11月10日 携帯電話が使えないということが そんなに大したことなのでしょうか

新聞の記事によると 岐阜の山奥にある度会温泉というところが 携帯電話が通じない地域なので 世の中とのつながりが 一時的にでも 完全シャットアウトできるので 心置きなく休めて 凄く癒される観光地として話題になっているのだそうです。私は 今でもガラ携を使っているぐらいですから 携帯電話を使用する頻度が 普段から凄く少ない人間です。スマホというのは 携帯電話と銘打たれているらしいですが 実は携帯できるコンパクトなパソコンのような存在なのだそうです。私も 病院のパソコンで インターネットを利用して 新しい情報などを仕入れる習慣が身についていますから 新聞を定期購読しなくなってから かなりの年月が経ちます。
暇さえあれば インターネットでゲームをしたり メールのやり取り これは仕事に関するものが多いですが 勿論プライベートなものも そこそこあります。そんな風に 病院に固定されたパソコンを使用して ネットを利用することは かなり頻繁にありますが 別に出かけているときには それなりにどんどん情報や刺激が入ってきますから 別にインターネットとつながっていなくても 特に不便は感じません。私のガラ携は メール契約もしていませんから 本当に電話としての機能しか使えません。渡井がなぜ携帯電話を保有しているかといえば 外出中に病院にかかってきた電話を 取り逃したくないので ボイスワープで転送されてくる通話を受けるための子機としての役割があるからにすぎません。ですから もうすぐ仕事を引退してからは 世の中と一応つながってはおきたいので 奥様には携帯電話を所有してもらいますが 私自身は携帯電話の類とは縁を切ろうと考えております。
ですから 普段街中で 若い人たちがスマホに夢中で過ごしているのを見ても 以前は呆れていましたが 時代が違う その時代を私は全く理解できないし 理解したいとも思いませんから 既になんとも感じなくなってしまいましたが いい年をした大人が 同様にスマホにくぎ付け生活を送っているのを見ると やはり今でも悲しい気持ちになりますし 日本に明るい未来など待っているわけがないことを 確信させられてしまうようで 凄く落ち込んでしまいます。現代人は スマホがなければ生きていけないような 錯覚に陥っているのかもしれませんが ほんの二~三十年前までは 携帯電話なんて日常生活の中には影も形も存在していなかったのです。スマホなんかなくても ごく当たり前に人々は生活していたのです。
意図的に携帯電話がつながらない地域へ出かけて 俗世間とのしがらみをたった生活をしてみることは いいことなのかもしれませんが そのようなド田舎をありがたがるのは やっぱり俗世間に毒されているからだとしか思えませんから 最初聞いたときは明るいニュースかとも思いましたが 落ち着いて考えてみたら 残念なニュースのように思えてしまいます。

ブログ一覧