6月23日 初めて伝わった日なのでボウリングの日なのだそうです

1861年の本日 長崎に初めてボウリングが伝わったので 本日がボウリングの日なのだそうです。ボウリングは1960年代後半にブームが始まりました。ピークは72年ごろで 73年にオイルショックがあった頃から 急速にブームが去ってしまいました。ブームの頃はボウリング場に人が溢れていて 何時間も待たされるのが普通でした。

私が初めてボーリングをしたのは小学校の四年生の時でした。近所に住んでいる叔父さんに連れて行ってもらいました。全く初めてで 勿論ルールも知りませんでしたが いきなり130点のスコアが出ました。多分にビギナーズラックもあったのだと思いますが いきなりの好スコアに一遍にボウリングにハマってしまいました。当時は何しろブームの頃だったので平日の昼間でも一ゲームが300円位したと思います。その頃の一月の小遣いがそれぐらいの金額でしたから とても自分では遊べなくて もっぱらその叔父さんの家に出かけては ごまをすり 某かの手伝いをしてボウリングに連れて行ってもらいました。

中学生になった頃には多少ゲーム代が安くなっていたので クラスの友人たちと出かけた事もありました。その時にスポーツ万能の友人が凄く上手だったので ボウリングは娯楽ではなくてスポーツであることを再認識しました。高校に入った頃にはすでにブームが去っていたので 高校生の頃にボウリングで遊んだ記憶はありません。

一つ目の大学立命館大学に入ってからも ボウリングはほんのたまにサークルの仲間と出かけるぐらいでしたが スコアはコンスタントに150位出していましたから 密かにボウリングには自信を持っていました。四年生になって 所属する研究室を選ばねばならなくなりました。研究室によって卒業研究のテーマが決まってくるわけで その研究で卒論を書きあげなければなりませんから 真剣に考えました。

分野としては合成化学などが 当時としては就職に強くて人気がありましたが 人気の高い研究室は成績順で学生が採用されるらしいので それまで合唱団で歌う事ばかりに力を入れていた私は 成績に自信がないので 好きな先生の研究室を選ぼうと思いました。林 アキラ先生の高分子化学の授業が結構興味深くて面白かったので 高分子化学研究室を選ぼうと思いました。更に嬉しい情報として アキラ先生が大のボウリング好きで ゼミの後などには かならず学生を連れてボウリング場に出かけるそうで この研究室では成績の良い学生よりもボウリングのスコアの高い学生の方が優遇されている、という事なのでボウリングに自信のある私にはベストの研究室だと思いました。

希望を出すとすんなり高分子化学研究室に配属が決まりましたので意気揚々とその研究室に乗り込みました。集まった学生の顔ぶれを見ると いかにもスポーツに自信のありそうなメンツが顔を揃えていました。ゼミの後 噂通り先生に連れられてボウリング場に乗り込みました。驚いたのが教授は勿論ですが 実験を手伝ってくれる大学院の学生もマイシューズ、マイボウルをボウリング場にロッカーを借りておいていた事です。

更に同学年の学生も半数がマイシューズ、マイボールを持参していました。多少ボウリングに自信のあった私は ビックリ仰天しました。軽いウォーミングアップの後 投げ始めましたが 三ゲーム終わっても五ゲーム終わっても 終了する気配がありません。一体なんゲーム投げるのか不安になって尋ねたら 一回で少なくとも十ゲームは投げるのが不文律だそうです。私はそれまでに一日に五ゲーム以上投げたことがなかったのですが 皆がごく当たり前のように投げているので 一人だけ抜けるわけにもいかず 結局十ゲーム投げてしまいました。

女の子も二人いましたが「絶対に無理だ」と騒いでいましたが いつの間にか十ゲーム投げ終えていました。スコアはこの日は教授が絶好調でアベレージが190点でした。他の学生たちもごく当たり前のように160~170点台のスコアで 私は辛うじて150を超えた程度で 女の子を除くと最下位でした。私はどうもとんでもない研究室に入ってしまったようです。ボウリングについてはまだまだ書くことがありますので明日またこの続きを書きます。

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