12月28日 父の告別式が行われました

本日九時から 父の告別式が行われました。通夜は親戚筋だけでしたが 本日は雨の中駆けつけて下さったご近所さん方が 数人いらっしゃったので 取り敢えず丁重にお迎えしました。父に繰り返し 葬式などのお知らせをすべきご近所さん 友人などのきちんとしたお名前と住所出来たら電話番号まで リストアップしておくように頼んだのですが 結局は何も教えてくれないまま死んでしまいましたので お隣さんと斜向かいの奥さんは さすがに私も顔とお名前が分かりましたが お越しいただいた男性とひょっとしたら初対面なので 名前も顔も分からず戸惑っていましたら お隣さんの奥様が紹介してくださったので 辛うじてご挨拶が出来ました。男性方もお名前を伺うと耳にした記憶はありましたが ご近所のどのあたりにお住まいなのかさえ分かりませんでしたし どのようなつながりがある方なのかも見当がつきませんでした。お一方は 奥様が名前を憶えていて 油絵サークルでご一緒していた方だとようやく分かりました。
朝のうちで何とか雨が止んでくれましたので ホッとしているうちにお葬式がはじまりました。ここでもまた 焼香するときの手順や 親戚以外のお越しの方が焼香される間の私の立ち位置などが指示されましたので 緊張しましたが 何とか無難に終えられたように思います。現在は何でもできる省略はしてしまうみたいで 告別式が終わるとすぐに 初七日の法要が始まり そちらもまとめて終了しました。葬儀場にすれば 少しでも早く会場から出て行ってもらいたいからなのだと思いますが こちらとしても葬式の後に 父の施設に残した家具などを運び出す作業も本日中に片づけたかったので 速やかにやるべきことが終えられて助かりました。只本来は 火葬が終わってから行うべき法要を先に済ませるのは如何なものか 等と面倒なことを言い出す人もいないので 現在はこんな手順が定着しているのかもしれません。
葬式終了後 一緒に燃やしてもらう品々や 飾ってあったお花を棺に入れて火葬場では棺が明けられないとの事でしたので 最後の父とのお別れをして 棺が閉じられました。霊柩車に続いて 私たちの車が連なって 火葬場に向かいました。今は火葬技術も上がっているみたいで 思っていたよりも早めに きれいなお骨になってくれました。部屋で昼食をのんびりと食べ終わったころには 遺体が奇麗にお骨になったと知らせが入りましたので 殆ど待ち時間もなく お骨拾いが出来ました。お骨になってしまった父は 年齢の割に硬くて丈夫な骨で 骨壺に収まりがたくて 苦労しました。本当に最後の最後まで 自己主張が強くて 面倒な父でした。
無事に火葬場での成すべきことも終わりましたので その場で解散となりましたが 私たち父の荷物撤去組は 取り敢えず妹の家で礼服から普段着に着替えてから 施設に向かいました。前日にじゅんびをしておきましたし 男手が四人もありましたので 思っていたよりもスムーズに運び出しが終わり 引き取ってもらえるテレビやタンスは妹の家に向かい それ以外の荷物は私の車と甥っ子の車に積み込みましたので 実家に向かって移動しました。ここで車から荷物を降ろす作業も割と簡単に終わりましたので 本日やるべきことは 無事に終了しました。
荷物を運び終わった後 甥っ子と父の事や葬式の事 妹と私の関係などについていろいろと話をしました。これまでこの甥っ子とほとんど話らしい話もしたことがなかったのですが 部屋で立ち話でしたので そんなにじっくりと話し込むつもりもなかったのですが 小一時間思ってもみないようないろいろな方面について 腹を割った話が出来たので 貴重な時間が出来て嬉しかったです。私には 子供がいないので 身内が少ないので 甥っ子たちとは出来るだけ仲良くしたいと考えていましたので 本当にいいきっかけになってくれたら有難いです。
その後 立ち話をしている間に奥様が ゴミ袋十個分ほどの 衣服類をまとめてくださいましたので 無料で廃棄できる施設に持ち込みました。只時期が時期だけに ゴミを持ち込む人がひっきりなしに訪れるので なかなかその順番が回ってこなくて 少しだけイラっとしましたが まあしょうがないでしょう。無事にゴミを廃棄できましたので 晩御飯時でしたし 体力を使っておなかも空いてきましたので 焼肉屋さんに出かけました。お昼は精進料理でしたので 葬式の日にお肉はどうなんだかと思わないでもありませんでしたが ここ数日 相当に気も使ったし 体力も消耗しましたから 明日はまた仕事が待っているので ガッツリとお肉を食べて元気を回復しました。昨夜もまともに眠れなかったので 今夜はお腹がいっぱいになったら バタンキューでぐっすりと眠れるでしょう。今年も残りわずかですが 頑張って仕事に励みますので どうぞよろしくお願い致します。

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