Dr.喜作のブログ

2020年2月 の記事一覧

  • 2月14日 本日は バレンタインデーですが 奥様からチョコを貰えませんでした

    私は 自分の見てくれの悪さを重々承知しておりますので 若いころから女性に全くモテませんでした。従って 所謂ほかのみんなにも渡すので ついでの仕方なしに渡される義理チョコ以外はもらったことがございません。奥様から頂くチョコも 妻としての義務感から 昨年までは仕方なしに渡されておりましたので これも一種の義理チョコだとは思いますので 正直手渡されても それ程嬉しくもありませんでしたが そのリアクションがお気に召さなかった為か 今年はとうとう貰えませんでした。本日の夜に どうしてチョコを頂けないのかと質問すると 大して喜びもしないので もういいかと思って 用意しなかったと返答されてしまいました。
    正直 私は下戸なので 甘いものは好物ですが チョコレートは血糖値をあげてくれるので 正直体の事を考慮すると 喜べない食べ物です。それに面と向かって渡されるので 気恥ずかしかったのもあってか 殆ど嬉しい気持ちをリアクションに表現しておりませんでした。まあ私の反応が悪かったので もらえなかったのだとしたら 自業自得なのでしょうから 致し方のないことかもしれませんが 現実にチョコレートを貰えないと こんなにがっかりするものとは考えておりませんでした。
    私は 奥様のお誕生日とクリスマスには プレゼントを渡しております。但し年度替わりの四月の最初にお誕生日がありますので バタバタしていて うっかりその日に用意するのを 忘れてしまうことが何度かありました。忘れていたことに気づいたときには それこそ腰が抜けたように立ち上がる気力さえ失ってしまいますが 勿論そのままにはしておけませんので すぐに忘れていたことをお詫びして 何か欲しい物がないかと 尋ねるのですが 女性にしたら 欲しいものをその時に尋ねられることさえ お気に召さない場合が多いようです。普段の会話の中で さりげなくほしいものをアピールされていたりするのに そのことに全然気づいていない 思いやりや優しさが足りない 対応自体に お怒りになっておられる場合が しばしばあります。
    奥様との会話なんて 世の中で一番気の置けない相手とのおしゃべりですから 一番気楽にその場が楽しければいい という気持ちで 会話を交わしておりますので そんなときにさり気なく欲しいものをちらつかされたりしても 世の中のかなりの割合の男性は気づかないのではないでしょうか。そんな些細な表現を聞き逃さずに 上手に対応できる男性が 所謂女性にもてる存在なのかもしれませんが 還暦を過ぎた私に いまさらそんな注意深い人間に 変身せよと言われても まあ現実的には無理な話でしょう。
    そんなわけで 私は一生女性から好感を持たれる男には なれないのでしょうが 致し方がございません。来年のバレンタインデーには きっとチョコレートを送ってもらえるような存在になるべく 日々会話をするときにセンサーを働かせて 奥様が発信されているご希望を その全てとは言わないまでも 幾らかでも汲み取って そのご期待に応えられるように なろうと思います。本日は凄く残念な思いをしましたが これからは十分に神経を張り巡らして 奥様の期待に応えられる男になるべく 努力していくことを決意いたしました。

  • 2月12日 ダイヤモンドプリンセス号の 隔離対策は大丈夫なのでしょうか

    なんだかんだもめた結果 二週間という潜伏期間の最大値と言われている期間 船内に乗客を缶詰め状態にして 経過観察をする という事になったのだそうですが 日本に到着した時点で かなりの数の肺炎感染者が 存在したのですから 当然まだ症状が出ていないけれど 感染している人間は 相当数その船の中に 存在することが 想定されるはずです。それまでにも何週間か同じ空間を共有した人たちですから 当然の見込みだと思います。武漢から飛行機で日本に帰ってきた方でも 日本に到着時の検査では 陰性であり 勿論無症状だった人が 二週間の経過観察中に発症したケースがありましたから この船にいる限り かなりの数の感染者と 更にかなりの長期間空間を共有するわけですから 言ってみれば 船内は 肺炎ウィルスの培養器のような状態と言えるのかもしれません。
    日本に到着してからの 二週間は 各乗客が 各々の部屋に閉じこもった状態でいるのかと思っていましたが 聞くところによると 狭い部屋に閉じ込めた状態が長時間続くのは 精神的ストレスが大きい 等と余計な心配をして 一応ほかの部屋の人と直接の接触はないにしても 同じ廊下を散歩するなど 空間を共有しているのだそうで 乗客各人の隔離ははなはだ不十分だったようです。現在の所 この病気の感染は 直接の接触つまりウィルスで汚染されている所を触った手で ものを食べたり汚れた手で目や鼻の粘膜に触れるなどの行為と くしゃみなどに伴う飛沫感染 だけと言われていますが ウィルスは日々進歩していくのです。くしゃみで大きな飛沫はすぐに床に落下するのでしょうが 微細な飛沫は空中を結構な時間漂っています。これらの微細な飛沫によって感染するように ウィルスが成長してしまえば 同じ廊下を たとえ距離が離れていても 歩いていれば感染する危険性は 既にあるのかもしれません。
    この病気の感染が広まる恐ろしさを考えたら 精神的なストレスに配慮するよりも 乗客各自の隔離を何よりも優先すべきだと思います。さもないとこの船には 千人以上の人が存在して 二週間も閉じ込めておいては 下手したら 武漢以上の感染源になってしまうのかもしれません。現在の所 二週間の経過観察が終わったら 症状の出ていない乗客は 自由に行動ができるようになりそうです。本来なら そこからさらに二週間は 例えば大きなホテルもしくは客船を借り切って そこの部屋でさらに二週間 経過観察をすべきだと思いますが 乗客の感情を配慮すると とてもそんな安全で確実な処置は 取れそうにないのだそうです。
    ですから 到着してから二週間の経過観察が終了して その時点で無症状の乗客を多数 野に放つことになれば 感染はそれこそ日本中に爆発的に広がる危険性が極めて高いように思います。
    日本はこの夏に オリンピックを控えているのにそんないい加減な伝染病対策をして 日本が中国に続く第二の感染源となってしまったら その成功は期待できないでしょう。選手が参加してくれるかどうかわかりませんし 当然世界各地からの観客も期待できないのかもしれません。正直 私はあまりオリンピックには 興味がありませんが 日本で開催されるからには 日本選手だけではなくて 参加選手がすべてベストを尽くして スポーツ競技会として 盛り上がってほしいし 応援する観客も安心して楽しんでほしいと思います。ただこんないい加減な対応をしていたら オリンピックの時期にこの病気の流行が終焉を迎えているとは 考えにくいので 心配です。
    私も還暦を過ぎておりますから 若くて元気 と言う訳ではございませんから もしいったんこの肺炎にかかってしまったら 命に関わる可能性があるかもしれません。 早めに対処すれば 回復する可能性が高い病気だとは 聞いておりますが 今後ウィルスがどのように進化するか分かりませんので あまり楽観もしていられません。繰り返しになりますが 感染している可能性がそこそこ高い人たちを 野にはなってしまいましたから 日本国内での感染者は 中国とあまり変わらないぐらいに増えてしまうと思います。
    取り敢えずは なるべく人のたくさん集まる場所には出向かないように心掛ける事と 手洗いうがいを励行し きちんとした生活を心がけて うっかり普通の風邪やインフルエンザにもならないように 注意して生活していくしかないのかもしれません。自己中な考え方でしょうが 何とか自分の家族だけは 感染せずに済んでくれることを祈るばかりです。かなり前にこのブログで 直ちに中国との国交を断絶するしか 感染の拡大は防ぎようがないと書きましたが 現在となっては もはや手遅れで どのような形でこの病気が沈静化してくれるのか見当もつきませんが 取り敢えずは自分がかからないようにと 頑張るしかないのかもしれません。

