7月22日 「フォークの神様」と言われた岡林信康さんのお誕生日だそうです

1948年の本日 「フォークの神様」という表現が適当なのかどうか 正直なところよく存じ上げませんが 岡林さんがお生まれになりました。おうちが教会だったそうで お父様は牧師さんだったのだそうです。ただ日本のフォークソングの創世記に相当に活躍された方だとはお聞きしています。

残念ながらフォークソング界の方々は殆どテレビやラジオに登場されませんでしたから ある程度その類の音楽をちゃんと好きになりその方々のコンサートに出かけなければ なかなかフォークソングを身近に感じられませんでした。ですから フォークソングの岡林さんの時代に活躍された方は 名前は聞いたことがありますがお顔もその音楽もあんまり知らないのが正直なところです。

教会の活動に疑問を持たれて 一時期 社会主義に傾倒されて活動されているうちに 高石ともやさんとであいミュージシャンになられたのだそうです。私が知っているのはほんの初期の「山谷ブルース」、「友よ」、「手紙」位です。ちなみに「友よ」は カラオケで高得点が獲得できるので しばしば歌っています。このじきに大瀧詠一の「はっぴいえんど」をバックバンドにされていたことがあったそうですが、私は加藤和彦の「サディスティックミカバンド」派だったので全然知りませんでした。

やがて本人のやりたい事と「フォークの神様」として世間が彼に望むことに大きな隔たりができてしまい うつ病になって岐阜県の山村で四年間ほど農耕生活を送られたのだそうです。その後ボブディランの影響でロックに走ったり、演歌に流れたり紆余曲折されながら割と最近まで活動されていたみたいですが 私は全く知りませんでした。

私にとってフォークソングと言えばやはり近場の京都を拠点として活動されていた方々 高石ともやとナターシャセブン、とか赤い鳥などが特に印象に残っています。高田渡さんなんて伝説上の人物で たまにラジオから流れる曲を聞いたことがあるぐらいで 全く存じ上げません。

その後吉田拓郎とか井上陽水とかかぐや姫などはよく聞いていましたがレコードは一枚も買っていません。高校の頃にレコードを買ったのはビートルズやモンキーズ、カーペンターズばかりで日本人の歌手で買ったのは浅田美代子のアルバム一枚きりでした。そんなわけで岡林さんの事も高名なお名前は知っていましたが 歌手として歌っておられるお姿など一度も拝見したこともありません。2012年にもシングル曲を発表されておられるそうなので その更なるご活躍をお祈りして終りにします。

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