Dr.喜作のブログ

2022年9月 の記事一覧

  • 9月3日 「あじさいの歌」という映画を久しぶりに観ました

    一昔前の つまり昭和時代の前半から中盤の青春映画のかなりの割合に主演していた石原裕次郎さんとよく共演していた芦川いづみさんが出演している映画です。昭和時代は 現在の令和 よりも前の平成の更に前の時代ですから ひょっとしたら二昔前の映画と表現すべきかもしれません。こんな事に気付くと 自分が年寄りになったことを自覚させられてしまいます。本来なら 今頃 仕事を辞めて のんびりとセカンドライフをスタートしているはずだったのに プライベートな面でとんでもないトラブルが発生してしまいましたので なんとなくダラダラ仕事を継続しております。
    昔の映画を見ると その時代にタイムスリップできるようで とても楽しい気持ちになれます。今どきのお若い方から見れば 昭和時代の前半なんて 石器時代のように思えるのかもしれません。携帯電話は勿論 インターネットも影も形も存在していないと思いますから お若い方にとっては ごく普通の日常生活が営めないのかもしれません。携帯電話を 皆が所有して 当たり前に活用している現在では 携帯電話が存在しない時代のすれ違いによる もどかしさを楽しく そして美しく感じられる私の気持ちを どんなに説明したって理解していただけないと思います。
    「あじさいの歌」というのは 私がその作品のかなりの割合を愛読していた 石坂洋次郎さんの小説を映画化された作品です。石坂さんの小説は かなりの数映画化されていますが その殆んどで男性主人公を石原さんが演じているので 映画を見た後には 小説を読み返しても 主演の登場人物の顔形や声が 裕次郎さんに引き寄せられてしまいます。石坂さんの小説は 昭和の前半 いわゆる戦中 戦後間もない時代から 昭和の後半にまでを舞台に描かれていますが 極当たり前の家庭 家族を描かれているはずなのに あんな天下の男前ばかりが 主人公として登場するのでは リアリティに欠けるように思います。
    私が一番最初に石坂さんの小説と出会ったのは 高校生の頃にテレビで毎週放送されていた「光る海」のテレビドラマでした。沖雅也さん 島田陽子さん 中野良子さん 主演で大学を卒業したばかりの男女が成長していく過程を 明るく 時にはドロドロとした場面も含めて 描かれていて それまでいわゆる明るく健全なホームドラマしか見たことがありませんでしたので 凄く新鮮で 魅力的に感じました。ドラマの最終回を見た後 直ぐに本屋さんで 「光る海」の文庫本を購入して かなり分厚い文庫本でしたが 土日二日かけて読み通しました。私はそれまでも 読書好きのつもりでしたが これほど感動した小説とは 殆ど初めての出会いでした。それ以来 石坂さんの小説を片っ端から読んでいきました。高校時代 部活をしていなかったので 読書の時間はたっぷりとありました。
    石坂さんの小説は かなりの数が 「光る海」を含めて映画化されていましたから 可能な限りテレビで放送される作品を視聴しました。当時は ビデをデッキも普及していませんし 勿論レンタルビデオ屋さんも存在しませんでしたから 見たい映画を簡単に見る事が出来ない時代でしたが 石坂さんの小説を映画化した作品は 人気があったからだと思いますが 割としょっちゅう放送されていたようで、そこそこの数の作品を 見る事が出来ました。
    「あじさいの歌」という作品は 深窓の令嬢が 世間に船出するのに関わった 若い男女の動向を描いた作品です。明るく爽やかな場面から始まりますが 暗くてさし迫った場面も描かれて 最後は無事に問題が解決して 楽して暖かな気持ちになれる場面で終わっています。映画というのは わくわくハラハラ爽快な気分になれる映画もいいですが やはり 寒々しい私の気持ちを 暖かにホッとさせてくれる映画が 有難いです。クラシック音楽と同じように 古くても質の良い映画は 何時までも人を感動させてくれる 人生になくてはならない存在だと思います。こんな古臭い映画を見て ほのぼのとした気分になるなんて 典型的なお年よりと言われても 否定できませんが 事実年寄りなのですから 年寄りらしく生きていこうと思いますので よろしくお願い致します。