  • 2月10日 本日は「左利きの日」なのだそうです

    只ネットで「左利きの日」と調べると 8月13日の方が一般的みたいで 左利きの人のためにもっと環境を整えようと イギリスのとあるクラブが 提唱したことに因んでいるのだそうです。私は右利きですが 左利きの方は 約十パーセント存在されるのだそうです。左利きの方が生まれるのは 遺伝的な要素が大きいみたいです。どちらか片方が左利きのご両親からは 平均値よりもずっと高い確率で左利きの子供さんが生まれるのだそうです。二人とも左利きのご両親からは 更に子供さんが左利きになる確率は 高いのだそうです。
    私はたまたま マジョリティ側の右利きでしたので 左利きの方々の味わっておられるご苦労をほとんど知りません。でも世の中の道具は ほどんどが右利きの人に使いやすいようにできているので 左利きの方は その道具を使用するたびに 不自由な思いをされているのだそうです。例えばお茶を茶碗にそそぐ急須なども 右利きの人が注ぎやすいようにできている場合が多いです。取っ手と注ぎ口が 反対側についている場合は そうでもないですが注ぎ口が 取っ手の左側にある急須の場合 左利きの方は面倒なのは 間違いありません。気づいていないことが多いのかもしれませんが 包丁やハサミなども 普通は右利きの人が使いやすいようにできているのだそうです。歯の部分の削り方が 右利きの人に使いやすい向きにしてあり 左手で使うと その違いは微妙なものなのかもしれませんが 使い勝手が悪いのだそうです。
    文字を書く時も 普通 横棒をひく場合 左から右に引きます。右手で書けば スムーズにできる作業が左手でやると ほんの微妙なことかもしれませんし 左利きの方も 小さいころから文字を書きなれているので殆ど不自由は感じておられないのかもしれませんが 物理的には やりにくい作業をこなしておられるのです。鉛筆やペンで文字を書く時には 些細な違いかもしれませんが 筆で文字を書く場合は 左手だと 相当にやりにくいのではないでしょうか。それから 楽器例えば 弦楽器や管楽器は 明らかに右利きの人が扱いやすいような形に出来上がっているように思います。ゴルフのクラブの場合 結構左利きの人用の道具が出回っているみたいですが 楽器で左利きの方ように作られた楽器 というのは聞いたことがありません。
    このように 日常生活では 左利きの方々は 私たち右利きの人間が感じてもいない 様々な所で 不自由な思いをされているのかもしれません。でもスポーツの分野においては 左利きの方は かなり有利な立場にある場合が多いのかもしれません。例えば 陸上競技で走ったり 競泳でタイムを競う場合には 聞き手がどちらであるのかは 殆ど影響がないでしょうが 例えば身近なスポーツ野球においては 明らかに左利きの方が有利と言えそうに思います。バッターボックスの事を考えても 右打席に立つより左打席に立つ方が 一塁までの距離が二歩ぐらい近いのですから 内野安打になる確率は 相当に高いように思います。その為に プロ野球などのレベルの高い野球では 左利きのバッターだけではなくて 右投げ左打ちのバッターが 多いので 左バッターがずらりと並ぶチームも珍しくはないのかもしれません。ピッチャーにしても 左バッターがずらりと並ぶ打線に対しては 当然玉の出所が見にくいサウスポーが有利になります。勿論右投げのピッチャーの方が多いわけですから 玉の出所は見やすいかもしれない左投のピッチャーとの練習機会が少ないわけですから 右打ちのバッターがそれほど有利とはいえないのかもしれません。
    これが格闘技などの場合 もっと直接的に左利きの人が有利かもしれません。ボクシングにしても柔道にしても 最初に対峙するときから 右利きの人は 凄くやりづらい状況になるはずです。普段の練習相手や対戦相手でも 左利きの人と相対する機会は 少ないはずですから 実戦で向かい合うと その緊張感も相まって 非常にやりづらいことになるはずです。所が左利きの方は 普段から右利きの人と練習していますから 精神的な意味合いも含めて かなり左利きの人の方が有利になるのではないでしょうか。あとバレーボールやハンドボールでも左利きの人のアタックやシュートは 右利きの人とは コースも違えば 回転も逆でしょうから 対応するのがかなり厄介なのかもしれません。卓球やテニスの場合も そもそもラケットを持つ手が逆なのですから 左利きの方の有利さは 相当に大きいのかもしれません。やったことも見たこともありませんが フェンシングの場合 利き手によって対峙するときの体の向きが反対になるのですから 左利きの方がかなり有利になりそうに思います。
    そんなわけで 左利きの方は 日常生活においては 右利きの人間が気づいてもいないところで 不自由な思いをされているのかもしれませんが スポーツの分野においては かなり有利な面があるのかもしれません。右利きになるのか 左利きになるのかは 遺伝的なもので決まるのだそうですから 本人が望んでなれるわけではありません。子供のころに親が 左利きの子を右手で字を書くようにしつけていた時代があったそうですが 友達に一人そんな子がいました。ただそうやってしつけられたおかげで 右手で文字を上手に書いて 左手で巧みに絵を描いていましたから その子なりにかなり苦労はしたのでしょうが 普通の人には出来ない特技が身についてよかったと言っていましたから 苦労はそれなりに実を結んだようで よかったのかもしれません。私はたまたま多数派の右利きに生まれて育ちましたので 左利きの方のお気持ちは理解できませんが 親が無理やりしつけるのは 本当にその子のためになるのか動画 疑問に思います。

