11月19日 1827年の本日 俳人小林一茶さんがお亡くなりになられました

小林一茶という俳人が 松を芭蕉 与謝蕪村と並び称されるぐらいの 江戸時代を代表するような 人物だということは 知識としては知っていましたが 最近俳句をかじり始めましたので ウィキペディアで一茶さんの人生について興味がわきまして 簡単に調べてみました。北信濃に生まれて 十五歳で江戸へ奉公に出されてから相当に苦労したのだそうですが 二十五歳のころには若手の俳諧師として 頭角を現してきたのだそうですから 俳句の才能に恵まれて生まれてきたのでしょう。その後東北地方や西国に 俳諧行脚に出かけて 何とか生計をたてられていたのだそうですから その才能は羨ましい限りです。
勿論 私のような始めたばかりの初心者には 皆目見当もつかないぐらいに俳句を作る作業は 苦しいものかもしれませんが 好きな俳句作りで生きていけるのですから そしてその俳句で 後世にまで名前を残し得たのですから 才能に恵まれた方は 羨ましい限りです。
ただ一つ不思議に思うのは ご本人にしたら 好きな俳句を旅先で詠んで 日々暮らしておられるのでしょうが お金がどういう流れで手に入るのでしょうか。例えば現代なら 人気と実力のある作家さんの場合 その原稿は一ページいくらなのか 一冊いくらなのか その料金形態は知りませんが 出版社が書籍として発行するので 買い取ってくれるのは分かります。しかし江戸時代に個人で詠んだ俳句を どのような形で世間に発表していたのかも 見当がつきませんが 一個人が詠んだ俳句が いったいどのような意味合いで どんな人たちに求められ どんな価格で買い取られていたのか 全く予想も出来ません。
当たり前ですが テレビやラジオは影も形も存在しません。新聞だって かわら版みたいなものが存在したのかもしれませんが そのような紙面に俳句が紹介されていたのでしょうか。それとも 俳句を愛する粋な大金持ちのスポンサーでも ついていたのでしょうか。ヨーロッパのクラシックの後世に名を残すような作曲家は 王侯や貴族などのスポンサーがついていたケースが多いみたいですが 日本の俳諧師さんたちにも 有力なお金持ちが援助していてくれたのでしょうか。
私は 俳句をほんの少しかじり始めたばかりなので 現在の日本の俳句会が どのような構造になっているのか そこにお金がどのように絡んでいるのか 全然わかりません。俳句を生業として 生活できるような方がどれほどいらっしゃるのでしょうか。まあ私は あくまで趣味として 楽しく俳句が作れればそれで十分に楽しいので あまり深入りするつもりはありません。現在参加させていただいております 句会の先輩方と仲良くしていただいて 喜んでいただけるような俳句が作れたら そして何よりも自分が納得のいくような俳句が作れたら それで十分です。今は季語を見ながら その意味合いを勉強して 自分の気持ちを表現できる十七文字を見つける作業が楽しくてしょうがないので 頑張って俳句作りに励もうと思っております。頑張りまーす。

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