5月27日 1235年の本日 小倉百人一首が 完成したのだそうです

完成したと言いましても もともとある和歌から 藤原定家が百種を選び終わったのが本日なのでしょうか。それとも現在のかるた競技のように上の句を読んで下の句の書いた札を取り合う形式が完成したのが本日なのでしょうか。小倉と言う名称になっているのは 京都にある小倉山の山荘に 定家がこもって和歌の選定をしたからなのだそうです。恥ずかしながら子供の頃の我が家には 百人一首と言う高級なかるたは存在しませんでした。日本昔話を題材にしたカルタや アニメのキャラクターが登場する子供向けのカルタは正月などに家族で遊んだ記憶があります。

百人一首のカルタに触れたのは 祖母ちゃんの家に帰省した時に 従妹たちと坊主めくりをした時ぐらいのものでした。ルール自体があやふやだったのでネットで検索したところ どうも私が遊んでいた坊主めくりは ローカルルールがかなり幅を利かせていたようで 一般的なルールとは異なっていたのかもしれません。まあ何にしても百人一首なんていう高級な遊びとは 全く無縁の生活をしていました。

中学に入ったころに 上の句を読み上げられて 下の句の書いた札を取る 難しいカルタ遊びがあることは知りましたが 勿論和歌なんかに全く興味がない私はただの一首も知りませんでした。高校に入ってから 国語の授業で百人一首を教材として取り上げられたので 仕方なしに副教材である歌集を手に取って 初めてその和歌たちと出会いました。百人一首の授業が終わった時期に 国語の授業時間に畳の部屋に集合させられて クラスで百人一首のかるた大会が行われました。

私は殆ど初めて百人一首の和歌に接したわけで 気に入って覚えた和歌がほんの五首位のものでしたし 上の句を最後まで言わないと下の句が出てきませんから 一枚も取れませんでした。五六人のグループに分かれて カルタ取りをしました。読み上げはテープの録音を再生して 各グループ一斉に始まりました。各グループに一人二人は 結構早いタイミングで札を押さえていました。やはり経験者にはかなうはずもないので 全然取れなくても別に悔しくもありませんでした。

各グループの一位の人が集まって 決勝戦が行われましたが 一人だけ抜群に強い人がいました。誰あろう 私の自慢の同級生 井田由美さんでした。井田さんは 「今日は何の日カレンダー」のお誕生日の欄に登場していましたから 正真正銘の有名人だと思います。日本テレビのアナウンサーとして 夕方や夜の報道番組で メインキャスターを務めていて 私と同じ年ですから勿論現場には登場しませんが 日本テレビアナウンス部でも上から何番目かの役職について活躍されているはずの方です。

井田さんは とにかく美人で頭が良くて お上品でしたから クラスでも特異な存在でしたので 私は井田さんの事をはっきりと覚えています。勿論あちらにしてみれば 私は平凡な同級生の一人にすぎませんから 私が二学期に書記と言う彼女と同じ役職について 一緒に書記の集まりに参加したことまではっきりと覚えていますが 彼女にしてみれば 全く記憶の片隅にも残っていないと思います。何しろ美人として有名な井田さんが乗る車両は 男子学生が詰めかけるので 混み方が違うとまで言われたほどの 方でしたから 私は彼女の事はかなり鮮明に覚えています。

私が百人一首をカルタ取りとして 遊んだのは後にも先にもその時だけでしたから 結構はっきりと覚えていました。やっぱり育ちの良いお嬢様は 私たち庶民とは 遊ぶカルタでさえこれだけ違うのだと痛感しました。一般教養的なたしなみとして 代表的な歌だけでも 覚えておこうと努力した時期もありましたが 根本的にサッパリ興味がわかない事なので 現在では全く身についていません。どうせあと何年かしたら 頭が薄くなって坊主になるのでしょうから せめて坊主の読んだ歌位は覚えておきたいのですが まあ無理でしょう。

ブログ一覧