  • 2月9日 1989年の本日 手塚治虫さんが60歳でお亡くなりになられました

    時代としては 昭和から平成に年号が変わった年です。つまり手塚さんは 平成になったとたんにお亡くなりになられましたから その存在を平成生まれの方々が ご存じなくても致し方のないことかもしれません。但し 手塚さんの残された作品は 永遠に受け継がれていくのでしょうから平成生まれであっても 漫画 アニメ好きの方なら 手塚さんのお名前とその沢山の作品をよくご存じの方もある程度はいらっしゃるのかもしれません。私が手塚さんの作品で 一番好きなのは 代表作ですから ありきたりすぎるのかもしれませんが「鉄腕アトム」です。ただしこの作品は 勿論漫画でも読みましたが 最初はテレビで放送されたアニメーションから始まりました。テレビ放送としては 実写版の方が先に放送されていたように思いますが 当時の撮影技術では致し方がないのでしょうが リアリティに欠けていて 子供が見ても興味がそそられませんでした。
    「鉄人28号」なども まずは実写版が放送されましたが そのあまりにお粗末なロボットに 見る気を失くしておりましたが その後アニメーション版を見たら 凄く素晴らしくて 本当に感動しました。アトムにしても 鉄人にしても 大好きになってからは 放送される前は ワクワクしながら テレビの前で正座しながら待っておりました。手塚さんとしては アトムのストーリーでも 人間愛などをテーマにしたかったのかもしれませんが どうしても戦闘シーンが多い方が 人気を博したみたいなのでそちら方面に主眼を置いた作品になっていったことが ご不満みたいでしたが 私も男の子でしたから アトムと他のロボットたちの戦いや力比べに 素直に拍手をしておりました。
    手塚さんは 存命中から「漫画の神様」と呼ばれていらっしゃいましたが そんな方でも 厳しく批判されたり 漫画の世界の変遷にもまれて スランプになったり 人気薄になった時代もあったみたいですが 晩年まで 「ブラックジャック」などの作品で 人気を保っておられたように思います。手塚さんの作品の代表作の一つに「ジャングル大帝」があると思いますが 私は肉食獣のライオンが 草食獣たちと 仲良くしている所に 子供ながらも不自然さを感じてしまって 好きになれませんでした。それからやはり手塚さんのライフワークともいえる「火の鳥」や「ブッダ」などの作品も なんだか説教じみているような内容で 素晴らしい作品なのだとは思いましたが 好きではありませんでした。
    手塚さんの凄い所は 現在の阪大の医学部を卒業して 医学博士号まで取得されている 凄い秀才なのに ある意味お勉強とは対極に位置していそうな漫画というジャンルで第一人者になられたことだと思います。それも凄く忙しいはずであった医学生のころに既に代表作である「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」などの連載をこなしていましたから 売れっ子のプロの漫画家として活躍されていました。本当に頭脳が優秀だったのだと思います。但しご本人としては 「仕事はあくまで医者であり 漫画家は副業だ」と発言していましたから 医者としてのプライドも持ち続けておられたのかもしれません。
    とにかく テレビで放送されるアニメーションは 手塚さんがいなければ こんなに盛んになっていなかったことは間違いない人物ですから 僅か60歳でお亡くなりになられたことは とても残念に思います。久しぶりに「鉄腕アトム」の漫画本を インターネットで読み返してみようと思います。現在は 何でも簡単にネットで 振り返ることができるみたいなので 便利で有難い世の中ですね。そして心より 手塚さんのご冥福をお祈りいたします。

