3月22日 1934年の本日 大橋巨泉さんが誕生されました

大橋巨泉さんと言っても 今のお若い方には ご存じの方が少ないのかもしれませんが 私が日本人で一番尊敬していて憧れていた人物と言えるのかもしれません。2016年に82歳で永眠されましたので その時には勿論ニュースとして取り上げられましたから その時のことぐらいは お若い方でも記憶にあるのかもしれません。名門早稲田大学政経学部を中退されて 最初は趣味のジャズの評論家や司会者から始まり 芸能界の放送作家として活動しているうちに 弁が立つので 自然と表舞台の出演者に転身していきました。とにかく日本のマルチタレントの先駆け的存在で その肩書はテレビタレント、放送作家、政治家(参議院議員)、テレビ司会者のほか、競馬評論家、ジャズ評論家、時事評論家辺りまであるのかもしれません。
とにかく 頭の回転が速くて 世の中の風潮に敏感で テレビのバラエティー番組として画期的な番組を幾つもプロデュースしていました。「巨泉、前武のゲバゲバ90分」は当時としては 画期的な番組でしたし「11pm」という番組では エロい内容も扱われていましたが 麻雀 競馬 ゴルフに釣り といった自分の趣味の分野を 取り上げて 大変興味深い内容の番組を作ったりもされていました。とにかくマージャンは当時の一流のプロ雀士である 浅田哲也さんや 小嶋武夫さんと遜色ない実力でしたし 将棋も一流のプロ棋士と二枚落ちでいい勝負ができる位の アマチュアとしては特筆すべき実力者でしたから 私は非常に尊敬の念を抱いてしまいました。勿論ゴルフや釣りの技術や知識も素人離れしていましたから 本当に遊びの天才だと思っておりました。
プロデュースされた番組には 「お笑い頭の体操」「クイズダービー」や「世界丸ごとHOWマッチ」など テレビ史に残るような 斬新な番組がいくつもありました。巨泉さんの作った番組は 本当に独自性が強くて 今考えても非常に面白い番組ばかりですから そのプロデュース能力の高さには 本当に憧れてしまいます。プロデューサーでありながら メインの司会者としても 大活躍されていましたから そのあふれんばかりの才能にやっかみの気持ちもありました。
芸能界での活躍だけではなくて 競馬評論家としての活動も 尋常ではなかったのかもしれませんが 私が競馬に全く興味がありませんので その辺りのことはよくわかりません。それからほんの一瞬で終わりましたが 参議院議員として 政治活動にも参加されました。頭が切れるし口もたつので 当時の最大野党であった民主党の幹事長であった菅直人からの出馬要請を受けての 活動でしたが 議員活動を初めてすぐに 党幹部と意見が食い違ってしまったために わずか半年で 辞職されてしまいました。この時は 政治家としての期待が大きかっただけに 結構ガッカリとしてしまいました。
そんな巨泉さんが50代半ばで 人気絶頂の司会者という立場を殆ど捨てて芸能界から「セミリタイア」を宣言された時の姿は カッコよく見えました。完全なリタイアではなくて 余裕があるときに 気に入った企画の仕事だけ受ける といった意味合いで「セミ」という接頭語が付いたのだそうです。私が まだ元気なうちに仕事をリタイアして 自分の趣味に没頭したいと考えるようになったのは 憧れの巨泉さんに 少しでも近づきたいからなのかもしれません。
但し巨泉さんの晩年は 癌や悪性腫瘍に度々見舞われて 手術と闘病生活の繰り返しみたいでしたから 相当に辛くて苦しい思いをされていたのかもしれません。私は 腰抜け野郎の臆病者ですから 手術が怖くてたまりませんので とても手術や闘病生活とは 無縁のまま 人生の最期を迎えたいと願っておりますが 人生なんて そんなに都合のいいことばかりでは終われないのでしょうから 今後そこそこつらい未来が待っているかもしれないことは 覚悟しております。でも取り敢えずは 私も早くリタイアしてみたいものです。

ブログ一覧