11月1日 三回目の句会に参加してきました

昨日 句会に出す俳句について 語りましたが 本日これまでに参加した団体と 並立する姉妹団体のような集まりの句会に 初めて参加してみました。当然集まる場所は異なりますが いつもの句会のメンバーがかなりそろっていましたから 割と気楽に そして楽しく過ごせました。句会という集まりは 皆が五つずつ俳句を提出します。無記名ですから 誰が作った句か分かりませんが 筆跡によって 長年の付き合いがあると作者の見当がついてしまい 客観的にその俳句を評価しにくかもしれないので 一旦他人が各自に割り当てられた俳句を そのまま書き直します。他人によって書き写された俳句をコピーして 各自にすべての俳句が披露されます。
すべての俳句を見て 気に入った俳句をもちろん自分の俳句を除いてですが 五つ選んで 書き出します。各自が選んだ俳句が紹介されてから 選ばれた俳句について まずは選んだ人が気に入った理由を喋ります。最後に作者が名乗り出て 一件落着となります。この作業を誰かに選ばれた全ての俳句について 繰り返していきます。最後に選ばれなかった俳句についても 作者を明らかにして 各自が感想やアドバイスを発言して 句会が終了となります。 
私は 初めて参加した時は 訳も分からず大急ぎでこしらえた俳句を提出したのですが なんと五つのうち三つも選んでもらえました。多分ビギナーズラックだと思います。二回目には 二つ選んでもらえましたが 本日は一つしか選んでもらえませんでした。俳句作りは 自分のためにやっているのだし 誰かに評価してもらうことを目的とはしておりませんが それでもやっぱり句会で 複数の人から 気に入ったと選んでもらえたら 凄く嬉しいです。私個人としては だんだん選ばれる句の数が減少していますから 次回の句会では一つも選ばれないのではないかと不安になってしまいます。
爺さん婆さんが十人前後寄りあう ほんの些細な集まりで 自分の俳句が選ばれようと選ばれなかろうと 世の中にとっては 本当にどうでもいい出来事です。繰り返しますが 俳句を作るのは 自分の気持ちを上手く分かりやすく表現したくての作業であって 他人に褒められたり 評価されたりするためではないことは重々承知しているつもりですが やはりいいなあと思ってもらえるととても嬉しいのです。ネットの世界で やたらと「いいね」の評価を欲しがり そこにこだわる人の気持ちが 全く理解できないと このブログにも何度か書きましたが 最近になって世の中のほとんどすべての人が「いいね」の評価に執着する気持ちが よく分かるようになりました。
本日の私の一番の自信作は 昨日披露した「赤い羽根」を季語としたものですが 二番目に自信があったのが
       「わが父よ 友がみな逝き 秋の虫」
です。私の父は92歳で かなり頑張って長生きしておりますが 長生きしすぎたわけでもないのでしょうが 同級生の親しい友達が 殆どみんな先立ってしまい 凄く寂しい思いをしていると 以前に語っていたのを思い出しましたので 「秋の虫」という季語には 盛りを過ぎて弱ってしまって 老い先が短い というような意味合いですから ぴったしだと思い 自分としてはそこそこの自信作だと思っておりました。
確か二回目の句会で
       「秋の蝉 既に我が身と たそがるる」
という句を提出しました。「秋の蝉」という季語は「秋の虫」と似たような意味合いの言葉ですが 私も還暦を通り越しましたので 自分も秋の虫と同様に 老い先が短いであろうし寂しいな という気持ちを詠みこんだつもりの句なのですが その時に作者が私だと明かすと 人生の先輩方から お前のような若輩者が こんな句を詠むのは早すぎる と非難されました。そこで自分の父を引っ張り出してきて 詠めば 評価されるに違いないと 自分一人で喜んでおりましたが やはり今回も非難
ごうごうでした。どうしても先輩方は 父の立場に立って考えられるようで もし私の父がこの句を見たら どんな気持ちになるのか考えてみるべきだと きついお叱りの言葉を沢山いただきました。

私としては「秋の虫」や「秋の蝉」といった さみしい気持ちを表す季語を使えば なんとなく俳句っぽい雰囲気が醸し出されるのではないかと 期待したのですが なかなか上手くはいきません。まあ 俳句のなかなか思い通りにならない難しさが 面白みであるのでしょうし そこで悩み苦しむことが 結果的には 俳句作りの楽しさかもしれません。まだ始めたばかりの初心者ですから 先輩に叱ってもらえるうちは 有難いと思わなければいけないと考えて 自分への叱咤激励ととらえて 今後も多いに頑張っていこうと思います。

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