11月30日 1993年の本日オランダで安楽死法が成立しました

日本では安楽死は法的に認められていません。世界でも勿論法的に認めている国の方が少ないです。人間には当たり前ですが生きる権利があります。生きる権利と表裏一体で 死ぬ権利もあるのかもしれません。自分の人生ですから どこまでも頑張っていきたいと思うのは自然な事だと思いますが、どのように生きてその人生を終わらせるかも 自分で決めたいと思う事はひょっとしたらごく自然な事かもしれませんん。

私も60歳に近くなり 心臓の治療に病院に通っていますから 自分の死に方について 少しずつは考えています。私の最期を看取ってくれるのは 現在の奥様だと思っていますが これまでも散々我儘放題で生きて来て奥様に凄く迷惑をかけながら生きていることは自覚しているつもりです。勿論その分奥様に私が出来うる限りの愛情を注いでいるつもりですが 奥様は私の愛情表現が甚だ迷惑であるのかもしれません。

私はなかなか不整脈が治まらず 糖尿病の兆候もありますから 恐らく死ぬ原因は 脳梗塞だと予想しています。心配なのは脳梗塞で一気に死んでくれればよいのですが 重度の障害が残ったまま生き永らえてしまう事です。これまでにも奥様に大きな負担をかけながら生きてきた私としては 死ぬ間際位は潔く綺麗に振る舞いたいのです。障害が残ってまで 奥様に介護の負担をかけてまで 生きていたいとは 全く思いません。その様な状態になってしまったら 奥様に無駄な労力と経済的負担をかけたくないので すっぱりと安楽死を希望したいと思います。

これまでに起こった安楽死関係の裁判について振り返ってみますと 日本においては安楽死は法的に認められていなくて、刑法上殺人罪の対象となるらしいのです。1962年の名古屋高裁の裁判例により、以下の6つの要件を満たさない場合は違法行為となるとされている。
1.死期が切迫していること
2.耐え難い肉体的苦痛が存在すること
3.苦痛の除去・緩和が目的であること
4.患者が意思表示していること
5.医師が行うこと
6.倫理的妥当な方法で行われること

1から3については あまり納得がいきません。死ぬ直前になって安楽死を認めても 無意味なように思います。苦痛には 肉体的苦痛と家族に負担をかけてまで生きていたくないという精神的な苦痛があると思いますが 精神的な苦痛については全く触れていないことがおかしいように感じます。安楽死と尊厳死とは 似て非なるものなのかもしれませんが 自分の尊厳を守るために 苦痛を伴わない死を選ぶ権利は 認めてもらいたいと思います。

職業柄ペットの終末期に遭遇する機会は結構あります。人間と同様に癌の末期などは大きな苦痛を伴いますから 苦しんでいるペットを目の前にして 安楽死を希望されるケースはちょくちょくあります。闇雲に延命のための治療に拘る獣医師もいるみたいですが飼い主さんがそれまでに十二分に手を尽くされていて 動物本人の苦痛が大きいと判断した際には 私は安楽死を実施しています。勿論本意ではありませんが 飼い主さんとペットの苦痛を考慮したら 必要な選択肢の様に考えます。

自分が場合によっては安楽死を希望するかもしれないから ペットの安楽死の処置を受け入れるのかもしれません。勿論飼い主さんが手を尽くされていないと判断した場合には 断固として安楽死を拒否します。よしんば受け入れるケースでも 苦渋の選択の結果ですから それなりに料金はたっぷりと請求いたします。

私はこの文章で カッコをつけて奥様にこれ以上の負担をかけたくないので そのような状況になったら安楽死を選択すると書いてしまいましたが 臆病で根性なしの私ですから いざとなったら一日でも長い延命を希望してしまうのかもしれません。惨めで情けない人生の最後ぐらいは 華麗に締めくくりたいのですが 全然無理なような気もします。神様 私に最後ぐらいは勇気をお恵み下さい。

 

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