挑戦してみたのだそうです。周囲の人間は相当に驚いたみたいですが 本人が結構気に入ってしまって しばらくの間その髪型をキープしたのだそうです。AKBのミーちゃんが 自らを罰するためにやった 坊主頭よりもずっと本格的な坊主頭です。当時の写真をスマホで見せてもらいましたが 確かにびっくりはしますが 彼女は頭の形が整った可愛らしい女の子なので それなりに似合っていたように思いました。
    臼杵にやってきた頃も いわゆる坊主頭だったみたいでしたが 周囲の人たちも初対面の時は ギョッとしたらしいですが 二度目からは普通に接してくれたので 臼杵の街に直ぐに馴染んでいけたのだそうです。現在彼女は さびれてしまいそうな商店街の理事として抜擢されてわずか21歳の年齢にもかかわらず いろいろとアイデアを出して 少しでもその商店街が発展できるように頑張っているのだそうです。普通に大学に進学していれば 三年生で 一番気楽に大学時代をエンジョイしている年齢なのに 凄く大人だと感心してしまいました。ほっそりとしていて笑顔の可愛い乃木坂にいても良いくらいの女の子なので 本当にびっくりしました。所が この女の子について 本当に驚いたのは この後さらに深く話を聞いていってからです。
    はっきりとした目的意識もないままに なんとなく大学に進学しても無意味だからと あえて進学はしなかったのだそうですが まあそれは自分の時間を大切にするつもりなら いいことだと思うし 若いうちからしっかりと自分の行く末を見つめているのなら 素晴らしい生き方だと思います。でも現在興味のあること 例えば好きな芸能人を尋ねた時に 驚いて椅子から転げ落ちそうになりました。ずっと昔に自殺というショッキングな方法で 人生の幕を自分でひかれた 田宮二郎さんだったからです。「悪名」という映画で 勝新太郎さんが主役を張り その弟分を田宮さんが演じて 何と16作もシリーズ化された人気映画ですが その作品を見て 田宮さんに惚れこんでしまったのだそうです。私も「悪名」と名の付く映画を一本か二本は見たことがありましたので 辛うじて対応できましたが 彼女はそのシリーズを全部見たのだそうです。まあ田宮さんは 端正な顔立ちの正統派の男前ですから その作品をじっくりと見た若い女の子が惚れこんでも不思議ではありませんが お父さんに勧められて初めてその作品を見たのだそうですが この類の映画を女の子に推薦する方も不思議ですが そんな荒っぽい映画を見て その出演者に惚れこむ女の子もどうかしているように思います。
    田宮さんといえば 私たちにとって一番馴染みのあるのは 「タイムショック」という斬新な形のクイズ番組の司会者としての印象が強いのと テレビドラマ「白い巨塔」の財前五郎役がインパクトがありましたが いずれも彼女が生まれる前の作品です。「悪名」に出演していたのは 更に昔の話ですから 当然彼女はタイムショックや白い巨塔の話にも当たり前についてこれていましたので 不思議でしょうがありませんでした。「悪名」と似たような時代に 任侠映画が花盛りでしたが いわゆる鶴田浩二さん 高倉健さん辺りが 本来は世の中のはみ出し者であるはずのヤクザを演じていながら 正義の味方 ヒーローとして描かれていた映画の話になると 私は ヤクザを正義の味方として描いてあることに疑問を持っていますが 彼女は 彼ら任侠道重んじるをヤクザが存在したから チンピラや愚連隊などの好き勝手な行動を抑えていたのとして 正義の味方であったのだという 斬新な考え方を披露してくれましたので 驚きました。そんな意見を 鶴田さんや高倉さんを 神のように崇め奉る私よりも少し上の爺さん世代が宣うのなら まだ驚きませんが 可愛らしい顔をした21歳の女の子の口から そんなセリフが飛び出すと 違和感しか受け止められませんでした。
