11月29日 1934年の本日 日本初のアメフトの試合が行われました

私はスポーツ観戦が好きです。一年で応援している期間が長いのは やはり長丁場のプロ野球だと思います。子供の頃からふとしたきっかけで好きになったドラゴンズを もう50年近く応援し続けています。但し落合監督を辞めさせた辺りから 選手は好きだけれども 球団が嫌いになりかけていますので ここ数年名古屋ドームへ応援に出かけることも無くなりました。

野球の次に好きだったのがラグビーです。我が母校四条畷高校は 私が在籍していたころに考えてもかなり昔、即ち現在から考えたら大昔には ラグビー部が結構強くて 国体に出場して結構活躍した時代もあったみたいです。私のいた頃にはかなりの進学校になっていて 当然すべての運動部が弱体化していましたが ラグビー部はそんなに強くはないけれど一目置かれる存在でした。秋には体育の授業でラグビーをやりますから 三年生はクラス対抗戦を実施していました。優勝したクラスは 特典として先生のチームと対戦までしていました。

昼休みに運動場で試合は行われていましたが どの試合も出場するクラスの女子は勿論ですが それ以外のギャラリーもかなり詰めかけていました。三年生の時うちのクラスは ラグビーの上手い生徒が集まっていたので クラスマッチでは優勝しました。私もフォワードのロックとして出場して そこそこ働いたつもりです。先生との試合を楽しみにしていましたが 主力の先生が転任してしまったみたいで 私たちの年は 行われませんでした。先生との試合は 全校生徒が注目していましたから 活躍すればしばらくは学校のヒーローでいられますから 試合したかったけれど残念です。それまでの年は 先生のチームが経験豊富で上手く試合をコントロールして楽に勝っていました。主力が抜けて戦力が低下したからと言って 試合をしないのはズルいと今でも思っています。

そんなわけで ラグビーは自分も結構頑張っていたし 高校ラグビーが大阪の花園で行われていますから 尚更興味深くて 年末から正月にかけてはテレビ放送にかじりついていました。もう一昔前の時代になりますが 高校ラグビーで枚方が十年間に全国優勝を七回もしたころがありました。啓光学園と東海大仰星が強かった時です。十年間で全国優勝しなかった年が三回しかない位に圧倒的に強かったのです。落合監督が率いた八年間でドラゴンズは五回も日本シリーズに出場したのにも匹敵する大活躍ぶりです。その割に枚方市内ではラグビー熱が盛り上がっていたようには感じませんでしたが。

大学ラグビーでは関西の大学が東京の対抗戦グループの名門校に歯が立たなくて ずっと凄く悔しい思いをしていましたが 同志社が連覇してくれた頃だけは 溜飲を下げました。現在でも 高校ラグビーは関西勢が凄く強いのに その上手な子たちがみんな関東の大学に進学してしまう為に 関西の大学は全く

敵わなくなってしまいました。ある人に聞いたのですが 関東の大学でもラグビー部員の中では 関西弁が一番通じるのだそうです。

私が通った一つ目の大学 立命館で同じクラスに アメリカンフットボールに 非常に精通している子がいました。その子と仲良くなったおかげで アメリカンフットボールのルールや戦法をテレビの試合をみながら 詳しく解説してもらいました。アメフトというのは体育の授業などで接することがなくて ちょっとなじみにくそうで ルールが分かり辛いイメージがありますが 簡単に言うとボールを使った陣地取りですから 本当はごく単純なスポーツなのです。

簡単に説明すると 攻撃側[オフェンス)と守備側(ディフェンス)に明確に分かれます。完全に分業化されていて普通は一人の選手が一つのポジションにしか付きません。だからアメフトの試合場には十一人しか出場しないのに 何十人も選手が控えているのです。オフェンスがディフェンスサイドにボールを進めて 陣地を前進していきゴールライン上の面にボールを持って接触させればタッチダウンで得点になります。ラグビーのようにボールを地面にタッチさせなくてもOKです。

以前にも書いたように思いますが 私がアメフトを好きになったのは オフェンスのポジションのうちガードとタックルの位置の選手は 球技をやっているのにもかかわらずボールに触れることが許されません。オフェンスラインの選手ですから ラン攻撃の時はひたすらディフェンスラインに穴をあけてランニングバックの通れる道をつくります。パス攻撃の時には またひたすらクオーターバックが安心してパスを投げられるようにディフェンスの選手の侵入を食い止めるのです。完全な縁の下の力持ちに徹しているのです。

アメフトの試合で活躍が目立つのはパスを投げるクオーターバックやパスを受けるレシーバー 、時には華麗にそして時には力強く駆け抜けるランニングバックの選手たちですが その選手たちが華やかに目立てるのはオフェンスラインの選手たちがきちんと自分の役割を果たしているからなのです。

もし私がアメフトをやるとしたらガードかタックルとして縁の下の力持ちに徹するポジションを希望すると思います。アメフトで目立つ動きをするクオーターバックやレシーバー、ランニングバックに一番能力の高い選手が配置されていると思われがちですが 実際に一番運動能力が高くて頭の回転の速い選手はディフェンスバックに起用されるのだそうです。

要するにオフェンスの花形選手はあらかじめ決められた動きを実行するだけで頭を使う必要がないのです。クオーターバックは決められた場所にボールを投げるだけ、レシーバーも決められたコースを走ってボールをキャッチするだけ、ランニングバックも決められたコ―スを駆け抜けるだけが仕事なのです。どのような攻撃パターンを選択するかは 全てコーチが決めて指示が出します。自分で判断する必要はないのです。

それに比べてディフェンスバックの選手は相手の攻撃パターンを読み取って瞬時に自分がどのように動くのか決めて反応するのですから 頭がよくなければ そして本当にアメフトをよく知っていなければ勤まらないポジションなのです。立命館の黄金時代(ライスボウルで連覇した頃)には東野という怪物クオーターバックが存在しましたが 強かった原因はディフェンスバックが凄く充実していたからです。相手の攻撃を抑え込んでしまい なかなかファーストダウンを許しませんでした。

そんなわけで今現在は一番見ていて面白くて興奮するスポーツはアメフトだと思います。今年の関西学生リーグは残念ながらやはり関学が強くて立命館は及びませんでした。心配なのは一時は三強時代を構成していた京大が一部リーグから格落ちの心配があるそうです。強い頃は関西の高校を回りサッカー部やラグビー部、果ては柔道部の猛者たちにまで勧誘をかけて運動能力の高い学生をかき集めていたそうです。但し何しろ京大ですから飛び切りの秀才でなければ入学できませんので 苦労が多かったみたいです。勿論同様の勧誘活動は継続されているのでしょうが 優秀な選手がなかなか集まらないのかもしれません。

今年も二週間後の甲子園ボウルを楽しみにしています。以前は昼間に生で放送していたのに 現在は深夜に録画で放送されていますから 以前に比べて人気が落ちているのかもしれません。うっかりニュースなどで結果をみないようにして深夜の中継を楽しみます。

所で日本初のアメフトの試合は 観戦しているほうがどれだけルールや戦法を理解していたのか怪しいものなので 当然盛り上がってはいなかったと思います。それ以前に試合を応援に行く人がいたのかどうかも怪しいのかもしれません。でもその日から始まった日本のアメフトの歴史は現在まで続いているのですから 大切な第一歩だったと思います。学校の体育の授業でアメフトが採用されるともう少しルールなどが浸透して馴染みやすくなるのかもしれませんが 頭脳戦でありながら格闘技の要素もあって非常に面白いスポーツなのでもっと人気が出てきてほしいと思います。

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