11月15日 死刑執行について思う事

現在 日本では 毎年のように死刑が執行されているみたいです。その前の段階で 裁判で死刑判決がそこそこ下されているから 当たり前なのかもしれません。現在 世界の国々で約七割が死刑という刑罰を実施していないのだそうです。身近な国でいうと アメリカや韓国に死刑制度が残っているらしいのですが 韓国では長らく 執行されていないのだそうです。死刑というと 何か野蛮な刑罰の様に短絡的に考える人が 日本人でも多いのかもしれません。でも私は 死刑が執行される人間は やはり殺人犯が多いのかもしれませんが 被害者の身内にしてみれば 殺人犯が死刑に処せられるのは 当然と考えて不思議ではないように思います。無論犯人が死刑に処せられたとしても 殺された被害者が返ってくるわけではありませんが その無念のお気持ちが 幾らかでも晴らされるのではないでしょうか。
世界的にみると キリスト教 特にカトリック系の信者の多い国では 軒並み死刑制度が完全に廃止されているみたいです。逆にイスラム教の信者が多い国では死刑制度が実行されているのだそうです。だからと言って キリスト教信者の多い国が文化的であり イスラム教信者が多い国が野蛮であるなどという勘違いは なさらないで頂きたいです。現に日本という国も 死刑を現実に執行しているのですから。私だって この先どれだけ生きられるのか 分かりませんし どのような生き方をするのか定かではありませんから 万が一にも死刑判決を受けるような人間にならないとも限りません。
但し もし私が死刑判決を受けるような 重大なご迷惑を世間様におかけしたとしたら すっぱりと死刑に処していただきたいように思います。無論 今後も出来るだけ真っ当な道を歩んでいきたいと思っておりますので 寿命が尽きるまで無事に生きて 納得のいくような死に様を迎えたいとは思っておりますけれど。つまり私が申しあげたいことは 死刑に値するようなご迷惑を世間様や他人様におかけしたとしたら 自分の命を差し出してでも ご迷惑をおかけした相手に対して キチンをお詫びをしてから自分の人生を閉じたいと考えます。
私のこの考え方は 野蛮であり 非文化的なものなのでしょうか。もしも 私の命よりも大切に思っている人が 殺害された場合 その犯人には 当然己の命をもって その罪の償いを成されることを望むように思います。だから 私は 被害者の立場であれ 加害者の立場になってしまっても 死刑という刑罰はきちんと執行されることを望みます。

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