  • 9月2日 アベチャンの国葬について 批判が高まっているようです

    私から見れば この世の中で一番大っ嫌いだった 人間が銃殺された事件は むしろ起こるべくして起こった 極当たり前の出来事にしか思えませんから なんであんな悪党を 国葬にするのか 全く納得がいきません。天皇陛下がお亡くなりになられたのとは 天と地ほどに 重要性が異なるのは 明らかです。岸田のバカが 選挙運動中に起こった事件であり 結果的にその選挙で勝利したことから その勢いに乗じて さらに国民感情を煽ろうとしてなのかもしれませんが 国葬にするなどと迂闊にも言い出してしまって 今となっては引っ込みがつかなくなり 意地を張っているようにしか思えません。
    私は 不勉強なので 皇族の方々が 亡くなられた時以外に国葬がとり行われたことがあるのかどうか 詳しくは知りません。確か吉田茂元総理大臣が亡くなった時だけは 国葬が行われたみたいです。私が小学生の頃ですので その事実の記憶は一切ございません。調べてみると 東郷平八郎さんや 山本五十六さんなどの 海軍の象徴のような方も 国葬であったのだそうです。吉田茂さんについては 「小説吉田学校」という小説を そしてそれが映画化された作品をたまたま読んだこと見たことがあるだけの存在ですが 第二次世界大戦後の日本の舵取りを任されて 活躍された かなり型破りな一面も持ち合わせておられたようですが 日本のために尽くした 真に崇高な人物という印象ですので 国葬されるにふさわしい人物だと思います。
    それに対して アベチャンは 「森友加計問題」や 「桜を見る会」などの蛮行で 政治を私物化してしまい 結果的には それらに対する説明責任を一切果たさないうちに 殺されてしまった 無責任極まりない 大悪人としか思えません。圧倒的多数の国会議員を抱えておきながら 憲法改正も含めて その内容の良し悪しは別の話として 一切大きな問題解決の方向への結果を一つも残せずに 総理の職務を二度までも投げ出した 卑怯な人間を どうして国葬などという特別扱い ましてや 国民の血税の無駄遣いを 岸田の馬鹿が 強行しようとしているのか さっぱり理解できません。
    現在の日本の世界的な位置づけからして 世界各国の主要な人物が 皇族ではなくて いろいろと問題を抱えた一民間人の葬式に どれくらいの数参加されるのかも全然見当がつきませんが そこそこの数の主要人物がお越しいただいた場合 その警備や接待などの費用は 新聞に載っている数億円で済むはずがないように思います。サミットの様にごく限られた数の国々からの来賓への対応だけでも 数百億円がかかるのだそうですから ほぼ同等の費用が 国葬をとり行った場合 無駄遣いをしてしまうことになるように思います。そんな大金がかかるのに 発表としては そのごく一部だけを明らかにして 国民の反発感情をかわそうという せこいやり方にも 凄く腹が立ちます。
    吉田茂さんの功績と アベノミクスなどの 実質的に国民にとって何のプラスもなかった政策しか実行できなかった 無能な政治家の実績を比較する事さえ烏滸がましいと思いますが何故吉田さんと同等の扱いをしようとしているのか 岸田のバカは 国民が納得のできるような説明を行うべきだと思いますが アベチャンが結局説明責任を一切果たさないうちに 殺されてしまったのだから 自分が墓場まで持ち込めばいいとでも思っているのでしょうか。こんな汚点を残してしまうと 悪しき前例として 同様の悪行が繰り返されてしまいそうで そんな心配までしてしまいます。
    改めて申し上げますが 私は殺されて当然と考える 大悪党の葬式を国葬として取り扱う事に大反対です。岸田のバカは 敢えて国葬を執り行うと主張するのなら 全ての国民が納得できる国葬実行の理由と そもそも殺された理由として挙がっていたカルト宗教団体と現在の自民党の汚らしい関係について 誰にでも分かり易い 納得の行き易い説明を きちんとした場で 行うのが首相の務めだと思います。それが出来ないのなら さっさと総理大臣の椅子を降りるべきだと思います。そもそも 岸田のバカが首相になった時 国民のだれ一人として 有能な政治家としての活躍なんか期待していなかったように思いますが 自分の政治家としての立ち位置 役どころを理解して 鮮やかな幕引きぐらい行ってほしいと期待しますが まあ無理でしょうね。私の人生も お先真っ暗ですが 日本の未来もどっこいどっこい位に明るくなさそうで 残念です。
     

  • 9月1日 哀れかな 地べたで鳴くよ 秋の蝉

    九月になりそこそこ涼しい日が たまに混じるような季節になって参りました。私は 夏の盛りに 元気いっぱいで 煩い位になくセミの鳴き声は 煩いけれど どちらかというと好きです。長い地中生活からようやく地上に這い出してきて それほど長くないと言われている 寿命を精一杯に生きようとしている 蝉たちの元気溌溂とした 生命力を感じられるようで むしろ羨ましい位に感じてしまいます。しかし秋になると 確実に死期が迫ってきて 日に日に活力を失っていく 蝉たちが 何とも哀れに感じられます。ヒグラシやツクツクボウシの鳴く声に 寂しさを感じずにはいられません。
    そんな死期の迫った蝉たちが 木に掴る力さえ 失われてきているのに 未だにメスを求めて鳴く しんどいけれど 精一杯生きようとする雄蝉の 本能に何とも言えぬ哀れさを感じてしまいます。最後の最後まで 頑張って生き抜いてほしいと 心底思ってしまいます。自動販売機の前で 力尽きて 動けないのに まだ懸命に鳴こうとする蝉に 哀れさよりも むしろ感動を覚えましたので 一句詠んでみました。私の正直な気持ちを 詠み込むと
                      秋の蝉 地べたで鳴くに 励まされ

    になるのかもしれませんが 現在の私の普通に生きていくことさえしんどい 特殊な環境による特殊な心情を 表現してもご理解いただけないように思いましたので 表題の句を 私の句集に残そうと思っております。私は本当に俳句初心者なので どちらの句の方が まだましな俳句なのか 見当がつきません。団栗の背比べなのだとは思いますが 何方か的確にご指導いただければ とても とても嬉しいです。このブログを読んでいただける ほんのわずかな方々のうち 俳句にある程度通じておられるお方が もしいらしてくださるのなら メールで結構ですから ご指導いただければ 凄く嬉しいので 何卒宜しくお願い致します。