6月24日 私とボウリングの続き

昨日 高分子化学研究室 別名ボウリング卒研に入って 初めて十ゲームを投げた所まで書きましたが 今日はその続きを書きます。研究室では週に二回 外書購読のゼミがあり その後先生に余程の用事がない限りは ボウリング場に連れて行かれて 十ゲーム投げるのが ノルマになっているのでした。体力的にも大変でしたが 結構ゲーム代がかかるので ボウリング代を稼ぐためにアルバイトまで始めました。京都駅の近所の旅館で夕方四時から晩の十時までと翌朝七時ぐらいから十時までが勤務時間で 駅までお客を迎えに行ったり 料理を運んだり 食器を片づけたり、布団を敷いたりします。翌朝は部屋を回って布団をあげたり 部屋の掃除をしました。夕食と朝食がついて 一日四千円でした。週に一度このバイトを入れれば なんとかボウリング代は稼げました。

最初は研究室でボウリングが一番下手糞でしたが 夏ごろにはそこそこ上達してアベレージで170~180位出るときもあるようになりました。ひと月に百ゲームも投げていれば当然かもしれません。結局卒業するまでに千ゲーム以上投げたと思います。アベレージはコンスタントに170以上出るようになりました。

卒業して塩野義製薬に勤めました。勤務地は金沢と富山でした。どちらも冬は雪に埋もれる北陸ですから 仕事の合間に結構ボウリングに励みました。金沢に住んでいたころに近所のボウリング場が 土日は早朝サービスをしていました。朝の八時から十時までは一ゲーム100円でしたのでボーリングを趣味とする人間が大集合して投げ合っていました。毎土日少なくとも十ゲームは投げていましたから 学生時代と同様に月に百ゲーム年間千ゲーム以上投げていました。アベレージも180位は出るようになっていました。

勤務地が富山に変わって ある人物との出会いから 一度は諦めたけれど 再び獣医師になる夢を追いかけることになりました。せっかく就職できた一流企業を辞めてまでチャレンジするべきか悩みましたが 塩野義の仕事にそれほどやりがいを感じられなかったこともあって 再び受験生に戻ってどこかの大学の獣医学科を受験することを決意しました。もし、受験に失敗したら潔く諦めて 小さい頃から続けていたピアノの先生になるかボウリングのプロを目指そうと思っていました。

立命館大学に通っていた時に合唱団に凄くピアノの上手な友人がいて その勧めもありカワイのグレードの試験を受けて四級に合格していました。四級に合格していれば カワイの音楽教室の講師になる資格がありましたから ピアノとはかなり縁を切った生活をしていましたが 講師を務める自信はありました。ボウリングはちょうしがよければ アベレージ180を維持できていましたから プロテストを受けても笑われることはないと思いますが 私ほどプレッシャーに弱い人間は珍しいと思いますから テストを受けても100%合格できないとは思っていました。

幸いにも岐阜大学の農学部獣医科に合格できましたので 好きなピアノもボウリングも趣味として楽しめるので ホッとしました。

以上が私の人生とボウリングの関わりです。現在は極たまに奥様と出かけて二三ゲーム楽しむぐらいですが 奥様は負けず嫌いなので 私に勝とうと頑張られます。未だ負けたことはありません。もし奥様に負けるようなことがあれば一生ボウリングとは縁を切ることになるのかもしれません。

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