  • 2月8日 お疲れ様 曲がって折れて 針供養

    本日は 事初めの日とされていて 裁縫仕事などをお休みすることから 一年間頑張って曲がったり折れたりさび付いてしまった針を供養する日とされたのだそうです。本日のタイトルは 今月の句会に提出してみようと考えております俳句でございます。私は 裁縫仕事は殆どいたしませんが 外科手術で皮膚の縫合は 頻繁に行いますので 手術用のもともと湾曲した針を 頻繁に使っております。硬い組織 猫の皮膚などを縫合するときには ちょくちょく針が その貫く組織の硬さに負けて ひん曲がってしまいます。手術用の針は そこそこの価格がしますので 一度まがったぐらいでは捨てられないので 元通りに復元して また使用します。でも一度まがってしまった部分は どうしてもまた曲がりやすい状態なので 何度か使っているうちにまた同じところが曲がってしまいます。またもとのように復元して使用しますが いずれはぽきんと惚れてしまいます。折れてしまうとどうしようもないので 廃棄しますが 危険なので勿論一般ごみとしては捨てられないので 一年分まとめておいて 本日頑張ってくれたことに感謝して ご苦労様とねぎらってから医療廃棄物を入れるケースへ収納しました。私の感謝とねぎらいで 供養されたのかどうかは分かりませんが 手術ができるのは 針のおかげなので その感謝の気持ちを込めてお祈りいたしました。
    針供養とは 春の季語ですが あまり春らしい温かみを感じません。でも日ごろ私たちの生活に役立ってくれて その役目を終えたものに対して 感謝の気持ちを新たにするために 針供養というのは大切な儀式だと思いましたので 一句詠んでみました。句会に参加された方の どなたか一人でもその気持ちに響いて選んでもらえたら嬉しいです。俳句作りを趣味として初めて 半年近くたちますが 自分では幾らかでも上達したのか 全く進歩がないのか 不安でしょうがありません。例えば スポーツや音楽なら 出来なかった技ができるようになったり 弾けなかった曲が ぎこちなくでも最後まで詰まらずに引けるようになったり タイムが縮んだり 記録が伸びたりしたら 明確にその進歩というか努力の成果が 目に見えるように思いますが 俳句については 上達しているバロメーターのようなものが サッパリわからないのです。
    私が参加している 俳句同好会では 毎月決まった日に十人前後が集まって各自が五つの俳句を提出します。そして提出された俳句のすべてに目を通して 勿論自分の俳句以外から 気に入った五つの俳句を選んで 発表します。魅力的な句には 何人もの人から 選んでもらえますが 半分以上の句は 誰からの選んでもらえません。この句会には 時々この句会の指導者である先生の句が混入されていることがあります。指導者の先生の作った俳句ですから 当然指導を受ける側の人間よりも 技術的には優っているはずです。けれども先生の俳句に 参加者からの指名が集中することは あまりありません。つまり俳句として技術的に高い俳句が 参加者の心をとらえて 選んでもらえるとは限らないのです。
    ですから 沢山の人に選ばれたからと言って 俳句が上達したと 簡単に判断することはできないようです。要するに 表現したいことが 分かり易くて 参加者の気持ちに広く伝われば 沢山の人から選んでもらえるのかもしれません。句会に参加している方々は 勿論私よりも 俳句作りのベテランばかりですし 間違いなく私よりも俳句作りがお上手なはずです。だけれども ある句会においては 提出した俳句が 一つも選ばれずに終わる場合も たまにあるみたいです。私も 前々回とうとう一つの俳句も選んでもらえない屈辱を味わってしまいました。ある意味俳句作りは 自己満足のために皆やっているのかもしれません。ただせっかく作った俳句を 自分の胸にだけしまっておくのでは 寂しいので 僅か十人ぐらいの同行の士の集まりで 発表して 他人がどのように受け取ってくれるか知りたくて 句会に参加しているのだと思います。
    私は これまでに幾つもの俳句を選んでいただきましたが 複数の方から選んでもらえたことは残念ながら一度もありません。毎回 一番人気の俳句には 四五人の方が投票する 凄く魅力的な俳句があります。そしてお上手な方は いつもコンスタントに 参加者からの支持を沢山集めておられますから やっぱり少なからぬ人の気持ちを引き付ける句づくりのできる方は 確実にいらっしゃいます。俳句作りは あくまで自分のために行っているのではありますが やはりその気持ちの奥底には 何とか自分の俳句が 他人から認められたい 魅力的だと投票されたい というスケベ心が確実にあります。だからこそ 一銭にもならない俳句作りに 励んでしまうのだと思います。
    俳句作りの趣味を始めたおかげで 同じ趣味を志す友人というよりも 年齢的にも俳句作りのキャリアや実力的にも すべての方が 私の大先輩ですが 親しくしていただける人々が何人も出来ました。還暦を過ぎてしまうと なかなか友人作りが難しいのかもしれませんが 俳句作りの集まりに参加させてもらえてから 友人というよりも先輩と表現したほうが適格だと思いますが 新しく親しくしていただける方々が 何人も出来ましたので とても嬉しく思っております。最初にも申しましたように 自分なりには 俳句作りに励んできましたが どれだけ上達できているのか さっぱり見当もつきませんが これからも暇さえあれば 俳句作りに没頭して 毎月決まった日にはいそいそと句会に参加していこうと考えております。

