11月26日 久し振りに交野の実家に帰りました

 本日は昼から暇だったので 久しぶりに交野の実家に帰り父親と対面しました。訪問した理由はお歳暮にビールを届けるのと 来週に迫った手術の保証人として書類に署名をもらうためであります。父へのお中元、お歳暮は殆どがビールです。私が酒を飲むのが年に二三回なら 父が酒を飲まない日が年に二三回と言うぐらいにほとんど毎日飲んでいます。

 もうすぐ年が明けると八十七歳になります父ですが まだ殆どボケておらかなりずしっかりしていると思います。ただ普通に会話していて ふと言葉が出にくくなったり、文章を書いている時に よく知っているはずの漢字を思い出すのに時間がかかることが多くなったと話していました。でも それだけ冷静に自己分析が出来ているから 当分はボケる心配もないだろうと思います。

 それとほぼ毎日飲んでいるお酒が凄く美味しく飲めているそうなので お酒が美味しく飲めるうちは安心していてもよいのかなと喜んでいます。いつもビールの350ml入りの二十四缶入りを三ケースとおつまみをみつくろって持っていきますが おつまみは柿ピーといかり豆にしました。歯が弱っている話は聞いていたので するめとかは無理だろうと思っていましたが 最近ではピーナッツでもちょっとしんどいそうなので 昔は大好物だっただけに ちょっと可哀そうになりました。

 今度の手術で初めて全身麻酔をかけられることを話すと 父も全身麻酔の経験はないそうで その歳まで手術らしい手術を受けていないのは 健康であり大した怪我も経験していないわけだから 羨ましい人生のように思います。男性でもうすぐ八十七歳と かなり平均寿命を上まっている所まで頑張っていますが、やはり少しでも元気で長生きしてほしいと思います。数年前に母親を亡くしましたが 母の場合は若い頃にリュウマチ関節炎を患い 身体障碍者として晩年を過ごしましたから 最後の数年はかなり本人としても辛い思いをしていたみたいで 亡くなった時には やっと楽になれたのかもしれないと気持ちを切り替えやすかったのかもしれません。父親とは若い頃には意見がよく対立して 顔を合わせれば喧嘩口調で話をする時期もありましたが ここ数年はお互いに年をとったのもあるでしょうが 結構仲の良い親子になれていると思っています。それだけにもし父親を亡くした時の精神的なダメージは母を亡くした時よりもずっと大きくなりそうで 不安です。

 親が六十歳になった時に普通は還暦のお祝いを子供がするべきなのにしていません。古希や喜寿のお祝いも私がぼんやりしていて 本来長男が音頭をとってお祝いをしてあげねばならないのに 何もしてあげてこれませんでした。再来年の一月には八十八歳 所謂米寿のお祝いをする年齢になります。なんとか頑張ってその年まで元気ていてくれて これまでの私のぼんやりを埋め合わせできるくらい盛大にお祝いしてあげたいと心から思っています。もうこの歳になるとあまり望むものはありませんが 米寿のお祝いが出来るまで父に長生きしてほしいのが 現在の私の唯一の望みです。

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