10月17日 1849年の本日 ショパンがわずか39歳で永眠しました

私の親友に モーツァルトを崇拝していて ショパンをチャラチャラした音楽と見下した表現する人がいます。彼のクラシック音楽に対する知識はそれなりに確かなものがあるのを認めますが 私の様に長年ピアノを練習してきたものからすると ショパンの音楽をチャラチャラしていると表現されるのは 全然納得できません。モーツァルトは 交響曲もたくさん書いているし オペラも少なからず書きあげていますから その作品のジャンルとしては 幅広いし作品数も多いので 作曲家としての後世への影響力は上回っているのかもしれませんし恐らくファンの数も多いでしょう。ショパンの場合は その作品の殆どが ピアノ独奏曲に限定されていますから その作曲家としての活動の場が狭かったのは認めざるを得ませんが ピアノを懸命に練習してきた者には 教祖様のような犯しがたい存在なのです。
ある程度ピアノの練習を積み重ねたものにしてみれば ショパンのバラードやスケルツォ、ポロネーズなどは ボリューム的にはどれも十分以内で演奏できる曲ですが その表現すべき内容は深くて大きいし 弾きこなすのには 相当なテクニックが要求されますから チャレンジしてみたくなる魅力にあふれている名曲は多いと思います。誰でも耳にしたことのあるフレーズが多いので 腕に覚えのあるピアニストなら演奏会でのプログラムに取り入れておられる方も少なくないように思います。
ショパンのエチュードはバッハの平均律曲集とともに ピアニストが一人前になるための絶対的な通過点 と表現されることがありますが 私はピアノの技術を向上するための練習曲集としては チェルニーの練習曲集の方が 直接的であり且つ効果的なのではないかと考えます。ちなみに私は高校生の頃にチェルニーの五十番という練習曲集の半ばまで指導を受けましたが 音大に進んだ妹よりも先に進んでいたことが 密かな自慢です。
ピアノを長年練習していると どうしても自分の思い通りに弾きこなしてみたい 別に誰に聴かせるわけではなくても 自分の解釈した音楽を思う存分表現して 思いっきり自己満足の世界に浸ってみたいという曲が何曲か出来てくると思います。私の場合は ショパンのバラードの一番です。私が立命館大学に通っていたころの友人で 素晴らしくピアノの上手な人物がいました。彼は背もすらっと高くて 当然指も長いので 手を広げれば楽に十度(ドから二つ上のミまで)届くほど身体的にもピアノを弾くのに恵まれていました。
私も男ですから 出来たらもう少し背が高くてすらーっとしていたいと思ったことは多いですが 現実はズングリムックリで 指も当然短いので 一オクターブを弾くのがやっとです。彼のように身体的にピアノを弾くのに恵まれていることを凄く羨ましいと思いました。勿論彼は 身体的にピアノを弾くのに向いているだけではなくて 技術の向上のために 凄くストイックに練習に取り組んでいましたから 十年以上ピアノを頑張ってきた私が 舌を巻くほどに素晴らしい演奏テクニックを身に着けていました。
その彼が得意としていたのが ショパンのバラードの一番でした。私はどうしても彼と同じようにこの曲を弾きこなしてみたいと思いましたが 彼は私の技術では一番は難しすぎるので 同じくバラーとの三番を奨めてきました。勿論三番も素晴らしい曲なのですが 私としてはどうしても一番が弾きたくて 密かに練習を始めました。八割がたは何とか弾けるようになったように思いますが 最後の一番盛り上がるコーダの部分で 和音を連打する部分が 私の短い指ではどんなに練習しても ゆっくりなら鍵盤を押さえられますが 自分の演奏したいテンポでは幾ら頑張っても弾きこなせませんでした。彼の見立てはやはり的を得ていたようです。
そんな訳でショパンのバラードの一番は 私にとってどんなに頑張って追いかけても 決して手の届かない存在 現在の私から見たら乃木坂のナーチャンみたいなはるかかなたの存在なのかもしれません。それから 他にチャレンジしてみたい曲に 同じくショパンの軍隊ポロネーズがあります。この曲は中学生になったころ同じ先生について習っていた友人が 私よりも先にこの曲を与えられて練習を始めました。彼の方がピアノを始めたのが早くて いつも私は彼の後塵を拝していましたが 何とか頑張って追いつき追い越してやろうと努力を重ねていました。どんな場合もライバルの存在が大切で 彼の為にかなり悔しい思いもしましたが 私の技術の向上には 役に立ってくれたのかもしれません。
もともとショパンのポロネーズは かなり体力を要するうえに 相当なテクニックも求められる難しい曲ばかりですが 何とかライバルに追いつけてきたのではないかと 自惚れていた矢先に 彼が発表会のレパートリーとして軍隊ポロネーズを与えられたのです。私は悔しくて その発表会で自分がどんな曲を弾いたのかさえ全然覚えていません。発表会で弾く順番は 私が最後から三番目 二番目が高校生の女の子で 彼が初めて発表会のトリを務めました。私は自分が何を弾いたのか覚えもいない位ですから そこそこの曲をそこそこの出来で演奏できたのだと思います。彼は日ごろから大人しくて 本番にそんなに強くないはずでしたが 大曲を与えられて 必死に練習してきたのだと思いますが 堂々と立派に弾きこなして見せました。
結局私のピアノ人生で 軍隊ポロネーズと巡り合う事はありませんでした。ポロネーズはショパンの故国ポーランドの民族音楽ですから幼いころから馴染んでいたらしく彼の一番最初になんと七歳の時に作曲したのが ポロネーズだったのだそうです。現在よく演奏されるピアノ独奏曲としては 七曲が残っているみたいですが 「英雄」や「幻想」等の有名な曲は 私の短い指では全く歯が立たないのは明確なのでチャレンジしてみようと思ったこともありませんが 軍隊ポロネーズだけは バリバリピアノを弾いている時代にチャレンジしてみたかったです。只中学生の時にライバルだった友人の演奏が かなりいい出来栄えだったので その演奏に及ばなかった場合凄く惨めな気持ちになりそうで あえてチャレンジはしなかったのかもしれません。
現在はもうピアノから離れて 数十年が過ぎますので どうしょうもありませんがショパンのバラードの一番と軍隊ポロネーズを弾きこなせなかったことは 私の人生の大きな悔やみごとの一つとしてあげられるのかもしれません。

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