5月27日 1235年の本日 藤原定家によって小倉百人一首が完成した日なのだそうです

従って 本日を百人一首の日と言うのだそうです。百人一首と言うカルタが存在する事は知識としては ありました。その中の有名な和歌を何首か知ってはいました。しかし 上の句を読み上げられて下の句の書かれた札をとるという形式のカルタ遊びなどと言う高尚なゲームと直接かかわったのは 高校の国語の授業が初めてでした。

普段は茶道部か何かが使用しているのかもしれない畳のある部屋へ移動して 授業を受けました。その部屋に入ったのは 後にも先にもその授業の時だけです。三年間わりとまじめに高校に通ったつもりでしたが さして広くもない高校に 全然縁のない教室があったのが 少し不思議に思っています。

小倉百人一首についての基礎的な知識は 何時もの教室での授業で受けていましたから その部屋ではいきなり カルタ取りゲームが始められました。私なんか 辛うじて覚えている歌が ほんの二つ三つあるぐらいですから 殆ど下の句を読み上げられないと探せもしませんでした。このカルタ取りゲームで 私のクラスの断トツ一位になられたのが 我が高校出身の今のところ一番の有名人になられた井田由美さんでした。

井田由美さんと言えば 日本テレビの美人アナウンサーとして 一世を風靡したのはもうかなり昔の事かもしれません。現在は結婚されたのかどうかさえ存じ上げておりませんが 日本テレビのアナウンス部の 相当なお偉いさんになっておられるはずです。以前には夕方や深夜のニュース番組のメインキャスターを結構長いこと務めておられましたから ご存知の方も少なくないと思います。

四条畷高校の創立百年祭かなんかのイベントの時には テレビのニュース番組についての講演をされたそうです。私は勿論参加しておりませんので 風のうわさに聞いただけです。その時も御年は召しておられたのでしょうが 相当にお美しかったのだそうです。現役の高校生の頃は 私なんぞは近寄りがたいほどに美しくていらっしゃいました。

枚方一中のご出身で いつも一緒にいる友人が二人いてその二人も凄く可愛らしかったので その三人の乗る通学列車の車両は特に混みあうと言われたものでした。私の出席番号が15番で井田さんが25番でした。日にちによって授業中に指名する生徒をセレクトする先生がいましたが 私が指名されて上手く答えられなかった質問に 次に指名される井田さんがいとも簡単にお答えになられて 余計に恥ずかしい思いをしたことが何度もありました。

クラスの役員で 同じ時期に私と井田さんが書記を務めたことがありました。書記の主な仕事は 出席簿の管理だったと思いましたが うっかりとした私としっかりとした井田さんなので 殆ど頼り切っておりました。何かの用事で井田さんのお宅に夜の時間帯に電話をかけたことがありましたが 応対に出られた御婦人 恐らくお母様だと思いますが いかにもいいところの奥様のような 決して嫌味ではないけれど非常に丁寧な言葉遣いに 余計に緊張してしまったのを覚えています。

その後慶応の法学部をもちろん現役で入学されて 日本テレビのアナウンス部に入社されたのだそうですが フリーにならずに順調に昇進されるところが いかにも真面目な井田さんらしいと 私は思います。

小倉百人一首について書くつもりでしたが 井田由美さんの自慢話に終始していまいました。申し訳ありません。

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