  • 2月7日 ドラマ「ゆるキャン」というのが 気に入りました。

    主演は 福原遥という可愛らしい女優さんです。子役からデビューして 女優だけではなくて 雑誌の専属モデルや 声優 歌手としても そこそこ活躍されているみたいですが 私が初めて彼女を認識したのは 「さんま御殿」に出演した時でした。私は どうもさんまさんと女の子の好みが似ているようで さんまが遥ちゃんのことを一度の出演でお気に入りにしてしまいましたが 私も同じくかなりのお気に入り女優として認識してしまいました。取り立てて言うほど 美人でも可愛らしくもないようですが 素直そうな性格が気に入ってしまいました。私が現在 乃木坂以外にお気に入りの女性は 土屋太鳳ちゃん 王林ちゃん 鈴木光ちゃんですが この三人に次ぐお気に入りの女の子です。
    「ゆるキャン」というドラマは 原作が漫画で 既にアニメ化されているらしいのですが そちらは見たことがありませんが 紹介pvだと やっぱりほのぼのとして かなり面白そうなので 見られる機会があれば楽しんでみたいと思います。遥ちゃんが女子高生の役を演じています。現在21歳の彼女ですが 女子高の制服を着ていても 全然違和感がありません。ドラマの始まりの部分では オフシーズンを選んで 人のほとんどいないキャンプ場にわざわざ出かけて ポツンと一人ぼっちキャンプが好きな女の子のようです。
    他人と関わるのが 面倒なのかもしれませんが ある時キャンプ場で出会った女の子と 歓迎したくはなかったみたいですが 友達というか単なる知り合いになりました。その子が何と同じ高校に転校してきました。顔を合わさないようにしていましたが 当然あっという間に学校内で出会ってしまって その子から積極的にアプローチされます。転校してきた女の子ナデシコちゃんは たった一度のキャンプ体験で 野外活動に興味を持ってしまい 野外活動サークルに入り キャンプ好きの友人が増えます。遥ちゃん演じるリンちゃんは 孤独を愛するので 勿論そのサークル活動とは縁を持ちたくありません。しかしナデシコちゃんが サークルのメンバーを引き連れて リンちゃんに積極的にアプローチをしていくので いずれはサークルのメンバー そしてもともといた唯一のお友達まで巻き込んで にぎやかなワイワイキャンプを楽しむ女の子に成長していく姿を描かれていくのだろうと思います。
    思いますというのは 最初はプライムビデオに公開されていたので どんどん見ていきましたが 六話つまり現在テレビ大阪系列で放送されている最新話まで見てしまいましたので この先のストーリーはまだ分かりませんが 番組の冒頭シーンで 五人の可愛らしい女の子たちが 楽しそうにワイワイキャンプを楽しんでいますから いずれはそちらの方向へと展開していくのだろうと 予想されます。なんにしても 福原遥ちゃんが とっても可愛らしいので 今後毎週楽しみに見ていこうと思います。

  • 2月6日 旅行最終日です

    杵築市の宿泊体験施設は 自然公園の中にありますので こんな冬の真っ最中は誰も利用客がいませんから 静かで寂しい位ですが 小鳥の鳴き声に心地よい目覚めを迎えられました。本日もお天気はそこそこよかったのですが かなり寒かったです。自炊できる設備が整っていますが 近所にコンビニなど一切ありませんので 前回利用した時と同様に インスタントコーヒーを入れる準備をしていきましたので 取り敢えずはお湯を沸かしました。トースターがないので フライパンで食パンをこんがりと焼いてから ハムエッグの用意もしていきましたので 同じフライパンでハムエッグを作り 簡単な朝食を頂きました。
    本日は朝一から 市役所で昨日も相手をしてくれた担当者と合流するために 市役所へ直行しました。本日は 夕方フェリーに乗って別府から帰阪しますが それまでの時間 杵築市の 私が知らない地域を車で案内してもらいました。杵築市は枚方市がそこそこひろい市だと思っておりますが65㎢に対して その四倍以上の280㎢もありますから 海岸沿いの穏やかな地域と 山奥の地形的にも 気候的にも厳しい地域は 同じ市内とは思えないぐらいに 隔たりがあるみたいなので 恐らく移住してからも 殆ど足を踏み入れることがないであろう 山奥の地域を案内してもらいました。杵築市は 面積は枚方市の四倍以上もありますが 人口は二十分の一位しかいませんから 私が思っていた以上に 山林地域が多くて 人口密度が低いみたいです。
    市内のあっちやこっちで 温泉が湧いているので 地震の心配もありますが ここの所地震による実質的な被害は 殆どないのだそうです。人口も確実に減少していますし 財政状況が 苦しいことは何度もニュースで取り上げられているぐらいですから 心配な一面もありますが よしんば財政再建団体になってしまっても 引退してからの生活ですから それ程市役所のお世話になる機会もないのでしょうから 今から心配しても無意味だと思います。これまで杵築市でも 所謂街中ばかりを うろついておりましたので 杵築市の知らなかった一面を勉強できましたので それなりに有意義な一日でした。
    夕方から 別府港にいき フェリーに乗って大阪へ向かいました。もう三回目になると ある程度慣れてきましたので 要領よく手続きして乗船できました。帰りも四人部屋を個室として利用できましたので 持参したチンするご飯と レトルトカレー カップラーメンなどで 安上がりに夕食を済ませました。テレビが部屋にはありますが 移動が始まると当然ですが 受信状態が悪くなってきますので 快適に視聴できなくなります。旅行最終日で 当然疲れもピークに達していますから ベッドに横になるとすぐに睡魔がやってきてくれましたので あまり快適とは言えないベッドですが 直ぐにぐっすりと眠りにつきました。明日からまた仕事が始まりますが しっかりと楽しい思いをさせてもらいましたので 頑張ろうと思っているうちに 意識が無くなりました。お休みなさい。

