6月23日 本日は毎月「ふみの日」なのだそうです

メールが広く普及している現在 さらに[ライン]等という私には理解不能な伝達様式まで一般化しています。私ね携帯電話はいわゆるガラケイという代物ですから ラインは勿論できません。というよりもメールさえ契約していないので できません。パソコン通信的なメールは 獣医師会の連絡などで頻繁に利用していますが これもこの六月でやっと枚方市の代表から降りられましたから その使用頻度は殆どなくなるのかもしれません。

そんな状況ですから 昔のように便せんや葉書に文章をしたためて 切手を貼ってポストに投函しての 手紙のやり取りをしている方が 以前に比べればかなり少なくなっているのではないかと思います。私はラジオが好きで 車の中とが ラジオの聴ける環境にいるときには 殆どラジオを聞いて過ごしています。ちなみにお風呂にも防滴ラジオをおいて 入浴中もラジオを欠かさず聞いています。ラジオの世界では 音楽をリクエストしたり クイズやコーナーに参加するのに 現在でも葉書が中心になって頑張っているのだと思います。ただラジオ番組でも リスナーからの反応を求める手段として ファックスやメールならその場で受信できますから それらの比重が想像している以上に高くなってきているのかもしれません。

考えてみると 私は便せんに文章を書いて郵送で手紙を送った経験は これまでの人生で本当に数えるぐらいしかないように思います。手紙をやり取りするような友人が皆無だったからかもしれません。私が小学生の頃には ペンパル というか文通友達を持っている友人が何人かいました。子供の読む雑誌に文通相手を求める人が投書するコーナーがありました。

相手の住所や募集している文章の内容から 友達になれそうだと判断したら 掲載されているその子の住所に手紙を送って 文通友達関係が始まっていたみたいでした。私の中の良い友人にも 一人は北海道 もう一人は長崎県に文通友達がいる子がいました。時々もらった手紙を見せてもらったこともあります。

小学生の頃ですから 勿論同性で同い年の顔も知らない友達と手紙をやり取りしているのは 当時文章を書くことが苦手だった私には とても面倒そうにも見えましたが でもすごく楽しそうで 正直少し羨ましかったです。私も雑誌のペンパル募集コーナーを見て 何度か手紙を書いてみようとチャレンジしてみましたが 相手に気に入ってもらえそうな文面が書けなくて 泣く泣く諦めたことがあります。

今では こうやって文章だけをダラダラ書き綴ったブログを 毎日のように更新していますが これは一つ目の大学で入った合唱団で二年間も団の機関誌の発行責任者を務めた時に 少しでも機関誌を充実させようと必死に自分で企画を立て 自分で記事に起こした作業のおかげだと思います。

私が最後に書いた手紙は103歳まで頑張って長生きしてくれた父方の祖母が 101歳の時に風邪をひいて死にかけた時がちょうど四月で 病院の仕事が忙しくて見舞いにも行けなかった時期に 書いたお見舞いの手紙です。面と向かっては恥ずかしくて言えないような言葉ですが 手紙の文面として登場させるのは それほど照れくさくありませんでした。従妹から後になって聞いたのですが ばあちゃんは何度も何度もその手紙を読み直してくれていたのだそうです。

私は文字が下手糞なので ワープロで打とうかとも思いましたが やはり手書きの方が気持ちが伝わると思って 一生懸命に書きました。ばあちゃんには私のその一生懸命さが嬉しかったのかもしれません。手書きの手紙には やはりメールなどでは伝わらない気持ちを伝えることができるのかもしれません。

もう私が死ぬまでに 手紙を書く機会なんてないのかもしれません。もしあるとしたら 父に感謝とこれまでしてきた親不孝のお詫びを綴った手紙かもしれませんが あいにく父親はすぐ近所に住んでいて 割としょっちゅう顔を合わせているので そんな手紙は照れくさくて結局かけないのかもしれません。

そうでなければ 自分が死ぬ直前に 奥様に対して感謝の気持ちを綴る手紙を書くのかもしれません これも照れくさいので自分が死んだ後になって奥様に読んでもらえるような準備をするのかもしれません。自分が死ぬ時の事なんか ずっとずっと先の事だと思っていますから そんな先になって 奥様に手紙を書こうと思っていた気持ちさえ忘れてしまうのかもしれません。結局どのような結末になるのかは 奥様だけが分ってくれればそれでよいと思います。

ブログ一覧