12月24日 クリスマスイブですが 普段と変わらない日曜日です

日本人ほど信仰心の薄い国民は世界でも珍しいのではないでしょうか。現代では自宅に神棚や仏壇がある家は凄く少ないように思います。クリスマスとは キリストが生まれた日のお祝いをする日です。日本の宗教団体に質問したところの回答によると 日本神道を信じる者が 実に国民の九割以上 仏教を信じる者が七割以上 キリスト教の信者が一パーセント位となるのだそうです。所が国民にアンケートを取ると 無宗教と答える人が半数以上 仏教徒が三~四割、キリスト教信者が 二~三パーセントになるのだそうです。
こんな不可解な数字が出てしまうのには 勿論理由があります。神社の場合 初詣に来ただけの人ですら信者の数に入れてしまい報告するから 非常に数が多く報告されてしまうのだそうです。寺院の場合 その一族に檀家が存在すれば その一族全てを信徒としてカウントしてしまい報告するので 非常に実数よりも多い数字が出てくるのだそうです。逆にキリスト教の場合 定期的に教会のミサ等の行事に参加していても 洗礼と言う儀式を済まさなければ 信徒として正式には認められないし一定の期間連絡がつかなければ信者から除外して考えるのだそうで キリスト教に関わりを持っていても 信者としてはカウントされていない人も少なからずいるようなのです。
まあ何にしても 国民の半数以上が 宗教とは何のかかわり合いも持っていないと意識しているのに そしてキリスト教に定期的に関わりを持つ人ですら 日本人のごくごく一部であるのにも関わらず 日本人はどうしてクリスマスを 凄く意味のある重大なイベント事として 取り扱うのでしょうか。不思議でしょうがありません。日本ではまだ信者の多い仏教の教祖様所謂お釈迦様のお誕生日をお祝いする行事もあることはあります。毎年四月八日で 花祭りと言われています。日本人の中では仏教徒が一番多くて キリスト教信者の十倍以上が存在するはずなのに どうしてキリストの誕生には 一大イベントとして扱われているのに お釈迦様のお誕生日を認知している日本人が 一体どれだけいるのか疑問です。
まあかくいう私も 奥様にクリスマスのプレゼントとして いくつか贈り物をしましたし 本日はケーキ屋さんで奥様の好物のケーキを購入して 手渡そうとは考えておりますので あまり大きな声で批判は出来ませんけれども。クリスマスは子供にとっても大人にとってもプレゼントをもらえる いい機会だから もてはやされるのでしょうか。でもクリスマスはキリストさんのお誕生日なのであって その信者でもなくて 普段の生活に縁もゆかりもない日本人がプレゼントをやり取りするのか 納得がいきません。そもそも誕生日は25日なのに なんでその前日をイブと言って 重要な意味があるかのように振る舞っていることも釈然としません。
普段は見向きもしないキリスト教の教祖様のお誕生日を 何故日本人がかくもにぎにぎしくお祝いするのでしょう。そしてそのほぼ一週間後には 新年を迎えたら ネコも杓子も初詣に神社に出かけて日本の神様に その年の幸福をお願いするのですから 冷静に考えてみると 日本人は頭がおかしいのではないかと思えてしまいます。まあ信仰心が殆どないから 逆にそんな無節操な行動をとっても 全然違和感が湧かないのかもしれません。世界的に見れば 三大宗教と言われている キリスト教、仏教、イスラム教を 信仰する人たちの割合は相当なものだと思います。宗教によっては 相当にその戒律が厳しくて 日本人の感覚ではとても信じられない位 大きな負担があるみたいです。勿論信者の方にすれば 喜んでそのルールに従っておられるのでしょうから 義務だとか負担と考えてはおられないのでしょう。
今年は テレビの番組欄を見ても それ程クリスマス色の強い番組が多くはないように思います。私も奥様に対しては プレゼントやケーキ と言ったクリスマス色のある品物を準備しますが 自分に関しては 全く普段と変わらない生活です。私は勿論無神論者ですが 年が明けたら人波に初詣には出かけますし 十日戎にも出かけて 大きな声では申せませんが 商売繁盛をお祈りいたします。情けない話ですが 困った時の神頼みをすることも たまにはあります。困った時だけ思い出されて お願いされても 神様が叶えてくれるなんて全然期待はしていませんが 何か頼るものが欲しくなった時だけ 神様小思い出します。普段はその存在すら忘れてしまっています。
こんな罰当たりの生き方をしていますから ロクな死に方はしないのだと思いますが まあ愛する奥様に看取られて死ぬのでしょうから それだけで凄く私は幸せ者だと思いますし 奥様にめぐり合わせてくれたことについては 神様に本当に感謝しながら生きております。若い頃は 殆どいい事なんてなかった人生ですが 後半になって奥様と巡り合えてからは 心安らかな人生になったと思います。人にはとても口に出せないような ズルい事 悪い事 恥ずかしい事 卑怯な事を山のようにしでかしてきましたから 何とかこれから残りの人生だけでも いい事 人に誇れることをほんの少しでもして 罪滅ぼしをしながら 生きていこうと思います。こんなことを考えた切っ掛けは キリストさんの誕生日前日だからかもしれません。やっぱりキリストさんは偉大な存在なのかもしれないと ふと思ってしまいました。

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