2月21日 1872年の本日 日本初の日刊新聞「東京日日新聞」(現在の毎日新聞)が創刊されたのだそうです

私は 男のくせにぺちゃくちゃお喋りをするのが大好きで その割に他人の話すことをキチンと聞くことが苦手です。同様に ダラダラとこのブログに書き綴るのは 結構好きですが 他人の書いた文章を読むことは あまり得意ではありません。若い頃には 割と読書量は多かったように思いますが 視力の衰えを自覚するこの頃では 特に細かい字の並んだ文章を読むことは 精神的にも肉体的にも 苦痛になってきているようです。

ちなみに 石田純一さんが 女性にすごくモテるのは 勿論男前であり スタイルが悪くないことも一因かもしれませんが 女性のお喋りに 上手に聞き役に徹しながら嫌な顔もせずに付き合って 絶妙のタイミングで 女性の望む通りの相槌を打てるからなのだそうです。私が女性に全然モテないのは 勿論見てくれの悪さに起因することは大きいのでしょうが 女性のお喋りに対して 相手が望んでもいないような差し出口をしょっちゅう挟んでしまうからだと自覚はしておりますが 今更この本性を変更することは無理でしょう。

私は 一つ目の大学時代に所属していた合唱団で 団の機関誌の発行責任者を二年間務めました。私が担当する前の機関誌は 過去数年にわたって発行回数やページ数 企画内容などを比較検討しましたが 発行回数は年に三四回 みんながその存在を忘れた頃に 団員に配布されるような かなりかったるい存在感の希薄な存在の様でした。普通四年生の大学の文科系サークルの場合 三年生が主要な役職を務め二年生はそのお手伝いをするのが一般的ですが 私は何故か二年生で それほど人気のある責任の思いポジションではありませんが 団の機関誌の発行責任者になってしまいましたので それまでの役員以上に張り切って仕事をしてしまいました。

取り敢えずは 月に一回定期的に発行する月刊の機関誌を目標に頑張りました。企画も それまでにないようなものを考え出して 積極的に取り組みました。大学外にも積極的に取材に出かけたり 団内でもアンケートなどを頻繁にとって 従来とは違った角度から 分析したりしましたので 当然人出が必要でしたから 私がスカウトして手伝ってくれるメンバーをそれまでよりもずっとふやしました。丁度団員数もそれまでの倍ぐらいに増えた時期でしたので 発行部数も増やさねばならず かなり大変でしたが 面白みも感じており 頑張れました。

発行責任者としては メインの企画は 自分で記事にしましたし 紙面のバランスをとるために 急遽穴埋め記事を 書かなければならない事が頻繁にありましたので 適当な文章をでっちあげることを何度も 求められました。その為に 思いつきで即興的な文章を発表する事に 恥ずかしさや抵抗が無くなってしまいましたので このブログを殆ど毎日のように 書き綴っているのかもしれません。

私の病院は さして流行っているわけではありませんから 病院内ではさして事件やトピカルなニュースは 起こりませんが 過去にその日に起こった事件や その日の新聞からネタを見つけ出して ブログで取り上げて 適当な事を書きなぐっているだけの事です。日刊新聞と言うのは 一年365日 毎日発行されるわけですが 政治や経済 文化、芸能 スポーツなど色んなジャンルに 視野を広げれば 毎日のように様々な 事件やトピカルな話題が生まれているのでしょうから 記事にするネタに困ることはないのかもしれません。

何にしても 毎日発行される新聞は 作るだけでも大変なお仕事ですが 毎朝各家庭に配達までされるのですから 本当に大変なお仕事だと思います。新聞社にお勤めの方々や 毎朝配達されている新聞屋さんに 敬意を表して本日のブログは 終わらせて頂きます。

 

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