7月21日 一つ目の大学時代の親友のお宅に 出かけました

私が二十歳ぐらいの頃から 付き合いが始まりましたから 四十年以上にもわたり友達関係が継続している 親友です。同じ混声合唱団で 同じベースというパートで歌っていました。私はそのサークルの活動に参加したのが 他の同学年のメンバーよりも 遅くて 六月の末から練習に顔を出すようになりました。勿論普通に四月に入学したのですが 私は他の合唱団に寄り道していた為に こちらのサークル活動に参加するのが遅くなってしまいました。最初に参加したのは 歌声活動を頑張っている合唱団でした。よく昼休みなどに アコーディオンやギターを抱えた人たちを中心に 人が集まる場所で ロシア民謡や メッセージソングを歌っていました。 私は ピアノを十数年習っていましたし 声もそれなりによく出る方だったので 大学に入ったら合唱団に入ってみたいと考えていました。
何気なく 昼休みに楽しそうに歌っている人たちから 声をかけられたので 気楽な気持ちで サークルの部室に連れていかれました。一人のお姉さんが 私の好みのタイプだったからかもしれませんが 自分たちの合唱団に参加しないかと誘われましたので 気軽な気持ちで承諾しました。部室に初めて訪れた日が たまたま新入生歓迎合宿の日だったので そのサークルでは皆が互いをニックネームで呼び合うのがしきたりだったみたいで 私は合宿の日に初参加したので 皆から合宿というニックネームで呼ばれるようになってしまいました。非常にフレンドリーに接してもらいましたので 私は嬉しくなって その合唱団の練習に参加するようになりました。
その合唱団の人たちと話していると とても楽しいのだけれど 時々政治的な話が挟まるので ちょっと気になっていましたが 取り敢えずはたくさんの友達が出来たので 楽しい気持ちを優先させて参加しておりました。所が ある程度の期間が過ぎて 冷静になって このサークル活動の目的を客観的に判断したら この合唱団は歌声運動の一環として 合唱に取り組んでいることが分かってきました。合唱団の幹部連中は 皆民主青年同盟の一員で 選挙があったりすると 共産党の応援に駆り出されたりしていました。私は あくまで合唱を芸術として考えていましたから 政治活動の宣伝媒体のような合唱団には参加したくないので 非常に魅力的な人たちが沢山いましたが この合唱団とは決別することにしました。
立命館大学には他に 混声合唱団と 男声合唱団があり この二つの合唱団は 合唱連盟に所属していて 合唱を芸術として考えて その技術の向上のために日々練習に励んでいるサークルでした。私は 合唱だけを懸命に取り組むのであれば 男声合唱団を選ぶべきだったように思いますが 最初に入った合唱団が混声合唱団だったこともあり つい軟弱そうな混声合唱団を選んでしまいました。そんなわけで寄り道をしてしまい 卒業まで頑張って活動をしたサークルへの参加が普通の同学年の人よりも遅れてしまいました。まあスタートは遅れましたが 譜読みや声量には自信がありましたので 何とか同学年の人たちと仲良くなれたように思います。
本日 再会した友人は 二年生の四月になって 入団してきました。何と一年生の時は 男声合唱団に参加していたのだそうですが 何となく自分がやりたいのは混声合唱だと思うようになったので 思い切って鞍替えしたのだそうです。私は同学年の人よりも遅れて参加したので 馴染むのに少しだけ苦労しましたから 二年生の春から参加してきた彼に 何となく特別な感情を持って話しかけましたからなのか すぐに仲良くなりました。それから三年間 同じパートだったこともあって 一番よく話をしました。本日 京都の日本海 天橋立から遠路はるばる参加してくれた友人も やはり私よりも少し遅れて この合唱団に参加してきたメンバーでした。やっぱり遅れてきた人だけに 特別な親近感があるので すぐに打ち解けてしまいました。特に二年生の合宿の時に 寝る部屋が三人偶然だったと思いますが 同じになったので 猶更三人の中が急激に深まりました。練習の時には 同じベースですから いつも近所で歌っていましたし 何故か趣味や食べ物の好みも会いましたので 下宿に泊まりに行って語り明かしたりも何度もしました。そんなわけで 本日集まった三人は 一つ目の大学時代に参加していたサークルで 一番仲の良かった三人でしたので コロナ禍のこんな時期にですが 数年ぶりに再会する機会を作りました。
一昨年までは 私がこの合唱団の先輩同輩が 五人も枚方に住んでいるので 何とかその五人で集まって食事をしたいと考えて 枚方お食事会なるものを企画しました。その時に出来たら一年に一回は このような機会を企画して欲しいと頼まれましたので 言い出しっぺの私が幹事役を引き受けて 数回 毎年六月に食事会を企画しておりました。毎年前年よりも参加人数を増やしたいので 頑張って声をかける範囲を広げていきましたから 十数人が集まる食事会になっておりました。所が昨年 コロナ禍のご時世ですから 十数人が集まっての食事会など企画できるはずもありませんし 今年も同様の状況でしたので 食事会は流れてしまいました。私は父が亡くなりましたので 恐らく一年以内に 大阪を離れて 杵築へ移住しますので 何とか特に仲の良かった三人だけでも集まりたいと考えて 本日のお泊りお食事会を企画しました。
御泊りさせてもらった友人は 卒業と同時にシャープに勤めて数年前にシャープがやばい状況になる寸前に これまた有名な食品会社に再就職して 現在もそちらの会社で頑張って働いています。天橋立の友人は 京都府庁で公務員として定年まで務めあげて 現在は出身地である天橋立に戻って 実家の農業を頑張っているみたいです。私は 卒業して塩野義製薬に数年勤めてから 受験勉強をやり直して 岐阜大学の獣医火に入り直して 三十年ほど前に統治に開業して現在に至っております。そんな風に 卒業してから歩いた道は 全く異なりますが 三人が久しぶりに再会すると 大学時代に語り合ったのと同じような気持ちで話が出来ますから 不思議です。
奈良の友人は 65歳までは つまり来年いっぱいは 今の会社の仕事を頑張るけれど 退職したら 四国でお遍路さんがやりたいと言い出しております。その割には 歩くことに自信がないみたいで 一日十キロ以上歩いたら 次の日はゆっくり休まないと駄目だと言い出しております。そんなことでは とてもお遍路巡りなど無理だと思いますが 四国巡礼が終えられたら ヨーロッパで全行程千キロにも及ぶ巡礼の旅に三人で出かけようなどと 夢のようなプランを持っているみたいです。恐らく四国巡礼のお遍路巡りで 諦めてくれるとは思いますが そんなヨーロッパの巡礼のたびが三人で出来たら 本当に楽しいだろうと思いますので 実現できたらいいけれど 難しいようにも思います。とにかく若いころに夢を語り合った三人ですから かなり現実離れした話みたいですが 何とか実現できるように努力してみようと思いました。

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