    そんな平成生まれの 昭和の心を持った女の子は カラオケでも 百恵ちゃん辺りが得意なのだそうです。私たち夫婦も それなりにカラオケには自信がありますので 次回に臼杵にやってきて このゲストハウスに宿泊した時には 一緒にカラオケに行こうと約束しましたので 次回の訪問がとても楽しみになりました。そんな風に話が盛り上がっているうちに あっという間に二時間ほどが過ぎましたので 彼女が商店街の集まりに顔を出さねばならない時間になりましたので 明日また朝一から 話そうと約束してゲストハウスに戻りました。
    もうこの旅も終盤になっておりますので かなり疲れがたまってきておりますので 部屋に戻ると予めスーパーで買い置きしてあったお弁当などを温めて 頂き 直ぐに布団に入りました。私はこの旅行中 いつも早寝早起きの健全な生活をしておりますが やっぱり体力がなくなって 直ぐに疲れてしまう爺さんになり果ててしまったのでしょうか。まあぐっすりと眠れる幸せをありがたく受け止めようと考えております。

  • 12月4日 旅行四日目です

    昨夜も結構早めの時間に眠りにつきましたので 当然早めに目覚めましたので お風呂にお湯をためて ゆったりと朝風呂に浸かりました。しっかりと温まってから 用意しておいた食パンでトーストとハムエッグの朝食を準備して 頂きました。自然公園内は 興味深い施設がいろいろありましたので 腹ごなしに散歩しました。この自然公園の近所に 市役所の分室があり そこに勤めている方が 数年前に関東から移住してこられたらしいので その人に杵築に移住しての体験談を伺う予定になっていましたので 約束の時間に分室へ訪れました。
    市の中心にある本庁も割とコンパクトでしたが 分室ですから さらに小さな建物でした。まあ杵築市は 人口が三万人を切っているので しょうがないでしょう。係りの窓口を訪ねると 移住の先輩の職員さんが 控えていてくださったので 直ぐに別室に案内されて 話を聞き始めました。千葉県から 特に縁があったわけではないのに たまたま杵築市を訪れた時に 職員を募集していて 応募したら 採用されたのでここで暮らし始めたのだそうです。結構年配の方でしたが 独り者なのだそうで そんな好き勝手な生き方が許されるのかもしれません。
    杵築市自体が かなりの田舎なのですが この地域は 更にその中でも田舎色の濃い地域のようですから 田舎独特のしきたりや干渉があるのではないかと思って尋ねたら 案の定かなり厳しい田舎の風習と向き合っておられるのだそうです。都会では 隣の人の名前や人柄さえ分からない状況は 珍しくもないのかもしれません。そんな状況は とても寂しいと思いますが 逆に田舎の干渉もめんどくさそうです。長野県の田舎で 移住の先輩に聞いた話では その人の一挙手一投足まで 周囲の人たちから 観察されているのだそうです。
    その人は出身地に持ち家があるのだそうで 月初めにいつも 帰省して空気の入れ替えや掃除をしているのだそうです。そのことを 勿論周囲の人はご存じなわけで 秘かに愛人の所へ通っている という評判が立っているのがまわりまわって聞こえてきたのだそうです。移住生活自体は 快適で楽しかったけれど そんな噂話が 聞こえてきたときには さすがに実家に帰ろうかと思ったのだそうです。私も田舎に住んでみたい気持ちが強いので ある程度ご近所さんとの しっかりとしたお付き合いはしてみたいと考えています。でも 必要以上にべたべたしたお付き合いや 一方的な干渉は 歓迎したくないので 田舎への移住が 難しそうなのです。
    田舎のかなり古い一軒家を ただ同然の家賃を払って暮らしているのだそうですが 勿論冬は 隙間風に悩まされておられるのだそうですが 寒さはまだ暖房をしっかりとすれば我慢できるのだそうです。但し 夏場は 部屋の中を平気でムカデが歩き回るのだそうで こちらは相当に困っておられるのだそうです。気密性の低い 昔の一軒家には よくある話なのだそうです。私が建てるつもりの家は そんなに贅沢な家ではないけれど そこそこしっかりとした家にする予定なので 気を付けていれば 虫たちに侵入される心配はないようにおもいます。
