10月22日 1797年の本日 初めてパラシュートによる落下が成功しました

パラシュートと言えばダビンチのスケッチ画が知られていますから その構想はかなり昔からあったようです。現実のパラシュートを研究して 実際に試したのは フランスの軍人のジャックガネルランという人だそうです。彼はプロシアとの戦争で捕虜になり そこから脱走するための手段としてパラシュートを考えたのだそうです。しかしそのパラシュートを実践する前にプロシア軍が負けてしまったので 試してみることが出来ませんでした。

フランスに戻ってからもジャックはパラシュートの研究をつづけ1797年に初めて実験してパラシュートによる降下に成功しました。やり方は当時浮き上がる唯一の方法である気球に乗って一定の高さまで上昇してから パラシュートを使って無事に降下したのです。当初のパラシュートは見世物として集まった人たちから料金を貰って行う曲芸のようなものでした。

最初のパラシュートの形は私たちがイメージするものとは異なります。直径四メートルぐらいの木製の輪っかに紡錘形をした布が貼ってあるもので最初から開いた状態で気球に吊り下げてあります。約300メートルまで上昇すると 気球から切り離して その浮力によって安全な落下速度を保ちながら降下するものでした。相当に振動が激しくて かなり危険を伴う形なのでそれ以後に改良されて 私たちが知っているパラシュートに進化したのです。ただ、最初が見世物から始まっているのでパラシュートには卑しいイメージが付きまとい なかなか飛行機からの安全な脱出用具としては認知されなかったみたいです。

ある程度実用化されたのは第二次世界大戦の時の落下傘部隊に用いられたことからだそうです。物事の進化には やっぱり戦争が絡んでいるものなのですね。それにしても 私たちはパラシュートと言えば 勿論飛行機から降下するための道具だというイメージがありますが ライト兄弟が初めて飛行機を飛ばすのに成功したのは1903年の事です。その百年以上も前からパラシュートで人が降下していたというのはなんだか不思議な気がします。

物好きな人は娯楽としてスカイダイビングを繰り返し行っていますし、アメリカなどではパラシュートが開くまでの自由落下している最中のパフォーマンスを競う大会まであるのだそうです。私は 腰抜け野郎ですから 勿論高い所は凄く苦手です。ちなみに奥様は全く平気です。ですから絶叫マシーンに乗った後のダメージに大きな違いがあります。私としては絶叫マシーンなんて金輪際乗りたくありませんが 奥様に挑発されて乗ってしまい思いっきり後悔します。

秋の旅行でまたフジQハイランドに出かけるプランが浮上していますが できたら避けたいものです。人間はみなどうして怖いものに乗りたがるのでしょうか。私には理解できそうにないし 一生理解したくもありません。遊園地はあくまで楽しく遊ぶための場所ですから 本当に楽しい遊具だけを置くべきだと思います。

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