3月21日 石原さんの百条委員会 見ていてガッカリしました

ここ数日石原さんとその周辺の人物の参考人招致や百条委員会が行われたみたいです。私は政治家だった石原さんが 生理的に嫌いなので 吊し上げられて ひどい目に合えばいいのに と正直期待していました。参考人招致と百条委員会の違いは 要するに百条委員会の方が縛りがきつくて 拒絶もできないし 万一嘘をつけば処罰される と言う事だそうです。逆に参考人招致とは 嫌ならいかなきゃいいし 適当な事を言ってごまかしても 何のお咎めもなくて 質問される極気楽な場なのです。要は学校の帰りの会で 女の子にその日にやらかしたいたずらをうるさ型の女の子にチクられたぐらいの事でしかないようです。
猪瀬さんや舛添さんが 早く辞めろという周囲の雰囲気を無視して 都知事の椅子にしがみつこうとしたので 「百条委員会に引っ張り出すぞ」と言う伝家の宝刀を振るわれたら 堪らずにあっと言う間に辞職してしまった 位の切れ味がある委員会だと勘違いしていたみたいです。石原さんの「記憶にないのだからしょうがない」の連発で 質問に対する核心をついた答えが全然引き出せないのですから 一旦こんな惨めな百条委員会を認めてしまうと 今後疑惑のある政治家を追い詰めるのに 「百条委員会に引っ張り出すぞ」と言う言葉の効果が半減してしまうのではないかと心配です。
でも石原さんが都知事を辞めてからの年月を考えれば 致し方の無い事かもしれません。84歳とご高齢ですし 脳の病気を患われたわけですから 数年前の細かな出来事について 覚えていないのはある意味当然かもしれません。私は今年還暦を迎えますが 石原さんから見ればほんの若造です。私は毎年 確定申告をしていますから 年が明けて申告の準備をするときに前年度の出来事を いろいろと振り返ります。ほんの一年足らず前の事でも 恥ずかしながら 私自身は殆ど覚えていません。まあ私には しっかり者の奥様がついていますので 奥様に助けて頂いて この領収書が一体どのような時に どんな場所で 何のために発行されたのかを 辛うじて思い出して伝票に書き込みます。
石原さんが都知事時代には 凄く沢山のしんどい思いや 嫌な出来事 辛い日々があったはずです。もし私なら都知事を辞めたその次の日には そんな思い出したくもない出来事は きれいさっぱり忘れ去ってしまいます。石原さんが脳の病気を患われた後遺症は その風貌にも表れていました。都知事時代の 傲慢で人を見下したようなまなざしは消え去り ただの衰えたボケ老人にしか見えません。そんな窶れ果てた老人を今更責め立てたって 責任を追及しようとしても 無理がある と言うか意味が無い事の様にも思えます。
私ががっかりしたとこのブログにも表現したのは 質問する側の準備不足にです。わざわざ百条委員会なんていう大舞台を用意しておいて 勿論石原さんが相当に有能な弁護士辺りから入れ知恵されていたのでしょうが のらりくらりと上手に質問をかわしていったのもあると思います。しかし こんな大舞台に引っ張り出した質問者が 石原さんがやったことの一体どの部分について明らかにしたかったのか どういう点にてついて白状させたかったのか 凄く曖昧で 結局石原さんに上手く乗り切られてしまったのは 明らかに質問をする者の怠慢だと思います。
よく言われているのが 百条委員会 と言う最も厳しい舞台に石原さんを引っ張り出して見せたことで 来る都議会議員選挙に向けての都民へのアピール 点数稼ぎに過ぎなかった と言う事ですが こんな何の成果も上がらなかった委員会を開いたこと自体が 税金の無駄遣いにすぎず 反って都民をがっかりさせたに過ぎない出来事のように思えてしまいます。結局のところ 築地市場の老朽化による移転問題は 解決に向かって何にも前進していません。
豊洲が問題があるからといって 今更諦めるのでは あまりに大きすぎる税金の無駄遣いであるわけだし 豊洲がベストではないが 汚染問題が直ちに市場としての機能に問題がないのなら 当然風評被害などは予想されますが 妥協して取り敢えず移転すべきかもしれません。私は大阪人ですから 東京の市場で扱われる食品を口にする可能性が 皆無ですから気楽な発言をしているのかもしれません。しかし本来なら昨年移転していたはずの築地市場の老朽化はもう限界を迎えているはずです。
これから代替地を探して 交渉して買付して 建物を設計して建設していては あまりに時間がかかりすぎて 現在の築地市場は待ちきれないのではないでしょうか。今更石原さんなんて言うすでに死んだも同然のボケ老人を呼び出して責任の追及をするよりも 小池さんは築地で働く人たちの仕事場と 東京都民の台所の問題を どのように解決していくかに向かってまい進すべきだと私は思います。

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