6月6日 本日はおけいこの日と言われているのだそうです

昔から 楽器や踊りなどの 習い事は六歳の六月六日に始めると 上達する という言い伝えがあるので 本日をおけいこの日というのだそうです。私は まずはマリンバを幼稚園に通っている頃に習い始めました。マリンバと言っても あんまりメジャーな楽器ではありませんから すぐにどんな音が出るどのような外見の楽器か思い浮かべられる方の方が少ないのかもしれませんが 所謂木琴のたたく細い板切れの下に 金属製のパイプがついているので 普通の木琴よりも美しい響きのある音が出る楽器です。小学校の音楽室の隅っこに置いてある楽器です。
別に幼稚園児の時ですから 自分の意志で習い始めたわけではないと思いますが 音楽好きであった父に強引に勧められて 仕方なしに始めたのだと思います。勿論幼稚園に通っていたころは 普通の木琴をバチでたたいていましたが 小学校に上がるときに 自然にマリンバに移行したのだと思いますが 当然マリンバを購入して2DKの狭い団地住まいでしたが 部屋の隅っこに そのマリンバがそこそこの場所をとって置いてありました。価格がいくらだったのか想像もつきませんが けちん坊の父が気前良く購入してくれたのだと思います。毎週金曜日の五時から 近所の集会所に先生がやってくるので 殆ど毎週欠かさずに通っておりました。同い年の生徒で 私よりも常に一歩先を行くライバル的な存在がいましたので 何とかその子を追い抜きたくて 賢明に練習しましたが 最後まで追い抜くことは出来ませんでした。
年に一回 京都の祇園会館で発表会がありました。演奏順は 当然後になるほど 上手い子が並びます。低学年の時にはその子との演奏順の差は間に十人ほどいましたが 六年生の時には そのライバルのすぐ前に演奏するようになりましたが 最後までその子の後に演奏することは出来ませんでした。尚小学校の三年生の時に 妹が習っていたので 私もついでみたいな形で 近所のピアノの先生の所に通い始めましたので 三年生以降は二足の草鞋を履いておりました。毎日両方の練習を少なくとも三十分以上することを 父から義務付けられておりましたので 二つの楽器を毎日練習するのは そこそこ大変でした。何しろ小学生の男の子が 一番外で遊びたい盛りの頃に 一時間以上も楽器の練習を義務付けられていましたから 辛い毎日だったように思います。
中学に上がるときに 中学生になると勉強も大変になるし 部活動なども始まりますから さすがに二足の草鞋はきついだろうという事になりましたので どちらか一つの楽器に絞ろうと考えました。マリンバは 特殊な楽器だし 将来的にピアノが上手な方がカッコいいのかな と考えてピアノを選択しました。ピアノは 妹より遅れて始めましたが 私の方が二つ年上でありましたし マリンバの経験がありましたので 鍵盤の配置や 音符の読み取り力などの基礎的な情報はすでに身についておりましたので すぐに妹よりも高いレベルに達しました。ハノンの教則本は 勿論練習のウォーミングアップに毎日最初に 弾いておりました。ブルグミュラーなどの練習曲を経て チェルニーの三十番という練習曲集を弾き始めました。そこそこレベルの高い しっかりと弾きごたえのある練習曲が三十曲も集められた曲集でしたから この曲集を卒業するのに数年かかりました。やっと卒業したと思ったら すぐに同じくチェルニーの四十番の練習曲集が始まりました。当然三十番よりも もっと高い技術を求められる難しい練習曲が四十曲も集められているのです。この練習曲集を卒業するのには 当然ですが 三十番以上の年月がかかりました。
やっと地獄のような四十番を卒業したと思ったらすぐに次の週から チェルニーの五十番の練習曲集が 始まりました。当然の事ながらさらに難しくて 弾きごたえタップリの練習曲が五十曲も集められているのです。普通に考えて レベルがどんどん高くなるのに その曲数がどんどん増えていくなんて チェルニーは 頭がおかしいのじゃないかと思っておりました。五十幡を始めたのは 確か高校生になってからの事だったと思いますが 進学した高校が 相当にレベルの高い高校でしたし 大学受験も迫ってきておりましたので 高2になったばかりの頃に 先生のついての練習は 一応終了しました。その時点で五十番練習曲集の十番前後をさらっていたように記憶しています。
その時点で 私は二つ年下の妹よりも 技術的には 高いレベルの練習をしておりました。ちなみに妹は 大阪音大のピアノ科に入学しておりますので 私もその気があれば 私立の音大に潜り込めるぐらいの可能性はあったのかもしれません。とはいえ 私にとってはあくまでもピアノ というか音楽が趣味の範囲にしかありませんでしたので ごく普通に進学しました。まあ普通に就職したあたりから 私の人生が大きくわき道にそれてしまいましたが その辺りはこのブログで何度も書きましたから 本日は語らずにおきましょう。
一度目の就職して働いていた時代は アップライトのピアノですが 購入して自主的に練習したりしておりましたから ピアノとは縁を切らずに生きていくのかなと 思っておりましたが 二つ目の大学に入学したあたりから とてもよそ見をしている余裕のない人生でしたので 音楽とは縁遠くなっていきました。その割には 岐阜大学のオーケストラにチョットだけ混ぜてもらったりもしましたけれど。現在は まともなステレオも所有しておりませんし CDを視聴する機会も殆どない生活をしております。仕事を引退したら もう一度音楽とも 向かい合って生活したいとは考えておりますが 新しい趣味として 釣りを始めてみようと考えておりますし 経済的にもそれほど余裕があるわけではないのかもしれませんから どのレベルまで 音楽を生活に取り入れるのか 自信がありません。まあちょっと豪華なカラオケセットでも購入して これまで以上にカラオケにのめりこむかもしれません。あくまでも趣味ですから あんまり突き詰めて考えずに のんびりと向き合おうと思っております。

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