    その方は まだ現役の働き盛りの年齢ですから 田舎地域においては かなり若手の部類みたいで 消防団に入ることをしつこく求められたり 草刈りや祭りの時の作業や準備でも 大きな戦力として期待されてしまっているみたいで 期待されるのはありがたい気持ちもあるけれど 絶対にさぼれないのは プレッシャーに感じておられるのだそうです。まだ家族がいたりすると 家族サービスなどを口実にしての逃げ口上も通用するのかもしれませんが 独り者ではごまかしがきかないのかもしれません。田舎のかなり濃厚なご近所づきあいを ある程度は覚悟して生活をスタートされたのかもしれませんが 予想以上に濃厚なお付き合いを求められて 正直な気持ち 辟易としておられるようにお見受けしました。まあ田舎のど真ん中に単身飛び込んでしまったら 致し方のないことかもしれません。
    その方との面談は 九時からスタートしましたが かなりいろんな方面の話までに及びましたので 気づいたら十二時近くになっていましたので 切り上げて 杵築市の市街地に戻りました。昼食後昨日案内してくれた協力隊のお兄さんと杵築リゾートの物件を再度確認しに行きました。彼は不動産に努めたことがあるのだそうで 私のお気に入りの物件について 客観的な意見を聞かせてもらおうと考えたからです。南に向かって傾斜していて その部分にかなり背の高い気が沢山生えているので 日当たりが心配だと話しましたが 手前に生えている木を家を建てる前に 思い切って伐採してしまえば 日当たりの心配はいらないだろうとの意見でした。調べてみると 木を一本伐採するのに一万円位しかかからないのだそうですから その費用はそれほど心配しなくてもよさそうです。なので この物件にかなり 気持ちが傾いてまいりました。臼杵市に かなり気になる物件がありますので そちらを自分の目で見てから 判断しようとは思っておりますが 相当大分へ移住する気持ちが固まってきました。
    杵築リゾートのこの物件は 小鳥たちの鳴き声で目を覚ましたいという私の希望をかなえてくれそうですし 広さ的にも申し分ありません。プライベートビーチまで歩いて数分で到着しますから 海を身近に感じられますし 歩いて十五分ぐらいの所に波止場がありそこでは年中いろんな魚が釣れるのだそうです。その波止場のすぐ先には 船着き場があり 船の係留代が一年で5300円なのだそうですから ボートでも購入すれば 遠出は難しいでしょうが 海釣りも楽しめそうです。釣りは 子供のころにフナやモロコを釣った経験しかありませんが 近所に釣り名人が沢山いらっしゃるみたいなので 弟子入りすればすぐに楽しめるようになりそうです。釣りを始めたら 魚のさばき方も覚えて 料理のレパートリーも増やせそうです。
    この住宅地は 私と同様に移住してこられた方が殆どみたいなので 田舎の面倒な風習の心配もないし 大和ハウスの職員さんが 数人常駐してくれていますから 細々した問題は テキパキと片付けてくれそうなのも 安心材料です。大和ハウスさんに建築を依頼すると こちらの想定額よりもかなり高くつきそうなのが 唯一のネックにはなっておりますが まあいいものを建ててもらうのには お金がかかるのはしょうがないのかもしれませんし 土地代が想定していたよりもずっと安く上がりそうなので トータルして考えたら 文句は言えないのかもしれません。
    昨夜は 体験ハウスで 自炊して安上がりに食事しましたので 今夜はちょっと贅沢をしようと思っておりました。案内してくれた協力隊のお兄さんと その奥様まで誘って 結構立派な焼肉屋さんで おなか一杯美味しいお肉をいただきました。その後また昨夜と同じ 体験ハウスまで 暗い道をひた走って また冷え切ったバンガローに宿泊しました。明日は朝一で高速を使って 臼杵市役所までたどりつかねばなりませんし 旅の疲れがかなりたまってきておりましたので 布団を敷いて さっさと就寝しました。