1月7日 本日は七草がゆを食べる日です

毎年 七種類の草の名前を覚えようと努力して 一時的には覚えたつもりになるのですが 一年たつと忘れております。自分の記憶力が ドンドン衰えているのを 実感させられるようで 何となく悲しくなります。セリナズナゴギョウハコベラまでは何とか覚えているのですが ホトケノザという馴染みのない名前を忘れてしまいます。最後の二つ スズナ スズシロはなんとかかんとか 記憶に残っています。ついでに秋の七草も覚えておこうとするのですが こちらは 七草がゆのように 実際に接することが殆どないので あっという間に忘れ去ってしまっております。
私が子供の頃には 無かったように思いますが ここしばらくは スーパーで 七草がゆセットみたいなものを目立つところで 販売しております。何度か 買って帰って 普通に炊いたご飯に水を加えて グツグツ炊いて七草を加えて 七草がゆを拵えて食べたことがあります。何となく昔からの習慣は 踏襲しておいた方が 幸せになれるのではないかと 思ってやってみたりもしましたが 自分が全然幸せだとは思えないので止めてしまいました。
節分の豆まきも 人にものを投げつけるのが良くない とか 鬼が登場すると子供が怖がるから良くない等と言われて ドンドンその形を変化させられているのだそうですが 何百年も続いてきた風習を 現代の薄っぺらい 物差しに当てはめて 習慣を変更するのは 如何なものかと思います。私の大嫌いな ハッピーマンデー法もしかりですが 祝日というものは そもそもの謂れがあって その期日を祝いましょうという事で制定されたはずなのに 単に連休を増やしましょうと言う浅はかな考え方で 毎年祝日の期日が変わってしまうのは 非常に愚かな話だと思います。
豆まきに鬼が登場して 鬼という恐ろしい存在 邪気を豆をまいて追っ払おうという意味合いの風習なのに 肝心の悪役の鬼が登場しないのでは 何のための豆まきか と思ってしまいます。何時の時代にも 愚かな事を言い出すおバカは 何処にでもいるものでしょうが そんな愚かな提唱を何にも考えないで受け入れてしまう 愚かな日本人たちにも 情けなさを痛感してしまいます。いまや 世界中を見回しても 馬鹿みたいにマスクを常に装着しているのは 日本人だけのように思いますが 日本では一向にマスクを取って生活しようとはなっていません。日本人は もう少し普段の行動に対して 何故そうするのか という意味合いを考える習慣を身につけるべきだと 思います。単純に皆がそうしているから 皆と合わせた行動をしていれば 安心だという事で 周囲に同調する事しか 考えない情けない日本人の国民性が私は大嫌いです。

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