  • 2月5日 旅行四日目です

    本日も ホテルの朝食を頂いてから 久留米市より 朝倉市杷木町へした道を移動しました。杷木町といえば 一昨年の台風で大変な浸水被害を受けましたので 全国放送のニュースで度々報道されました。大変な惨状が何度もテレビで放送されていましたので 父方の実家もえらい目にあっているのかと思いましたが 実家はその地域の一番の高台にありましたので 全く被害を免れておりました。地域名が林田というように 林の名前がついておりますので 昔はかなりの土地持ちのお庄屋さんだったらしくて その地域に林の名前がついているのかもしれませんが その地の一等地に実家があってくれたおかげで 家自体は全く無事でした。
    只 訪ねて行ってみると 近所に流れていた河川が 暴れたくって全く異なる川筋になっています。今更川筋を元に戻すことは 不可能なようで 新しく出来上がった川筋に合わせて 道路の復旧を頑張っているみたいでしたが まだまだ手付かずの所も少なからずあって 以前とはかなり異なる道筋を通って 父方の実家に何とか たどり着きました。奥様とこの実家を訪問するのは 数十年ぶりに二回目ですが いつもと異なる道に 私が全く見当もつかないところを 奥様がこの道を入ったら数軒目にあるはず という言葉を信じて 進んでいくとどんぴしゃりでした。奥様の記憶力と土地勘の良さには 改めてほとほと呆れ返ってしまいました。
    この実家は 本来長男である私の父が 継ぐべきところを 百姓なんかやりたくないと わがままを言って 大阪へ飛び出してしまったので 次男の叔父さんが継いでくださって 農業を受け継ぎ祖母ちゃんの面倒まで見てもらいました。ですから本来弟であるこの叔父さんに対して 遠慮しながら対応してしかるべきなのに いつも偉そうに威張り散らしていたのが 心配でしたが その叔父さんも数年前に他界されて 叔母さんと 勿論その実家から嫁いでいる従弟が 仕事を休んでまで対応してくれました。この従妹は 実は私とは 一寸した訳ありです。
    私は 自分が根性なしの大まぬけ野郎であり 決断力にかけているうえに 天性の怠けものである事を よく自覚しております。ですから 人生のパートナーは 賢くてしっかり者の 私に噛みついてくるぐらいに気が強い女性を選びたいと考えております。現在の奥様はまさに 私の理想通りの女性です。本日相手をしてくれた従妹も やっぱり非常に賢くて 行動力があり 口の立つ素晴らしい女性です。なので 私が病院を開業するときに 私のこれからの人生に最も必要な女性だと判断しましたので プロポーズしました。ただ彼女は猫などの動物に対するアレルギーが あるので動物病院の仕事はできない という理由で断られました。まあ私のような 無能な男に人生をかける気にならなかったのかもしれませんし、男としての見てくれがお気に召さなかったのかもしれません。まあ私のプロポーズは突っぱねられましたが その後も仲の良い従妹としての親戚関係は続けておりますので本日も快く応対してくれました。
    現在 父方の実家は 父に代わって家業を継いでくださった叔父が数年前に他界されましたので その奥様 私には叔母にあたる女性が たった一人で 凄く広い敷地と家を守ってくださっています。その叔母と従妹は 親子なのですが この二人がまたそろいもそろって 凄くおしゃべりなのです。私もダラダラと長文のブログを書き続ける位ですから 男のくせにおしゃべりですが そんな三人が集まりましたから 全く話題が途切れることなく ずっとおしゃべりを続けました。あっという間に 予定していた訪問終了時刻がきてしまいました。
    今夜は 杵築市の宿泊体験施設を無料で利用させてもらうために 一応市役所の人間とコンタクトを取って 移住に関する話をした という事実を作っておく必要がありましたので 市役所が仕事が終わる五時までには杵築市役所にたどり着かねばならない事情がありました。そこで話はなかなかつきませんでしたが 何とか区切りをつけて 杷木の父方の実家を出発しました。ギリギリ五時寸前に市役所にたどり着き 前回市役所を訪問した時に相手をしてくれた担当者と落ち合って 実際に杵築市に引っ越してくるとなった時に 市から受けられる補助金についての簡単な説明を受けました。それから この担当者の若者は 非常に熱心に私が移住してくることに有益な話をいろいろとしてくれていましたので 夕食を奥さんともどもご馳走することになっていましたので レストランに移動しました。前回も食事をご馳走しましたが その時は彼のリクエストで 焼肉を頂きましたので 今回は私のリクエストで せっかく海の近くなのだから 魚料理のおいしいものを食べようという事になり その方面のお店に案内してくれました。
    いかにも地方のこじんまりとした日本料理屋さん といったお店で 美味しい魚料理をたっぷりと頂きました。彼も私もお酒を全然頂きませんが 結構話は移住してからのこちらでの生活について いろいろと盛り上がりました。食事が終わると 宿泊施設が 杵築市内ではありますが かなり辺鄙な自然豊かな地域にある施設なので 殆ど街灯などない田舎道を かなりのスピードで飛ばしました。飛ばさないと後ろに渋滞ができてしまうから しょうがありませんでした。今日も一日たっぷりと楽しいことがあり 疲れたので宿泊所についたら 直ぐに布団をひいて 眠りにつきました。

