2月22日 622年の本日 聖徳太子がわずか49歳で亡くなられたのだそうです

私が子供の頃にならった歴史上の人物としては 最上級に評価されていたように記憶しています。蘇我馬子とともに推古天皇のもとで活躍して 遣隋使を派遣し中国の進んだ文化や制度を取り入れることに積極的であり 冠位十二階や十七条の憲法などを定めて 天皇を中心とする中央集権政治の確立に大活躍された人物として 紹介されていたように覚えています。一度に十人から話しかけられた時に その全てを聞き分けて 正確に対応したというのはその頭の回転の良さを示す逸話として 伝わっていたようにも記憶しています。

何しろ私たちが子供の頃には一万円札にも登場していましたから ある意味歴史上の人物の中でも 評価も人気もナンバーワンの人物だと信じていました。所が 歴史の解釈などは色々と変化するのが常の様ですが 現在の解釈では 聖徳太子さんは それほど活躍した傑出した人物ではなかったと 評価されてしまって 歴史の教科書にもほとんど登場していないのだそうです。

社会の授業で習う事が時代とともに変化するのは 仕方の無い事かもしれません。国の名前や国境が 時代とともに変化するのは致し方の無い事で 私たちがビルマと習った国は 現在ミャンマーと呼ばれています。チェコスロバキアは一つの国だったのに現在は分裂しています。ソビエト社会主義共和国連邦はアメリカに匹敵する超大国であったはずなのに 社会主義をうたった割には 実際には全体主義国家であったために崩壊するのは必然的であったのかもしれませんが 現在ソ連は影も形も存在しません。

このことはこのブログでも以前書いたことがあるように思いますが 私たちが小学生の頃に世界で一番長い川はアメリカのミシシッピ川でした。それが十年後ぐらいには ナイル川の方がミシシッピ川よりも長い可能性があるが 正確な測量が出来ていないので断定できないと教科書に載っていたのだそうです。さらに十年後ぐらいには 世界で一番長い川はナイル川と記されていたのだそうです。

ミシシッピ川はアメリカの中央を流れる川ですから 早くから正確に測量されていましたが ナイル川の場合は アフリカの奥地から幾つもの国をまたがって流れているために 正確な測量が進みにくかったために このように教科書の表現が変化したのだそうです。正確な測量が完了するまで正確な事実が判明しないのは 致し方の無い事かもしれませんし 国名や国境 国の体制が時間の経過とともに変化するのも 必然的な事かもしれません。

私たちが足利尊氏を描いたと習った絵が 現在は違う人物を描いたものとされていたりもします。歴史の年号の語呂合わせで絶対覚えている「いい国作る鎌倉幕府」即ち鎌倉幕府の成立したのは1192年と言う意味合いだと思うのですが 現在は「いい箱作ろう鎌倉幕府」つまり鎌倉幕府の成立は1185年と教えられているのだそうです。

歴史的な事実としては 1185年に壇ノ浦の合戦があり 平家が完全に滅んでしまって 頼朝が武士の棟梁として活動を始めたので 鎌倉幕府がスタートした と言う解釈なのだそうです。但し幕府のトップは 役職として征夷大将軍であることが求められるために 頼朝が征夷大将軍となった1192年を私たちは鎌倉幕府の成立した年として習ったのだそうです。

歴史上の細かい解釈など 歴史についてさほど興味のない一般人には どうでもいいことのようにおもいますし 歴史について研究されておられる方がいる訳ですから より正確な情報が解明されていくことは望ましいのでしょうが ある意味スーパースター的な存在であった聖徳太子さんが 実は大して歴史上に残るような活躍をしていなかったと判断されてしまうのは 何となく残念な気持ちになります。

 

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