12月25日 1783年の本日 俳人 与謝野蕪村さんがお亡くなりになられたのだそうです

蕪村さんの命日に関しては 年を開けての一月だという説もあるみたいですが まあ相当に昔の出来事ですから あんまり難しく考えなくてもいいのかもしれません。私は 趣味として 俳句を始めましたが 現在はご指導いただける先輩や師匠が存在しませんので あくまで自称趣味は俳句という事にしておきます。与謝蕪村さんと言えば 松尾芭蕉、小林一茶と並び称される 江戸時代の俳諧の重鎮なのだそうです。
「春の海 ひねもすのたりのたりかな」と言う一番有名な俳句は 俳句に興味のない方でもご存じだと思います。ひねもすと言うのは 終日 つまり一日中 穏やかにのたりのたりしている 風景を詠んだものなのだそうです。季語は勿論「春の海」で冬の海が荒れ狂うイメージですが 暖かく穏やかな気候の春の海の のんびりとした雰囲気を表現されていて 素晴らしいのだそうです。似たような句なら 私でも詠めそうに思いますが なかなかこれだけシンプルな言葉を選べないのだと思います。
正直 私は俳句に関してはまだまだよちよち歩きの段階なので 何方かにご指導を仰がねばならないのは間違いありませんが このコロナ禍の時代に 面と向かってご指導いただける先生を探しても 簡単にみるかるはずもないだろうと 秘かに自作の俳句を書き溜めておる所です。テレビのプレバトで 見栄えのしない俳句を夏井先生が簡単に添削するだけで 私にもよくわかるほどに素晴らしい俳句に変身してしまいます。本当に俳句は 僅か十七文字の文学ですが 奥が深い そしてとても難しい だからこそ興味深いとても短い文学の一ジャンルだと思います。
かつては言う同好会に参加させてもらった時 自作の俳句を五つ提出して 参加者に見てもらって 評価していただくのですが 自分としては自信作 渾身の力作だと思う句が なかなか評価されなくて 自分としては自信がないけれど 数合わせみたいなつもりで提出した句の方が 何方かの心に響いていい評価を頂けることが しばしばありました。俳句を誰のために読むかと言えば あくまでも趣味ですから 人を感動させるためではもちろんありませんし 人にいい評価を貰うためでも 全くありません。結局は 自分が満足するために読んでいるのだと思います。
ですから 以前先輩に 自分なりによくできたりあまり自信がなかったりするかもしれないけれど 下手な鉄砲数うちゃ当たるみたいな気持ちで 出来るだけたくさん詠んでみたほうがいいよ とアドバイスを受けましたので 今はその時その場で 思いついた十七文字をとにかく書き留めておこうと思います。いずれご指導いただけるような方が見つかったら 見ていただいて評価 ご指導を賜りたいと考えております。
私が不思議に思うのは 与謝野蕪村さんの経歴を読んでみると いつどこで生まれてどんな育ち方をして どのような先生に師事して教えを受けて どんな形で創作活動をしたのか 等は割と細かく記されていますが 生活をするためには 収入を得なければならないのですが 具体的なお金儲けの形が表現されていません。ある程度名前が売れて来れば スポンサーがついたのかもしれませんが 売れて名前が知られるまでは 近所の人を集めて俳句教室でも開いていたのでしょうか。こんなことは俳句をよくご存じの方なら常識なのかもしれませんが とにかく俳句などと言う文学と疎い生活をしておりました私には 想像がつきません。やっぱり個人的な趣味として 俳句を続けるにしても なるべく早く いろんな面で俳句について ご指導いただける方を見つけねばならないように思います。枚方では もう時期的に難しいのかもしれませんが 大分県へ移住してから あちらのご近所さんから 上手くご指導いただける方が見つかれば嬉しいです。

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