  • 2月4日 旅行三日目です

    朝一で 温泉に浸かり サッパリしてから ブッフェ形式で 美味しい朝食をたっぷりと頂いてから 高速を使って 八女市の黒木町にある 母方の実家に出かけました。丸宗菓子庵という 以前は百貨店にも出店があり 観光バスが休憩所として利用していた位の 立派なお菓子屋さんでした。子供のころ 夏休みに母とともに帰省して 二週間ほど過ごすことが多かったのですが お菓子屋さんですから チョコレートやアイスクリームなど 食べ放題だし 裏にお菓子工場もあって 出来立てのお菓子も遊びに行けばその場でもらい放題でしたから 子供にとっては 天国のような場所でした。その後 そこそこヒットした新製品がいくつも開発されたりしていましたので 私はこのお店が 立派なお菓子屋さん というよりもお菓子メーカーとして 発展しているのだと思っていました。
    所が 久しぶりに訪れてみると なんとなくお店に活気がないのに気が付きました。工場の方も見学させてもらいましたが その日はたまたま工場を休んでいるのだと聞きましたが やはりガランとして お菓子がどんどん作られているような 普段の活気があまり感じられず心配になってしまいました。私が以前は 百貨店に出店していたよね と話を振ると その百貨店は閉店してしまった という話でした。何も百貨店に出店していることが 大切だとは思いませんが だとしたらほかの百貨店に出店させてもらうような交渉をしたのか と質問すると 何もしていない との返事に猶更心配が募りました。以前は 職人さんを何人も雇っていたよね と話のきっかけを作ろうとしましたが 職人さんが皆高齢化して 止めてしまったので 現在は自分一人で 菓子作りを頑張っている との返事にどうフォローすればいいのか困ってしまいました。
    長年頑張ってくれていた職人さんが 年月とともに高齢化する事なんてわかりきっていることで 若い職人を育て上げていくことが 経営者としての当然の務めだと思うのですが そちら方面の努力を全くしていないので この店の行く末には 本当に心配してしまいます。跡取り息子さんが 確か二十代後半でいたはずなので そちらに話を向けてみましたが 本人に店を継ぐ気持ちがない という事でまたまた話が終わってしまいました。今どきのお店としては 当然ホームページを運営するべきだと思いますが 全くその方面にも動いていないようです。親戚筋からも インターネットを商売に活用するようにアドバイスされてはいるが 自分がその方面は苦手なので 何もしていないのだそうです。
    店を経営している従弟が 五十代後半で 跡取り問題も明るい見通しが立っていないことが 仕事に対する積極性がないことにつながっているのかもしれませんが 従弟がこの貸家の五代目経営者で 百年以上も続く伝統あるお店なのに 明るい見通しが立っていないことが とても心配になってしまいました。一つだけ嬉しかったのは 私の母の兄嫁にあたる叔母さんが まだまだお元気でおられたことです。若いころから いつでもにこにこして とても優しくて 慎重145センチぐらいの小柄な とても可愛らしい女性でしたが 現在は当たり前ですがよぼよぼのお婆ちゃんにはなっていましたが 以前と同じようににこやかで とても可愛らしい女性のまんまだったことが この家で唯一の明るいニュースだったように思いました。昔の思い出話をしながら 昼食をご馳走になり 昼過ぎに 久留米市へ向かいました。
    店を継いだ従弟の二つ上の姉である従妹が 嫁いでいましたので そちらに挨拶に向かいました。この従妹が 年賀状にうっかり もう少ししたら大分県へ移住するつもりです という簡単な予告の文章に 一番過敏に反応してくれましたので この従妹に移住についてのこれまでの経緯や 今後の見通しなどを説明するのが 今回の旅行の一番の目的と言えたかもしれません。西鉄の久留米駅のすぐ前にある 大きな駐車場を経営するおうちへ従妹は嫁いでおりましたので 夫婦で立派な外車に乗っていて 弟のいる実家より かなり羽振りがよさそうでした。
    只姉としては 実家の苦しい実態を 熟知しているので 相当に心配しているようで これまでにも散々いろんな面でアドバイスを送っているみたいなのですが 弟さんが 決して仕事を怠けているわけではないけれど 持って生まれた性分なのかもしれませんが 仕事の面で消極的でかなりいら立っているような気持が読み取れました。新製品の開発を促したり 若手の職人の育成に尽力するようにはっぱをかけたり ホームページを作って ネット販売の方面に力を入れることを進めてみたり と私が昼間のお店の状況から なんとなく感じてアドバイスをしたようなことは これまでにも散々されているみたいでしたがほとんど効果がなかったみたいです。
    駐車場経営 というかなり珍しい方面のお仕事をなさっているので その方面なりの一般人には 全く気付かないような ご苦労話を聞いて 感心したりしました。従妹のご主人は かなりの勉強家みたいで駅前の繁華街が発展していくための大きなビジョンを持っておられるようで あまり考えたことのなかったような将来に対するプランを伺って いろいろと勉強になりました。但し 夕方から 久留米の街をいろいろと案内してもらい その途中で友人の絵描きさんの 作品が沢山展示されている美術館に案内されましたが 私は絵画 特に抽象画には全く興味がないので 普段経験しないことを体験させてもらいましたので 感謝すべきことかもしれませんが 正直な気持ち 退屈でした。私としては 乃木坂の写真集でも眺めている方が よほど楽しかったかもしれません。
    その晩は 従弟夫婦に 久留米の郷土料理というよりも 一般的なこの季節の懐石料理をご馳走になり 割と上等のビジネスホテルに宿泊して ゆっくりと休みました。
     

