11月29日 1924年の本日 「第九」の日本での初演が行われました

第一次世界大戦で 日本は日英同盟を結んでいた事の影響で 参戦して アジアのドイツ支配地域を攻撃しましたので ドイツ人の捕虜が 約五千人ほどもいました。全国の捕虜収容所にに収容されましたが 徳島県の収容所では ドイツ人捕虜から 当然ですがドイツを中心としたヨーロッパの文化の影響を沢山受けたと言われています。全国に幾つもある収容所の中で 徳島県が 特にドイツの文化の影響を深く受けた理由は 、収容所長松江大佐の極めて寛大な捕虜への処遇の方針によるものと言われています。会津藩士の子息であった大佐は、明治維新の戦いの中で、敗軍の惨めさを父から聞かされ、人道主義による捕虜の扱いについて深く期するところがあったと言われています。その為、ドイツ人捕虜は比較的自由な生活を送り、外出も自由に認められていましたし、場合によっては外泊する者もいたようです。ですから ドイツ人たちと住民との親密な交流が可能となりました。
次に、徳島と言う土地が 四国のお遍路さんを受け入れる一番の札所であったことによると言われています。人々は、各地からやってくる遍路の旅人を泊め、もてなすことに慣れ、これを誇りとしていました。そこへ、異国の元将兵がやって来ても、受け入れることに抵抗感は少なかったのであろうと言われています。人々は、ドイツ人捕虜の事を「ドイツさん」と呼び、多種多様なことを教わり、親しみをもって交流したのだそうです。
 更には、この地が塩田や染料の藍の生産などで、当時の日本ではかなり豊かな地域であったことも関係しているのかもしれません。経済的に豊かであったことが 収容所やドイツ人捕虜の活動を経済的に援助する人たちが結構いたらしいのです。その為に ドイツ人捕虜によってオーケストラが結成され 楽器をかなり苦労しながらも入手して 合唱団まで作り上げて 日本で初めての「第九」の演奏会が開かれたのだそうです。
今では「第九」の演奏会は 年末の風物詩になっていますが その始まりは ドイツ人捕虜たちの努力と 徳島県民たちの援助によって為し得た 素晴らしい文化交流の開花と言えるのかもしれません。私は一つ目の大学で混声合唱団に所属していましたし その後もいくつかの合唱団に所属しましたので 年末には「第九」のステージに上がったことが 多分十回位あるように思います。
私はベートーベンと言う作曲家が大好きです。一番好きなクラシック音楽の作品は 交響曲五番「運命」です。六番「田園」七番も大好きですが 「運命」の第四学章 を耳にすると泣きたいほどに感動します。第二次世界大戦で 日本と同盟を結び同じく敗戦国となった ドイツですが そのドイツを代表するオーケストラであるベルリンフィルが 敗戦後初めて開かれた演奏会で メインプログラムに取り上げたのが「運命」でした。ドイツ人にとってもこの交響曲は 特別な所に位置付けられている存在なのだと思っています。同じくベートーベンの作品で「荘厳ミサ」という大曲のなかにあるバイオリンのソロパートは 私がこれまで耳にしたメロディーの中で 一番美しいと思います。私にとっては 「荘厳ミサ」のバイオリンソロは ナーちゃんのような存在なのです。
そんな風に 私はベートーベンが大好きで 勿論尊敬している作曲家でありますが 「第九」の合唱パートは あまり好きではありません。交響曲と合唱をコラボさせようという発想自体は 並みの天才では思いつかない事のように思いますし 合唱をやっているものとしては ベートーベンの交響曲に参加できるのですから 凄く有難い事です。でも実際に歌ってみると そのメロディーや 合唱としてのハーモニーという点では 人の声を楽器の様にみなしているように感じられて 歌っていてもあまり楽しくありません。
交響曲全体の出来上がりとしても やはり五番 六番 七番の方が 聴いた後の感動がずっと大きいように思います。まあこの辺りは個人の好みによるものでしょうから 自分の意見を積極的に主張しようとは思いません。今年も年末近くになってきましたので 恐らく一回位は腰を据えて この交響曲を鑑賞すると思いますが また新しい感動が得られることを期待しています。

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