7月28日 冷やしそうめんの思い出 というかトラウマ

私が子供の頃ですから 五十年以上も前の話になりますが 夏休みに昼ご飯と言えば 冷やしそうめんが多かったです。母親がワンパターンでそうめんばかりを作っていた理由の一つには まだクーラーなどない時代で 夏の暑さをしのぐ食事としては 一番涼しさをダイレクトに感じられますから 最適と言えたかもしれません。それに大量のお湯を沸かして 乾麺を放り込めば 数分でゆであがり 後は水にさらして 氷水を張った涼しげな器に盛り付ければお終いですから 簡単で手間いらずの昼食だったからというのも理由の一つかもしれません。
子供のころ 父の仕事の関係で 夏や年末には かなり沢山お中元やお歳暮を頂いておりました。貰って一番うれしかったのは カルピスの詰め合わせです。普段近所のお店で売っているのは オリジナルの白いタイプでしたが お中元で頂くセットには ブドウ味やメロン味の 色も鮮やかなカルピスが入っていましたから とても嬉しかったです。二番目に嬉しかったのは やはり暑い夏ですから フルーツゼリーや水ようかん プリンなどの詰め合わせです。この類のお中元が届くと 妹と二人で万歳を三唱しておりました。
そうめんも お中元の定番の一つであったようで 結構上等そうなそこそこの大きさの木の箱に入ったものを 毎年一つか二つ頂いていたらしいので コンスタントに消費していかないと どんどんそうめんが溜まってしまうから だったのかもしれません。但し我が家の昼ご飯に出てくるそうめんは いつも氷水に浮かんだそうめんを箸で掬って麺つゆに浸して食べるだけの 完全なワンパターンでした。例えば薬味で変化をつける事が出来たのかもしれませんが 小学生でしたから 麺つゆにネギやおろし生姜を少し入れる位のものでした。両親は たまに茗荷を刻んだものを薬味として美味しそうに食していましたが 私は今でも茗荷が苦手なくらいですから 子供のころには 全く食べられませんでした。
例えば冷やし中華のように キュウリやハムの千切り 錦糸卵などが浮かんでいれば かなり食欲を刺激されたのかもしれませんが 母にそんなリクエストをしたこともありませんでしたから その類の変化も全くありませんでした。大人になれば 薬味の生姜を 山葵や柚子胡椒にチェンジしてみるのもありかもしれませんが 私は特に刺激物やニラニンニクなどの個性的なにおいが苦手でしたから 自分で変化をつける事も出来ませんでした。ネットで検索したら そうめんのいろんな食べ方を紹介する類が山ほどありましたから やっぱり何方もワンパターンな食べ方のそうめんに困っている人は少なくないみたいです。勿論私が子供のころには インターネット自体が存在していませんから 簡単に料理法の情報を入手することもままなりませんでした。
ワンパターンの極みのようなそうめんで 極たまにちょっとした変化があったのが 一箱に一束だけだったのかもしれませんが そうめんが着色剤で 赤や緑などに着色されているものがほんの数本混じっていたように思います。その色付きのそうめんが器に浮かんでいるのを発見した時には 私も妹も目の色が変わっていただろうと思います。着色料で鮮やかな色がついているだけで 味は恐らく全く同じだったろうと思いますが 母が喧嘩しないように 妹に赤 私に緑のそうめんを取り分けてくれました。製麺所の人も 子供がすごく喜ぶであろうことは分かっていたはずですから もっとたくさん着色されたそうめんを入れてくれればいいのに 確か一箱に数十束が入っていましたが 色付きのそうめんが入っているのは一束だけだったと思います。今思えば味が同じなら そんなにこだわることはないのに 子供だったから どうしても食べたかったみたいです。
私のそうめんの思い出と言えば こんなもので そうめんに対する嫌悪感しか 現在残っていません。たまにそばやうどんは乾麺を茹でて きつねうどんや鍋焼きうどんにしたり ざるそばにして食べますが そうめんを自分でゆでて食べることは ここ数十年なかったので 恐らく死ぬまでにもないように思います。三つ子の魂百まで という言葉がありますが 小学生の時に凄く嫌な思いをしたために こんな爺さんになっても やっぱり食べたくありません。私はそうめんでなければ 冷ご飯にお漬物だけでもいい と母にお願いしましたが 当時うちにはご飯は炊きたてを食べきり 出来るだけ残ってしまって 冷ご飯にならないように 母が工夫していたみたいでしたので 冷ご飯に漬物でお茶漬けという逃げ道もありませんでしたから 本当にそうめんの昼食に辟易としていました。
これ以上書くとそうめんを大切に作っておられる方や そうめんを凄くおいしく召し上がっている方々に 失礼になりますので 本日のブログはこの辺りでおしまいに致します。

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