  • 2月3日 旅行二日目です

    朝五時に目覚めて 取り敢えずはフェリーのお風呂に入りました。五時から入浴できるのですが 部屋を五時ちょうどに出ますから 歩いて風呂に到着しますと いつも二三人先客がいますが 今日も二人がすでに入浴していました。多分五時少し前からきて待っていたのだと思います。そこそこの広さがありますので ゆったりと入浴できます。一応展望風呂になっていますが 私がフェリーに乗る時期がいつも冬なので まだ五時では真っ暗で何にも見えないのが残念です。シャンプー リンス ボディーソープが常備されていますので たっぷりと使って すっきり サッパリして ついでに髭も沿って 歯も磨いてから 部屋に戻りました。
    五時半から レストランで朝食バイキングが始まります。杉乃井ホテルのパックには 何故か息の分だけですが 朝食のチケットがおまけみたいについていますので 奥様と二人で出かけました。普段だと間違いなく眠っている時間帯ですが 旅行の緊張感からか 頭も体もしっかりと起きているみたいで しっかりと朝ご飯を頂きました。おかずは卵焼きやスクランブルエッグ 焼き鮭 ウィンナーにサラダ 味噌汁にスープ そしてカレー 漬物や佃煮もそこそこ種類があって どれも美味しかったので おなか一杯頂きました。やはり食べ放題だと ついつい食べてしまうのが デブの性なのだと思います。
    部屋に戻る前に トイレでしっかりとうんこをしてから 部屋に帰りました。鍵を返しに行ったときに 車に乗るタイミングを尋ねたら 船が着岸してから アナウンスがあるので それから部屋を出ても 十分に間に合うのだそうなので 持ち帰る荷物をまとめて 部屋でテレビを見ながら 待っておりました。すると車を止めてあるスペースへの通路が開きましたので そちらに向かって移動してください とのアナウンスが聞こえましたので 車に向かいました。エンジンをかけて 缶コーヒーを飲みながら 降船が始まるのを待ちました。別府港から 杵築リゾートへ向かうのは 初めてでしたが 奥様にしてみれば これが三回目の移動でしたから 熟知しているかのように 的確に道案内をしてくれて すんなりと杵築リゾートへ到着しました。
    四百近くある区画のうち 私が気に入って購入を考えている区画への道筋を 恥ずかしながら 私は覚えようと努力していますが 未だ確信を持てるところまでは 覚えられていませんので 結局は奥様にリードしてもらって辿り着きました。本当に私は情けなくなる位に 方向音痴なだけではなくて 記憶力が欠如しているのだと思います。私のお気に入りの物件は 広さが500坪以上と ゆったりしている所と 手前には家を建てるに十分な平坦な部分と 奥の方は傾斜地になっていて 十メートル位もありそうな立派な木が数十本 うっそうと茂っています。
    私は 仕事を引退したら 朝起きる時間も自由になりますから 小鳥の囀りで目覚めたいと思っておりますが この辺りは 何しろ自然が豊かなので 小鳥が凄く沢山いるようです。その為に 囀りも凄く大きいのです。適量なら心地よい目覚めに誘ってくれそうな小鳥の囀りも あまりたくさんの鳥たちが一時に囀ると 騒音になってしまわないかと 心配してしまいそうな位に大きな囀りなのです。自然の豊かな土地で のんびりしたいというのが 私の老後の生活の一番の目標なのですが 豊か過ぎるのも有難迷惑になりそうで 不安な気持ちもあります。一度 夜真っ暗になってからの物件の雰囲気を確認しておこうと 夜にこの地に訪れたことがありますが かわいい野ウサギがピョンピョン跳ね回っていました。
    野ウサギはとっても可愛らしいので その姿を見かけるのは 嬉しいのですが チョコボールのような糞を決行沢山お土産に撒き散らしてくれるので 困っていらっしゃる方の話を聞きました。私が 家を建てて 生活を始めたら 立ち去ってくれるのかもしれませんが これまた豊か過ぎる自然がもたらしてくれる一つの不安材料です。別にのウサギの糞が撒き散らされても 草食動物ですから 臭いなどはほとんど気にならないと思いますが 糞が雑草の肥料になってしまいそうで 心配です。何しろ広いので 雑草の草刈りがかなり大変であろうことが 心配の種なのですが ウサギの糞が肥料になって 雑草が余計に元気に繁ってしまいそうです。まあ私は 自然がたっぷりとある田舎でのんびりと暮らしたくて この物件に決めたのですから 有難い自然の恩恵は 感謝して受け取ろうと思っております。
    この物件を訪れるのは 今回が三回目ですが あまりに広すぎて お隣との境界線を確認していませんでしたので 歩いてその辺りまで行ってみましたが 目印の杭は見つかりましたが 境界線を示すために張ってあるはずのひもが見当たりません。まあ私が 生活を初めても 境界線の辺りまで やってくることは殆どないと思いますし お隣さんもその辺りに足を踏み入れた形跡はありませんでした。管理事務所の人にあとで尋ねたら 何しろ広々とした区画ですから お互いに殆ど境界線の事など気にはしていないとの事でした。都会の狭苦しい区画とは 境界線に対する感覚が まるで違うみたいでした。
    九時になりましたので 管理事務所を尋ねました。三回目ですので もう顔なじみになっています 管理事務所の所長さんが出迎えてくれました。今回は 大分県を担当している建築部門の方を紹介されました。パンフレットを使って 大和ハウスの建てる家の特長などを説明されて ちょうど基礎工事が終わった段階の物件を見学させてもらいました。基礎工事でのコンクリートの立ち上がり幅が 普通の建築会社の場合10センチ前後なのに 大和ハウスは17センチもあって より強固な基礎の上に家を建てていることを 現実に見せてもらいました。大和ハウスの建築は 坪単価が高いのが不満に思っておりましたが まあ質の良い家を建てていることは間違いないようなので 妥協しなければならないのかもしれないと考えるようになってきました。
    その後移住の先輩をお二人紹介してもらい 率直なここでの暮らしの感想を伺いました。これで合わせて六人の先輩方のお話を伺いましたが 皆さんこちらでの生活に十分満足されているみたいなので 私も少しでも早くここで暮らし始めたいという気持ちになりました。四百軒ほどの集落ですから 色んな趣味の方が それぞれにサークル活動のようなことを盛んになさっているみたいです。 釣りやゴルフなどは 定期的に大会も開かれているみたいですし 釣った魚をさばいてのお食事会も そのたびに盛り上がっているみたいです。 麻雀や囲碁の集まりもあるみたいなので 俳句のサークルがあるのかと尋ねたら 俳句の集まりは現在のところないので もしやりたい気持ちがあるのなら 自分が発起人になって 俳句の集まりを始めてください と言われました。私がある程度 自分の俳句に自信を持っているといえるぐらいの実力があれば 恐らく俳句をたしなまれる方は 少なからずいらっしゃるのでしょうから 俳句の集まりも出来ないことはないのでしょうが 何しろ俳句については 本当の初心者ですので 集まった方をまとめて引っ張っていける自信がありません。まあ運よく面倒見の良い指導者に巡り合えましたら 俳句のサークルを立ち上げるかもしれません。
    夕方になりましたので 杉乃井ホテルにまた宿泊しました。伝染病騒ぎの最中ですから お客さんが少ないのかと思っていましたが さすがは杉乃井ホテルで お客さんはあふれかえっていました。美味しい食事を沢山いただき ゆっくりと温泉に浸って 疲れをいやしてから 上等のベッドでぐっすりと眠りました。本日も 相当に充実した一日で とても楽しかったです。